« 自治体をどう変えるか (ちくま新書) [新書] 佐々木 信夫 (著) 第8章 市町村の将来―合併後・15・10・12 16時52分・191頁・・地域力の発想・・地域力の確保・・ | メイン | 大村智氏の偉業を私が伝えることなどまったく不可能なのだが、これだけは自信を持って言えることがある。プロローグの一番最初の写真、大村氏に救われた大勢の子供たちの飛び抜けるような純粋無垢な笑顔に囲まれて、笑いながらピースサインをカメラに向ける大村氏。その写真に、大村氏の魅力がすべて詰まっている。読了後、いつまでも気持ちの良い余韻に包まれる素晴らしい名著であった。アフリカの風土病を退治して特許料250億円を受け取った学者物語 »

2015年10月18日 (日)

自治体をどう変えるか (ちくま新書) 佐々木 信夫 (著) 第1章 変化する行政環境・地方自治は、住民の幸せと魅力ある地域をつくることが狙いだ。これからは国の指導で地方自治を営むのではなく、自前の政策をつくり、地域をつくっていく時代である。18頁・


引用


自治体をどう変えるか (ちくま新書) [新書]  佐々木 信夫 (著)

 財政規律を失った国家の破綻、存在感が薄れる府県、平成の大合併など、わが国はいま明治維新、戦後改革に次ぐ、大改革が求められる「第三の波」に遭遇している。行政活動の三分の二を担う地方は、二〇世紀の集権下で行われてきた他者決定・他者責任の経営から早急に脱皮しなくてはならない。豊富なデータに基づく具体的な提言を行いながら、「官」と「民」の関係を問い直し、分権下の地方自治、新たな自治体経営の方向を示す。

 明治維新、戦後改革に次ぐ「第三の波」に遭遇している今、地方は他者決定・他者責任の経営から早急に脱皮しなくてはならない。現実を見据えた分析に基づき、「官」と「民」の関係を問い直し、新たな自治体経営の方向を示す。

新書: 254ページ出版社: 筑摩書房 (2006/10)発売日: 2006/10

目次


第1章 変化する行政環境・平成27年10月18日 日曜日・

・1・構造改革の潮流・17頁・古い上着・


20世紀から21世紀へ・・日本は今、大きな潮の変わり目にある。古い上着を脱ぎ棄て、新しい上着に着かえることが求められている。だが、その衣替えはそう簡単ではない。長らく続いた中央集権体制には慣れとしがらみがある。「官から民へ」「国から地方へ」と構造改革が進められているが、行きつ戻りつの感を否めない。

本来、税財源の分権化が狙いの三位一体改革だが、財政再建に躍起となる国は

地方財政の縮小」のチャンスと税源移譲より補助金、交付税の大幅削減へ傾いている。17頁・


18頁・15/10/18 3時54分・

義務教育は市町村の自治事務であるが、国は依然、旧来通り学習指導要項や教科書検定で教育内容を統制し、教員人件費の配分権を留保したままだ。「教育は国家の基本なり」を盾とするなら、なぜ「ゆとり教育」を掲げたり、それを否定したり、方針がふらつくのか。

これではかつての「猫の目農政」と同じである。混乱するのは教育現場であり、迷惑するのは国民である。

・転換期に立つ地方・

いま地方自治が面白い動きにある。地方分権も住民との協働も町づくりも進化の過程にあるからだ。手作り、手触りを感じうる地域づくりが時代のトレンドである。市町村合併も新たな変革の機会を与えている。

合併にはいろいろな課題もあるが、「場」が変化することは何かを変えるきっかけとなる。平成の大合併をピンチでなくチャンスととらえると、次代の設計へ夢が膨らんでくるはずだ。道州制の導入も視野に入ってきたが、これも同様だ。これまで内政にシフトしてきた国の役割を、外交、防衛、危機管理など外交にシフトすることとセットで都道府県の解体と再生を図る・・それが分権国家への切り札とされる道州制の導入である。

