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2016年5月 7日 (土)

地方議員の逆襲佐々木 信夫【著】 ・地方議会における与党と野党・68頁・・議会は広義の野党機能・71頁・・立ち位置の変化・72頁・・住民自治と議会・74頁・

引用


・地方議会における与党と野党・68頁・

 


議院内閣制(一元代表制)を採用する国会は「国権の最高機関」とされる。行政を主導する内閣の代表である首相は国家気指名する。首班指名をめぐって与野党が形成される。原則として多数派である与党は、内閣を支え内閣と一体となって自党の政策を推進することになる。これが議院内閣制だ。一方、少数派の野党は政権批判と対抗政策の提示を通して政権交代を目指す。このような国の議院内閣制は与党、野党の形成を制度の必然として求めている。68頁・


69頁・16/5/7 8時9分・つまり与野党の形成がなければ議院内閣制は機能しない。したがって、国会の与党に課せられる最大の使命は首班指名、内閣の形成にあり、自党の政策の遂行である。それに対し、野党の使命はそのあり方を監視統制し、常に代案を持って政権批判を行うことだ。


一方、首長と議員を別々に直接公選し、双方が異なった役割を持ちながら、2つの政治機関は対等な機関として権力的に抑制均衡関係を保つのが二元代表制である。そこで自治体が採用している二元代表制のもとでの議会は「議事機関」(憲法第93条)とされる。これを文字通り解釈すれば、「議事する機関」つまり「討議する機関」と言うことになる。首長と議会の法律上の権限分配は別として、それぞれが市民の直接選挙によって構成された政治的に正当性を同じくする、対等な代表機関(政治機関)である。決して首長の下請け機関であることを求めているわけではない。

もう一つ、首長と議員の選挙は別々に行われるので、議会における与野党の形成は必然的なものではない。あえて「与党」「野党」という表現を用いるなら、自治体では、首長に対する支持派、不支持派という表現になろう。不支持派が多くを占める場合、首長の政策執行が行き詰まりがちになるかも知れない。しかし、だからだといって首長が議会を解散するとか、直ちに議会はけしからんと批判するようなことにはならない。

この政治制度を「機関対立主義」という。執行機関と議事機関は対立することがあるべき姿とされる。69頁・


70頁・16/5/7 8時35分・

ここまで・しかし、その対立は、妥協を生まない対立ではない。国会の真似をして会派ごとに党議拘束をかけて、首長の提案に一致結束して賛成、反対を表明する、そうしたものではない。「会派あって議会なし」の姿は正常ではない。ある意味、首長の暴走を抑え、独裁政治に陥らないよう監視し、修正を試みるところにこの制度の良さがある。

議会は地域の代表、職層の代表、女性層の代表など多用な層の代表から形成される。地方議会はその地域にとって「民意を鏡のように反映できる」装置のはずだ。首長のように特定の価値観を持つ個人ではなく、多様な価値観の集まりである。だから首長の提案をもとに議会が民意を基礎に修正を重ねながら法案を練り上げていくことが大切なのである。


ところが、地方議会はオール与党化している、とされる。多数会派が常に首長との駆け引きの中で結論を出していく説くことになる。少数意見は反映されず、議論も首長と与党会派の中だけで進みがちになる。会派という政党政治の隠れ蓑のような集団が議会を制することは、本来の民意を鏡のように反映するという議会の良さ、強みを自ら失ってしまうことにもつながりかねない。

牽制機能を失ったオール与党と言われる体制自体、地方政治の機能麻痺と言えるだろう。議員個々が自分の採決活動に責任を持って議会活動をする。それが二元代表制での議会活動の基本ではなかろうか。70頁・


16/5/7


・議会は広義の野党機能・71頁・


しからば地方議会は、一体どんな仕事の仕方をすればよいのか。


国会との対比で言うと、地方議会には首長が住民代表として統括する行政に対する批判機能(対案を出す機能を含め)と、団体としての自治体の意志を決済する機能があると言えよう。

予算、条例、主要な契約の決定がこれに当たる。つまり、国会では主として野党が担う政権批判の機能を、自治体の場合は議会という政治機関が「機関全体の仕事として担う」ことが期待されているわけだ。地方議会には広い意味での野党機能を期待されていると言い換えてもよい。


もっと丁寧に言えば、こうした野党機能と、ある与党的の機能の二つをバランスよく果たすこと。後者は地方議会が自治体の政治機関として決定者、監視者、提案者、集約者の役割をしっかり果たすことだ。自治団体の予算、条例、重要な契約を決定する。決定後の執行についてしっかり監視統制する、首長の提案で足りない部分は議員立法で提案し修正もする。そして議会の決定内容を住民に逐次報告し、意見を求め、さらに要望を集約する。


この役割を果たすことが地方議会の本務と言えよう。


首長のみが輝いて見えるのは、地方議会が自らの強みを見落とし、民意を反映する活動をしていないからだ。多様な地域、多様な職域から選抜される議員で構成される議会は、多様な意見を内に含んでいる。71頁・


72頁・平成28年5月7日 土曜日・

それを政策に反映する試みをどんどん行うべきで、環境や福祉、子育て、まちづくり、地産地消グループと言った多様な政策集団を形成し、現場から鋭く問題を提起したらどうか。自分らで考えた解決策を提案するなら、議会の評価は大きく変わるはずだ。立法能力に不安があるなら、広域で「○○地域法制局」を創設し、条例の作成から法令審査までサポートしてもらう法務体制を整えたらどうか。地方議員の逆襲とは、まさにそうした「攻め」を意味する。


ちなみに、2,004年度の法改正で年4回に制限されていた定例会(第1定例会、第2定例会・・・)の回数制限がなくなっている。中には通年議会制を採用するところまで出てきた。各議会は主体的に会期の設定ができる。通年議会も可能だし、毎月の月例議会を開くこともできる。従来どおり、年4回の定例会でお茶を濁している議会は旧態依然の議会と見てまず間違いない。

これを、声を上げて変えるのがやる気ある議員達ではないか。複数の常任委員会で審議に参加することもできる。こうした改正を「議会活動」の充実に生かさない手はないはずである。議会を変える裁量権は大きく広がっている。72頁・


・立ち位置の変化・72頁・


本来、住民にとっての拠り所は、執行機関ではなく、決定機関である議会であるはず。


73頁・平成28年5月7日・ひろく住民を代表として選ばれた数の議員から構成される議会は、地域のニーズ、職層のニーズ、年齢層のニーズ、性別の知以外から生ずるニーズなどを幅広く自治体行政に反映させる住民の窓口と言ってもよい。


しかし、どうも現実は違う。様々なルートを通じて住民との対話を深めているのは首長である。残念ながら議会は、支持者に向けた個別の活動はともかく、組織としての議会が組織的に住民との対話を進めている様相にはない。制度的に期待されている役割と実際の運営とにこれだけ大きなギャップがある機関もめずらしい。改革課題は山ほどある。


国が決めたことを執行する自治体ではなく、自治体固有の業務を自らの判断で決め自ら責任を負う、それが現在の地方分権時代の自治体である。

この分水嶺が2,000年の地方分権改革にあった点はすでに述べたが、これにより地方議会の権限は飛躍的に拡大した。それまでの地方議会は政治の脇役に過ぎず、自治体自身も、あたかも国の下部機関のようだった。


それが、分権改革で機関委任事務制度は全廃され、議会には自治体すべての業務に審議権も条例制定権も認められ、すべてが予算審議の対象となった。不必要な仕事はなくすることもできるし、予算を減額修正することも可能だ。議会がまとまるなら、執行機関に統制しリードすることもできる。まさに議会は政治の「主役」、政治主導が可能な状況を得た。73頁・


・住民自治と議会・74頁・


住民と議会の立ち位置を確認しよう。筆者なりの説明だが、地方自治という営みとの関わりで議会を位置づけてみる。憲法92条の「地方自治の本旨」では団体自治と住民自治が車の両輪とされる。地域の範囲が決まっており、そこに住む住民が確定しているなら、その地域は自ら公共活動の拠点として公法人の自治体(市とか町)を持つことができる。


しかもその意志決定にヨソの自治体、国などが介入できない・・・これが団体自治の保障である。


もう一つ、その意志決定には男女差、納税の多寡、職業の有無などに関わりなく、一定の年齢になればすべての住民が参加できる・・・これが住民自治の保障である。この2つの自治が担保され、車の両輪のように機能して初めて地方自治が成り立つという理解である。74頁・


75頁・平成28年5月7日 土曜日・地方議会には、決定者、監視者、提案者、集約者の4つの役割がある。その役割と、この地方自治の本質をなす2つの自治から解釈すると、どう位置付けられるか。

一つは団体自治の観点あらで、地方議会は自治体全体の意志決定機関(1)であるということ。「決定者」、つまり自治体の団体自治を代表する機関が地方議会であるといってよい。


もう一つは住民自治の観点からで、これには3つの役割が関わる。一つ目は首長ら執行機関の監視者(2)であるということ。2つめは住民に変わって政策提言をする機関(3)であること。


そして3つめに任期の4年間に起こってくる様々な事態への対応を含め、住民に報告し民意を集約する機関(4)と言うことができよう。図式的に整理すると右のようになる。従来、地方自治論などではこの種の説明がないが、筆者はこうした地方自治の本旨(団体自治と住民自治)に関わる政治機関が議会であることを明確に説明することが大事であると考え、このモデルを創出した。


この4つの役割を団体自治、住民自治の代表としてしっかり果たしていく、それが地方議会の役割、地方議会の本質である。翻って述べると、それこそが地方議会を構成する一人一人の地方議員の役割であると言えよう。


これをどう実現していくか、以下の章でいろいろ議論してみたい。


75頁・2章終わり・平成二十八年五月七日・

平成二十八年五月七日

 


2016年5月 8日 (日)地方議員の逆襲佐々木 信夫【著】第4章 地方議員と選挙・107頁・・戦前と戦後の地方議員・107・・議員の数の決め方・108頁・

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2016/05/107-150f.html

 5:01 2016/05/08

ここまで


・議会制デモクラシー・60頁・


議会が中心になって地域の自治を構成する、間接代表型の地方民主主義を議会制デモクラシーと言ってもよい。ヨーロッパをはじめ世界で国民に参政権が広く認められるようになったのは19世紀に入ってからだ。ヨーロッパをはじめ世界で国民に参政権が広く認められるようになったのは19世紀に入ってからだ。そう考えると、その議会制デモクラシーの歴史はそう古い話ではない。


日本も不完全ながら明治半ばに特定の資産家に参政権を認める形で始まった。それが、国、地方とも一般国民が広く参政権を得て、国政、地方政治に参加できるようになったのは戦後である。70年の歴史かないとも言える。

その参政権もヨーロッパなどのように市民革命を経て手に入れた歴を持たない日本だから、今でも十分根付いているとは思えない事像が目立つ。指摘してきたように有権者の半数も投票に行かない、3分の1日皆無投票当選者を出しても平気でいるなど、議会制デモクラシーの定着という意味では三流国のレベルを脱していない。60頁・


61頁・16/4/28 10時27分・

いずれ、地方自治の営みを持つどの国においても地方議会がある首長と議会の関係には大きく2つの形態がある。執行機関である首長(知事・市長ら)を議長や議員代表を兼務する仕組みを持つ一元代表制の形態が一つ。これを採用する国も多い。

もう一つは、首長と議会のメンバーを別々に選出し相互に牽制する役割を期待する二元代表制の国。

日本の場合は、執行機関と首長と議決機関の議会を分けて選挙する二元体表制を採用している。そこでは本来、地方議会に与党勢力があって首長を指示するとか、野党勢力があって首長の不支持の行動を明確にすると言う与野党関係はそもそも存在しないはず。61頁・


明治、そして戦前・62頁・


日本の場合、現在の地方議会の性格、中身は紆余曲折を経ているが、明治期に形成された議会の性格が今日まで残影をとどめている。日本の地方議会の形成史を見ておこう(いか、歴史について大森「現代日本の地方自治」参照)。62・


63頁・1,890年に帝国議会ができる。その頃の地方制度は府県、郡・市、町村からなる三層制であった。

町村は郡の、郡・市は府県の、府県は内務省の監督を受けるという上下のヒエラルキー構造のもとにおかれていた。

町村、市を地方自治の区画として、この区画に市、町、村という独立の法人格を置いた。この同じ区画を国の地方行政の区画とも位置付け、これら自治体の長を国の機関とした。これが戦後、府県まで拡大適用されてきた機関委任事務制度の始まりである。


一方、府県は、もっぱら国の地方行政区画、国の地方行政機関として設置され、尊重は国の地方行政官とされていた。


明治時代の地方制度の基本的な構造は内務省・府県・市、内務省・府県・郡・町村がタテに構造化され、それぞれの代表は末端の市会、町会、村会を除くと、全て間接選挙ないし任命制になっていた。63頁・


64頁・平成二十八年四月二十八日・

64頁・平成二十八年四月二十八日・

こうした中、町村には公選の議員からなる町村会が置かれ、この町村会が町村長を選挙し、この町村長が町村会の議長を兼任することとされていた。町村を包括する団体の郡には郡会が置かれたが、その議員は町村会議員の間接選挙。

郡会の議長は官選の郡長で、郡の執行機関は郡参事会が仕切った。そこでは満25歳以上の男子、多額納税者が「公民」とされ、有権者の地位を有していた。多くは地主だが、地主が地主としての議員を選ぶことになり、地域の名望家、名家から名誉職としての議員が誕生していた。

東京、京都、大阪の三大市を除く、一般の市には、市会が置かれ、条例制定権も認められていた。

市会議員の選挙は公民を納税の多寡によって3等級に区分する3等級選挙制度。市長は、市会が推薦する3人の候補者の中から内務大臣が天皇に上奏してその裁可を・・平成28年5月7日 土曜日

これはいれない・


・戦後、そして現在・66頁


・16/5/7 6時9分5秒・

戦後はそこに大きな改革のメスが入る。


憲法第8章で地方自治を制度的に保障市、また都道府県知事の選任方法を官選から民選による直接公選に改め、知事以下の職員を一部の地方事務官を除き、地方公務員とした。同時に市町村長も議会の間接公選から直接公選にあら手間、各種の直接請求制度を創設することになる。


しかし、その際、府県と市町村に国の地方機関としての役割を持たせる機関委任事務制度を大幅に組み込む制度改革も行われた。


府県には国に変わって市町村を指揮監督する立場を与え、国と市町村の間の上下双方向の情報伝達は、府県を径由することが原則となり、国、都道府県、市町村の上下主従関係が戦後も形を変えて維持されることになる。


この結果、都道府県議会、市町村議会は二元代表制という首長、議会が対等な政治機関として構想されながら、議会には事実上、多くを占める機関委任事務の審議、決定、条例作成、予算修正などの権限は与えられず、脇役の地位に甘んぜざるを得ない制度が2,000年まで戦後半世紀以上続く。66頁・

平成28年5月7日 土曜日・


・2,000年の地方分権改革・66頁・


これに終止符が打つのが2,000年の地方分権改革である。2,000年の地方分権一括法(475本の一括改正)の施行により、機関委任事務制度は全廃され、各自治体とも8割近くが自治事務化され、自己決定領域が飛躍的に拡大した。67頁・


16/5/7 7時34分43秒・

2割の法定受託事務を含め、議会は10割領域について審議権を手に入れることになる。

戦後初めて二元代表制が正常に機能する制度的な土壌が生まれた。問題は運用、意識のレベルがついて行けるかどうかだ。


繰り返しになるが、それまでの各省大臣の地方機関として、国の委任業務を多く処理するように位置付けられた知事、市町村長は、公選職でありながらあたかも大臣の部下である用に通達で縛られ、補助金によって統制されていた。


各省の仕事が大臣・・知事・・市区町村長といるルートで地方機関(法的な位置付け)へ回され、結果としては都道府県の業務の8割近く、市町村の業務の4割近く(都道府県からの委任、国の業務の再委任を含めると8割が委任業務)が機関委任事務で占められていた。


議会には8割近くを占めた機関委任事務について、審議権も条例制定権も予算修正権も与えられておらず、機関委任事務の執行に関する「監視権」のみ使える状況下にあった。

これまでは地方議員自らが、地方議会は「チェック機関」だと確信せざるを得ない。中央集権のメリット、つまり全国に統一性、公平性を担保する、国が強いリーダーシップを発揮するため弐、もう一つの政治機関である地方議会を排除してきたと言える。67頁・16/5/7 7時48分・


