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2015年8月19日 (水)

船橋・・私たちは、お客様の悦びを自分の喜びとし、お客様の声を真摯に受け止め、お客様に「何度でも訪れたい」と思っていただける魅力ある公園づくりを目指します。 橋・アンゼルセン公園・ザ・ラストマン 日立グループのV字回復を導いた「やり抜く力」 単行本 日立グループ

引用


ザ・ラストマン 日立グループのV字回復を導いた「やり抜く力」 単行本  – 2015/3/7川村 隆 (著)

「自分の後ろにはもう誰もいない」――ビジネスマンに必須の心構えとは。決断、実行、撤退…一つ一つの行動にきちんと、しかし楽観的に責任を持てば、より楽しく、成果を出せる。元日立グループ会長が贈るメッセージ

 内容(「BOOK」データベースより)

 「どん底」から「過去最高益」、そして「世界」へ―HITACHI復活の立役者が語る「プロのビジネスマン」の条件。経営者も、若手社員も身につけたい「仕事への向き合い方」。

 単行本: 229ページ出版社: KADOKAWA/角川書店 (2015/3/7)

言語: 日本語・発売日: 2015/3/7

目次

序章 「自分の後ろには、もう誰もいない」―ザ・ラストマン―「この覚悟」を持っていますか

第1章 大事なときに「何を決めるか」「どう決めるか」―リーダーに求められていること

第2章 「きちんと稼ぐ」ための思考習慣―「独りよがり」にならないために

第3章 意思決定から実行までの「シンプルな手順」―自信をもってビジネスをするために

第4章 いつも前向きに「自分を磨く」人―自分を鍛える、部下を鍛える

第5章「慎重に楽観して」行動する9カ条―成果を丁寧に出すための羅針盤

第6章 私たち日本人に必要な「意識」とは何か―グローバル感覚とダイバーシティ

まっとうな内容を説得力を持って語ってくれる

投稿者あきら2015年4月8日

 

「異端児たちの決断 日立製作所 川村改革の2000日」という本読みこの本の著者 川村氏に凄さを認識したこともあり、川村氏自らが著した本ということで読んでみた。(もちろん 口述したのを側近か出版社が記述していったのだろうが…)真正面から 会社の危機に立ち向かっていった人なのだという印象を持った。

書名の「ラストマン」というのは新人のころ著者が上司から聞いた言葉がもとになっている。自分の持ち場で究極的な責任を負う人のことである。

この言葉を著者は終始念頭において仕事をしてきたのであろう。

まっとうな内容をかみ砕いて諄々と語る。ビジネス、仕事とはどういうものか説得力のある語り口で説明してくれる。理想の人物と言えるだろう。

内容的には日本経済新聞社連載の「私の履歴書」のほうがコンパクトで面白い

私は日立製作所の株主だった。最大で5万株ほど保有していた。無能の経営者庄山悦彦の指揮の下、「巨艦日立」の株価がどんどん下落していくのを見て、「これは買いだ」と思って買い始め、難平につぐ難平で最後は5万株まで株数が増えたというわけだ。この間、私は株主としてずっと日立製作所を観察していた。そして分かったのは、本当に庄山という男が無能を絵にかいたような馬鹿だったということだ。落ち目のプラズマテレビの製造に最後まで拘ったのも庄山だし、IBMから落ち目のハードディスクドライブ事業を法外な高値で買収しては「HDDを日立の収益の柱に育成する」とまるであさってな目標を掲げたのも庄山だった。何から何まで失敗続きの無能の経営者庄山は、しかし最後にちょっといいことをした。後継者に69歳の日立マクセル会長川村隆を指名したことだ。

 本書はその川村氏が書いた日立「V字型回復」の軌跡をつづった本である。書いてあることは「当たり前」のことばかりだ。要するに庄山という稀代の阿呆がやった馬鹿な経営方針を全廃して普通の経営をやれば、誰がやっても日立は利益を出せるようになる。ただそれだけのことである。日立製作所の資産は10兆円以上ある。10兆円を運用して数兆円をどぶに捨てた庄山という男は、ある意味「非常に才能がある」経営者だったと言えるだろう。「余程の才能」が無い限り、日立製作所を経営して何年も何年も損を出し続け、自己資本比率を20%強からひとけたすれすれまで低下させるなど出来るわけがない。だから日立製作所がなすべき最大の経営改革は無能の男庄山を経営陣から追放することであったのだ。

 本書は「しゃべり言葉」で書かれているせいもあり、あっという間に読める。1時間もあれば読める。69歳の川村氏が突然本社に呼び戻され、七転八倒しながら日立を元の姿に戻そうと奮闘する下りは圧巻である。やはり経験の中から絞り出された知恵を示す言葉には説得力がある。

 

ただ川村氏は自ら述べているようにカリスマ経営者ではない。一介のエンジニアから経営に携わるようになった「普通の人」である。特にすごい才能があるわけでも、すごい着眼点があるわけでもない。平々凡々たる凡夫という言葉がふさわしい御仁だ。その凡庸ぶりが発揮されているのが最後の第6章で、よせばいいのに日頃あまり勉強もせず読書もせず思索もしていない凡庸陳腐な男が、かっこつけて日本の将来だの、教育だの、若者の未来だのという大きなテーマを無理に語ろうとするからボロが出てしまっている。川村がいうほど日本の若者は日本の将来に悲観なんかしていない。アンケートを突き付けられると悲観していますと答えることが「優等生に求められる期待役割」だからそう答えているだけで、日本の若者は日本が世界一の幸せ超大国であることをちゃんと理解している。だから日本の若者は海外に雄飛しようなどという「馬鹿な野望」を抱かなくなったのだ。そんなことも理解できない川村の凡庸さを知るにつけ、私は日立製作所の持ち株すべてをこの際売り払う決断をした。幸いというかなんというか、ちゃんと利益は確保出来た。そのことについてだけは株主として使用人の川村君に礼を述べねばならんだろう。

それにしても笑ってしまうのは、日本や英国のような立派な大海軍国では船長はラストマンですが、韓国や中国のようなモラルのない下劣な国では船の船長は最初に逃げる「ファーストマン」ですね(笑)

まっとうな内容を説得力を持って語ってくれる

「異端児たちの決断 日立製作所 川村改革の2000日」という本読みこの本の著者 川村氏に凄さを認識したこともあり、川村氏自らが著した本ということで読んでみた。(もちろん 口述したのを側近か出版社が記述していったのだろうが…)真正面から 会社の危機に立ち向かっていった人なのだという印象を持った。

