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2015年8月

2015年8月 1日 (土)

日本人を狂わせた洗脳工作 いまなお続く占領軍の心理作戦 (自由社ブックレット) – 2015311 関野通夫 (著)

日本国民が読んでいただきたい・


引用


日本人を狂わせた洗脳工作 いまなお続く占領軍の心理作戦 (自由社ブックレット) – 2015311 関野通夫 (著)

 占領軍GHQの「日本人洗脳プログラム」の証拠書類を発掘!

「憲法九条を守れば日本は永遠に平和」「狂気の軍国主義にかられ、無謀な大戦に突入し、アジア諸国に侵略し暴虐をきわめた」など常識として定着している概念が、GHQの狙いどおりの成果だとしたら……。

 日本はじめ、米中韓など世界の国々に広く流布した戦争犯罪国家のイメージが、GHQが仕組んだ洗脳工作の成果だとしたら……。

WGIP=War Guilt Information Program(戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画)の証拠文書は従来発見されておらず、真偽不明だった。日本をおおう暗い影を直感的に感じていた著者が、2万5千点のGHQ文書の中から、タイトルに「War Guilt Information Program」とある文書、及び関連文書を多数発掘。新聞、ラジオのマスコミ操作、数百万の郵便物の検閲、教育への露骨な介入、伝統文化の否定等々、GHQの舌をまくほど絶妙な心理戦略が、このブックレットによって、白日のもとにさらされる!

戦後70年にして、日本を米国に恒久的に隷属させる作戦の呪縛からようやく解き放たれる!  


出版社からのコメント

ま「自由社ブックレット」創刊第1号は、歴史的な意義をもつ本書です。衝撃の真実、タイムリーなテーマ等を、簡潔に、分かりやすくまとめ、日本に広く発信してまいります。ご期待ください!

単行本: 84ページ出版社: 自由社; 1版 (2015/3/11)発売日: 2015/3/11


序・加瀬英明・外交評論家・

アメリカによる占領下で、日本を罪深い国として仕立てる「ウオア・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)」が、どのようにして行われたのだろうか。

マッカーサー総司令部(GHQ)は昭和20年(1945)年9月に日本を占領すると、10月2日に「各層に日本人に、彼らの敗北と戦争に関する罪、現在と将来の日本の苦難と窮乏に対する軍国主義者の責任、連合国の軍事占領の理由と目的を、周知徹底せしめること」(「一般命令第4号」)を命じ、日本民族から独立心を奪い、贖罪意識を植え付ける政策が実施された。

4頁・

10月2日というと、日本が米艦船「ミズーリ」艦上で降伏した、わずか1ヶ月後だった。

この年の12月から、NHKが「真相は(こ)うだ」(後に「真相箱」)の放送と、全国の新聞が「太平洋戦争史」の連載を始め、日本が非道きわまりない国であったことを、全国民に刷り込むことをはかった。

GHQは日本を軍事的に征服したうえで、日本民族から記憶を奪い、精神を破壊して、占領を終了した後も、未来永劫にわたってアメリカの属国としてつくりかえるために、日本に対して全面的に歴史戦を開始した。

九月に早々と報道を厳しく制限するプレスコード(新聞綱領)を定めたのをはじめとして、徹底的な検閲と言論統制、神道指令、公職追放、日本の国家指導者を裁いた東京裁判、日本国憲法などが、その手段だった。

WGIPは、日本をアメリカに隷属させる計画の柱だった。

関野道夫氏は本書で、WGIPの全容を、見事に白日のもとに曝している。その過程で、これまで知られていなかった、占領当局の関係文書を発掘している。

5頁・日本は昭和27年(1952)年に、対日講和条約が発効して、独立を回復した。日本国民はWGIPによる洗脳工作にかかわらず、まだ多分に生気を保っていた。

その翌年に国会が法改正を行い、戦勝国による不当な軍事裁判によって処刑、獄死、自決させられた、いわゆる戦争犯罪人を戦死者とみなして、遺族に年金などを支給し、戦犯として刑期をつとめていた人々の即時釈放を求める決議を、ともに全会一致によって採択した。

その後、日本は戦争体験が風化するにつれて、正気を失っていった。WGIPが種を播いた自虐史観が、蔓延るようになったのは、売国的な日本人の手によるものである。

自由者ブックレットの創刊にあたり、WGIPの存在を明らかにした本書を、第一号としてお届けし、新しい興論が喚起するよう、願ってやみません。

日本人を狂わせた洗脳工作・いまなお続く占領軍の心理作戦・


目次

序・加瀬英明・3頁・

1 未だ気づかれていない洗脳工作・11頁・

日本を狂わせた根源的なもの・11頁・

友人の作家の慨嘆・12頁・

 工学部系実験屋の習性・15頁・

 不可解な国連人権委員会・10頁・

ジュネーブの4ナイ反日人士・18・

2 内部文書「WGIP」の発見・21・

 約2万5千点の文書を絞り込む・21・

 「WGIP」とは何か?・22・

WGIPを実施したCIE(民間情報教育局)・23・


3 洗脳と検閲の両面作戦・26・


 表の洗脳・裏の検閲と焚書・26・


IMG_0180.JPGをダウンロード

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3 洗脳と検閲の両面作戦・26・

 表の洗脳・裏の検閲と焚書・26・

GHQが、日本人に与えようとした虚実とりまぜた情報を、いかに流布するかという作戦が「WGIP」だとすると、もう一つの日本人洗脳作戦が、「検閲と焚書」でした。日本人に知らせたくない情報を、いかにして隠すかの秘密作戦です。両者は車の両輪であり、二つが相まって、全体の作戦が進められたと、私は解釈しています。洗脳工作の構図を、グラフィックに表現してみました。

ふん しょ [1] [0] 【焚▼書】書物を焼きすてること。思想弾圧の手段として,異端の書とされたものについて行われた。

28頁・GHQの政策実施は、重要な部分は、日本政府を通した間接統治によって行われ、多くの日本人に、自分たちが自主的にやったと錯覚させることで、絶大な効果を発揮しました。その効果は、日本のさまざまな分野に残存し、ある部分では拡大され続けています。

平成27年8月1日


 日本政府を前面に出した二人羽織・28・

 東京裁判というショーウィンドー・30・

国会はABC級戦犯の遺族に年金を与えた・33・

30項目の報道規制(プレスコード)・35・

4 発見文書から内容を読みとる・37・

文書〈イ〉【1945年12月21日付】・40・

 広範で綿密な作戦・43・

いまなお続く刷り込みの効果・44・

CIEに与えられた役割・46・

WGIPが謀略である証拠・49・

5 CIEと東京裁判の関係・51・

 緊密な連携・51・

メディア工作・文書〈ト〉・54・

 民間情報検閲支隊・56・

6 WGIPでCIE(民間情報教育局)が懸念したこと・58・

原爆投下と東条陳述への懸念・58・

CIEの対応策・59・

CIEの手先にされた朝日新聞・63・

 四大教育指令・66・

7 東京裁判に対するアンチテーゼ68・

無罪を主張した人々・68・

マッカーサーも意見を変えた・69・

8 東京裁判における清瀬一郎弁護士の冒頭陳述・71・

 格調高い戦犯無罪論・71・

ナチスと日本の相違・72・

リットン報告書・73・

 廬溝橋事件の責任・74・

 支那事変の勃発・75・

 日米通商航海条約の破棄・76・

イギリスの認識・77・

 真珠湾は奇襲か・78・

 あとがき・80頁・

平成27年8月1日


2015年8月 6日 (木)

・・・堀真一郎 著・2013年6月25日発売・出版社 黎明書房 1ページで見る「かつやま」 A4サイズ一枚に学校の特徴をまとめています。「とりあえず概要だけ知りたい」、「お知り合いに学校の紹介をしたい」という方はこのページを使っていただくと便利です。 学校法人きのくに子


日本コミューター株式会社・奄美空港ターミナルビル・・・「東京支社」奄美群島市町村会(会長・大久保明伊仙町長)と奄美群島議会議長会(会長・安和弘瀬戸内議会議長)

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2015/07/post-e981.html


引用


ほかの子どもの村(リンク)  まずは子どもを幸せにしよう。すべてはそのあとにつづく。―A.S.ニイル

■2016年度 新1年生募集(体験入学のご案内)

  対象 2016年度 新1年生

  期日 2015年11月中

  定員 10名

  体験入学願書 WORD PDF

 ■テレビ放送について

 FBC(福井放送)、日本テレビで、かつやま子どもの村が取り上げられました。

 「僕らのミーティング 『話す・聞く・想う』心の授業」

 日テレ NNNドキュメント 2015年7月26日 24:55~

 「過疎の村に春・・・中学生が水車復活」

 FBC おじゃまっテレ 2015年3月6日 

 ■体験入学について(入学をお考えの方)  現在、寮のベッドに「空き」がないため、体験入学の実施を見合わせています。入学を希望するご家庭には、都合がつき次第、順番に声をかけさせていただいています。

   体験入学願書 WORD PDF ■学校見学について

 2015年度は、毎週水曜日が学校見学日です。

学校行事が重なるなど都合の悪い場合もありますので、事前に確認・予約をしてください。

 ■手づくり教室  2015年度の開催予定については未定です。

  詳細が決まり次第、ホームページに掲載します。

 ■新刊発売 『中学生が書いた消えた村の記憶と記録―日本の過疎と廃村の研究』(黎明書房)

かつやま子どもの村中学校子どもの村アカデミー著、2014年10月10日、定価2200円+税  出版社のホームページ

『きのくに子どもの村の教育~体験学習中心の自由学校の20年』(黎明書房)

  堀真一郎著、2013年6月25日発売、定価2700円+税  出版社のホームページ

さいきんの様子 クラフトショップの日帰り旅行[2015.6.12]

木工三昧の日が続いていましたが、以前から行きたいと希望していた金沢の兼六園と金沢城に見学に行きました。広くてきれいな庭をじっくり見てまわり、帰ってから、クラフトでつくった池をもっときれいに整備しようと計画していました。

劇団バッカスの校内発表[2015.6.5]

 今年度はじめての校内発表をしました。このプロジェクトができてから、24回目の公演になります。今回は、5つのコントを発表しました。やはり出演前はとても緊張した表情でした。しかし、演目が終わると、出演者どうしで手を叩いたり、「めっちゃ笑ってもらってよかったぁ!」と声をかけ合ったりしながら、満足気な笑顔で舞台裏に戻ってきました。

 よくばり菜園の田植え[2015.5.22]

2枚の田んぼにイネを植えました。代かきや田ならしなど、苦労して手作業で準備をしてきたので、待ちに待った田植えでは、みんな自然と笑顔がこぼれます。まっすぐきれいに並んだイネを見て、子どもたちも満足そうでした。

 入学を祝う会[2015.4.11]

「かつやまの春・かつやまの桜・かつやま新入生を迎える会」と題して、新入生をお祝いする会が開かれました。会の中味も委員の子どもたちが考え、段どりも当日の司会も子ども中心です。ふつうよりも大きなくす玉も無事に割れました。

学校の活動、生活の様子を見ていただけます。(容量が大きいためエラーが発生する場合があります。その場合は、再度読み込んでみてください。)

体験入学について(2016年度の新入生用)

  対象 2016年度 新1年生

  期日 2015年11月中  定員 10名  体験入学願書 WORD PDF

新刊発売(学校でも販売しています)

『中学生が書いた消えた村の記憶と記録―日本の過疎と廃村の研究』

・かつやま子どもの村 子どもの村アカデミー著

・2014年10月10日発売

・出版社 黎明書房

・定価 2200円+税

 『きのくに子どもの村の教育―体験学習中心の自由学校の20年』

・堀真一郎 著・2013年6月25日発売・出版社 黎明書房 1ページで見る「かつやま」 A4サイズ一枚に学校の特徴をまとめています。「とりあえず概要だけ知りたい」、「お知り合いに学校の紹介をしたい」という方はこのページを使っていただくと便利です。 学校法人きのくに子どもの村学園 かつやま子どもの村小学校・中学校 

〒911-0003 福井県勝山市北谷町河合5-3

 http://www.kinokuni.ac.jp/katsuyama


http://www.kinokuni.ac.jp/katsuyama/index.html

16:57 2015/08/06

中学生が書いた消えた村の記憶と記録 日本の過疎と廃村の研究 

 堀 真一郎/監修 かつやま子どもの村中学校子どもの村アカデミー/著 

定価:本体2200円+税 A5判/176頁  発刊日 2014年10月10日

ISBN番号 ISBN978-4-654-01907-6 

学校のすぐそばに消えた集落があることに興味をもった中学生が、県内・県外の消えた集落のくらしを現地におもむいて調べ、集落が消えた理由を明らかにする。日本の将来をも見すえた中学生たちの研究に学ぶことは多い。

こんな方にオススメ

 ・日本の過疎問題に興味のある方。

・中学生の地域研究に関心のある先生方。

・地域と学校のあり方に関心のある方。

・世界一自由な学校「きのくに子どもの村学園」の教育に興味のある方。 

  目 次

変わった学校の変わったクラスの大きな仕事

はじめに

 ・子どもの村アカデミーとはこんなクラスです

 ・かつやま子どもの村小・中学校とはこんな学校です

第一章 中野俣の人とくらし-福井県勝山市-

 1 中野俣集落のくらし

   ・村の環境と人口の変化

   ・栄えていた時代の産業 /他

 2 中野俣が消えた理由

   ・山奥ならではの生活

   ・自然災害

 3 過疎

   ・過疎とは何か

   ・高度経済成長 /他

 4 中野俣について考える

   ・過疎化を止めるには

   ・村の問題とさまざまな立場 /他

第二章 横倉の人とくらし-福井県勝山市-

 1 横倉の栄えた頃

   ・栄えた時代の仕事や生活

   ・学校と子どもたちのようす /他

 2 村がなくなった原因

   ・村から人がいなくなる

   ・雪崩を体験した人のことば /他

 3 その後の横倉

   ・慰霊碑と神社

   ・村が消えても交流する住民たち

 4 横倉について考える

第三章 西谷村の人とくらし-福井県大野郡-

 1 西谷村の集落

 2 くらし

   ・町と村をつなぐ道

   ・民家からはじまった学校 /他

 3 廃村

   ・村を去っていく人たち

   ・ダム建設 /他

 4 その後

   ・石にしてのこした村への思い

   ・帰りたくなるふるさと

 5 西谷村について考える

第四章 日本各地の消えた村

 1 徳山村の人とくらし(岐阜県揖斐郡)

 2 脇ヶ畑村の人とくらし(滋賀県犬上郡)

 3 東ノ川の人とくらし(奈良県吉野郡)

 4 廃村になった村の共通点と相違点

第五章 私たちが考える消えた村

 1 村が消える原因

   ・自然災害

   ・ダム建設 /他

 2 村はのこすべきか

   ・豊かな山や林が減る

   ・村をのこす必要はないという意見 /他

 3 過疎化は止められるのか

   ・過疎化を止めるとりくみ

   ・行政による過疎対策 /他

 4 結論-消える村から何を学ぶか-

参考文献一覧 

 監修者紹介   ● 堀 真一郎 

  1943年福井県生まれ。1992年大阪市立大学在職中に、学校法人きのくに子どもの村学園を、和歌山県橋本市に設立。1994年に大阪市立大学を退職し、きのくに子どもの村学園の学園長に専念し、現在に至る。  

その他の関連書籍(黎明書房刊)

『きのくに子どもの村の教育』

 『問題の子ども』(新版ニイル選集①)

 『問題の親』(新版ニイル選集②)

 『恐るべき学校』(新版ニイル選集③)

 『問題の教師』(新版ニイル選集④)

 『自由な子ども』(新版ニイル選集⑤)

 『増補・自由学校の設計』 (品切れ)

『山の村から世界がみえる』堀 真一郎監修 きのくに子どもの村中学校わらじ組著 

 『ニイルと自由な子どもたち』

『教育の名言』堀 真一郎・滝内大三編

著者紹介  ● かつやま子どもの村中学校子どもの村アカデミー 

1998年、福井県勝山市の誘致をうけて「学校法人きのくに子どもの村学園・かつやま子どもの村小学校」をスタートし、2001年に中学校を併設。子どもの村アカデミーは、中学生が自分たちで、活動のテーマを考えてとりくむクラス。いわゆる担任はいない。

http://www.kinokuni.ac.jp/katsuyama/

http://www.reimei-shobo.com/ISBN978-4-654-01907-6.htm

16:58 2015/08/06

 

http://www.kinokuni.ac.jp/nc/html/htdocs/?page_id=93

 

きのくに子どもの村の教育―体験学習中心の自由学校の20年 単行本  – 2013/7 堀 真一郎 (著) 堀/真一郎

1943年(昭和18年)福井県勝山市に生まれる。66年、京都大学教育学部卒業、69年、同大学大学院博士課程を中退して大阪市立大学助手。90年、同教授(教育学)。大阪市立大学学術博士。ニイル研究会および新しい学校をつくる会の代表をつとめ、92年4月、和歌山県橋本市に学校法人きのくに子どもの村学園を設立。94年に大阪市立大学を退職して、同学園の学園長に専念し現在に至る(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 単行本: 253ページ

出版社: 黎明書房 (2013/07)発売日: 2013/07

目次

1 子どもの村の「今」(授業風景1 ジャンボすべり台をつくる(プロジェクト)

授業風景2 子どもの村のババぬき(基礎学習)

授業風景3 文法用語はご法度(英語)

子どもも校長も同じ一票―自由学校はミーティングの多い学校

もっと遠く、もっと欲張って―手づくりの修学旅行

一人ひとりがみんなと自由に―子どもの村の子どもたち

教師も自由だ―子どもの村の大人たち)

2 子どもの村のDNA(「為すことによって学ぶ」―ジョン・デューイと「活動的な仕事」

まず子どもを幸福にしよう―A.S.ニイルと「世界でいちばん自由な学校」

頑固一徹の自由教育家―ジョン・エッケンヘッドと「共に生きる学校」

自由な子ども―感情と知性と人間関係と

プロジェクトが中心―ホンモノの仕事が子どもを育てる)

3 子どもの村の二〇年(長い道のり―開校までの七年半

初心を忘れない―小さな妥協がやがて命とり

二〇年ひと昔―波紋は広がったか

あわてず、あせらず、あきらめず―学校づくりを始める人へ)

 

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5

特に現職の先生方にお勧めします。投稿者エンド2014年5月14日

「宿題」なし「通知票」なし「校長先生を○●さんと呼ぶ」……。

はっきり言って「目からウロコ」です。

元公立中学の教員ですが、強く興味を抱きました。

 