地方自治は、住民の幸せと魅力ある地域をつくることが狙いだ。これからは国の指導で地方自治を営むのではなく、自前の政策をつくり、地域をつくっていく時代である。18頁・


19頁・金がないから、アイディアがないからと中央省庁に陳情を繰り返しても、何も変わるまい。自ら限られた財源と資源と知識をフル動員して地域の再生を目指すべきである。

内政については、国は地方を補完するのが本来の役割である。「補完性の原則」を踏まえた政策運営を行うべきで、箸の上げ下げや地域の隅々まで国が指図するような時代ではない。その点、集権化で育った官僚や国会議員の意識改革が求められている。

・「人口減」前提・

自治体は、これまでの霞が関に責任を持つ行政から、住民に責任を持つ行政に変わらなければならない。中央集権下の下での「他社決定・他社責任・他社負担」が原則であるかのような地方行政の論理は終わった。

これからは「自己決定・自己責任・自己負担」を原則とする地方「自治」の論理が作動する。「執行あって経営なし」、「行政あって政治なし」問われた戦後地方自治の大きな転換期である。

日本は2005年から人口減に転じた。20世紀の人口増の時代が終わり、21世紀は人口減少時代だ。これから少子化対策を本格化しても、このトレンドは半世紀以上続こう。とするなら、これまでの「人口増」前提のあらゆるシステムを「人口減」前提のシステムにパラダイム転換することだ。19頁・

20頁・15/10/18 4時17分・国もそうだが、地方自治体もあらゆる政策分野、あらゆる行財政システムについて、人口減を前提に制度や仕組みを変えなければならない。


・2・国から地方へ・20頁・

・分権化の流れ・

日本の行政は「分権化」と「民間化」を改革潮流としている。

「分権化」についての流れは、1993年の「地方分権の推進」を謳った国会決議に始まる。その趣旨に沿って95年に地方分権推進法が定められ、2000年から地方分権一括法が施行された。

この結果、国と地方を上下・主従の関係に固定してきた機関委任事務制度は全廃され、対等協力の関係に置き換えられた。

もっとも機関委任事務制度は全廃されたが、依然、個別法の規制がそのまま残っており、自治体を縛っている。補助金廃止などカネをめぐっては、三位一体かくかくの顛末にあるように国と地方、抵抗勢力のせめぎ合いが続いている。


21頁・

官僚を背後から支え省益を死守しようとする族議員の跋扈を見ると、会告に抵抗する江戸末期の守旧勢力に似ている。

義務教育は市町村の自治事務だが、政府(文科省)は国家教育論を立てにその権限、財源を手放そうとしない。文教族と言われる議員らが背後でそれを操っている。いったい政治家は何を考えているのか。古い国家間なのか、それとも省益を守るのが政治家の仕事とでも考えているのだろうか。少なくとも今行われている地方分権改革は1,993年から政治主導で始まった改革であるその子を忘れ、改革の志を失った族議員的な政治家に国家のあり方を論ずる資格はない。


・政治の役割・

政治家は国民の利益を最優先するのが仕事である。そこで抑えられるべきは既得権益を守ろうとする守旧派と官僚の抵抗のはずだ。行政を監視し統制するのが政治の役割である。もし、政治家が率先して分権化に抵抗するようなら話にならない。

集権体制から分権体制への移行を国家意思として決めた以上、政治家が主導して分権化を進めなければならない。

2,000年からの第一ステージの分権化は、機関委任事務制度の廃止にせよ、三位一体改革にせよ、それは自治体の権限、財源の自由度を高める「裁量権の拡大」を狙う改革だった。21頁・


22頁・15/10/18 4時39分・

国の関与を縮小・廃止することで裁量権を拡大しようとする。これは自治体を国から「自由」にするという意味で「団体自治」の充実を目指す改革ともいえる。

次に来るべき第二ステージの分権化は、自治体の役割、質を高める改革へシフトし、住民自治を充実させる改革でなければならない。地方議会が政治の中心として住民自治の輪の中の真ん中に座るような制度的保障と運営が必要となってこよう。

