« 第6章 地方議員の政策形成入門 ・自ら考え・自ら決める議会へ・地方議員が今一番問われているのは、政策能力をいかに高めるかだ。そして議会提案、議会審議の質をいかに高めるかである・政策のプロセス・・155頁・議員立法が自治体を元気にする・157頁・・いろいろな分野に広まる議員立法・・自治体が政策官庁へ・160・・政策とは何か・161・・行政と公務員、民間との関係・163・・福島県矢祭町が職員のチームで作った行政改革理念と具体的改革案。退職金ゼロ、年収は200万円ダウン・「南部大島振興問題」と「大島紬の産地体制 | メイン | 反骨の市町村 国に頼るからバカを見る 単行本・相川 俊英 (著)アベノミクスの「地方創生」は画に描いた餅!このままでは国土は強靭化どころか弱体化し、多くの市町村が破綻・消滅する!・・ 第4章 実録「ジリキノミクス」で実現した豊かな暮らし・ »

2016年11月13日 (日)

命を守る東京都立川市の自治会・ 佐藤 良子 (著) 議員提案を増やす・議会基本条例は必置・すぐやれる議会改革・政策に強い議員へ・職員と連携を・地方議会に法制局を・政策官庁議会へ脱皮せよ・ ・・ 奄美大島は・長期衰滅の危機に立ち向かう・・・大河のように止めなく・・

引用


命を守る東京都立川市の自治会 (廣済堂新書) 佐藤 良子 (著) 内容紹介


全国でも珍しく「100%加入を誇る自治会」。それが東京都立川市大山自治会。このキーマンが佐藤良子氏(70)。彼女は、「自治会町会」の概念を変える活動をしてきた。子育てに悩む女性をサポートするボランティアに属する人数500人近く、そして東日本大震災の被災世帯を約200世帯引受け。組織を立て方やノウハウを公開。


ふるさとづくり大賞総理大臣賞、全国防災まちづくり大賞を受賞し、「日本で一番住みたい団地」とまで言われる大山団地(東京・立川市)。青少年対策、高齢者対策などでユニークな取り組みを実現するこの自治会の根底にあるのが“向こう三軒両隣”の精神。命を守り、人を救う自治会のあり方を解き明かします。

新書: 175ページ出版社: 廣済堂出版 (2012/3/22)

言語: 日本語・発売日: 2012/3/22


はじめに・3頁・


皆さんは、「自治会」という言葉に、どんなイメージをお持ちでしょうか。

町内のお祭り。お年寄りの朝の草むしり。何に使われているのかよく知らない会費。そんな、「何か自分とは関係ない集まり」だと思っている方も、少なくないのかもしれません。

私が東京都立川市にある大山団地の自治会会長になった頃にも、面と向かって「自治会なんてジジイ会だよ」と言われたことがありました。

現代社会に暮らす人々は、都市部に近づくほど、地縁社会に期待したり、関わったりする度合いが薄れるのかもしれません。

と真のマンションほどでもないにせよ、郊外に位置する大山団地でも、引っ越してきたからと言って挨拶されることもなく、いつの間にか隣に知らない人が住んでいた、と言う話を耳にします。3・


4頁・そういう方は、自治会への関心も薄いものです。入居案内には「引っ越してきたら自治会に連絡を取るように」と明記してありますが、私たちが入居に気がついて連絡を取るまで音沙汰なし、と言うことも少なくありません。

しかし、そういう方たちも、東日本大震災で被害を受けたり、あるいは自分自身はさほどでなくとも、自身がもたらした大きな被害を見聞きした時に、危機に際して頼りになるのは隣近所であり、自分たちが住んでいる地域のコミュニティだと言うことを、改めて実感したのではないでしょうか。

被災者の方々が、同じ地域の人たちと一緒に避難したいと考えたのは、たとえ建物はなくなってしまっても、同じ地域で生活を共にしてきた人たちがいることが心の支えとなり、安心感に繋がっていたのっだと思います。また、避難場所はバラバラになってしまっても、いつかは自分たちのコミュニティを取り戻そうと活動されている方々を見るたび、本当に頭が下がります。一人では、一家族だけで立ち上がれなくても、地域全体で協力すれば立ち上がることが出来る。それがコミュニティの底地からなのだと、改めて思い知らされました。4・


5頁・そんな震災の影響もあってか、私のところには最近、急増しています。

私が提唱している「向こう三軒両隣」を基本にしたコミュニティ作りを、自分の地元も参考にしたいと考える人々が増えたからではないでしょうか。

私は大山自治会の会長になった時から、「向こう三軒両隣」が機能すれば、子供の虐待や高齢者の孤独死を防ぐことが出来る、と呼びかけてきました。事実、大山自治会では、平成16年から現在に至るまで、孤独死ゼロを実現しています。

大山自治会の活動内容が、すべての自治会に取り入れられるわけではないかもしれません。ただ、試行錯誤しながら進んできた私たちの姿をお見せすることで、現在、町内会や自治会に携わる方たちの活動のヒントになったり、これまで自治会に何の興味も持たなかった方が、地域のコミュニティに関わって見ようと思うきっかけになれたら、と言うのが、この本に込めた私の願いです。

大山自治会・会長・佐藤良子

平成28年11月14日 月曜日

共同体(きょうどうたい)とは コミュニティ(英語:community):英語で「共同体」を意味する語に由来。同じ地域に居住して利害を共にし、政治・経済・風俗などにおいて深く結びついている人々の集まり(社会)のこと(地域共同体・3:29 2016/11/14


目次


序章 私たちは東日本大震災にこう対処した・

3・11の大山団地・14頁・

突然の被災者受け入れ・16頁・

三宅島の教訓を生かして・20頁・

費用負担は明確に・22頁・

内職で心のケアを・24頁・

日頃から地域と連携しておくことが重要・27頁・


第1章 私が自治会長になった理由・

大切なのは加入率より会費納入率・32頁・

不満があるなら役員になるしかない・34頁・

改革へ準備を進めた2年間・37頁・

自治会はジジイ会ではない・39頁・

私が会長になれた理由・41頁・


第2章 住民に必要とされる自治会を目指して

24時間体制で安心できるまちづくりを・44頁・

役員例例会は出席率一〇〇%・48頁・

幽霊対策から電球交換まで・50頁・

「市能工商」を柱に・54頁・

住民が作るイベントを目指す・56頁・

不満は自分で改革しよう・


第3章 コミュニティビジネスで財政を強化

会計は誰でも見えるように・68頁・

会計納入率はほぼ一〇〇%の理由・

自治会も自主財源を・71頁・

自治会保険・76頁・

繰越金は五〇〇万円以上に・77頁・

無償だから意味がある・78頁・

平成22年度の収支報告書・80頁・

第4章 自立した町づくりに必要なこととは

「五気」を大切に・84頁・

知り合うことが町を守る・87頁・

新しい人たちに一任する・90頁・

行政もサービス業・94頁・

行政に協力するメリット・98頁・

他団体との連携が不可欠・100頁・

第5章 地域ぐるみで子どもを育てる

子供たちのやる気を応援したい・104頁・

大山ママさんサポートセンターの設立・107頁・

中学生も動いてくれる・111頁・

母親が子供と向き合えるように・113頁・ 


第6章 自分たちで守る防災防犯

3種類の自治会名簿・118頁・

ゲーム感覚での防災訓練・121頁・

住民全員に防災マニュアル・123頁・

日頃の備え、十箇条・125頁・

「あいあいパトロール隊」が抑止力・127頁・

悪徳商法をどう撃退するか・130頁・ 


第7章 「向こう三軒両隣」で孤独死を防ぐ

高齢者が笑顔で住める町に・134頁・

両隣を見守って孤独死ゼロに・135頁・

見守りに企業とも連携・140頁・

火災を未然に防ぐ・141頁・

路上駐車を減らして事故を防ぐ・143頁・

体験から生まれた「終焉ノート」144頁・

自治会で葬儀を出す・150頁・


第8章 いきいきと輝く創年を目指して

都営団地の役割・154頁・

介護不要の「創年クラブ」に・156頁・

高齢者の「たまり場」を作る・158頁・

モラルのない大人を救うために・161頁・

ほめることで仲間を増やす・163頁・


自治会は地縁社会の入り口・166頁・

自治会は地縁社会の入り口・166頁・16/12/13 6時38分・古くて時代にそぐわなくなった自治会を改善していかなければならないと思って始めた改革。166・


167頁・実行するには勇気も必要でしたし、度胸もいりました。今までなじんできたモノを変えるわけですから、私の中にも葛藤はありました。が、よりよいシステムが構築できれば、住民の方に喜んで貰えるはずだと信じて、それを支えに進んできました。

私の目標は、「大山自治会を地縁社会にすること」です。無縁社会が当たり前になりつつある現代にはそぐわないように思われるかもしれません。しかし、「向こう三軒両隣」の精神で孤独死ゼロが実現できたように、地縁の方の協力があってこそ、住民の命を守る自治会ができるのだと考えています。

東日本大震災を経て、地域のコミュニティの必要性を日本中が実感させられた今こそ、自治会活動にもっと目を向けてほしいと思っています。

自治会がなかなか新しい取り組みを行えないのには、会長の任期が1年と短いところにも原因があるのでは。改革したい思いはあっても、1年で何ができるのか。そう考えてしまうと、あきらめてしまいがちです。また、自分が改革の旗を振ってしまったら責任も大きくなってしまう。自分にはできないかもしれないと弱気になってしまうため、とりあえず任期の1年を無事にやり過ごそうと考えてしまうのではないでしょうか。167・


168頁・もっと勇気を持って、旗を振ることが大切です。私のように、旗を振る前に同じ思いの仲間をつくり、理解を深めておくことができれば、矢面に立つ事も怖くはなくなります。

大山自治会の場合は、本当にたくさんの方々の支援と協力があったからこそ、いろいろな事が現実のものとなり、それらは地域に根付いた活動に成長しつつあると言えるでしょう。まだまだ課題は山積していますが、私が自治会という組織と、そこに参加してくれる皆さんの熱意があれば、どんな難関も乗り越えていけると信じています。

これを読んで頂いている皆さんには、少しでも大山自治会の取り組みをヒントにして貰い、各地で地縁社会が復活し、心豊かな生活を取り戻す事ができる事を願っています。

平成28年12月13日 火曜日


ここまで

 地縁社会にすること・

「ちえん【地縁】社会的結合の基本契機が地理的近接性と,それにまつわる生活関連(相互扶助など)にある場合を指す。しかし地理的近接性がただちに社会的結合を導くわけではなく,たとえば前近代社会では,一定の地理的範囲の人びとの生活関連が相互に織り成すかたちで,重畳的・重層的な小宇宙,地域社会的統一を形成していた。このことは,地縁性と血縁性とを一本の太い線とする村落社会の共同体結合にとくに特色づけられる。人びとの小宇宙の解体と地縁,血縁性の紐帯(ちゆうたい)の稀薄化をもたらす近代社会を挟んで,現代社会では再度新しい地縁性の見直しがテーマ化している。

6:32 2016/12/13

 地縁(チエン)とは - コトバンク 

https://kotobank.jp/word/%E5%9C%B0%E7%B8%81-565172

デジタル大辞泉 - 地縁の用語解説 - 住む土地に基づいてできる縁故関係。「地縁社会」 →血縁.