現実の「自分の職場」では「無理」なことは多いけれど……。

ある意味「教育の原点」を語る書です。

自分が買ったときは、「アマゾン」では売り切れ、中古が6000円近く……。

迷っていたら「黎明書房」とタイアップしている「7ネット」で定価で売ってました。先日、きのくに子ども村学園を見学してきました。実践の中に身を置くことで体験する創造に共感します。

20年の積みかせねがとても参考になりました。これをバイブルに地元にも造ります。

16:48 2015/08/06

 

 

きのくに子どもの村小学校・中学校

かつやま子どもの村小学校・中学校

南アルプス子どもの村小・中学校

北九州子どもの村中学校

きのくに国際高等専修学校

 まずは子どもをしあわせにしよう。すべてはそのあとに続く。- A.S.Neill -

  

〒 648−0035  和歌山県橋本市彦谷51 Tel: 0736-33-3370  Fax: 0736-33-3043

 

「学校法人きのくに子どもの村学園」は、1992年、和歌山県橋本市でスタートしました。戦後はじめて文部科学省から学校法人として認可された自由な学校です。

 現在は、きのくに子どもの村小中学校、かつやま子どもの村小中学校(福井県)、南アルプス子どもの村小中学校(山梨県)、北九州子どもの村中学校(福岡県)、きのくに国際高等専修学校(和歌山県)があり、約400人の子どもたちが寮生活を送りながら学んでいます。

おもちゃ教室子育て講座◆きのくにの姉妹校◆

・りら創造芸術高等専修学校

 (和歌山県)

・箕面こどもの森学園 (大阪府)

  きのくに子どもの村学園とは 「きのくに子どもの村学園」。この長い名前の学校は、和歌山県の北東の端、橋本市の山中でスタートしました。1学年15名の小さな学校です。宿題がない。テストもない。「先生」と呼ばれる大人もいない。大人は「○○さん」とか、ニックネームで「ゴンちゃん」などとよばれます。

子どもは自分のしたい活動をよく考えて、その年のクラスを選びます。授業の多くが体験学習にあてられ、どのクラスも異年齢学級です。 2012年度、小学校では「工務店」「きのくにファーム」「おもしろ料理店」「劇団きのくに」「クラフト・ショップ」「よくばり菜園」、中学校では「動植物研究所」「道具製作所」「ミュージカル・シアターきのくに」「わらじ組」「自然研究室」「劇団バッカス」「子どもの村アカデミー」などのクラスがあります。

国内外の教育関係者やマスコミからも注目され、現在は学校の数も増えました。

・きのくに子どもの村(和歌山県橋本市)   小学校、中学校、国際高等専修学校

・かつやま子どもの村(福井県勝山市)    小学校、中学校

・南アルプス子どもの村(山梨県南アルプス市)小学校、中学校(2012年4月開校) 

・キルクハニティ子どもの村(英国スコットランド)

・北九州子どもの村中学校(福岡県北九州市)中学校 2011年4月開校

 

学園長より・堀 真一郎 (ほり しんいちろう)

学校法人きのくに子どもの村学園学園長 元大阪市立大学教授  

学校法人きのくに子どもの村学園は、和歌山県で誕生した私立学校です。

名前の長さではどこにも負けません。でも子どもの数は少なくて、全部をあわせても250人あまり。山の中の小さな学園です。

子どもたちはめちゃくちゃ元気です。忙しくいろいろなことに挑戦しています。

その元気な子どもたちの様子は、何度もマスコミで紹介されてきました。海外のテレビや新聞に登場したこともあります。

山の中の学校なのに、マイクロバスなどを使ってどんどん見学や旅行に出かけます。修学旅行や海外研修にしても、4泊5日〜1ヶ月も出かけます。なんと2ヶ月もスコットランド(キルクハニティ子どもの村)に滞在するグループもあります(費用は格安)。たぶん日本でいちばん日本と世界に目を向けた学校といえるでしょう。

少し大げさにいえば、日本でいちばん楽しい学校。それがきのくに子どもの村学園です。ぜひ一度おたずねください。

学園のあゆみ

1984年   9月 「新しい学校をつくる会」発足

 1985年   7月 「きのくに子どもの村・山の家」開設

 1988年   7月 彦谷の宿舎完成。「村の家」と命名

 1992年   4月 きのくに子どもの村小学校開校

1994年   4月 きのくに子どもの村中学校開校 2001年

   4月 きのくに国際高等専修学校開校かつやま子どもの村中学校開校

 2002年   5月 キルクハニティ子どもの村開設(イギリス・スコットランド)

2007年 11月 自由学校6校の子どもサミット

 2008年 11月 日韓の中学校がシンポジウム2009年   4月

 キルクハニティ子どもの村小中学校 開校北九州子どもの村小学校が姉妹校になる(福岡県、北九州市)

2010年     2011年 10月11月  4月 南アルプス子どもの村小学校開校自由学校子どもサミット〜高校生編(日韓4校)

北九州子どもの村中学校開校    11月 きのくに子どもの村20周年祭

 2012年   4月 南アルプス子どもの村中学校開校

http://www.kinokuni.ac.jp/nc/html/htdocs/index.php?page_id=50

16:28 2015/08/06

<中学校> 原則として中学校からの編入は受け入れておりません。

 

 

◆小学校に入学・転入するには

 

① まずは学校に見学に来てください。毎週木曜日に学校説明会をおこなっています。 見学や説明会を希望される方は、必ず事前にお申し込みください。

※入学を希望されるお子さんも、必ず学校見学をお済ませください。

②入学願書をご提出ください。

③ 小学校の入学を希望されるお子さんには、体験入学に参加していただきます。  2泊(6年生は3泊)して学校と寮の生活を体験します。

 ④ 体験入学の前後に、保護者の方との面談をさせていただきます。

④ 体験入学や面談をふまえ、合否の判断をさせていただきます。

※体験入学を受けられる場合は、ご家庭でよくお話合いの上、入学の意思をはっきりとさせていただいた上でお受けいただきますようお願いします。学園では、お子さんの意思をもっとも尊重させていただいております。

子どもの村ブックレット

  きのくに子どもの村学園で出版しているブックレットです。学園の教育や活動、また、きのくにを語る際に欠かせない教育者や世界各地の学校について、随時刊行していく予定です。一冊700円です。ご希望の方は、学園までお問い合わせください。

(2008年11月刊行)学園でもっとも大切にされているプロジェクト活動(小中学校)の実践報告。  No.3(2009年9月刊行)

子どもの村の修学旅行は子どもが決める。小中高それぞれの修学旅行の報告集。

 No.4(2009年11月刊行)高等専修学校の目玉授業プロジェクトX。広く深い授業の実践報告。 No.5(2009年10月刊行)

かつやま子どもの村の中学生が、戦争と平和について本にまとめました。

 

  No.6「私の求め続けた教育戦後五〇年の歩み」(2010年11月刊行)元勝山市教育委員長の中村茂春さんによる、かつやま教育講座('09)での貴重なお話。 No.7(2012年3月刊行)

きのくにの生活と教育について、中学生19人が書いた本。 

 No.8  No.9  No.10  堀 真一郎(学園長)の本  以下の書籍は、一般の書店でお求めいただけます。<著書>

絵文字:NEWきのくに子どもの村の教育(黎明書房 2013)きのくにを知るにはこの本!

 自由学校の設計(増補版)(黎明書房 2009)

 

 

自由学校の設計―きのくに子どもの村の生活と学習 単行本  – 1997/7

堀 真一郎 (著) 内容(「BOOK」データベースより)

一学年15名。小中合わせても、子どもはたった135人にすぎない。しかしこれでも、れっきとした私立学校なのだ。「隠れ里の自由学校」と渾名されるちっぽけな学園なのに、見学にみえる人は少なくない。入学や転入学をしたいという問い合わせも跡を絶たない。本書は、こんな学園の5W1H、とりわけ「なぜ」「どのように」をお話することを目的としている。つまり私たちが、従来の学校教育の問題点をどのようにとらえ、それを克服するための基本理念をどのように練り上げ、いかにして具体化しようと努めてきたかをお話するのが、本書のテーマである。

内容(「MARC」データベースより)

 

一学年15名、小中合わせて生徒数135名。この小さな私立学校に入学・転入学したいという問合せは跡を絶たない。学校教育の問題をどのように克服してきたのか、その歩みを学園長自ら語る。

 

単行本: 254ページ出版社: 黎明書房 (1997/07)発売日: 1997/07

目次

 

1 きのくに子どもの村の一週間―自由学校の毎日(壁のない学校喫茶店のある小学校山里の小さな学園だけれど)

2 きのくに子どもの村の誕生まで―自由学校の構想(不自由な子どもたち―自由学校とは何か子ども強制収容所―今、なぜ自由学校が必要なのかサマーヒル・スクールの実験―自由学校のモデル ほか)

3 きのくに子どもの村の船出―自由学校の具体化(自分自身であること―いま一度、自由学校のめざすもの一人ひとりがみんなと自由に―自由学校の実際すべり台をつくる―プロジェクトの実際 ほか)

「自分を好きになる」学校

投稿者ひまわり2004年12月7日

和歌山県の私立学校「きのくに子どもの村学園」の園長が書いた本だ。1992年に小学校、1994年に中学校を開設した園長。どのような自由な学校なのか。子どもの心に「自分が好き」という感情を取りもどすことが、まずは大事と書いてある。これって、すごいことだ。

教育者は、なかなかこの大事なことを言わない。

「自分が嫌い」だから、他人をいじめるのだ。

「自分が嫌い」だから、学校に行けないのだ。

学校での子どもたちの様子や、教育理念などが書かれている。

私は我が子を、この学校に入園させたいと見学に行ったのだった。

 

日本にもこんな学校がったんだ。

公立では絶対に真似できない学校運営。しかし私立では費用の面で息詰まるのではないかと危惧する。

16:36 2015/08/06

自由学校の子どもたち(黎明書房 1998)

ニイルと自由な子どもたち(黎明書房 1999)

きのくに子どもの村(ブロンズ新社 1994)

 『教育の名言』(共著) 黎明書房 1989 『自由を子どもに』 文化書房博文 1984 『世界の自由学校』(共著) 麦秋社 1985 など

http://www.kinokuni.ac.jp/nc/html/htdocs/?page_id=127

16:31 2015/08/06

 

NNNドキメント・福井県・山の中で、ミーテイングヲ大切にする小学校堀信一郎校長

 

堀真一郎流「プロジェクト学習」論 記事をクリップするクリップ追加 2007/5/13(日) 午後 5:42 無題 その他学校 0 再放送だったのですが、「きのくに子どもの村学園」がNHK教育テレビで紹介されていました。「こころの時代~自由な子どもが育つために」という番組でした。学校紹介番組の域を超えたということなのでしょう。

番組は、学園長の堀真一郎さんへのインタビューを中心に構成されていました。すでに2回にわたって訪問していますので「きのくに」の概要は理解しているのですが、やはり15年の蓄積の大きさを感じ入りました。

しばらく前の記事にも書きましたが、わが国で子どもの本格的なプロジェクト学習を見ようと思ったら「きのくに」に行くことです。堀さんの説明によると、「きのくに」は ①自主性尊重の原則 ②個性尊重の原則 ③体験学習の原則 によって運営されています。イギリスのサマーヒルをモデル(堀氏はもともとニールの研究者でした)にして、和歌山県橋本市の山中に建設された「私立学校」です。

アナウンサーの質問に答えて、堀さんは次のような解説をしていました。(要点を箇条書きにします)

*体験学習といっても、さまざまです。教師が指示してやらせても「体験学習」。やることがすべてお膳立てされていても「体験学習」。それは、ただ体験するというだけで、あまり意味はありません。*ここでは、子どもたちの「自主性」によってやることを決めます。また、一つの活動をするにしても、それぞれの

 個性を生かして必然的に役割が決まります。

*つまり、「自主性尊重」「個性尊重」「体験学習」の三つの要素が含まれた学びの形態を、ここでは「プロジェクト

 学習」と呼んでいます。

端的で分かりやすい説明です。この域に達する(学習時間の約半数がプロジェクト学習)と、もはや「学習方法」ではなくて「教育方法」と呼ぶべきでしょう。話は、教師の役割や子どもたちの具体的な活動の様子からそれを支える教育理念にまで及んで、かなり長時間にわたって「きのくに」を語る堀さんは実に楽しそうでした。

ただ、エドビジョンモデルのPBLを志向している私は、若干の不足を感じました。敢えて批判的に検討します。

第一は、評価のシステムが明確でない点です。むろん、出来映えを評価するという意味ではなく、子どもたちが自律的に育っていくための評価です。エドビジョン型PBLの注目すべき点は、評価規準の事前提示とそれに即した自律的学習にあります。おそらく堀さんは、子どもの育ちを目撃した確信によって、その機能は内蔵されていると思っているのでしょう。しかし、堀さんのポリシーを丸ごとポジティヴに受け止める人以外には、やはり説明不足の感は否めません。ポリシーを具体化する説明やシステムが必要です。

第二に、これは「きのくに」には何ともしようがないのですが、「私立学校」という性格です。高野山中にある学校ですから、多くの子どもは寮生活を送ります。それやこれや含めると、相当な“学費”がかかります。当然のことながら、親に経済的な余裕がある子どもたちだけの学校になります。

この2点は、深い関連があります。「きのくに」の子どもたちを目撃して、その教育成果は疑いようもなくすばらしいと思います。それだけの成果を挙げた「きのくに」の存在は、わが国においては極めて貴重だとも思います。それだけに、公立学校改革のための情報の発信も期待したいのです。「きのくに」を丸ごと実現しなければこのレベルまで到達できないとすれば、一部の対象層のための学校になってしまいます。

この点は、実は「学校創り」を宣言した私にとってのジレンマでもあります。パーシャル(部分)から始めるか、一気にホールスクールを創ってしまうかという点です。当面は、パーシャルから始めるしか方策はないのですが、むしろそのほうが公立学校も含む広範に及ぶ教育改革には貢献できるのだろうと考えています。それにしても、自らの学校創りのヒストリーを淡々と語る堀さんは、何とも眩しく映りました。今年もまた訪問する予定です。

15:14 2015/08/06

 

 

・徳岡拓・子供村小学校・

日航ジャンボ機事故・被害者支援・西武バスが安全教材として・

バカが多いのには理由がある・本・

ジェーミス三木・戦争を語る・

 

 

━━━生活者通信メルマガ版━━━ 平成27年8月5日 Vol.131 ━

 

戦後70年に想う(2)

戦後70年の大逆転 生活者主権の会  峯木 貴

戦後70年。日本はどう変わってきたのか。また、首相の談話というものが出される、ということであるため、その談話に対する注文も書いた。

 

1.戦後70年の大逆転

日本で戦後というと第二次大戦が終わった後をいうが、あれからすでに70年もたってしまった。

敗戦後の焼野原は、記録でしか見たことがないが、映像などを見るとこれから本当に復興できるのか感じてしまう。よく東日本大震災と重ねて見る人がいるが、この場合日本の一部が壊滅したのであって、終戦直後のように日本のあらゆるところが機能麻痺しているのとは全く異なる。

 それとは裏腹に、戦勝国は政治的にも経済的にも発展することとなった。

 しかし、それが戦後70年もするとどうなったであろうか。

当時枢軸国といわれ敗戦したドイツ、日本が世界をけん引するような勢いである。もちろん2大大国というと米国と中国ということになるが、ドイツ、日本は国際社会では特に重要な位


2015年8月 7日 (金)

・・・知恵泉・山田方谷 備中松山藩の家老、山田方谷(ほうこく)は、日本の優れた思想家でもあり、実務家として偉業をなした人物です。勘定奉行の折りには、借金に苦しんでいた藩の財政再建に取り組み、新産業政策、藩札刷新などにより財政改革を成功させ、7年で10万両(現在の約600億円)もの借金を10万両の蓄財に変えるほどの手腕だったといいます。

引用


2015年8月 7日 (金)takita.bangumi,番組表http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2015/08/takitabangumi-cfac.html

2015,8,9、


歴史的偉人に学ぶ経営学 山田方谷編・

山田方谷 備中松山藩の家老、山田方谷(ほうこく)は、日本の優れた思想家でもあり、実務家として偉業をなした人物です。勘定奉行の折りには、借金に苦しんでいた藩の財政再建に取り組み、新産業政策、藩札刷新などにより財政改革を成功させ、7年で10万両(現在の約600億円)もの借金を10万両の蓄財に変えるほどの手腕だったといいます。

 彼は14歳で母を、15歳で父を亡くし、遺された弟たちを養うため、農業と菜種油の製造販売という家業に努めながら学業にも励み、篤学の名声を高めます。25歳で名字帯刀を許されると、藩校『有終館』会頭(教授)に就任。藩主・板倉勝静(かつきよ)の教育係となって指導者として台頭し、『閑谷学校』を再建します。明治時代には大久保利通からの入閣の誘いを断ってまで私塾を設けるなど、教育に心血を注ぎました。

方谷の基本思想は「武士も農民も慈しみ愛情をもって育て、国民全体を富裕にする」「領民を富ませることが国を富ませ活力を生む」という“士民撫育”。これは心理学で存在承認や成長承認を意味し、領民に関心と愛情をもって成長を手助けし認めることで、内に秘めた力を引き出すのです。リーダーシップは組織とメンバーの夢づくりや観察、承認をすることであり、共感を導きながら相互に啓発し合い、挑戦する場をつくって皆の力を引き出すことと言えます。そんな士民撫育は上杉鷹山公『伝国の辞』の“民のために君主がいる”に通じる思想で、民が富むことを続ければ最終的に国が富むという主民思想です。

また1855年の上申書『撫育の急務上申』によると「藩主の天職は、藩士並びに百姓町人たちを撫育することにあります。まず急務とするところは、藩士の借り上米を戻すこと、農民の年貢を減らすこと、町人には金融の便宜を図り公益を盛んにすること、この3ヵ条であります」と述べています。方谷は民政刷新政策によって国民の生活を安定させ、産業振興政策を行い国民全体の生活を向上させました。

彼の基本姿勢は“至誠惻怛(しせいそくだつ)”と言い「真心(至誠)と悼み悲しむ心(惻怛)があれば優しく(仁)なれる。目上には誠を尽くし、目下には慈しみをもって接する。このような心の持ち方をすれば、物事をうまく運ぶことができる。この気持ちで生きることが人としての基本であり、正しい道である」としています。そんな方谷の下には多くの人が集まりました。のちに長岡藩家老となり、戊辰戦争で新政府軍と決然と戦った河井継之助もそのひとり。彼は佐久間象山などにも学びましたが、備中松山藩で生涯の師・方谷と出会います。はじめこそ農民出身の方谷に“安五郎”との通称で手紙を書くなど尊大な態度をとった継之助ですが、方谷の言行一致した振る舞いと藩政改革の成果を見てすぐに態度をあらため、深く心酔します。死の間際には「山田先生に伝えてください。継之助はいまのいままで先生の教えを守ってきました」と伝言を頼んだほどです。