68頁・2,000年の地方分権改革によって、上級官庁、下級官庁と言った国からの法的統制や通達による統治構造は大きく変わり、基本的に都道府県も市区町村も8割近くが固有の自治事務を有する自治体となった。これで2割の法定受託事務を含め、地方議会は各自治体の10割の仕事について審議権を持ち、予算修正権をもち、条例制定権を有するのである。


ただ問題は、こうした制度改革を現在まで生かせているかどうかだ。地方議会が従来型のチェック機関だという発想なら何の進歩もない。地方議会は決定者、監視者、提案者、集約者として、チェック機関から「立法機関」へのパラダイム転換が求められている。これに答えることが議会改革の本丸であり、各議員に求められる役割行動である。

ここまで・68頁・16/5/7 7時56分41秒・


・地方議会における与党と野党・68頁・


 

議院内閣制(一元代表制)を採用する国会は「国権の最高機関」とされる。行政を主導する内閣の代表である首相は国家気指名する。首班指名をめぐって与野党が形成される。原則として多数派である与党は、内閣を支え内閣と一体となって自党の政策を推進することになる。これが議院内閣制だ。一方、少数派の野党は政権批判と対抗政策の提示を通して政権交代を目指す。このような国の議院内閣制は与党、野党の形成を制度の必然として求めている。68頁・


69頁・16/5/7 8時9分・つまり与野党の形成がなければ議院内閣制は機能しない。したがって、国会の与党に課せられる最大の使命は首班指名、内閣の形成にあり、自党の政策の遂行である。それに対し、野党の使命はそのあり方を監視統制し、常に代案を持って政権批判を行うことだ。

一方、首長と議員を別々に直接公選し、双方が異なった役割を持ちながら、2つの政治機関は対等な機関として権力的に抑制均衡関係を保つのが二元代表制である。そこで自治体が採用している二元代表制のもとでの議会は「議事機関」(憲法第93条)とされる。これを文字通り解釈すれば、「議事する機関」つまり「討議する機関」と言うことになる。首長と議会の法律上の権限分配は別として、それぞれが市民の直接選挙によって構成された政治的に正当性を同じくする、対等な代表機関(政治機関)である。決して首長の下請け機関であることを求めているわけではない。

もう一つ、首長と議員の選挙は別々に行われるので、議会における与野党の形成は必然的なものではない。あえて「与党」「野党」という表現を用いるなら、自治体では、首長に対する支持派、不支持派という表現になろう。不支持派が多くを占める場合、首長の政策執行が行き詰まりがちになるかも知れない。しかし、だからだといって首長が議会を解散するとか、直ちに議会はけしからんと批判するようなことにはならない。

この政治制度を「機関対立主義」という。執行機関と議事機関は対立することがあるべき姿とされる。69頁・


70頁・16/5/7 8時35分・


2016年4月28日 (木)地方議員の逆襲佐々木 信夫【著】 第2章 地方民主主義と地方議員 ・議会制デモクラシー・60頁・明治、そして戦前・62頁・・戦後、そして現在・66頁2,000年の地方分権改革・68頁・・地方議会における与党と野党・68頁・

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2016/04/60-cb13.html

6:30 2016/05/07


2016年4月28日 (木)

講談社現代新書 地方議員の逆襲佐々木 信夫【著】 第2章 地方民主主義と地方議員 ・なり手不足・56頁・・地方自治とは?58頁・

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2016/04/56-bd61.html

8:39 2016/04/28


 2016年4月27日 (水)

講談社現代新書 地方議員の逆襲佐々木 信夫【著】 第2章 地方民主主義と地方議員・48頁・・地方議員の仕事・50頁・・議会活動への鋭い指標・52・・オール与党か現象54頁・・なぜ首長優位か・55頁・

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2016/04/4850-b3d2.html

16:44 2016/04/27


2016年4月27日 (水)

講談社現代新書 地方議員の逆襲佐々木 信夫【著】 第2章 地方民主主義と地方議員・48頁・・地方議員の仕事・50頁・・議会活動への鋭い指標・52・・オール与党か現象54頁・・なぜ首長優位か・55頁・

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2016/04/4850-b3d2.html

16:44 2016/04/27


2016年4月27日 (水)・ 地方議員の逆襲佐々木 信夫【著】 第1章 なぜ、地方議員が問題なのか・ ・ゼロ評議員、ゼロ票議会・・サラリーマン、女性が議員比率が低すぎる・43頁・定数・報酬・カネ・46頁・終わり・

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2016/04/post-b0a7.html

9:21 2016/04/27


 2016年4月26日 (火)・ 地方議員の逆襲佐々木 信夫【著】 第1章 なぜ、地方議員が問題なのか・ ・千代田区議会が画策した政活費のすり替え・29頁・・無風土壌が生む・「劣化現象」・31頁・ ・住民の監視の目がない・32頁・・競争なき選挙で悪貨は良貨を駆逐する・33頁・・議員という仕事に魅力とやりがいがない・35頁・・投票率は右肩下がり・37頁・

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2016/04/29-095e.html

14:26 2016/04/26


・なり手不足・56頁・


重要な政治機関の地方議会だが、肝心のなり手が減っている点も大きな問題だ。議員のなり手不足の要因を探ると、第1に、議会や議員の活動が住民に十分理解されておらず、議会の存在意義にしっかりした認識が持たれていない事がある。56頁・


16/4/28 7時35分・

議会活動のPR不足がなり手を減らしている。これを変えて行くには議会、議員の情報発信の充実や意志決定過程への住民参加、議会や議員活動の透明性向上などの努力が欠かせまい。魅力ある議会づくり、発信する議員落ち宇イメージ形成が不可欠である。

第2に、なり手不足の構造的な問題は一般サラリーマンが事実上、立候補戦線から排除されている事だ。会社勤めをしながら選挙に出る、当選後、議員を兼ねながら会社員を続ける事ができる、こうした仕組みにない事である。事実上、自営業や退職者、無職者しか議員に立候補できない。すると被選挙権者の少ない割合からしか、議員を発掘できないという事になる。57頁・


58頁・第3に、住民に約束した内容を条例化するなどの立法活動も少なすぎるという事。議会の運営や議員報酬の改定などの議会関連条例はともかく、環境や福祉、文化、教育と言った住民サービスに直結する「政策条例」の提案は皆無に近い。ある調査によると、提案される政策条例の中で議員によるものは7%程度に過ぎないとされる。

しかも、提案件数は相当あっても、少数会派からの提案が多く、実際に条例として可決成立する率はさらに低い。年間で県議会や市議会で可決する条例提案は平均1本に満たないとされる。もっとも条例提案だけが政策提案ではない。金の使い方や施設整備、まちづくりのあり方の提案も政策提案に含まれる。ただ、自治体活動の法治行政の根拠となる条例の影響力は大きく、それが圧倒的に首長提出になっている。

仮に首長の提出案件が多いことは大きな問題ではないと認めたとして、しからば、首長提出案件を議員同士で深く審議し修正しているかと言えば、それも少ない。多くは首長、幹部職員に質問をした程度に止まり、事実上無修正で可決成立する案件が圧倒的だ。調査すると議員同士で討論する機会などない、と答える議会が8割を超える

のには驚く。58頁・


・地方自治とは?58頁・


59頁・ここで、住民の、住民のための政治、つまり地方民主主義について「地方議会」に争点を当て、地方自治との関わりの中でその役割、仕組み、活動の実態、課題など基本的な条項を述べておこう。


地方議員、地方議会の活動の足場となる器が地方自治体である。公選首長と対置するもう一つの政治機関が地方議会であり、その構成メンバーが地方議員である。しからば、そもそもそこで言う、地方自治の「自治」とは何だろうか。「自治」とは、文字通り、自ら治める事をさす。人と人との関係で言うなら、自分が主体として対人関係を自主的に処理する事であり、そこで主体が備えるべき能力は自己決定、自己責任、自己負担の能力である。


これを地域におきかえると、一定の地域の住民がその地域の住民がその地域の公共的なことがらを自主的に決定・処理する事、それに要する費用は自ら負担し、結果についての責任も自ら負う事、これが「地方自治」である。つまり地方自治は地域の公共的なことがらを解決する政治・行政の営みが自己決定・自己責任・自己負担の三大原則で行われる事を意味する。リンカーンが民主主義の原理として述べた「人民の、人民による、人民のための政治」という統治原理が地方自治の原理を指すと言っても差し支えない。


地方自治とは住民生活に関わる地域の公共的なことがらについて、その地域に住む人々が、自らの参加によって、自らのためにそのあり方を決定し、結果について責任を負う事。59頁・


60頁・16/4/28 8時31分・それが成立するには、団体自治と住民自治の2つの条件が満たされていなければならない。

憲法92条に「地方自治の本旨」がこれをさすが、議会はその2つの自治の条件を満たすために置かれた政治機関である。その構成メンバーが住民から選ばれた代表「議員」である。万機公論に決すべし、世論にもとづき「議論する場」が議会である。60頁・


平成28年4月28日 木曜日

ここまで 


 


 


第2章 地方民主主義と地方議員・48頁・


・地方議会が政治の停滞を招く・48頁・


地方議会の問題指摘に入るが、私たち住民、有権者は議会の存在をどこまで意識して生活しているだろうか。日常、地元議員、地元議会の存在はどれくらい意識されているだろうか。

市長や知事などの首長の動静は地元紙などの取材対象になる。また諸行事でも首長の動静を見る事は多い。しかし、これが地方議会や地方議員の動きとなるとほとんど取材対象から外れ、報道もされない。そうした事があってか、住民は議会の存在を意識しない。結果的に、住民にとって議員より頼りになる存在は首長だとなってしまう。


特に日本の場合、自治制度が議院内閣制でないため、議員の選挙と首長の選抜が連動していない。議員の誰かが当選後、首長になるわけでもないから、選挙自体、首長選挙は注目されても地方議員選挙はあまり注目されない。48頁・


49頁・そして注目されないにもかかわらず、地方議会は条例、予算、主要な契約など自治体の基本的な経営にかかわる事項の議決機関、つまり最高の決定者なのである。

大阪都構想の推進などを見ると、推進派の維新勢力が市議会でも府議会でも過半数を確保していないので、なかなか前に進まない。提案しては否決、提案してはまた否決の連続となる。ここ数年間の大阪都構想をめぐる府・市議会はそうだった。

二元代表制でも本来は議会が政治的な決定の主役のはずである。もとより、現在の地方議会サイドにも、様々な問題がある。例えば、首長を多くの会派(政党)で支持する「オール与党化」が進み、執行機関に対する監視が不十分になっている。

予算、条例などもほとんどが無修正で議決される。首長の提案を追認する機関といった感じだ。一方では、一部の自治体ではあるが、首長と議会の対立が先鋭化していたところもある。あるいは「会派あって議会なし」とも言われるように、議会内の政党対立が激しく、まっとうな議論が行われないところもある。名古屋市、大阪市など抱える政治的内紛がそれである。

議会内の利害が一致しない問題になると、議員同士も激しく対立する。定数削減や報酬減額、選挙区見直しがテーマになると紛糾し、まとまらない。

住民との直接対話の機会が少なく、議会報告も民意の首上げも極めて不十分である。49頁・


50頁・16/4/27 15時55分・議会の存在感が希薄で、首長の言動、動静には注目するが、議会、議員の動きにはほとんど住民の目が向かない。地方議会をめぐる問題は山積である。


・地方議員の仕事・50頁・


では、地方議員の仕事はどんなものか。地方議員のメインの仕事は「議会での活動」だ。基本的に住民はその議会活動にかかわる労働、成果に対して労働報酬を支払っているのである。ところが、人前で演説したり、チラシを配ったりする、一見ずつあいさつ回りをする、祭りや地域のイベント、行事に顔を出す。確かに日常的に必要な活動ではあるが、こういった仕事がメインになってしまっていないか。


一人一人の議員に支払われる労働報酬、それが議員報酬である。これを本人対代理人という関係で説明するなら、本人である住民の代理人(議員)として、議員には公共の意志決定にかかわる信託された仕事をきちっと果たす。その労働の成果に対して、幾らいくらと支払われるのが報酬である。


この点が忘れられていないかどうか。もちろん、成果の大きさに見合った額であるべきだ。しかし、議員の労働が見えない事もあって、総じて議員報酬は高すぎると批判される。ただ、議員からは、特に小規模な市町村の議員からは、月額20万円、30万円といった報酬ではなり手がない、人材のリクルートは先細りだという声を聞く。50頁・


51頁・16/4/27 16時9分・報酬問題を第3章で扱うが、住民から見た議員報酬と議員から見た議員報酬とでは認識が大きなギャップがある。

住民の多くのコンセンサスがあれば、議員報酬に対する批判も出なくなろうが、その点について、今十分なコンセンサスが取れていない自治体が多い。


地方議員のメインの仕事が議会活動だとして、その主なものは何か。(1)住民の代表として予算を審議し決定する事、(2)条例などの法的ルールを作成する事、(3)首長ら執行部に対し「一般質問」の場などを通じて批判、追求、提案などを行う事、さらに(4)議会の様子や争点について住民に報告、説明を行い、意見を集約してくる事、である。


それがうまくできているかどうか。話として単純な事だが、どうも実際は余りよい評価は聞かない。威張っている。人の意見を聞かない、選挙の時だけ熱心だが、当選した後は顔すら見せた事がない。と言った世評が付きまとう。もちろん、それに対する議員の反論を聞く機会がないのも、住民サイドの不信、不満を増幅してしまう要因かもしれない。だが、根はもっと深いところにあるのではないか。


議会がうまく機能しないのは、首長主導で議長には招集権がない、立法活動を支えるスタッフの数が不十分である、議会活動にかかわる予算すら議会自身が決める事ができない、議員の出張命令、出張旅費の支給まで全ての執行権が首長に集中している、と言った議会に関わる「制度」面に不備があるからかもしれない。51頁・


52頁・平成二十八年四月二十七日・仮に制度はよくできていても、それを使いこなす「運用」面に問題はないだろうか。さらに、制度を運用する議員の「意識」面に問題はないだろうか。議員の問題、議会の問題は、本来、「制度」「意識」の三位一体で捉えなければ本質に迫れない


・議会活動への鋭い指標・52・


地方議会の活動について、筆者がよく受ける質問をまとめておこう。


(1)  なぜ、議会は与党、野党の意識を持って対応するのか(会派単位の議員対首長)

(2)なぜ、政策・立法活動を首長のみに頼るのか(極端な首長依存、議員力、議会力の低下)

(3)なぜ、オール与党化して監視統制機能を自ら機能不全にするのか(首長の翼賛議会化)

(4)なぜ、執行機関の監査委員、各種審議会委員などを兼ねるのか(チェック機能の弱体化)

(5)なぜ、質問の事前通行をし、答弁を事前にすりあわせるのか(議員同士が議論しない)

(6)なぜ、議会は住民報告会や意見集約の機会を持たないのか(首長が遙かに先行)この項目について、いくつかに絞って説明していこう。まず、(1)に関わる点。そもそも首長を議会が選ぶ議院内閣制ではないので、議会内に与党、野党という勢力分野が存在するはずはない。であるが、日本の場合、政治の学習の機会はテレビ等に映し出される議院内閣制下の国会の動きしかない。52頁・


53頁・16/4/27 17時2分・それを見て、ある政党が内閣を支持する勢力として与党の行動を取っていれば、地方議会の類似の政党に近い議員も与党的な行動に出るのが正しいと理解してしまう。


(2)  については、議員力、議会力が低いと言えばそれまでだが、長らく機関委任事務制度化にあった日本の地方自治は、大臣・知事・市町村長という執行ラインを重視する仕組みにあったので、首長に委任された多くの機関委任事務について議員が関与する機会はなかった。


都道府県、市町村とも8割近くを占めた国の機関委任事務について、議会には審議権もなければそれに関わる条例制定権、予算の減額修正権もなかった。こうした中央集権時代の地方自治体の置かれた環境のもと、長い間、提案は首長のみが行うものだ、と言う慣行が身についてしまった結果ではないか。それに変え、議員立法を増やす、議員が提案するのが仕事だと言われても、すぐにそうした動きはできない。