地縁団体とは - 鳥取市

http://chiiki.city.tottori.tottori.jp/tottori-jichiren/chien.html

町又は字の区域、その他市町村内の一定の区域に住所を有する者の地縁に基づいて 形成された団体で、いわゆる自治会、町内会等がこれにあたります。 ただし、スポーツ 同好会のように特定の目的の活動を行う団体や、老人クラブ、女性会、子ども会等の 構成 ・

6:30 2016/12/13


あとがき・169頁・

大山自治会組織図・175頁・

9:04 2016/11/13

 

東京都立川市の自治会・佐藤良子・

33頁・昭和38年度の入居開始当時から、団地の住民全員に自治会への加入を義務づけている。

34/不満があるなら役員になるしかない、自治会へのクレームも、

35頁・問題があると感じた点に三つありました。一つは夏祭りと運動会しか次に、役員に対する会長の人事権が強すぎたこと。

役員の改選期には、会長自身が行って(人事権)

そして、三つ目に、会計の不透明さです。

38頁・お金の使い方について、あまりうるさく言うものですから、当時の会長は「それなら自分でやれ」と思ったのでしょう。

次に、住民が納得できる役員当時の会則は、団地が作られた昭和38年当時のものが、

39頁・自治会はジジイ会ではない。

40頁・三役(会長、副会長、会計)の選出方法を、

41頁・推薦投票を人たちには、選びっぱなしで終わりでなく、自分が選んだ人たちが力を発揮できるよう、バックアップやサポートを呼びかけました。

41頁・私が会長になれた理由。

44頁・24時間体制で安心できる町づくりを。

46頁・大山自治会には専用の事務所があります、月、水、金の九~一五時までひらいています。自治会室に、

48頁・役員定例会は出席率一〇〇%。

49頁・地域内の情報を住民全員が共有化出来るように努めています。

68頁・会計は誰にでも見えるように?

69頁・会費納入率は100%の理由、班のメンバーお宅を廻って集金する形を、住民の安否を確認。

70頁・自治会費・一ヶ月¥四百円・

71頁・自治会も自主財源を主な収入四種・1・会費・2・管理費¥千五百円・立川市から補助金も、

72頁・コミュニティビジネスです。1・公園管理・2・公営駐車場管理も・

76頁・自治会保険・

78頁・無償だから意味がある・会長手当の年間¥三万円。

84頁・「五気」を大切に、自分たちの町は自分たちで守る。

85頁・うちの役員たちは、みんな前向きです。よし、みんなでやろう。

87頁・知り合うことが町を守る、

88頁・一人でも多くの人と顔見知りになってほしい。

89頁・実行委員会方式は、この点で有効です。

90頁・新しい人たちに一任する。

94頁・行政もサービス業・

98頁・大山MSCを設立した翌年でした。

99頁・平成23年2月、立川市から要請された「生ゴミ分別・資源化モデル事業」にも協力・

100頁・他団体との連携が不可欠・

104頁・子供たちのやる気を応援したい。

107頁・大山さんサポートセンターの設立・大山MSCの仕組み・

111頁・中学生も動いてくれる・

113頁・母親が子供と向き合えるように・

116頁・「向こう三軒両隣」

118頁・3種類の自治会名簿・

127頁・「あいあいパトロール隊が抑止力に」

130頁・悪徳商法をどう撃退するか・

135頁・自治会に「ある部屋から異臭がする」

140頁・見守りに企業とも連携・

141頁・火災を未然に放ぐ・

143頁・路上駐車を減らして事故を防ぐ・

144頁・体験から生まれた「終焉」ノート・

150頁・自治会で葬儀を出す・

154頁・都営団地の役割・

155頁・新に360世帯を受け入れることになります。

156頁・介護不要の「創年クラブ」に・

158頁・高齢者の「たまり場」を作る・

161頁・モラルのない大人を救うために・

164頁・よく、子供は褒めて伸ばせと言いますが、大人こそ、もっと褒めるべきです。

166頁・自治会は地縁社会の入り口・

 

平成28年11月13日

 

 

公務員の年金積立金は手をつけず「サラリーマンの積立金を株に投入」許せるかマネー 2014.11.7溝上 憲文(みぞうえ・のりふみ)ジャーナリスト

 PRESIDENT Online  溝上憲文=文

国民の年金資産を市場運用にさらす 安倍政権が公的年金の積立金約130兆円の半分をリスクの高い株式市場に投じようとしている。

 

運用を担当するGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)の現在の基本ポートフォリオ(資産構成)は国債60%、日本株12%、外国債11%、外国株12%。それを日本株25%、外国株25%にまで高め、国債を35%まで下げることを10月31日にGPIFが発表した。

 

しかも日本株の許容範囲は±9%、外国株±8%であり、最大で67%までの株式運用が可能となる。金額にして50%は65兆円、67%だと87兆円を株式に注ぎ込もうというのである。

 

だが、積立金の中身は老後に支給される基礎年金と2階部分の報酬比例年金であり、いうまでもなく会社と従業員が拠出する年金保険料が財源になっている。余裕資金どころか、損失が発生したら将来世代の年金カットにつながりかねない大事なお金であり、しかも株式比率は分散投資の域を超えている。

 

法律では「積立金の運用は、専ら被保険者のために、長期的な観点から、安全かつ効率的に行う」と定めている。だからこそ安全資産である国債比率を60%にしていたのである。

 

にもかかわらず、なぜリスクの高い運用比率の見直しを行ったのか。その狙いは、年金資産の拡大と同時に株式投資による日本経済の活性化という成長戦略の実現にある。

 

GPIFの運用見直しの発端は、2013年6月に閣議決定された日本再興戦略。その中で公的資金の運用(分散投資の促進等)リスク管理体制等のガバナンス、株式への長期投資におけるリターン向上を目的に有識者会議で検討することが明記された。

 

これを受けて7月に甘利明経済再生担当大臣の下に「公的・準公的資金の運用・リスク管理等の高度化等に関する有識者会議」が発足したが、メンバーのほとんどが積極運用派の学者や民間の金融専門家で占められ、年金の専門家は1人もいなかった。

 

報告書が11月に出されたが、運用見直しの理由として「被保険者の利益を優先する資金運用は、結果的に、日本経済に貢献することになり、また、各資金は、資金運用により経済成長の果実を享受する立場にもあることから、経済成長と資金運用との好循環が期待される」とバラ色のシナリオを描いている。

 

資産拡大と経済成長の二兎を追う作戦だが、果たしてそんなにうまくいくのか。

「俺が倍に増やしてやるから、このカネを使わせろ」

 

そもそも年金資産は市場運用にさらす性質のお金ではないし、給付を確実に実施するのが大前提だ。それを経済成長に使うこと自体が法律を逸脱している。政府のやり方は、たまたま年金資産に目をつけて「俺が倍に増やしてやるから、このカネを使わせろ」というギャンブル的発想に近い。

 

年金の専門家の中には有識者会議の報告書に批判的な意見も出ている。

 

たとえば、報告書には米国、カナダ、ノルウェー、オランダ、スウェーデンの5カ国の年金の運用の基本ポートフォリオの事例を挙げて日本の公的年金がいかに国債の運用に偏りすぎているかを示している。

 

しかし、日本総合研究所調査部の西沢和彦上席主任研究員は比較対象の年金が決定的に間違っていると批判する。

 

「米国のカリフォルニア州職員退職制度(カルパース)とオランダ公務員総合型年金は公的年金の上乗せ部分の企業年金。カナダとスウェーデンは公的年金制度の2階部分の積立金、日本で言えば報酬比例部分だ。カナダ、スウェーデンの1階部分は税方式による最低保障の年金であり、運用もされていなければ、2階部分の運用結果の影響を受けることもない。ノルウェーの政府年金基金グローバルは年金という名前はついているが、同国の年金制度とは直接関係なく、しかも原資は石油事業収入であり、年金保険料ではない。これに対して日本の場合は運用成績しだいでは基礎年金も影響を受ける。年金制度の本質を見ないで比較することは決定的に間違っている」

 

日本の公的年金制度は、1階部分が全国民共通に支給する基礎年金(国民年金)、2階がサラリーマンに支給する厚生年金、そして3階が企業独自に支給する企業年金の3層立てになっている。つまり、諸外国では日本の基礎年金に相当する最低保障年金は運用リスクにさらされていないというのだ。

 

アメリカには全国民を対象とした日本の厚生年金と国民年金に相当する最低保障年金の積立金がある。しかし、この全額が非市場性の国債で運用されている。じつはクリントン政権時にこの積立金の一部を株式に投資すべきという案が政権内から出たことがある。

 

