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2020年4月

2020年4月14日 (火)

エネ大国日本への挑戦、再生可能エネルギー、循環型社会が人口減少と温暖化の危機を救う⁉️ 2020/04/12 再生可能エネルギーと地域再生 引用・230頁 日本版シュタットベルケアが日本を明るくする・「シュタットベルケ」はドイツ語で「都市公社を」意味する言葉で、電気・ガス・水道・交通などを一括して提供する自治体出資型のサービスです。ドイツにはシュタットベルケが1400以上もあり、電んりょく販売量の6割を占めるなど大手電力会社を凌ぐ存在にもなっています。 令和2年4月12日 引用・110頁• 百年の森林構想


再生エネルギー大国日本への挑戦・第7章・247頁・251頁・例えば、長野県の環境エネルギー政策を検証したりしました
2020/05/27 8:17


エネ大国日本への挑戦、再生可能エネルギー、循環型社会が人口減少と温暖化の危機を救う⁉️
2020/04/12


・日本には全電力の180%もの際エネが眠っている・環境省・日本が化石燃料の購入のために支払った19兆円(2018年度)。このお金の流れを変えれば、日本は再生する。山と渓谷社・



再生可能エネルギーと地域再生


引用・230頁
日本版シュタットベルケアが日本を明るくする・「シュタットベルケ」はドイツ語で「都市公社を」意味する言葉で、電気・ガス・水道・交通などを一括して提供する自治体出資型のサービスです。ドイツにはシュタットベルケが1400以上もあり、電んりょく販売量の6割を占めるなど大手電力会社を凌ぐ存在にもなっています。
令和2年4月12日
引用・110頁•



百年の森林構想とローカルベンチャースクール・

西粟倉村


真庭バイオマス発電所
2020/04/12
先人たちの思いを大切に立派な百年の森に育て上げるために、後五十年、村ぐるみで挑戦を続けようという村の決意表明でした。
そして、高齢化している山の所有者から森林を村が預かって長期的に管理し、木材を販売して得た利益の半分を山の所有者に返す仕組みを確立したのです。



・111頁・この事業を始める前は西粟倉村の木材産業で約1億円の事業規模だったのですが、現在は9億円程度になりました。その他にも若いIターンの方を含めた様々な事業が起きて、10年間で34社が起業し、それらの売り上げも合わせて、百年の森林構想を通じてトータルで約15億円という大きな経済効果が生まれています。
西粟倉村に若い世代が次々と移住してくる背景に、若者たちの価値観の変化を感じていると上山さんはいいます。
2020/04/12


引用・第4章・捨てられていた木が莫大なお金に!「真庭システム」の挑戦・岡山県・真庭市・2020/04/15 4:53・


132頁・きっかけは、小さなバイオマス発電所・
岡山県西粟倉村から車で1時間ほどのところに、林業の衰退や山の荒廃を逆手に取り、再生可能エネルギーをテコにして乗り越え、地域経済を大循環させている場所があります。
2013年にベストセラーになった藻谷さん「里山資本主義」で紹介された岡山県真庭市です。
真庭市ではその後、国内有数の1万キロワットもの出力を誇るバイオマス発電所が41億円の総工費をかけて2015年に完成。フル稼働していて一般家庭2万2000世帯分の電気を生み、年間24億円の売電収入を得ています。森林も手入れが行き届き、林業も活性化するという理想的な「真庭システム」が完成し、年間14億円物お金が地域に還元されているのです。
岡山県の北部に位置する真庭市は、市の面積の8割を森林が占める、人口5万人弱の静かな森の町です。古くから美作ヒノキの産地として知られ、製材の町として発展してきましたが、高度成長期以降は安い輸入材に押されて林業が衰退。間伐もままならず、間伐材は使われることも無く山に放置されていた時代が続きました。この流れを根本から変えたのが、地元を代表する製材業者、銘建工業の中島浩一郎さん(67)でした。



133頁・中島さんは今から30年以上前に、当時の日本では極めて珍しい、小さなバイオマス発電所を建設したのです。
1980年、国内では木材バブルと言われる現象が起き、国産木材の値段は上昇、木材の生産額はピークを迎えていました。当時、製材所で使用する国産材の価格高騰や品不足を補うためにアメリカをよく訪れていたという中島さんは、1981年、見学で立ち寄ったカリフォルニアの小規模な製材所で、敷地内の小さな小屋から聞き慣れない音を耳にしたと言います。
「小屋の中からウィーンという音がしていた物ですから、これなんですかと聞くとタービンだと。発電をやっているのかと聞いたら、そうだと言うんですね。これはかなりショックでした。小規模の製材所でも発電が出来るのかという驚きです。当時、電気は電力会社から購入するのが当たり前の時代でしたから、これはチャンスだと、自分たちもやりたいなと思ったんです」



134頁・集成材工場では、生産工程で大量の木くずが発生しますが、その処理が追いつかず、中島さんは頭を悩ませていました。しかし、このカリフォルニアの仕組みを見て、木くずが電気を生むことに気づいたのです。3年後、中島さんは1号機となる小さなバイオマス発電機を製材所内に建設しました。「1984年に175キロワットの非常に小さな発電所を始めました。当時、バイオマス発電所なんてないし、大手のメーカーに問い合わせたら、そんな小さな発電所なんて出来ませんよと言われて、それで小さなタービンをやっているメーカーを紹介してもらって、かなり思い切ってやったんです。結果としては非常にうまくいって、2億円弱の投資でわずか2年で元が取れたんです。蒸気をどんどん作って木材乾燥機の熱源にし、さらに電気も出来ると言うことで、夜間使う分ぐらいは発電しましたね。夜間は電気代がかからんぞとフル稼働でした」
しかし高度成長期以降は、日本の林業や製材業は衰退期に入っていました。90年代に入るとバブル経済が崩壊。今後やっていけるのかという不安が地域の製材業者の間に広がり、中島さん自身も、この先どうなるんだろうという漠たる不安を感じていました。
そんな折、ヨーロッパを訪れる機会のあった中島さんは、現地の木材産業や林業のあり方に衝撃を受けたと言います。
135頁・2020/04/15 6:01


・木を植えて育てて、伐ってはまた植える、と言う森の循環を基本とし、森の生長量を計算した上で、森と共存しながら計画に沿って森林資源を活用するという緻密に管理された仕組みや、補助金も受け取らずに立派に産業として自立しているヨーロッパの林業や木材産業の姿を目の当たりにし、こんなにも違うのかという驚きを覚えたのです。
・日本では、山林に全然お金が残らない。林業にも、木材産業にも富が繋がらない。森を中心とした循環的な営みが全く出来ていないののでは無いか、と言う思いを中島さんは強く抱きました。



・1993年、中島さんは地元の若手経営者を集めて「21世紀の真庭塾」と言う勉強会を発足させました。掲げたのは大きなビジョンでした。「縄文時代より脈々と続いてきた」豊かな自然を背景とする暮らしを未来へ繋げていくこと」という大目標。地域の自然と共生しながら、経済を循環させ、地域が繁栄するという、まさに今の時代に当てはまる持続可能な目標が、今日の真庭市を成功に導いたと言っても過言ではありません。
「集積材工場で出る木くずをボイラーでどんどん燃やしていたんですけど、小さなバイオマス発電1号機ではとてもまかないきれず、その大量の蒸気を使い切る方法がないものですから、蒸気を捨てていたんです。