書名の「ラストマン」というのは新人のころ著者が上司から聞いた言葉がもとになっている。自分の持ち場で究極的な責任を負う人のことである。この言葉を著者は終始念頭において仕事をしてきたのであろう。まっとうな内容をかみ砕いて諄々と語る。ビジネス、仕事とはどういうものか説得力のある語り口で説明してくれる。理想の人物と言えるだろう。

「ラストマン」の覚悟に感銘をうけました

淡々と「改革」の過程が語られていますが、成果は驚くべきものです。逆に言えば、その驚くべき成果を淡々と成し遂げたことに著者のすごさと感じました。三枝匡氏の「V字回復の経営」、カルロスゴーン氏の「日産リバイバルプラン」ような戦略と実行力と感じます。また、「社長を機能としかみていない」「楽観は意志に属す、悲観は気分に属す」という著者の姿勢いも共感しました。「異端児たちの決断 日立製作所 川村改革の2000日」と合わせて読むと、川村氏本人の視点と第三者の視点を両方感じられるので、オススメです。

サラリーマン集団を率いるラストマンとしての心掛けがわかる。

「社長になる人は人格もスケールも違う」と実感できる良書。日立の役員全員が川村さんほどの人格者ではないと推察するが、少なくとも「社長だけでもスケールが大きい」日立が羨ましい。

以下が印象的。

(1) 結論はトップダウンで決める。15分で結論を出す。

(2) 日本の部長クラスは海外にでると「数字は語れるがビジョンは語れない」。

(3) 課長レベル対象の研修では「お金のにおいがするかを見極めろ」という。

(4) うまく話すには事前に練習するしかない。

(5) 仕事は51点に達していれば満足という姿勢。

(6) 評論家は一生ラストマンになれない。

(7) 対話のために部下と酒を飲むのは非効率。1週間に2時間対話しろ。

(8) 海外化がすすんでも本社・研究所・マザー工場は日本におくべき。また、以下のエピソードには「社長でありながらも、極めてフェアな印象」を受けた。

”部下が海外の価格交渉で「決めきれずに失注」し、その責任者を咎めた。たが、その後「彼の責任範囲を金額で事前に知らせておかなかったことに気づき、

彼に謝罪」”

通常の「大企業」であれば「お前がその部門の責任者だろ!」とパワハラ的結末になるが、上記より「上司であっても公平さを重んじる」姿勢が感じられた。「責任が無いから、無責任で良い訳でない!自分が責任をとるという責任”感”のある気概で仕事をしなくてはいけない!」と再確認した。

リーダーを「最終責任者」と訳しては?

日経の「私の履歴書」があまりに面白く、川村氏のことをもっと知りたいと思い本書を購入しました。期待に違わず面白かったです。特に印象に残ったのは、融資を取り付けるための海外投資家との丁々発止のやり取り。その苦難を赤裸々に語っています。また若いとき、「ラストマン」の訓練として、街中で困っている人に積極的に声をかけたというエピソードは、読者に行動を起こす勇気を与えてくれると思います。思うのですが、巷では「リーダーシップ」という言葉が氾濫し、その定義も曖昧です。リーダーシップを「最終責任」、リーダーを「最終責任者」と訳せば、すとんと腹に落ち、リーダーシップを発揮しやすくなるのではないかと本書を読んで思いました。

ラストマンの精神

ビジョンを描くと実行するは違う。戦術は変えても戦略は変えない点は大変参考になりました。

V字回復の舞台裏

2009年、瀕死の状態の日立製作所の社長を69歳で引き受け、V字回復を成し遂げた著者の眼を通して、日本企業再生のヒントが得られる一冊。

何でもやっていたコングロマリットの日立の中で、「社会イノベーション事業」に集中することを決め、過当競争の分野を遠ざけ、総合電機メーカーから社会イノベーション企業として衣替えしたこと、16社あった上場グループ会社をTOBを通じた完全子会社化を進め、9社にまで削減し、財務的な効率を高めたこと、財務基盤を改善する為、株主の反対を乗り越えて公募増資に踏み切ったこと等、生々しい舞台裏が記述されている。

意思決定したことを実行出来たことが成功の大きな要因と語っているが、様々な障害や抵抗を乗り越えて実行出来たことは、価値観や覚悟、チーム作りなど、著者のラストマンとしての資質によるものが大きかったのではないかと推察する。

感銘受けました。

仕事に対する考え方を改めて見直し出来た。何度も読み直したい。

内容的には日本経済新聞社連載の「私の履歴書」のほうがコンパクトで面白い

私は日立製作所の株主だった。最大で5万株ほど保有していた。無能の経営者庄山悦彦の指揮の下、「巨艦日立」の株価がどんどん下落していくのを見て、「これは買いだ」と思って買い始め、難平につぐ難平で最後は5万株まで株数が増えたというわけだ。この間、私は株主としてずっと日立製作所を観察していた。そして分かったのは、本当に庄山という男が無能を絵にかいたような馬鹿だったということだ。落ち目のプラズマテレビの製造に最後まで拘ったのも庄山だし、IBMから落ち目のハードディスクドライブ事業を法外な高値で買収しては「HDDを日立の収益の柱に育成する」とまるであさってな目標を掲げたのも庄山だった。何から何まで失敗続きの無能の経営者庄山は、しかし最後にちょっといいことをした。後継者に69歳の日立マクセル会長川村隆を指名したことだ。

 本書はその川村氏が書いた日立「V字型回復」の軌跡をつづった本である。書いてあることは「当たり前」のことばかりだ。要するに庄山という稀代の阿呆がやった馬鹿な経営方針を全廃して普通の経営をやれば、誰がやっても日立は利益を出せるようになる。ただそれだけのことである。日立製作所の資産は10兆円以上ある。10兆円を運用して数兆円をどぶに捨てた庄山という男は、ある意味「非常に才能がある」経営者だったと言えるだろう。「余程の才能」が無い限り、日立製作所を経営して何年も何年も損を出し続け、自己資本比率を20%強からひとけたすれすれまで低下させるなど出来るわけがない。だから日立製作所がなすべき最大の経営改革は無能の男庄山を経営陣から追放することであったのだ。

本書は「しゃべり言葉」で書かれているせいもあり、あっという間に読める。1時間もあれば読める。69歳の川村氏が突然本社に呼び戻され、七転八倒しながら日立を元の姿に戻そうと奮闘する下りは圧巻である。やはり経験の中から絞り出された知恵を示す言葉には説得力がある。

