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2016年1月28日 (木)

行政官僚と産業界との癒着は封建制度時代から引き継がれている国のかたちと・・・・・デンマーク人は幸福な国をつくることに成功したのか どうして、日本では人が大切にされるシステムをつくれないのか 単行本–2008・2 ケンジステファンスズキ (著)

引用


引用2016年1月28日 (木)第7章 福祉制度をつくり出したデンマーク・福祉を考えなかった日本・平成28年1月28日 木曜日・

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2016/01/7-28128-deb6.html

11:09 2016/01/28


なぜ、デンマーク人は幸福な国をつくることに成功したのか どうして、日本では人が大切にされるシステムをつくれないのか・第4章 デンマーク人が国を愛する心の原風景・平成28年1月26日・

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2016/01/4-28126-6e43.html

 16:46 2016/01/26


なぜ、デンマーク人は幸福な国をつくることに成功したのか どうして、日本では人が大切にされるシステムをつくれないのか 単行本 – 2008・2 ケンジステファンスズキ (著) 5つ星のうち 4.4 12件のカスタマーレビュー

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2016/01/20082-5-44-12-3881.html

9:36 2016/01/26 


2016年1月23日 (土)第2次世界大戦の敗北により、人心・国土とも荒廃したドイツ。その復興を担ったのが、73歳で首相に就任、14年間その座にあったアデナウアーである。戦前、ケルン市長として活躍した彼だが、ナチに迫害され引退。戦後、保守政党を率い、「復古」「反動」のレッテルを貼られながらも、常 著書に『ドイツの憂鬱』、『新生ドイツの挑戦』(丸善ライブラリー)、『あっぱれ技術大国ドイツ』、『ドイツ病に学べ』『住まなきゃわからないドイツ』『びっくり先進国ドイツ』『顔のない男・東ドイツ最強スパイの栄光と挫折』(以上、新潮社)など。

http://amamioosoma.synapse-blog.jp/yosiharu/2016/01/27314-5f56.html

14:54 2016/01/23


なぜ、デンマーク人は幸福な国をつくることに成功したのか どうして、日本では人が大切にされるシステムをつくれないのか 単行本–2008・2 ケンジステファンスズキ (著) 5つ星のうち 4.4   12件のカスタマーレビュー


 



第4章・84頁・ここまで16/1/27 9時3分9秒・


・2・地方自治無くして民主主義国家はあり得ない・84頁・


・中央政府になびかない国民性・


さて、1,250年頃のデンマークの人口は約80万人といわれ、各地に集落をつくって散在していました。王は各種の法律を出して国家統一を進めますが、ユトランド半島では、地方の有力豪農がその領地を統治していました。ユトランド半島に住む人々の自律性は高く、王権には服従しない地方気質が育っていきます。

中央政府は1,241年、フェン島と南北ユトランド半島に適用する「ユトランド法」、シェーランド島は「エリック・シェーランド法」、東部には「スーコンスク法」を公布、その他の地域には「教会法」などを適用して、統一国家化や地方への支配権の強化を進めていきますが、デンマーク全土をカバーする法律が公布されたのは、クリスチャン5世(在位1,670~99年)が国民の人権、宗教、通商などを定めた「クリスチャン5世のデンマーク法」(1,683年)でした(127頁参照)。

2007年1月1日からデンマークの行政システムは、国の下に5つの地方行政区(日本の県に相当する)と98の市町村が置かれる形に再編成されましたが、それ以前は13の地方行政区と271の市町村で構成されていました。このように13の県を5つの県に大幅縮小したのは、これまで県で取り扱っていた社会福祉や教育などの業務を市町村へ移管することで、住民と行政の距離を短くするという制度設計の変更に伴うものでした。84・


85頁・

デンマークではできるだけ住民に近いところで行政が行われるというベクトルが働いているようです。

今日においてもデンマーク人は中央権力に迎合しない国民性を持っています。これは、国土が半島と点在する島で構成されているという地理的な事情から、地方の独立性が高く歴史的に中央集権国家の体制が発達しなかったためと考えられています。