136頁・本当に情けない話で、上記を捨てると言うことはエネルギーを捨てる話ですから。それでもっと大きな新しい発電機を作ろうと言うことになったんです」



・中島さんは1998年、社内により大規模なバイオマス発電所を設置し、自社電力の100%をバイオマス発電でまかなうようになりました。「2000キロワットの発電所を造りました。かなり大きな投資で、銀行の方からは大丈夫か、とても不安で仕方が無いと言われましたよ。でも2,3年で順調に稼働するようになって、21年目に入ったいまでも動いています」・当時、集成材工場で必要な電気は1200キロワットほどでした。中島さんは余った800キロワット分を売ることを考え、電力会社へ交渉へ行きましたが、当時は大きな壁が立ちはだかっていました。・「発電した電気に余裕があるんで、電気を売りたいと電飾会社に行ったら、買いますよと。おいくらですかと聞いたら、1キロワットが2円いくらだって言うんです。これにはちょっとびっくりしました。電力会社の担当者は、お宅の電気を買ったら、我が電力会社の石炭火力発電所の燃料消費がちょっと減ると。「焚き減らし」(火力発電所の燃料の利用量を減らすこと)というんだそうで、焚き減らしの分が2円いくらだから、買い取るのはその額にしかならないと言うんです。これは売電も出来ないな、情けないと言う思いでしたね」



・137頁・その後、時代は進み、再生可能エネルギーの普及が社会的な流れになり始めました。2003年4月1日、電気事業者に一定割合以上の再生可能エネルギーの利用を義務づけて法律=RPSが施工されたのです。「このRPSができて買取額が」2円代から8円代になって、ようやく社会に使っていただけるようになりました。うれしい話でした。2003年の4月1日午前零時、これで社会に電気を送れるぞ、真夜中にスイッチを入れたのを今でも覚えています」



・集成材工場で捨てていた木くずを燃料とし、熱や電気といったエネルギーに変えて自家消費し、余った電気は電力会社に売電するという「循環型エネルギーシステム」が確立した瞬間でした。その後、銘建工業は順調に業績を伸ばし続けました。


・そして、2013年には、地域を挙げてより規模の大きなバイオマス発電所の開設を目指し、中島さんが中心になって真庭バイオマス発電株式会社を設立。中島さんは社長に就任しました。資本金は2億5000万円。中島さんの銘建工業が66%を出資、真庭市も12%を出資、他に地元の林業、製材業組合など計9団体が参画するという地域参加型の会社が誕生したのです。
そして2015年、出力が1万キロワットを超える日本有数の真庭バイオマス発電所が完成、本格稼働を始めました。


・138頁・この発電所の総事業費41億円のうち、23億円は中国銀行をはじめとする金融機関からの融資でした。その他、農水省からの補助金14億円、真庭市からの補助金2・6億円の交付を受けました。これまでバイオマスで真庭市を引っ張ってきた中島さんの実績が評価され、資金調達は円滑に進みました。



・この大規模バイオマス発電所を地域一丸となって立ち上げた背景には、2011年の東日本大震災と福島の原発事故の存在があったと言います。「特に2011年の福島の事故があってからは、エネルギーのことをみんなで真剣に考えました。エネルギーの地産地消は大きなテーマと言われていたのですが、実際にはなかなか前に進めなかった。でも、ここは目の前に素材があって、使っていない材料があるんです。真庭には製材所が沢山あるので、いろんな工程で出てくる木くずなどをみんなに持ってきてもらえば、それが燃料としてお金になり、ちゃんとエネルギーに変わって、会社の配当も含めてお金を皆さんで享受できると。だから、銘建工業単独ではなく地域全体でやろうぜという話になったんです。それで地域にはかったら、みんなやろうと、やらねばと。地域の方も参加したい、個人も参加したいと言うことで、地域みんなの同意を得て出来た発電所だと思っています」


・このバイオマス発電所が中核となり、山に放置された未利用の間伐材などが燃料として山から運び出されて買い取られ、森の資源が循環し、林業も息を吹き返し、町全体が活気を取り戻すという「真庭市システム(木質資源安定)供給事業)」が完成したのです。



・139頁・「枝や木の曲がった部分は持ち出してもお金にならないし、今までほとんど森に捨てられていたんです。でもそれを切り出して持ってくれば燃料になりますから、今では森の景色が変わり、綺麗になって、まだ部分的ですけど山に変化が始まったんです」2020/04/17 16:23



・未利用材が買い取られるバイオマス集積基地・


139頁・2020/04/17 16:39・
・真庭バイオマス発電所と真庭の山を結びつける中間地点が、真庭市には整備されています。それが、市郊外の丘に作られた真庭バイオマス集積基地です。
・私たちが取材に訪れた時、そこには、大量の未利用材を積んだトラックが次々と坂を上がってきていました。このバイオマス集積基地では、山に捨てられていた間伐材などの未利用材が1トンあたり3000円から5000円で買い取られ、さらに山の所有者などの意欲を引き出すために、木材の買取額とは別に、所有者に1トンあたり500円を支払うという制度が導入されています。「山に捨てられていた物が、おかねになる」と言うことで、放置された間伐材などを運んで収入に繋げようという人たちが続々と訪れていたのです。


139頁・2020/04/17 16:58


・140頁・業者はこの集積基地の受付で、運んできた未利用材の重量を量ってもらい、買取額を示すレシートを受け取っていました。・私が取材した男性は、小さめのトラックで山の残された。・「1回運んで7000円ちょっともらえます。そりゃ大きいですよ、一日4回来るから3万円くらいにはなります。これだけで生計を立てていますよ。年金ももらってるけど、最高です、言うこと無いです!」取材のマイクにうれしそうに答えました。・この真庭バイオマス集積基地は2009年に建設されました。真庭市の林業で組織された木質資源安定供給協議会が、搬入業者にバイオマス証明書を発行する仕組みを確立。搬入者は事前に登録することで、木がどこで誰によって伐採されて集積基地に集まり、加工されるかを整理し、記録できるシステムを構築したのです。


・この仕組みでは、搬入業者は事前登録制のため、お金を得ようと他人の山の木を勝手に伐りだして持ち込もうとする違法行為を防ぐことが出来ます。また、木がどこの森から来たのかが把握出来るため、ある特定の森だけが極端に伐採されてしまうと言うこともありません。真庭市ではドローンを活用して空からも真庭の森全体のバランスをチェック市、森林資源を有効に活用しています。


・141頁・2020/04/17 19:04

・集積場には大きな杉やヒノキの丸太から、細かい枝などが山のように集められ、それぞれ分類されて並べられていました。それらは、専用の機械で皮を剥がれ、細かく砕かれて、製紙の原料や木質チップなどに生まれ変わっていました。そして、木質チップなどは木質バイオマス発電の燃料として出荷、販売されていたのです。2020/04/17 19:08・


141頁・引用・2020/04/14


142頁・2020/04/18 4:20・真庭バイオマス発電所は大規模な施設です。ボイラーの燃料をためておく燃料ヤード(集積所)では、木質チップや樹皮など大量の燃料が山積みされ、一時保管されていました。
・発電所を案内してくれた坂本所長は次のように説明しました。
・「今ここに、700トン、2日分あります。1日300トンから350トン使います。真庭市は8割が森林ですから、ここにあるのはそこから出てくる物ですね。山で放置されていた、使いようのない、捨てられていた木材を使っています。それがお金になり山王さんに還元できますので、山のためにも非常に有意義です」・最も大きな設備であるボイラーは、高さが25㍍もあり、7階建ての建物に相当します。ボイラーの横には外廊下が取り付けられていて、窓から内部をのぞくと、真っ赤な炎がパチパチとを立てて燃え続けていました。また中央操作室には、いくつものモニターが並び、ボイラーやタービンなど全ての設備を一括管理できるようになっていました。