ただ川村氏は自ら述べているようにカリスマ経営者ではない。一介のエンジニアから経営に携わるようになった「普通の人」である。特にすごい才能があるわけでも、すごい着眼点があるわけでもない。平々凡々たる凡夫という言葉がふさわしい御仁だ。その凡庸ぶりが発揮されているのが最後の第6章で、よせばいいのに日頃あまり勉強もせず読書もせず思索もしていない凡庸陳腐な男が、かっこつけて日本の将来だの、教育だの、若者の未来だのという大きなテーマを無理に語ろうとするからボロが出てしまっている。川村がいうほど日本の若者は日本の将来に悲観なんかしていない。アンケートを突き付けられると悲観していますと答えることが「優等生に求められる期待役割」だからそう答えているだけで、日本の若者は日本が世界一の幸せ超大国であることをちゃんと理解している。だから日本の若者は海外に雄飛しようなどという「馬鹿な野望」を抱かなくなったのだ。そんなことも理解できない川村の凡庸さを知るにつけ、私は日立製作所の持ち株すべてをこの際売り払う決断をした。幸いというかなんというか、ちゃんと利益は確保出来た。そのことについてだけは株主として使用人の川村君に礼を述べねばならんだろう。

それにしても笑ってしまうのは、日本や英国のような立派な大海軍国では船長はラストマンですが、韓国や中国のようなモラルのない下劣な国では船の船長は最初に逃げる「ファーストマン」ですね(笑)

勉強になりました。

勉強になりました。日頃の覚悟を大事にしなきゃいけないなと思いました。

元社員として

今の自分に「開拓者精神」があるか、振り返る気持ちになりました。が、「このレビューが参考になった」と投票しています。

経営の助けになります

今から起業するものですが会社経営は良い時もあれば悪い時もある悪い時にいかにうまく乗り切るかが大切ですがこの本では具体的にどう乗り切ったかが書かれています。百聞は一見にしかずとは言いますが十分一見以上の価値がありました。

逆境から成功へ導くには以下のようなDVDも参考になりました。どん尻から1年でNo1を取る方法~1年で富山No1のセミナー講師になった石武丈嗣の実例~ [DVD]

15:27 2015/08/19

 異端児たちの決断 日立製作所 川村改革の2000日 単行本  – 2014/7/31 小板橋 太郎 (著)

2009年3月期に、国内の製造業史上最大となる7873億円の最終赤字を計上した日立製作所。そんな崖っぷちの総合電機メーカーをV字回復に導いたのは、本流から外れた“デッドヘッド(員数外)" の男たちだった――。

本書は製造業の巨大コングロマリット、日立製作所の再生の物語です。1990年後半以降、事業構造の転換にとまどった日立は低空飛行を続けました。そして、訪れたリーマンショックの痛撃。世界的な需要減によって日立は存亡の危機に直面しました。その時に次の執行役会長兼社長に指名されたのは、企業を渡り歩くプロ経営者でも、若手幹部でもなく、既に本体の経営を外れ、グループ会社の会長を務めていた69歳の元副社長、川村隆氏です。

同時期にトヨタ自動車の豊田章男氏が52歳で社長に就任するなど、経済界では経営陣の若返りが進んでいました。しかも、川村氏の脇を固める副社長も、同じくグループ会社や海外子会社の社長に“上がった" 面々です。

そんな若返りに逆行するような人事に、市場やマスコミは懐疑の目を注ぎましたが、川村氏が率いる経営チームは しがらみの中で実行できなかった経営改革を次々と断行、2014年3月期における過去最高益の礎を築きました。

本流から外れた人々が沈みゆく巨艦の舵を取ることになったのはなぜか。そして、なぜ誰もが成し遂げられなかった経営改革を実現することができたのか――。

その謎に、日経新聞産業部記者として長年、日立製作所や日本の製造業を見てきた著者が迫りました。日立製作所を舞台とした経営改革の軌跡をぜひお読みください。

 内容(「BOOK」データベースより)

 2009年3月期の決算で、国内製造業史上最大となる7873億円の最終赤字を計上した日立製作所。そんな崖っぷちの総合電機メーカーを救ったのは、本流から外れた“デッドヘッド(員数外)”の男たちだった。

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単行本: 271ページ出版社: 日経BP社 (2014/7/31)

言語: 日本語発売日: 2014/7/31

目次

【第一章】六十九歳の再登板

【第二章】「不沈艦」の黄昏

【第三章】裸になった経営陣

 【第四章】「御三家」の換骨奪胎

 【第五章】豪腕、中西宏明の凱旋

 【第六章】インフラ輸出の牽引車

 【第七章】グローバル化は隗より始めよ

【第八章】日立の次代を担う者

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日本経済の希望の光か

日立製作所を頂点とする日立グループは、出向=キャリアダウンといった、いわば銀行のような構造を持つとともに、少数の日立系企業が、製作所といえどもおいそれとは口出しできない独立自尊の地位を築いた、分断された企業グループであり、それは例えば三菱グループにおける銀行と商事のような関係を彷彿とさせる構図でした。

 そんな日立を復活させたのは、皮肉なことに日立製作所社長レースに一度は敗れた川村氏でした。ただ、当時の社長レースに勝った庄山悦彦氏いわく、「ホントは俺より川村のほうができるんだよな」。「即断即決で味気ないほどドライ」な川村氏でなく「俺についてこい」という親分肌の庄山氏が社長レースに勝ったものの、日立の危機の再建を庄山氏が託したのは、川村氏でした。本書のタイトルに「異端児たちの決断」とありますが、川村氏は異端児では決してなく、本来リーダーに選ばれてしかるべき人物だったと思います。

 ところでそれまでの日立は、日立製作所の社長といっても、グループ会社から「子会社の悲哀も知らないくせに」と揶揄されるボンボンであったのが、川村氏には出向経験があり、子会社の悲哀についても「俺はよく知ってる」と言うことができ、また子会社の社長連よりも年長者であるがゆえに、グループの誰もがその言に従わざるを得ないという、グループの大改革を遂行するにあたり絶好のポジションを築くことができたのでした。

 

社長人事といえば、若返りばかりが取りざたされもてはやされる今日、こんな改革手法があったのだと気づかされました。瞠目の一冊です。ほかの企業グループにこの手法が波及するかどうかはわかりませんが、この改革のやり方は他の多くの日本の大企業グループにも適用可能だと思わせる点で、本書は日本経済の希望にみえます。