一方、軍事では日本初の農兵隊である『里正隊』を15年かけて西洋の近代的兵器で武装させ、方谷自ら洋式訓練を施し当時の日本最強の軍隊に育て上げました。のちに明治維新の原動力となった高杉晋作の『奇兵隊』は、これを参考にしたものです。戊辰戦争時は朝敵とされた松山藩ですが里正隊の強さが恐れられ、なかなか手が出せなかったと言われています。ところが方谷は民の安全を願い、主戦論を抑えて無血開城を実現しました。

 

そんな彼の生きざまからは、理詰めだがたくましさを併せ持ち、至誠かつ慈しむ心を基本とした士民撫育によるリーダーの姿を学ぶことができるのではないでしょうか。

佐藤敦

http://worldjc.com/6445/

9:55 2015/08/07

 

 備中松山藩 山田方谷   (1805年~1877年)

(1)      山田方谷とは、どのような人物か。「よく知られていること」を紹介すると

①備中松山藩の人である。陽明学者。現在の岡山県高梁市の農家の出身であった。

②    産業を興し、備中松山藩を改革した。

③    信用のなくなった藩札を、買い上げ、領民の見ている川原で、大量の藩札を焼却した。その金額12億円分。

④ 山田方谷の長瀬塾(岡山県高梁市)に駅ができる時、地元住民が嘆願し、昭和3年 鉄道省を説得して・・初めて人名の駅ができた。

⑤ 幕末の天才で、「備中松山藩財政を改革し、借金は10万両を返済し、余財10万両を蓄財した。」

⑥ 大久保利通から大蔵大臣をたびたび要請されたが断り続けた。

⑦ 長岡藩 河井継之助も学びにきた。

⑧ 方谷の信念「政(まつりごと)でもっとも大事なものは、民・百姓である。」

(2)備中松山藩の状況

① 山田方谷は、今の岡山県高梁市、幕末には、備中松山藩の財政責任者になったが、その備中松山藩は表高5万石ながら実質2万石たらずで、藩は返す当てもなく借金を重ねていた。

 ② 大阪国税局 野島透氏(山田方谷の研究家 財政のプロ)

 著書 「山田方谷に学ぶ財政改革」  備中松山藩の当時の財政状況

収入 支出 年貢米 22,000両 江戸表・松山役所費用 14,000両 その他収入 20,000両 家中扶持米  8,000両 借入金など別途

 33,800両 借金利息 13,000両  役用金 13,000両

武備一切金 10,000両 異国船武備臨時金  5,000両 救米・荒地引米等  3,200両  道中往来費用  3,000両 その他費用6,600両 合計 75,800両 合   計 75,800両

  ③借金は、10万両に膨れ上がっていた。

(3)山田方谷の略歴

① 山田方谷は、幼いころから学問に秀でていた。29歳のとき、江戸に遊学、佐藤一斎の塾に入り、ライバル「佐久間象山」と毎日激論を交わしていた。常に山田方谷が論破していたと伝えられている。

② 32歳で江戸から戻った方谷は、藩校「有終館」の学頭に就任した。

以後45歳まで、藩主・藩士の跡継ぎの教育を行うなど、学者として成果を上げていた。

(4)備中松山藩改革断行

① その方谷に、大きな転機が訪れた。嘉永2年 藩主の交代によって、養子である板倉勝静が藩主になった。勝静公から元締役に就任を要請され、ついに就任した。

そして、破綻寸前の備中松山藩の改革に乗り出した。

② 「義」に生き、義が発揮されるなら利益は後からついてくる。理財論を表し、それを実践することで、改革を成し遂げた。

③ 最初に取り組んだのが、負債整理でした。 嘉永3年(1850年)春、大阪に向かった。これまでの備中松山藩の財政状況を説明し、借金10万両の猶予を申し入れた。

「わが藩は、表高5万石であるが、実際は2万石にもみたない。このようなことを表ざたにすることはないのだが、この場は隠し遂せたとしても、借金が返済できなかったなら、信義にも劣る。


借金は必ず返済する。踏み倒すつもりは毛頭ござらん。伏してお願い申す。その手立てだが、米に頼らず、産業を興せば必ず借金は返せる。」


大阪商人は、示した再建計画(産業振興策)が緻密で、商人たちの心を動かした。そして、利子の免除、50年の借金棚上げを承認した。

「産業振興策」その内容は、備中にある砂鉄を使って、当時の人口の80%を占める農家を相手にした農具の商品開発である。備中鍬の誕生であった。備中鍬は、3本の大きなつめを持ったホークのような鍬で、従来の鍬に比べて、土を掘り返すのに適した便利な鍬である。従来品に比べて作業効率がよい備中鍬の生産は、借金を返済できる大ヒット商品となった。

「政で大切なことは、民を慈しみ、育てることである。それは、大きな力となる。厳しい節約や倹約だけでは、民は萎縮してしまう。」農家出身ということもあり、農家の気持ちがわかった為政者であった。また、自ら開墾を行い、農産物の特産品づくりに精を出した。

タバコ、茶、こうぞ、そうめん、菓子、高級和紙など、その特産品に「備中」のネーミングで売り出した。ブランド品の誕生です。

販売方法についても、山間の小さな藩が外国船を購入し、江戸に物資を運び、板倉江戸屋敷で直接販売する方法を確立した。西国の藩は、産物を大阪に卸すのが常識であった。

方谷は、商品を江戸に持っていった。江戸での直接販売に目をつけた。中間マージンを排除し、安いよい品を直接消費者に販売した。それによって利益を上げた。

 

いまのアンテナショップの開設である。

また、備中松山藩内に「撫育局」を設置し生産・流通・販売を藩の直営とした。商業が低く見られていたこの時代、藩そのものを会社組織に変えた。

S氏のコメント「現在の官僚が言っていることは、絶望悲観論であり、有ることを固定して、ずっと先を考えると、必ず財政は破綻する。

消費税はうんと上げないといけない。年金は払えなくなるし。というような確定的絶望悲観論というのが今非常にはやっている。

 

山田方谷の時代の備中松山藩もそのまま ずーと 延長していくと「年貢はいくら入る。利子はいくら払わないといけない。」というような「現状の延長」で考えると絶望的であるが、山田方谷は、どこかに売るものがある。流通機構を考える。借金をしているところを説得する。

そのような、いろんな方策を考えていく、健全な楽観論は、現在の官僚が学ばないといけない。あらゆる方策を考えて、健全化していくところに学ぶべき点がある。

④ その後、藩札の信用回復に手をつける。

商品の売り上げの資金があったので、藩札を通常の価格で交換した。その、回収した藩札700貫いまなら12億円という藩札を、河原で焼却した。そのことで、藩札の信用回復、交換ができる量だけ藩札の発行を実施した。新しい藩札は、一気に流通し、経済の混乱が収束した。

K氏のコメント・方谷は、計画を立てて、長期ビジョンを持って、パフォーマンスをした。ビジョンがないと、闇雲にパニックをあおるだけになる。

⑤ 農民からの取立てを減らし、商人への税を増やす一方、武士の俸禄を減らし節約を命じた。松山藩の藩士たちの反感を買うこともしばしばであった。

    「山だし(山田氏)が    何のお役に立つものか

    子(へ)のたまわくような・元締    お勝手に

    孔子孟子を引き入れて尚このうえにカラ(唐)にするのか」

武士たちをさらに怒らせたのは、辺境の地の開墾にあたらせたことで、たびたび命を狙われた。

また、方谷が賄賂をもらっているとのうわさが立ち、清廉潔白を示すために、方谷は、家計を第3者に任しガラス張りにし公開した。

「藩政改革で最も重要なことはなにか。」の問いに方谷曰く

「義である。おきてや約束を必ず守ることも義。この後、どのような国づくりをするのかを明らかにすることも義の1つである。財貨を求めることは、利益つまり利であって義ではない。倹約、倹約というがただの倹約では意味がありません。義あっての倹約でなければならない。」

 

方谷の理財論では、その義について論じられている。

⑥ 方谷は、軍事面でも先進的であった。

農民で組織する「里正隊」をつくり、その装備は、イギリスの最新式の銃であった。西洋の力を認め、藩政改革に積極的に組み入れた。教練についても、西洋式を取り入れ軍事教練を実施した。のち、長州藩の奇兵隊のモデルになった。

特産物の収入を元に、備中松山藩は20万石の力を持つとまで言われた。

⑦ 安政元年 備中松山藩の総理大臣にあたる「参政」に就任した。

軍事、教育の改革を行った。画期的なのは、農民、商人などの民衆の教育に力を入れた。 家塾13、寺子屋62は、近隣の大藩の数を上回った。そして、その身分に関係なく、優秀な生徒は、役人に抜擢していった。

⑧ 方谷は、大きなひょうたんを常に持って歩いた。妻には逃げられ、貧しい生活をしていた。また、久坂玄瑞、桂小五郎など勤皇の志士たちとも手紙のやり取りがあった。

備中松山まで、教えを受けにきた、越後長岡藩の河井継之助は、戊辰戦争で負傷して亡くなるとき、次のような言葉を残した。

「備中松山に行くことがあれば方谷先生に伝えてくれ、生涯先生の教えを守ったと」明治になってから、河井継之助の慰霊碑の碑文を方谷に依頼が来た。

方谷は、断り次の文を送った。

「碑文(いしぶみ)を書くも はずかし 死に後れ」弟子継之助の男を貫いた者に対する方谷流の言葉であった。一方、備中松山藩は、無血開城した。明治になって、大佐町に居を移し、塾を開き多くの人材を育てた。

明治10年6月 享年73歳

幕末活躍した山田方谷も、度重なる明治新政府の大臣就任要請を断り、ついに、中央に出て行くことはなかった。

そのため、一部の研究者を除いて忘れ去られていった。

150年を経過して、再び、山田方谷の手法を学ぼうとする多くの人が出てきている。 「まとめ」

 

山田方谷は、目先のことにとらわれずにあるべき目指すべき姿を明らかにして、改革を進めた。人々の信頼を得ることこそは、やがては経済発展につながるとして、信、義を最も大切にした。方谷は、現在でも多くに人々に尊敬され親しまれ続けているのは、方谷自らが、生涯に渡って義の姿勢を貫いたからであった。

幕末という激動に時代を駆け抜けた「山田方谷」

その人物の精神や生き方は、今不況に苦しむ日本再生の知恵を教えてくれている気がする。

吉備の国HP     特集に戻る

http://www2e.biglobe.ne.jp/~fujimoto/taka/yamada.htm

吉備の国探訪

http://www2e.biglobe.ne.jp/~fujimoto/index.html

9:57 2015/08/07

 

 

 

山田方谷に学ぶ改革成功の鍵 単行本  – 2009/5 野島 透   (著) 野島/透

 昭和36年(1961)生まれ。山田方谷研究家。東京大学卒業後、大蔵省(現財務省)に入省。大阪国税局課税第一部長・査察部長、内閣府企画官(経済財政運営担当)、財務省大臣官房文書課情報公開・個人情報保護室長兼業務企画室長、内閣府参事官(公共サービス改革推進室)等を歴任。現在は、預金保険機構審議役。祖父が野島家の養子となったため野島姓であるが、山田方谷六代目の直系子孫でもある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 単行本: 138ページ出版社: 明徳出版社 (2009/05)発売日: 2009/05

目次

1 問題意識

2 山田方谷とは

3 方谷の基本的な考え方

4 七大政策

5 方谷の改革が成功した理由とその成果

6 日本版「陽明学」

7 結論と展望政治家えの苦言

今の政治家の読んでほしい。国家・国民 為の政治 自分の身の切る覚悟が欠けている。

9:09 2015/08/07

 

山田方谷のことば―素読用 (サムライスピリット) 単行本  – 2007/7

 

山田方谷に学ぶ会 (編集) 山田方谷の言葉の本です。

単行本: 69ページ出版社: 登龍館 (2007/07)発売日: 2007/07

目次

事の外に立つ

義を明らかに

誠心

古人に求む

学びの道

家書を得たり

述懐

学問の道は

進修は

学業は〔ほか〕

混沌の時代にこそ

山田方谷(ほうこく)は、幕末、備中松山藩(岡山県高梁市)の財政再建を成し遂げた人物。最後の将軍徳川慶喜を補佐した老中首座・板倉勝静(かつきよ)の参謀であった。藩政改革者としては米沢藩主・上杉鷹山が有名だが、陽明学の思想を基に本格的な藩政改革を実行したのは山田方谷の右に出るものはいない。幕末の英傑、越後長岡藩・河井継之助が唯一師と仰いだのが方谷であった。最近、経営者や行政関係者の間でにわかにブームとなっている。

この本は、改革者であり教育者でありそして詩人であった方谷の言葉の中から、含蓄がありそして素読するのに極めて調子のよい言葉が撰された本である。

人生の指針となります!投稿者難波正治2014年5月10日

とても分かりやすく幼い子供から老年の大人まで全ての人の指針となる一冊です。値段も本当に手頃。私の定年祝いのお返しに若い社員たちに一冊づつ贈呈させていただきました。大勢の方に是非読んでいただきたい。総理大臣をはじめ、政治家や企業経営者のバイブルとなりますね。お勧めです。

是非、お手元に一冊!

様々な分野の方々にお読み頂きたいお勧めの本です。山田方谷以外のかたの名言も入っていてとても参考になりました。

方谷の生き様をみることができました。

方谷の教えをこれから参考に生きていきたい。幕末に優れた人が日本にいるとは嬉しくなります。

9:11 2015/08/07

 

入門 山田方谷―至誠の人 単行本  – 2007/6

山田方谷に学ぶ会 (著) 内容(「BOOK」データベースより)

 

この本では、方谷の生い立ち、学問・思想、藩政改革などの業績、教育者・詩人としての方谷、家庭、師や友人・弟子などについて、一問一答形式でできるだけ分かりやすく説明するように努めました。また、コーヒーブレイクとして、人間山田方谷の横顔やエピソードのほか、巻末には年表やゆかりの地のマップなども付け加えてみました。 単行本: 153ページ

出版社: 明徳出版社; 改訂増補版 (2007/06)発売日: 2007/06

目次

幼少年時代―方谷はどのように育ったのか

青年時代―方谷はどのように学んだのか

藩校学頭時代―方谷はどのように教えたのか

藩政改革時代―方谷はどのような改革をしたのか

幕政参与時代―方谷は藩主をどのように支えたのか

明治維新時代―方谷は藩の危機にどのように対応したのか晩年―方谷はどのような教育をしたのか方谷の漢詩

形式: 単行本

 

陽明学を知りたかったことと、西郷隆盛が愛読した言志四録の佐藤一斉の回りを探していたら、山田方谷という人に出会った。幕末の頃、備中松山藩の財政破綻を立て直し、思想家であり、誠を求めた人であり、さらに現実社会での改革に成功した人として優れた人であったことを知った。

この本は、表紙が少々安っぽく、お手軽な本かと思いきや、内容は充実している。簡潔にして、生涯、関連する人びと、思想、財政改革、教育等々、偏りなく書かれており、脚注も細かく付けられている。「山田方谷に学ぶ会」の面々が、まさに尊敬する人物を丁寧に描こうとする思いがこもった本である。薄めの本なので大変読みやすいが、内容は充実しており、最後にある年譜、参考資料もきちんとしている。リファレンス的にも良いし、山田方谷入門にもベストの本と思われる。歴史の素人としては、難しい読みの振り仮名もよく付いており、その点でもありがたかった。

大変おすすめ。

9:18 2015/08/07知恵泉・山田ホウコク・

 

 

 

 

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株式会社 サンエス

〒720-2124 広島県福山市神辺町川南1019-1

TEL

084-963-6161

株式会社サンエス 株式会社サンエス ユニフォーム事業部

株式会社サンエス 会社概要 個人情報保護方針

http://www.suns.co.jp/kuchoufuku/function.html

8:03 2015/08/06サンエス・


takita.bangumi,番組表・・・弊社の滝沢市の凄さをご覧ください・・・2015年8月22日 (土)

引用


引用・2015年9月18日 (金)りそなHD社長に東和浩氏 細谷氏から指名 「改革深化が使命」 (1/2ページ) 2013.2.1 05:00・りそなホールディングス(HD)は31日、東和浩副社長(55)が4月1日付で社長に昇格する人事を発表した。東氏は、傘下のりそな銀行の社長も兼務する。持ち株会社と主力銀行のトップを一本化して、意思決定の迅速化を図る。

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2015/09/12-201321-0500-57a0.html

14:15 2015/09/18


宮崎 哲弥&小林 よしのり - 天皇論

https://www.youtube.com/watch?v=QhHZB0EWb5w

9:04 2015/09/18


橋下徹、池上彰にブチギレ激怒!執拗な質問攻めを次々と論破しフルボッコ状態www

https://www.youtube.com/watch?v=8KmNObHefiY

8:48 2015/09/18


 大前研一ニュースの視点~ 国内株式市場・国内経済・日本郵政~古い20世紀型の経済論はもはや通じない2015-09-18)大前研一ニュースの視点』

http://amaminagata.blog.fc2.com/blog-entry-874.html

8:46 2015/09/18


https://www.youtube.com/watch?v=zNttEonrqqI

小林よしのり沖縄基地問題?