「その時に当時のグリーンスパンFRB議長は『積立金の一部を株式に投資することは間違いなく資本市場と経済の効率性をリスクにさらすことになる。どんなに手を尽くしたとしても、積立金を政治的圧力から遮断できるかは疑問である。陰に陽に圧力がかかり、積立金の生産的な利用とは異なる資産構成になってしまう』と批判している。有識者会議はなぜアメリカが国債でやっているかを何も学んでいない」(西沢氏)

 

グリーンスパン氏は年金が毀損するだけではなく、政治家に利用されることで健全な資本市場にも悪影響を与えると指摘しているのだ。金融先進国アメリカですらも国民共通の年金は堅く守られているのに対し、日本の場合は運用成績しだいでは基礎年金も影響を受けることになる。

なぜ公務員の年金は一切手を付けないのか

 

もう一つの最大の問題点は運用成績が悪く、年金資産が失われた場合の対策について有識者会議はもちろん、政府首脳の誰もが言及していないことだ。現状では、仮に損失が発生すれば即座に償却しないで後で取り戻すという仕組みであり、いわば将来世代に先送りされることになる。

 

この点について経団連の幹部もこう言っている。

 

「そもそもGPIFが何のために運用しているかといえば将来世代の年金保険料の負担を少しでも軽くするためだ。当然、毀損した場合の対応は議論するべきだ。ただし、年金保険料の引き上げだけで対処するのは避けてほしい。今の受給世代と現役世代の負担と受益の関係を考えると、受給世代と現役の負担世代の双方が応分の負担をすべきだろう」

 

つまり、受給者の年金額の給付カットと現役世代の保険料の値上げで損失を穴埋めするべきだという。じつは公的年金の2階部分を運用しているカナダとスウェーデンには、損失が発生した場合は受給者の年金額カットと現役世代の保険料値上げで穴埋めするというルールがある。そうしないと将来世代の年金額に影響を与えるからだ。

 

当然、日本でも1階の基礎年金までも運用のリスクにさらそうというのであれば、そうした仕組みが必要になるはずだ。

 

ところが、そんなルール作りをしないままに多額の年金資産を株式に投じようとしている。そもそも最大の得票層である高齢者の年金額をカットする提案を政治家がするとは思えない。そうなると、現役世代の保険料値上げという不公平な仕組みしかない。すでに今の現役サラリーマンは高齢者に比べて年金の受益と負担の関係がアンバランスになっており、これ以上の格差の拡大が許されるのか。

 

ところで、年金積立金を実際に運用するのはGPIFの担当者ではない。

 

運用委託先の投資顧問会社のファンドマネジャーであり、GPIFは運用成績をチェックするだけの間接運用である。巨額の資金の運用について元外資系ファンドマネジャーはこう言う。

 

 「日本株と外国株比率が50%を超えるとポートフォリオ的に見ても怖い。経済成長率が1%もないのに2~3%の運用利回りを出すのは大変難しい。現役のファンドマネジャーであれば10人中8人はできないと言うだろう。国債は元本の確実性が高いが、株は倒産すればゼロになる。(株で運用する)25%は年金資産の33兆円に相当するが、リーマンショックのように6割も下がれば、日本株だけで20兆円近くの資産が吹っ飛ぶことになる」

 

もちろん、好不況によって株価は変動し、数十年単位の長期の運用であれば損失は取り戻せるかもしれない。

 

じつは、今回の国債比率を引き下げて株式投資を増やした理由の一つとして、今は日銀の国債買い入れで超低金利にあるが、アベノミクスで脱デフレが達成されると金利上昇(国債価格の下落)を招く恐れがあり、それを回避するためだと言われている。

 

もしそうなら、安倍政権の成長戦略の第一の矢(金融戦略)が招いたひずみであり、それを回避するために年金資産の国債比率を下げるというのは、あまりにご都合主義的な考えではないか。

 

もう一つ。来年10月にはサラリーマンの厚生年金と公務員の共済年金が一元化される予定だ。しかし、共済年金の積立金は独自に運用されることになっている。制度は同じなるが、運用は別なのだ。現在の共済年金の資産構成割合は国債70%以上、日本株は8%にすぎない。

 

運用を担当する厚労省・GPIFの職員は公務員だ。つまり自分たち公務員の年金積立金には手をつけずに、サラリーマンの積立金を不安定なマネーゲームに費やそうしていることになる。

 

安倍首相は今年1月の世界経済フォーラム年次会議の演説で「日本の資産運用も、大きく変わるでしょう。1兆2000億ドルの運用資産をもつGPIFについては、そのポートフォリオの見直しを始め、フォーワード・ルッキングな改革を行います。成長への投資に、貢献することとなるでしょう」(首相官邸HP)と述べている。

 

大切な年金資金を株式市場に流すことを各国の代表者はどう受け取ったのだろうか。よく国民がOKしたものだと驚いた首脳もいたのではないか。

http://president.jp/articles/-/13826?page=3

7:19 2016/09/21

 

異端のススメ 単行本  – 2013/12/14 林 修 (著), 小池 百合子 (著) 

5つ星のうち 4.1        11件のカスタマーレビュー

 東大法学部を出て長銀に入るも即退社、予備校講師となって47歳でブレーク、という異端児・林修先生が、ついに永田町に殴り込み!? 対する小池百合子議員も、日本の大学をやめ、カイロ留学からアラビア語を操るキャスターを経て政界へ、日本初の女性首相なるかと囁かれる異色のキャリアの持ち主。二人の“異端"たる生き方は、悩める現代人にとって目から鱗! 猛烈な速度で変化し続ける“今"を生き抜くための指針や活力となる一冊です。

 内容(「BOOK」データベースより) 

学年でただ一人のエジプト留学。大手銀行を5カ月で退社―人と違うことを恐れるな!独自の人生を歩んできた二人に学ぶ「生きづらい現代」を勝ち抜く極意。

商品の説明をすべて表示する

単行本: 190ページ出版社: 宝島社 (2013/12/14)

言語: 日本語・発売日: 2013/12/14

目次

第1章 異端児時代

第2章 社会でも異端

第3章 異端がブレーク

第4章 異端から見るネット社会

第5章 異端たれ日本人

第6章 「女性=異端」では困る時代

第7章 異端児を生み出す教育論

第8章 異端な改革論

第9章 異端のススメ

人生の参考になる対談!, 2014/7/28

異端のススメ (単行本)

林修氏と小池百合子氏の一期一会の対談。とても参考になりました。「異端」というのはまだ誰も踏み込んだことのない道への転身と常識を覆す決断を意味します。林氏は銀行マンから予備校講師への転身、小池氏はアナウンサーから政治家への転身。前者は東大特進クラス専科の講師、後者は女性大臣ならではの発想の実現。共に人生の転機を自己判断で乗り切り、才能を開花させていきます。話題は政治・社会・経済・教育と多岐に及びますが、感心したのは二人が少子高齢化社会の改善を提言していることです。日本社会の活力の回復はここにかかっていると思います。教育の改善も面白いですが、日本史必修は正しいにせよ、日本史も世界史の一部として考える視点が必要かと思います。そして何よりも重要なのは、二人が個性的な人生を歩むことができた基盤は、家庭教育にあったということです。その意味で林氏が憂慮していた家庭教育・男子教育の崩壊は今後の日本の可能性を左右する重要な問題であると実感しました。若者にお薦めの一冊です。

4:14 2016/09/20

女性が活きる成長戦略のヒントvol.1 20/30(にぃまる・さんまる)プロジェクト。 (女性が活きる成長戦略のヒント vol. 1) 単行本(ソフトカバー)  – 2013/6/28

小池 百合子 (著, 編集),    上野 通子 (著),    森 まさこ (著),    小渕 優子 (著), & 7 その他 単行本(ソフトカバー): 240ページ

出版社: プレジデント社 (2013/6/28)言語: 日本語・発売日: 2013/6/28

目次

小池百合子(女性が暮らしやすい国はみんなにとっていい国だ2020年までに全リーダーの30%を女性にします!やれば、できます。できないのは、やらないから)

上野通子―何回泣かされても、前例をつくっていく。それが私の仕事小渕優子―「男性」とは、意外に繊細で、なかなか立ち直れない生き物なんです片山さつき―どうすれば「男社会」で圧倒的なキャリアを築けるか?

金子恵美―何をしても「女のくせに」。私は戦う、それが絶望的であっても佐藤ゆかり―適切な実力の評価こそが、「女性リーダー」を増やす道島尻安伊子―なぜ、台所の発想なら、政治を変えられるのか?

野田聖子―「社会人として、母として」多様性ある社会での女の生き方三原じゅん子―「三原じゅん子に抜かれるくらいなら…」と車で体当たりされた宮川典子―あなたにとって、何が優先なの?いま、何を一番したいの?〔ほか〕

4:16 2016/09/20


第6章 地方議員の政策形成入門


・154頁・平成28年10月19日・


自ら考え・自ら決める議会へ・地方議員が今一番問われているのは、政策能力をいかに高めるかだ。そして議会提案、議会審議の質をいかに高めるかである。


・地方議会は国会に代わり、地域のことは地域で決める「地方主権時代」の政治主体である。そこでは決定者、監視者、提案者、集約者の4つの役割が期待されている。地方議会の役割の重要性は強調してもしきれない。言い換えれば、これは地方議員の役割がいかに重要であるかを意味する。


・2000年の地方分権改革以降、知事、市区町村は国から委任された大量の機関委任事務を処理する必要はなくなった。下請け的な役割を期待された事業官庁自治体から、今や分権時代の政策官庁自治体への脱皮が期待され、地域の政治が重要な時代となった。


・地方議会は政治の主役として、自治体の条例、予算、主要な契約のすべてを決定する決定者の役割が大きくなり、また自らの政策を提案する提案者の役割や、民意を吸収し政策に反映する集約者としての役割もクローズアップされてきた。154・


155頁平成28年10月20日 木曜日・

・例えば大阪と構想を進めるか、否か。これまでの政令市制度をやめ、府と市を合体し「都」を創出、270万大阪市は5つに分割し基礎自治体としての特別区に移行する。この都構想をめぐる大阪の在り方を決める中心に市議会があり、府議会がある。


