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2016年1月26日 (火)

なぜ、デンマーク人は幸福な国をつくることに成功したのか どうして、日本では人が大切にされるシステムをつくれないのか・第4章 デンマーク人が国を愛する心の原風景・平成28年1月26日・

引用


引用下條村 自治体はこうやって運営する 河村市長も同意? 1/2 

effectmangt   effectmangt

https://www.youtube.com/watch?v=z8PwWydCDMQ

11:15 2016/01/29


・2・地方自治無くして民主主義国家はあり得ない・84頁・

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2016/01/post-46fe.html

10:11 2016/01/27


なぜ、デンマーク人は幸福な国をつくることに成功したのか どうして、日本では人が大切にされるシステムをつくれないのか 単行本  – 2008・2 ケンジステファンスズキ (著) 5つ星のうち 4.4   12件のカスタマーレビュー  

世界最高レベルの社会保障制度を整え、食料もエネルギーも自活、世界でもっとも民主主義が進んでいる国、デンマーク。「共生」の政策理念の基盤となる国の歴史と国民の姿を通して、年金・雇用・貧困・格差・「愛国心」・環境・エネルギー・食料など問題の山積する日本社会を見つめ直す。

 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) ケンジ・ステファン・スズキ

旧姓、鈴木健司。S.R.A.デンマーク、「風のがっこう」代表。1944年、岩手県生まれ。1967年、青山学院大学中退後デンマークに渡り、翌年コペンハーゲン大学政治経済学部に入学。1971年から在デンマーク日本大使館に勤務し、その後農場経営をはじめる。1979年、デンマーク国籍を取得。1990年、中部ユトランド商科大学会計学部税法学科を卒業。同年、S.R.A.デンマークを設立。デンマークの風力発電機、バイオマスプラントを日本に普及させる事業を手掛ける。1997年、デンマーク・ウアンホイに「風のがっこう」を設立。環境政策などの視察でデンマークに訪れる日本人のための研修施設として運営を開始。2002年、京都府弥栄町に「風のがっこう京都」を町営の環境教育施設として開校。2004年、「風のがっこう栃木」と業務提携し、研修業務を支援。現在は、日本とデンマークを往復しながら、さまざまな事業を手掛けるほか、講演活動などを精力的におこなっている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

 登録情報 単行本: 189ページ出版社: 合同出版 (2008/02)発売日: 2008/02

目次

まえがきにかえて

第1章 デンマーク・私が「理想とする国家」に近い国

・1・億単位の医療費も税金から給付される・11頁・

・2・教育費はすべて国が負担する16・

・3・18歳からは国は扶養義務を持つ・22頁・

・4・食料自給率は300%を超えている・25頁・

・5・エネルギー自給率は156%を達成した・26頁・

第2章 なぜ、デンマーク人は国に愛情を持つようになったか

・1・民主主義と幸福度は比例する・31頁・

・2・デンマーク人の事業化は国境を越えて活躍する・34頁・

・3・バス・タクシーの運転手が女性なのは当たり前・39頁・

・4・国政選挙の投票率が80%を割り込んだことが無い・40頁・

・5・高額の税金に対してさしたる不満が無い・46頁・

・6・デンマークの田舎生活は快適・50頁・

第3章 氷河とバイキングがつくった北欧の小国

・1・狩猟民が南の方から移動してきた・53頁・

・2・バルト海がデンマークの農業を育てた・58頁・

・3・バイキングはヨーロッパの文化を攪拌した・60頁・

・4・バイキングの遺伝子がデンマーク人を鼓舞する・63頁・

・5・国民の85%がキリスト教徒・70頁・

・6・国際性は国土が狭く天然資源が無いからこそ育った・75頁・



第4章 デンマーク人が国を愛する心の原風景・平成28年1月26日・

・1・何百年もドイツと国境をめぐって争ってきた・77頁・

家族の誕生日にも国旗を掲げるデンマーク人・

・私がデンマークに入国して驚いたことの1つがデンマーク人の国旗を掲揚する習慣でした。デンマークの住宅や農家には大抵、国旗を掲げる旗竿があって、祝祭日はもとより、家族の誕生日、結婚記念日など、機会があるごとに国旗を掲げていました。

・デンマークの国旗は「ダンネプロ」デンマークの力、赤い布)と呼ばれています。その名の通り、赤い布地に「スカンジナビアクロス」と言われる白い十字架の紋章が描かれています。

世界最古の国旗と言われ13世紀の初め、ローマ教皇が十字軍に授けた旗をもとに作られたものとされています。北法5か国デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、アイスランドの国旗はすべてこの「スカンジナビアクロス」を採用しています。これはデンマークが当時、スカンジナビア半島の覇者であった歴史を反映しています。77・


78頁・国旗に対するデンマーク人の思いは強く、公共の場所では集会のたびに国旗が掲揚され、国家は讃美歌と一緒に集会の初めと終わりに必ず斉唱されます。

・100年の混乱を収めたバルダマー大王・

デンマーク人が国旗を掲げる行為は「国を愛する」国民性から出ているものと思えますが、この国民性はいつ頃どのような過程で生まれたのでしょうか。

そもそもデンマークが1つの国家として成立したのは西暦900年ごろと言われています。ノルウェーの国王ハラウド・ホーダー(在位1015年~66年)がイギリスの制覇戦で戦死します。このイギリス制覇の失敗でバイキング時代の幕が下ります。国王の死後、デンマークでは王位継承問題などで約100年間の混乱時代が続き、王位が目まぐるしく変わりました。78・