8:37 2015/09/18


6:07 2015/09/18・河野太郎の国会日記メールマガジン「ごまめの歯ぎしり(応援版)」を創刊しました。銚子市の事業仕分けに参加しました。銚子市は、財政状況が悪く、財政再建団体転落一歩手前です。一般会計のお金が足らず、水道特別会計から四億二千万円を借り入れるという荒技でつなぎましたが、水道特会もお金があるわけではないというのが、今日の仕分けで市民にもわかりました。構想日本が、すでに銚子市では二回、事業仕分けをやっていて、私は一昨年の仕分けにも参加させていただきました。今回は、銚子市の施設に焦点を当て

http://amamioosoma.synapse-blog.jp/yosiharu/2015/09/post-d838.html

6:14 2015/09/18


2015年9月 3日 (木)世界中のフリースクールから学んで誕生した「箕面こどもの森学園」。この学校では、子どもたちが自分で時間割を決め、自分のペースで考え、調べ、体験して学んでいる。「窓ぎわのトットちゃんが学んだような、小さくても、子ども一人ひとりの学びが大切にされる学校をつくりたい」という夢に市民が集まり、自分たちの手で学校をつくって10年。苦労と歓びの10年が鮮やかに浮き彫りになる。

http://amamioosoma.synapse-blog.jp/yosiharu/2015/09/1010-2b8c.html

9:16 2015/09/03


2015年8月26日 (水)人は仕事で磨かれる (文春文庫) 文庫 丹羽 宇一郎 (著) 人は仕事で磨かれる・・

http://amamioosoma.synapse-blog.jp/yosiharu/2015/08/post-a261.html

16:15 2015/08/26


2014年4月 1日 (火)龍郷たつごう町まち・徳田町長施政方針・・滝田好治要望が入る・

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2014/04/post-1f76.html

16:17 2015/08/26


2015年8月23日 (日)4:03 2015/08/23

信越トレイル(80km 長野県飯山市)や高島トレイル(80km 滋賀県高島市)がようやく開通し、豊かな自然を求めて大勢のトレッカーやハイカーなどが訪れ、健康と自然志向のニーズを満たすとともに、地域観光の活性化にも大きく寄与しています。・・・ランチウエイ・歩く道、中標津・NHKで、一本道を歩く、

http://amamioosoma.synapse-blog.jp/yosiharu/2015/08/80-80-b97a.html

4:03 2015/08/23


2014年3月31日 (月)  阿蘇の草原の野草から作成した堆肥の利用方法とその効果を知っていただくことで、野草の利用を拡大し、草原の保全につながることを目的として、このマニュアルを作成しました。

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2014/03/post-c4f0.html

16:56 2015/08/22


鹿児島県から市町村へ権限委譲します・市町村は黙っていただけばいいのです・地元の雇用に結びつくのです・・

https://www.pref.kagoshima.jp/ab08/kensei/shityoson/gyosei/bunken.html

16:58 2015/08/22


立憲デモクラシーの会・・市民として 憲法に従った民主政治を 回復するために

http://amaminagata.blog.fc2.com/blog-entry-605.html

17:00 2015/08/22


2015年5月 3日 (日)反骨の市町村 国に頼るからバカを見る 単行本– 2015・3・19相川 俊英   ・身の丈事業と驚くべき村民力~「ジリキノミクス型公共事業」長野県下条村・170頁・平成27年4月16日・

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2015/05/2015319-27416-368e.html

16:38 2015/08/22


2015年4月 8日 (水)第6章・・国策に従わずに守り続けた広葉樹林・196頁・・では、なぜ今から20年も前に四国の小さな山村にこんな会社が生まれたのだろうか。199頁まで・

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2015/04/post-4e93.html

16:41 2015/08/22


2015年4月 5日 (日)  反骨地方から都市部への人口流出は高度経済成長期にはじまり、以来、半世紀が経過した。この間、地元に残って地域や地場産業を支えてきたのが、昭和一桁世代である。そうした世代が2015年には全員80代となる。彼らの大量引退は避けられず、新たな難問が生じると見られている。・・・の市町村・国に頼るからバカを見る 単行本186頁・平成27年4月5日川 俊英 (著) 第6章 地方創生の特効薬とは何か・・地域活性策の「失敗の歴史」・186頁・平成27年4月5日・6プラス4の10次産業だと考えています。194頁・  http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2015/04/2015319-6-2745-9431.html

16:43 2015/08/22


2015年4月 2日 (木)  反骨の市町村 国に頼るからバカを見る 単行本・相川 俊英 (著) 内容紹介

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2015/04/post-e46e.html

16:44 2015/08/22


2015年4月23日(木)【商売のネタ探し】黒字化の秘密は“月に1度の海外出張” -エイチ・アイ・エス 澤田秀雄会長 集中、発想、判断する力を高める儀式 PRESIDENT 2014年2月3日号 ・・太郎2015-04-24(Fri)PRESIDENT 2015年1月12日号 http://amaminagata.blog.fc2.com/blog-entry-843.html

16:36 2015/08/26


2014年5月12日 (月)ビジネス新大陸の歩き方・台18回「新・生態系」企業研究第6弾!・ドイツの最強群を支える地方分権「州」の競争力・大前研一著http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2014/05/post-ed58.html

16:39 2015/08/26


2015年2月24日 (火)やねだん・補助金に代わるもの。それは汗、すなわち活動への参加です。幼児から高齢者まで出番を引き出し、地域活動に自主参加してもらうための土台づくりから始めました。http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2015/02/post-d005.html

16:33 2015/08/22


2015年6月13日 (土)群日曜・夜間議会開催へ・大和村議会・議会基本条例制定・・・島全体はおろか、奄美大島全体を優勢な階級が統一支配する「自前の地方国家(政府)」を樹立したことも、歴史上まだ一度もありません。世界初の全線「架線レス」 台湾に次世代路面電車 建設ITジャーナリスト・生ごみ焼く・GHQの洗脳に、

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2015/06/post-8207.html

16:24 2015/08/22


2014年12月 4日 (木)龍郷町誌・・民族編・・2014・12・4・田雲で入力一部のみ・龍郷町・・猫の適正飼育を啓発するボランティア団体・・鹿児島県は権限移譲プログラムに基づき2015年

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2014/12/post-11fd.html

16:28 2015/08/22


2014年4月 8日 (火)平成26年第1回龍郷町議会定例会が開催されるにあたり平成26年度の町政運営について、私の所信の一端を申し上げ議員各位並びに町民の皆様のご理解とご協力を賜りたいと存じます。

http://amamioosoma.synapse-blog.jp/yosiharu/2014/04/26126-a01c.html

16:29 2015/08/22


2014年11月 6日 (木) 前・岩手県滝沢村村長柳村純一は働かない300人の会社(村役場)をどう再生したのか。「破綻しない自治体」・鳥取県知事・・平井伸治・・みんなでやらいや未来づくり・やぎくさかり

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2014/11/300-f26d.html

16:44 2015/08/26


滝沢村関係・たくさんリンクされている・・・・

http://www5.synapse.ne.jp/takita/takizawamura%20yuusyuuna%20tihou%20jititai.html

16:47 2015/08/26


2014年12月 8日 (月)地方分権改革について 日本国憲法の国民主権の理念の下に、住民に身近な行政は、地方公共団体が自主的かつ総合的に広く担うようにするとともに、地域住民が自らの判断と責任において地域の諸課題に取り組むことができるようにするための改革です。内閣府へ・栗山議会http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2014/12/post-d2c1.html


2015年8月19日 (水)福井モデル 未来は地方から始まる 単行本– 2015・4・21藤吉 雅春 (著) 稼げる観光: 地方が生き残り潤うための知恵 (ポプラ新書) 単行本  – 2015/7/1鈴木 俊博 (著)http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2015/08/2015421-201571-5c5b.html


 2015年8月22日 (土)・・県民一人ひとりが輝いて生きられる・・元気な富山・・の創造を・・

http://amamioosoma.synapse-blog.jp/yosiharu/2015/08/post-3bf4.html


これでは経費倒れだ・税金を何だと思っているのだ・・・12市町村長を含む20人、鹿児島県会離島振興議員連盟(日高会長)に参加する45人中36人の鹿児島県議・56人プラス・鹿児島県庁役人・計100人ではきかない・これでは消費税を30%取っても足りない有様だ?主権者がNPOで行政を親切で・安く・便利な行政になります・・やりましょう?!

http://amamioosoma.synapse-blog.jp/yosiharu/2015/08/post-a850.html


船橋・私たちは、お客様の悦びを自分の喜びとし、お客様の声を真摯に受け止め、お客様に「何度でも訪れたい」と思っていただける魅力ある公園づくりを目指します。 橋・アンゼルセン公園・ザ・ラストマン 日立グループのV字回復を導いた「やり抜く力」 単行本  日立グループ

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2015/08/v-c579.html


2015年6月13日 (土)群日曜・夜間議会開催へ・大和村議会・議会基本条例制定・・・島全体はおろか、奄美大島全体を優勢な階級が統一支配する「自前の地方国家(政府)」を樹立したことも、歴史上まだ一度もありません。世界初の全線「架線レス」 台湾に次世代路面電車  建設ITジャーナリスト・生ごみ焼く・GHQの洗脳に、

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2015/06/post-8207.html


2015年8月16日 (日)こんな学校あったらいいな: 小さな学校の大きな挑戦 単行本– 20131028 ・・・・きのくに子どもの村の教育―体験学習中心の自由学校の20年 単行本  – 2013・7 堀 真一郎 (著)http://amamioosoma.synapse-blog.jp/yosiharu/2015/08/20131028-20-201-763d.html


「植草一秀の『知られざる真実』」  20150814  JSCシロアリビル建設白紙撤回が不可欠だ  第1218号

http://amamioosoma.synapse-blog.jp/yosiharu/2015/08/20150814jsc1218-f8a4.html

 15,8,15、


2015年8月13日 (木)篠原 孝 メールマガジン429号【日本の国民皆保険制度の悪用を狙うアメリカ・・増田俊男「第一部と第二部・世界の政治・経済の180度転換目前!・・  白川勝彦法律事務所白川勝彦

http://amamioosoma.synapse-blog.jp/yosiharu/2015/08/429180-3105.html



2014年12月 政党 「生活の党と山本太郎となかまたち」 に合流・・ 2015年1月・内閣委員会 行政監視委員会 東日本大震災復興及び原子力問題特別委員会 国の統治機構に関する調査会

http://amamioosoma.synapse-blog.jp/yosiharu/2015/08/201412-20151-cf2f.html

2015.8.7.


北沢栄『官僚利権・ 国民には知らされない霞が関の裏帳簿』国家財政は破綻寸前だというのに、なぜムダ遣いはなくならない?
  「やせ細る借金漬けの一般会計」VS.「潤沢な資金の特別会計」
  官僚が絶対守りたい、天下りシステムと資金源
  官僚の自己防衛の手段である「天下り」の実態
  民主党政権は、特別会計と独立行政法人にどこまでメスを入れられるか!?
11:03 2015/08/0

http://www.the-naguri.com/index.html8



注目企業トップインタビュー・建設業界のリーディングカンパニートップが語る

「栄えある会社・消える会社」の違いとは・樋口武夫・大和ハウス工業会長・http://amamioosoma.synapse-blog.jp/yosiharu/2014/09/post-f1d8.html

2015,8,10,


・・・知恵泉・山田方谷 備中松山藩の家老、山田方谷(ほうこく)は、日本の優れた思想家でもあり、実務家として偉業をなした人物です。勘定奉行の折りには、借金に苦しんでいた藩の財政再建に取り組み、新産業政策、藩札刷新などにより財政改革を成功させ、7年で10万両(現在の約600億円)もの借金を10万両の蓄財に変えるほどの手腕だったといいます

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2015/08/takitabangumi-cfac.html


弊社の滝沢市の凄さをご覧ください・・・

http://www5.synapse.ne.jp/takita/takizawamura%20yuusyuuna%20tihou%20jititai.html

2015,8,10、


・・・堀真一郎 著・2013年6月25日発売・出版社 黎明書房 1ページで見る「かつやま」 A4サイズ一枚に学校の特徴をまとめています。「とりあえず概要だけ知りたい」、「お知り合いに学校の紹介をしたい」という方はこのページを使っていただくと便利です。 学校法人きのくに子

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2015/08/2013625-a4-bb63.html

2015・8・7・


里山資本主義・・・第3章 グローバル経済からの奴隷解放―費用と人手をかけた田舎の商売の成功・周防大島町役場

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2014/04/3-d6e1.html

2015.8.8.・


2015年8月 1日 (土)

日本人を狂わせた洗脳工作 いまなお続く占領軍の心理作戦 (自由社ブックレット) – 2015311 関野通夫 (著)

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2015/08/2015311-e2b3.html

8.7.


追加・奄美戦後70年・語り継ぐ記憶・6・「本土との格差是正」特別措置法・1956年(昭和31)年ごろの名瀬港と市街地。その後も生活基盤は整備されてきた・奄美市提供・平成27年8月13日・


奄美大島総合戦略推進本部設置・記者の目・問われる5市町村の真価・人口減などで連携・奄美大島5市町村が広域的に連携して地方創生に取り組む「奄美大島総合戦略本部」の初会合・5月18日・奄美市名瀬・「奄美大島が一体となる活性化に向けた連携にサンドを頂き感謝したい。お互いに努力しながら相乗効果によって発展させたい。思いを一つに努力すれば必ず活性化する」   ・向井俊夫・鹿児島県議会を・読んで

http://amamioosoma.synapse-blog.jp/yosiharu/2015/08/55518-28bf.html

2015,8,10、


3 洗脳と検閲の両面作戦・26・リンク・・・日本コミューター株式会社・奄美空港ターミナルビル・・・「東京支社」奄美群島市町村会(会長・大久保明伊仙町長)と奄美群島議会議長会(会長・安和弘瀬戸内議会議長)は29日、2016年度予算編成に向けて関係省庁に「奄美群島の自立的発展に向けた振興関係の推進」などを中央要望した。なかでも「改正奄美振興」で創設された奄美群島振興交付金の拡充や奄美と沖縄の調和ある発展・連携などが要望の柱となった。

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2015/07/post-e981.html

8・7・


首都圏の重要な一角を占めるこの埼玉県を率いるのが、上田清司・埼玉県知事です。政治不信の揺らいだ埼玉県政を立て直すために、国政の場から身を転じ、マニフェストを掲げて行財政改革に敢然と立ち向かう、改革派のシンボル的存在です。2015.7.29・

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2015/07/post-2083.html


田中 克(京都大学名誉教授)    ・「森里海(もりさとうみ)で自然再生を」2015.7.26.

世界初の全線「架線レス」 台湾に次世代路面電車  建設ITジャーナリスト・生ごみ焼く・GHQの洗脳に、リンク・


http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2015/06/post-8207.html

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2015/07/post-989e.html

8・7・


地方分権改革について 日本国憲法の国民主権の理念の下に、住民に身近な行政は、地方公共団体が自主的かつ総合的に広く担うようにするとともに、地域住民が自らの判断と責任において地域の諸課題に取り組むことができるようにするための改革です。内閣府へ

栗山町さんが実際に事務を運用してのご意見。ご紹介します。

http://www.town.kuriyama.hokkaido.jp/index.html

2015,8,9,


 町長のご挨拶町民の皆さん、こんにちは。

町長の椿原 紀昭(つばきはら のりあき)です。 町長

 町民と共に築くまちづくり

私が町政をお預かりし間もなく8年が経過いたします。この間、町民皆様には、政策目標であります http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2014/12/post-d2c1.html 8:34 2015/08/09

龍郷たつごう町まち・徳田町長施政方針・・

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2014/04/post-1f76.html

2015.8.8.


ここに平成24年第1回龍郷町議会定例会が開催されるにあたり、平成24年度の町政運営について、私の所信の一端を申し上げ議員各位並びに町民の皆様のご理解とご協力を賜りたいと存じます。

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2014/04/24124-a60e.html

2015,8,8,




【ザ・イノベーター】谷島賢 イーグルバス 社長 ”工学的アプローチで路線バスを再生” gooニュース×戦略経営者2013年1月25日(金)13:00

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2014/05/post-17f9.html

2015,8,8,


2013年8月30日「政党法」制定の必要性について1、活発化する政党論・・・今日、政党に関する議論が活発化しています。また、政党の民主的運営や活動内容などを規制する「政党法」を制定すべきという提言も、経済同友会やシンクタンク、学識者グループなどから行われています。

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2015,8,8,


畜糞処理・畜産廃棄物処理・汚泥処理製品の決定版!堆肥化コストを90%カット!株式会社ミライエの新技術。

http://amamioosoma.synapse-blog.jp/yosiharu/2014/04/post-730f.html

2015,8,8、


2014年12月 7日 (日)ふきのとう・・・大きく世界の農業を見たときにおいて、 特に日本の耕地では、突出した施肥量と農薬使用量があることと、それに付随して起きている様々な環境汚染(有機栽培による環境汚染も深刻)や食する人々の人体の病の多さを、大変に危惧しています。

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2014/12/post-edc1.html

2015,8,8、


2015年8月 9日 (日)家族という病・下重著・  ・ぼくらの民主主義なんだぜ (朝日新書) 新書  – 2015/5/13高橋源一郎・ブログ・無料のhttp://amamioosoma.synapse-blog.jp/yosiharu/2015/08/2015513-b06e.html


2014年4月21日 (月)鹿児島県大島郡龍郷町大勝3113-1滝田 好治0997-69-3195プロフール

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2014/04/30-c387.html


2015年8月19日 (水)

船橋・・私たちは、お客様の悦びを自分の喜びとし、お客様の声を真摯に受け止め、お客様に「何度でも訪れたい」と思っていただける魅力ある公園づくりを目指します。 橋・アンゼルセン公園・ザ・ラストマン 日立グループのV字回復を導いた「やり抜く力」 単行本 日立グループ

引用


ザ・ラストマン 日立グループのV字回復を導いた「やり抜く力」 単行本  – 2015/3/7川村 隆 (著)

「自分の後ろにはもう誰もいない」――ビジネスマンに必須の心構えとは。決断、実行、撤退…一つ一つの行動にきちんと、しかし楽観的に責任を持てば、より楽しく、成果を出せる。元日立グループ会長が贈るメッセージ

 内容(「BOOK」データベースより)

 「どん底」から「過去最高益」、そして「世界」へ―HITACHI復活の立役者が語る「プロのビジネスマン」の条件。経営者も、若手社員も身につけたい「仕事への向き合い方」。

 単行本: 229ページ出版社: KADOKAWA/角川書店 (2015/3/7)

言語: 日本語・発売日: 2015/3/7

目次

序章 「自分の後ろには、もう誰もいない」―ザ・ラストマン―「この覚悟」を持っていますか

第1章 大事なときに「何を決めるか」「どう決めるか」―リーダーに求められていること

第2章 「きちんと稼ぐ」ための思考習慣―「独りよがり」にならないために

第3章 意思決定から実行までの「シンプルな手順」―自信をもってビジネスをするために

第4章 いつも前向きに「自分を磨く」人―自分を鍛える、部下を鍛える

第5章「慎重に楽観して」行動する9カ条―成果を丁寧に出すための羅針盤

第6章 私たち日本人に必要な「意識」とは何か―グローバル感覚とダイバーシティ

まっとうな内容を説得力を持って語ってくれる

投稿者あきら2015年4月8日

 

「異端児たちの決断 日立製作所 川村改革の2000日」という本読みこの本の著者 川村氏に凄さを認識したこともあり、川村氏自らが著した本ということで読んでみた。(もちろん 口述したのを側近か出版社が記述していったのだろうが…)真正面から 会社の危機に立ち向かっていった人なのだという印象を持った。