議員選挙の時はあれだけ「公約」を並べ、約束して当選したはずなのに、実際の活動を見ていると政策・立法活動は首長のみに頼っている。民意の反映と言っても、実際は首長から出てくる案を待ち、それを審議しているに過ぎないのではないか。住民サイドからこの疑問は未だ消えない。53頁・


・オール与党か現象54頁・


16/4/27 17時14分・

(1)  のオール与党化については後にも触れるが、地元の要求などを予算化するのに有利だから首長の支持勢力に加わり、首長にすり寄る事になる。オール与党化することで批判機能は弱まる。多くの議員が首長にすり寄る行動を取る事で、二元代表制の議会は批判機能、提案機能など自らの機能を放棄している事になる。

さらに、(5)と関わるが、議会は昔の「学芸会」に近い行動に見える事。なぜ、議員は自分が議場で質問する事を事前に執行部に伝え、首長や部課長の当日に答弁について事前にすりあわせるのか。お互いに紙に書いた文章を読みあっているだけで、傍聴していてもつまらない。なぜ、議員同士が闊達な議論をしないのか。

また(6)の住民に報告もしない、意見も聞かない点だが、時々、「議会便り」問う冊子個別に配布されるので議員は議会の様子を報告していると思っているかもしれない。


しかし、その冊子を見ると、一般質問をしている議員の顔が大写しになったものに過ぎず、議員のPR誌に見える。だからあまり読まない。首長と違い、議会に住民報告会や意見を聞く機会を持たない。自分たちは住民から白紙委任されていると思っているからではないか。54頁・


55頁・平成28年4月28日 木曜日・このように議会そのものの活動に疑問、批判の声が強い。報酬、定数、金の使い方オール与党化などの問題が折り重なって、議会不信が深まっていると見てよかろう。55頁・


・なぜ首長優位か・55頁・


日本の自治制度は首長、議員とも別々に選挙される。この二元代表制は、議会と首長に対し、互いは対等であり、それぞれ住民を代表する政治機関として民意の反映を競い合う関係を求めている。しかし現実は「首長優位体制」と言われて久しい。首長選挙でどの候補、どの勢力に加わるかでその後の議会行動が決まってしまう。つまり支持した首長が当選すると、自動的に、それを推した勢力は与党として活動する事になる。


全く別々に選挙されながら、首長選挙で議員があたかも住民の政治代表であるかのごとく振る舞って、その後の議会活動の帰趨を決めてしまう。そうなるなら、議会の自殺行動と言えないか。


確かに、首長側につくと、予算編成や条例案の取り扱い、あるいは出身地域(地元)に有利な扱いを受ける機会に恵まれるかもしれない。そこから与党化する議員心理もわからないわけではない。

しかしそれでは、議院内閣制ならともかく、機関対立を原則とする大統領制を採用している日本の自治制度は機能しなくなる。議員の政治的欲望を前提として活動を組み立ててはならない。55頁・


56頁・16/4/28 5時42分


・この制度のもとでどうプレーすべきか、よく考えなければならない。

「首長優位」とは議会より首長が優位であるという事。議会は戦前の諮問機関の地位を抜け出ていないのではと言う見方もある。なぜ首長優位と言われるのか、そこには議会だけを攻められない構造的なその理由もある。今一度整理しておく。

1・議会に対する議案の提出がほとんど首長の独占であり、議会の政策形成への影響力が相対として小さい。

2・予算を伴う提案が首長の専権事項規定され、それに関する議会の減額修正はできず、増額修正のみに限定されている。それも財源が限られ、事実上増額はできない。

3・これまで自治体事務の8割近くを占めてきた国の機関委任事務について、議会には執行機関への質問権、調査権のみしかなく、その内容の是非を問う事ができない。

2,000年4月以降はこの機関委任事務制度が全廃されており、3・は当たらない。であるが、議会が首長の提案に受け身である姿に変わりはない。日本の地方議会は予算に対する関与が著しく制約されており、この点から首長優位を決定づけている理由かもしれない。56頁・


 


 

 


・ゼロ評議員、ゼロ票議会・


そこで問いたい。果たして、1票の票も得ていない人を当選者として議員に認定する制度だが、代議制民主主義のルールとして許されるのか。もともと無投票当選は選挙管理上、便宜的に例外として認められた制度だったはず。これが一般化している今、民主主義を標榜する国には、この事態を世界にどう説明するのだろうか。


放置するなら、こうしたゼロ議員、ゼロ票議会はこの先人口減少とともに確実に増えていこう。今の流れだと、2,019年、さらに2,023年の統一地方選は、半数の地方議員、半数の地方議会を「ゼロ票」が占めるのではないか。41頁。


42頁・16/4/27 7時56分・政治的正当性なき議会が誕生し、地方政治の空洞化が進行するようでは、この国は本当に民主主義の国とは言えまい。


私たちは教室で、「地方自治は民主主義の学校である」と教わる。現実は民主主義の学校どころか、全く住民を代表していない人たちが「代表の仮面」をつけ「みなし議員」として自治体の意志決定をしている事になる。

戦後70年、草の根民主主義が根付いているか疑わしい。それは、(1)議員の待遇が低すぎて間尺に合わない、(2)会社勤めなどをしていたら立候補自体できない、(3)男社会の議会に女性が議員として入っていく事は難しい、(4)若年中年世代にとって、4年ごとに落選のリスクを負う議員の仕事は生涯設計の視野から外れてしまう、などさまざまな理由が折り重なっている。ただ、地方民主主義のシステムを考えると、これを放置し批判だけしていても事態は好転せず、悪化の一途をたどるだけだ。42頁・


・サラリーマン、女性が議員比率が低すぎる・43頁・


16/4/27 8時24分・


折しも、戦後、普通選挙が実現して以来初めて有権者の資格が見直され、2,016年6月19日より18歳以上の若者も選挙に参加できるようになる。世界標準からすれば遅すぎた改革ではあるが、選挙年齢の引き下げ自体は評価されてよい。ただ、こうして240万人の有権者(若者)が新たに加わる事で政治は変わるのか。立候補者が増え投票率が上がり、政策論争が活発になるのか。高校生、大学生に対する政治教育より充実させれば変わると主張する学者、評論家もいるかどうか。

それだけでは変わらない。そもそも就業人口の8割以上がサラリーマンである社会にもかかわらず、サラリーマンが会社勤めをしながら議員をやれる仕組みにはなっていない。43頁・

44頁・16/4/27 8時40分・立候補可能な候補者の母集団が事実上非常に小さいという構造的な問題を放置したまま、なり手がない状況を嘆いても解決にはならない。抜本的な選挙制度改革、労働法制改革なくして、なり手を増やす事はできない。多用な人材を集めて地方政治の活性化などできないと思う。


また生活者の半分に以上女性なのに、女性の議員が極端に少ないのが日本。国会議員でも諸外国に比べ日本の比率は極端に低く、スウェーデンが45%、ドイツ32・8%、アメリカが18・9%なのに対し日本は11・3%である。地方議員もその割合は似ている。諸外国との比較データはないが、日本の地方議員の男女比には少しずつだが変化が出ている。

約40年前は各議会とも1~2%に過ぎなかったものが、2,015年時点では特別区の議会で26・2%、市議会で13・2%、都道府県議会、町村議会で8・9%、地方議員の全体で見ると11・7%となっている。もちろん増えたとはいっても10人に1人しか女性議員がいないというのが日本の現状だ。


女性議員の少ない理由は、(1)子育てや仕事をしながらの議員活動はむずかしい、(2)そもそも女性が議員に立候補する社会風土がない(3)男社会の議会に女性議員を受け入れる風土がない、などが考えられる。44頁・


45頁・16/4/27 9時4分・これをそのままにして、「生活者の半分以上は女性なのだから、女性議員を大いに増やすべきだ」と叫んでいるだけでは、女性議員が増える状態とはなるまい。何らかの方策を講じなければならない。この点は後で述べる。45頁・


・議員定数は戦前の遺物・


45頁・平成28年4月27日 水曜日・

一方、無投票になるものは、元元議員定数が適切ではないため、と言う見方もある。議員定数を減らしてでも、無投票当選を避けるべきという考え方は間違っていない。

ただ、そもそも議員定数の根拠がはっきりしない。日本の地方議会の定数は、何を根拠にすればよいのかという点は、実はほとんど議論されないままだ。その出生の秘密は明治半ばの市会、町会、村会といった時代に遡る。戦前の地方議会と戦後の地方議会は性格が違ったのか、定数などの制度は戦前から連続している。

定数が決まったのは市会が1,888年、府県会が1,890年だが、当時、議員の定数はプロシア(ドイツ)の議員定数を参考に人口規模の類似性を見ながら、当時の村会、町会、市会、県会で議員数を決めていた。戦後はそれを法律で追認して法定化し、長らく使ってきただけである。つまり日本では「そもそも議員は何名必要か」という根本的な議論は行われていない。45頁・


46頁・平成28年4月27日 水曜日・地方議員の定数は1,999年、上限を定めた法廷定数に変わり、2,011年からはそれも廃止されている。自らの事は自ら決める事、と言う自治の原則に沿って各自治体が自由に決められるようになった。


しかし、我が地域にふさわしい代表(議員)の数は何名かという「そもそも論」のない空理空論が飛び交かようばかり。少なくとも戦後70年、法律を根拠に定数の議論を避けてきた日本の地方議会では改めて説明のつく原理をつくらなければならないだろう。

ちなみに、地方議員の報酬、払い方についても、戦後の法律は何も規定しなかった。

各地の議会はそれぞれ条例で報酬を決め、払い方を決めた。結果、本来、日当なのにそれが月払い制となり(月給のように見える)、近隣地域との横並びの支給額となっていく。議員報酬は給与ではなく、地方議員という非常勤の特別職公務員に与える日当なのに。各地域とも月払い制を条例化した事もあり、しかも、いつの間にかボーナスも出るようになり、これは「月給(給与)だ」と錯覚するようになった。実際聞いてみると議員報酬を月給だと思っている人が、議員にも住民にも多いのに驚く。46頁・


・定数・報酬・カネ・46頁・


16/4/27 12時40分・

様々な年代層、そして女性をどんどん議員になって欲しい。だから、批判さらされ続け、議員のなり手が亡くなっていく地方政治に活力を呼び戻し、本当の意味で草の根民主主義が根付く国にして行くにはどうすればよいか、そこを問題にしている。46頁・


47頁・

巷間いわれるのが、議員定数が多いという話。また議員報酬が高いという話。いずれも住民側から出てくる話で政治不信の根にある問題だ。だが、議員側からすると、むしろ報酬は低すぎる、だから後継のなり手すら減り続けているという理由づけが行われる。


議員立法、条例提案が少ないともいわれる。だが、立法活動に素人の議員集団において、立法、政策スタッフはいない、議会事務局の職員も数人で、どうして条例提案などできよう。所詮それは無理な話、という反論が議員から出る。


もちろん、選挙が怖い議員達は、正面切って議員報酬が低い、スタッフがいないとは主張しない。結局、定数も、報酬も、条例提案も身内の議員の中だけで、「そうはいってもなあ~」とつぶやいて終わってしまう。要するに、基本的な問題を表に出してホンネで議論する風土にないのが、日本の地方政治を巡る現状だ。議員にとっては見ざる言わざる聞かざるになるし、住民からすると「言っても無駄」と無関心を装う事になってしまう。これが政治不信を増幅させる負のスパイラルだ。この状態を何とか打開しなければならない。47頁・


第1章終わり・平成28年4月27日 水曜日

 

ここまで・


2016年4月26日 (火)

・ 地方議員の逆襲佐々木 信夫【著】 第1章 なぜ、地方議員が問題なのか・ ・千代田区議会が画策した政活費のすり替え・29頁・・無風土壌が生む・「劣化現象」・31頁・ ・住民の監視の目がない・32頁・・競争なき選挙で悪貨は良貨を駆逐する・33頁・・議員という仕事に魅力とやりがいがない・35頁・・投票率は右肩下がり・37頁・

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2016/04/29-095e.html

14:26 2016/04/26


2016年4月26日 (火)・ 地方議員の逆襲佐々木 信夫【著】 第1章 なぜ、地方議員が問題なのか・17頁・・地方分権が始まったのに・19頁・・草の根が枯れる・21頁・これが政務活動費の使い方か・24頁・

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2016/04/17-168f.html

9:09 2016/04/26


2016年3月27日 (日)2016年までのブログページをいれて索引・0:28 2016/04/15

http://amamioosoma.synapse-blog.jp/yosiharu/2016/03/post-af38.html

4/20/2016


2016年4月22日 (金)ノーマライゼーションが生まれた国・デンマーク・第5章・大胆なエネルギー政策と環境保護・55頁・平成28年4月22日 57頁・・・この再生可能エネルギーを積極的に導入し・58頁・・地球温暖化防止への挑戦・・無限の資源、風をエネルギーに・59頁・

http://amamioosoma.synapse-blog.jp/yosiharu/2016/04/55528422-341f.html

10:55 2016/04/22 



第7章・社会を変える女性の力・89頁・平成28年4月20日

2016年4月20日 (水)ノーマライゼーションが生まれた国・デンマーク・第7章・社会を変える女性の力・89頁・・政策実行に大きな指導力を発揮する大臣ポストのわりあい(41%)を見ると、デンマークは他の先進諸国の中でもぬきんでている。デンマーク以外の北欧諸国も同じように高い割合を維持しているが、この数字と民主主義の発展の度合いは比例している。94頁・

15:03 2016/04/20

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2016/04/789-7ab5.html

8:03 2016/04/20


2016年4月20日 (水)ノーマライゼーションが生まれた国・デンマーク・第7章・社会を変える女性の力・89頁・・政策実行に大きな指導力を発揮する大臣ポストのわりあい(41%)を見ると、デンマークは他の先進諸国の中でもぬきんでている。デンマーク以外の北欧諸国も同じように高い割合を維持しているが、この数字と民主主義の発展の度合いは比例している。94頁・

15:03 2016/04/20


 

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2016/04/789-7ab5.html

8:03 2016/04/20



http://amamioosoma.synapse-blog.jp/yosiharu/2016/04/19805828415-01a3.html

16:33 2016/04/19


 

奄美振興の悲劇・地元民の思考は入れられない・官僚の考えが決定?!