地方分権は住民不在の改革であってはならない。分権化の効果は住民に及んでこそ意味がある。より安いコストで、より質の高いサービスを提供できるよう、自治体は政策官庁として知恵を絞らなければならない。そのためには住民の参画機会を増やし、地方の国政参加への流れを創りだしていくことも必要となる。

適切な表現でないかもしれないが、これからは「上からの改革」ではなく、「下からの改革」が勢いを持たなければならない。権力の分権にとどまる「地方分権」から、権力の確立を意味する「地方主権」へシフトしていく、それが第二ステージに期待される地方分権改革である。22頁・


・3・官から民へ・23頁・15/10/18 4時51分・

・民間化の潮流・

もう一つの改革潮流は、行政「民間化」である。

簡素で効率的な小さな政府作り…これは私たちの望むところである。これをどう実現するか、その解答が公共分野への市場原理の導入である。公共分野は「官」が独占するものだという考えを改め、公共分野も民間にできることは民間に委ねようと考える。それがニュー・パブリック・マネージメント(NPM)と呼ばれる改革潮流である。

欧米では20年前から始まったこの潮流は、市場化テスト(官民競争入札)や指定管理者制度、PFI(民間資金を活用した社会資本の整備)、政策評価と言った形で日本でも実行に移されている。郵政民営化の例ではないが、これから公共分野の中で公務員を必要とする仕事はいったい何なのか、そのことも根本から問われている。

「パブリック(公)」な仕事は、必ずしも「ガバメント(官)」が独占するもんではない。23頁・


24頁・そう考えることが時代の流れだ。ただ注意すべきは、しからば民間にパブリックな仕事を担うノウハウと公共精神がどれだけ蓄積されているかである。建築確認業務を民間機関に開放したら、営利目的が優先されマンションの「対戦強度偽装」が横行してしまう。最近のこうした事件を見たら、公共分野への市場原理導入に躊躇する向きもあろう。

民間にはもっと公の精神を持てと言わざるを得ない。このことは企業や団体にとどまらず、NPO,NGO、ボランティア、そして一般市民にも広く問われている。

もっとも行政の民間化は緒についたばかりだ。日本は未だ「閉じた官僚王国」かもしれない。欧米では不法入国者の管理施設、航空管制を含む空港運営、自動車運転免許の試験・発行などまで民間が行われているが、日本では認めていない。公立病院の民間委託は認めず、医療機器の整備ならよいと小出しにする状況だ。「民」への開放度はまだ「途上国」レベルと言われる。「パブリック(公)」な仕事は「ガバメント(官)」が担うのが当然だと、根っこからそう考えている公務員も少なくない。

それでよいのか、発想の転換が必要だ。

「公」と「官」を混同してはならない。欧米では公共の仕事の中で「民間」が対応しきれないものを「官」が担うという発想にある。民を補完するのが官の役割という訳だ。しかし、日本では公の仕事は「官」が独占するものと言う意識が目立つ。官を補完するのが民だという発想から抜けきれない。24頁・


25頁・欧米の常識は日本の非常識なのだろうか。

筆者は何も欧米の発想を礼賛するつもりはない。ただ、民間への随意契約を競争入札に切り替えたらコストが二割以上安くなった。中央省庁の最近の動きを見ても、民間が担えば事業は効率化し、長期的に補助金など国の負担は減り、逆に税収は上がると考えることができる。

今後、公共サービスの多くに市場化のテスト(官民競争入札)を導入し、民間の知恵と資金を使うなど、可能な限り「公」の民間開放を進めるべきだ。その際、役所は民間活動の公益性を担保できるよう、民間に対する監視と規制をしっかりやることだ。


・自治体を政策官庁へ・

小さくて、質の高い自治体をめざす。事業官庁より、政策官庁をめざす・・これからの自治体像はそこにある。そのために議会を変え、政策を変え、職員を変えるのである。ただ、ひとことに「自治体を変える」と言っても、選択肢は一つではない。