書名の「ラストマン」というのは新人のころ著者が上司から聞いた言葉がもとになっている。自分の持ち場で究極的な責任を負う人のことである。

この言葉を著者は終始念頭において仕事をしてきたのであろう。

まっとうな内容をかみ砕いて諄々と語る。ビジネス、仕事とはどういうものか説得力のある語り口で説明してくれる。理想の人物と言えるだろう。

内容的には日本経済新聞社連載の「私の履歴書」のほうがコンパクトで面白い

私は日立製作所の株主だった。最大で5万株ほど保有していた。無能の経営者庄山悦彦の指揮の下、「巨艦日立」の株価がどんどん下落していくのを見て、「これは買いだ」と思って買い始め、難平につぐ難平で最後は5万株まで株数が増えたというわけだ。この間、私は株主としてずっと日立製作所を観察していた。そして分かったのは、本当に庄山という男が無能を絵にかいたような馬鹿だったということだ。落ち目のプラズマテレビの製造に最後まで拘ったのも庄山だし、IBMから落ち目のハードディスクドライブ事業を法外な高値で買収しては「HDDを日立の収益の柱に育成する」とまるであさってな目標を掲げたのも庄山だった。何から何まで失敗続きの無能の経営者庄山は、しかし最後にちょっといいことをした。後継者に69歳の日立マクセル会長川村隆を指名したことだ。

 本書はその川村氏が書いた日立「V字型回復」の軌跡をつづった本である。書いてあることは「当たり前」のことばかりだ。要するに庄山という稀代の阿呆がやった馬鹿な経営方針を全廃して普通の経営をやれば、誰がやっても日立は利益を出せるようになる。ただそれだけのことである。日立製作所の資産は10兆円以上ある。10兆円を運用して数兆円をどぶに捨てた庄山という男は、ある意味「非常に才能がある」経営者だったと言えるだろう。「余程の才能」が無い限り、日立製作所を経営して何年も何年も損を出し続け、自己資本比率を20%強からひとけたすれすれまで低下させるなど出来るわけがない。だから日立製作所がなすべき最大の経営改革は無能の男庄山を経営陣から追放することであったのだ。

 本書は「しゃべり言葉」で書かれているせいもあり、あっという間に読める。1時間もあれば読める。69歳の川村氏が突然本社に呼び戻され、七転八倒しながら日立を元の姿に戻そうと奮闘する下りは圧巻である。やはり経験の中から絞り出された知恵を示す言葉には説得力がある。

 

ただ川村氏は自ら述べているようにカリスマ経営者ではない。一介のエンジニアから経営に携わるようになった「普通の人」である。特にすごい才能があるわけでも、すごい着眼点があるわけでもない。平々凡々たる凡夫という言葉がふさわしい御仁だ。その凡庸ぶりが発揮されているのが最後の第6章で、よせばいいのに日頃あまり勉強もせず読書もせず思索もしていない凡庸陳腐な男が、かっこつけて日本の将来だの、教育だの、若者の未来だのという大きなテーマを無理に語ろうとするからボロが出てしまっている。川村がいうほど日本の若者は日本の将来に悲観なんかしていない。アンケートを突き付けられると悲観していますと答えることが「優等生に求められる期待役割」だからそう答えているだけで、日本の若者は日本が世界一の幸せ超大国であることをちゃんと理解している。だから日本の若者は海外に雄飛しようなどという「馬鹿な野望」を抱かなくなったのだ。そんなことも理解できない川村の凡庸さを知るにつけ、私は日立製作所の持ち株すべてをこの際売り払う決断をした。幸いというかなんというか、ちゃんと利益は確保出来た。そのことについてだけは株主として使用人の川村君に礼を述べねばならんだろう。

それにしても笑ってしまうのは、日本や英国のような立派な大海軍国では船長はラストマンですが、韓国や中国のようなモラルのない下劣な国では船の船長は最初に逃げる「ファーストマン」ですね(笑)

まっとうな内容を説得力を持って語ってくれる

「異端児たちの決断 日立製作所 川村改革の2000日」という本読みこの本の著者 川村氏に凄さを認識したこともあり、川村氏自らが著した本ということで読んでみた。(もちろん 口述したのを側近か出版社が記述していったのだろうが…)真正面から 会社の危機に立ち向かっていった人なのだという印象を持った。

書名の「ラストマン」というのは新人のころ著者が上司から聞いた言葉がもとになっている。自分の持ち場で究極的な責任を負う人のことである。この言葉を著者は終始念頭において仕事をしてきたのであろう。まっとうな内容をかみ砕いて諄々と語る。ビジネス、仕事とはどういうものか説得力のある語り口で説明してくれる。理想の人物と言えるだろう。

「ラストマン」の覚悟に感銘をうけました

淡々と「改革」の過程が語られていますが、成果は驚くべきものです。逆に言えば、その驚くべき成果を淡々と成し遂げたことに著者のすごさと感じました。三枝匡氏の「V字回復の経営」、カルロスゴーン氏の「日産リバイバルプラン」ような戦略と実行力と感じます。また、「社長を機能としかみていない」「楽観は意志に属す、悲観は気分に属す」という著者の姿勢いも共感しました。「異端児たちの決断 日立製作所 川村改革の2000日」と合わせて読むと、川村氏本人の視点と第三者の視点を両方感じられるので、オススメです。

サラリーマン集団を率いるラストマンとしての心掛けがわかる。

「社長になる人は人格もスケールも違う」と実感できる良書。日立の役員全員が川村さんほどの人格者ではないと推察するが、少なくとも「社長だけでもスケールが大きい」日立が羨ましい。

以下が印象的。

(1) 結論はトップダウンで決める。15分で結論を出す。

(2) 日本の部長クラスは海外にでると「数字は語れるがビジョンは語れない」。

(3) 課長レベル対象の研修では「お金のにおいがするかを見極めろ」という。

(4) うまく話すには事前に練習するしかない。

(5) 仕事は51点に達していれば満足という姿勢。

(6) 評論家は一生ラストマンになれない。

(7) 対話のために部下と酒を飲むのは非効率。1週間に2時間対話しろ。

(8) 海外化がすすんでも本社・研究所・マザー工場は日本におくべき。また、以下のエピソードには「社長でありながらも、極めてフェアな印象」を受けた。

”部下が海外の価格交渉で「決めきれずに失注」し、その責任者を咎めた。たが、その後「彼の責任範囲を金額で事前に知らせておかなかったことに気づき、

彼に謝罪」”

通常の「大企業」であれば「お前がその部門の責任者だろ!」とパワハラ的結末になるが、上記より「上司であっても公平さを重んじる」姿勢が感じられた。「責任が無いから、無責任で良い訳でない!自分が責任をとるという責任”感”のある気概で仕事をしなくてはいけない!」と再確認した。

リーダーを「最終責任者」と訳しては?

日経の「私の履歴書」があまりに面白く、川村氏のことをもっと知りたいと思い本書を購入しました。期待に違わず面白かったです。特に印象に残ったのは、融資を取り付けるための海外投資家との丁々発止のやり取り。その苦難を赤裸々に語っています。また若いとき、「ラストマン」の訓練として、街中で困っている人に積極的に声をかけたというエピソードは、読者に行動を起こす勇気を与えてくれると思います。思うのですが、巷では「リーダーシップ」という言葉が氾濫し、その定義も曖昧です。リーダーシップを「最終責任」、リーダーを「最終責任者」と訳せば、すとんと腹に落ち、リーダーシップを発揮しやすくなるのではないかと本書を読んで思いました。

ラストマンの精神

ビジョンを描くと実行するは違う。戦術は変えても戦略は変えない点は大変参考になりました。

V字回復の舞台裏

2009年、瀕死の状態の日立製作所の社長を69歳で引き受け、V字回復を成し遂げた著者の眼を通して、日本企業再生のヒントが得られる一冊。

何でもやっていたコングロマリットの日立の中で、「社会イノベーション事業」に集中することを決め、過当競争の分野を遠ざけ、総合電機メーカーから社会イノベーション企業として衣替えしたこと、16社あった上場グループ会社をTOBを通じた完全子会社化を進め、9社にまで削減し、財務的な効率を高めたこと、財務基盤を改善する為、株主の反対を乗り越えて公募増資に踏み切ったこと等、生々しい舞台裏が記述されている。

意思決定したことを実行出来たことが成功の大きな要因と語っているが、様々な障害や抵抗を乗り越えて実行出来たことは、価値観や覚悟、チーム作りなど、著者のラストマンとしての資質によるものが大きかったのではないかと推察する。

感銘受けました。

仕事に対する考え方を改めて見直し出来た。何度も読み直したい。

内容的には日本経済新聞社連載の「私の履歴書」のほうがコンパクトで面白い

私は日立製作所の株主だった。最大で5万株ほど保有していた。無能の経営者庄山悦彦の指揮の下、「巨艦日立」の株価がどんどん下落していくのを見て、「これは買いだ」と思って買い始め、難平につぐ難平で最後は5万株まで株数が増えたというわけだ。この間、私は株主としてずっと日立製作所を観察していた。そして分かったのは、本当に庄山という男が無能を絵にかいたような馬鹿だったということだ。落ち目のプラズマテレビの製造に最後まで拘ったのも庄山だし、IBMから落ち目のハードディスクドライブ事業を法外な高値で買収しては「HDDを日立の収益の柱に育成する」とまるであさってな目標を掲げたのも庄山だった。何から何まで失敗続きの無能の経営者庄山は、しかし最後にちょっといいことをした。後継者に69歳の日立マクセル会長川村隆を指名したことだ。

 本書はその川村氏が書いた日立「V字型回復」の軌跡をつづった本である。書いてあることは「当たり前」のことばかりだ。要するに庄山という稀代の阿呆がやった馬鹿な経営方針を全廃して普通の経営をやれば、誰がやっても日立は利益を出せるようになる。ただそれだけのことである。日立製作所の資産は10兆円以上ある。10兆円を運用して数兆円をどぶに捨てた庄山という男は、ある意味「非常に才能がある」経営者だったと言えるだろう。「余程の才能」が無い限り、日立製作所を経営して何年も何年も損を出し続け、自己資本比率を20%強からひとけたすれすれまで低下させるなど出来るわけがない。だから日立製作所がなすべき最大の経営改革は無能の男庄山を経営陣から追放することであったのだ。

本書は「しゃべり言葉」で書かれているせいもあり、あっという間に読める。1時間もあれば読める。69歳の川村氏が突然本社に呼び戻され、七転八倒しながら日立を元の姿に戻そうと奮闘する下りは圧巻である。やはり経験の中から絞り出された知恵を示す言葉には説得力がある。

ただ川村氏は自ら述べているようにカリスマ経営者ではない。一介のエンジニアから経営に携わるようになった「普通の人」である。特にすごい才能があるわけでも、すごい着眼点があるわけでもない。平々凡々たる凡夫という言葉がふさわしい御仁だ。その凡庸ぶりが発揮されているのが最後の第6章で、よせばいいのに日頃あまり勉強もせず読書もせず思索もしていない凡庸陳腐な男が、かっこつけて日本の将来だの、教育だの、若者の未来だのという大きなテーマを無理に語ろうとするからボロが出てしまっている。川村がいうほど日本の若者は日本の将来に悲観なんかしていない。アンケートを突き付けられると悲観していますと答えることが「優等生に求められる期待役割」だからそう答えているだけで、日本の若者は日本が世界一の幸せ超大国であることをちゃんと理解している。だから日本の若者は海外に雄飛しようなどという「馬鹿な野望」を抱かなくなったのだ。そんなことも理解できない川村の凡庸さを知るにつけ、私は日立製作所の持ち株すべてをこの際売り払う決断をした。幸いというかなんというか、ちゃんと利益は確保出来た。そのことについてだけは株主として使用人の川村君に礼を述べねばならんだろう。

それにしても笑ってしまうのは、日本や英国のような立派な大海軍国では船長はラストマンですが、韓国や中国のようなモラルのない下劣な国では船の船長は最初に逃げる「ファーストマン」ですね(笑)

勉強になりました。

勉強になりました。日頃の覚悟を大事にしなきゃいけないなと思いました。

元社員として

今の自分に「開拓者精神」があるか、振り返る気持ちになりました。が、「このレビューが参考になった」と投票しています。

経営の助けになります

今から起業するものですが会社経営は良い時もあれば悪い時もある悪い時にいかにうまく乗り切るかが大切ですがこの本では具体的にどう乗り切ったかが書かれています。百聞は一見にしかずとは言いますが十分一見以上の価値がありました。

逆境から成功へ導くには以下のようなDVDも参考になりました。どん尻から1年でNo1を取る方法~1年で富山No1のセミナー講師になった石武丈嗣の実例~ [DVD]

15:27 2015/08/19

 異端児たちの決断 日立製作所 川村改革の2000日 単行本  – 2014/7/31 小板橋 太郎 (著)

2009年3月期に、国内の製造業史上最大となる7873億円の最終赤字を計上した日立製作所。そんな崖っぷちの総合電機メーカーをV字回復に導いたのは、本流から外れた“デッドヘッド(員数外)" の男たちだった――。

本書は製造業の巨大コングロマリット、日立製作所の再生の物語です。1990年後半以降、事業構造の転換にとまどった日立は低空飛行を続けました。そして、訪れたリーマンショックの痛撃。世界的な需要減によって日立は存亡の危機に直面しました。その時に次の執行役会長兼社長に指名されたのは、企業を渡り歩くプロ経営者でも、若手幹部でもなく、既に本体の経営を外れ、グループ会社の会長を務めていた69歳の元副社長、川村隆氏です。

同時期にトヨタ自動車の豊田章男氏が52歳で社長に就任するなど、経済界では経営陣の若返りが進んでいました。しかも、川村氏の脇を固める副社長も、同じくグループ会社や海外子会社の社長に“上がった" 面々です。

そんな若返りに逆行するような人事に、市場やマスコミは懐疑の目を注ぎましたが、川村氏が率いる経営チームは しがらみの中で実行できなかった経営改革を次々と断行、2014年3月期における過去最高益の礎を築きました。

本流から外れた人々が沈みゆく巨艦の舵を取ることになったのはなぜか。そして、なぜ誰もが成し遂げられなかった経営改革を実現することができたのか――。

その謎に、日経新聞産業部記者として長年、日立製作所や日本の製造業を見てきた著者が迫りました。日立製作所を舞台とした経営改革の軌跡をぜひお読みください。

 内容(「BOOK」データベースより)

 2009年3月期の決算で、国内製造業史上最大となる7873億円の最終赤字を計上した日立製作所。そんな崖っぷちの総合電機メーカーを救ったのは、本流から外れた“デッドヘッド(員数外)”の男たちだった。

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単行本: 271ページ出版社: 日経BP社 (2014/7/31)

言語: 日本語発売日: 2014/7/31

目次

【第一章】六十九歳の再登板

【第二章】「不沈艦」の黄昏

【第三章】裸になった経営陣

 【第四章】「御三家」の換骨奪胎

 【第五章】豪腕、中西宏明の凱旋

 【第六章】インフラ輸出の牽引車

 【第七章】グローバル化は隗より始めよ

【第八章】日立の次代を担う者

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日本経済の希望の光か

日立製作所を頂点とする日立グループは、出向=キャリアダウンといった、いわば銀行のような構造を持つとともに、少数の日立系企業が、製作所といえどもおいそれとは口出しできない独立自尊の地位を築いた、分断された企業グループであり、それは例えば三菱グループにおける銀行と商事のような関係を彷彿とさせる構図でした。

 そんな日立を復活させたのは、皮肉なことに日立製作所社長レースに一度は敗れた川村氏でした。ただ、当時の社長レースに勝った庄山悦彦氏いわく、「ホントは俺より川村のほうができるんだよな」。「即断即決で味気ないほどドライ」な川村氏でなく「俺についてこい」という親分肌の庄山氏が社長レースに勝ったものの、日立の危機の再建を庄山氏が託したのは、川村氏でした。本書のタイトルに「異端児たちの決断」とありますが、川村氏は異端児では決してなく、本来リーダーに選ばれてしかるべき人物だったと思います。

 ところでそれまでの日立は、日立製作所の社長といっても、グループ会社から「子会社の悲哀も知らないくせに」と揶揄されるボンボンであったのが、川村氏には出向経験があり、子会社の悲哀についても「俺はよく知ってる」と言うことができ、また子会社の社長連よりも年長者であるがゆえに、グループの誰もがその言に従わざるを得ないという、グループの大改革を遂行するにあたり絶好のポジションを築くことができたのでした。

 

社長人事といえば、若返りばかりが取りざたされもてはやされる今日、こんな改革手法があったのだと気づかされました。瞠目の一冊です。ほかの企業グループにこの手法が波及するかどうかはわかりませんが、この改革のやり方は他の多くの日本の大企業グループにも適用可能だと思わせる点で、本書は日本経済の希望にみえます。

テーマと題材は良い,しかし切り口と解釈に不満残る本書を読んだ後に残る,この食い足りなさは何だろう。

日立という巨大企業グループの経営危機を,改革によって立て直したというエピソードは,題材としては一級品のはずである。好意的なレビューが多いのも,本書が扱っているこの題材としての素晴らしさに依っているのだろう。

日立が経営危機に陥り,川村氏らいったんは子会社に出向したOBが呼び寄せられる場面から,本書の叙述は始まる。その後の経営改革の過程を,改革のトピックごとに手際よく描いて行き,そこで活躍する登場人物たちの人となりも比較的生き生きと描写している。

しかし,その描き方は,日立の経営改革の経緯がこうだった,と事実を淡々と述べているに過ぎない。

日立の経営改革の詳しい事実を知るためにこの本を手に取った読者,自らも経営者で経営や改革の難しさを熟知している読者であれば,事実叙述型の本書は,その目的にぴったり合致しているのだろう。けれども,大多数の読者は,おそらくそうではない。むしろ,経営者としてこのような経営危機にどうふるまうべきで,実際に彼らがどうふるまったのか,そこにどんな哲学があったのか,またどのような摩擦や軋轢があり,それをどのような考え方で克服していったのかなどの切り口で,著者なりの解釈を読みたいのではないか。

これらの切り口は,本書の所々に散見されるが,あるひとつの切り口が全体を通じたコンセプトとはなっていない。また,登場人物が多い割には全体のページ数が抑えられているために,散漫な印象となっている。

本書は,日立経営改革のヒストリーの概論という位置付けとし,今後さらに突っ込んだ著作が著されることを期待したい。

その暁に要望したいことを2つ。

(1) 川村氏をなぜ経営トップに呼びもどしたのか,その呼び寄せた側(庄山前会長?)の考え方と判断の根拠を詳しく聞きたい

(2) 是非,川村氏を始めとする登場人物自身の筆による回顧を読みたい(あまりこういう人は,様々な配慮から自分ではあまり語りたがらないとは思うが,もし語られれば,それは一級の経営の教科書になるだろう)

日本経済の希望の光か

日立製作所を頂点とする日立グループは、出向=キャリアダウンといった、いわば銀行のような構造を持つとともに、少数の日立系企業が、製作所といえどもおいそれとは口出しできない独立自尊の地位を築いた、分断された企業グループであり、それは例えば三菱グループにおける銀行と商事のような関係を彷彿とさせる構図でした。