田雲川・古代より橋はかからない・奄美市名瀬崎原田雲・奄美振興事業・鹿児島県離島振興課が戦後橋と道路のネットーワークを怠ってきた、日本国税を2兆円以上無駄に使われてきた、この地点は奄美大島の真ん中これが切れているために・奄美群島の経済効果は、計り知れない・民主主義国家では・国民主権者に決定権があります。

http://amamioosoma.synapse-blog.jp/yosiharu/2016/03/post-9f8f.html

7:47 2016/03/11平成28年4月19日



・千代田区議会が画策した政活費のすり替え・29頁・


政務活動費の使い方が問題視される中、返還とは別に、それをかわそうとする動きも出ている。本筋の動きかどうか、考えていただきたい。


東京都千代田区では議員の政務活動費月額15万円に減額し、残る10万円を議員報酬に上乗せする案が2,015年に「区議の待遇を検討する審議会」で了承された。2,016年初めに区長に答申、議会が条例案を可決すれば4月から実施される、と言う流れだった。「全国的に政務活動費への厳しい報道があり、議員に必要な費用であるにもかかわらず、実際は縛りがきつく使えない恐れがある」「3分の2は個人の活動に使われているのだから、それなら報酬に10万円くむべきだ」と言う理由がつけられている。

千代田区議は、この改正案が実施されれば、議員報酬は71万6,000円・月、政活費5万円・月となる。29頁・


30頁・16/4/26 13時53分・一見、議員の待遇に変化がないように見えるが、基本給が上がることは年間2回のボーナスにも反映され、年報で140万円近くアップする。

東京23区の区議はどこでも年収1,000万円以上が相場となっており、これまでのトップが江戸川区(62万1,000円)で千代田区は第4位だったが、この措置によりトップに躍りでる。


こんな改革という名の「我田引水」に、世論は黙っておらず、千代田区長はこの議案提出をとりあえず見送った(2,016年1月時点)。


これを見ても地方議員対は政務活動費が公金である税金から支払われているという感覚が麻痺しているのではないか。税金である以上、住民から使途を厳しく監視されるのは当然であり、それに対してきちっとした説明をするのが義務である。その説明ができないような金の使い方は、政治不信を高める行為以外の何ものでもない。繰り返すが政務活動費は本来、行政の機能チェックする議会の調査費用であり、議員立法のための調査費である。


その調査のための経費を、議員報酬に組み入れるのは、議会の自殺行為以外の何ものでもない。使途を精査し透明性を高め有効に使う湯にするにはどうすべきか。これを考えている最中の千代田区のやり方は、どんな理屈をつけようとも、住民の理解は得られないだろう。それでもこの先、区議会の多数決で、いつの間にか成立する可能性がないとは言えない。30頁・


31頁・16/4/26 14時18分・

地方民主主義の悪用ではないか。こんなことが、日本の中心とも思われる自治体で起きている。


・無風土壌が生む・「劣化現象」・31頁・


地方議員の金の問題をどう解決するか、改革試案については後ほど詳しく述べることにして、地方議員に不祥事議員が目立つ背景に話をいったん戻そう。

不祥事を起こす資質を持った人は、この世に一定の割合で存在するのは事実。議員に限らず、日常の事件性のあるニュースの報道を見ると、次から次と悪事は生まれてくる。


だが、問題は選挙に立候補した住民から選ばれ、住民の代表として公費で雇われ、公金の使い方や政策のあり方、ルール(条例など)のあり方について決定権を与えられている「公選職」の特別職公務員(地方議員)の地位にある者の行為だ。ごく証するという比率云々以前に不祥事を起こすこと自体が問題なのである。政治エリート(大衆から選ばれた選良)は世に模範を示す立場にある。国会議員にも目に余る者が一定数いる。


どうすれば、こうした人たちが選挙で通ることを排除できるのか。選挙に対する関心が下がっている裏側でこうした人材が選ばれているとこを有権者は直視しなければならない。私たち有権者は政治リーダーの質の極端な低下を深刻な事態と受け止め、その防止策を真剣に考えなければならない。31頁・


32頁・平成28年4月26日 火曜日・もちろん、以前から不祥事を起こす議員はおり、急に増えた訳ではないという見方もある。政務活動費の問題やヤジの問題などは、ルールが明確化されつつある中で、問題が「表面化「下だけだという見方もできなくはない。議員といえども一般人なので、特別視する必要はないという見方すらある。とはいえ、ああそうですか、と認めるわけにはいかない。公職に地位は重い。不祥事議員続出の要因は何か、以下の3つの点を上げておこう。32頁・


・住民の監視の目がない・32頁・


第一に、地方議員の日常が住民の意識から抜け落ちている、監視されていない存在になっているのではないかという点だ。同じ選挙で選ばれた市町村長や知事に比べ、マスコミを含め、公選議員が監視の対象になっていないのではないか。議員バッジを外していれば何をやっても顔はわからないだろうという気になる。

議員の日常生活の「透明性」が全く欠けており、公選職でも日常は「ただの人」扱いなのだ。これを改める方法は本人の自覚以外に難しいが、議員にも公務日程などの活動予定と結果報告をネット上で公開することを義務づけてはどうか。少しは住民の目に触れる機会が増えるのではないか。32頁・


16/4/26 15時24分・


・競争なき選挙で悪貨は良貨を駆逐する・33頁・


第二の点は、競争性の低下である。経済学に「悪貨は良貨を駆逐する」問いグレシャムの法則がある。選挙が無風化しており、「競争なきところに質の向上なし」の原則が働き、どんどん質の悪い議員が当選しやすくなっている。


立候補者が激減し、低投票率と無投票当選の激増、無風選挙の状態か、そして現職の議席が固定し既得権化していることなどから、いきおい議員は「たるみ」、「悪貨」が混じり込んでしまう。議員のポストに就くのに、特別な資格が必要でも、特別な資格試験があるわけでもない。要は選挙に通るだけだ。


ある大学の研究者らが「議員力検定」という公務員試験に近い能力テストを行っている。それをやらざるを得ないほど、議員の知識水準に疑いが持たれている。もちろん、同検定の意図は、議員のレベルアップを狙った研修効果、学習効果の向上で議員力を高めようという点にあるし、その試みは評価されてよい。ただ、その検定の3級、2級、1級に挑戦するほどの議員は、もともとこうした不祥事を起こすことと縁遠い人が多かろう。問題は各種研修会にも出てこない。こうした実力検定を受けようなどと思わない人の中に「悪貨」が混じっていることだ。


「勝てば官軍」、獲得票数がすべてというのが選挙だ。この椅子取りゲームに長けている人が、必ずしも知識水準が高く、政治家に向いたタイプであるかどうかはわからない。33頁・


34頁・16/4/26 15時45分・竹下登氏(衆議院14回当選)が首相の時、政治家と学校の成績はリンケージしなという話をしていた。国家公務員の上級職合格者である各省にキャリア官僚として採用された新人を前に、研修会で竹下元首相はこういったのを筆者も聞いたことがある。


「君たちは秀才中の秀才、大学等の試験で勝ち抜いてきたエリートだ。私は違う試験を通り続けてきた。選挙という別な試験だ。君たちのように学校秀才ではないが、社会人秀才と言えば言えそうな別な能力を磨いてきた」

なかなか面白いことを言うな、的を得た話だなと感心したものだ。

リーダシップとか人を引き付ける魅力とか、巧みな話術とか、何らかのカリスマ性と言った、政治家に必要な要素は試験勉強で培われる者ではなかろう。むしろ選挙戦を勝ち抜くことで、今述べた政治家の資質がはぐくまれる面があろう。ただ、それすら無投票とか無風選挙となると、そういった政治家の資質を選別する機能が働かなくなる。

地方選に限らず、国政選挙でも定数の中に入れる得票数を確保すれば、議員になれるわけだから、どんな資質の持ち主かを問う仕組みにはない。実際の地方の選挙を見てみると、定数20に対し21名の立候補者などの形が常態化している無風選挙では誰が「ババをつかむか論」が横行している。34頁・


35頁・平成28年4月26日 火曜日・まして無投票当選が増大する中では、手を挙げさえすれば当選できるわけで、議員になる資質などノーチェックになってしまう。筆者は無投票当選という、政治的正当性のない選挙制度はやめるべきだと考えている。再選挙を行うなど、必ず競争原理を働かせるようにしなければ、この問題は解決しない。


・議員という仕事に魅力とやりがいがない・35頁・


第三は、議員という仕事の魅力ややりがいが低下しているのではないか、と言う点だ。

なぜ、地方議員のなり手が減っていくのか。それには議員という仕事に対する魅力の低下も要因にあるのではないか。ここで言う「魅力」は報酬の話に限定するものではない。実は多くの先進国では議員報酬と言うより、議員手当に近い実費程度の待遇に止まるところが多い。

それでも議員のなり手はいる。それに比べると日本の場合、議員報酬が「収入源」として当てにできるほど高い。すると、それを当てに議員業を営む「政治や」が跋扈することになりかけない。それでも議員に手を挙げる人は少ない。


無投票当選が起きそうな現場を見ていたことがある。25の定数に告知日の朝8時半から受付が始まり、夕方4時になっても24名しか立候補届を出していない状況になる。すると用意しておいた書類を急きょ書き込み、供託金(たとえば30万円)を準備し、市役所の選挙管理委員会に駆け込む人間が現れるのだ。35頁・


36頁・平成28年4月26日 火曜日・供託金を没収されたくないから最後まで様子を見て、夕方5時少し前に駆け込む。こうした姑息な人でも、届け出の締め切りと同時に「当選」が決まるという悪知恵である。

その結果、およそ4年間議員を続けられる資質などないと思われる人でも、バッジを手に入れ、議員としてその後振る舞う事になる。


こうした人たちが入ってくるようになると、努力して支持基盤を形成し、議員立法などの成立に尽力してきた他の議員らは、その人達の振る舞いにあきれ、議会の風紀を含め、レベルの低下、地方議員という地位の低下を嘆く事にもなる。


もちろん、議員の魅力の低下はもっと直裁的な点にもあろう。日本の場合、アメリカの大都市で使われている二元代表制(首長と議員は全く別ルートで選ばれ、議員が首長を務める事などない仕組み)が大、中、小の規模にかかわらず、都市部、農村部の区別なく、一律に適用されている。そこでの議員は、カナダやイギリスのように執行機関の長に指名される事もなければ、執行部の要職に就く事もない。


他のヨーロッパ諸国のように、議長ないし議会代表が首長を兼ねるといった機会にも恵まれない。いわゆる議員は個人として腕を振るうちゃんぅの少ない制度となっている。


首長就任を望むなら、議員を辞職し、首長選挙を制してその地位に就くしかない。つまり執行機関の代表ないし主要メンバーなる機会がゼロ、これが日本の二元現代表制だ。56頁・


57頁・だから、当選回数を重ねた実力が付いてきたも、議員は議員、広く執行権を持つ執行機関を監視するなどの役割に限定されてしまう。

よく腕の見せ所のない点を嘆く議員と接する事がある。だから見ていると、嫌疑などの当選回数が多い人、議長を経験した人、議会内のポストのない人などは、地元の支庁、町長など首長選に出ようとする。事実、市長の供給源で一番多いのが県議だ(東京の区長も都議出身者が多い)。


つまり執行権を持って仕事をしたいというのが、公選職の潜在的な欲求である。こうした執行権力にありつく事のない、広く言うと野党議員的な一生を送れという仕組みから、新人だけでなく、ベテラン議員にも魅力が薄れ「たるみ」が出る。


こうして不祥事が増える土壌が形成されていく。諸要因が複合し地方民主主義のリーダー層に質の低下、劣化を招く、「負のスパイラル」が働いている。37頁・


投票率は右肩下がり・37頁・


地方議員になりたい人が増えれば、選挙戦を手始めに切磋琢磨して、議員の質は上がるはずである。しかし、現実は選挙の回を重ねるたびに投票率は低下の流れにある。

戦後70年4月の第二2曜日、区市町村のそれが第4日曜と分かれて行われた。37頁・


38頁・16/4/26 16時54分・ここでの藤一地方選の特徴を総括すると、(1)投票率の低下、(2)無投票当選の急増、無風選挙の蔓延にあろう。

まず、投票率の推移を戦後の第1回の統一地方選から今回の第18回まで見ておこう。

地方自治体の首長も地方議員も4年ごとに選挙が行われている。新憲法によって新たに制度化された戦後地方自治制度において、1,947年4月に初めての都道府県、市町村の首長、議会議員選挙が行われた。上のグラフを見ると一目瞭然だが、1,955年以来、統一地方選の投票率はおおむね右肩下がりである事がわかる。

地方議員選に限ってみると、都道府県の場合、1951年の82・99%が一番高く、2,011年の選挙で48・15%と50%を切って以後、最新の選挙で45・05%と戦後最低になっている。38頁・


39頁・16/4/27 4時35分・また、市区町村の場合、1,951年の91・02%が一番高く、やはり2,011年に50%を割り込み、2,015年の統一地方選で47・33%とやはり戦後最低を記録している。


現在の半分の有権者が投票に行かない、この状況をどう見るか。いっても行かなくても政治は変わらない、魅力ある候補者が出てこない、選挙戦が無風状態だ、などが有権者が投票に行かない主な理由だろう。地理的には総じて農村部は投票率が高く、都市部は低い傾向にある。人口減少の中でも今後都市部人口は増え続けると見られる。つまり都市部人口が増えれば増えるほど、この先も日本全体の地方選投票率は下がっていくのではないだろうか。39頁・


・無投票当選の急増・40頁・


16/4/27 4時42分・

投票率の問題以上に、気になるのが無投票当選が増えている事。第18回統一地方選挙全体の無投票当選率は議員達に限っても戦後一番高い。町村議員選で21・8%、都道府県議選で21・9%である。町長選は4割近くが無投票当選。市議選でも3・6%、政令都市議員選で1・7%である。

投票率の低下と無投票当選の急増、さらに事実上競争のない無風選挙の蔓延は相互に連関し負のスパイラスを生んでいる。


無投票当選の問題は、(1)当選というそれ自体に政治的正当性を認められない、(2)有権者の政策選択の機会を奪う、と言う事である。


無投票当選を許す選挙制度は正しいのか。無投票当選が増えている実態を見るために、まず基本的に選挙をする意味、当選する意味を考えてみる必要がある。


「選挙をする意味は、権力行使の免許状を4年毎に書き換えるためと言ってよい。選挙と選挙の間に住民の代表として著しい落ち度があったときは免許状の取り消しも行う」。


現職を落選させる機会でもある。これが選挙だ。新人を含め選挙で選ばれた代表の地位に就くという事は、自治体の意志を公式に決定できる権限を持つという事だ。選挙を通じて民意の審判を受けてこそ、代表者であると見なされる。この「みなす」とは「一つの擬制(フィクション)であり、「もともと違う人間が別の人間の意見やりがいを変わって表現する事はできないが、代表という考えは、本来できない事を約束事として、そうみなそうという工夫」のである(大森著「現代日本の地方自治」放送大学教育振興会、1,995年)。40頁・


41頁・16/4/27 5時38分・

その代表の地位を与える選挙は、この擬制を現実に可能にしている「投票箱」にマジックがある。有権者の投ずる1票が「あの何の変哲もない箱を通過すると、神聖な一票に変わる」。投票箱は「民の声」を「天の声」に変えるマジック・ボックスだ。「(民の声という)眼に見えないものを見えるものに変える手続きの一つが選挙」なのである(大森・前掲書)。41頁・


平成28年4月27日 ・


2016年4月26日 (火)

・ 地方議員の逆襲佐々木 信夫【著】 第1章 なぜ、地方議員が問題なのか・17頁・・地方分権が始まったのに・19頁・・草の根が枯れる・21頁・これが政務活動費の使い方か・24頁・

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2016/04/17-168f.html

9:09 2016/04/26 


第1章 なぜ、地方議員が問題なのか・17頁・


平成28年4月26日 火曜日

・地方議員、地方議会への疑問・


私たちは、身の回りにいる「地方議員」について知っているだろうか、残念ながら、意外と知らない人が多い。否、するすべがないというのが正直な話だろう。

たとえ知っていると言っても、多くの人は、地方議員について街中や冠婚葬祭で見かける、「議員バッジをつけた人たち」という程度の感じではないか。実際に、その人達が日常どんな活動をし、議会でどんなことを行っているのか、わからない。

しかも、地元の自治体にはどれくらいの数の議員がいて、どれくらいの報酬が月々支払われているのか。海外と比べて、議員の数は多いのか少ないのか、報酬は高いのか。都道府県の議会と市の議会、町村の議会で、議員のやることは同じなのか違うのか。どんな人が実際に議員になっているのか、そしてなれるのか。いずれも知らない。

そもそも地方議会は公務員なのか、それとも違うのか。公務員だとするなら、なぜ任期があるのか。17頁・


18頁・16/4/26 8時35分・

議員報酬が支払われていると言うが、その「報酬」というのは「給料(与)とは違うのか、同じなのか。

違うとすれば何が違うのか、なぜなのか。その報酬の根拠は何を基礎に算出されているのか。月給なのか、日当なのか、手当なのか。その額は地域よってなぜ違うのか。

国家公務員や地方公務員のように、給料票があって、地域によって大差がないというのが公務員給与だが、議員報酬の場合、そうした給与表に当たるものはあるのか。福島県矢祭町が議員報酬を日当制(日額3万円)にしているが、他はなぜそうしないのか。関心はあっても知るすべがない。そうしたことについて、一度たりとも議員から説明を受けたことはない。こうしたことが実際ではないだろうか。

身の回りを見ると、地方議員を「地域の世話役」くらいにしか見ていない住民が多い。口利き役が議員だと思っている人もいる。ひところ、誰に頼むとどぶ板の修理が早いかと言うところから「どぶ板議員」という表現が流行った、その頃は今と違うのか。もとより、世話役と言っても、実際の住民政活で困ったことがあれば、議員に相談するより役所の窓口に行った方が手っ取り早いと考えている人も少なくない。時には、勢い「地方議会はいらないのでは」といった話まで聞こえてくる。

議員の説明不足やアピールの下手さ、日常活動の怠慢といった点が合わさって、こうした議員像が生まれているように思う。18頁・


19頁・筆者は、選挙で選ばれた公選議員と選んだ住民がこうした関係にあることは不幸だと思っている。少なくとも代議制民主主義を標榜している以上、これを改める必要がある。本来、双方は信頼関係で成り立っている。