・この木質バイオマス発電所では、燃料代として年間約14億円を支払っていると言います。これまで価値がないとして山に放置されていた未利用材=0円が、バイオマス集積基地などに運び込まれ1トン3000から5000という価値が生まれ、その後、木質チップやペレットなど燃料に生まれ変わることで付加価値がつき、真庭バイオマス発電所で買い取られる際には、年間14億円という大きな価値を生んでいる。これまで見捨てられていた山が、バイオマス発電のおかげでお金を生む存在になり、地域に還元されるという大きな循環が生まれているのです。



・143頁・2020/04/18 4:40・さらにこの成功が話題を呼び、全国から視察に来る行政や発電事業の関係者などが相次ぎ、最盛期で年間2500人が、今でも年間1500人ほどが訪れていると言います。
・「エネルギーの地産地消は非常に大きなテーマだと思っています。目の前に素材があって、使っていない材料があるのです。それを上手に使えば、こういう新しい事が出来るんだぞと思っております」・中島さんは自信を持ってそう語りました。

•地域にお金を循環させる真庭バイオマス発電所•


集積基地で作られた木質チップなどは、中島さんが社長を務める真庭バイオマス発電所に運ばれます。発電所では、木質チップなどを購入し、燃料としてボイラーで燃やして水を蒸気に変え、その蒸気でタービンを回して発電しています。
出力は一時間あたり1万キロワットで、一般家庭約2万2000世帯分を発電していますが、その量は、真庭市の全世帯数1万8000を大きく上回っています。発電した電気は売電され、その一部は市内の小・中学校や公共施設に供給されています。バイオマス発電所の売電収入、年間24億円が地域に貢献しているのです。
また、この発電所はオペレーターと事務作業員合わせて15人で24時間連続運転しています。全員が地元の市民で正社員として雇用されています。
2020/04/14


142頁・2020/04/18 4:20・真庭バイオマス発電所は大規模な施設です。ボイラーの燃料をためておく燃料ヤード(集積所)では、木質チップや樹皮など大量の燃料が山積みされ、一時保管されていました。
・発電所を案内してくれた坂本所長は次のように説明しました。


・「今ここに、700トン、2日分あります。1日300トンから350トン使います。真庭市は8割が森林ですから、ここにあるのはそこから出てくる物ですね。山で放置されていた、使いようのない、捨てられていた木材を使っています。それがお金になり山王さんに還元できますので、山のためにも非常に有意義です」・最も大きな設備であるボイラーは、高さが25㍍もあり、7階建ての建物に相当します。ボイラーの横には外廊下が取り付けられていて、窓から内部をのぞくと、真っ赤な炎がパチパチとを立てて燃え続けていました。また中央操作室には、いくつものモニターが並び、ボイラーやタービンなど全ての設備を一括管理できるようになっていました。


・この木質バイオマス発電所では、燃料代として年間約14億円を支払っていると言います。これまで価値がないとして山に放置されていた未利用材=0円が、バイオマス集積基地などに運び込まれ1トン3000から5000という価値が生まれ、その後、木質チップやペレットなど燃料に生まれ変わることで付加価値がつき、真庭バイオマス発電所で買い取られる際には、年間14億円という大きな価値を生んでいる。これまで見捨てられていた山が、バイオマス発電のおかげでお金を生む存在になり、地域に還元されるという大きな循環が生まれているのです。


・143頁・2020/04/18 4:40

・さらにこの成功が話題を呼び、全国から視察に来る行政や発電事業の関係者などが相次ぎ、最盛期で年間2500人が、今でも年間1500人ほどが訪れていると言います。
・「エネルギーの地産地消は非常に大きなテーマだと思っています。目の前に素材があって、使っていない材料があるのです。それを上手に使えば、こういう新しい事が出来るんだぞと思っております」・中島さんは自信を持ってそう語りました。



143・新建材CLT・2020/04/18 4:46・

2020年4月20日 (月)

引用・鹿児島県老人クラブ連合会・・230頁 ・日本には全電力の180%もの際エネが眠っている・環境省・日本が化石燃料の購入のために支払った19兆円(2018年度)。このお金の流れを変えれば、日本は再生する。・再生可能エネルギーと地域再生・日本版シュタットベルケアが日本を明るくする・クルマを捨ててこそ地方は甦る・ 藤井聡著・


鹿児島県老人クラブ連合会。鹿児島県市町村老人クラブ連合一覧、入会のご案内。活動報告など。 鹿児島県老人クラブ連合会連絡方法・交通2021/11/12



みんなの役に立つ龍郷町老人クラブ・・

令和五万人仲間作り運動
クラブ未設置地区解消
0~~~~~~~0運動・
未設置地区・・・全地区設置
・クラブ加入のメリット・メリット10・
○新しい仲間が増える・
○仲間との笑いで病気になりにくい・
○仲間との楽しい時間で要介護になりにくい・
○地域活動で認知症予防になる・
○健康になり医療費・介護費用が安くなる・
○共通話題で夫婦円満になる・
○趣味や経験が生かせる・
○地域社会の担い手になれる・
○心の安らぎ充実感が得られる・
・鹿児島県老人クラブ連合会・
2021/11/12 14:30

再生エネルギー大国日本への挑戦・第7章・247頁・251頁・例えば、長野県の環境エネルギー政策を検証したりしました
2020/05/27 8:17


引用・230頁 ・日本には全電力の180%もの際エネが眠っている・環境省・日本が化石燃料の購入のために支払った19兆円(2018年度)。このお金の流れを変えれば、日本は再生する。・再生可能エネルギーと地域再生・日本版シュタットベルケアが日本を明るくする


リンク・・龍郷町控え・稼ぐ力をつける自治体電力株式会社・「お役人」上田 清司 ・日本的官僚システムのからくり ・・財政から読みとく日本社会・・鹿児島県庁の職員住宅一覧・田雲の古い写真・・・3・バカな首相は敵より怖い 新書 –佐高 信 (著) ・・日本は食料自給率が40%以下、東京都の1.7倍は休耕地がある。ちこり村の事業はできることなら日本の休耕地を再使用し、有効利用したい。また、中津川は、60歳以上の方が31.8%と高齢化が進んでいます。抱える課題なのです
11:47 2020/05/04


引用・クルマを捨ててこそ地方は甦る・


藤井聡著・2020/04/20 14:31・
15頁・第1章・道からクルマを追い出せば、人が溢れる・「歩行者天国」という大成功モデル・道路と言えば、クルマのための物だ、と言うイメージが強い。
・・実際、その両脇に申し訳程度に白線を引いて、その外側だけが歩行者の物。残り道路空間は全てクルマのための物、と言うのが一般的だ。


・しかし、もし、この道路空間を全て人に開放したらどうなるのか・・その一番典型的な例が、「歩行者天国」だ。・例えば、東京銀座のまさにど真ん中、「銀座中央通り」は、週末の午後、1㌔以上もの区間で自動車の流入が禁止され、「歩行者天国」となる。
・ご覧のように、広い道路が人で埋め尽くされている。もちろん、両脇には歩道があるのだが、いかに銀座の道路の歩道が広いとは言え、これだけ沢山の人々を押し込むことは出来ない。