・王権と神権・市民権が衝突して、王が譲歩していった・


1,215年、イギリスでは「マグナ・カルタ(大憲章)」(ラテン語でマグナは偉大な、カルタは憲章、契約書の意味)が公布されています。「マグナ・カルタ」は「イギリスの憲法の土台となった文書。封建貴族たちが、ジョン王の不法な政治に抵抗して承認を強制したもの」(「広辞苑」)で、国王の権力を限定する63カ条からなる条項でした。

とくに重要な項目は、「教会が王の支配から自由であると宣言」(第1条)、「王の徴税権を制限」(第12条、王家は戦争に際して戦争協力金などの名目で税金を集めていた)、「自由市は公益の自由を持ち、自らの権限で関税を決める権限の規定」(第13条)、「議会招集の規定」(第14条)、「市民は法から裁判によらなければ、自由や生命、財産を犯されない」(第38条)、など、教会や市民に対する王権の行使を制限する性格を持った文書でした。


この「マグナ・カルタ」の条項を改めて見ると、民主主義の基本原則が織り込まれていることに気付きます。当時は、「王権神授説」あるいは「帝王神授説」と言う「君主の権力は神から授けられたものであり、人民に反抗の権利はないとする説」(広辞苑)が信じられていた時代であったため、負う(君主)の権力は絶対であり、国王は自分の思うように国を治めることができていたのでした。85・


86頁・その時代に「マグナ・カルタ」は王権の権力の制限を設け、権力行使の正当性の担保に教会・市民の承認を求めたのです。


「マグナ・カルタ」によって近代の民主主義の重要な原理である「法治主義」「議会主義」が提示されたのですが、実は、「マグナ・カルタ」の少し後に、同じような事件がデンマークでも起きています。

バルダマー・サイヤーの3番目の息子クリストファー1世(在位1,252年~59年)は、教会との権力争いが原因で暗殺されます。その王位を継承した息子のエアリック・クリッピング(在位1,259年~86年)は公開の力に屈し、戴冠式に際して国家の運営は教会の指令に基づくことを「確約」しました。


このクリッピング王が教会(市民)から確約させられた最も重要な原則は「いかなるものでも法律と判決なしに拘束すべきではない」というものでした。つまり、中央政府の王の権威と言えども「法律と判決」から自由ではないという近代法の原則の承認でした。86・


・首都コペンハーゲンに本社が無い・

この様に早くから王権と教会・市民の主張が衝突して、王権が規制されていたこと、また、半島と島で構成されている地理的条件もあって、強力な中央集権国家体制が発達しなかったデンマークには、産業界と国家との間に癒着の構造が生まれることがありませんでした。86・


87頁・

日本のように中央政府の関係者(政権政党、国家官僚など)と関連業者が親密な関係になり、例えば防衛庁の役人のトップが300回以上のゴルフ接待を受けたり、その奥さんの高級カラオケ店の遊興費まで業者に面倒を見てもらったというような、スキャンダラスな報道にはデンマークではお目にかからないのです。

業者と中央政府の役人たちとの日常生活的な密接な付き合いがありませんから、大企業でも首都コペンハーゲンに本社、本社工場を構えていません。たとえば、世界最大の風力発電機メーカーであるベスタス・ウインド・システム社も、玩具メーカーのレゴ社も、ポンプメーカーのグロンホース社も首都のコペンハーゲンに本社、工場を構えていません。それぞれ起業した地方都市に工場や事業所を持っています。


・地方都市が健全な国は、国全体が健全・


日本では大企業の多くは「東京本社」を開設していますが、純粋に企業経営を考えたら、世界で最も土地の高い場所に本社を置くのは不合理です。

そもそも東京のように一極集中の大都市は大変不合理で、不便な住環境で、人間の生赤津環境としても健康的なものではありません。東京や大阪など大都市に住む人たちのために、毎日何百台、何千台と言うトラックや鉄道で食料を供給しています。渋滞を重ねながら、膨大な人的エネルギーを使って食糧を供給することによって得られる生産性は当然マイナスです。87・