いずれが努力すべきか、住民もさることながら、まず議員自身からではないか。


・地方分権が始まったのに・19頁・


16/4/26 9時3分・

身近な議員のことがわからないと言っている間に、代議制民主主義はピンチを迎えている。何しろ、議員のなり手が極端に減ってきているのだ。それは地方民主主義の崩壊の始まりなのか、危惧を覚える。

本来、地方民主主義、小さなデモクラシーの仕組みは、住民が政治に参加し選んだ議員が住民の代表として、金(税金)の使い道、ルール(条例)の制定、主な公共施設の契約の決定までを担う仕組み。その効果がしっかりと住民に戻ってくる仕組みである。

その政治機関が地方議会だ。地方議会は住民の公共生活を預かる自治体の決定者であると同時に、住民に変わって行政活動の執行を監視する、民意を基礎に自ら政策や条例を提案し、さらに結果について住民に報告し意見を募る役割を担う。

こうした決定者、監視者、提案者、収約者という重要な役割を担う政治機関が地方議会である。19頁・


20頁・この機関としての地方議会がうまく機能しているかどうか。

どうも、議会の構成メンバーである地方議員の評判がもう一つ芳しくない。国政を担う国会議員にもいろいろ問題を抱えた議員が少なくない。地方議員だけが問題なのではないが、ただ、私たちの政活に密着した政治の二の担い手が地方議員だけに、そこを問題視したい。地方議員にもさまざまな問題が表出するたびに政治不信が深まってしまうのだ。

もちろん、住民のレベル以上の議員が選ばれることはないというのが政治学の教えるところだから、有権者のレベルはどうかと問われるかもしれない。しかし、公選職の議員は大衆に対し少数の指導者、マスに対してエリートなのだ。

地方分権が進み、地方議員の役割が拡大し、地域のことは地域で決める分権型国家体系に仕組みが変わっているにもかかわらず、政治代表の水準が上がってこない。否、劣化しているという見方すらある。これでよいのか、とてもそうは思えない。

地方分権の改革を進めたことにより、国が決めることより地方が決めることが圧倒的に増えた。地方議会、地方議員がしっかりしないとこの国の政治がおかしくなる。「地方創成」一つとっても地方議会発のメッセージがほとんど伝わってこない。個別の議員に接すると、頑張っている議員、輝いている議員も少なからずいる。ただ組織、機関としての地方議会の活動となると、ボス支配が横行しているのか、旧態依然とした「動かざる山のごとし」の様相も目につく。4年間一度も質問にすら立たない議員が相当いる。20頁・


・草の根が枯れる・21頁・


16/4/26 9時39分・

現在、都道府県、市区町村という地方自治体で約100兆円の金が使われ、私たちの日常の公共サービスを賄っている。何度も繰り返すがその規模は日本の行政全体の約3分の2だ。その使い道の決定者が公選の地方議員で、都道府県、市区町村を併せて約3万3,000余名なのである。

ただ、その選ばれ方を見ると、激しい競争の中で選ばれた議員が多いかと言えば、戦後18回の統一地方選が行われた2,015年の例だと、3割近くは事実上選挙の洗礼を受けない無投票当選者だった。仮面をつけた「見なし当選者」の代表者の割合が3割を占めると言い換えてもよい。

この要因は何なのか。現場に足を運ぶと、議員のなり手がないと嘆く市区町村も少なくない。一度引退した高齢議員を呼び戻して欠員補充をし、何とか再選挙になることを避けた町村も少なくない。

戦後70年、いつの間にか日本は、議会制民主主義の根幹をなす「草の根」が枯れ始めてしまっている。この現実を放置したまま、それぞれの自治体で行政が行われていく。有権者の民意はどこで反映されるのか。21頁・


22頁・16/4/26 9時55分・地方議員の職責の重要性からして、ここは強くモノを申さなければならない。そう考え、あえて筆を執ることにした。22頁・


・こんな非常識がなぜ?・22頁・ 

刑事事件も後を絶たない・23頁・


これが政務活動費の使い方か・24頁・16/4/26 10時4分・

2,000年以前の自治体は国の下請的な存在で、地方議会はその中でチェック機関視されていた。以後、地方分権の時代を迎え「地方議員」「地方議会」の役割は数段高いものが期待されるようになった。自治体の政策決定、立法機関としての役割がそれである。24頁・


25頁・そこで、地方分権改革が本格的か下2,000年に地方自治法(第100条)が改正され、「日本における地方議会の議員が政務調査研究等の活動のために支給される費用」として、国会の立法事務費(1人当たり年780万円を会派単位で渡し、使い道に領収書は必要ない)に準じて、「政務調査費」を条例でもうけるよう市区町村、都道府県の各議会に義務づけられた。

それが2,012年の地方自治法改正(同法第100条14項)で「政務活動費」に変わり、2,013年から実行に移された。従来の政務調査費に「調査研究その他の活動に資するため」という項目が加わった結果、何が起こったか。

かつての政務調査費と異なり、「政務活動費」は、政策立法のための調査研究費としての支出項目に限らず、各自治体は条例により、私設秘書らの人件費、自宅を含む事務所経費、自前の広報誌発行費、交通費など、選挙活動まで含む政治活動すべてに支出ができるように変えたのだ。

地方議員にとって、特に都道府県や政令市など大都市の大きな自治体にとって金額も大きいだけに、使途の拡大は魅力あるものとなったに違いない。

たとえば東京都議会の場合、議員1人当たり月額60万円(年間720万円)。大阪市議会の場合、議員個人なら月額50万円(年間600万円)、会派なら議員1人当たり月額60万円(年間720万円)。名古屋市議会の場合、議員1人当たり月額50万円(年間600万円)が支給されている、と言った具合である。25頁・


26頁・しかし、その使い道がどうもおかしい。中には新年会、忘年会、業界団体の会合への「会費」まで支出を「可」とする議会まで現れた。


たとえば都議会の例。2,014年8月はじめに2,013年度分の都議会の政府活動費として公開された8億4,000万円(議員1人当たり年間720万円)を見ると、当時の新聞報道では各種団体の主催する会合への参加費「会費」が2,023万円も含まれていたとされる。


この大半は新年会費だという。その年の2月に都知事選があっただけに、1月から2月に議員にかけて新年会費が集中てきに使われているようだ。一日に新年会を、数カ所も掛け持ちする議員にとって会費の負担は小さくない。それを政務活動費が肩代わりしてくれるなら、ありがたいというのがホンネだろ。しかし、そうした経費援助のために政務活動費があるわけではない。原資は税金だ


本経費が地方自治法100条に規定されている意味を考えてほしい。「百条調査権」と言われるように、国会の国政調査権と類似の強い権限を与えた地方議会の調査権の一環として政務活動費も100条の中に規定されている。その意味するところを考えるなら、飲食代や事務経費という発想はもともと出てこないはずだ。

マスメディアの報道を通じて知った都民からは、宴会の飲食費用まで都民が払うのかと疑問視する声が上がった。筆者もそれは当然の声だと思う。26頁・


・議員達のための支出基準・27頁・


都議会の例だと、政務活動予算の約95%が使われているが、その使われた8億4,000万円のうち、支出の最も多いのが「広報誌発行費」(約3億1,000万円)、次で雇い上げた職員の給与など「人件費」(約2億8,000万円)で全体の7割を占めている。人件費は個人が特定されるとして、領収書の金額や支払先は黒塗りされている(家族、親戚など身近な者に払っていないか、疑いたくなる処理の仕方だ)(2,013年度の支出例)。


自宅などに電話、FAX、パソコンを置いた部屋をつくり、そこが事務所だと称している者も多い。これを事務所経費だとして支出しており、それも相当額に上がる。

都議会の基準では、会議の弁当代も1人3,000円までは支出可能という。実際、自民党は、議員総会などで計5回、東京銀座の有名なすき焼き点から1コ2,100円の弁当を全議員分購入している。もとより、都議会の例でも全議員、全会派が同じだという訳ではない。弁当代は自民と民主以外は原則自費としている。飲食を伴う会合への支出は、圧倒的に自民が多く、次いで公明。共産はゼロ、民主もほとんどない。と言うのも、会派に所属する議員割りで政務活動費を配分した以後は、会派のルールに従って支出するため、こうした違いが出るのだという。

いずれ、政務活動費に充てることのできる経費の範囲を決めるのは「条例」に委ねられている。27頁・


28頁・16/4/26 11時21分・

法律の趣旨をねじ曲げ拡大解釈して、議員の使い勝手のよい費用にすり替えることは許されない。

全国の自治体で公開された支出例を見ても、7~8割は自分の事務所費や手伝いのパートへの賃金、自己PRのビラ代だという。ただ、今大きな自治体の例を述べたが大都市と地方都市、大規模な自治体と小規模な自治体では金額に大きな差がある。人口10万人以上の市町村の議員は、「そんなことを言われても、私たちの支給額は年間で10数万円ないし数十万円程度、それはヨソの世界の話だ」と首をかしげる。とはいえ、マスコミで大々的に報道されると、地方議員のすべてにそうした金が支給され、そう使われているように住民は思ってしまう。

ここは政令市や都道府県議会の金額の大きな自治体に絞って言うと、月々の報酬(80~90万円)とは別に支払われている政務活動費の使い方として、ビラ代やパートへの賃金が政策・立法のための活動費と言えるのか。何か勘違いしていないか。「第二生活費」ではないかと言われても仕方あるまい。住民目線で常識的に説明できない金の使い方はおかしい。これは税金なのだ。

議会側のコメントは、支出に違法性はなくルールに沿ったものだという。それでは聞きたい。地方議員同士の身内で決めた地方議会のルールが、その自治体の住民の常識にあうルールなのか、その金を使ってどんな成果を生んでいるのか。28頁・

29頁・平成28年4月26日 火曜日・2,014年度の都道府県の政務活動費について、支給額120億5,422万円のうち、9・3%の11億1,807万円が返還されたという。不適正支出分と未使用分と未使用分とされるが、厳しい監視の目の中、変換率が年々上がってきているという(朝日新聞、2,016年2月19日)。29頁・


ノーマライゼーションが生まれた国・デンマーク・平成28年4月16日


 


・地方分権が始まったのに・19頁・16/4/26 9時3分・  

・草の根が枯れる・こんな非常識がなぜ?・刑事事件も後を絶たない・これが政務活動費の使い方か・議員達のための支出基準・千代田区議会が画策した政活費のすり替え・無風土壌が生む・「劣化現象」・住民の監視の目がない・競争なき選挙で悪貨は良貨を駆逐する・議員という仕事に魅力とやりがいがない・投票率は右肩下がり・無投票当選の急増・ゼロ票議会・サラリーマン、女性が議員比率が低すぎる・議員定数は戦前の遺物・定数・報酬・カネ・

 

講談社現代新書 地方議員の逆襲佐々木 信夫【著】

価格 ¥907(本体¥840)講談社(2016/03発売)

サイズ 新書判/ページ数 246p/高さ 18cm

内容説明

人口減少、自治体消滅の危機だから地方議員、地方議会にできることがある。中央からのバラマキではこの国は変われない。地方民主主義が日本を救う。大阪副首都構想のブレーンが提言!

目次

第1章 なぜ、地方議員が問題なのか・17頁・平成28年4月26日 火曜日

・地方議員、地方議会への疑問・地方分権が始まったのに・草の根が枯れる・こんな非常識がなぜ?・刑事事件も後を絶たない・これが政務活動費の使い方か・議員達のための支出基準・千代田区議会が画策した政活費のすり替え・無風土壌が生む・「劣化現象」・住民の監視の目がない・競争なき選挙で悪貨は良貨を駆逐する・議員という仕事に魅力とやりがいがない・投票率は右肩下がり・無投票当選の急増・ゼロ票議会・サラリーマン、女性が議員比率が低すぎる・議員定数は戦前の遺物・定数・報酬・カネ・

第2章 地方民主主義と地方議員・48頁・

・地方議会が政治の停滞を招く・地方議員の仕事・議会活動への鋭い指標・オール与党か現象・なぜ首長優位か・なり手不足・地方自治とは?・議会制デモクラシー・明治、そして戦前・戦後、そして現在・2,000年の地方分権改革・地方議会における与党と野党・議会は広義の野党機能・立ち位置の変化・住民自治と議会・

第3章 地方議員の待遇・76頁・

議員バッチは通行証・バッジのない議員像・公選職に就く意味・給与のように払われる地方議員の「報酬」・地方議員は非常勤特別職・報酬の決め方・差の大きい議員報酬・これでは非常勤に近い?・経験年数を加味しない報酬・名古屋の乱とは・報酬は地域の上位20%が妥当・報酬は議席の数で決まる・国会議員と地方議員との比較・日本の議員は世界一?!・政活費の支給額を削減するのが「改革」ではない・海外視察・・・透明性を高めよ・第三者の監視機関が必要・

 

第4章 地方議員と選挙・107頁・

・戦前と戦後の地方議員・議員の決め方・条例定数制度・常任委員会の構成数で決めるのはどうか・海外の市町村議員数との比較・無投票を根絶する改革を・地方議員のなり手を増やすには・サラリーマン議員・5時から議会・クオータ制導入・議員活動の実像・議員は忙しいのか・議員の兼業実態・都市部は土日・夜間議会へ・

第5章 地方議会、地方議員は変われるか・135頁・

・地方議会は役割総括主義へ・住民の中に入れ・与野党の意識払拭・会議の自由化で議員提案を増やす・議会基本条例は必置・すぐやれる議会改革・政策に強い議員へ・職員と連携を・地方議会に法制局を・政策官庁議会へ脱皮せよ・

 

第6章 地方議員の政策形成入門・154頁・

自ら考え・自ら決める議会へ・政策のプロセス・議員立法が自治体を元気にする・いろいろな分野に広まる議員立法・自治体が政策官庁へ・政策とは何か・行政と公務員、民間との関係・違う政治と行政の役割・政策・・4つの類型・政策形成とは・政策目標の設定・政策の手段・人口減少と経営シフト・政策手法の転換・政策を磨くこと・政策評価とは・施策評価の基準・説明責任(アカウンタビリティ)・違反者を見逃すな・議員は言いっぱなしでよいか・議員に説明責任あり・

 

第7章 「大阪都構想」と地方民主主義・192頁・

・住民投票の意義・住民投票3つのタイプ・大阪都構想と住民投票・住民投票までの政治過程・現場で見た住民投票・大阪の衰退止まらず・大阪都構想の本質は何か・食い違う双方に意見・改革挑戦の意義・実現までのステップ・東京一極集中を変える・「都構想」再挑戦、波高し・政府機関の地方移転始まる・副首都構想を検討せよ・副首都の概念づくり・省庁の減反減量政策・

終章 地方からこの国を新しくする・223頁・


・地方議員は地域から国を帰る覚悟を・地方創成は幻想か・垂直的統合がネック・新たな国の形・人口減少予測と地方議員・地方創成の柱立て・国は少子化対策、地方は地域の活性化に専念してはどうか・地方創成への見方・「大都市=豊かか」時代の終焉・ベッドタウンが危ない・地方創成、新たな視点・地方が変われば国は変わる・「地方先端時代」に地方議員がやるべきこと・

参考文献・246頁・平成28年4月26日 火曜日

著者紹介

 

佐々木信夫[ササキノブオ]

中央大学教授、法学博士。1948年岩手県出身。早稲田大学大学院政治学研究科修了、慶應義塾大学にて法学博士取得。東京都庁企画審議室などを経て、聖学院大学教授、94年から現職。2000年~01年カリフォルニア大学(UCLA)客員研究員。慶應義塾大学、明治大学、日本大学各講師、日本自治創造学会会長。現在、国の地方制度調査会委員、日本学術会議会員、大阪府・市特別顧問など兼任。専門は行政学、地方自治論。テレビ、ラジオ出演、新聞、雑誌でのコメント、各地での講演も多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

 

出版社内容情報

 

「大阪都構想」には未来がある! 地方改革研究の第一人者が示す地方議員、地方議会改革の教科書。地方からこの国はまだ変えられる。

地方議会、地方議員が大きく変わり、この国を引っ張る存在になれば、日本は地方から見事に生まれ変わることができるはずだ。では、地方議員は地方議会はどうすれば変わることができるのか? 