テーマと題材は良い,しかし切り口と解釈に不満残る本書を読んだ後に残る,この食い足りなさは何だろう。

日立という巨大企業グループの経営危機を,改革によって立て直したというエピソードは,題材としては一級品のはずである。好意的なレビューが多いのも,本書が扱っているこの題材としての素晴らしさに依っているのだろう。

日立が経営危機に陥り,川村氏らいったんは子会社に出向したOBが呼び寄せられる場面から,本書の叙述は始まる。その後の経営改革の過程を,改革のトピックごとに手際よく描いて行き,そこで活躍する登場人物たちの人となりも比較的生き生きと描写している。

しかし,その描き方は,日立の経営改革の経緯がこうだった,と事実を淡々と述べているに過ぎない。

日立の経営改革の詳しい事実を知るためにこの本を手に取った読者,自らも経営者で経営や改革の難しさを熟知している読者であれば,事実叙述型の本書は,その目的にぴったり合致しているのだろう。けれども,大多数の読者は,おそらくそうではない。むしろ,経営者としてこのような経営危機にどうふるまうべきで,実際に彼らがどうふるまったのか,そこにどんな哲学があったのか,またどのような摩擦や軋轢があり,それをどのような考え方で克服していったのかなどの切り口で,著者なりの解釈を読みたいのではないか。

これらの切り口は,本書の所々に散見されるが,あるひとつの切り口が全体を通じたコンセプトとはなっていない。また,登場人物が多い割には全体のページ数が抑えられているために,散漫な印象となっている。

本書は,日立経営改革のヒストリーの概論という位置付けとし,今後さらに突っ込んだ著作が著されることを期待したい。

その暁に要望したいことを2つ。

(1) 川村氏をなぜ経営トップに呼びもどしたのか,その呼び寄せた側(庄山前会長?)の考え方と判断の根拠を詳しく聞きたい

(2) 是非,川村氏を始めとする登場人物自身の筆による回顧を読みたい(あまりこういう人は,様々な配慮から自分ではあまり語りたがらないとは思うが,もし語られれば,それは一級の経営の教科書になるだろう)

日本経済の希望の光か

日立製作所を頂点とする日立グループは、出向=キャリアダウンといった、いわば銀行のような構造を持つとともに、少数の日立系企業が、製作所といえどもおいそれとは口出しできない独立自尊の地位を築いた、分断された企業グループであり、それは例えば三菱グループにおける銀行と商事のような関係を彷彿とさせる構図でした。

そんな日立を復活させたのは、皮肉なことに日立製作所社長レースに一度は敗れた川村氏でした。ただ、当時の社長レースに勝った庄山悦彦氏いわく、「ホントは俺より川村のほうができるんだよな」。「即断即決で味気ないほどドライ」な川村氏でなく「俺についてこい」という親分肌の庄山氏が社長レースに勝ったものの、日立の危機の再建を庄山氏が託したのは、川村氏でした。本書のタイトルに「異端児たちの決断」とありますが、川村氏は異端児では決してなく、本来リーダーに選ばれてしかるべき人物だったと思います。

 ところでそれまでの日立は、日立製作所の社長といっても、グループ会社から「子会社の悲哀も知らないくせに」と揶揄されるボンボンであったのが、川村氏には出向経験があり、子会社の悲哀についても「俺はよく知ってる」と言うことができ、また子会社の社長連よりも年長者であるがゆえに、グループの誰もがその言に従わざるを得ないという、グループの大改革を遂行するにあたり絶好のポジションを築くことができたのでした。

 

社長人事といえば、若返りばかりが取りざたされもてはやされる今日、こんな改革手法があったのだと気づかされました。瞠目の一冊です。ほかの企業グループにこの手法が波及するかどうかはわかりませんが、この改革のやり方は他の多くの日本の大企業グループにも適用可能だと思わせる点で、本書は日本経済の希望にみえます。

大企業の再生の指針

国内大手企業が世界市場で存在感を失う中、注目を浴びる日立の業績回復。その改革のベースには経営陣の断固たる決意、勇気があったことがよく分かる。大手企業の経営陣と仕事をすることもあるが、自身のリスクを回避するために動く人も少なくないと感じていた。現在大企業の経営陣として活躍している方、次の経営陣となる中堅リーダーにぜひ読んでもらいたい良書だ。

内容は想像以上

日立製作所という会社柄、ふり幅が大きい経営者でなく、バランスの取れた経営者を想像していたのですが、この川村さんは、大胆で人間味もあり、とても魅力的な経営者だと感じました。内容も丁寧に取材されて、読み応えもあり高評価です。願わくば、もう少し川村さんの声を聞きたかったです。

テーマと題材は良い,しかし切り口と解釈に不満残る

本書を読んだ後に残る,この食い足りなさは何だろう。日立という巨大企業グループの経営危機を,改革によって立て直したというエピソードは,題材としては一級品のはずである。

好意的なレビューが多いのも,本書が扱っているこの題材としての素晴らしさに依っているのだろう。日立が経営危機に陥り,川村氏らいったんは子会社に出向したOBが呼び寄せられる場面から,本書の叙述は始まる。その後の経営改革の過程を,改革のトピックごとに手際よく描いて行き,そこで活躍する登場人物たちの人となりも比較的生き生きと描写している。

 しかし,その描き方は,日立の経営改革の経緯がこうだった,と事実を淡々と述べているに過ぎない。

日立の経営改革の詳しい事実を知るためにこの本を手に取った読者,自らも経営者で経営や改革の難しさを熟知している読者であれば,事実叙述型の本書は,その目的にぴったり合致しているのだろう。

けれども,大多数の読者は,おそらくそうではない。むしろ,経営者としてこのような経営危機にどうふるまうべきで,実際に彼らがどうふるまったのか,そこにどんな哲学があったのか,またどのような摩擦や軋轢があり,それをどのような考え方で克服していったのかなどの切り口で,著者なりの解釈を読みたいのではないか。

これらの切り口は,本書の所々に散見されるが,あるひとつの切り口が全体を通じたコンセプトとはなっていない。また,登場人物が多い割には全体のページ数が抑えられているために,散漫な印象となっている。