・つまり、銀座は週末に、中央通りからクルマを追い出すことで、普段では受け入れることが出来ないほどの「大量の買い物客」を呼び込むことに成功しているわけだ。16頁・


エネ大国日本への挑戦、再生可能エネルギー、循環型社会が人口減少と温暖化の危機を救う⁉️
2020/04/12


・日本には全電力の180%もの際エネが眠っている・環境省・
日本が化石燃料の購入のために支払った19兆円(2018年度)。このお金の流れを変えれば、日本は再生する。山と渓谷社・


再生可能エネルギーと地域再生



引用・230頁
日本版シュタットベルケアが日本を明るくする・「シュタットベルケ」はドイツ語で「都市公社を」意味する言葉で、電気・ガス・水道・交通などを一括して提供する自治体出資型のサービスです。ドイツにはシュタットベルケが1400以上もあり、電んりょく販売量の6割を占めるなど大手電力会社を凌ぐ存在にもなっています。
令和2年4月12日


引用・110頁•百年の森林構想とローカルベンチャースクール・西粟倉村


真庭バイオマス発電所
2020/04/12
先人たちの思いを大切に立派な百年の森に育て上げるために、後五十年、村ぐるみで挑戦を続けようという村の決意表明でした。
そして、高齢化している山の所有者から森林を村が預かって長期的に管理し、木材を販売して得た利益の半分を山の所有者に返す仕組みを確立したのです。


・111頁・この事業を始める前は西粟倉村の木材産業で約1億円の事業規模だったのですが、現在は9億円程度になりました。その他にも若いIターンの方を含めた様々な事業が起きて、10年間で34社が起業し、それらの売り上げも合わせて、百年の森林構想を通じてトータルで約15億円という大きな経済効果が生まれています。
西粟倉村に若い世代が次々と移住してくる背景に、若者たちの価値観の変化を感じていると上山さんはいいます。
2020/04/12


引用・第4章・捨てられていた木が莫大なお金に!「真庭システム」の挑戦・岡山県・真庭市・2020/04/15 4:53・


132頁・きっかけは、小さなバイオマス発電所・
岡山県西粟倉村から車で1時間ほどのところに、林業の衰退や山の荒廃を逆手に取り、再生可能エネルギーをテコにして乗り越え、地域経済を大循環させている場所があります。
2013年にベストセラーになった藻谷さん「里山資本主義」で紹介された岡山県真庭市です。
真庭市ではその後、国内有数の1万キロワットもの出力を誇るバイオマス発電所が41億円の総工費をかけて2015年に完成。フル稼働していて一般家庭2万2000世帯分の電気を生み、年間24億円の売電収入を得ています。森林も手入れが行き届き、林業も活性化するという理想的な「真庭システム」が完成し、年間14億円物お金が地域に還元されているのです。
岡山県の北部に位置する真庭市は、市の面積の8割を森林が占める、人口5万人弱の静かな森の町です。古くから美作ヒノキの産地として知られ、製材の町として発展してきましたが、高度成長期以降は安い輸入材に押されて林業が衰退。間伐もままならず、間伐材は使われることも無く山に放置されていた時代が続きました。この流れを根本から変えたのが、地元を代表する製材業者、銘建工業の中島浩一郎さん(67)でした。


133頁・中島さんは今から30年以上前に、当時の日本では極めて珍しい、小さなバイオマス発電所を建設したのです。
1980年、国内では木材バブルと言われる現象が起き、国産木材の値段は上昇、木材の生産額はピークを迎えていました。当時、製材所で使用する国産材の価格高騰や品不足を補うためにアメリカをよく訪れていたという中島さんは、1981年、見学で立ち寄ったカリフォルニアの小規模な製材所で、敷地内の小さな小屋から聞き慣れない音を耳にしたと言います。
「小屋の中からウィーンという音がしていた物ですから、これなんですかと聞くとタービンだと。発電をやっているのかと聞いたら、そうだと言うんですね。これはかなりショックでした。小規模の製材所でも発電が出来るのかという驚きです。当時、電気は電力会社から購入するのが当たり前の時代でしたから、これはチャンスだと、自分たちもやりたいなと思ったんです」


134頁・集成材工場では、生産工程で大量の木くずが発生しますが、その処理が追いつかず、中島さんは頭を悩ませていました。しかし、このカリフォルニアの仕組みを見て、木くずが電気を生むことに気づいたのです。3年後、中島さんは1号機となる小さなバイオマス発電機を製材所内に建設しました。「1984年に175キロワットの非常に小さな発電所を始めました。当時、バイオマス発電所なんてないし、大手のメーカーに問い合わせたら、そんな小さな発電所なんて出来ませんよと言われて、それで小さなタービンをやっているメーカーを紹介してもらって、かなり思い切ってやったんです。結果としては非常にうまくいって、2億円弱の投資でわずか2年で元が取れたんです。蒸気をどんどん作って木材乾燥機の熱源にし、さらに電気も出来ると言うことで、夜間使う分ぐらいは発電しましたね。夜間は電気代がかからんぞとフル稼働でした」


しかし高度成長期以降は、日本の林業や製材業は衰退期に入っていました。90年代に入るとバブル経済が崩壊。今後やっていけるのかという不安が地域の製材業者の間に広がり、中島さん自身も、この先どうなるんだろうという漠たる不安を感じていました。
そんな折、ヨーロッパを訪れる機会のあった中島さんは、現地の木材産業や林業のあり方に衝撃を受けたと言います。
135頁・2020/04/15 6:01


・木を植えて育てて、伐ってはまた植える、と言う森の循環を基本とし、森の生長量を計算した上で、森と共存しながら計画に沿って森林資源を活用するという緻密に管理された仕組みや、補助金も受け取らずに立派に産業として自立しているヨーロッパの林業や木材産業の姿を目の当たりにし、こんなにも違うのかという驚きを覚えたのです。


・日本では、山林に全然お金が残らない。林業にも、木材産業にも富が繋がらない。森を中心とした循環的な営みが全く出来ていないののでは無いか、と言う思いを中島さんは強く抱きました。


・1993年、中島さんは地元の若手経営者を集めて「21世紀の真庭塾」と言う勉強会を発足させました。掲げたのは大きなビジョンでした。「縄文時代より脈々と続いてきた」豊かな自然を背景とする暮らしを未来へ繋げていくこと」という大目標。地域の自然と共生しながら、経済を循環させ、地域が繁栄するという、まさに今の時代に当てはまる持続可能な目標が、今日の真庭市を成功に導いたと言っても過言ではありません。
「集積材工場で出る木くずをボイラーでどんどん燃やしていたんですけど、小さなバイオマス発電1号機ではとてもまかないきれず、その大量の蒸気を使い切る方法がないものですから、蒸気を捨てていたんです。


136頁・本当に情けない話で、上記を捨てると言うことはエネルギーを捨てる話ですから。それでもっと大きな新しい発電機を作ろうと言うことになったんです」

・中島さんは1998年、社内により大規模なバイオマス発電所を設置し、自社電力の100%をバイオマス発電でまかなうようになりました。「2000キロワットの発電所を造りました。かなり大きな投資で、銀行の方からは大丈夫か、とても不安で仕方が無いと言われましたよ。でも2,3年で順調に稼働するようになって、21年目に入ったいまでも動いています」