著者は、東京都庁勤務経験などをもとに最近では「大阪都構想」で地方行政に一石を投じた橋下徹前大阪市長のブレーンとしても活躍。地方活性化、地方改革の理論的支柱として新たな国のかたちを提言し続けてきた。

政務活動費の不正使用疑惑にまみれたあの「号泣会見議員」が象徴的だが、自治体住民からあまりに乖離した地方議会、地方議員を住民の手に取り戻すことはまだできる。選挙制度、議会運営をどう改革するか? 地方議員の最大の仕事である政策立案の方法論とは? 誤解されてばかりいた「大阪都構想」の本当の利点とは? 

全地方自治体職員、全地方議員必読の新しい「教科書」をお届けする。

 

第1章 なぜ、地方議員が問題なのか

第2章 地方民主主義と地方議員

第3章 地方議員の待遇

第4章 地方議員と選挙

第5章 地方議会、地方議員は変われるか

第6章 地方議員の政策形成入門

第7章 「大阪都構想」と地方民主主義

終章 地方からこの国を新しくする

 

【著者紹介】

5:42 2016/04/26


・産前産後休暇制度・・父親休暇制度・98頁・


この制度には三種類の有給休暇がある。一つ目は「母親休暇制度」で、出産予定日の四週間前から、出産後14週間まで取得される。二つ目は「父親休暇制度」で、出産後14週間の期間内で二週間取得でき、収入の82%が支給される。三つ目は「両親(育児)休暇制度」で、出産後15週目から父親・母親合わせて10週間取れる。ただし二人が同時に取得することはできない。「母親休暇制度」、「両親休暇制度」を利用したときの休業中は、失業給付最高額と同額(月額税込みで1万1,300クローネ、約20万3,000)が支給される。

「父親休暇制度」は二週間という短期間なのと、キャリアや収入の上で目立った影響はないので、父親自身、積極的に消化しようとしている。また職場の雰囲気も休暇を認める方向に動いているので、取得することに抵抗が少ない。一方、「両親(育児)休暇制度」は父親・母親合わせて10週間取れることになっているが、現実には母親が最初から最後まで消化する率が圧倒的に多い。1,990年の調査では、母親の方が休んだ理由として、(1)母乳を与えるのは母親であるから、(2)父親の方が収入が多いから、(3)父親が休職するのが難しいから、(4)家族で決める問題ではないから(筆者注・母親の自己決定で休むと言うこと)、(5)母親が育児を受け持った方がよいから、などが父親、母親ともに同じ割合で回答されている。98頁・


99頁・16/4/22 8時49分・

1・については、デンマーク保健省がアレルギー予防のためには生後六ヶまでは母乳で育てることを奨励していることが関係あるようだ。(2)については、民間企業はパブリックセクターよりは高収入だが、雇用保障度が低く。長期休暇制度を取りにくい事情がある。そのためか、はじめの「父親休暇制度」を取得した割合は、1,995年現在、対象となる父親の半分以上の58・2%(初年度1,985年には41%)だったが、「両親(育児)休暇制度」で父親が取る割合は5%(1,985年では3%)だった。

「両親(育児)休暇」を使って休暇を取る人の大多数が女性であるため、この制度はじめから不平等制を含んだ曖昧な制度としてフェミストから批判を受けている。99頁・16/4/22 8時57分・


100頁・

それと産休を取る圧倒的多数の女性が長期に職場を離れるため、女性が職場で町になるケースは少ないのが実情だ。

しかしデンマークの育児休業制度は子育て支援の有効な制度であるばかりではなく、教育休業などの他の休業制度と並んで、長期休暇中の代替え要員として失業者に就労機会を提供する労働市場政策としての役割も担っている。

日本の育児休暇制度では、子どもが一歳に達するまでの間、一人の子どもに対して一回利用でき、その間の休業期間中は雇用保険から休業直前の給与の40%が給付金として支給される。2,003年から公務員の場合三歳まで育児休業が認められたが、子どもが一歳を過ぎれば給付金はなく無休となる。子ども未来財団の調査(2,001年)では、男性の育児休暇取得について、「希望はあるが現実的には難しい」という男性が子育て層で36%、こどものいないきこんそうで55・6%、「ぜひ機会があれば所得する」は全体の10%前後となっている。

取得できない理由としては、「収入が減少し家計に影響する」や「仕事の量や責任が大きい」、「職場の理解が得られない」という理由とともに、「男性は子育てよりも仕事を優先すべき」、「女性の方が子育てに適している」とする理由が20%を超えている。子育てに男性が積極的にかかわれる制度の改善と、環境つくりをさらに積極的に推進することと併せて、子育てについての男性の意識改革が求められる。

厚生労働省は2,002年秋に男性の育児休業取得を促進し、併せて少子化対策との一環として、男女別の取得目標値を公表した。100頁・


101頁・それによると、今後2,3年以内に男性の取得率目標を10%、女性80%としたが、現状では1999年度調査では男性0・42%、女性56・4%である。2,000年では男性の取得率はわずかに0・55%である。

2,002年では0・33%と言う極めて低い数値となっている。男性の育児休業の目標と現実には大きな隔たりがある。国、公共機関、それと企業が少子化に歯止めをかけるために、将来を見据えた相当思い切った改革が必要である。

デンマークでは、男女が利用できる産前産後休業制度、育児休業制度による子育て支援の拡充、保育施設の充実、離婚率の減少、政府の児童福祉を重視する観点からの家族政策推進などによって、合計特殊出生率が1,983年の1・37から2,001年現在1・73までに上昇した。すでにデンマークは少子化を克服した国という評価もされている。

女性の社会参加や自己決定を阻むさまざまな制度や意識のバリアを撤廃し、子育て支援を強力に推進することが求められる。さらに女性に対する雇用、労働条件、能力活用などの面で差別的な処遇をなくし、女性が働きやすい環境を実現することも、少子化を脱して出生率を高めることにつながるのだと理解すべきであろう。

101頁・平成28年4月22日 金曜日

終わり7章・


 



高い就業率が介護や保育の社会化に・90頁・

デンマークが福祉先進国、生活大国としての地位を築くことができたのはなぜか。

その背景には、この国の女性に力がある。北欧諸国は女性の社会進出の著しいことで知られているのが、その一つの指標である15歳以上の全人口に占める労働力人口(労働力率)を見るとそれがよくわかる(図表5/1参照)。高い就業率を保つ理由としては、経済発展による労働力の需要が急速に高まり、雇用の機会が急速に拡大したせいもあるが、現実的には共働きしないと高い税金の負担ができないという事情がある。


二つ目にはアメリカほどではないが、まだ離婚率(人口千人で2・54,1,999年)が高く、母子家庭が増えているため、子供を持つ女性が働く場合が多い。従って保育園の数は多い。そして三つ目には、高等教育を受けた女性の就業や社会参加の意欲が高いという指標がある。しかし、女性の社会進出が促進された背景には、1,921年に女性が軍隊や牧師以外のあらゆる職強につく権利が保障されたことが大きい。


デンマークでは多くの女性が社会に進出することによって、働きやすい環境整備はもとより、福祉や医療などの分野でも制度や行政によるサービスの充実がめざましく発展するきっかけとなった。世界的に誇れる高齢者への福祉サービスの充実は、人口の高齢化と言うよりも女性の社会進出の結果だと言った方がよい。多くの女性が働きに出ているので、高齢者のケアは社会全体の責任となった。


これによって24時間いつでも対応してくれるきめ細かな訪問介護、訪問介護のシステムが制度化されてきたのである。90頁・


91頁・平成28年4月20日 水曜日

デンマークで女性が社会に進出するようになったのは、1,960年代以降のこの国の経済発展による労働力不足がきっかけとなり、1,970年代はその傾向が特に際立った。1,960年から1,995年の間に、女性就業人口が61万6,000人から130万5,000人へと、およそ70万人が増加したが、一方、同じ期間にいわゆる専業主婦の数は82万9,000人から29万人へと、およそ54万人激減する。


この現象が高齢者介護サービスや保育施設を必要とする家庭の増大をもたらし、これらのサービスに行政、とくに地方自治体(コムーネ)の責任で取り組む結果となった。91頁・


92頁・平成28年4月20日 水曜日

もちろんデンマークでも以前は高齢者の介護は女性が担っていた。しかし、女性の就業率が65%を超える1,970年代に介護や育児を担いきれなくなって行政によるサービスの拡充が必然となった。そして女性有権者が過半数を占める立場を利用して、公的な介護システムを確立するように政治家に圧力をかけた。それと同時に女性は、男性と同等の立場で職業に就く自由を求めたのである。


女性が男性と同等に働く機会を得ているとはいえ、男女の賃金はからなずしも同等ではない。デンマークでは、同意一の仕事についている場合は平等な賃金が保障されているが、男性は高給を得る仕事についているものが多いので、平均すると年額で120万円ほどの差があるようだ。


一般的に見て女性の賃金はすべての国において男性より低い。雇用形態、就業実態などによる違いが反映していると見られるが、それでも男女の賃金格差、つまり男性の賃金に対する女性の賃金の割合(%)の国際比較では、概して北欧諸国ではそれほど開いていない。ILO(国際労働機関)「労働統計年鑑」(2,002年版)によれば、フィリピン94・3,オーストラリア88・5、エジプト87・8,スウェーデン84・5、デンマーク82・7、と続く。フランス、オランダは八割を切っているし、アメリカは意外と低く、七割に届かない。日本はさらに低く65・3で、男性の六割強の水準である(図表7・2参照)。


高い税金を払っても、その見返りとして介護や保育をはじめ、医療、教育、老後の生活が保障されているので、多くの女性が気兼ねなく社会参加できるわけである。税率を引き下げて、その分介護や保育の量・質とともに削減される事態となれば、女性の社会進出が阻まれ、せっかく築いてきた女性の社会的な地位やリーダーシップが後退し、それが社会全体の大きな損出につながることは容易に想像できる。92頁・


93頁・データの・

94頁・すでに紹介したように大多数のデンマークの納税者が、現在の高い税率を維持しても、行政サービスを低下してほしくないという反応を示したのは、もっともなことである。また、デンマークにおいてヨーロッパ統一通貨ユーロの導入に多くの女性が反対したのは、導入によって税率型の導入国に見合って引き下がられて、現在の高い水準の福祉や医療サービスが維持されなくなるのではないかと危惧したためであったという点もうなずける。94頁・


・政治の舞台にも進出・94頁・

デンマークでは女性の社会進出によって、生産活動に必要な労働力が供給され、経済や社会の発展を促し、GDPを国際的にもトップクラスに押し上げたばかりではない。夫婦共働きによって家計尾所得が増えると同時に国にとっては税収の増となり、社会資本の充実がもたらされた。

もちろん女性の社会的発言力やリーダーシップが発揮され、社会的な場面に限らず、政治の世界にも女性の力が発揮される。図表7・3は、世界の主要国の世辞的領域での女性の占める割合を示したものである。

女性議員の割合(37%)、政策実行に大きな指導力を発揮する大臣ポストのわりあい(41%)を見ると、デンマークは他の先進諸国の中でもぬきんでている。デンマーク以外の北欧諸国も同じように高い割合を維持しているが、この数字と民主主義の発展の度合いは比例している。94頁・


95頁・平成28年4月20日 水曜日

日本は女性の議員数や大臣ポストの数においても他の先進諸国と比較してもかなり低い。深刻化し女性にとっても相当影響ある少子高齢化問題に対して、政治の領域で女性の立場から発言し、行動することが結果的に狭められていることは、日本全体にとって大きな国家的損失と言うべきであろう。

なお、2,003年1月現在のOECD加盟国の女性議員の割合を示すランキングを図表7・3に紹介しているので参照されたい。

デンマークで女性の積極的な政治参加を可能にした素地はかなり古い。19世紀後半頃から女性に地位向上を目指す動きが見られ、1,857年には職業の自由が女性にも与えられる。1,871年には「デンマーク女性協会」が教育を中心として活動を開始している。1,885年に「女性労働者連盟」が結成され、女性も政治活動や労働争議に参加するようになった。1,908年に地方議会への女性の選挙権が認められた、さらに1,915年に憲法改正によって女性や使用人に参政権が与えられた。95頁・


96頁・16/4/20 14時52分

参政権がイギリスで1,918年、アメリカで1,920年、スウェーデンでは1,921年であるので、デンマークはかなり早い時期に女性の政治参加の道を開いたわけである。日本で女性の参政権が与えられたのは敗戦のとし、1,945年でデンマークより30年後である。

1,918年に初めて女性が国会議員に当選し、1,924年には世界(もちろんデンマークでも)最初の女性文部大臣が誕生した。また、1,993年に男女同権省が設置されている。例年デンマークは政党に所属する数に関係なく、全閣僚に占める女性大臣の割合は世界でもトップクラスの国の一つである。28歳という若い女性大臣が出ているが、まだ女性の首相は誕生していない。96頁・


・子育て支援・・育児休業制度・96頁・

デンマークの女性が高い割合で就労している背景には、子育てをしながら仕事を継続できる制度や、働きやすい環境、保育施設の充実などが強力な後押しとなっている。女性が出産後も働き続けるためには、行き届いた子育て支援の制度やサービスが不可欠である。特に共働きが一般的なデンマークでは夫婦が働きながら協力して子育てにかかわれる有給の育児休暇が改正労働市場法(1,994年)によって制度化され、働きながら子育てをする夫婦を支援している。

これによる育児休暇制度を利用できるのは、日割り疾病手当の受給資格がある雇用労働者及び自営業者、日割り失業手当の受給資格のある者、そして生活保護受給者である。九歳未満の子どもを養育する保護者(父親、母親)は、子ども一人につき、それぞれに最高52週間までの育児休業が認められている。96頁・


97頁・16/4/22 5時41分・

しかしこの権利が保障されているのは、(1)一歳未満児の保護者に対する26週間までと、(2)一歳以上八歳までの子どもの保護者に対する13週間で、この場合は雇い主との合意は必要ない。


しかし、それ以上の休暇、(1)の場合だと26週間、(2)の場合だと39週間は雇い主との合意(契約)が必要になる。いずれにせよ、52週、要するに一年間は育児休暇が取得できるわけだが、最近女性の法務大臣が三週間しかとらなかったので、国民からブーイングが出たそうである。制度を推進すべき政府高官の立場でありながら、しかも女性であるのに一年間使える有給の育児制度を有効に使っていない、と言うことであろうか。


育児休業期間中は育児休業手当として、それぞれ受給資格を有する日割り手当の満額が支給されるが、生活保護受給者は金銭扶助の支給額が減額される。また育児休業期間中は、三歳未満児は公立の保育施設は利用できないことになっている。97頁・


98頁・16/4/22 5時51分・

三歳から八歳児の場合は、最高半日まで保育施設を利用できる。自営業者はこの育児休業期間中は事業を中断しなければならない。育児休業期間流、自分で自分の子どものケアをする者には、コムーネは手当とは別に年額3万5,000クローネ(63万円)までの範囲内で補助金を交付できる。98頁・


ここまで

 

ここまで

ここまで

 

 

 


・政治の舞台にも進出・子育て支援・・育児休業制度・産前産後休暇制度・・父親休暇制度・

ノーマライゼーションが生まれた国・デンマーク・平成28年4月16日

2016年3月27日 (日)2016年までのブログページをいれて索引・0:28 2016/04/15

http://amamioosoma.synapse-blog.jp/yosiharu/2016/03/post-af38.html

4/20/2016


2016年4月20日 (水)第6章・成熟した民主主義・第6章・成熟した民主主義・自分たちのことは自分たちで決める。そのための話し合いを納得のいくまで続け、主張する84頁・重要な政策決定や行政による意志決定の過程で、一方的に行政が決めてしまうのではなく、住民を計画段階から関与させ、科学技術は社会をどう強調しあうべきか。これについて科学には素人の人たちが、専門家からの情報にもとづいて判断するコンセンサス会議というものがある。デンマーク国会の技術委員会が1,989年から始めたもので、素人シロウト・の委員を選び、協力してくれる専門家を探して会議を組織する。84頁・http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2016/04/684-10de.html

5:00 2016/04/20


2016年4月19日 (火)ノーマライゼーションが生まれた国・デンマーク・ 第6章・成熟した民主主義・73頁・・自由の尊重・76頁・・責任ある自由・78頁・・同姓の結婚を認める・79頁・・家族のとらえ方・81・平成28年4月19日