本書は,日立経営改革のヒストリーの概論という位置付けとし,今後さらに突っ込んだ著作が著されることを期待したい。その暁に要望したいことを2つ。

(1) 川村氏をなぜ経営トップに呼びもどしたのか,その呼び寄せた側(庄山前会長?)の考え方と判断の根拠を詳しく聞きたい

(2) 是非,川村氏を始めとする登場人物自身の筆による回顧を読みたい(あまりこういう人は,様々な配慮から自分ではあまり語りたがらないとは思うが,もし語られれば,それは一級の経営の教科書になるだろう)

思ってたより、ずっと、面白かったです

断片的には、何が起きたのか、知ってました。そして、この作品でつながりました。こんな単純な話じゃなかったんだろうなぁ、とも思いますが、一つの事例として、勉強になりました。

日本企業のturn aroundケースの好事例として興味深く拝読

「異端児」川村隆氏による日立製作所グループの経営・事業改革の全貌と経緯を捉えた一書。一気に読ませて頂きました。

「一年間は社長と会長を一人でやらせてもらいたい。今は緊急事態だ。スピードがなによりも大切です」 庄山もこれに同意した」(40頁)。

「HDD事業買収につぎ込んだしきんは総額四〇〇〇億円近い。結果論に過ぎないが、この金額を別の分野に投入していたら日立の地盤沈下はなかったと、投資の「選択眼」に疑問を呈する声は多かった」(60頁)。

「恐らく現場では、日立の経営危機に対し社員おのおのが不安感を抱いていることだろう。だが、日々の仕事は慣性の法則で続いていく。誰もが危機感を抱きながら、具体的にどうすればいいのか分からない。そのうち、「うちは沈む巨艦ですから」などと自虐的な言葉も出始める。喫水が一センチずつ下がっているのを誰もが知りながら惰性の日々を改める方法が分からない」(83~4頁)。

「当時は毎月のように事業部長と本社に呼びつけられ、分厚い報告書と事業計画書を求められた。かといって本社サイドにスペシャリストがいて、事業部の事情が分かるわけでもない。「本社にどう弁明するか」「本社をどう納得させるか」。次第に内向きになり、事業への責任感が希薄になる。これが悪弊であることは経験から分かっていた」(123頁)。

「川村は「社長機関説」を唱える。社長はある種の役割でしかない。社長とは憧れるものでも、畏怖するものでも、嫉妬するものでも、そのイスを奪い合うものでもないただの「機関」だ。企業が進むべき方向にもっともふさわしいリーダーが、透明な意思決定プロセスで選ばれる-」(260頁)。

しかし、一方で叙述はさらりとしており(もっといろいろドロドロしたものがあった筈)、深味に欠ける。また、全体として経営者視点に終始しており、従業員目線からの記述は全く無い。その点、(欲を云えば)大きな不満が残ったことを告(こく)っておく。

人の配置と経営を考えさせられる

改革を主導した川村氏(とその経営チーム)がどのようにして日立のV字回復を実現したのか、ずっと気になってました。

本書はその日立改革を網羅的ルポといった形でまとめられています。

本書を読了後思ったのは、川村氏自身の改革実行力とその改革後の潔さ(役職は早々に他者へ交代)は、氏の持つ日立への愛情と共に真の経営力がなせた技と思いました。と同時に、川村氏自身の人の配置の妙、さらには川村氏はじめ経営改革チームを実質的にアサインした庄山前会長の人の配置の妙は、当時のマスコミによる否定的反応へのアンチテーゼとも言えるでしょうか。

ビジネスのケーススタディ

リアルに裏側や人物像が描かれており、経営の手引きとなる一冊。日立のような巨大な企業を経営する経営者の器や心構えが大変勉強になる。まさに経営の教本にふさわしい。

薄雲の中を飛んでいる感じ

読んでいて、何か薄雲の中を飛んでいるような感じがしました。取材は良くしてあると思いますが、もう少し臨場感あふれる書き方ができるのではないかと。

全てを書けるわけではない、ということかと。

屋台骨が傾きかけた日立製作所のV字回復の立役者川村氏達による改革の軌跡の話。日経新聞で少しまえに掲載された「私の履歴書」にも一部被る部分あり。叙述は、現役・存命の関係者が多すぎることを慮ったか、ややあっさり風味。実際の人間模様や遣り取り(特に遠ざける」ことになった事業関係者との etc)が本当にはどうだったのかは憶測するしかない。

ちなみに、私はどちらかと言えばこの会社の顧客筋にあたる立場におり、協力頂いて進行していたとある事業が、日立製作所さん的にはどうも不採算部門である、という判断になったということで当時若干難儀した記憶があったりもする。が、そのことで含むところを残すものでは毛頭ない。

日立は、もの凄く真面目に基礎データを自力で積んで話しを詰める処という印象がある。本書を読み、これはやはり社風なのだろうな、と思った。今後の発展を期待し、応援したい。

15:29 2015/08/19

 

 川村隆の名言 格言・川村隆のプロフィール・経歴・略歴・川村隆、かわむら・たかし。日本の経営者。日立製作所会長兼社長。北海道出身。東京大学工学部電気工学科卒業後、日立製作所に入社。電力事業部火力技術本部長、日立工場長、取締役、常務、副社長、子会社の日立ソフトウェアエンジニアリング会長、同子会社日立マクセル会長などを歴任したのち、日立本社の会長兼社長に就任。世界金融危機によって7873億円という巨額な赤字を計上した同社を2年でV字回復させた。経団連副会長なども務めた経営者。

9:47 2015/08/19

 社長より年上の人がたくさんいたって構わないんです。よく米国人に同僚を紹介する時に、彼は私より4年入社年次が早い先輩だなんて、言うでしょう。彼らはそれがどうした、という顔をします。年功序列の意味が分からないんですね。

[川村隆の名言|社長より年上の人がたくさんいたって構わない]

当社は年間1000人の若い社員を最長3ヶ月海外経験をさせるプログラムを行っています。「日立のような規模の会社だから1000人も出せるんだ」とおっしゃる方もいらっしゃるかもしれません。でもそうではない。大事なことは人数や規模ではなく、「会社は本気だ」と思わせることなのです。世界にいろんな人がいて、彼らと一緒に仕事していくのだな、という覚悟を出させるために出しているのです。

[川村隆の名言|「会社は本気だ」と思わせることが大事]

日立は2009年3月期に7873億円の連結最終赤字を計上し、経営危機に瀕しました。不幸中の幸いですが、それによってゆでガエル状態だった社員に危機感が植えつけられました。今度はそれを、どうやってグローバル化へ意識づけさせるか、です。