88頁・また、食糧を遠距離輸送・長距離間販売するために加工食品には、食料添加物、保存料の使用が不可欠になります。さらに大消費地に向けて大量流通する結果、売れ残った食品を目の前にして、製造業者、販売業者は材料の再加工、製造月日を付け替えて再出荷する誘惑にさいなまれます。食品偽装問題を解くカギもここら辺にありそうです。不健康な生活環境は、最終的には医療費の負担につながることを考えると、大都市集中型の国土利用は決して良い結果を生まないのです。


首都に本社を構えないことは、地方都市にとっても企業にとってもメリットがあります。土地の値上がりや通勤の渋滞が無く、国民経済の観点から見てもプラスです。日本では100万人くらいの地方都市が経済的・文化的に自立したシステムで成立していれば、人々の通勤・通学の距離はバスでせいぜい20分程度「職住接近」が実現します。それによって、労働力移動の省エネルギーが可能になり、通勤や通学のストレスも解消されます。食料の供給もいわゆる「地産地消」が実現します。


そのためには地方都市の農業を活性化、仕事を創りだすインフラ(動力用電力供給や通信回路)の整備が必要です。また、企業化が育つような教育や社会の仕組みを作る、長期的なプランが必要になります。88・


89頁・

・デンマークでは「天下り」を聞いたことが無い・


デンマークの企業が、コペンハーゲンに本社を構えないのは、雇用者の確保、不動産の確保などから経済的メリットがあるからですが、国内市場が小さいデンマークにとって、国内販売もさることながら国外販売を見出さなければならない事情もあり、コペンハーゲンを飛び越えてロンドン、パリが重要なのです。


・このような実利的な理由も考えられますが、そもそも「コペンハーゲン本社」を設ける必要が無いのです。日本の企業がこぞって東京本社を開設する理由は、政治家や官僚との連絡機関、利権調整の舞台として必要とされているように思えてなりません。


デンマークの産業界が官僚や政治家とどのように関わりを持ち、頼みごとをする度合いが日本と比較して多いのか少ないのかは判断できませんが、産業界には政治や行政とは密接な関係を持たないとする企業風土があるように思えます。また、行政や官僚は産業間の存続に関して「口を出さない」し、「出させない」仕組みになっています。

まず・1・を見てください。このデータを見ると、大半の企業が起業の運営の必要上、公共機関との接触を持っていることが分かります。89・


90頁・

調査対象293社の約9割の企業が少なくとも年一回、企業の運営の必要から公共機関と接触しており、企業の規模が大きいほど公共機関への接触が多いことが分かります。


一方、企業の政治家や官への接触の頻度については表・2・の通り、60%以上の会社で接触はほとんどなく、欧州議会議員や役人のとの接触となると80%以上の企業が「接触はほとんどしていない」と回答しています。だだし、業務に関係する関係官庁や委員会メンバー、地方自治の政治家や役人との接触は多くなっています。企業が多く接触する関係官庁や委員会のメンバー地方自治の政治家や役人との接触の理由は業界によって違いますが、とくに建設業界では、建築の許認可のために接触が多く、IT部門では一般的規制の確認のために接触が多くなっています。


デンマークの産業界と各レベルの行政機関との関係、企業と政治家や官僚との接触度合いは、程度の差があれ日本とは違いはないと思いますが、その質に大きな違いがあるように思います。確かなことは言えませんが、日本に見られる「天下り」と言う話をデンマークでは聞いたことがありません。

日本では、関連部署にいた役人を雇用することで、その役人の人脈を通じて会社の業績を上げるという手法が残っているようですが、デンマークでは聞いたことが無い企業と行政の間の風習です。


官僚が中心となって業界を指導する日本の「護送船団方式」の手法もデンマークではお目にかかったことがありません。日本の官僚が相変わらず「護送船団方式」を完全に投げ捨てないのは、国益を守るという反面、国家の指導に従う企業を優先する、そして官僚や役人が企業経営に影響を及ぼす余地を確保しておくことで「将来の就職先」つまり天下り先を囲い込んでいるように思えます。90・