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2016/04/67328419-1766.html

10:19 2016/04/19


2016年4月18日 (月) 点数で評価しない・・国民学校・197頁・200頁・どの学校にも理事会組織があり、学校運営に保護者、生徒も加わり、彼えらの意見が十分に反映されている、と言った点を指摘している。201頁・203頁・一人一人を大切なものとして彼らの個性を尊重し、それぞれの能力や才能をできる限り伸ばす。

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2016/04/197-dba8.html

8:50 2016/04/18 


2016年4月16日 (土)ノーマライゼーションが生まれた国・デンマーク (MINERVA21世紀福祉ライブラリー) – 2004・2 野村 武夫 (著) 第12章・一人一人を大切にする教育・187頁・6)障害児教育・197

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2016/04/minerva21-20042-d374.html

10:30 2016/04/16 


ノーマライゼーションが生まれた国・デンマーク (MINERVA21世紀福祉ライブラリー) 単行本  – 2004/2 野村 武夫   (著)  

福祉最先進国として知られるデンマーク。いったいどんな国なのか。なぜ世界一住みやすい国と言われるのか。福祉教育に長年携わってきた著者が、医療、福祉、環境保護、教育と各方面の最新の動向をレポート、今や福祉政策の世界的な基本理念となったノーマライゼーションという思想を生んだ国の素顔に迫る。  

福祉最先進国として知られるデンマークは一体どんな国なのか。医療、福祉、環境保護、教育と各方面の最新の動向をレポート、福祉政策の世界的な基本理念となったノーマライゼーションという思想を生んだ国の素顔に迫る。

単行本: 225ページ出版社: ミネルヴァ書房 (2004/02)発売日: 2004/02

 目次

第1章・デンマークという国・1頁・

農耕に適した国土・少子化を歯止めがかかる・女王のいる国・国土は狭くとも・・近年は工業国として成長・経済大国ではなく・自由、博愛、平等を求めて、協同組合の設立・農村社会の近代化に貢献・

第2章・世界で最も住みやすい国・19頁・

住みやすさの証明・貧富の差が少ない・平和・・福祉を発展させる条件・デンマーク人の暮らし・余暇を楽しむ・・年間六週間の有給休暇・失業しても安心できる・年金制度・

第3章・充実した医療サービス・35頁・

入院患者の九割が治療サービスに満足・家庭医・・悩み事の相談まで対処・患者の自己決定を尊重・自宅で看取る・

第4章・税金は高くても・43頁・

所得税は50%、消費税は25%・政治意識も高い・負担減でサービス低下には否定的・税金の使い道・貯蓄・・生活の質を豊かにするために・税金は国に預ける貯金・

第5章・大胆なエネルギー政策と環境保護・55頁・

原子力発電計画を放棄・再生可能エネルギーへの転換・地球温暖化防止への挑戦・無限の資源、風をエネルギーに・・風力発電・普及を支える風力電気の買い取り義務制度・廃棄物処理にも高い税金・ゴミの六割をリサイクル・環境に優しいホテル・強力な権限を持つ環境保護NGO・環境保護と福祉は同一線上に・

第6章・成熟した民主主義・73頁・

民主主義の歩みと民衆運動・自由の尊重・責任ある自由・同姓の結婚を認める・家族のとらえ方・大切なことは話し合いで・コンセンサス会議・

第7章・社会を変える女性の力・89頁・

高い就業率が介護や保育の社会化に・政治の舞台にも進出・子育て支援・・育児休業制度・産前産後休暇制度・・父親休暇制度・

第8章・世界に広がるノーマライゼーション・105頁・

バンク・ミケルセンのこと・ノーマライゼーションはヒューマニゼーション・障害者福祉制度の基本理念として・ノーマライゼーションとバリアフリー・びわこミレニアム・フレームワーク・障害者、女性の政策決定への参画・障害者差別禁止法の提唱・

第9章・世界的な水準を誇る高齢者福祉・123頁・

高齢者のとらえ方の変化・高齢者福祉の三原則・三原則はどのように生かされているか・一人一人を大切に・新規のプライイェムは建設禁止・住居の形態・高齢者住宅が主流・オッテラップの介護住宅・

第10章・利用者本位の高齢者ケア・143頁・

統合型ケア・統合型高齢者センター・在宅生活を支えるサービス・予防訪問・高齢者委員会・介護専門職の養成・給料を得ながら学べる・医学や看護を重点に学ぶ・・上級社会保険看護士の教育・

第11章・障害者の権利保障と行政の取り組み・161頁・

障害者福祉の原則・障害者の権利保障・在宅生活支援のサービス・・ソノスー自治体の取り組み・労働をとおして生きがいを・・アッセンスの重複障害者ワークショップ・デイセンター・生活支援センター・・コルディング市・レイフさんを訪ねる・・ケア付きマンションの生活・精神障害者に対する援助・ヘルパーを自分で雇う・・「オーフース方式」・

第12章・一人一人を大切にする教育・187頁・

民主主義をはぐくむ・デンマークの教育制度・点数で評価しない・・国民学校・いじめはほとんどない・教育現場の新しい悩み・

第13章・デンマークから何を学ぶか―人間尊重社会への課題・205頁・

・・人間性尊重社会への課題・福祉の発展と民主主義・教育の目標・生活をともにする全人教育・障害者の地域生活支援・福祉はその社会のあり方の反映・

参考文献・215頁・おわりに・219頁・デンマーク略年表・224頁・

4/16/2016 9:06 AM

 

福祉大国の国民性を知る

教科書ですっと習ってきた、福祉大国としての北欧。一方で聞かされてきた、わが国と比べて異常に高額な税金。

死ぬまで安心。だけど税金がとっても高ーい国。・・・そんな国で生活できる?

 

わたしが北欧に対して、なんとなく抱いてきたこのようなよくわからないイメージを、きれいさっぱり払拭してくれた貴重な一冊です。

 

デンマークを歴史・経済・土地・国民性など、さまざまな視点から国際比較することで、福祉大国としての成立条件が明らかにしていきます。

論調は批判にも肯定にもかたよらず、どちらかといえば淡々と事実を紹介していきますので、

デンマーク的なやり方が正しいかそうでないかの判断は、あくまで読者に任せられていると感じました。

 

そういうことで、内容は濃いのですが、けっしておしつけがましくないのも美点です。

 

ただひとつ明らかなことは、デンマークで生きていくためには、高い自己決定を求められるということでしょう。

日本とデンマークにもっとも大きなちがいがあるとすれば、これかもしれません。

8:24 2016/04/16


 

http://www5.synapse.ne.jp/takita/oomae%20kenniti%20%20gyousei.html#jititai

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15:40 2016/04/12

 

引用・自治体をどう変えるか (ちくま新書) [新書]  佐々木 信夫 (著)

自治体をどう変えるか (ちくま新書) [新書]  佐々木 信夫 (著)

財政規律を失った国家の破綻、存在感が薄れる府県、平成の大合併など、わが国はいま明治維新、戦後改革に次ぐ、大改革が求められる「第三の波」に遭遇している。行政活動の三分の二を担う地方は、二〇世紀の集権下で行われてきた他者決定・他者責任の経営から早急に脱皮しなくてはならない。豊富なデータに基づく具体的な提言を行いながら、「官」と「民」の関係を問い直し、分権下の地方自治、新たな自治体経営の方向を示す。

内容(「MARC」データベースより)

 

明治維新、戦後改革に次ぐ「第三の波」に遭遇している今、地方は他者決定・他者責任の経営から早急に脱皮しなくてはならない。現実を見据えた分析に基づき、「官」と「民」の関係を問い直し、新たな自治体経営の方向を示す。

平成28年2月26日 金曜日

新書: 254ページ出版社: 筑摩書房 (2006/10)発売日: 2006/10

はじめに・9頁・

目次

第1章 変化する行政環境・17頁・

・1・構造改革の潮流・17頁・

・2・国から地方へ・20頁・

・3・官から民へ・23頁・

・4・経済環境の変化・26頁・

・5・労働市場、職業観の変化・29頁・

・6・成長戦略の危なさ・33頁・

・7・新たな「公共」の台頭・37頁・

第2章 地方分権―国と地方の攻防・43頁・

・1・地域格差をどう見る・43頁・

・2・争点化する「地方」のあり方・43頁・

・3・国土の均衡から個性化へ・56頁・

・4・地方再生のアイディア・60頁・

第3章 政策官庁としての自治体・63・

・1・地方分権の意義・63頁・

・2・マニフェストと政治・69頁・

・3・政策官庁をめざす・73頁・

・4・経営改革の実践・77頁・

・5・政策スタイルの転換・83頁・

第4章 自治体の政策活動・87・

・1・政策をつくる意義・87頁・

・2・政策過程とは何か・92頁・

・3・政策を形成する・97頁・

・4・政策を評価する・104頁・

・5・問われる行政責任・108頁・

第5章 議会をどう変えるか・・115頁・

1、議会は政治の中心・115頁・

「自治体の決定者」

「官から民へ」の構造改革は、民間経済を活性化させた一方で、地方に様々な「格差」を生じさせた。今後、日本の政治は強者の論理ではなく、「弱者」の論理に立って組み立てなおす必要がある。とくに生活を守る地方政治の視点はそこに注がれよう。

日本の行政は三分の二が地方自治体によって担われている。これだけの地方の活動量が大きい国はカナダと日本ぐらいだが、その中で特に予算や条例、政策を決める地方議会のあり方が問題となる。なぜなら、地方議会が自治体活動の基本的な意思決定者だからである。

116頁、

現在、都道府県、区市町村を合わせて約45,000人の地方議員がいる。彼らは非常勤の特別職公務員として、地域の世話役から政策決定まで幅広く活動している。議員の数が多い、報酬が高い、条例提案が少ない、住民の意見を聞かないなど様々な批判もあるが、大事なことは自己決定・自己責任を求められる地方政治の中心は議会であるという点だ。

2/13/2014 2:44:10 PM


「脇役から主役へ」

2000年の分権改革で日本の地方議会の権限は飛躍的に拡大した。それまで自治体はあたかも国の下部機関のように、自治体業務の七、八割りを国の機関委任事務の執行に費やしてきた。大臣の地方機関として首長を位置づけ、国の業務を執行委任するという機関委任事務制度が存在したからで、これについて地方議会は審議権も条例制定権も予算の減額修正権も持たなかった。

自治体においては議会は「脇役」の存在に過ぎなかった。

だが、分権改革でこの制度は全廃された。議会は自治体の全ての業務に審議権も条例制定権も持ち、全てが予算審議の対象になった。不必要な仕事はなくすることもできるようし、予算を修正することも可能だ。まさに議会が地方政治の「主役」に躍りだしたのである。

法改正で年四回に限られていた定例会の回数制限もなくなった。年間70日程度しか開かれなかった地方議会を「通年議会」とすることも可能である。これから地方議会をどう変えるのか、地方から日本の政治を変える試金石となる。

117・


2議会に期待される役割・117頁・

「議会とは何か」

地方自治の政治機関は首長と地方議会である。議会には地域住民の意思と利益を代表し、条例、予算、主要な契約などを決定する役割と、それを執行する執行機関を監視する役割がある。さらに地域内の利害を調整し、地域社会をまとめ上げ安定させる役割もある。議会は討論に始まり討論に終わる。議会は「万機公論」に決するところに存在の意義がある。

同時に、議会は民意を鏡のように反映する住民参加の広場でもある。本来、住民にとっての拠り所は、執行機関でなく、議決機関である議会にあると言っても過言ではない。ひろく住民代表として選ばれた多数の議員からなる議会は、地域のニーズ、職層のニーズ、年齢層のニーズ、性別の違いから生じるニーズを幅広く自治体行政に反映できる住民の窓口と言ってよいからである。

118・

しかし、どうも現実は違う。様々なルートを通じて住民との対話を深めているのは首長である。残念ながら議会は、個々の議員はともかく、機関としての議会は組織的に住民との対話を進めている様相はない。制度的に期待されている役割と実際の運営にこれだけ大きなギャップがある機関もめずらしい。その点、地方議会は危機にあると言ってもよい。

「待ったなし議会改革」

議会の位置づけが脇役から主役に変わった。しかし、議会改革の動きは鈍い。確かにこれまで議会も改革努力をしている。だがそれは行革型の議会改革、定数減などの量的改革に止まり、立法機能の強化など議会の質的改革には至っていない。

議会の位置が単なるチェック機関から立法機関へと構造的な変化を遂げているにもかかわらず、それに応える自覚的な改革が行われえいない。多くの議員に役割変化お認識が乏しいからではないか。

これまで地方議会は自治体改革の中で「聖域」に近い存在だった。確かに首長サイドから議会改革を提案すること自体、お門違いであろう。しかし、そのことが議会を聖域化し改革を遅らせたかもしれない。選挙で当選したものは絶対的存在と思っているなら、あまりにも狭量な発想だ。世界の地方議会は若者、女性の登用を含めどんどん変化している。

今後は、選挙年齢を18歳に引き下げるなど、どんどん質を高める改革を進めなければならない、もはや議会も「聖域なき改革」の対象と言わなければならない。

119頁、

「重要さます政治」

地方議会に限らないが、政府の活動は「政治」があって「行政」がある。行政機関の意思を追認するのが政治の役割ではない。先導的に将来ビジョンを示し、規制秩序を変え、主要な公共的決定を行うのが政治の役割であり、そのもとで執行機能を担うのが行政の役割である。決定領域の拡大する地方分権が進むと、地方政治は飛躍的に重要さが増す。

今後、財政状況はますます厳しくなろうし、少子高齢化も進もう。財政破綻や地域の崩壊が現実化するかもしれない。そうならないよう自治体の舵をしっかり取る。そこでの政治的な決断、経済的な判断が自治体の死命を制することになる。

かつて炭鉱で栄えた北海道の夕張市が国の管理下で再建を進める財政再建団体になることを申請した。観光事業の失敗も響き、雪だるま式に借金が増え、一般会計120億円の財政規模に対し外郭団体まで含め600億円を超える負債を抱え、事実上財政破綻した。

毎年出る赤字を短期借入金で糊塗する財政運営に対し、議会はチェック機能すら果たせなかった。予算も決算も執行部提案どおり追認してきた結果がこの始末だ。破綻の責任は議会にもある。議会が機能せず、舵取りを間違うとこうした結果を生む。今後そうした破綻予備軍の自治体は少なくない。改めて決定者である議会のあり方が問われている。

120・

「二元代表性」

日本の地方自治は、首長と議員をともに有権者の直接投票で選ぶ「二元代表制」を制度の根幹にすえている。これは国会議員だけを直接選挙で選び、あとは国会が内閣総理大臣を指名し、内閣総理大臣が執行機関としての内閣を組織する「一元代表制」を採用する国の制度とは、根本的に異なっている。

そもそも二元代表制は、首長に執行機関の役割を、議会に議決機関の役割を期待し、双方の機関が原則独立の関係にある制度(大統領)である。ただ日本の場合、住民が代表を選ぶ過程では大統領制度的な手法を取りながら、自治体の運営過程では議会に首長の不信任議決権を与え、首長に議会解散権を与えるという議院内閣制的な手法を加味している。

しかも住民は、いったん選んだ首長と議員について、有権者の三分の一以上の署名をもって任期途中での解職を請求し、議会の解散を求めるリコール権を持っている。これは地方自治の成熟しているアメリカなどにも見られない極めて独特な制度だ。首長と議会と有権者という三つの機関が、相互に抑制的均衡関係を保てるよう工夫されているのである。

二元代表制は、議会と首長に対し、お互いに住民を代表する政治機関として、民意の反映を競い合う関係を求めている。

121・

しかし現実は、首長優位と言われるように、圧倒的に執行機関が強く、議会は執行機関の提案を追認する形になっている。本来は、そうあってはならない。議会は政治機関として、提案された議案を審議決定するだけでなく、自らが提案者でなければならない。

議会の強みは、民意を鏡のように反映できる点にある。多様な地域、多様な職域から選ばれた議員は、多様な意見を持っている。それを政策に反映できるよう議会に環境グループ、福祉グループ、産業グループといった多様な政策集団をつくり、現場から鋭く問題を提起し解決策をどんどん政策として提案するなら、地方議会の評価は大きく変わろう。