・当時、集成材工場で必要な電気は1200キロワットほどでした。中島さんは余った800キロワット分を売ることを考え、電力会社へ交渉へ行きましたが、当時は大きな壁が立ちはだかっていました。・「発電した電気に余裕があるんで、電気を売りたいと電飾会社に行ったら、買いますよと。おいくらですかと聞いたら、1キロワットが2円いくらだって言うんです。これにはちょっとびっくりしました。電力会社の担当者は、お宅の電気を買ったら、我が電力会社の石炭火力発電所の燃料消費がちょっと減ると。「焚き減らし」(火力発電所の燃料の利用量を減らすこと)というんだそうで、焚き減らしの分が2円いくらだから、買い取るのはその額にしかならないと言うんです。これは売電も出来ないな、情けないと言う思いでしたね」



・137頁・その後、時代は進み、再生可能エネルギーの普及が社会的な流れになり始めました。2003年4月1日、電気事業者に一定割合以上の再生可能エネルギーの利用を義務づけて法律=RPSが施工されたのです。「このRPSができて買取額が」2円代から8円代になって、ようやく社会に使っていただけるようになりました。うれしい話でした。2003年の4月1日午前零時、これで社会に電気を送れるぞ、真夜中にスイッチを入れたのを今でも覚えています」



・集成材工場で捨てていた木くずを燃料とし、熱や電気といったエネルギーに変えて自家消費し、余った電気は電力会社に売電するという「循環型エネルギーシステム」が確立した瞬間でした。その後、銘建工業は順調に業績を伸ばし続けました。

・そして、2013年には、地域を挙げてより規模の大きなバイオマス発電所の開設を目指し、中島さんが中心になって真庭バイオマス発電株式会社を設立。中島さんは社長に就任しました。資本金は2億5000万円。中島さんの銘建工業が66%を出資、真庭市も12%を出資、他に地元の林業、製材業組合など計9団体が参画するという地域参加型の会社が誕生したのです。
そして2015年、出力が1万キロワットを超える日本有数の真庭バイオマス発電所が完成、本格稼働を始めました。


・138頁・この発電所の総事業費41億円のうち、23億円は中国銀行をはじめとする金融機関からの融資でした。その他、農水省からの補助金14億円、真庭市からの補助金2・6億円の交付を受けました。これまでバイオマスで真庭市を引っ張ってきた中島さんの実績が評価され、資金調達は円滑に進みました。



・この大規模バイオマス発電所を地域一丸となって立ち上げた背景には、2011年の東日本大震災と福島の原発事故の存在があったと言います。「特に2011年の福島の事故があってからは、エネルギーのことをみんなで真剣に考えました。エネルギーの地産地消は大きなテーマと言われていたのですが、実際にはなかなか前に進めなかった。でも、ここは目の前に素材があって、使っていない材料があるんです。真庭には製材所が沢山あるので、いろんな工程で出てくる木くずなどをみんなに持ってきてもらえば、それが燃料としてお金になり、ちゃんとエネルギーに変わって、会社の配当も含めてお金を皆さんで享受できると。だから、銘建工業単独ではなく地域全体でやろうぜという話になったんです。それで地域にはかったら、みんなやろうと、やらねばと。地域の方も参加したい、個人も参加したいと言うことで、地域みんなの同意を得て出来た発電所だと思っています」


・このバイオマス発電所が中核となり、山に放置された未利用の間伐材などが燃料として山から運び出されて買い取られ、森の資源が循環し、林業も息を吹き返し、町全体が活気を取り戻すという「真庭市システム(木質資源安定)供給事業)」が完成したのです。


・139頁・「枝や木の曲がった部分は持ち出してもお金にならないし、今までほとんど森に捨てられていたんです。でもそれを切り出して持ってくれば燃料になりますから、今では森の景色が変わり、綺麗になって、まだ部分的ですけど山に変化が始まったんです」2020/04/17 16:23



・未利用材が買い取られるバイオマス集積基地・

139頁・2020/04/17 16:39・
・真庭バイオマス発電所と真庭の山を結びつける中間地点が、真庭市には整備されています。それが、市郊外の丘に作られた真庭バイオマス集積基地です。



・私たちが取材に訪れた時、そこには、大量の未利用材を積んだトラックが次々と坂を上がってきていました。このバイオマス集積基地では、

山に捨てられていた間伐材などの未利用材が1トンあたり3000円から5000円で買い取られ、さらに山の所有者などの意欲を引き出すために、木材の買取額とは別に、所有者に1トンあたり500円を支払うという制度が導入されています。「山に捨てられていた物が、おかねになる」と言うことで、放置された間伐材などを運んで収入に繋げようという人たちが続々と訪れていたのです。

139頁・2020/04/17 16:58


・140頁・業者はこの集積基地の受付で、運んできた未利用材の重量を量ってもらい、買取額を示すレシートを受け取っていました。・私が取材した男性は、小さめのトラックで山の残された。・「1回運んで7000円ちょっともらえます。そりゃ大きいですよ、一日4回来るから3万円くらいにはなります。これだけで生計を立てていますよ。年金ももらってるけど、最高です、言うこと無いです!」取材のマイクにうれしそうに答えました。


・この真庭バイオマス集積基地は2009年に建設されました。真庭市の林業で組織された木質資源安定供給協議会が、搬入業者にバイオマス証明書を発行する仕組みを確立。搬入者は事前に登録することで、木がどこで誰によって伐採されて集積基地に集まり、加工されるかを整理し、記録できるシステムを構築したのです。


・この仕組みでは、搬入業者は事前登録制のため、お金を得ようと他人の山の木を勝手に伐りだして持ち込もうとする違法行為を防ぐことが出来ます。また、木がどこの森から来たのかが把握出来るため、ある特定の森だけが極端に伐採されてしまうと言うこともありません。真庭市ではドローンを活用して空からも真庭の森全体のバランスをチェック市、森林資源を有効に活用しています。

・141頁・2020/04/17 19:04


・集積場には大きな杉やヒノキの丸太から、細かい枝などが山のように集められ、それぞれ分類されて並べられていました。それらは、専用の機械で皮を剥がれ、細かく砕かれて、製紙の原料や木質チップなどに生まれ変わっていました。そして、木質チップなどは木質バイオマス発電の燃料として出荷、販売されていたのです。2020/04/17 19:08・141頁・


引用・2020/04/14

142頁・2020/04/18 4:20・真庭バイオマス発電所は大規模な施設です。ボイラーの燃料をためておく燃料ヤード(集積所)では、木質チップや樹皮など大量の燃料が山積みされ、一時保管されていました。
・発電所を案内してくれた坂本所長は次のように説明しました。



・「今ここに、700トン、2日分あります。1日300トンから350トン使います。真庭市は8割が森林ですから、ここにあるのはそこから出てくる物ですね。山で放置されていた、使いようのない、捨てられていた木材を使っています。それがお金になり山王さんに還元できますので、山のためにも非常に有意義です」


・最も大きな設備であるボイラーは、高さが25㍍もあり、7階建ての建物に相当します。ボイラーの横には外廊下が取り付けられていて、窓から内部をのぞくと、真っ赤な炎がパチパチとを立てて燃え続けていました。また中央操作室には、いくつものモニターが並び、ボイラーやタービンなど全ての設備を一括管理できるようになっていました。