79頁・この混乱に終止符を打ったのはバルダマーでした。バルダマーはスベン、クヌーと言う同時期の有力者たちを討ち果たして、大王を名乗りました(在位1157年~82年)。バルダマー大王就任によって、デンマークは統一国家として形を整え始め、その後84年間バルダマー大王、その息子のクヌー6世、バルダマー・サイヤーと継承され「バルダマー王朝」が続きます(1157年~1241年)。

バルダマー大王はコペンハーゲンに城壁を築いて外敵に備える一方で、スウェーデン南部のルンド地域を攻撃してデンマークの統治下に入れ、支配地域を拡大していきます。バルダマー・サイヤー王(在位1202年~41年)は北ドイツ地方のホルスティン州を占領し、さらにデンマークの支配地域を拡大しています。79・


80頁・79ぺーじ、の地図で見るようにエストニアは1219年、バルダマー大王が占領して以来、約100年間にわたってデンマークの属国でした。2004年の夏、エストニアの風車の整備工場を見学する機会がありましたが、タリン空港からタトー市まで車窓から見える風景は平たんな農村地帯広学デンマークの農村によく似ていました。「スカンジナビアクロス」がデザインされたタトー市の旗は、デンマークの国旗に酷似していました。それは11世紀のエストニアがデンマークの属国であった歴史的経緯を今に残していました。

南ユトランド地方(現在のドイツ領となっているホルスティン州とスレスビー州)はバイキング時代からデンマークと南の大国ドイツ、フランスとの間で何度となく争奪戦を繰り広げた地域です。


・この地域は平坦な土地で、現在も大規模な量苦悩地帯であるように、当時からひたヨーロッパ有数の「食料生産地」であったため、その帰属をめぐって争奪戦が続きました。その帰属がドイツと確定し、現在の国境が決まったのは1920年で、つい最近のことなのです。

・ボーの付く地名が多いのは外敵の侵入が多かったから・

デンマークでは森林地帯が無いから木材が採れません。協会の外壁、城壁、要塞などの材料は花崗岩、砂石、タフとよばれる火山灰石(凝灰石)が使われていました。

11世紀後半になって、デンマークにレンガが登場します。レンガは中近東地域が発祥地とされ、紀元前4000年前ごろから使われたと言われています。デンマークでは、バルダマー大王が北イタリアからレンガ職人を連れて来て、レンガ作りをデンマーク人に習得させ、国産レンガで大聖堂、城壁などが盛んに建設されていきます。80・


81頁・


・不動産の所有者がネットで公開される・

少し脇道にそれバスが、レンガの話題のついでに現在のデンマークの住宅事業を紹介してみましょう。

建材となる木材が無いデンマークでは建物の外壁、内部の仕切りを含めほとんどがレンガで作られています。冬場はマイナス10度C前後、夏場でも最高気温が25度C前後までしか上がらない寒冷な自然条件の中で快適に生活するために、外気を遮断した上で、家全体を温める方式が採用されています。

自身のない国ですから、築100年住宅がそのまま住宅市場で流通しています。デンマークの平均的な一般的の土地面積は240坪から300坪で、建坪は40坪から55坪あります。デンマーク人の生活様式の1つが、家を買い替えることです。その時々の家族構成と経済的状況に合わせて、一生うち何度も住み替えていきます。81・


82頁・


私も昨年住宅を購入しました。この自宅は1,948年に建設された、既に築50年になる家屋でしたが、事前に渡された「家屋の診断書」の結果は、内装工事は別として大掛かりな修理を必要としませんでした。

デンマーク在住40年の私にとって、5回目の家の住み替えでした。結婚して子供が増えるに従って必要な部屋数の家を買って、子供たちが巣立った後はまた小さな家にサイズダウンするといった具合です。

大きな家に住めばそれだけ暖房費がかかり不動産税負担が重いという事情もあります。デンマークでは、不動産評価額は毎年見直されますが、不動産評価額の1%を「住み代」として払わなければなりません。例えば2000万円の評価額の家に住むと、その1%に当たる20万円の不動産税を払います。大きな住居になれば那須ほど、税金が増えます。また、デンマークでは建物への火災保険は「強制加入」で、火災保険の入っていない住宅や事務所の所有はもとより売買は禁止されています。

デンマークでは全国の不動産の評価額はインターネットで公開されているので、購入しようとする不動産を誰が所有していて、評価額はいくらかを、即座に知ることができます。


・「200年住宅」を実現するために必要なこと・

住宅を売買するときは、省エネの関係から「家屋の診断書」の作成が義務付けられており、それを作成するための専門の審査員がいます。82・


83頁・

その診断書には外壁の厚さや断熱状態、屋根瓦の状態(取り換えが必要か否かの評価も含む)、屋根裏の断熱材の厚さと状態、水道管や給湯管の接続部分の状態、タイルや壁の状態など部屋ごとに細かい項目で記載されています。

一般住宅でも外壁の厚さは、建築基準で10センチ幅の断熱材を10センチ幅の2枚のレンガで挟んだ構造と決められています。この基準は、冬季の平均気温7度C前後に合わせて、室内温度を20度C前後に断熱・保温するための工法ですが、さらなる省エネ型の住宅をめざして、今後建てる建築物では従来より断熱材を多く入れ、外壁の厚さは40~45センチと決められています。

日本でも「200年住宅」と言う住宅政策が言われ始めているようですが、まさかと思えるほど短い、20年程度で次々と建て替えられていくと聞く日本の建売住宅を50年、100年の使用に耐えるものにしていくには、土地セサクの見直し、木材の自給政策の整備、建築工法の見直し、省エネ住宅の導入などに根本的な見直しが必要でしょう。83・


84頁・続く・

・2・地方自治無くして民主主義国家はあり得ない・84頁・

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2016/01/post-46fe.html

10:11 2016/01/27

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