3・行革としての議会改革・121頁・平成28年2月26日

「役割意識の改革」

誤解を恐れずに言うと、首長は政治家ではあるが執行機関(行政)の代表であって、支持決定の中心者とは言えない。議会制民主主義において、自治体における政治機関の中心は政治家集団からなる議会である。

122・

その議会は、第一に政策や予算の決定者、第二に執行機関の監視者、第三に政治争点の提起者であり、制作の提案者である。

「1・政策や予算の決定・・執行機関への監視・・争点定期と政策提案・・」

だが、これまでの議会は執行機関を監視する役割・2・のみが重視され、政策決定者・や争点提起者、政策提案者・の役割は手薄な状況にあった。議会はチェック機関だという見方がこれである。

しかし、これではならない。もっとも、議員自身に聞くとその役割認識は本来の姿からはまだ遠い。慶応大学の政治研究グループが調査した議員(都道府県)の役割認識に関する調査によると、県会議員の仕事は第一位が政策の審議決定であり、第二位が世話役・相談役、第三位が行政監視・批判だという。政策立案については第四位に止まっている。

これが市町村議員になると、図にはないが「世話役・相談役」と「行政監視・批判」の役割が上位を占めるようになる。

この認識の違いはやはり問題であろう。市町村議員とて地域の世話役を中心に活動する時代は終わったのではないか。政策立案や政策審議に多くの時間を割くのが、これから期待される議員の役割である。

123頁、14/2/14 6時29分14秒・

これまでも議会は政策努力を続けている。しかし、その本質は、政治改革としての議会改革ではなく、行政改革としての議会改革に止まっている。議員定数の削減など「量的」な面の改革が中心だった。今後もこうした面での改革努力は必要だが、それが議会改革の本丸ではない。分権化に伴う議会改革の本丸は政治の「質」を高める改革、つまり政治改革としての議会改革である。

「議員定数の問題」

よく議員が多過ぎると言われる。それに応えようと各議会は議員数を削減してきた。これまで市議会は全国ベースで見ると法定定数の25%に当たる6000名を削減している。さらに、平成の大合併で旧町村議員を中心に1万人近い議員の削減が行われている。

124頁、平成26年2月14日・平成28年2月26日 金曜日

 

 

 

 

第6章 急がれる公務員改革・139頁・

・1・公務員問題とは何か・139頁・

・2・公務員改革の動き・142頁・

・3・NPMと公共ビジネスマン・144頁・

・4・人事行政・風土を変える・149頁・

・5・やる気を引き出す改革・153頁・

・6・人材育成の新たな視線・158頁・

第7章 深刻化する財政危機・163・

・1・財政再建待ったなし・163頁・

・2・地方財政の窮乏・166頁・

・3・三位一体改革・169頁・

・4・交付税をどうする・173頁・

・5・補助金をどうする・179頁・

・6・自治体の財政再建・182頁・

・7・財政破綻の回避・184頁・

第8章 市町村の将来―合併後・191・

・1・地域力の発想・191頁・

・2・平成大合併の特徴・195頁・

・3・平成大合併の意義・199頁・

・4・メリット・デメリット論争・201頁・

・5・公共サービスの適正規模・203頁・

・6・これからの合併問題・212頁・

・7・合併後の自治体経営・218頁・

第9章 府県の将来―道州制・221・

・1・なぜ道州制か・221頁・

・2・道州制の提言・226頁・

・3・道州制の導入の課題・231頁・

・4・道州制のゆくえ・234ぺーじ・

終章 国のかたち―分権国家・239・

・1・めざす国家像・239頁・

・2・さらなる分権改革を・246頁・

あとがき・251頁・平成28年2月26日

 

 

自治体は変われるのか地方分権といわれて久しい。市町村合併も進んでいる。公務員改革や三位一体改革も具体的になってきた。

 

しかし、現実の自治体に務める公務員としては、その変化はまったく一般の職員に届いていないというのが実感である。(というかうちの自治体では、という意味だが)

 

この著者が言うような改革を進めていくためには、特に公務員の改革を進める必要がある。うちの自治体でも、職員数はこの数年で何百人という規模で減っている。しかし、仕事は減らない。しかも、業務改革も進まない。中途半端で、無目的な外部委託があるだけ。仕事の質、サービスは低下するばかりだ。組織は相変わらず、縦割り。幹部は上しかみないで仕事をする。果たして、本当に分権の担い手として、私たちは役に立つのか。

5つ星のうち 1.0  著者の意見を言いっぱなし

著者の意見を好き勝手にしゃべっているだけ。飲み屋の親父談義。

5つ星のうち 5.0  自治体は変われるのか, 2009/7/20

レビュー対象商品: 自治体をどう変えるか (ちくま新書) (新書)

地方分権といわれて久しい。市町村合併も進んでいる。公務員改革や三位一体改革も具体的になってきた。

しかし、現実の自治体に務める公務員としては、その変化はまったく一般の職員に届いていないというのが実感である。(というかうちの自治体では、という意味だが)

この著者が言うような改革を進めていくためには、特に公務員の改革を進める必要がある。うちの自治体でも、職員数はこの数年で何百人という規模で減っている。しかし、仕事は減らない。しかも、業務改革も進まない。中途半端で、無目的な外部委託があるだけ。仕事の質、サービスは低下するばかりだ。組織は相変わらず、縦割り。幹部は上しかみないで仕事をする。果たして、本当に分権の担い手として、私たちは役に立つのか。そんなことを考えさせる一冊だった。

5つ星のうち 1.0  著者の意見を言いっぱなし, 2013/9/28

レビュー対象商品: 自治体をどう変えるか (ちくま新書) (新書)

著者の意見を好き勝手にしゃべっているだけ。飲み屋の親父談義。

5つ星のうち 5.0  新たな自治体、新たな「公」の実現法, 2006/11/1

レビュー対象商品: 自治体をどう変えるか (ちくま新書) (新書)

 

地方分権→地方主権のアイデア、事業官庁→政策官庁への提言、新たな「官」と「民」の役割と新たな「公」の実現アイデア、議会改革提案党等の豊富な提言がたくさん。新鮮で、大いに参考となる。それぞれの立場で参考として、改革に向け役割を果たす、ベースとなりうる。

5つ星のうち 5.0  知識が整理された, 2006/11/23

レビュー対象商品: 自治体をどう変えるか (ちくま新書) (新書)

 

2000年に地方分権一括法が施行され、さらには地方自治体の合併が進みました。その結果、どうのように自治体は変わったか、変わろうとしたかについて検証し、また将来のあり方を述べた本です。将来の予測に関しても、良い点と注意点、メリットとデメリットという風にしっかりと先を見据えているので理解が進みました。

自治体の財政や政策、行政など地味な分野ですが、新聞などから得ていた断片的な知識がすっきりと整理されました。

14:28 2014/02/13

 

 

 

 

 

新たな「日本のかたち」 脱中央依存と道州制 [新書]佐々木 信夫 (著)

明治以来続く「中央集権体制」はすでに時代に合わず、いろんなところで限界を迎えている。広域圏を内政の拠点に、特色あふれる地域をつくり出す「道州制」への移行こそが急務である。自公政権に戻り「道州制基本法」が成立すれば、国の枠組みを変える取り組みが加速。地方をどう再生し、東京一極集中をどう解消するのか。新しい時代に合うよう規制を緩和し、ムダを省き、住民サービスを向上させる「新たな統治機構」へ刷新する。都庁の経験があり、現在は、大阪市・府特別顧問でもある著者が、道州制の道筋と日本再生について提言する。

 

 

内容(「BOOK」データベースより)

 

道州制移行か、大増税か岐路に立つ日本、あなたはどちらを選ぶ?地方をどう再生し、東京一極集中をどう解消するのか。新しい時代に合うよう規制を緩和し、ムダを省き、住民サービスを向上させる「新たな統治機構」へ刷新する。都庁の経験があり、現在は、大阪市・府特別顧問でもある著者が、道州制の道筋と日本再生について提言。

 

新書: 270ページ出版社: 角川マガジンズ(角川グループパブリッシング) (2013/3/9)

言語: 日本語発売日: 2013/3/9

目次

第1章 なぜ中央集権は限界か

第2章 分権社会は暮らしをよくする

第3章 道州制―そのイメージ

第4章 道州制をめぐる諸論点

第5章 東日本大震災と「東北州」

第6章 東京はどうなる?どう変える?

第7章 大阪をどうする?大阪都構想の行方

第8章 政令都市、地方の将来

終章 道州制をめぐるQ&A

 

自治体をどう変えるか (ちくま新書) [新書]  佐々木 信夫 (著)

 

財政規律を失った国家の破綻、存在感が薄れる府県、平成の大合併など、わが国はいま明治維新、戦後改革に次ぐ、大改革が求められる「第三の波」に遭遇している。行政活動の三分の二を担う地方は、二〇世紀の集権下で行われてきた他者決定・他者責任の経営から早急に脱皮しなくてはならない。豊富なデータに基づく具体的な提言を行いながら、「官」と「民」の関係を問い直し、分権下の地方自治、新たな自治体経営の方向を示す。

 

明治維新、戦後改革に次ぐ「第三の波」に遭遇している今、地方は他者決定・他者責任の経営から早急に脱皮しなくてはならない。現実を見据えた分析に基づき、「官」と「民」の関係を問い直し、新たな自治体経営の方向を示す。

新書: 254ページ出版社: 筑摩書房 (2006/10)発売日: 2006/10

目次

第1章 変化する行政環境

第2章 地方分権―国と地方の攻防

第3章 政策官庁としての自治体

第4章 自治体の政策活動

第5章 議会をどう変えるか

第6章 急がれる公務員改革

第7章 深刻化する財政危機

第8章 市町村の将来―合併後

第9章 府県の将来―道州制

終章 国のかたち―分権国家

自治体は変われるのか

地方分権といわれて久しい。市町村合併も進んでいる。公務員改革や三位一体改革も具体的になってきた。

 

しかし、現実の自治体に務める公務員としては、その変化はまったく一般の職員に届いていないというのが実感である。(というかうちの自治体では、という意味だが)

 

この著者が言うような改革を進めていくためには、特に公務員の改革を進める必要がある。うちの自治体でも、職員数はこの数年で何百人という規模で減っている。しかし、仕事は減らない。しかも、業務改革も進まない。中途半端で、無目的な外部委託があるだけ。仕事の質、サービスは低下するばかりだ。組織は相変わらず、縦割り。幹部は上しかみないで仕事をする。果たして、本当に分権の担い手として、私たちは役に立つのか。

5つ星のうち 1.0  著者の意見を言いっぱなし著者の意見を好き勝手にしゃべっているだけ。飲み屋の親父談義。

0  自治体は変われるのか, 2009/7/20

 

レビュー対象商品: 自治体をどう変えるか (ちくま新書) (新書)

 

地方分権といわれて久しい。市町村合併も進んでいる。公務員改革や三位一体改革も具体的になってきた。

 

しかし、現実の自治体に務める公務員としては、その変化はまったく一般の職員に届いていないというのが実感である。(というかうちの自治体では、という意味だが)

 

この著者が言うような改革を進めていくためには、特に公務員の改革を進める必要がある。うちの自治体でも、職員数はこの数年で何百人という規模で減っている。しかし、仕事は減らない。しかも、業務改革も進まない。中途半端で、無目的な外部委託があるだけ。仕事の質、サービスは低下するばかりだ。組織は相変わらず、縦割り。幹部は上しかみないで仕事をする。果たして、本当に分権の担い手として、私たちは役に立つのか。そんなことを考えさせる一冊だった。

5つ星のうち 1.0  著者の意見を言いっぱなし, 2013/9/28

レビュー対象商品: 自治体をどう変えるか (ちくま新書) (新書)

著者の意見を好き勝手にしゃべっているだけ。飲み屋の親父談義。

 5つ星のうち 5.0  新たな自治体、新たな「公」の実現法, 2006/11/1

: 自治体をどう変えるか (ちくま新書) (新書)

 地方分権→地方主権のアイデア、事業官庁→政策官庁への提言、新たな「官」と「民」の役割と新たな「公」の実現アイデア、議会改革提案党等の豊富な提言がたくさん。新鮮で、大いに参考となる。それぞれの立場で参考として、改革に向け役割を果たす、ベースとなりうる。

5つ星のうち 5.0  知識が整理された, 2006/11/23

レビュー対象商品: 自治体をどう変えるか (ちくま新書) (新書)

2000年に地方分権一括法が施行され、さらには地方自治体の合併が進みました。その結果、どうのように自治体は変わったか、変わろうとしたかについて検証し、また将来のあり方を述べた本です。将来の予測に関しても、良い点と注意点、メリットとデメリットという風にしっかりと先を見据えているので理解が進みました。

自治体の財政や政策、行政など地味な分野ですが、新聞などから得ていた断片的な知識がすっきりと整理されました。

6:20 2014/02/08佐々木 信夫(ささき・のぶお)/中央大学経済学部教授専門分野 政治学  1948年生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科修了、法学博士(慶應義塾大学)。東京都庁勤務を経て、89年聖学院大学教授、94年中央大学教授。2000年米カリフォルニア大学(UCLA)客員研究員、2001年から中央大学大学院経済学研究科教授・経済学部教授。専門は行政学、地方自治論。日本学術会議会員(政治学)、大阪市・府特別顧問、国会超党派道州制懇話会有識者委員など兼任。近著に『都知事―権力と都政』(中公新書)、『新たな「日本のかたち」』(角川SSC新書)、『地方議員』(PHP新書)、『大都市行政とガバナンス』(中大出版部)、『日本行政学』『現代地方自治』(学陽書房)など。NHK地域放送文化賞受賞。NHK「視点論点」、東京MXTVニュース、新聞、雑誌の解説ほか、各地の講演多数。 .

6:40 2014/02/08


平成28年2月26日 金曜日龍郷町の皆様・自治体の龍郷議員に大いに活躍して雇用を増やす・・・

1、議会は政治の中心「自治体の決定者」

「官から民へ」の構造改革は、民間経済を活性化させた一方で、地方に様々な「格差」を生じさせた。今後、日本の政治は強者の論理ではなく、「弱者」の論理に立って組み立てなおす必要がある。とくに生活を守る地方政治の視点はそこに注がれよう。

日本の行政は三分の二が地方自治体によって担われている。これだけの地方の活動量が大きい国はカナダと日本ぐらいだが、その中で特に予算や条例、政策を決める地方議会のあり方が問題となる。なぜなら、地方議会が自治体活動の基本的な意思決定者だからである。


116頁、大事なことは自己決定・自己責任を求められる地方政治の中心は議会であるという点だ。「脇役から主役へ」

2000年の分権改革で日本の地方議会の権限は飛躍的に拡大した。それまで自治体はあたかも国の下部機関のように、自治体業務の七、八割りを国の機関委任事務の執行に費やしてきた。大臣の地方機関として首長を位置づけ、国の業務を執行委任するという機関委任事務制度が存在したからで、これについて地方議会は審議権も条例制定権も予算の減額修正権も持たなかった。

自治体においては議会は「脇役」の存在に過ぎなかった。

だが、分権改革でこの制度は全廃された。議会は自治体の全ての業務に審議権も条例制定権も持ち、全てが予算審議の対象になった。不必要な仕事はなくするることもできるようし、予算を修正することも可能だ。まさに議会が地方政治の「主役」に躍りだしたのである。


117・2議会に期待される役割「議会とは何か」

地方自治の政治機関は首長と地方議会である。議会には地域住民の意思と利益を代表し、条例、予算、主要な契約などを決定する役割と、それを執行する執行機関を監視する役割がある。さらに地域内の利害を調整し、地域社会をまとめ上げ安定させる役割もある。議会は討論に始まり討論に終わる。議会は「万機公論」に決するところに存在の意義がある。

同時に、議会は民意を鏡のように反映する住民参加の広場でもある。本来、住民にとっての拠り所は、執行機関でなく、議決機関である議会にあると言っても過言ではない。ひろく住民代表として選ばれた多数の議員からなる議会は、地域のニーズ、職層のニーズ、年齢層のニーズ、性別の違いから生じるニーズを幅広く自治体行政に反映できる住民の窓口と言ってよいからである。

滝田 好治・大勝3113-1・☎69-3195

takita@po.synapse.ne.jp



 

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