・この木質バイオマス発電所では、燃料代として年間約14億円を支払っていると言います。これまで価値がないとして山に放置されていた未利用材=0円が、バイオマス集積基地などに運び込まれ1トン3000から5000という価値が生まれ、その後、木質チップやペレットなど燃料に生まれ変わることで付加価値がつき、真庭バイオマス発電所で買い取られる際には、年間14億円という大きな価値を生んでいる。これまで見捨てられていた山が、バイオマス発電のおかげでお金を生む存在になり、地域に還元されるという大きな循環が生まれているのです。



・143頁・2020/04/18 4:40・さらにこの成功が話題を呼び、全国から視察に来る行政や発電事業の関係者などが相次ぎ、最盛期で年間2500人が、今でも年間1500人ほどが訪れていると言います。
・「エネルギーの地産地消は非常に大きなテーマだと思っています。目の前に素材があって、使っていない材料があるのです。それを上手に使えば、こういう新しい事が出来るんだぞと思っております」・中島さんは自信を持ってそう語りました。


•地域にお金を循環させる真庭バイオマス発電所•

集積基地で作られた木質チップなどは、中島さんが社長を務める真庭バイオマス発電所に運ばれます。発電所では、木質チップなどを購入し、燃料としてボイラーで燃やして水を蒸気に変え、その蒸気でタービンを回して発電しています。
出力は一時間あたり1万キロワットで、一般家庭約2万2000世帯分を発電していますが、その量は、真庭市の全世帯数1万8000を大きく上回っています。発電した電気は売電され、その一部は市内の小・中学校や公共施設に供給されています。バイオマス発電所の売電収入、年間24億円が地域に貢献しているのです。
また、この発電所はオペレーターと事務作業員合わせて15人で24時間連続運転しています。全員が地元の市民で正社員として雇用されています。
2020/04/14


142頁・2020/04/18 4:20・真庭バイオマス発電所は大規模な施設です。ボイラーの燃料をためておく燃料ヤード(集積所)では、木質チップや樹皮など大量の燃料が山積みされ、一時保管されていました。
・発電所を案内してくれた坂本所長は次のように説明しました。

・「今ここに、700トン、2日分あります。1日300トンから350トン使います。真庭市は8割が森林ですから、ここにあるのはそこから出てくる物ですね。山で放置されていた、使いようのない、捨てられていた木材を使っています。それがお金になり山王さんに還元できますので、山のためにも非常に有意義です」


・最も大きな設備であるボイラーは、高さが25㍍もあり、7階建ての建物に相当します。ボイラーの横には外廊下が取り付けられていて、窓から内部をのぞくと、真っ赤な炎がパチパチとを立てて燃え続けていました。また中央操作室には、いくつものモニターが並び、ボイラーやタービンなど全ての設備を一括管理できるようになっていました。


・この木質バイオマス発電所では、燃料代として年間約14億円を支払っていると言います。これまで価値がないとして山に放置されていた未利用材=0円が、バイオマス集積基地などに運び込まれ1トン3000から5000という価値が生まれ、その後、木質チップやペレットなど燃料に生まれ変わることで付加価値がつき、真庭バイオマス発電所で買い取られる際には、年間14億円という大きな価値を生んでいる。これまで見捨てられていた山が、バイオマス発電のおかげでお金を生む存在になり、地域に還元されるという大きな循環が生まれているのです。


・143頁・2020/04/18 4:40
・さらにこの成功が話題を呼び、全国から視察に来る行政や発電事業の関係者などが相次ぎ、最盛期で年間2500人が、今でも年間1500人ほどが訪れていると言います。
・「エネルギーの地産地消は非常に大きなテーマだと思っています。目の前に素材があって、使っていない材料があるのです。それを上手に使えば、こういう新しい事が出来るんだぞと思っております」・中島さんは自信を持ってそう語りました。


143・新建材CLT・2020/04/18 4:46・


エネ大国日本への挑戦、再生可能エネルギー、循環型社会が人口減少と温暖化の危機を救う⁉️
2020/04/12


・日本には全電力の180%もの際エネが眠っている・環境省・
日本が化石燃料の購入のために支払った19兆円(2018年度)。このお金の流れを変えれば、日本は再生する。山と渓谷社・


再生可能エネルギーと地域再生



引用・230頁
日本版シュタットベルケアが日本を明るくする・「シュタットベルケ」はドイツ語で「都市公社を」意味する言葉で、電気・ガス・水道・交通などを一括して提供する自治体出資型のサービスです。ドイツにはシュタットベルケが1400以上もあり、電んりょく販売量の6割を占めるなど大手電力会社を凌ぐ存在にもなっています。
令和2年4月12日
引用・110頁•



百年の森林構想とローカルベンチャースクール・
西粟倉村

真庭バイオマス発電所
2020/04/12
先人たちの思いを大切に立派な百年の森に育て上げるために、後五十年、村ぐるみで挑戦を続けようという村の決意表明でした。
そして、高齢化している山の所有者から森林を村が預かって長期的に管理し、木材を販売して得た利益の半分を山の所有者に返す仕組みを確立したのです。



・111頁・この事業を始める前は西粟倉村の木材産業で約1億円の事業規模だったのですが、現在は9億円程度になりました。その他にも若いIターンの方を含めた様々な事業が起きて、10年間で34社が起業し、それらの売り上げも合わせて、百年の森林構想を通じてトータルで約15億円という大きな経済効果が生まれています。
西粟倉村に若い世代が次々と移住してくる背景に、若者たちの価値観の変化を感じていると上山さんはいいます。
2020/04/12


引用・第4章・捨てられていた木が莫大なお金に!「真庭システム」の挑戦・岡山県・真庭市・2020/04/15 4:53・

132頁・きっかけは、小さなバイオマス発電所・
岡山県西粟倉村から車で1時間ほどのところに、林業の衰退や山の荒廃を逆手に取り、再生可能エネルギーをテコにして乗り越え、地域経済を大循環させている場所があります。



2013年にベストセラーになった藻谷さん「里山資本主義」で紹介された岡山県真庭市です。
真庭市ではその後、国内有数の1万キロワットもの出力を誇るバイオマス発電所が41億円の総工費をかけて2015年に完成。フル稼働していて一般家庭2万2000世帯分の電気を生み、年間24億円の売電収入を得ています。森林も手入れが行き届き、林業も活性化するという理想的な「真庭システム」が完成し、年間14億円物お金が地域に還元されているのです。



岡山県の北部に位置する真庭市は、市の面積の8割を森林が占める、人口5万人弱の静かな森の町です。古くから美作ヒノキの産地として知られ、製材の町として発展してきましたが、高度成長期以降は安い輸入材に押されて林業が衰退。間伐もままならず、間伐材は使われることも無く山に放置されていた時代が続きました。この流れを根本から変えたのが、地元を代表する製材業者、銘建工業の中島浩一郎さん(67)でした。



133頁・中島さんは今から30年以上前に、当時の日本では極めて珍しい、小さなバイオマス発電所を建設したのです。
1980年、国内では木材バブルと言われる現象が起き、国産木材の値段は上昇、木材の生産額はピークを迎えていました。当時、製材所で使用する国産材の価格高騰や品不足を補うためにアメリカをよく訪れていたという中島さんは、1981年、見学で立ち寄ったカリフォルニアの小規模な製材所で、敷地内の小さな小屋から聞き慣れない音を耳にしたと言います。
「小屋の中からウィーンという音がしていた物ですから、これなんですかと聞くとタービンだと。発電をやっているのかと聞いたら、そうだと言うんですね。これはかなりショックでした。小規模の製材所でも発電が出来るのかという驚きです。当時、電気は電力会社から購入するのが当たり前の時代でしたから、これはチャンスだと、自分たちもやりたいなと思ったんです」