決して「国が決める」ものではない。住民投票が課されているので、最終的には住民が決めるものだが、しかし関係条例の整備まで含めると、両議会の役割は決定的だ。2015年5月の住民投票でわずかの差とはいえ、いったん否決された大阪と構想だったが、同年11月のダブル選挙で推進勢力の「大阪維新の会」推薦の二候補の勝利により、再び大阪と構想をめぐる論争が議会を中心に始まることになった。今や地方議会は地域の在り方を決める重要なカギを握ることになった。


「国が考え、地方が行う」(中央集権)時代から、地方が「自ら考え、自ら行う」(地方分権)時代へと、大きくパラダイム転換した。ゆえに、地方議会の在り方が問われるのだ。

155頁・平成28年10月20日・


・政策のプロセス・・155頁・


この章では、地方議会に自治体というひとつの地方政府の中でどのような役割を期待され、政策過程の中でどのような立ち位置と役割になるのか、政策形成の核心に触れる問題のついて考えてみたい。


・公共分野における問題解決の技法を「政策」という。それは政策の形成、実施、評価という一連のプロセスからなる。本来、この政策過程は、国は国、地方は地方とそれぞれの政府内において自己完結することが望ましい。


・ところが、長らく中央集権体制のもとにあった日本では、各分野とも政策の形成は「国」、実施は「地方」、評価は「国と地方」で受けるという形で政策過程がバラバラに分割されていた。農政を企画するのは農水省、それを実施するのは都道府県の農林部であり市町村であった。「国が考え、地方が行う」という仕組みの下では、行政責任の所在があいまいであった。その政策の実行で問題が解決しない場合、その原因が政策の形成過程にあるのか、はっきりしない。このあいまいさが無責任な政策遂行にもつながりかねなかった。

これをなるべく国には国、地方は地方で政策過程が自己完結的に運用できるようにする、それが地方分権の狙いである。とりわけ「補完性の原理」に基づき、身近な基礎自治体を中心に政策を運営できるようにしようというのが地方分権改革の考え方である。


・そこで作動する原理は自己決定・自己責任・自己負担の原則だ。政策の形成活動も実施活動も自治体に統合され、156・


157頁・その結果責任も自治体が負うことになる。経営破たんや政策の失敗の責任は議会及び首長といった政治家が、政策の個別具体的な執行上の失敗は行政責任として担当の管理職、監督職など自治体職員が負うことになる。157・平成28年10月20日・


議員立法が自治体を元気にする・157頁・平成28年10月20日 木曜日・

議員が政策形成に乗り出す時代。これは単に自治体の行政に住民代表の声を反映することに止まらない。自治体の組織風土を変え、政策官庁へ踏み出すよい契機となるのだ。


・少ない、少ないといわれながらも、地域によっては先駆的な立法活動を行っている議会もある。本州最東端のまち、岩手県宮古市(人口5万6000人)。ここで初の議員立法による「地産地消条例」が産声を上げ、市政の重要な政策として生かされ、各地に波及している。2009年、地域の在り方、農水産業に危機感を持つ有志議員らの提案で「宮古市食育および地産地消の推進基本条例」が可決。それを受け、市側は「地産地消推進計画」策定。市と生産者等、市民が一体となって


4つの基本理念・

1・健康で文化的な地域社会の形成に寄与する地産地消・

2・農水産業や他の産業の振興に寄与する地産地消・

3・農林水産業の持続的な経営に寄与する地産地消・

4・農林水産物の生産に必要な環境の保全に寄与する地産地消)を謳い、その後、本格的に市政の重要な地産地消政策へと進んでいる。157・


158頁・要は、地域で取れた農産物、水産物を自分の地域でまず有効な形で消費する体制をつくる。例えば学校や保育所の給食食材、市民、観光客を相手の産地直売所の充実、市内の事業者、飲食店で地元産品を徹底利用、付加価値をつけて加工品として対外的に販売する、といったことを全市あげて体系的、本格的に取り組むということ。さらに「野菜ソムリエ」「食の匠」と称し人材育成にも取り組んでいる。

今なら、地方創世の取り組みとしてどこにもありそうな話だが、パイロット的に始めるにはリスクも伴うだけに、立ち上げエネルギーは相当なもの。

いろいろ反対意見もあるものだ。自らも農業、漁業を営む議員らが自分らの問題意識をエネルギーに手探りで、「条例化」に結びつけたことは、まさに生活者感覚に優れた議員らのなせる業。致富創生は与えられるものではない。自らの問題意識から地元が立ち上がらないとダメ。補助金、交付金をもらえるから式の中央依存の地方創世のやり方では、早晩行き詰る。補助金が終わった段階ですべてが消えるからだ。こうした例は枚挙にいとまがない。魂を入れずして、何が地方創世か。宮古市議の心意気に学びたい。158・


・いろいろな分野に広まる議員立法・158・

16/10/20 7時42分


そう数は多くはないが、地に足がついた議員立法だなあという例もある。「小樽市地酒普及の促進条例」「小金井市アスベスト飛散防止条例」「逗子市空き家等の適正管理に関する条例」「名古屋市児童を虐待から守る条例」「名橋市ばりばり食育条例」「大東市マナー条例」「大津市子どものいじめの防止に関する条例」「田辺市紀州梅酒による乾杯及び梅干しの普及に関する条例」「奈良市カラスによる被害の防止条例」「古賀市深夜花火規制条例」など、なるほどと思う議員立法だ(全国市議会議長会「市議会の活動に関する実態調査」2,014年より)。

・もとより、議員立法として条例提案しても否決される例も少なくない。少数会派などによる提案の場合、日の目を見ないことも多い。実際、提案数の半分近くが否決されているようにも見える。議員のパフォーマンスだという見方から葬り去られる例もあろう。

ただ、会派の議席数だけで賛否を決めるやり方は、二元代表制の趣旨からすると正しくはない。少数意見であっても、市政、町政などにプラスと考えられるものはどんどん活かすこと。そうしないと議員立法は萎む。

これは議員自身の自殺行為にもなろう。生活に密着した行政を営む基礎自治体の場合、女性議員の意見や少数会派の意見にもっと耳を傾けるべきではないか。ともかく、選挙で選ばれてくる者は、首長であろうと議員であろうと住民に責任を持つ立場だ。変に国会の真似をし、与野党に分かれ、数で押し切る、国政政党と同じような行動しか取れない地方議会ならいらないと言われても仕方がなかろう。

159・


160頁・二元代表制かの地方議会の議員たちには、公選職として首長とそれぞれが1対1の論戦をして、いずれが民意を代表しているかを競う関係にあることが期待されているのだ。そうした前提に立って、各地の議員の政策活動が活発になるよう望みたい。160・16/10/20 8時33分・


・自治体が政策官庁へ・160・


これからの自治体に求められるのは、政策官庁としての自治体づくりを目指すことである。これまで日本では自治体を地方政府と呼ばず、地方公共団体と呼んできた。地方公共団体を普通地方公共団体と特別地方公共団体に分け、前者を都道府県、市町村としてきた。

しかし、欧米流の理解をするなら、いずれにせよ、地方公共団体は「団体」であって政府ではない。今でも国の省庁官僚は自治体を「団体」と呼び捨てるように言うが、これは間違いである。すでに分権後は、団体ではなく「政府」へと制度的位置づけが変わっている。官僚諸氏は自治体を団体と呼ぶのをやめるべきだ。その意識転換は重要である。

・なぜ、日本では戦後も自治体を地方政府と呼ばず、地方公共団体と呼んできたか。政府と呼ぶにふさわしい基本的な一つの機能が欠落していたからと理解でされる。これまでの地方公共団体には、地域の政治機能(政治体)と事務事業の執行機能(事業体)の2つの機能はあったが、自らの政策を創出する政策機能(政策体)はなかった。160・


161頁・3つの機能が必要なのに、2つの機能しかなかった。だから、地方公共団体であり、これは事業官庁としての自治体、「事業自治体」なのである。

・しかし、これからは3つめの機能、政策形成を担う「政策体」が加わり、強化される必要がある。この3機能を備えた自治体こそが地方政府であり、それは政策官庁としての自治体、「政策自治体」と呼ぶことが出来る。

・本格的に財政も厳しい時代を迎える今後、日本の地方政治において自治体をどう変えるか、そのポイントは政策官庁としての自治体をどう生み出すかにある。いかに効率性・効果性の高い政策を作れるか。地方議会は各自治体を政策官庁化する核に位置する。もっとも、誤解があってはならないが、自治体とはいえ、政策作りは役所が独占する時代ではない。住民やNPO,企業、大学、金融機関などの共同により政策作りを進める。共同を可能にする政策自治体づくりが公共政策の新たな方向となる。161・16/10/22 3時45分・


・政策とは何か・161・


私たちの社会は、住民焼き牛の自由な活動によって成り立っている。しかし、そこには個人や企業では解決できない様々な矛盾、問題が生じてくる。人口減少にせよ、環境問題にせよ、交通問題、福祉問題にせよ、そうだ。161・


162頁・16/10/22 4時1分・また、みんなで共同で使う道路や公園、集会施設などの社会資本の整備は企業の自由な活動からは提供されない。

・経済学ではこうした問題領域を「市場の失敗」と呼んでいる。こうした市場の失敗領域、つまり個人や企業では解決できない問題、いわゆる公共問題について、国や自治体が責任を持って解決しようというのが公共政策である。公共政策を略して「政策」という。

・ここでは政策を「問題解決の技法」と定義しておこう。国や自治体が行う問題解決の技法、それが政策である。政策の具体的な表現は国の法律、予算、政令、各省庁の規則、政策指針、大臣答弁と言った形を、また首長の施策方針、地方の条例、予算、選挙公約を頂点とする一連の行政計画という形を取る。