具体の分野では、民間に任せるべきか役所がやるべきか、職員削減分をパートで補うか派遣社員で賄うか、補助金は切るべきか残すべきか、それぞれ論争的なテーマが多い。

「格差」を問題とし、勝ち組、負け組と言う表現も使われる。日本は大都市と地方都市と農山村では、経済面でも人口面でも産業面でも大きな差がある。25頁・


26頁・この不均衡発展の社会で地方分権を定着させようとしたら、格差を容認することが前提とならざると得まい。しかし、それを望まない人たちもいる。どうしたらよいのか。

格差を個性化と言う表現で済ます考えもあるが、公共サービスに極端な差ができることを認めるのかどうか。いずれにせよ、自治体はそれを住民に説明できるよう理論武装をし、解決主体とならなければならない。それが自己決定、自己責任の地方自治であり、自治体を「事業官庁」から「政策官庁」へシフトさせる意義でもある。

・4・経済環境の変化・26頁・15/10/18

15/10/18 6時3分・


・進むグローバル化・

変化当店では、経済社会のみならず、人々の暮らしや意識も変化している。地方自治への影響は、地域レベルにとどまらず、国家全体、地球規模のレベルまで関わっている。

中東情勢が変化すればがソ連の値段も変わる、中国の工業化でパソコン価格の破壊も進む、東南アジアの農産物攻勢で農産物の価格も暴騰するのである。


27頁・経済社会に限らず、テロや大規模災害の発生で日常生活が打撃を受ける。これがグローバリズムの特徴だ。その点、地方の再生はもはや地域とか国家レベルだけでなく、アジア、世界へと広げて考えることが必要である。これに携わる人材育成も同様と言えよう。

・景気の二重構造・

日本の経済をどう見たらよいか。景気は踊り場を脱し、長期不況を抜け出したと言われる。この五年間で小泉政権は不良債権の処理に成功し、日本経済をプラス成長が見込めるまでに立て直したともいわれる。果たして、そうなのか。

確かに最近、銀行の貸し出しは緩み、マンションやビルは建築ラッシュである。ゼロ金利政策も終わり、15年ぶりに東京など大都市圏の地価も上昇に転じた。銀行もIT関連企業も黒字決算で、新卒採用も上向きにある。経済は「明るいきざし」、こういった報道に喜びを覚える人々は少なくない。

しかし、問題はそれが日本全体に及んでいるかどうかだ。五年続いた日銀のゼロ金利政策で銀行は潤ってきたが、それは銀行保護の金融政策によるものである。好調な企業はいつ部に過ぎず、好景気に転じたと言う見方は上滑りではないか。27頁・


28頁・企業利益の拡大は社員のリストラや合併統合、下請けを泣かせてのコスト削減結果であって、高度成長期のように社員全体が潤っているわけではない。現在の公共はリストラという犠牲の上に咲いた「あだ花」と言ったら言い過ぎだろうか。

と言うのも、中小企業の倒産件数は依然多いのである。雇用情勢も中後年を中心に厳しい。高卒の求人倍率は、東京では高いが、地域によっては依然低い。雇用情勢も、青森、秋田、沖縄などは完全失業者が6%以上である(2,006年1~3月調べ)。

大都市が公共でも、恵まれない地方都市も多い。過疎は止まらず、地価は下落し、中心市街地の空洞化が著しいところも少なくない。地域に勝ち組、負け組がはっきりしてきている。数で言うなら、不況と負け組の方が圧倒的に勝る状況ではないか。

こうした現象を記域の「二重構造」と呼ぶことが出来よう。大都市と勝ち組だけを見て不況を脱したというのは、早計ではないか。将来の雇用不安にあえぐ人々も後を絶たない。

景気が明るく見えるのは、湯水のように注ぎ込んだ借金財政による「官需経済」の下支えがあったからではないか。だが、こうした借金漬けの政治手法に不安を抱く人々も多い。

 バブル経済の崩壊から15年経つ。日経平均株価は15,000円のところまできたが、依然バブル前の水準には届かない。その傍ら、国、地方の借金合計は1000兆円に届く勢いだ。現在でも、国と地方合わせて40兆円を超す国債・地方債の発行が続いている。28頁・


