« 公共財の典型的な例としては政府による外交や国防がしばしば挙げられる。国民の内の特定の集団が政府の外交政策や国防の利益を受けないように排除することが困難であり、また、集団を排除しなくてもそれによって追加的な費用が発生しないことが多い。 | メイン | 第2章 地方分権―国と地方の攻防・43頁・一般に経営とは「ある組織目的に対し、最小の費用で最大の効果をもたらす活動」ことを指す。それは限られた資源の下で最適な政策選択をいかになすかの戦略を意味する。 »

2015年10月22日 (木)

自治体をどう変えるか (ちくま新書) [新書] 佐々木 信夫 (著) 第一章・・6・成長政策の危うさ・33頁・自治の現場で理解されるのには少し時間を要しようが、これからの公共経営には必要不可欠なことがらである。42頁・・新たな公共とは・画像・1章終わり・・


引用


自治体をどう変えるか (ちくま新書) [新書]  佐々木 信夫 (著)  財政規律を失った国家の破綻、存在感が薄れる府県、平成の大合併など、わが国はいま明治維新、戦後改革に次ぐ、大改革が求められる「第三の波」に遭遇している。行政活動の三分の二を担う地方は、二〇世紀の集権下で行われてきた他者決定・他者責任の経営から早急に脱皮しなくてはならない。豊富なデータに基づく具体的な提言を行いながら、「官」と「民」の関係を問い直し、分権下の地方自治、新たな自治体経営の方向を示す。


2015年10月18日 (日)自治体をどう変えるか (ちくま新書) 佐々木 信夫 (著) 第1章 変化する行政環境・地方自治は、住民の幸せと魅力ある地域をつくることが狙いだ。これからは国の指導で地方自治を営むのではなく、自前の政策をつくり、地域をつくっていく時代である。18頁・

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2015/10/1-18-833c.html

8:31 2015/10/22


・団塊世代・・2007年問題・15/10/22 5時21分・ここまで


・6・成長政策の危うさ・33頁・

・成長神話の危なさ・15/10/22 5時23分・


20世紀は欧米へのキャッチアップの世紀であった。欧米の生活様式を学び、さまざまな制度や仕組みを手本にして追いつき追い越せを国家目標に邁進してきた。結果としてはこれは功を奏し、慶大大国・日本が生まれ、人々の生活は一気に欧米化した。

だが依然、国民の奥に豊かさの実感はない。物は溢れ、飽食になったが、生活習慣病が増え治安の悪化や雇用不安など、「安心・安全」面はむしろ後退している。最近、特に子供に対する犯罪が増え、命が奪われるなど地域の治安は悪化する状況にある。

「改革なくして成長なし」と言われる。小泉政権下で一貫として繰り返された言葉だが、これを読み解くと、「改革」が手段で「成長」が目的と言うことになる。33頁・


34頁・経済優先の考え方に立つなら、確かに経済成長は目的であろう。しかし、そこで目的とされる「成長」とは、どういう意味のものなのか。経済成長が本当に豊かさをもたらすのか。

筆者は、これからの日本は経済成長率がゼロ打も豊かな国になれると考えている。プラス成長を唱え、毎年何十億兆円もの借金をしてまで成長率にこだわる必要はないと思う。

こういうと、国や自治体からは税収が増えないから困るといった反論もあろう。しかし、税収が増えるかどうかは税負担率をどう設定するかで変わってくる話である。

・プラス成長の神話・

経済成長率「プラス」にこだわる発想をよく吟味してみたい。経済学者の故・都留重人がある寓話を用い、成長を目的にする政治に対し警鐘を鳴らしている(同「21世紀・日本への期待」2001年、岩波書店)。面白い話なので紹介しておこう。

…ここに甲と乙と言う二つの社会があるとする。それは別々の共同体だが、あらゆる案件はすべて同じだと前提する。人口も面積も資源も教育程度も同じで、両方とも失業率が3%と設定。34頁・


35頁・そこで、甲の方の失業者は何とか生業を得ようとして職業紹介所に行ったり、新しい技術の訓練を受けたり努力するが、まだ職に就き得ないでいる。一方、乙の社会の失業者の中には一人の知恵者がいて、こんなことを言い出した。「俺たちの社会ではだれも経験したことがないが夏になると蚊というものが出てくる国が南の方にあるそうだ。その蚊なるものを取りに行ってこよう。そうして養殖し、国中に広げる。そうすれば必ずわが国民は、蚊取り線香がほしい、蚊帳がほしい、と言うに違いない。