・最も、政策には抽象的なレベルから具体的なレベルまで階層がある。政策・・施策・・事務事業というようにである。

・自治体の内部で見ると、本庁の企画部門で扱うのが政策とすれば、各事業部門や出先機関での仕事の多くは施策の遂行であり、事務事業の執行という理解も成り立つ。

・もとより、これまでの日本は環境政策にせよ、福祉政策にせよ、自治体内で政策、施策、事務事業があたかも一つの工場の製品作りのように完結する仕組みにはなかった。

・国が立案し、地方が執行する図式の中では、多くの分野で政策は国が作り、自治体は、施策、事務事業を担ってきたと言ってよい。162・


163頁・そうした仕組みの中では、自治体に政策を自ら考える組織風土も育たなかったし、それを担う政策立案型の職員も育たなかった。議員についても同様だ。

・ともかく、これからは国の行う政策領域、地方の行う政策領域が比較的明確になっていこう。少なくも県も市町村も8割を占める「自治事務」については、自分の政策領域と考えてもよい。これを拡大するも縮小するも、他分野と統合するも、廃止するも自由だという前提に立って自治体は政策を組み立てるべきだ。その視点は「霞ヶ関が責任を持つ」のではなく、「住民に責任を持つ」だ。さらに今後、与えられた自治事務だけでなく、地域特有の問題領域に対し、独自の政策を構想する政策フロンティアへの挑戦が必要となろう。

とくに人口減少や地域づくりについては、地域間競争に打ち克つ必要がある。

163・16/10/22 4時33分・


・行政と公務員、民間との関係・163・


・もっとも、政策を「問題解決の技法」と簡素に表現しても、具体的には様々な場面がある。直接、役所が事業主体になって行う政策(公共事業)もあるが、市民や企業など民間活動に何らかの動機づけを促す政策もある。補助金や規制行政などはその例だ。

行政と民間活動の関わりは、大きく4つの場面からなっている。163・


164頁・16/10/22 4時42分・

1・行政が民間活動を規制する形で関わる(規制行政)

2・行政が民間活動を助成で関わる(助成行政)

3・行政が民間活動のサービス不足を補う形で関わる(補完行政)

4・行政が直接サービスの供給主体として関わる(直接行政)

・これらの4つの場面について、政策は「活動する案」を企画・立案・決定する「作成の段階」と、それを具体化する予算・事業執行の「実施の段階」に分けられる。

・本来は、一つの自治体で「企画活動」と「執行活動」が連続して行われるのが望ましいが、これまでは国が企画活動を中心に行い、自治体は国の補助金と通達に沿い「執行活動」を中心に担う仕組みにあった。これが、戦後半世紀以上続いた集権融合型の中央地方関係下の自治体であり、そこでは国が政策官庁であり、自治体の事業官僚という図式だった。この中で議会は国の事業執行を追認し、自治体の実施に「イエス」の許可を与える役割が多かった。


・この蔵々が2,000年の地方分権一括法の施行でなくなった。各省大臣の部下として、公選の知事、市区町村長を地方機関と位置づけ、国の機関委任事務の施行を通達で命令する上下主従の関係もなくなったのである。

・もとより長年、事業官庁になれきった自治体に突然、政策官庁の役割を果たせと言っても、そう容易ではない。164・16/10/22 4時59分・


165頁・もう15年経つが、地方創成一つ取っても、中央集権型地方創成の様相が強い。現場では依然旧来の行動スタイルが残っている。国の指示がない限り、すべてをルーチン的に処理し、大過なく済まそうという組織風土がそれである。

・そうであってはならない。行政と民間活動との4つの関わりの中に、政策の介在する領域は十分にある。これを認識し、裁量権を駆使しながら、住民の目線で満足度の高い政策作りを目指し相違・工夫を重ねる、それがこれからの自治体の仕事スタイルだ。議会も同様である。

・従来の国の示したモノサシを金科玉条とし、何の創意工夫もしない自治体と、持てる力を使ってあらゆる創意・工夫をして政策に改善を加え、新たな政策を次々に生み出していく自治体とでは、この先10年も経つと大きな「政策差」が生じよう。

・残念ながら、その差を「格差」とは言わない。それは明確な能力差である。

政策差が「個性」として形成されてこそ、政策分野でも地域づくりにおいても「多様性」が生まれてくる。それが地方分権を進めるねらいである。政策に個性や多様性を生み出すのは各自治体の独自の政策活動、工夫以外にない。165・


16/10/22 5時16分・


・違う政治と行政の役割・政策・166頁・


・各自治体が行う政策活動の個別の政策は、それぞれ形成・・実施・・評価、そして形成へのフィードバックとひとつのサイクルを描く。この政策プロセスを少し詳しく分解したのが上の図である。


それは1・課題設定(問題、課題の整理)、

2・政策立案(解決方法の設計)、3・政策決定(政策の公式決定)、

4・政策実施(細目を定め具体化)、

5・政策評価(政策の効果判定)の5つのプロセスからなる。


・しからば、この場面は誰が担うのか。よく議員に聞くと、自分らはこれとは関係ないという。強いて言えば「政策決定の場面かな」と言う。確かに、その答えは間違いではないが、基本的に認識不足だ。決定場面のみに関わるなら、議員の日常の政治活動はいらない。166・


167頁・また住民に変わって、自治体活動を政策面から統制することも出来まい。

・そうではない。分権化によって、政策過程は基本的に各自治体で完結するようになったと見てよい。そこで政治と行政の関わり、役割分担を認識することが需要となる。


大きく政治と行政を分けると、1・と3・と5・の場面は政治の役割(公選議員の役割)であり、2・と4・の場面は行政の役割(首長と補助機関の公務員)と言うことになる。もとより、これは連続した過程であり、どこまでが政治でどこまでが行政の役割だと明確に線を引くのは難しい。

しかも政治の仕事は首長、議員が、行政の仕事は公務員が担うと言った単純な役割図式にもなるまい。


・だが2,000年地方分権化以来、議会は1・から5・までの多くを役所任せ、首長任せ、役人任せできたきらいがある。これまで政策や条例を提案するのは首長の役割で、議員はそれをチェックするのが役割だと考えてきた。

議会が政策過程で重要な役割を期待されながら、十分でなかったのはその認識の浅さにも要因がある。3・の政策決定は議会の大きな役割だが、それに加え、議会は1・、3・、5・、が基本的な役割でもあることを再認識しなければならない。官民協働の時代をにらむなら、NPOや企業、住民らも1・の課題設定に止まらず、4・の政策実施、さらに政策評価を住民の手で行う。5・の過程での関与も期待される。167頁・16/10/22 5時54分・



2016年10月16日 (日)引用・地方議員の逆襲佐々木 信夫【著】・地方議会は役割総括主義へ変化せよ・機関としての議会改革も喫緊の課題だ。 目標?龍郷町を日本で初めての、人口増・一万人にする、町に変えて行くには町民、全員で考えて物事を決めて決定して、実行を?・奄美大島は・長期衰滅の危機に立ち向かう・引用家庭ゴミを発電燃料に 爆発事故12年目の再挑戦

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2016/10/12-d021.html

8:39 2016/10/16


・議会基本条例は必置・


143頁・平成28年10月16日 日曜日・

このところにきて、ひとつよい動きもある。機関としての議会が自律性を高める方向での議会基本条例の制定が全国に広がりつつあることだ。自治体の憲法とされる自治基本条例の制定も広まりを見せるが、自らを律する議会基本条例を作り、議会活動を充実させようという取り組みの意義は大きい。


2,006年5月に北海道栗山町が議会基本条例を初めて制定後、神奈川県湯河原町、三重県議会(同年)、三重県伊勢市(2,007年)と続き、この約10年の間に市レベルで言うと約4割の市議会で議会基本条例を制定している。


2,013年末現在の市議会における議会基本条例の制定状況は、次の頁の表のようになっている。全市区(812)のうち、約4割の市が議会基本条例を制定している。議会基本条例の制定自体、金のかかるはなしでないこともあってか市の規模による制定状況にあまり差はない。表にはないが、都道府県でも町村でも特別区議会でも大差はない。ひとつの望ましい姿だと評価したい。

・なぜ議会基本条約が必要かと言えば、住民に対してと言うより、議会内のガバナンス(内部統制)を高める役割が大きい。そもそも、自分らの議会は何をするところか、そのルールはどうあるべきかよく分からないと言う話が以前からあった。これを変えようという点で議会内のルールブックに近いえ面がある。その大きな背景には地方議会自身の危機感がある。


議会不要論も出ているが、それより地方分権の始まりで地方議会が決定者、監視者、提案者、集約者としての役割を果たすことが緊要だと認識するようになったからだ。特に改革派首長のいた県や市は早くから制定にこぎつけ、改革派首長に触発されて議会改革に取り組んできた経緯がある。首長と論戦をするイメージ。これが他の自治体へ波及していった。


・議会基本条例は、自ら定める議会ルールである。そのねらいは議会のあり方、討論など議会運営の体系化総合化を図ろうとする点にある住民と歩む議会、議員同士が討論する議会、首長ら執行機関と切磋琢磨する議会の変貌をねらう。

・議会基本条例で定めるべきポイントは次の諸点になろう。144頁・


145頁・


1・ねらい・地域の代表機関として、議会の役割を明治と信頼される議会づくり。

2・議会の原則・決定、提案、集約の4つの機能を十分発揮できる体制へ。

3・議員の原則・議員の役割、活動の心得、政治論理、政策提案の活性化。

4・議長と首長・二元代表制の制度趣旨を尊重、権力の抑制均衡関係を保つ。

5・討論の仕方・議員同士の討論を増やし、可能な限り執行機関に依存しない体制へ。

6・公開の原則・委員会全部の公開、情報公開審議状況報告、パブリックコメント。

7・政務活動費・政策立案・立法活動に限定。個人・会派ではなく政策グループ単位で。

8・議会報告会・年間計画に基づき、主要会期ごとに地区別報告会、懇談会を定例化。

9・付属機関・市政の主要課題に対応するため専門調査期間と法制局(共同)を設置。

10・事務局体制・議長局長を特別職に位置づけ、事務局スタッフの増強など体制強化。


 政策に強い議員へ・148


平成28年10月17日 月曜日・

これから地方議員にとっての大きな課題は、立法能力の向上ではないか。そのためには、サポート組織として法制局や法政相当を置く「制度の改革」が必要である。一方、現行の仕組みをうまく生かしているかどうかをチェックし、必要なら「運用の改革」も求められる。さらにそれを動かす議員の「意識の改革」も必要と思われる。