134頁・集成材工場では、生産工程で大量の木くずが発生しますが、その処理が追いつかず、中島さんは頭を悩ませていました。しかし、このカリフォルニアの仕組みを見て、木くずが電気を生むことに気づいたのです。3年後、中島さんは1号機となる小さなバイオマス発電機を製材所内に建設しました。「1984年に175キロワットの非常に小さな発電所を始めました。当時、バイオマス発電所なんてないし、大手のメーカーに問い合わせたら、そんな小さな発電所なんて出来ませんよと言われて、それで小さなタービンをやっているメーカーを紹介してもらって、かなり思い切ってやったんです。結果としては非常にうまくいって、2億円弱の投資でわずか2年で元が取れたんです。蒸気をどんどん作って木材乾燥機の熱源にし、さらに電気も出来ると言うことで、夜間使う分ぐらいは発電しましたね。夜間は電気代がかからんぞとフル稼働でした」



しかし高度成長期以降は、日本の林業や製材業は衰退期に入っていました。90年代に入るとバブル経済が崩壊。今後やっていけるのかという不安が地域の製材業者の間に広がり、中島さん自身も、この先どうなるんだろうという漠たる不安を感じていました。
そんな折、ヨーロッパを訪れる機会のあった中島さんは、現地の木材産業や林業のあり方に衝撃を受けたと言います。
135頁・2020/04/15 6:01


・木を植えて育てて、伐ってはまた植える、と言う森の循環を基本とし、森の生長量を計算した上で、森と共存しながら計画に沿って森林資源を活用するという緻密に管理された仕組みや、補助金も受け取らずに立派に産業として自立しているヨーロッパの林業や木材産業の姿を目の当たりにし、こんなにも違うのかという驚きを覚えたのです。



・日本では、山林に全然お金が残らない。林業にも、木材産業にも富が繋がらない。森を中心とした循環的な営みが全く出来ていないののでは無いか、と言う思いを中島さんは強く抱きました。



・1993年、中島さんは地元の若手経営者を集めて「21世紀の真庭塾」と言う勉強会を発足させました。掲げたのは大きなビジョンでした。「縄文時代より脈々と続いてきた」豊かな自然を背景とする暮らしを未来へ繋げていくこと」という大目標。地域の自然と共生しながら、経済を循環させ、地域が繁栄するという、まさに今の時代に当てはまる持続可能な目標が、今日の真庭市を成功に導いたと言っても過言ではありません。
「集積材工場で出る木くずをボイラーでどんどん燃やしていたんですけど、小さなバイオマス発電1号機ではとてもまかないきれず、その大量の蒸気を使い切る方法がないものですから、蒸気を捨てていたんです。



136頁・本当に情けない話で、上記を捨てると言うことはエネルギーを捨てる話ですから。それでもっと大きな新しい発電機を作ろうと言うことになったんです」



・中島さんは1998年、社内により大規模なバイオマス発電所を設置し、自社電力の100%をバイオマス発電でまかなうようになりました。「2000キロワットの発電所を造りました。かなり大きな投資で、銀行の方からは大丈夫か、とても不安で仕方が無いと言われましたよ。でも2,3年で順調に稼働するようになって、21年目に入ったいまでも動いています」・当時、集成材工場で必要な電気は1200キロワットほどでした。中島さんは余った800キロワット分を売ることを考え、電力会社へ交渉へ行きましたが、当時は大きな壁が立ちはだかっていました。


・「発電した電気に余裕があるんで、電気を売りたいと電飾会社に行ったら、買いますよと。おいくらですかと聞いたら、1キロワットが2円いくらだって言うんです。これにはちょっとびっくりしました。電力会社の担当者は、お宅の電気を買ったら、我が電力会社の石炭火力発電所の燃料消費がちょっと減ると。「焚き減らし」(火力発電所の燃料の利用量を減らすこと)というんだそうで、焚き減らしの分が2円いくらだから、買い取るのはその額にしかならないと言うんです。これは売電も出来ないな、情けないと言う思いでしたね」



・137頁・その後、時代は進み、再生可能エネルギーの普及が社会的な流れになり始めました。2003年4月1日、電気事業者に一定割合以上の再生可能エネルギーの利用を義務づけて法律=RPSが施工されたのです。「このRPSができて買取額が」2円代から8円代になって、ようやく社会に使っていただけるようになりました。うれしい話でした。2003年の4月1日午前零時、これで社会に電気を送れるぞ、真夜中にスイッチを入れたのを今でも覚えています」



・集成材工場で捨てていた木くずを燃料とし、熱や電気といったエネルギーに変えて自家消費し、余った電気は電力会社に売電するという「循環型エネルギーシステム」が確立した瞬間でした。その後、銘建工業は順調に業績を伸ばし続けました。


・そして、2013年には、地域を挙げてより規模の大きなバイオマス発電所の開設を目指し、中島さんが中心になって真庭バイオマス発電株式会社を設立。中島さんは社長に就任しました。資本金は2億5000万円。中島さんの銘建工業が66%を出資、真庭市も12%を出資、他に地元の林業、製材業組合など計9団体が参画するという地域参加型の会社が誕生したのです。
そして2015年、出力が1万キロワットを超える日本有数の真庭バイオマス発電所が完成、本格稼働を始めました。

・138頁・この発電所の総事業費41億円のうち、23億円は中国銀行をはじめとする金融機関からの融資でした。その他、農水省からの補助金14億円、真庭市からの補助金2・6億円の交付を受けました。これまでバイオマスで真庭市を引っ張ってきた中島さんの実績が評価され、資金調達は円滑に進みました。



・この大規模バイオマス発電所を地域一丸となって立ち上げた背景には、2011年の東日本大震災と福島の原発事故の存在があったと言います。「特に2011年の福島の事故があってからは、エネルギーのことをみんなで真剣に考えました。エネルギーの地産地消は大きなテーマと言われていたのですが、実際にはなかなか前に進めなかった。でも、ここは目の前に素材があって、使っていない材料があるんです。


真庭には製材所が沢山あるので、いろんな工程で出てくる木くずなどをみんなに持ってきてもらえば、それが燃料としてお金になり、ちゃんとエネルギーに変わって、会社の配当も含めてお金を皆さんで享受できると。だから、銘建工業単独ではなく地域全体でやろうぜという話になったんです。それで地域にはかったら、みんなやろうと、やらねばと。地域の方も参加したい、個人も参加したいと言うことで、地域みんなの同意を得て出来た発電所だと思っています」


・このバイオマス発電所が中核となり、山に放置された未利用の間伐材などが燃料として山から運び出されて買い取られ、森の資源が循環し、林業も息を吹き返し、町全体が活気を取り戻すという「真庭市システム(木質資源安定)供給事業)」が完成したのです。



・139頁・「枝や木の曲がった部分は持ち出してもお金にならないし、今までほとんど森に捨てられていたんです。でもそれを切り出して持ってくれば燃料になりますから、今では森の景色が変わり、綺麗になって、まだ部分的ですけど山に変化が始まったんです」2020/04/17 16:23