[川村隆の名言|経営危機が社員に危機感を植え付ける]

20~30人程度の社員を集めた対話集会を頻繁に開催し、経営層が直接、社員に考え方を伝えて議論する場を設けています。企業がまず利益を上げないと、社会への付加価値還元はできません。貪欲に稼ごうとするマインドは、利益率向上に何より重要であることを、こうした場を使い認識してもらっています。

[川村隆の名言|社員と経営層が直接話し合う場を]

取締役会の強化は、事業面でも緊張感を生みます。社外取締役からは、「何でこんな低い利益率で喜んでいるのか」「アフリカ市場を開拓するための準備はできているのか」など、社内の人からは飛んでこないような厳しい質問が出て議論が盛り上がります。

[川村隆の名言|社外取締役強化の効用]

経営トップが変革を恐れるようになった場合に歯止めをかける仕組みとして、取締役会がうまく機能するようにしました。具体的には、社外取締役を7人に増やし、社内取締役を5人にしました。これは、仮に社長が無能だった場合、社外取締役の意見が「変えた方がいい」と一致して多数決を取れば、社長を交代させることができるようにするためです。

[川村隆の名言|社長を変えられる仕組みを]

これまでの痛みを伴う改革は、リーマンショックで巨額の最終赤字に転落した非常事態に、全社員で危機感を共有できたからだと考えています。問題はこれからです。今後は、危機でなくても日常的に変革し続けられるような企業体質にしていかないと、グローバルでは弱小のままになる。

[川村隆の名言|危機を脱してからが問題]   

  9:47 2015/08/19

「異端児たちの決断――日立製作所 川村改革の2000日」日立再生を主導した「ザ・ラストマン」川村隆・元会長、69歳の再登板

2014年8月4日(月)

2009年3月期に、国内の製造業史上最大となる7873億円の最終赤字を計上した日立製作所。崖っぷちの総合メーカーをV字回復に導いたのは、本流から外れた“デッドヘッド" の男たちだった――。

 「老兵は死なず、ただ消えゆくのみ」。こんな言葉を思い浮かべるような引き際だった。日立製作所の川村隆相談役(74)は今年4月、日立の会長職を辞し、6月20日には取締役も退任した。

ちょうど5年前、リーマン・ショックが世界経済をおそった翌年の2009年、日立は7873億円の連結最終赤字という、日本の製造業過去最悪の経営危機に陥った。子会社に転出していた69歳の川村氏が呼び戻され日立本体の執行役会長兼社長に就任。そこから5年で日立を文字通りV字回復させた。

 

日経BP社は8月4日、日立の経営再建の軌跡をたどった「異端児たちの決断 日立川村改革の2000日」を発刊する。発刊に合わせて、日立の経営改革を担ったキーパーソンに語ってもらった。

「7%なんてたいしたことない」

6月20日の取締役会で日立製作所のボードを離れました。2009年4月に子会社から呼び戻され、執行役会長兼社長に就任してから5年。長かったようで、あっという間の5年間でした。感慨? 特に感慨というものはありません。6月20日の取締役会では、ひととおり(取締役退任の)挨拶をしましたが、淡々としたものです。

まだまだ安心できるような段階ではありません。業績が好調で、また慢心に陥るのを恐れています。会社は同じことを繰り返しますからね。メディアのみなさんにも、「あまり良いことばかり書かないでほしい」と言っているんですよ。たしかに2009年3月期の7873億円の最終赤字という経営危機からは立ち直りましたが、営業利益は金額でようやく1991年3月期の水準に戻ったものの、営業利益率ではまだですからね。

日立は今年5月に発表した2014年3月期の連結決算で、売上高9兆6162億円、営業利益は5328億円となり、23年ぶりに過去最高益を更新。完全復活を印象づけた。連結営業利益率は5.5%。中期経営計画の最終年度である2016年3月期には7%超を目指すとしている。

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日立再生を主導した「ザ・ラストマン」

川村隆・元会長、69歳の再登板

2014年8月4日(月)

7%と言っても全然たいしたことではないんです。日立がベンチマークにしている米ゼネラルエレクトリック(GE)や独シーメンスの営業利益率は10%以上。現在の5%台の営業利益率なんて威張れるものではないのです。日立の取締役会には外国人取締役が4人いますが、彼らは歯に衣着せずこう言います。「なぜ5%台でもたもたしているのか。日本企業はみな営業利益率5%、5%と目標を掲げる。それ以上儲けちゃけない『5%ルール』でもあるのか」と。

 

 

 

 

日立製作所の危機を救った川村隆。この6月に取締役を退任した(写真:都築雅人)

日立が鉄火場だった5年前。前任の古川一夫社長から、当時69歳の川村氏へのバトンタッチは衝撃を持って伝えられた。「若返りの時代に逆行する」「日立にはそれほど人材がいないのか」。2009年3月初旬、日立会長(当時)の庄山悦彦氏から社長就任の要請を受けた川村氏は、返事をいったん保留し、翌週こう返答した。「1年間は社長と会長を一人でやらせてもらいたい。今は緊急事態です。スピードが何よりも大切です」。

 

ハイジャック機に乗り合わせる

あの時は突然のことで、「だめだったらすぐにやめれば良い」というつもりで引き受けました。でも今から思い返してみると、重要な伏線が2つあったと思っています。 

1つは私が日立工場(茨城県日立市)の設計課長だったころ、日立工場長だった綿森力さんという方が教えてくれた「ザ・ラストマン」という言葉です。綿森さんは日立工場長の事務室の大きな窓を背にした机に座ってこういうのです。「俺が窓を背にして座っているのは伊達じゃないんだ。もう後ろがない、という意味だ。この工場が沈む時は君たちは先に逃げろ。俺は一番最後にこの窓を蹴破って出る」と。工場が沈みそうになった時、最後まで残って責任をとる、ザ・ラストマンたれということを私たちに口酸っぱく諭してくれたのです。

日立工場は日立グループの中でも別格の趣を持つ事業所だった。日立の創業者、小平浪平氏が1910年に創業した久原鉱業所日立鉱山付属の修理工場は、1920年に日立製作所として独立。モーターやタービンなどの発電機器を手掛ける日立工場は創業の精神がこもる特別な存在で、日立工場長というポストは、もし日立の社長を目指すなら必ず通らなければならないステップだった。1992年、川村氏はその日立工場長に就任した。1999年、副社長に昇格する。

 