29頁・15/10/18 15時8分・

平成不況のピーク時の1998年には15兆円も公共事業費がつぎ込まれたが、現在はその半分(7兆5千億円)。不必要な公共事業は減らすべきだが、必要なものもまだ多い。ともかく削減の結果、地方経済は冷え込んだままだ。市町村合併でバラ巻かれた特例債が地域に一時的な「合併特需」現象を生んではいるが、これとて長続きはしない。合併の終息とともに特需現象も消えていく。29頁・

・5・労働市場、職業観の変化・29頁・15/10/18 15時14分・

・増えるフリーター・

・進むグローバル化・

変化当店では、経済社会のみならず、人々の暮らしや意識も変化している。地方自治への影響は、地域レベルにとどまらず、国家全体、地球規模のレベルまで関わっている。

中東情勢が変化すればがソ連の値段も変わる、中国の工業化でパソコン価格の破壊も進む、東南アジアの農産物攻勢で農産物の価格も暴騰するのである。

27頁・経済社会に限らず、テロや大規模災害の発生で日常生活が打撃を受ける。これがグローバリズムの特徴だ。その点、地方の再生はもはや地域とか国家レベルだけでなく、アジア、世界へと広げて考えることが必要である。これに携わる人材育成も同様と言えよう。

・景気の二重構造・

日本の経済をどう見たらよいか。景気は踊り場を脱し、長期不況を抜け出したと言われる。この五年間で小泉政権は不良債権の処理に成功し、日本経済をプラス成長が見込めるまでに立て直したともいわれる。果たして、そうなのか。

確かに最近、銀行の貸し出しは緩み、マンションやビルは建築ラッシュである。ゼロ金利政策も終わり、15年ぶりに東京など大都市圏の地価も上昇に転じた。銀行もIT関連企業も黒字決算で、新卒採用も上向きにある。経済は「明るいきざし」、こういった報道に喜びを覚える人々は少なくない。

しかし、問題はそれが日本全体に及んでいるかどうかだ。五年続いた日銀のゼロ金利政策で銀行は潤ってきたが、それは銀行保護の金融政策によるものである。好調な企業はいつ部に過ぎず、好景気に転じたと言う見方は上滑りではないか。27頁・

28頁・企業利益の拡大は社員のリストラや合併統合、下請けを泣かせてのコスト削減結果であって、高度成長期のように社員全体が潤っているわけではない。現在の公共はリストラという犠牲の上に咲いた「あだ花」と言ったら言い過ぎだろうか。

と言うのも、中小企業の倒産件数は依然多いのである。雇用情勢も中後年を中心に厳しい。高卒の求人倍率は、東京では高いが、地域によっては依然低い。雇用情勢も、青森、秋田、沖縄などは完全失業者が6%以上である(2,006年1~3月調べ)。

大都市が公共でも、恵まれない地方都市も多い。過疎は止まらず、地価は下落し、中心市街地の空洞化が著しいところも少なくない。地域に勝ち組、負け組がはっきりしてきている。数で言うなら、不況と負け組の方が圧倒的に勝る状況ではないか。

こうした現象を記域の「二重構造」と呼ぶことが出来よう。大都市と勝ち組だけを見て不況を脱したというのは、早計ではないか。将来の雇用不安にあえぐ人々も後を絶たない。

景気が明るく見えるのは、湯水のように注ぎ込んだ借金財政による「官需経済」の下支えがあったからではないか。だが、こうした借金漬けの政治手法に不安を抱く人々も多い。


 バブル経済の崩壊から15年経つ。日経平均株価は15,000円のところまできたが、依然バブル前の水準には届かない。その傍ら、国、地方の借金合計は1000兆円に届く勢いだ。現在でも、国と地方合わせて40兆円を超す国債・地方債の発行が続いている。28頁・


29頁・15/10/18 15時8分・

平成不況のピーク時の1998年には15兆円も公共事業費がつぎ込まれたが、現在はその半分(7兆5千億円)。不必要な公共事業は減らすべきだが、必要なものもまだ多い。ともかく削減の結果、地方経済は冷え込んだままだ。市町村合併でバラ巻かれた特例債が地域に一時的な「合併特需」現象を生んではいるが、これとて長続きはしない。合併の終息とともに特需現象も消えていく。29頁・