そんな日立を復活させたのは、皮肉なことに日立製作所社長レースに一度は敗れた川村氏でした。ただ、当時の社長レースに勝った庄山悦彦氏いわく、「ホントは俺より川村のほうができるんだよな」。「即断即決で味気ないほどドライ」な川村氏でなく「俺についてこい」という親分肌の庄山氏が社長レースに勝ったものの、日立の危機の再建を庄山氏が託したのは、川村氏でした。本書のタイトルに「異端児たちの決断」とありますが、川村氏は異端児では決してなく、本来リーダーに選ばれてしかるべき人物だったと思います。

 ところでそれまでの日立は、日立製作所の社長といっても、グループ会社から「子会社の悲哀も知らないくせに」と揶揄されるボンボンであったのが、川村氏には出向経験があり、子会社の悲哀についても「俺はよく知ってる」と言うことができ、また子会社の社長連よりも年長者であるがゆえに、グループの誰もがその言に従わざるを得ないという、グループの大改革を遂行するにあたり絶好のポジションを築くことができたのでした。

 

社長人事といえば、若返りばかりが取りざたされもてはやされる今日、こんな改革手法があったのだと気づかされました。瞠目の一冊です。ほかの企業グループにこの手法が波及するかどうかはわかりませんが、この改革のやり方は他の多くの日本の大企業グループにも適用可能だと思わせる点で、本書は日本経済の希望にみえます。

大企業の再生の指針

国内大手企業が世界市場で存在感を失う中、注目を浴びる日立の業績回復。その改革のベースには経営陣の断固たる決意、勇気があったことがよく分かる。大手企業の経営陣と仕事をすることもあるが、自身のリスクを回避するために動く人も少なくないと感じていた。現在大企業の経営陣として活躍している方、次の経営陣となる中堅リーダーにぜひ読んでもらいたい良書だ。

内容は想像以上

日立製作所という会社柄、ふり幅が大きい経営者でなく、バランスの取れた経営者を想像していたのですが、この川村さんは、大胆で人間味もあり、とても魅力的な経営者だと感じました。内容も丁寧に取材されて、読み応えもあり高評価です。願わくば、もう少し川村さんの声を聞きたかったです。

テーマと題材は良い,しかし切り口と解釈に不満残る

本書を読んだ後に残る,この食い足りなさは何だろう。日立という巨大企業グループの経営危機を,改革によって立て直したというエピソードは,題材としては一級品のはずである。

好意的なレビューが多いのも,本書が扱っているこの題材としての素晴らしさに依っているのだろう。日立が経営危機に陥り,川村氏らいったんは子会社に出向したOBが呼び寄せられる場面から,本書の叙述は始まる。その後の経営改革の過程を,改革のトピックごとに手際よく描いて行き,そこで活躍する登場人物たちの人となりも比較的生き生きと描写している。

 しかし,その描き方は,日立の経営改革の経緯がこうだった,と事実を淡々と述べているに過ぎない。

日立の経営改革の詳しい事実を知るためにこの本を手に取った読者,自らも経営者で経営や改革の難しさを熟知している読者であれば,事実叙述型の本書は,その目的にぴったり合致しているのだろう。

けれども,大多数の読者は,おそらくそうではない。むしろ,経営者としてこのような経営危機にどうふるまうべきで,実際に彼らがどうふるまったのか,そこにどんな哲学があったのか,またどのような摩擦や軋轢があり,それをどのような考え方で克服していったのかなどの切り口で,著者なりの解釈を読みたいのではないか。

これらの切り口は,本書の所々に散見されるが,あるひとつの切り口が全体を通じたコンセプトとはなっていない。また,登場人物が多い割には全体のページ数が抑えられているために,散漫な印象となっている。

本書は,日立経営改革のヒストリーの概論という位置付けとし,今後さらに突っ込んだ著作が著されることを期待したい。その暁に要望したいことを2つ。

(1) 川村氏をなぜ経営トップに呼びもどしたのか,その呼び寄せた側(庄山前会長?)の考え方と判断の根拠を詳しく聞きたい

(2) 是非,川村氏を始めとする登場人物自身の筆による回顧を読みたい(あまりこういう人は,様々な配慮から自分ではあまり語りたがらないとは思うが,もし語られれば,それは一級の経営の教科書になるだろう)

思ってたより、ずっと、面白かったです

断片的には、何が起きたのか、知ってました。そして、この作品でつながりました。こんな単純な話じゃなかったんだろうなぁ、とも思いますが、一つの事例として、勉強になりました。

日本企業のturn aroundケースの好事例として興味深く拝読

「異端児」川村隆氏による日立製作所グループの経営・事業改革の全貌と経緯を捉えた一書。一気に読ませて頂きました。

「一年間は社長と会長を一人でやらせてもらいたい。今は緊急事態だ。スピードがなによりも大切です」 庄山もこれに同意した」(40頁)。

「HDD事業買収につぎ込んだしきんは総額四〇〇〇億円近い。結果論に過ぎないが、この金額を別の分野に投入していたら日立の地盤沈下はなかったと、投資の「選択眼」に疑問を呈する声は多かった」(60頁)。

「恐らく現場では、日立の経営危機に対し社員おのおのが不安感を抱いていることだろう。だが、日々の仕事は慣性の法則で続いていく。誰もが危機感を抱きながら、具体的にどうすればいいのか分からない。そのうち、「うちは沈む巨艦ですから」などと自虐的な言葉も出始める。喫水が一センチずつ下がっているのを誰もが知りながら惰性の日々を改める方法が分からない」(83~4頁)。

「当時は毎月のように事業部長と本社に呼びつけられ、分厚い報告書と事業計画書を求められた。かといって本社サイドにスペシャリストがいて、事業部の事情が分かるわけでもない。「本社にどう弁明するか」「本社をどう納得させるか」。次第に内向きになり、事業への責任感が希薄になる。これが悪弊であることは経験から分かっていた」(123頁)。

「川村は「社長機関説」を唱える。社長はある種の役割でしかない。社長とは憧れるものでも、畏怖するものでも、嫉妬するものでも、そのイスを奪い合うものでもないただの「機関」だ。企業が進むべき方向にもっともふさわしいリーダーが、透明な意思決定プロセスで選ばれる-」(260頁)。

しかし、一方で叙述はさらりとしており(もっといろいろドロドロしたものがあった筈)、深味に欠ける。また、全体として経営者視点に終始しており、従業員目線からの記述は全く無い。その点、(欲を云えば)大きな不満が残ったことを告(こく)っておく。

人の配置と経営を考えさせられる

改革を主導した川村氏(とその経営チーム)がどのようにして日立のV字回復を実現したのか、ずっと気になってました。

本書はその日立改革を網羅的ルポといった形でまとめられています。

本書を読了後思ったのは、川村氏自身の改革実行力とその改革後の潔さ(役職は早々に他者へ交代)は、氏の持つ日立への愛情と共に真の経営力がなせた技と思いました。と同時に、川村氏自身の人の配置の妙、さらには川村氏はじめ経営改革チームを実質的にアサインした庄山前会長の人の配置の妙は、当時のマスコミによる否定的反応へのアンチテーゼとも言えるでしょうか。

ビジネスのケーススタディ

リアルに裏側や人物像が描かれており、経営の手引きとなる一冊。日立のような巨大な企業を経営する経営者の器や心構えが大変勉強になる。まさに経営の教本にふさわしい。

薄雲の中を飛んでいる感じ

読んでいて、何か薄雲の中を飛んでいるような感じがしました。取材は良くしてあると思いますが、もう少し臨場感あふれる書き方ができるのではないかと。

全てを書けるわけではない、ということかと。

屋台骨が傾きかけた日立製作所のV字回復の立役者川村氏達による改革の軌跡の話。日経新聞で少しまえに掲載された「私の履歴書」にも一部被る部分あり。叙述は、現役・存命の関係者が多すぎることを慮ったか、ややあっさり風味。実際の人間模様や遣り取り(特に遠ざける」ことになった事業関係者との etc)が本当にはどうだったのかは憶測するしかない。

ちなみに、私はどちらかと言えばこの会社の顧客筋にあたる立場におり、協力頂いて進行していたとある事業が、日立製作所さん的にはどうも不採算部門である、という判断になったということで当時若干難儀した記憶があったりもする。が、そのことで含むところを残すものでは毛頭ない。

日立は、もの凄く真面目に基礎データを自力で積んで話しを詰める処という印象がある。本書を読み、これはやはり社風なのだろうな、と思った。今後の発展を期待し、応援したい。

15:29 2015/08/19

 

 川村隆の名言 格言・川村隆のプロフィール・経歴・略歴・川村隆、かわむら・たかし。日本の経営者。日立製作所会長兼社長。北海道出身。東京大学工学部電気工学科卒業後、日立製作所に入社。電力事業部火力技術本部長、日立工場長、取締役、常務、副社長、子会社の日立ソフトウェアエンジニアリング会長、同子会社日立マクセル会長などを歴任したのち、日立本社の会長兼社長に就任。世界金融危機によって7873億円という巨額な赤字を計上した同社を2年でV字回復させた。経団連副会長なども務めた経営者。

9:47 2015/08/19

 社長より年上の人がたくさんいたって構わないんです。よく米国人に同僚を紹介する時に、彼は私より4年入社年次が早い先輩だなんて、言うでしょう。彼らはそれがどうした、という顔をします。年功序列の意味が分からないんですね。

[川村隆の名言|社長より年上の人がたくさんいたって構わない]

当社は年間1000人の若い社員を最長3ヶ月海外経験をさせるプログラムを行っています。「日立のような規模の会社だから1000人も出せるんだ」とおっしゃる方もいらっしゃるかもしれません。でもそうではない。大事なことは人数や規模ではなく、「会社は本気だ」と思わせることなのです。世界にいろんな人がいて、彼らと一緒に仕事していくのだな、という覚悟を出させるために出しているのです。

[川村隆の名言|「会社は本気だ」と思わせることが大事]

日立は2009年3月期に7873億円の連結最終赤字を計上し、経営危機に瀕しました。不幸中の幸いですが、それによってゆでガエル状態だった社員に危機感が植えつけられました。今度はそれを、どうやってグローバル化へ意識づけさせるか、です。

[川村隆の名言|経営危機が社員に危機感を植え付ける]

20~30人程度の社員を集めた対話集会を頻繁に開催し、経営層が直接、社員に考え方を伝えて議論する場を設けています。企業がまず利益を上げないと、社会への付加価値還元はできません。貪欲に稼ごうとするマインドは、利益率向上に何より重要であることを、こうした場を使い認識してもらっています。

[川村隆の名言|社員と経営層が直接話し合う場を]

取締役会の強化は、事業面でも緊張感を生みます。社外取締役からは、「何でこんな低い利益率で喜んでいるのか」「アフリカ市場を開拓するための準備はできているのか」など、社内の人からは飛んでこないような厳しい質問が出て議論が盛り上がります。

[川村隆の名言|社外取締役強化の効用]

経営トップが変革を恐れるようになった場合に歯止めをかける仕組みとして、取締役会がうまく機能するようにしました。具体的には、社外取締役を7人に増やし、社内取締役を5人にしました。これは、仮に社長が無能だった場合、社外取締役の意見が「変えた方がいい」と一致して多数決を取れば、社長を交代させることができるようにするためです。

[川村隆の名言|社長を変えられる仕組みを]

これまでの痛みを伴う改革は、リーマンショックで巨額の最終赤字に転落した非常事態に、全社員で危機感を共有できたからだと考えています。問題はこれからです。今後は、危機でなくても日常的に変革し続けられるような企業体質にしていかないと、グローバルでは弱小のままになる。

[川村隆の名言|危機を脱してからが問題]   

  9:47 2015/08/19

「異端児たちの決断――日立製作所 川村改革の2000日」日立再生を主導した「ザ・ラストマン」川村隆・元会長、69歳の再登板

2014年8月4日(月)

2009年3月期に、国内の製造業史上最大となる7873億円の最終赤字を計上した日立製作所。崖っぷちの総合メーカーをV字回復に導いたのは、本流から外れた“デッドヘッド" の男たちだった――。

 「老兵は死なず、ただ消えゆくのみ」。こんな言葉を思い浮かべるような引き際だった。日立製作所の川村隆相談役(74)は今年4月、日立の会長職を辞し、6月20日には取締役も退任した。

ちょうど5年前、リーマン・ショックが世界経済をおそった翌年の2009年、日立は7873億円の連結最終赤字という、日本の製造業過去最悪の経営危機に陥った。子会社に転出していた69歳の川村氏が呼び戻され日立本体の執行役会長兼社長に就任。そこから5年で日立を文字通りV字回復させた。

 

日経BP社は8月4日、日立の経営再建の軌跡をたどった「異端児たちの決断 日立川村改革の2000日」を発刊する。発刊に合わせて、日立の経営改革を担ったキーパーソンに語ってもらった。

「7%なんてたいしたことない」

6月20日の取締役会で日立製作所のボードを離れました。2009年4月に子会社から呼び戻され、執行役会長兼社長に就任してから5年。長かったようで、あっという間の5年間でした。感慨? 特に感慨というものはありません。6月20日の取締役会では、ひととおり(取締役退任の)挨拶をしましたが、淡々としたものです。

まだまだ安心できるような段階ではありません。業績が好調で、また慢心に陥るのを恐れています。会社は同じことを繰り返しますからね。メディアのみなさんにも、「あまり良いことばかり書かないでほしい」と言っているんですよ。たしかに2009年3月期の7873億円の最終赤字という経営危機からは立ち直りましたが、営業利益は金額でようやく1991年3月期の水準に戻ったものの、営業利益率ではまだですからね。

日立は今年5月に発表した2014年3月期の連結決算で、売上高9兆6162億円、営業利益は5328億円となり、23年ぶりに過去最高益を更新。完全復活を印象づけた。連結営業利益率は5.5%。中期経営計画の最終年度である2016年3月期には7%超を目指すとしている。

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日立再生を主導した「ザ・ラストマン」

川村隆・元会長、69歳の再登板

2014年8月4日(月)

7%と言っても全然たいしたことではないんです。日立がベンチマークにしている米ゼネラルエレクトリック(GE)や独シーメンスの営業利益率は10%以上。現在の5%台の営業利益率なんて威張れるものではないのです。日立の取締役会には外国人取締役が4人いますが、彼らは歯に衣着せずこう言います。「なぜ5%台でもたもたしているのか。日本企業はみな営業利益率5%、5%と目標を掲げる。それ以上儲けちゃけない『5%ルール』でもあるのか」と。

 

 

 

 

日立製作所の危機を救った川村隆。この6月に取締役を退任した(写真:都築雅人)

日立が鉄火場だった5年前。前任の古川一夫社長から、当時69歳の川村氏へのバトンタッチは衝撃を持って伝えられた。「若返りの時代に逆行する」「日立にはそれほど人材がいないのか」。2009年3月初旬、日立会長(当時)の庄山悦彦氏から社長就任の要請を受けた川村氏は、返事をいったん保留し、翌週こう返答した。「1年間は社長と会長を一人でやらせてもらいたい。今は緊急事態です。スピードが何よりも大切です」。

 

ハイジャック機に乗り合わせる

あの時は突然のことで、「だめだったらすぐにやめれば良い」というつもりで引き受けました。でも今から思い返してみると、重要な伏線が2つあったと思っています。 

1つは私が日立工場(茨城県日立市)の設計課長だったころ、日立工場長だった綿森力さんという方が教えてくれた「ザ・ラストマン」という言葉です。綿森さんは日立工場長の事務室の大きな窓を背にした机に座ってこういうのです。「俺が窓を背にして座っているのは伊達じゃないんだ。もう後ろがない、という意味だ。この工場が沈む時は君たちは先に逃げろ。俺は一番最後にこの窓を蹴破って出る」と。工場が沈みそうになった時、最後まで残って責任をとる、ザ・ラストマンたれということを私たちに口酸っぱく諭してくれたのです。

日立工場は日立グループの中でも別格の趣を持つ事業所だった。日立の創業者、小平浪平氏が1910年に創業した久原鉱業所日立鉱山付属の修理工場は、1920年に日立製作所として独立。モーターやタービンなどの発電機器を手掛ける日立工場は創業の精神がこもる特別な存在で、日立工場長というポストは、もし日立の社長を目指すなら必ず通らなければならないステップだった。1992年、川村氏はその日立工場長に就任した。1999年、副社長に昇格する。

 

「異端児たちの決断――日立製作所 川村改革の2000日」

日立再生を主導した「ザ・ラストマン」

 

川村隆・元会長、69歳の再登板

 

 

2014年8月4日(月)

もう1つの出来事はその99年のことです。7月の金曜日のことでした。北海道の客先を訪問するために、羽田空港発新千歳空港行きの全日空便に乗り込んだのです。一階の窓際の席についたのですが、飛行機の動きがどうもおかしい。離陸して1時間もたっているのに北海道に向かうはずの飛行機の窓から富士山が見えるのです。そのうち客室乗務員のアナウンスがありました。「この機はハイジャックされています」と。女性や子どもたちが叫び、機内はパニック状態に陥りました。

1999年7月23日午前11時20分。全日空61便は乗員乗客517人を乗せて羽田を離陸。その5分後、羽田管制塔にハイジャックの一報が入った。川村氏の着席した真上の二階席にあるコックピットに、刃物を持った男が侵入、機長を刺して操縦かんを奪ったのだ。犯人は飛行機マニアで、札幌行きの航路を大きくはずれて右回りし、横須賀港から東京・町田方面へ向かった。横田基地への着陸を試みようとしたのだ。

 

非番のパイロット

機体が急降下するのが感じられました。もう窓を見ているだけで必死で、遺書を書く気力も出ません。横田基地近くの道路を走るクルマの形や色もはっきりわかるぐらいです。「これは助からないな」と思い、覚悟を決めました。ところが、ほとんど地面すれすれというところで機体が急上昇を始めたのです。

一階席の後部には、この日新千歳から飛び立つエアバス機に搭乗予定の全日空のベテランパイロット、山内純二氏が移動のために着席していた。異変を知った山内氏がコックピットに駆けつけ、数人の乗客と協力してドアをこじ開け犯人を拘束、地上300メートルまで降下していた機体の操縦かんと格闘し、4分後に再浮上に成功させた。61便は羽田に戻り、犠牲となった機長を除く乗客乗員は無事に救出された。日本の航空史上、初めて死者を出したハイジャック事件として記憶している人も多いだろう。

2014年8月4日(月)

非番のパイロットが同乗していたこと、彼が操縦かんを奪回し、無事飛行機を再浮上させたことは、もちろんその時は知るよしもありませんでした。後から話を聞いて知ったことです。ただ、その時のクルーたちはマニュアル通りに「安心してください」というだけで当事者能力を失っていました。非番のパイロットはその制止を押しのけてコックピットに入ったのです。

パイロットは通常、滑りにくくペダルの感触がわかる専用の靴を履くそうですが、彼は革靴のまま乗り込んで操縦してくれたのです。この時、私は綿森さんの「ザ・ラストマン」という言葉を強く意識しました。私がもし経営のかじ取りをすることになれば、ザ・ラストマンにならなければいけないと。

実はこの年、日立製作所第6代社長の金井務氏は、後継社長に庄山悦彦氏を指名。「日立の社長は8年から10年近くやるものだ」という前例を踏襲すれば、いかにエリート街道を進んできた川村氏にも社長の目がなくなったことは明らかだった。川村氏は4年後の2003年、日立本体の副社長を退任し、子会社の日立ソフトウェアエンジニアリング(現日立ソリューションズ)会長に転出、その後は日立マクセルなどのグループ会社の会長職についた。いわゆる「上がりのポスト」である。

 

「晩節を汚すからやめたほうがいい」

庄山さんから社長の打診を受けて、返事を保留した時、実は複数の友人に相談をしたんです。私は人にめったに相談することはないんですけれどね。みな「赤字は製造業最悪の7000億円を超える」「晩節を汚すからやめたほうがいい」と反対してくれました。

ただ、私は子会社に出ていたことで、日立の鈍重さもわかっていました。外からの目。まあ、異端といってもいいかもしれません。外から日立を眺めたことがある人たちの手で改革を進める選択肢しか、あのときの日立にはなかったのだと思います。「時計の針を巻き戻したような人事」とこてんぱんに言われましたが、あの時の庄山さんの決断は正しかったのだと思います。

全日空機ハイジャック事件からちょうど10年後の2009年3月、日立製作所は製造業史上最悪となる7873億円の最終赤字を計上。連結売上高10兆円、情報システムから発電プラント、鉄道車両、エレベーター、自動車機器、家電まで手掛ける日本最大のコングロマリットは、33万人の連結従業員を乗せながら、全日空61便のように急降下していた。非番のパイロットやパーサーのことを航空業界では「デッドヘッド」と呼ぶ。非番だから乗務員ではない、運賃を払っている乗客としても数えない、という意味である。“員数外”だった男たちが2009年4月、日立の操縦桿を握ることになる。

9:50 2015/08/19

 

 

 

ふなばしアンデルセン公園 入園者数900万人達成!