・制度上の壁があったらそれを変える制度改革は必要だ。ただ最近目につく議員の問題は、勉強しない、立法や調査活動をしない、職員や執行機関任せで「執行部案」が出てくるのを待っている、と言った「待ちの政治姿勢」である。つまり、運用、意識面の改革問題も大きいのである。


・繰り返すが、これからの議会はチェック機関の役割を果たす以上に、立法機関の役割を果たすことが重要だ。議会自らが政策論争をし、執行機関の提案内容を独自に修正し、執行機関の提案内容を独自に修正し、自ら様々な政策提案を行うこと、これがこれから求められる地方議会であり、地方議員の姿である。自治体自身、従来の事業官庁型の体質から抜け出し、政策官庁型の自治体へ変わらなければならない。その中心的な政治機関である議会は政策議会に、議員も政策は議員に変わらなければならない。そうならないと、地方分権を進めた意味がなくなってしまう。148頁・


平成28年10月17日 月曜日・

・職員と連携を・149頁・


・そこで問いたいのが職員との関係である。なんと言っても、議員の身近な行政の専門家は当該自治体の職員である。ただ、職員(公務員)は、よく「議会は鬼門」だと言う。触らぬ神に祟りなし、出来れば議員とあまり深い関係を持ちたくないと思っている職員が多いのも事実。議員の質問攻めにあい、管理職としての失格の烙印でも押されたら大変だ、と言うことかもしれない。

・一方、議員からは、どの部署にどのような情報があり、どのような職員がいるかも知らない、結果としては政策情報が少なく、スタッフもいないので「条例の提案」などは出来ないという声が上がる。同じ屋根の下で仕事をしながら、議員と職員が疎遠な関係にあるようでは、地方分権はうまく行かない。

・地方分権は自己決定・自己責任・出水から政策をつくること。もとより、それは何も議員自身が直接政策を作れと言っているのではない。政治家である議員と専門家である職員が連係プレーの中でよい政策をつくればよい。議員と職員はよきパートナーであり、政治と行政が連液プレーを行うことが期待されている。

・市民が何を求め、地域が何で困っているのか、直感的に判っているのは議員である。外から民意を吸収してくることは政治家がお得意な分野だ。しかし、一般的に議員は専門知識に乏しい。149・


150頁・16/10/17 8時0分・

これに対し職員は議員の様々な要求や提案を加工し、政策に仕上げる技術を持っている。政策面では職員のほうが知識も経験も豊富であろう。議員は素人でもよいが職員は専門家でなければならない。

そこで政治家の運んでくる様々な民意を、専門家としての職員集団が政策として加工する。それをアウトプットして住民サービスに反映する。そうした自治体内での連係プレーが行われてこそ、地域にとって望ましい政策が生まれる。

・それぞれの議員が、福祉や教育、子育て環境、農業、ごみ、観光、道路、地産地消など、得意な分野について実情を調べ、地域づくりに明確なビジョンを持って質問をすれば、職員はそれに目を開かれ、真剣に勉強するはずだ。職員の人材育成は首長の役割でもあるが、じつは議員、議会の役割だと言うことも見落としてはならない。政務活動費はそれの調査研究に使う。職員と議員が一緒に勉強会を行っても何も問題はない。


・古くからあるような、議員が職員に質問をつくらせ、その答弁を事前に貰い、それを委員会や本会議で互いに間違いのないように読み会う・・・こうしたことを続けていても何も生まれない。こうした関係を保つことが、職員に対する優しさだとか、議員に対するサービスだ、とお互いに考えているようでは、単なるなれ合いの関係に過ぎない。職員と議員が一定の緊張感と連帯意識を持って自治体を運営する、それが政策官庁としての議会のあり方である。150頁・


・地方議会に法制局を・151頁・平成28年10月17日・

・議員の立法活動、質問作成などをサポートする制度として、地方議会の広域連携機関として「○○圏法制局」を創設してはどうか。「宮城県栗原広域圏法制局」と言ったイメージ。そこに非常勤の専門委員として東北大などの法科大学院の出身者を雇ったらどうか。

・国際的に見ると、日本の法曹人口はまだ少ない。アメリカで見るとアメリカでミリと人口10万当たりの法曹人口は約400人。イギリス、ドイツでも約230~250人である。それに対し日本は、人口10万人に対して約30人という割合である。欧米との訴訟文化の違いもあるが、少しずつ増えているとはいえ、それにしても日本は法律専門家が少ない国だ。

・では、困っているところがないかと言えばそうではない。例えば47都道府県、20政令市、さらに1,700余りの市区町村の議会では、議員の条例提案件数が極端に低く、機関としての立法能力をどう高めるかが大きな課題となっている。市町村の場合、人口も面積もバラバラだから個別に各市町村議会が法制局を持つことは無理だが、30万~40万人の広域市町村圏なら共同設置が可能ではないか。都道府県や100政令市は単独設置も可能だろう。そこで提案したい。昨今、使途について問題視されている政務活動費の半分を「法制局設置、維持」費に投入し、議員立法をサポートする機関としたらどうか。

その専門家として法科大学院出身者を雇ってはどうか。「文系の医学部」との触れ込みで始まった日本の法科大学院。151・


152頁・しかし12年経った今、危機に立たされている。この大学院は研究者養成ではなく、専門家としての法曹に必要な学識及び能力を培うことを目的に設立された専門職大学院。2,004年4月に多くが開設され、当初、法科大学院68校、約5,600名の定員という大振りなもので始まった。


当然ながら応募者も殺到。社会人を辞めて進学するものも多く見られ、各大学とも10倍以上に達する狭き門であった。政府の構想では、司法試験予備校中心の人材育成を辞め、対話型の思考力を養う教育により、もっと柔軟な立法能力もある人材を輩出し、修了すると7~8割が司法試験に合格するとされていた。だが、現実は違った。合格率は2~3割止まりである。とはいえ、以前の司法試験毎年500名まで増やした。しかしこれ自体、多いとされ、1,500名程度まで減らす動きにある。152・


・政策官庁議会へ脱皮せよ・152・


・とはいえ、優秀な人材が集まっているのが法科大学院である。その卒業生は法律の専門家だ。ここで言う地方法制局で雇う人材は、必ずしも司法試験合格者に限定する必要はない。法科大学院修了者(法務博士)専門職)立ちを専門委員(非常勤)として組織的に雇えばよい。152・


153頁・議員は条例提案の種となる「「問題意識をレポート」すればよい。それを他の法令や条例との整合性も見ながら条文化してくれるのがここで言う広域法制局だ。もちろん、議員立法だけでなく、執行機関提案の条例審議や予算についても、一定の専門知識を活かしてサポートして貰える可能性が高い。頼りになる法的スタッフだ。

そうした中から、将来法科大学院出身の地方議員が続々誕生してくるかもしれない。いずれ、欧米的な法律専門家の活躍の場裁判絡みだけでなく、立法や行政活動の場まで広げると、法科大学院縮小の流れも止まるのではないか。地方も助かるのである。

・ともかく、立法能力、政策形成能力を高めるのが議員らの研鑽努力のテーマである。今後も議員の絶対数は減り続けるだろう。少数精鋭型の地方議会の姿が一般化しよう。そこで呼ばれた一人ひとりの議員は、地域民主主義の代表、担い手として強い改革意識と進取の気性をもって政策を提案し地方活性化に取り組むべきである。

当面、各地に立ちはだかるテーマは人口減少に対し、同地域の再生を構想していくかだ。各議会で地方創世の在り方について常設の特別委員会をおいて、各界各層の代表も入れて中長期のビジョンを作ったらどうか。そうした中から、政策官庁型の自治体、政策官庁型の地方議会が姿を現してくるのではないか、筆者はそこに期待している。153頁・



・すぐやれる議会改革・145・


議会基本条例も含め、すぐやれる議会改革は幾つもある。その視点は、従来の「行政改革」(量的改革)」としての議会改革から「政治改革(質的改革)」としての議会改革へシフトすることである。それは多くが自力改革で出来る内容である。例えば、次のようなものが挙げられる。145・


146頁・

1・議会の自律性を高める議会自身のルール制定(例・議会基本条例)

2・執行機関を交えない、議員同士の討論機会の創出(本来は議員だけが原則)

3・議会主催の各地域での市民への議会報告会、対話集会(住民との対話)

4・議員立法を支える広域市町村での「議会法制局」の共同設置

5・議会の会期日数を大幅に増やし、定例会の月例化(審議時間の確保充実)

6・各議員の期毎の採決行動の公表、質問・提案に対する市民の評定(点数化してもよい)

7・議会で予算研究会を常設(財政の勉強をし、毎年、首長に予算教書を提出)

8・監査・統制機能の強化(行政監察、監査機能を持つ専門的付属機関を)

9・議員の活動執務室(1議員1執務机、インフラ整備、政策スタッフの非常勤雇用)

10・まちづくり、子育て支援、少子高齢化対策、地産地消研究会など創設(政策グループ化)

11・子ども議会を定例化(議会の学習機械を子どもの頃から育む)

・議会は本来、市民主権を土台とする市民の選挙によって成り立つ市民の「代表機関」だ。にもかかわらず、選挙が終われば、首長の翼賛機関と化し、国の下請け機関としての自治体の追認機関に成り下がってしまう。これでは何のための代表機関か分からない。

議会は特権を持つわけではなく、市民主権による選挙、つまり市民の信託に基づいて存在する議会だから、逆に市民の直接発動によって議会あるいは議員はリコールされ、また市民のイニシアティブによる条例制定、改廃請求も行われる。146・


147頁・平成28年10月17日・

議会が機能しなければ住民投票の活用も広がっていこう。「市民の代表機関」となるにはこれまでと逆の考え方を取る必要がある。

単に従来の「議会会議規則」に依存するのではなく、自治体の「基本条例」あるいは「議会基本条例」を作成し、招集、組織、会期、公開、参加などの規定を自らつくること。そのうえで審議、調査、立法をめぐる権限を広げる改革を行うべきではないか。

・その時、首長が市民会議などで行っているのと同様に、議会が主催して市民会議を開くことも大切ではないか。閉じた議会では何の進歩もない。開かれた議会に変わることだ。公聴会、参考人という形も一歩進め、彼らが議会の討議にも実質的に参加できるようにすれば専門性を高めることも可能となる。主権者である市民をいつまでも「傍聴者」あるいは「陳情・請願者」に止めておくのも問題だ。

アメリカのように、市民が議場で反対意見を述べると行ったところまで開いたらどうか。それはすぐには無理だろうが、参考人らが議員の討論に加わる仕組みぐらいは考えるべきだ。市民が主役であり、議員が真の代表となるよう、地方議会は市民自治の代表機関として蘇生すべき時が来ている。147・


ここまで平成28年10月17日


講談社現代新書 地方議員の逆襲佐々木 信夫【著】人口減少、自治体消滅の危機だから地方議員、地方議会にできることがある。中央からのバラマキではこの国は変われない。地方民主主義が日本を救う。大阪副首都構想のブレーンが提言!