91頁・ここまえ図がいる・

92頁・行政の指導責任と言うことが日本ではよく言われます。企業の倒産と労働者の保護と言う点では、デンマークの労働者の多くは職業別組合に加入しているため、企業運営は産業横断的な組合との労使交渉によって終始チェックを受けています。仮に大企業が倒産しても、社会福祉政策のセイフティーネットの下で守られている労働者は生活に困ることはないために社会的な混乱は起こりません。

官僚が産業界の存続に関し、全く関与しないのは、企業の指導は官僚に与えられた職務ではないと考え、利権の対象、官僚の天下り先と想定していないからでしょう。その背景にはおそらく企業の存続は企業自体の責任と言う社会的な合意があるためだと思います。

官僚の天下りが無いのは、企業の側に高齢に達した役人を雇用してもほとんどメリットがないためです。また、中央の官僚も地方の役人も在職中に積み立てしている早期年金手当や各種の積み立て転勤で、60歳からの第2の人生が十分に保障されているのです。

・封建時代が生きている日本・

一方、日本の産業界においては「東京本社」を設立することがその企業にとって会社の運営と社会的信用を得るという点で非常に大きな役割を果たしているようです。

中央をありがたがる「寄らば大樹の陰」の国民性は、鎌倉幕府の成立(1192年、武家政権の誕生)から明治維新(1868年)まで続いた670余年間の封建制度によって醸成され、それが現代まで残っているからではないでしょうか。封建制度とは「天子の下に、多くの諸侯が土地を領有し、諸侯が各自領内の政治の全権を握る国家組織」(広辞苑)ですが、封建時代を通して醸成された日本人の国民性は21世紀に入った今日でも受け継がれているように思います。92・


93頁・ここまで

例えば春・夏の高校野球、全国高校駅伝、国体のスポーツ大会で県(封建時代の藩)同士の争をしています。「天下り」と言う制度も封建制度の官僚システムが生んだ官尊民卑の遺産でしょう。行政官僚と産業界との癒着は封建制度時代から引き継がれている国のかたちと言ってよいでしょう。

江戸時代(約260年間)に導入された「士農工商」の階級社会では、生まれた時から身分が決められていたため、農民や商人の子は武士になることはできませんでした。生まれた家の身分や権威を大事にする国民性が現在でも残っているのは江戸時代の遺産でしょう。

過労死するまで働くサラリーマン、自分を守るために部下に責任を押し付ける上司、政治家のために過酷な条件下で働く役人、高級官僚同士の談合なども江戸時代に確立された階級社会の遺産だと思えます。また会社や役所で持たれる会議で、上司の前で自由に発言ができない部下の例など、封建時代に確立された上下関係がそのまま現在の日本の国民性となって残っているように思えます。

国民が望む社会的な仕組みを作るには国民の参加が不可欠ですが、封建国家次代を通して育成された、中央政府・官僚・行政に対する服従の精神を持ち合わせている半面、「国家の運営に参加する」意識を残念ながら過小にしか持ち合わせていないように見えます。

2007年春になって日本では突然、社会保険庁の「宙に浮いた5千万件の年金記録」が問題になりました。国民が老後のために国に託したお金の納付記録が、杜撰な事務管理体制によって不明になってしまうというような事態は、デンマークでは全く考えられないスキャンダルです。93・


94頁・つまり、勤務している役人の事務能力が問われる問題で、ここにも日本の教育の欠陥、国・公務員は誰のために存在するかと言う検証が余りにも軽視されていた結果だと思います。ここまで


・3・何百年も国土の争奪戦が繰り返された・94頁・平成28年1月28日・


・国防に駆り出された歴史的体験・

さて、デンマーク人は古くから、ベンダー民族(北部ドイツ地方に住んでいた民族)の侵入に悩まされてきました。国境の土地争奪戦が何百年もの間繰り返され、この領土争奪戦に農民が駆り出されました。農民たちは、戦争が無い時は農地を耕していますが、侵略者がやってくると武器を持って駆けつけました。敗北すると、家族、住居、財産、土地を失うという過酷な現実がありました。その国民的な共通体験が受け継がれ、愛国心となって今日のデンマーク人に受け継がれているのだと思います。