・未利用材が買い取られるバイオマス集積基地・

139頁・2020/04/17 16:39・
・真庭バイオマス発電所と真庭の山を結びつける中間地点が、真庭市には整備されています。それが、市郊外の丘に作られた真庭バイオマス集積基地です。
・私たちが取材に訪れた時、そこには、大量の未利用材を積んだトラックが次々と坂を上がってきていました。このバイオマス集積基地では、山に捨てられていた間伐材などの未利用材が1トンあたり3000円から5000円で買い取られ、さらに山の所有者などの意欲を引き出すために、木材の買取額とは別に、所有者に1トンあたり500円を支払うという制度が導入されています。「山に捨てられていた物が、おかねになる」と言うことで、放置された間伐材などを運んで収入に繋げようという人たちが続々と訪れていたのです。

139頁・2020/04/17 16:58


・140頁・業者はこの集積基地の受付で、運んできた未利用材の重量を量ってもらい、買取額を示すレシートを受け取っていました。・私が取材した男性は、小さめのトラックで山の残された。・「1回運んで7000円ちょっともらえます。そりゃ大きいですよ、一日4回来るから3万円くらいにはなります。これだけで生計を立てていますよ。年金ももらってるけど、最高です、言うこと無いです!」取材のマイクにうれしそうに答えました。・この真庭バイオマス集積基地は2009年に建設されました。真庭市の林業で組織された木質資源安定供給協議会が、搬入業者にバイオマス証明書を発行する仕組みを確立。搬入者は事前に登録することで、木がどこで誰によって伐採されて集積基地に集まり、加工されるかを整理し、記録できるシステムを構築したのです。


・この仕組みでは、搬入業者は事前登録制のため、お金を得ようと他人の山の木を勝手に伐りだして持ち込もうとする違法行為を防ぐことが出来ます。


また、木がどこの森から来たのかが把握出来るため、ある特定の森だけが極端に伐採されてしまうと言うこともありません。真庭市ではドローンを活用して空からも真庭の森全体のバランスをチェック市、森林資源を有効に活用しています。


・141頁・2020/04/17 19:04
・集積場には大きな杉やヒノキの丸太から、細かい枝などが山のように集められ、それぞれ分類されて並べられていました。それらは、専用の機械で皮を剥がれ、細かく砕かれて、製紙の原料や木質チップなどに生まれ変わっていました。そして、木質チップなどは木質バイオマス発電の燃料として出荷、販売されていたのです。2020/04/17 19:08・


141頁・引用・2020/04/14

142頁・2020/04/18 4:20・真庭バイオマス発電所は大規模な施設です。ボイラーの燃料をためておく燃料ヤード(集積所)では、木質チップや樹皮など大量の燃料が山積みされ、一時保管されていました。
・発電所を案内してくれた坂本所長は次のように説明しました。
・「今ここに、700トン、2日分あります。1日300トンから350トン使います。真庭市は8割が森林ですから、ここにあるのはそこから出てくる物ですね。山で放置されていた、使いようのない、捨てられていた木材を使っています。それがお金になり山王さんに還元できますので、山のためにも非常に有意義です」


・最も大きな設備であるボイラーは、高さが25㍍もあり、7階建ての建物に相当します。ボイラーの横には外廊下が取り付けられていて、窓から内部をのぞくと、真っ赤な炎がパチパチとを立てて燃え続けていました。また中央操作室には、いくつものモニターが並び、ボイラーやタービンなど全ての設備を一括管理できるようになっていました。


・この木質バイオマス発電所では、燃料代として年間約14億円を支払っていると言います。これまで価値がないとして山に放置されていた未利用材=0円が、バイオマス集積基地などに運び込まれ1トン3000から5000という価値が生まれ、その後、木質チップやペレットなど燃料に生まれ変わることで付加価値がつき、真庭バイオマス発電所で買い取られる際には、年間14億円という大きな価値を生んでいる。


これまで見捨てられていた山が、バイオマス発電のおかげでお金を生む存在になり、地域に還元されるという大きな循環が生まれているのです。



・143頁・2020/04/18 4:40・さらにこの成功が話題を呼び、全国から視察に来る行政や発電事業の関係者などが相次ぎ、最盛期で年間2500人が、今でも年間1500人ほどが訪れていると言います。
・「エネルギーの地産地消は非常に大きなテーマだと思っています。目の前に素材があって、使っていない材料があるのです。それを上手に使えば、こういう新しい事が出来るんだぞと思っております」


・中島さんは自信を持ってそう語りました。
•地域にお金を循環させる真庭バイオマス発電所•

集積基地で作られた木質チップなどは、中島さんが社長を務める真庭バイオマス発電所に運ばれます。発電所では、木質チップなどを購入し、燃料としてボイラーで燃やして水を蒸気に変え、その蒸気でタービンを回して発電しています。
出力は一時間あたり1万キロワットで、一般家庭約2万2000世帯分を発電していますが、その量は、真庭市の全世帯数1万8000を大きく上回っています。


発電した電気は売電され、その一部は市内の小・中学校や公共施設に供給されています。バイオマス発電所の売電収入、年間24億円が地域に貢献しているのです。
また、この発電所はオペレーターと事務作業員合わせて15人で24時間連続運転しています。全員が地元の市民で正社員として雇用されています。
2020/04/14


142頁・2020/04/18 4:20・真庭バイオマス発電所は大規模な施設です。ボイラーの燃料をためておく燃料ヤード(集積所)では、木質チップや樹皮など大量の燃料が山積みされ、一時保管されていました。
・発電所を案内してくれた坂本所長は次のように説明しました。

・「今ここに、700トン、2日分あります。1日300トンから350トン使います。真庭市は8割が森林ですから、ここにあるのはそこから出てくる物ですね。山で放置されていた、使いようのない、捨てられていた木材を使っています。それがお金になり山王さんに還元できますので、山のためにも非常に有意義です」


・最も大きな設備であるボイラーは、高さが25㍍もあり、7階建ての建物に相当します。ボイラーの横には外廊下が取り付けられていて、窓から内部をのぞくと、真っ赤な炎がパチパチとを立てて燃え続けていました。また中央操作室には、いくつものモニターが並び、ボイラーやタービンなど全ての設備を一括管理できるようになっていました。


・この木質バイオマス発電所では、燃料代として年間約14億円を支払っていると言います。これまで価値がないとして山に放置されていた未利用材=0円が、バイオマス集積基地などに運び込まれ1トン3000から5000という価値が生まれ、その後、木質チップやペレットなど燃料に生まれ変わることで付加価値がつき、真庭バイオマス発電所で買い取られる際には、年間14億円という大きな価値を生んでいる。これまで見捨てられていた山が、バイオマス発電のおかげでお金を生む存在になり、地域に還元されるという大きな循環が生まれているのです。

・143頁・2020/04/18 4:40
・さらにこの成功が話題を呼び、全国から視察に来る行政や発電事業の関係者などが相次ぎ、最盛期で年間2500人が、今でも年間1500人ほどが訪れていると言います。
・「エネルギーの地産地消は非常に大きなテーマだと思っています。目の前に素材があって、使っていない材料があるのです。それを上手に使えば、こういう新しい事が出来るんだぞと思っております」・中島さんは自信を持ってそう語りました。


143・新建材CLT・2020/04/18 4:46・


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