平成27年8月2日、ふなばしアンデルセン公園は平成8年10月のオープン以来、900万人目のお客さまをお迎えしました。同日10時30分からは

園内のワンパク王国ゾーンのイベントドームで記念式典を行いました。

900万人目のお客さまとなった天笠様ご一家

今後もたくさんのお客さまをお迎えするため、より良い施設を目指します。

 皆様のご来園をお待ちしております。

http://www.park-funabashi.or.jp/and/

9:37 2015/08/19

財)船橋市公園協会

経営理念・行動指針

経営理念

公益財団法人船橋市公園協会は、公平・公正な公園管理を行うとともに、緑を育み、ご利用いただくすべてのお客様に安全・安心・快適なサービスを提供することを理念とします。

 行動指針

1. 私たちは、お客様の悦びを自分の喜びとし、お客様の声を真摯に受け止め、お客様に「何度でも訪れたい」と思っていただける魅力ある公園づくりを目指します。

2. 私たちは、公園の緑や環境の保全に努めるとともに、市民との協働による愛着のある公園づくりを目指します。

3. 私たちは、公益法人として、緑化の推進と公園の利活用を図り、常に公共の福祉と地域社会への貢献を目指します。

4. 私たちは、知識の習得・技術の向上に努めるとともに、職員同士が自由に話し合える職場づくりを心がけ、常に業務の改善に努めます。

施設の運営 緑化推進活動 職員研修

2012 (公財)船橋市公園協会.

9:41 2015/08/19

 

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 船橋市市役所こどもホームページ

船橋市ホームページ船橋市ホームページ

船橋市をもっと知ろう

市役所の仕事 こどもホームページ > 公共施設ガイド > 船橋市アンデルセン公園 公共施設ガイド船橋市アンデルセン公園

風車噴水写真アンデルセン公園は、ワンパク王国、メルヘンの丘、子ども美術館、自然体験、花の城の5つのゾーン(くいき)から構成されている緑豊かな公園です。

ワンパク王国ゾーンは、フィールドアスレチックをはじめ、芝生広場、ポニーや小動物たちとのふれあい広場など、子供たちはもちろん、大人も自由にのびのびと遊べる施設があり、人気を集めています。

メルヘンの丘ゾーンは、デンマーク式の風車や農家など、世界的な童話作家・アンデルセンが活躍した1800年代のデンマークの田園風景を再現しています。

 子ども美術館ゾーンは、子供たちがつくる楽しさや喜びを体験できます。

 自然体験ゾーンは、湿性植物がしげる水辺と田んぼの周囲を散策路が巡り、四季折々の里山の自然を体験できます。 花の城ゾーンは、アンデルセン童話をイメージしたオブジェや遊具が配置された新たなゾーンで、小さな子どもたちが創造と空想の遊びを楽しめます。

ハットマークロゴメルヘンの丘童話館

世界的な童話作家・アンデルセンの人物像、デンマーク・オーデンセの街や自然の紹介など、その奥深い魅力を再発見することができます。

童話館写真

 

アンデルセン像

 

デンマーク国内外で初めて複製化が許可された、オーデンセ市、アンデルセン公園のアンデルセン像。

たかさ やく2.8メートルアンデルセン像写真

アンデルセンってどんな人?

名前は、「ハンス・クリスチャン・アンデルセン」といいます。

1805ねん4がつ2か誕生 オーデンセの貧しい靴屋に生まれる。

1819ねん 14さい 役者になろうとデンマークのみやこ、コペンハーゲンにいく。

1828ねん 23さい 大学の入学試験)に合格する。作家としての道を進み始める。その後ヨーロッパ各地を旅行する。

1845ねん 40さい 「みにくいあひるのこ」、「マッチうりのしょうじょ」「おやゆびひめ」、「はだかのおうさま」などを書く。

1875ねん 70さい 8がつ4か コペンハーゲンにて死去

 

風車

 

デンマークの風車職人が手掛けたデンマーク式粉ひき風車。ほんたいのたかさ 16.4メートル1まいのはねのながさ やく11.3メートル

風車写真

イベント広場デンマーク産出の石を敷きつめた広場中央の噴水は、童話「みにくいあひるのこ」がモチーフになっています。中央の白鳥の像のたかさは、やく4.2メートル。

イベント広場写真コミュニティーセンター紅色の外壁と格子窓がデンマーク風の建物になっています。コミュニティー写真農家デンマークの農家を再現屋根は葦ぶきで、内部には当時のベッドや木製のながベンチ、戸棚、農具などを展示しています。

農家写真

太陽の池

ひろさ やく1.6ヘクタール。(やく16,000へいほうメートル)

ボート遊びが楽しめるエリアのほか、葦、ガマなど水辺の植物が繁るちいさな生物たちとふれあえる空間もあります。

太陽の池写真

太陽の橋

ワンパク王国ゾーンとメルヘンの丘ゾーンをながさ やく84メートル、たかさ やく13メートルの橋がむすびます。

太陽の橋写真

 

ボートハウス太陽の池のボートのりばは、屋根に芝生をはったヨーロッパの農家風建物です。

ボートハウス写真ワンパク王国森のアスレチック

日本有数の規模を誇るフィールドアスレチック。ファミリー、冒険、力だめしの森、ダイナミックの4つのコースにチャレンジしよう。

アスレチック写真ワンパク城ダイナミックに滑りおりるローラースライダーや、みんなに人気のロープスライダーがあります。

 

ワンパク城写真

 

大すべり台ワンパク城のタワー最上部から、50メートルの長さを一気に滑りおりよう!大すべり台写真じゅえむタワー

船橋の古い民話に登場する「心やさしい力持ちの”じゅうえもん”」をモチーフにしたタワーです。じゅえむタワー

「平和を呼ぶ」像・岡本 太郎 制作 船橋市の平和都市宣言記念シンボル像として1988ねん10がつにできました。

平和を呼ぶ像写真にじの池晴れた日には虹がかかります。虹の池写真アルキメデスの泉アルキメデスが考案したと言われる「らせん型ポンプ、スクリュー、てこ式揚水ポンプ、足掛け水車を配した水学習施設です。

アルキメデスの泉写真

ポニー広場・ポニーに引き馬で乗ることができます。1周 やく50メートル。

ヤギ、ヒツジ、ウサギ、モルモットなどの小動物とのふれあい広場もあります。

ポニー広場写真変形自転車クラッシックカーや幌付き型などいろいろな自転車にのって、緑の木立のなかを走れます。

変形自転車写真ワンパクボール島芝生広場に大小たくさんのカラフルなボールからできた島です。

自然体験

 

ワンパク王国ゾーンの北西側に隣接してあった既存の樹林地や湿地をいかした、里山の水辺です。

子ども美術館こどもびじゅつかん写真

じぶんのちからで、いろいろなものをつくりましょう。

食のアトリエ

染織のアトリエ

陶芸のアトリエ

木のアトリエ

版画のアトリエ

地中館

スギの仲間、メタセコイア。力強く、繊細な木の根っこの様子や地中の不思議な世界を観察しよう。

 

地中館写真アンデルセンスタジオ衣装や化粧で変身し、アンデルセン童話の体験ができます。アンデルセン公園は有料公園です公園に入るには、入園料金が必要です。一般 900円小中学生 200円幼児(4さいから) 100円

駐車場 500円とってもお得な年間パスポートもあります。 開園時間、休園日は季節によりかわります。もっとくわしく知りたい下記のリンク先からアンデルセン公園のホームページにアクセスできます

くわしくはアンデルセン公園まで

電話 047-457-6627

 

 

関連リンクふなばしアンデルセン公園(新しいウインドウが開きます。)

公園緑地課 管理係 / 電話番号:047-436-2555 /FAX:047-436-2539/ メールフォーム

〒273-8501千葉県船橋市湊町2-10-25

受付時間 : 午前9時から午後5時まで / 休業日 : 土曜日・日曜日・祝休日・12月29日から1月3日

http://www.city.funabashi.chiba.jp/kids/facilities/p001371.html

9:44 2015/08/19 


福井モデル 未来は地方から始まる 単行本– 2015・4・21藤吉 雅春 (著) 稼げる観光: 地方が生き残り潤うための知恵 (ポプラ新書) 単行本 – 2015/7/1鈴木 俊博 (著)


引用


「地方創生」から「地域経営」へ まちづくりに求められる思考のデザイン (仕事と暮らしの選書) 単行本(ソフトカバー)  – 2015/3/16寺谷 篤志 (著),    平塚 伸治 (著),    鹿野 和彦 (著)

商品の説明内容紹介「少子高齢化」は、今の日本を語るときに欠かせないキーワードになっています。最近では、少子高齢化、および人口減によって多くの地方自治体が消滅すると予測され、政府も「地方創生」を旗印に、新たな地方振興策を講じようとしています。

しかしその発想は、相も変わらぬ「中央主導」「行政主体」の地方振興であり、その先行きが案じられます。「人口減・超高齢社会」の問題は、単なる「地方」の問題ではなく、日本社会全体の問題です。むしろ、これから深刻さを増していくのは「都市」部における過疎化であり、地域の消滅です。「中央」-「地方」という図式ではなく、地域一つひとつにスポットをあてた「地域創生」の視点が求められているといえるでしょう。

 同時に、“お任せ民主主義”から決別すること。自分たちの地域は自分たちが主体的に創りあげていくという発想を持つことが重要です。地域社会には、岩盤のように固い旧来からの規範が存在しますが、地域を活き活きとしたものに変えるためには新しい規範に創り変えていかなければなりません。そのときに必要になるのが、地域を経営、マネジメントする姿勢、すなわち「地域経営」の視点です。また、地域を着実に変えていくための手法が必要であり、それを支える物事の見方、考え方が必要です。

本書は、鳥取県智頭町におけるまちおこしを通して、見事に地域経営をやってのけた事例をベースに、真の「地域創生」「地域経営」とは何かを考える書籍です。また、実践者だからこその地域経営のノウハウが散りばめられており、今後、地域起こし、まちづくりに当たる人々、まずは自分の日常から事を起こすことを考えている人にとって、恰好のバイブルになるでしょう。

 著者について・著者 寺谷篤志・1948 年鳥取県智頭町生まれ、鳥取県立智頭農林高等学校卒業、1983 年6 月那岐郵便局長。自らの一歩で地域づくりを提唱、智頭杉を活かした遊便葉書の開発からスタート。1988 年岡田憲夫先生(当時鳥取大学、現関西学院大学教授、京都大学名誉教授)と出会い、社会システム論に傾倒する。1989 年から杉下村塾を開講して地域を学ぶ場を開く。癌の宣告を受け2011 年3 月退職、10 月京都に移住。日本・地域経営実践士協会を設立、地域経営まちづくり塾を開講する。関西学院大学非常勤講師。

 平塚伸治・1948 年滋賀県日野町生まれ、立命館大学経済学部卒業、(財)関西情報・産業活性化センター勤務。1986 年~1996 年大阪駅梅田北ヤード(現うめきた)都心開発研究プロジェクト「メディアシティ・フォーラム」、1996 年『オープンシステムによるまちづくり手法の研究』などに従事。共著『つながりのコミュニティ―人と地域が「生きる」かたち』を2011 年に岩波書店から刊行。1993 年杉下村塾に参加、2012 年3 月退職後、日本・地域経営実践士協会を設立、地域経営まちづくり塾を開講する。関西学院大学非常勤講師。

 

 編著者・ 鹿野和彦・ 早稲田大学在学中の1981 年、編集プロダクション・早稲田クリエイティヴを設立。1991 年、株式会社アプレ コミュニケーションズを設立。雑誌・書籍の編集制作から、教育研修事業、企業・団体のPRなどの業務にあたる。2004 年、働く人々の支援と、元気な組織・地域・社会づくりを目的とした、仕事と暮らしの研究所を設立。1999 年に高崎経済大学客員講師、2009 年に大正大学キャリア教育研究所研究員(2014 年より非常勤講師)に就任する他、さまざまな団体の客員研究員やアドバイザー、セミナー講師を務める。主な著・訳書に『地域と暮らしをポストがつなぐ』『未来を創るリーダー10 のスキル』など。

単行本(ソフトカバー): 288ページ出版社: 仕事と暮らしの研究所 (2015/3/16)言語: 日本語・発売日: 2015/3/16

 

目次

第1章 「地方創生」から「地域経営」へ  鹿野和彦

1.「地方創生」論議で欠落している視点

2.「地域社会」の再生に求められる視点 座談会「地方創生」と「地域経営」 岡田憲夫×平塚伸治×寺谷篤志

第2章 智頭のまちづくり&事起こし ~地域に風穴をあけるために~ 寺谷篤志

1. 鳥取県智頭町に帰った顛末

2. 出会いは人生の妙薬

3. 小さな世界に丸ごとがある

4.「地区ゼロイチ」の構想 ~ホップ・ステップ・ジャンプ~

5. 地域社会に必要なものとは?

6.「学ぶ場づくり」 ささやかな自分を活かす智頭町まちづくり年表

第3章 四面会議システムは事起こしの基本技法

1. 四面会議システムとゼロ分のイチ村おこし運動  多々納裕一

2. 地域経営とコミュニケーション  多々納裕一

3. コミュニケーションの道具としての四面会議システム  多々納裕一

4. 新しい社会システムづくりへのジャンプに向けて  多々納裕一

5. 四面会議システム法の妙味  寺谷篤志 〔実践レポート&四面会議システムの展望〕

 身近な小さな事起こしで開くコミュニティづくり  平塚 伸治

第4章 四面会議システムの実践

1. 四面会議システムは1対3のゲーム論

2.「四面会議システム」を実践しよう! 3. 四面会議システムの奥義  寺谷篤志

思考のデザイン81絵図、それは無限の可能性  寺谷篤志、平塚伸治

A:個人と気づき

B:個人と組織

C:個人と社会

まちづくりに関わる方はもちろん、身の周りの人達と一緒に主体的な暮らしをしたい方にオススメの一冊

 

地域をより良くしたいと思い実践をしている方だけでなく、一人の人間としてより良く生きたい、家族と楽しく暮らしたい、職場の環境をより良くしたいと思う方にもオススメの一冊です。

 

この本の標題となっている「地方」と「地域」という2つの言葉の違いについて、編集協力者の一人である岡田は「地方」という言葉の空々しさ、「地域」という言葉から連想される当事者意識、という言葉で表現しています。

 

では実際に自分のことに目を向けてみると、自分の生活・人生でさえ、どこかで当事者ではなく、他人事で過ごしてしまっているのではないかと思う部分があります。他人事ではダメだ、主体的に生きなければ、そのために「事を起こす」=より良く生きるため、まずは自分のできることをやってみることを後押ししてくれます。

 

そして、その継続により周りを動かし、またそこで壁にぶつかる、そんな時の解決方法として「四面(よんめん)会議システム」という技法を提案してくれています。この新しい形の会議システムは民意を束ねる革新的な技法である可能性を海外の事例も含め示しています。

 

これまで「まちづくり」を他人事だと思っていた方もまちをつくるのはまず一人の「事起こし」から、そんなことを気付かせてくれるオススメの一冊です。

地域を何とかしたいと思っている人へ実践を促す、必読の書!