日本人も「国を愛している。日本が好きです」と答えると思いますが、食料の60%を国外に依存し、エネルギーの95%を国外から調達し、しかも国家財政は赤字で累積の債務額が毎年膨大な額に増えているのにもかかわらず、日本人の多くからは危機感が感じられないのです。「自国を愛するならば」これらの問題について「放置」することなく、国民間で語り合い、改善策が出てしかるべきだと思うのです。日本の中で国家と言うものの観念がどのように育成されてきたか、今後の日本の国づくりを考えるうえで大きなテーマだと思います。94・


95頁・あるいは、日本は日本海や太平洋と言う自然の要塞に守られているため、外国から繰り返し繰り返し襲撃され、国土を防衛してきた歴史的体験が無かったため、「国への愛情」が形成されてこなかったのではないか、私はとりあえずこのように考えています。確かに日本でも戦国時代を通じて、封建領主の間で領土争奪戦に農民が兵力として繰り出されていましたが、その体験からは強度を守る国民性や「国への愛情」は生まれませんでした。やはり同じ国民同士の争いで、外敵の存在なしには愛国心は形成されないのでしょうか。


・勝った戦争・負けた戦争・・・愛国心の行く末・

日本の歴史にも、愛国心が異常に高揚した時期がありました。日清戦争(1898年7月~95年4月)、日露戦争(1904年2月~05年9月)の時期と日中戦争勃発(1937年7月)から第2次世界大戦終結(1945年8月)までの間、この3つの時期です。日清・日露の戦争は日本が初めて外国との戦争で勝利した戦争ですが、戦争に勝った功績は国民全体の行動の結果として評価されたのか、あるいは戦争の指導者の功績としてのみ評価されたのか、勝利した戦争ではどのように愛国心が形成されて、その後に継承されてきたのか。それと反対に徹底的な敗戦の後、鼓舞されていた愛国心はどのように変遷していくかは大変興味深いテーマですが、皆さんの研究に期待したいと思います。

日本の国旗、日の丸は天皇家と結びつけて考えられ、アジアへの侵略戦争のシンボルであり、戦争によって失われた国内外の命に対する償いを天皇がしていないため、多くの人たちは祝日や祭日においても、日の丸を掲揚することに心穏やかでないと話してくださった方がいました。95・


96頁・敗戦の時点で自己の「戦争責任」をめぐって、その象徴であった日の丸に複雑な思いを持っているのであれば、そして、その思いが国内外で未整理のまま生かされ今日まで放置されているのならば、日本のアジアへの侵略の理由として当時掲げられた理由を深く掘り下げ、再び戦争を起こさないための次世代への教訓としていかなければならないでしょう。


第2次世界大戦が終結して60年という歳月が過ぎた教においても学校の卒業式で国家や国旗掲揚の問題をめぐって処分を受けている教師がいると聞いています。なぜその問題を解決するための努力を国民全体でしようとしないのか、民主主義国家である日本では、愛国心のあり方は一部の教育関係者が決める、教えるものではなく、それぞれが感じ取るものでありと思っています。この点でも、国民全体で考えるべき大きな問題を日本は残していると私は思っています。

平成28年1月28日 木曜日



北欧の福祉モデルについて何冊か読んでみましたが,デンマーク入門ではこの本が一番かと思います。決して,専門的な本ではないのですが,今住んでいる人の目線だけでなく,日本人としての目線でも意見が述べられており,いろいろ考えさせられました。圧巻は,デンマークの歴史を説明しながら,現在の福祉政策や国民性のベースとなっている事柄を指摘しているところです。事実や実態の解説だけでなく,それらのバックグランウンドまで言及していることで,理解がぶれなくなります 


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