そこで、俺たちのうち半分は、どこか蚊の居る国からかを輸入するために、その国に出張して、蚊を籠な何かに入れて持ち帰る。後の半分は、蚊取り線香や蚊帳をつくることに携わる。これは必ずなりたつ商売に違いない。どうだ、やろうじゃないか」ということで、仕事に取り掛かったとする。

もともと甲にも乙にも蚊というものは存在しなかったのにだ。

かくして乙の国では、失業者の半分が、南の国からかを持ち込んできて、夏ににはそれをパッと繁殖させた。

すると乙の国民はかなわない。何か防衛手段はないかとお店に行くと、すでに蚊取り線香や蚊帳が売られている。これらの品は、同じ失業者同士があらかじめ計らって製造してあったのだが、どんどん売れる。その結果、乙の国では、失業者はなくなり、GDPは甲の国のそれより高くなった。失業者が3%であったとすれば、そこに3%分のGDP格差が生じたわけだ。しかし、誰も経済的福祉が乙の国においてそれだけ高くなったとは言わないだろう。・(同書・55~56頁)36頁・


36頁・これは一つの作り話である。しかし、現実の社会でこれに似た方法で国民が払わされる費用が増え、従ってその国のGDPが増えている事例はないだろうか。世界で五指に入る国防費を払い、景気対策(公共事業など)に高いコストを払わされるのはその典型例ではないのか。

GDPという数値のプラス成長を国の政策目標とすることが本当に賢明なことなのか。到底そうとは思えない。早くこうした成長至上主義の発想から抜け出て、真の豊かさを求めたらどうか。特に政治家にそのことを求めたい。

かつて「緑の国」と欧米から羨望視された日本が、土建国家と言われるほどコンクリートで塗り固められた国に変わった。それが20世紀の特徴だったかもしれない。地球環境は緑の回復こそが大切である。それが求められる最たる国が日本ではないか。これからの国づくりは緑を増やす運動、緑化倍増を唱えることも重要な公共政策ではないか。

国土の均衡は大きく失われたままである。大都市の過密の一方で、地方都市は過疎に苦しんでいる。経済大国は必ず軍事大国になると言われる。近隣諸国の日本を見る目もそこに注がれている。経済大国を軍事大国にするのではなく、いかに均衡のとれた生活大国に導くか、それがこれから目指すべき国家のあり方である。37頁・15/10/22 8時21分・


・7・新たな「公共」の台頭・7頁・

・公共とは何か・


改めて「公共」のあり方が問われている。国、地方ともだが、その背景にはNPM新しい公共経営)と言う改革潮流への動きがある。同時に地方分権に伴う中央地方関係の変化、厳しい財政状況下での財政再建をねらう(公)の見直しといった、複合的な要因がある。

20世紀は先進諸国が押しなべて政府機能を膨張させた世紀であった。これを行政国家化現象と呼ぶが、そこには、資本主義が委ねる市場原理の限界から生まれる「市場の失敗」を、政府の手で解決しようという基本的な考え方があった。

しかし、政府機能は非効率で非効果的であるという反省が生まれ、膨張した政府機能をいかに縮小し、最適化するがが問われている。37頁・


38頁・15/10/22 9時14分・

そこでは「市場の失敗」の失敗を再び市場原理を導入することで取り戻せるかどうかだ。

政府の失敗より市場の失敗の方がまだましだと考える。否が応でもここにきて「公共とは何か」を問わざるを得ない。

地方レベルでも2003年9月、地方自治法が改正され、「公の施設」の管理運営を民間企業やNPOなど幅広く各種団体に委託できる「指定管理者制度」が導入された。民間にとっては公共サービス分野に参入するビジネスチャンスともいえる。全てが民間の指定管理者に委ねられると、10兆円規模のビジネスチャンスにもなるともいわれる。逆に行政側にとっては、競争相手の出現と行政サービスの外部化でそれだけ仕事を失われる可能性がある。

この背後には、イギリスなど欧米を中心に生育されてきたNPMの潮流がある。NPMの主張は、・1・民間参入の拡大・2・顧客主義、成果主義、・3・執行と企画に分離(エージェンシー化、独立行政法人化)である。


保守党から労働党のブレア政権に変わったイギリスでもこの潮流は維持され、現在、民間活力や市場メカニズムを活用した官民パートナーシップによる公共サービスの民間開放(PPP)が積極的に展開され、成果を上げている。この改革潮流はアメリカやニュージーランド、オーストラリア、カナダ、オランダ、スウェーデンと広まり日本でも90年代後半から国や地方で公会計の見直しや政策評価の導入、PFI、指定管理者、そして市場化テストという形で実践されている。39頁・