第5章 地方議会、地方議員は変われるか・135頁・平成28年10月16日 日曜日

・地方議会は役割総括主義へ変化せよ・

機関としての議会改革も喫緊の課題だ。

まず、第2章でも書いたが、地方議員と地方議会の役割について今一度簡単に確認しておこう。次の頁の図のように地方議会の主な役割は、まず、自治体の団体自治に必要な予算、条例、主な契約などの主要案件の決定者である。同時に首長に代表される執行機関の活動の監視者であり、膨大な予算の執行や条例、契約に関する行政活動を監視、批判する役割を持つ。

さらに最近重視される役割として、議員自らが政策論争をし、首長提案の政策変更を迫るだけでなく、自ら様々な政策や条例を提案者としての役割がある。亦機関としての議会が有権者に議会の判断を説明し、争点の提起や民意の集約などを行う集約者がある。

こうした4つの役割を期待されながら、従来の議会は自ら「チェック機関」だと称してきた。135・


136頁・首長や執行機関の監視統制を行う機関が議会であると言う認識からだ。これ自体は間違っていないし、重要な役割であるが、しかし議会の役割を一点に集約して「チェック機関」だとするところに問題がある。

・特に地方分権が進む中、国の下請け的機関として国の機関委任事務の処理を大幅に担い、そのことに議会は関与できなかった時代とは違う多くの仕事は自己決定・自己責任を原則に自治体自らが決める自治事務に変わっている。この決定者が議会である。それには首調停案の議案を審議し、イエス、ノーの答えを出して終わるような形式審議ではダメ。

・議員同士で案件を深く掘り下げ、同時に自らの議員立法を行う提案者でなければならない。さらに議会が機関として住民の中に入って行くこと、そこで議会自身の採択態度争点を説明し、住民の意見を集約してくる活動が不可欠だ。136・

要するに地方議会は、従来の2・の役割重点主義から、2・から4・までをバランスよく議会活動に反映する役割総括主義へ変わらなければならない。 

地方自治の本旨と議会の関係図式

1・公共政策の

決定者

団体自治

2・執行機関の

監視者

住民自治

3・政策など

提案差

住民自治

4・民意の意見の

集約者

住民自治

地方議員自身は議員と議会の役割をどう考えているか。慶應義塾大学の政治研究会の調査によると、地方議員(例・都道府県議員)の役割認識は1・政策の決定、2・世話役・相談役、3・行政監視・批判、4・政策の形成の順となっている(同大学21COE・CCC調査データ、2,005年8月9)。

10/16/2016


・これが市町村議員になると、むしろ「世話役・相談役」と「行政監視・批判」の役割が上位を占めるようになる。この認識の違いはやはり問題である。市町村議員とて、地域の世話役を中心に活動する時代は終わったのではないか。政策立案や政策審議に多くの時間を割くのがこれから期待される議員の役割である。

・これまでも議会は改革努力を続けてきている。しかし、その本質は、政治改革としての議会改革ではなく、行政改革としての議会改革に泊まっている。議員定数の削減など「量的」な面の改革が中心だった。今後もこうした面での改革努力は惜しんではならない。

・しかし、それが議会改革の本丸ではない。分権化に伴う議会改革は政治の「質」を高める改革が最も大事である。地方民主主義の担い手たるべく、政治改革としての議会改革を進めると、これが議会改革の本丸である。137・


138頁・自治体自身、従来の事業官庁から政策官庁へ脱皮していくこと。その牽引力を担うのが議会である。「議会が変われば自治体も変わる」、議会改革の基本的な意義はここにある。

10/16/2016 9:38 AM・



・住民の中に入れ・138頁・

・地方議会の存在は住民参加の延長として捉えなければならない。住民の直接投票による住民参加もそうだが、これまで住民参加と言えば、ほとんど首長とその補助機関である執行部門の意志決定への参加を意味していた。議員の間からは、首長による住民参加の推進は議会の権限を侵害するものだという意見すら見られた。執行権がないとの認識からか、議会は住民参加を促進する視点を持たなかったと言っても過言ではない。


しかし、これは二元代表制に関する深い認識を欠いていると言わざるを得ない。執行機関としての首長が呼びかける住民参加と、議会が呼びかける住民参加とは意味合いが異なる。住民参加は、議会にとって、首長とは別個に、選挙で選ばれた住民の代表者としての、その代表性を高め、しかも合議体としての議会の持ち味である地域社会の統合力(地域における意見、利害の相違・対立を調整し合意を形成する能力)を高める手段なのだ。

・議会が主催して住民との討論や対話集会を一般化すれば、それは単に民意の具体的な吸収に役立つのみならず、議員も住民が提起する問題に対し説明し説得する能力を高めることになる。138・


139頁・住民参加は政治機関として議会の能力を研ぎ澄ます絶好の機会となる。

議会がこれまでのように執行機かをチェックする機能を持つだけでなく、立法機関としての機能を身に付けていく為には、町づくりの将来構想案や特定の政策テーマを取り上げ、議会主催で住民討論会を開くと行った試みが不可欠と言える。争点を明確化し民意を形成する、こうしたところに政務活動費を充てるべきだ。139・


16/10/16 10時5分・

与野党の意識払拭・


議会における与野党意識も、首長優位と大きく関係する。はたして二元代表制の下で議会に与党、野党はあるだろうか。仮にあると考え、議会がむやみに首長の与党的な行動に走ったり、野党的な行動に走る事は自らの存在意義を否定することになる。ましてオール与党化した議会、オール野党化した議会など、その存在は無価値に等しい。

・首長の多選やマスコミが注目する有名人の首長就任で、時の首長権力が強くなればなるほど与党的な議会活動が活発になることがある。それは多くの場合、首長選挙から始まる。最初の首長選挙で特定候補者を支持した議会内の政党・会派は、その候補者が当選してくるとその首長に対して自らを「与党」と考え、また首長側もそのグループを「与党」とみなす。139・


140頁・その首長の提出案件でも、審議過程において首長ら執行機関の職員を抜きに、議員同士だけで討論している議会は極めて少ないのが現状である。掘り下げが極めて不十分だ。

・こうした現状をどう変えたらよいか。いっそのこと、職務として議員に1任期1条例の提出を義務づけてはどうだろうか。議員立法にはある程度の専門的な法律知識が必要だが、衆参両院の例に倣い、立法活動をサポートし法令審査を担当する地方議会「法制局」を自治体共同で設置したらどうか。政策条例のテーマは農政、福祉、教育、まちづくりなど山ほどある。議員は条例を作り立法能力を磨く事だ。幸い、毎年3,000人近い学生が法科大学院を修了するようになった。

彼らのうち法曹(弁護士、検事、裁判官)の資格を得られるものは2,000人に満たない毎年半数は他の職業を目指すことになるわけで、各地で地方議会法制局をつくれば彼(彼女)らにも法律知識を活かす場が生まれ、議会にとっても優れた立法サポーター立法サポーターを雇えることになる。

・さらに各議会に議員執務室(1人1席の執務机)を創設すべきだ。人口10万人以上の都市議会はともかく、それ以下の市町村議会には議員執務室がないのが一般的だ。あるのはサロン的な議員控え室のみ。自治体の職員には非常勤でも執務机が与えられているのに、なぜ、住民の代表である公選議員には執務机すらないのか。この一点を見ても、いかに議員が議会を拠り所に「議員活動」をしていないかが分かろう。ここを拠点に住民と面談すればよい。142頁・


・議会基本条例は必置・

143頁・平成28年10月16日 日曜日・

このところにきて、ひとつよい動きもある。機関としての議会が自律性を高める方向での議会基本条例の制定が全国に広がりつつあることだ。自治体の憲法とされる自治基本条例の制定も広まりを見せるが、自らを律する議会基本条例を作り、議会活動を充実させようという取り組みの意義は大きい。


2,006年5月に北海道栗山町が議会基本条例を初めて制定後、神奈川県湯河原町、三重県議会(同年)、三重県伊勢市(2,007年)と続き、この約10年の間に市レベルで言うと約4割の市議会で議会基本条例を制定している。

2,013年末現在の市議会における議会基本条例の制定状況は、次の頁の表のようになっている。全市区(812)のうち、約4割の市が議会基本条例を制定している。議会基本条例の制定自体、金のかかるはなしでないこともあってか市の規模による制定状況にあまり差はない。表にはないが、都道府県でも町村でも特別区議会でも大差はない。ひとつの望ましい姿だと評価したい。

・なぜ議会基本条約が必要かと言えば、住民に対してと言うより、議会内のガバナンス(内部統制)を高める役割が大きい。そもそも、自分らの議会は何をするところか、そのルールはどうあるべきかよく分からないと言う話が以前からあった。これを変えようという点で議会内のルールブックに近いえ面がある。その大きな背景には地方議会自身の危機感がある。

議会不要論も出ているが、それより地方分権の始まりで地方議会が決定者、監視者、提案者、集約者としての役割を果たすことが緊要だと認識するようになったからだ。特に改革派首長のいた県や市は早くから制定にこぎつけ、改革派首長に触発されて議会改革に取り組んできた経緯がある。首長と論戦をするイメージ。これが他の自治体へ波及していった。