「異端児たちの決断――日立製作所 川村改革の2000日」

日立再生を主導した「ザ・ラストマン」

 

川村隆・元会長、69歳の再登板

 

 

2014年8月4日(月)

もう1つの出来事はその99年のことです。7月の金曜日のことでした。北海道の客先を訪問するために、羽田空港発新千歳空港行きの全日空便に乗り込んだのです。一階の窓際の席についたのですが、飛行機の動きがどうもおかしい。離陸して1時間もたっているのに北海道に向かうはずの飛行機の窓から富士山が見えるのです。そのうち客室乗務員のアナウンスがありました。「この機はハイジャックされています」と。女性や子どもたちが叫び、機内はパニック状態に陥りました。

1999年7月23日午前11時20分。全日空61便は乗員乗客517人を乗せて羽田を離陸。その5分後、羽田管制塔にハイジャックの一報が入った。川村氏の着席した真上の二階席にあるコックピットに、刃物を持った男が侵入、機長を刺して操縦かんを奪ったのだ。犯人は飛行機マニアで、札幌行きの航路を大きくはずれて右回りし、横須賀港から東京・町田方面へ向かった。横田基地への着陸を試みようとしたのだ。

 

非番のパイロット

機体が急降下するのが感じられました。もう窓を見ているだけで必死で、遺書を書く気力も出ません。横田基地近くの道路を走るクルマの形や色もはっきりわかるぐらいです。「これは助からないな」と思い、覚悟を決めました。ところが、ほとんど地面すれすれというところで機体が急上昇を始めたのです。

一階席の後部には、この日新千歳から飛び立つエアバス機に搭乗予定の全日空のベテランパイロット、山内純二氏が移動のために着席していた。異変を知った山内氏がコックピットに駆けつけ、数人の乗客と協力してドアをこじ開け犯人を拘束、地上300メートルまで降下していた機体の操縦かんと格闘し、4分後に再浮上に成功させた。61便は羽田に戻り、犠牲となった機長を除く乗客乗員は無事に救出された。日本の航空史上、初めて死者を出したハイジャック事件として記憶している人も多いだろう。

2014年8月4日(月)

非番のパイロットが同乗していたこと、彼が操縦かんを奪回し、無事飛行機を再浮上させたことは、もちろんその時は知るよしもありませんでした。後から話を聞いて知ったことです。ただ、その時のクルーたちはマニュアル通りに「安心してください」というだけで当事者能力を失っていました。非番のパイロットはその制止を押しのけてコックピットに入ったのです。

パイロットは通常、滑りにくくペダルの感触がわかる専用の靴を履くそうですが、彼は革靴のまま乗り込んで操縦してくれたのです。この時、私は綿森さんの「ザ・ラストマン」という言葉を強く意識しました。私がもし経営のかじ取りをすることになれば、ザ・ラストマンにならなければいけないと。

実はこの年、日立製作所第6代社長の金井務氏は、後継社長に庄山悦彦氏を指名。「日立の社長は8年から10年近くやるものだ」という前例を踏襲すれば、いかにエリート街道を進んできた川村氏にも社長の目がなくなったことは明らかだった。川村氏は4年後の2003年、日立本体の副社長を退任し、子会社の日立ソフトウェアエンジニアリング(現日立ソリューションズ)会長に転出、その後は日立マクセルなどのグループ会社の会長職についた。いわゆる「上がりのポスト」である。

 

「晩節を汚すからやめたほうがいい」

庄山さんから社長の打診を受けて、返事を保留した時、実は複数の友人に相談をしたんです。私は人にめったに相談することはないんですけれどね。みな「赤字は製造業最悪の7000億円を超える」「晩節を汚すからやめたほうがいい」と反対してくれました。

ただ、私は子会社に出ていたことで、日立の鈍重さもわかっていました。外からの目。まあ、異端といってもいいかもしれません。外から日立を眺めたことがある人たちの手で改革を進める選択肢しか、あのときの日立にはなかったのだと思います。「時計の針を巻き戻したような人事」とこてんぱんに言われましたが、あの時の庄山さんの決断は正しかったのだと思います。

全日空機ハイジャック事件からちょうど10年後の2009年3月、日立製作所は製造業史上最悪となる7873億円の最終赤字を計上。連結売上高10兆円、情報システムから発電プラント、鉄道車両、エレベーター、自動車機器、家電まで手掛ける日本最大のコングロマリットは、33万人の連結従業員を乗せながら、全日空61便のように急降下していた。非番のパイロットやパーサーのことを航空業界では「デッドヘッド」と呼ぶ。非番だから乗務員ではない、運賃を払っている乗客としても数えない、という意味である。“員数外”だった男たちが2009年4月、日立の操縦桿を握ることになる。

9:50 2015/08/19

 

 

 

ふなばしアンデルセン公園 入園者数900万人達成!

平成27年8月2日、ふなばしアンデルセン公園は平成8年10月のオープン以来、900万人目のお客さまをお迎えしました。同日10時30分からは

園内のワンパク王国ゾーンのイベントドームで記念式典を行いました。

900万人目のお客さまとなった天笠様ご一家

今後もたくさんのお客さまをお迎えするため、より良い施設を目指します。

 皆様のご来園をお待ちしております。

http://www.park-funabashi.or.jp/and/

9:37 2015/08/19

財)船橋市公園協会

経営理念・行動指針

経営理念

公益財団法人船橋市公園協会は、公平・公正な公園管理を行うとともに、緑を育み、ご利用いただくすべてのお客様に安全・安心・快適なサービスを提供することを理念とします。

 行動指針

1. 私たちは、お客様の悦びを自分の喜びとし、お客様の声を真摯に受け止め、お客様に「何度でも訪れたい」と思っていただける魅力ある公園づくりを目指します。

2. 私たちは、公園の緑や環境の保全に努めるとともに、市民との協働による愛着のある公園づくりを目指します。

3. 私たちは、公益法人として、緑化の推進と公園の利活用を図り、常に公共の福祉と地域社会への貢献を目指します。

4. 私たちは、知識の習得・技術の向上に努めるとともに、職員同士が自由に話し合える職場づくりを心がけ、常に業務の改善に努めます。

施設の運営 緑化推進活動 職員研修

2012 (公財)船橋市公園協会.