39頁・15/10/25 8時43分・

・新たな公共とは・


Photo

・新たな公共とは・

もとより、「新たな公共」といっても、その定義は必ずしも明確ではない。

私たちの生活は、自身で決定し自身の責任で解決できる私的領域がある一方、自身ではどうにもならず、他人の意志に多くを依存し他人との共同負担で問題解決をしなければならない領域がある。それが公共領域である。

私的領域はそれぞれが自由に仕事を選び各種の民間サービスを購入することで支えられる。しかし、公共領域は道路、福祉、ごみ処理、介護、防災、環境保護のどれ一つとっても「行政」との関わりなくして問題解決はできない。

一般の生活者にとって「行政」との関わりは、こうした個人や企業では解決できない公共領域について行政に問題解決者、サービス提供者としての役割を期待するからだ。

もっとも実際、私的領域と公的領域を截然と分けるのは難しい。しかも相互の関わりも深い。国、自治体は民間サービスを提供する企業や団体の活動に対し、規制、助成、補完という形で深いかかわりを持ち、良好な社会生活が営まれるよう工夫している。39頁・


40頁・15/10/25 16時16分・

逆に、国や自治体の活動に民間が関わることも多い。自治体が民間に仕事を委託するという場合もあるし、さらにPFIやNPO、NGOの活動に見られるように民間団体が公共サービスの供給主体に関わり方もある。から現在、公務は官の独占物ではない・・と言われているのである。

・「公助」の役割・

従来、公・私の役割分担について、社会活動を大きく公的部門と民間部門に分け、を営利的(A)か非営利的(B)に分けて説明してきた。しかし、今後は図に示したように相互に重なる、新たな(公)の領域が拡大していくと考えられる。

市場経済の基本は「自助である。自助を補完し、市場の失敗を是正するのが国、自治体、すなわち「公助である。しかし、今後は両者の中間ないし混合した領域として、新たな(公)が台頭してくる。40頁・


41頁・そこには「公助」と言う考え方が必要となる。助け合いや協働の部分を拡大することで自助と公助の隙間を埋めて行こうという発想で、これを「豊かな公」表現している。

採算の難しい分野では民による官の肩代わりは難しいその隙間を埋めるのが、「共助」という第三の領域である。それには市民の社会参加やネットワーク活動の充実が必要である。それはソーシャル・キャピタル(社会的資本)の蓄積を意味している。

社会的資本の蓄積は地域活性化の観点からも重要である。日本では、これまで公共投資を通じてハードの社会資本の構築が精力的に進められてきた。しかし今後は、限られた財源をハードからソフトに振り向け、ソフトの社会的資本の蓄積を進めることが大切である。市民のニースを満たし、地域社会を活性化させる方途はそこにあろう。

これからは社会的資本の蓄積に向けて大きく舵を切るべきではないか。共助の活動を担うNPOやボランティアに対する寄付税制や活動への優遇措置を拡大すべきである。

最近言われる「協働」という表現には、互いがパートナーとして支えあうという面もあるが、もう一面では、官と民が互いに競争相手になることも含まれる。マクロ的には、互いが競争していても公共分野を相互に担っているという意味では、やはり協働と言えるからだ。41頁・


これが自治の現場で理解されるのには少し時間を要しようが、これからの公共経営には必要不可欠なことがらである。42頁・1章終わり・


コメント

社会的資本の蓄積は地域活性化の観点からも重要である。日本では、これまで公共投資を通じてハードの社会資本の構築が精力的に進められてきた。しかし今後は、限られた財源をハードからソフトに振り向け、ソフトの社会的資本の蓄積を進めることが大切である。市民のニースを満たし、地域社会を活性化させる方途はそこにあろう。


これからは社会的資本の蓄積に向けて大きく舵を切るべきではないか。共助の活動を担うNPOやボランティアに対する寄付税制や活動への優遇措置を拡大すべきである。


最近言われる「協働」という表現には、互いがパートナーとして支えあうという面もあるが、もう一面では、官と民が互いに競争相手になることも含まれる。マクロ的には、互いが競争していても公共分野を相互に担っているという意味では、やはり協働と言えるからだ。41頁・


これが自治の現場で理解されるのには少し時間を要しようが、これからの公共経営には必要不可欠なことがらである。42頁・1章終わり・

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