・5・労働市場、職業観の変化・29頁・

15/10/18 15時14分・


・増えるフリーター・

雇用はどうか。都市では経費削減からリストラされた中高年が後を絶たない。東京の大企業では、今や正社員は3分の1で、残りは契約社員(ないしは派遣社員)3分の1とパート3分の1のところが多い。不況を乗り切ったと言っても、大胆な合理化で人件費を極端に圧縮することで、利益回復を図った企業が多いのである。


30頁・15/10/22 4時34分・

この過程で、正規雇用を切り詰めるだけ切り詰め、人をコストとしか見ない風土が醸成された。

企業の社会的責任とは何か。職場を追われた従業員たちはどこに向かったか。その失業対策は役所責任で、税金で賄えということなのか。企業は社会に雇用の場を提供する責務がある。バブル崩壊後に行われたリストラには課題とすべき点が多い。

若年層に、200万人とも300万人ともいわれるフリーター、ニートが溢れている。転職が増え、労働力が流動化することは人的資源の適正化と言う点でよい面もある。

しかし、現在のフリーターやニートをそうした目で見られるか。既存組織への加入を嫌い、正規労働を拒み、その日暮らしのような生活。早朝から開業前のパチンコ店に列をなす。誰と話すわけでもなくケータイを片手にメールを打つ。服装にも立ち姿にも覇気がない・・そうした姿を見ると、「豊かさの中の貧困」ではないかとさえ思えてくる。


数字で見ると、正規雇用(非農林業)が10年前の約3700万人(1995年)から3300万人(2004年)へ減っている。それに対し、非正規雇用は同じ時期に約980万人から1540万人へと560万人も増えている。特に在学生を除く24歳以下の非正規労働比率は、この間に男性でも10%から27%へ、女性でも16%から39%に上昇した(2006年度版「労働白書」参照】。諸外国でもパート労働は増えているが、日本の増加のスピードは格段に速い。30頁・


31頁・

ある調査によると、25歳から29歳の間にフリーターであった男性で、五年後に正規雇用となった人は45%程度に止まるという。今後、フリーターの長期化から30歳代で正規雇用になることはさらに難しくなるだろう。


こうした現象は、晩婚化、少子化にも影響する。学卒一年後にフリーターだった人と正規雇用だった人の30歳時点における大卒男性でも未婚率は、バブル崩壊前は正規雇用の人を9%上回る程度だったが、崩壊後は23%も上回るようになったとされる。経済的制約や将来の見通しが立たないため、結婚しない(できない)若者が急増している。

これは国民年金未納者の急増とも絡む。非正規労働者などを含め、この五年間で年金未納者が897万人(2000年)から1119万人(2005年)へ222万人も増加した。これでは年金制度の崩壊すら懸念される。

こうした非正規雇用の増加の背景には、若者の職業観の変化もあろうが、それ以上に人件費を削減し固定経費化を避けたいとする企業心理の方が大きい。産業構造や技術構造の変化で、高度で専門的な技術を要する仕事と、要さない仕事の技術格差も拡大している。

非専門職に充てられる非正規社員の賃金は低く、人員削減された正社員の職場は過労が常態化している(清家「格差是正で指導力発揮を」日本経済新聞「経済教室」2006年3月28日参照)。31頁・


32頁・

こうした雇用情勢を見ていると、年金、保険、納税、失業など様々な点で行政のあり方と関わってくる。神の景気回復は、企業利益だけの大きさで計るのではなく、企業を含む社会全体のシステムが正常に機能しているかどうかで計るべきだというのが、筆者の見方だがどうか。

・団塊世代・・2007年問題・15/10/22 5時21分・


続き・2015年10月22日 (木)自治体をどう変えるか (ちくま新書) [新書] 佐々木 信夫 (著) 第一章・・6・成長政策の危うさ・33頁・・・39頁・

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2015/10/633-8020.html


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