投稿者地域の一実践者2015年4月14日

 

この本は「地方対中央」と対立した概念ではなく、自分の生活している足元である「地域」にスポットを当て、そこを起点にしてこそ創世がなされるのではと問いかけている。「三全総」時代に言い古された「地方の時代」は実現することなく、むしろ東京一極集中がすすんだ、その反省は・・・。そのことを編集協力者の一人である岡田は「地方」という言葉の空々しさと表現している。

自らが生活する「地域」という言葉から連想される当事者意識こそ重要で、地域を暮らしがいのある場所にすることが重要である。そのために、まず自分のことに目を向けてみる。どんな小さな事でもいいから実践する。そして、ギリギリな状況にあっても1%を利他的なものへ向ける。

被災された東北の人々にとっても、そのことで他者との関わりが生まれ、幸せになるためのチャンスが増える。幸せとは、自分だけではなく、支え支えられる関係が構築できて感じるものである。

この論拠は鳥取県の山間地、智頭町で著者の一人寺谷が約30年間実施し、その中で、全国に広まった見回り活動の「ひまわりシステム」の実践や、「日本・ゼロ分のイチ村おこし運動」へと広がった地域自立型の取り組みは全国から視察が相次ぐ状況に成長していることで、実証されている。

この本は、惜しげもなく、その考えに至った「まちづくりの思考のデザイン」を図解入りで、巻末から逆に99ページにわたって公開している。さらに、その取り組みアイデアを実践、成功に導く会議システムも懇切丁寧に写真やフロー図を使って、注意点まで書き加えて解説している。

まず、自分の生活の足元を見つめ、他人事ではなく主体的に生きる。そのために「事を起こす」=より良く生きるため、まずは自分のできることをやってみるそして、その継続により周りを動かし、またそこで壁にぶつかる、そんな時の解決方法としても「四面会議システム」という技法は有効である。この新しい形の会議システムは民意を束ねる革新的な技法でもある。

これまで「地域をなんとかしたい」と思っていた方に、まず一人の「事起こし」から始めることを提案し、その実践の背中をおしてくれるオススメの一冊である。

 

「何もない地域は、何もないことを武器に」、日々の活動と照らし合わせができた。

「何もない地域は、何もないことを武器に」、日々の活動と照らし合わせができた全国各地で多く問題を抱え苦悩しているのは、「地域・地区・集落」であることを政治家にも知ってもらいたいと思いますが、政治家は為すすべを持っておりませんね。

この小地域こそがそこに住む人にとってはかけがえのない生きる場所であり「人生」そのものなのです。地域を愛し、地域の絆を大切にし、その人にとってはかけがえのない地域だからこそ苦悩するのです。その最も目を離せない点を鋭く突いています。

「四面会議」システムについては、最初は「どんな会議システムか? 技法は? 効果は?」良く判りませんでした。読み進むにつれ良く理解できました。どこでも誰でも活用できる問題解決システムで、人づくり、意識づくり、連帯づくり、コミュニティづくりにと出来れば実践してみたい!と思いました。

思考のデザイン。人の生きるに必要な思考の指針? 理論だけでなく経験や実例を挙げての人生訓のように楽しく読みました。この概念は今後折に触れて活用できます。

「事起こし」には、最初はやはりエネルギーがいります。私の最も愛する地域の地域経営(この言葉を意識していたわけではありませんが。)の一部を担う思いで事を起こそうとした時、地域に諮り掛け何度議論しても「総論賛成。各論消極」で「自分では・・。人がやってくれるなら。」と言う意識で事は起きませんでした。何とか事を起こしましたが、最初に方向性をメンバーや地域が共有していなかったため、現在も常に小さな壁にぶち当たり、順風満帆とは行きませんが、地域の協力、地元大学、県や市等の協力も得ながらひとつ一つ問題を解決し前に向かっているところです。そうして、この活動が全国的に珍しいと度々報道に取り上げられ、各地からの視察もありメンバーの意識も高まっております。

当団体は昨年4月に任意団体からNPOに組織替えをしましたが、これから生活環境の充実だけでなく地域福祉、地域安全、ICTの活用、社会教育、中山間地の振興等々の事業展開を図りたいものだと思っています。私たちの「事起こし」が地域を守るだけでなく、心豊かな地域づくり、夢のあるいきいきした地域づくり、地域の連帯づくりに繋がり、智頭町のように全国の過疎地の地域経営のモデルになることを夢見ています。

今政府は「地方創生」を謳い確かに補助金等の方法で金の流れは出来つつありますが、金のばら撒きで出来る地方は、竹下総理の「1億創生」の結果を見れば推して知るべし。現状からみれば生活の拠点、個々の人生が掛かる地域を、その地域が特徴を生かし(何もない地域は、何もないことを武器に。)如何に運営・再生させるか、所謂、地域経営をどう行うかにかかっています。

日々の活動と照らし合わせてみることができる一冊でした。

地方創生の事例集・地方創生を成し遂げる原動力とは何か?が知りたかったのですがイマイチでした。

16:23 2015/09/02


福井モデル 未来は地方から始まる 単行本– 2015・4・21藤吉 雅春 (著)

内容紹介

日本ならではの、「地域再生モデル」があった。 共働き率と合計特殊出生率で全国平均を上回る北陸三県。幸福度も世帯収入も高い。その秘密は何だろうか?

たとえば、メガネの生産で世界に名を馳せた福井県鯖江市。市民は、「日本でもっとも早く中国にやられた町です」と笑う。ところが、「もっとも早くやられた町」は、いつの間にか「最先端のデータシティ」に変貌を遂げていた。

 地盤沈下しない都市には、歴史的な「強い教育力」と、平等な「協働システム」がある。

 大阪、富山、福井を歩き、日本ならではの都市再生モデルを考察した、気鋭のルポ。

 〇町を動かす「市民主役事業」

 〇「お得感」の合意形成

 〇「市長をやりませんか?」プロジェクト

〇日本一早い「自発教育」

 〇「思考のプロセス」が見える教室

 〇女性も羽ばたく「一緒にやろう」経済

 内容(「BOOK」データベースより) 

共働き率と出生率で全国平均を上回る北陸三県。幸福度も世帯収入も高い。その秘密は何だろうか?たとえば、メガネの生産で世界に名を馳せた福井県鯖江市。市民は、「日本でもっとも早く中国にやられた町です」と笑う。ところが、「もっとも早くやられた町」は、いつの間にか「最先端のデータシティ」に変貌を遂げていた。地盤沈下しない都市には、歴史的な「強い教育力」と、平等な「協働システム」がある。大阪、富山、福井を歩き、日本ならではの都市再生モデルを考察した、気鋭のルポ。

 商品の説明をすべて表示する

単行本: 238ページ出版社: 文藝春秋 (2015/4/21)

言語: 日本語発売日: 2015/4/21

 目次

第1章 「過去」未来は過去の中にある(発見された遺体少子化対策を阻んだA級戦犯 ほか)

第2章 「現在」世界を唸らせた富山市の挑戦(世界でブレークした富山市住みやすさが負担になる日 ほか)

第3章 「未来」新しい仕事を創り続ける福井モデル(斜陽産業版シリコンバレーなぜ産業が強くなるのか? ほか)

最終章 すべての答えは、学校の授業にあった!(一九九八年に日本は変わった

教育は投資だという「逆算の発想」 ほか) 

  商品の概要に戻る 未来はドンドン変って行く」という事を前提に施策を行なっている点がミソ

常々、福井県の学力テストの結果が良い点の謎を知りたいと思っていたのだが、本書を読んで納得出来た。著者(ルポライター)の纏め方(全体構成)が拙いために、基調が分りずらいのだが、要は、「未来はドンドン変って行く」という事を前提に施策を行なっている点がミソという事である。

これは企業でも学校でも同様で、例えば大企業の工場等を誘致しても、その時の経済状況で、その工場は他へ移転してしまうかも知れない。それなら、中小の地場産業の活性化に注力した方が良い。幸いな事に、福井には世界に通用する中小企業がある(このため、「福井モデル」がそのまま全国的に通用する訳ではない。副題の「未来は地方から始まる」は大ゲサであろう)。学校教育でも、「未来はドンドン変って行く」のだから、過去の知識の詰め込みでは役に立たず、変化に適応出来る"自ら考える教育"を実践している。こちらは、全国的に敷衍可能だろう。鯖江市の例だが、高齢者対策も同様で、道路網を徒に広げるのではなく、次第に車の運転が出来なくなって行く高齢者のために、市街地をコンパクト化するという施策も中々のアイデアである。

 冒頭で、「「一向一揆」に負けたから、今の福井がある」との地元の人の言葉が紹介されている点も面白い。他より先に「ドン底」体験をした方が、他より先進的な方向性を打ち出せるという逆転の発想である。地方創成に興味を持っている方にとって、様々なヒントが詰まった良書だと思った。

  内容に疑問符

大変興味深く読んでいる最中なのですが、24ページの「東京の人口の半分が高齢者になる」という記述が気になりました。引用元となっている「国土の長期展望に向けた検討の方向性について」を読んでみましたが、それを裏付けるようなデータが見つからなかったからです。

最初は良書だと思いましたが、内容の信憑性、正確性に疑問を感じてしまいました。脚注などでもっときちんと引用元を明記して頂きたいです。

「未来はドンドン変って行く」という事を前提に施策を行なっている点がミソ

投稿者紫陽花 "玲瓏"2015年8月1日

常々、福井県の学力テストの結果が良い点の謎を知りたいと思っていたのだが、本書を読んで納得出来た。著者(ルポライター)の纏め方(全体構成)が拙いために、基調が分りずらいのだが、要は、「未来はドンドン変って行く」という事を前提に施策を行なっている点がミソという事である。

 これは企業でも学校でも同様で、例えば大企業の工場等を誘致しても、その時の経済状況で、その工場は他へ移転してしまうかも知れない。それなら、中小の地場産業の活性化に注力した方が良い。幸いな事に、福井には世界に通用する中小企業がある(このため、「福井モデル」がそのまま全国的に通用する訳ではない。副題の「未来は地方から始まる」は大ゲサであろう)。学校教育でも、「未来はドンドン変って行く」のだから、過去の知識の詰め込みでは役に立たず、変化に適応出来る"自ら考える教育"を実践している。こちらは、全国的に敷衍可能だろう。鯖江市の例だが、高齢者対策も同様で、道路網を徒に広げるのではなく、次第に車の運転が出来なくなって行く高齢者のために、市街地をコンパクト化するという施策も中々のアイデアである。

 冒頭で、「「一向一揆」に負けたから、今の福井がある」との地元の人の言葉が紹介されている点も面白い。他より先に「ドン底」体験をした方が、他より先進的な方向性を打ち出せるという逆転の発想である。地方創成に興味を持っている方にとって、様々なヒントが詰まった良書だと思った。

よそ者への寛容さと、コミュニケーション重視の教育

投稿者興津2015年6月27日

十数年前、福井や富山はちょっと普通じゃないと気づいた。住宅面積が広く、賃金も低くない。それ以来何となく両県が気になっていた。本書はこの地域、富山市や鯖江市など北陸の街の少し普通でないところを明らかにしていく。

いくつかの事例が紹介されるが、鯖江の福野氏や竹部氏は特に印象に残った。鯖江自体も素晴らしい。教育については、過去の経緯もあって独特な教育が生み出されていることが分かったが、本気でやれば他の地域でもできないことではないだろう。

本書が企業誘致にかなり否定的なのには疑問を感じる。良い誘致と駄目な誘致はあるだろう。本書に登場する森市長も企業誘致を重視している。

3世代率や共働き率、学力テストのランキングの上位には、北陸以外の日本海側の県もいくつか入っている。それらの地域にも、北陸に通じる何かがあるのではないか。島根や秋田、山形にもきっとチャンスはある。

故郷の現況を知る

投稿者正直を好む好々爺2015年8月11日

日本の様も戦前・戦中・戦後と随分変わった。その中で特に生地の変わり様を詳細に教えてくれたことに感謝。

地方にこそ可能性があることを「福井」を例に。説得力あり。

投稿者小次郎ベスト500レビュアー2015年6月4日

地方が疲弊して……と,どのメディアでも言われる。実際、多くの「地方」は人口減などもあり、疲弊していることは事実だろう。しかし福井県、とくに福井県鯖江市などは、昔よりパッとしないように見えて、かなり頑張っている。

富山市は「歩いて暮らせる街」として高く評価されている。公共交通を充実させ、中心市街地に人を集めているのだ。その結果、活気のある街になっているという。

鯖江は眼鏡の「産地」である。しかし眼鏡の出荷高はかなり落ちている。ところが、眼鏡以外の産業に光明を見出したり、こちらも決して萎えていない。市民、企業、行政……この3つがうまく機能してこそ、地方はよみがえる。その事例が満載の良書である。地方はダメだと言い続けるだけでは「未来」もないのだから。

地方に眠る現場の知恵

投稿者みどり2015年5月10日

「若者」「バカ者」「よそ者」が町づくりに必要とは、まさに震災復興の現場でも見えている景色。様々な形で負けを味わい、学び続けた地方から学べる知恵がある。

内容に疑問符

投稿者Y.S2015年7月24日

大変興味深く読んでいる最中なのですが、24ページの「東京の人口の半分が高齢者になる」という記述が気になりました。引用元となっている「国土の長期展望に向けた検討の方向性について」を読んでみましたが、それを裏付けるようなデータが見つからなかったからです。

最初は良書だと思いましたが、内容の信憑性、正確性に疑問を感じてしまいました。脚注などでもっときちんと引用元を明記して頂きたいです。

福井は、地方創生の正しいモデル^o^

投稿者中西良太 / Ryota Nakanishi "Amazon Top #500 Reviewer 2015, 2014, 2013です。 憲法、消費税、TPP、基地問題、原発、労働問題、マスゴミと前近代的司法が日本の最重要問題です!"ベスト1000レビュアー2015年5月10日

福井は、地方創生の正しいモデルです!

日本ならではの、「地域再生モデル」があった。

共働き率と合計特殊出生率で全国平均を上回る北陸三県。幸福度も世帯収入も高い。その秘密は何だろうか?たとえば、メガネの生産で世界に名を馳せた福井県鯖江市。市民は、「日本でもっとも早く中国にやられた町です」と笑う。ところが、「もっとも早くやられた町」は、いつの間にか「最先端のデータシティ」に変貌を遂げていた。

地盤沈下しない都市には、歴史的な「強い教育力」と、平等な「協働システム」がある。

大阪、富山、福井を歩き、日本ならではの都市再生モデルを考察した、気鋭のルポ。

〇町を動かす「市民主役事業」

〇「お得感」の合意形成

〇「市長をやりませんか?」プロジェクト

〇日本一早い「自発教育」

〇「思考のプロセス」が見える教室

〇女性も羽ばたく「一緒にやろう」経済

 本書は、全日本国民の必読書!

面白かった!

自分や子供の将来への興味から、この本を購入しました。つい、繰り返し読むほど、面白かったです。

生かし方を

今ある力、近い将来出せる力・・・それらについて考えさせられました。

大変参考になりました

私は日本海側に住んでいる自治体職員ですが、同じ日本海側でありながら私の住んでいる街と全然違うことがわかりました。この本から得られたことを元に地元の再生に取り組んでいきたいと思います。

16:52 2015/08/19 



稼げる観光: 地方が生き残り潤うための知恵 (ポプラ新書) 単行本  – 2015/7/1鈴木 俊博 (著)

内容紹介

地方が生き残る唯一の道=観光「葉っぱビジネス」で成功した町に「いろどりコミュニティ」を提案した著者による「人を呼び利益を生む観光」!

地方創生の鍵は「観光」にある。

年収1000万円を超えるおばあちゃんを生み出し

話題の「葉っぱビジネス」草創期に「いろどりコミュニティ」を提案するなど、

地方や企業を蘇らせてきた著者が、「B級観光施設を磨く」「将来の訪日外国人旅行者を育てる」などその秘訣を初めて明かす。

第1章 『稼げる観光』にまで発展した上勝町の葉っぱビジネス

出番をつくる100人の会社より100個のビジネスNHKで話題になったヤッホー調査隊…ほか

第2章 『稼げる観光』の見つけ方『ニコニコ動画』の可能性人を幸せにする観光マーケットインの視点をもつ…ほか

第3章 「また来たい!」「もっといたい!」と思わせる法則地域のブランド化を目指す狙うは、スモールメリットB級観光施設を磨く…ほか 

第4章 2020年に向けての訪日外国人旅行者戦略外国人だから感動すること

海外撮影隊を誘致する祈りの国ニッポン…ほか

内容(「BOOK」データベースより)

 仕事をつくり、お金を生み、人が集まる!地方が生き残る観光を育てる具体策。地方創生の鍵は「観光」にある。年収1000万円を超えるおばあちゃんを生み出し話題の「葉っぱビジネス」草創期に「いろどりコミュニティ」を提案するなど、地方や企業を蘇らせてきた著者が、「人の気を動かす」「B級観光施設を磨く」「将来の訪日外国人旅行者を育てる」などその秘訣を初めて明かす。

 商品の説明をすべて表示する

 単行本: 258ページ出版社: ポプラ社 (2015/7/1)

言語: 日本語発売日: 2015/7/1

 目次

第1章 『稼げる観光』にまで発展した、上勝町の葉っぱビジネス(『彩』との出会い上勝町を訪ねる ほか)

第2章 『稼げる観光』の見つけ方(人々が光り輝く観光へ日本人にとっての旅 ほか)

第3章 「また来たい!」「もっといたい!」と思わせる法則(ハードルが高い「着地型観光」振興目的は、定住人口増加 ほか)

第4章 2020年に向けての訪日外国人旅行者戦略(なぜ今、訪日外国人旅行者か?

地方への誘客の可能性 ほか)

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すばらしいです。投稿者non2015年8月3日

都会ばかりが大きくなるのではなく、地方も魅力的であってほしい。人が集まるところであってほしい。そんな願いがかなえられそうな気がします。「観光」この文字しか考えもしなかったけれど、いろいろなかんこうがあるのです。地方が生き残る観光を育てる具体策がとても興味深いものでした。「葉っぱビジネス」って本当に素晴らしい。とても勉強になりました。

勉強になりました。投稿者深江勝彦2015年7月30日

新潟県の、地方の旅館に勤めています、とても勉強になりました。

 素晴らしいです!投稿者Amazon カスタマー2015年7月25日

とても素晴らしい内容でした。

地方創生に掛ける思いや、ビジネスの構築方法等が、分かりやすくしっかりと書かれていました。既に起業している方やこれから起業する方、また地域の活性化に興味かある方に、おすすめしたいと思います。

企業を取りまとめているプロデュサーさんが書かれているだけあって、読み応えも充分。本当に為になり素晴らしい内容だったので、これからまとめ買いをして、起業仲間の友人に配りたいと思います。

平凡な中の非凡 心の満足を考えた本投稿者しんちゃん2015年7月27日

これからの日本にとても必要な視点と成功体験が書かれています。読んでていいなとと素朴に思えるそんな本でした

16:54 2015/08/19


2015年8月26日 (水)

龍郷たつごう町まち・徳田町長施政方針・・片山善博の自治体自立塾 単行本2015521 片山 善博 (著)

引用

6:07 2015/09/18・河野太郎の国会日記メールマガジン「ごまめの歯ぎしり(応援版)」を創刊しました。銚子市の事業仕分けに参加しました。銚子市は、財政状況が悪く、財政再建団体転落一歩手前です。一般会計のお金が足らず、水道特別会計から四億二千万円を借り入れるという荒技でつなぎましたが、水道特会もお金があるわけではないというのが、今日の仕分けで市民にもわかりました。構想日本が、すでに銚子市では二回、事業仕分けをやっていて、私は一昨年の仕分けにも参加させていただきました。今回は、銚子市の施設に焦点を当て
http://amamioosoma.synapse-blog.jp/yosiharu/2015/09/post-d838.html

6:14 2015/09/18

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