9:41 2015/08/19

 

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 船橋市市役所こどもホームページ

船橋市ホームページ船橋市ホームページ

船橋市をもっと知ろう

市役所の仕事 こどもホームページ > 公共施設ガイド > 船橋市アンデルセン公園 公共施設ガイド船橋市アンデルセン公園

風車噴水写真アンデルセン公園は、ワンパク王国、メルヘンの丘、子ども美術館、自然体験、花の城の5つのゾーン(くいき)から構成されている緑豊かな公園です。

ワンパク王国ゾーンは、フィールドアスレチックをはじめ、芝生広場、ポニーや小動物たちとのふれあい広場など、子供たちはもちろん、大人も自由にのびのびと遊べる施設があり、人気を集めています。

メルヘンの丘ゾーンは、デンマーク式の風車や農家など、世界的な童話作家・アンデルセンが活躍した1800年代のデンマークの田園風景を再現しています。

 子ども美術館ゾーンは、子供たちがつくる楽しさや喜びを体験できます。

 自然体験ゾーンは、湿性植物がしげる水辺と田んぼの周囲を散策路が巡り、四季折々の里山の自然を体験できます。 花の城ゾーンは、アンデルセン童話をイメージしたオブジェや遊具が配置された新たなゾーンで、小さな子どもたちが創造と空想の遊びを楽しめます。

ハットマークロゴメルヘンの丘童話館

世界的な童話作家・アンデルセンの人物像、デンマーク・オーデンセの街や自然の紹介など、その奥深い魅力を再発見することができます。

童話館写真

 

アンデルセン像

 

デンマーク国内外で初めて複製化が許可された、オーデンセ市、アンデルセン公園のアンデルセン像。

たかさ やく2.8メートルアンデルセン像写真

アンデルセンってどんな人?

名前は、「ハンス・クリスチャン・アンデルセン」といいます。

1805ねん4がつ2か誕生 オーデンセの貧しい靴屋に生まれる。

1819ねん 14さい 役者になろうとデンマークのみやこ、コペンハーゲンにいく。

1828ねん 23さい 大学の入学試験)に合格する。作家としての道を進み始める。その後ヨーロッパ各地を旅行する。

1845ねん 40さい 「みにくいあひるのこ」、「マッチうりのしょうじょ」「おやゆびひめ」、「はだかのおうさま」などを書く。

1875ねん 70さい 8がつ4か コペンハーゲンにて死去

 

風車

 

デンマークの風車職人が手掛けたデンマーク式粉ひき風車。ほんたいのたかさ 16.4メートル1まいのはねのながさ やく11.3メートル

風車写真

イベント広場デンマーク産出の石を敷きつめた広場中央の噴水は、童話「みにくいあひるのこ」がモチーフになっています。中央の白鳥の像のたかさは、やく4.2メートル。

イベント広場写真コミュニティーセンター紅色の外壁と格子窓がデンマーク風の建物になっています。コミュニティー写真農家デンマークの農家を再現屋根は葦ぶきで、内部には当時のベッドや木製のながベンチ、戸棚、農具などを展示しています。

農家写真

太陽の池

ひろさ やく1.6ヘクタール。(やく16,000へいほうメートル)

ボート遊びが楽しめるエリアのほか、葦、ガマなど水辺の植物が繁るちいさな生物たちとふれあえる空間もあります。

太陽の池写真

太陽の橋

ワンパク王国ゾーンとメルヘンの丘ゾーンをながさ やく84メートル、たかさ やく13メートルの橋がむすびます。

太陽の橋写真

 

ボートハウス太陽の池のボートのりばは、屋根に芝生をはったヨーロッパの農家風建物です。

ボートハウス写真ワンパク王国森のアスレチック

日本有数の規模を誇るフィールドアスレチック。ファミリー、冒険、力だめしの森、ダイナミックの4つのコースにチャレンジしよう。

アスレチック写真ワンパク城ダイナミックに滑りおりるローラースライダーや、みんなに人気のロープスライダーがあります。

 

ワンパク城写真

 

大すべり台ワンパク城のタワー最上部から、50メートルの長さを一気に滑りおりよう!大すべり台写真じゅえむタワー

船橋の古い民話に登場する「心やさしい力持ちの”じゅうえもん”」をモチーフにしたタワーです。じゅえむタワー

「平和を呼ぶ」像・岡本 太郎 制作 船橋市の平和都市宣言記念シンボル像として1988ねん10がつにできました。

平和を呼ぶ像写真にじの池晴れた日には虹がかかります。虹の池写真アルキメデスの泉アルキメデスが考案したと言われる「らせん型ポンプ、スクリュー、てこ式揚水ポンプ、足掛け水車を配した水学習施設です。

アルキメデスの泉写真

ポニー広場・ポニーに引き馬で乗ることができます。1周 やく50メートル。

ヤギ、ヒツジ、ウサギ、モルモットなどの小動物とのふれあい広場もあります。

ポニー広場写真変形自転車クラッシックカーや幌付き型などいろいろな自転車にのって、緑の木立のなかを走れます。

変形自転車写真ワンパクボール島芝生広場に大小たくさんのカラフルなボールからできた島です。

自然体験

 

ワンパク王国ゾーンの北西側に隣接してあった既存の樹林地や湿地をいかした、里山の水辺です。

子ども美術館こどもびじゅつかん写真

じぶんのちからで、いろいろなものをつくりましょう。

食のアトリエ

染織のアトリエ

陶芸のアトリエ

木のアトリエ

版画のアトリエ

地中館

スギの仲間、メタセコイア。力強く、繊細な木の根っこの様子や地中の不思議な世界を観察しよう。

 

地中館写真アンデルセンスタジオ衣装や化粧で変身し、アンデルセン童話の体験ができます。アンデルセン公園は有料公園です公園に入るには、入園料金が必要です。一般 900円小中学生 200円幼児(4さいから) 100円

駐車場 500円とってもお得な年間パスポートもあります。 開園時間、休園日は季節によりかわります。もっとくわしく知りたい下記のリンク先からアンデルセン公園のホームページにアクセスできます

くわしくはアンデルセン公園まで

電話 047-457-6627

 

 

関連リンクふなばしアンデルセン公園(新しいウインドウが開きます。)

公園緑地課 管理係 / 電話番号:047-436-2555 /FAX:047-436-2539/ メールフォーム

〒273-8501千葉県船橋市湊町2-10-25

受付時間 : 午前9時から午後5時まで / 休業日 : 土曜日・日曜日・祝休日・12月29日から1月3日

http://www.city.funabashi.chiba.jp/kids/facilities/p001371.html

9:44 2015/08/19 


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