・議会基本条例は、自ら定める議会ルールである。そのねらいは議会のあり方、討論など議会運営の体系化総合化を図ろうとする点にある住民と歩む議会、議員同士が討論する議会、首長ら執行機関と切磋琢磨する議会の変貌をねらう。

・議会基本条例で定めるべきポイントは次の諸点になろう。144頁・


145頁・

1・ねらい・地域の代表機関として、議会の役割を明治と信頼される議会づくり。

2・議会の原則・決定、提案、集約の4つの機能を十分発揮できる体制へ。

3・議員の原則・議員の役割、活動の心得、政治論理、政策提案の活性化。

4・議長と首長・二元代表制の制度趣旨を尊重、権力の抑制均衡関係を保つ。

5・討論の仕方・議員同士の討論を増やし、可能な限り執行機関に依存しない体制へ。

6・公開の原則・委員会全部の公開、情報公開審議状況報告、パブリックコメント。

7・政務活動費・政策立案・立法活動に限定。個人・会派ではなく政策グループ単位で。

8・議会報告会・年間計画に基づき、主要会期ごとに地区別報告会、懇談会を定例化。

9・付属機関・市政の主要課題に対応するため専門調査期間と法制局(共同)を設置。

10・事務局体制・議長局長を特別職に位置づけ、事務局スタッフの増強など体制強化。平成28年10月16日・



・与野党の意識払拭・会議の自由化で議員提案を増やす・議会基本条例は必置・すぐやれる議会改革・政策に強い議員へ・職員と連携を・地方議会に法制局を・政策官庁議会へ脱皮せよ・ 

目次

はしがき・3頁・16/10/14 7時25分13秒・

どうも地方の政治がパッとしない。輝きが見えない。地方分権と言われて久しいが、地域の自立、地方自立の動きが明確な形で表れてこない。今「地方創成がキィワードになっているが、現在の動きは中央指導、中央集権型地方創成ではないか。政府の振るタクトばかり見ている。戦後長らく続けられてきた自民党政治の得意技、補助金行政、地域指定のやり方に一喜一憂し、振り回されている。果たしてこんな事でよいのか。

・それをつくりだしている要因が、中央集権型システムをそのまま温存し、東京一極集中を事実上「是」とし、東京膨張を放置している点にあることは否めないが、同時に、自己決定・自己責任・自己負担を原則とする地方自治の担い手が、地域主導型の自立した地域づくりへの狼煙を上げるパワーに欠ける点だ。特に地方議会の、地方議員の動きにダイナミズムがない。もちろん、自ら掲げた大阪都構想や行政改革を必死にやり遂げようとする大阪維新の政治など一部の例外はあるが、全体として地方政治の顔が見えない。

・10年前、こんな調査がある。地方議会の現状に満足しているか、と生きたら「あまり満足していない」「まったく満足していない」が60%。3・

4頁・その理由は「議会の活動が住民に伝わらない」が53%、「行政のチェック機能を果たしていない」が33%、「地方議員のモラルが低い」が32%(重複回答)とある(日本世論調査会、2,006年12月実施)。

・それから10年経つが、同じ質問をしたらどんな答えが返ってくるだろうか。進取の気性に架けるのか、特権にあぐらをかいているのか、それとも適格者が選ばれていないのか。

・地方創成についても様々な提案が出ている。しかし、それは中央省庁からであったり、地元の金融機関、地方大学、マスコミからであったり、知事、執行機関からの提案であったりする。だが、肝心の住民代表の政治機関である「議会」からの提案はほとんどない。住民の民意を束ね、独自の地域主権の動きを強める、そうしたエネルギーが見えないのだ。なり手不足など地方選挙も低調で、地方で民主主義が失われているのではないか。

地方分権改革が始まって15年余りが経つが、今の動きは再集権化の動きとすら見える。

・それを食い止め、地方民主主義を再生させる道はないのか。そこに本書の問題意識があり、議論の焦点がある。地方が自ら変わらなければ、この国は変わらない。そのことを改めて確認したい。

・知事、市町村中らはあくまでも執行機関だ。二元代表制かでの決定機関は議会であり、様々な職層、地域、性差などを代表するのは公選職の議員からなる地方議会である。4・

5頁・なぜ、住民が感心するような、個性的な提案が地方議員の手によって行われないのか。それまでの箸の上げ下ろしまで中央省庁が差配する中央集権化の自治体と違い、2,000年の分権改革以後、地方議会は自治体の条例、予算、主要契約など経営の基本事項の決定者になっているのに、である。

・各大臣・・知事・・市町村長という国の指揮命令系統に組み込まれ、国の機関委任事務の処理に8割近くのエネルギーを費やしてきたのが、戦後半世紀以上続いた中央集権化の自治体だ。その環境は2,000年4月以降、地方分権一括法が施行されて変化したはずだ。

・大臣・・首長というタテの執行機関ルートでの指揮命令に従わされ、意志決定から事実上排除されていた地方議会。それが、地方政治の主役へと立ち位置が変わったのである。

・にもかかわらず、旧態依然とした活動が目立つ。そうこうしているうちに、地方議員のなり手すら減り始め、無投票の選挙区が3割に達する始末。

2,016年から政治参加の資格を18歳まで引き下げ、240万人の若者が政治に参加できる状況がつくられたのに、実態は逆の方向に動いている。地方議員のなりてがなく、地方議会がうまく機能していない、それを地方民主主義の危機とするなら、これを放置したらこの国は亡びる。

・私たちの生活に関わる公共サービスの約3分の2は、都道府県、市区町村という地方自治体から提供されている。5・

6頁・その地方自治体の意志決定者は、「地方議会だ。一つの国の中で、これほど地方自治体の活動量(ウエイト)が大きな国は、カナダと日本ぐらいである。それほど自治体の影響力の強い国であるにもかかわらず、肝心の地方議会が政治の中心になっていない。議会制民主主義が根のところから枯れている。

・首長は時々目立つ存在が表れるが、地方議会と地方議員の存在感は薄く、住民たちの関心も低い。たまに関心を呼ぶのは、号泣議員、セクハラ議員、暴力議員など地方議員の不祥事ということになる。これを例外的なものとみる見方もあるが、地方議員の劣化が著しくないか。少なくても住民からすると、地方政治への信頼が足元から崩れている感が強い。人口が減る時代へ、地域は総力戦で地方創成に取り組むべきなのに、こうした状況ではこの国の行く末は危うい。高等教育も普及し、歴史上、教育水準が最も高まった日本である。地方が蜂起できないはずはない。

・現在、日本には47都道府県、790市、928町村(745町、183村)、23区の特別区の1,788自治体がある。そこに働く地方議会の議員総数は3万3,438名。都道府県に2,613名、市区に1万9,576名、町村に1万1,249名の議員がいる(2,014年末)。この地方議員が各自治体の意志決定者である。6・

7頁・ただ、年齢形成や性別に極端な偏りがある。議員の年齢も高く、60歳以上が町村議で72%、市区議で55%、都道府県議で45%を占める。女性議員の比率は低く、区議で26%、市議で13%、町村議と都道府県議で9%。人口の半分以上が女性でもあるにもかかわらず女性議員は1割に過ぎない。

これは積亜出群を抜いて低い。女性民主主義という視点では、世界でワーストワンに近いのが日本の姿だ。

・個人や企業では解決できない公共領域について、160兆規模の行政活動が行われている日本。その約3分の2は地方が担っている。地方で「自己決定・自己責任」により行政活動が行われる地方分権の仕組みになっており、税金の使い方やサービスのあり方を自身の手で大きく変えられる。ある意味で、国政より地方政治の影響力が大きい仕組みだ。

・今、アベノミクスの一環として声高に「地方創成」が叫ばれているが、実際は如何に国が旗を振ろうが地方自身が変わらなければ、人口減少の解決も地域の再生も出来ない。20世紀の中央集権化とは異なり、地方政治の力が表出せず、それに対する関心も低い。

・地方政治の担い手、この大きな役割は地方議員が負っている。だが、市民は地元自治体に何名の議員がいるのか、ほとんど知らない。例えば日本で人口の一番多い東京都という地域。1,300万じんと民のもと、約10万人に一人の割合で都議会議員が選ばれており定数は127名。7・

8頁・その待遇は、月額102万円の報酬と年2回のボーナスで年収1,600万円近い。これに政務活動費が年間720万円加わり、国会議員並の待遇にある。ただ、その働きぶりとなると、都民の多くはほとんど知らない。

・日本で一番小さな自治体も東京都にある。人口170人程度の青ヶ島村(2,014年)。住民の半数が島外出身の役場職員や学校の教員、建設作業員とその家族。島民の平均年齢は30代後半と若い。ここにも村議会があり議員定数は6名。報酬は月額10万円、ボーナスを含め年収約150万円。この人口なら、議員の活動を知らない村民はいないと思うが、影響力はどうか。

・地方議員をめぐって、号泣議員に代表されるように代表されるように最近スキャンダルが目立つ。その様相、要因については本文で述べるが、従来から議員の数が多い、報酬が高いと言った批判が強かった。何が適正な報酬かモノサシがあるわけではないし、自治体の規模、地域で報酬の差は大きい。大雑把に言うと、県議で平均80万円市議で40万円、町村議で20万円の月額報酬。これに約3・5ヶ月のボーナスが加わる。報酬で比較すると、なぜか県議の2分の1が市議、市議の2分の1が町村議と、2分の1,2分の1の階層的な法則が見える。働きぶりにこうした差があるのか。人口規模が多くなれば報酬が高くなる、この意味するところは労働の難易度の違いなのかどうか。8・

9頁・地方議員が何も改革していない訳ではない。各地で努力している。中には議員数や報酬に大胆に切り込んだ自治体もある。維新改革とされる大阪の例。人口885万人の大阪府の府議会は、2,015年の統一地方選から定数109を88へ21議席カット、2,011年4月から報酬は月額93万円を65万円へ3割カットした。報酬は全国都道府県の最低で、定数の大幅カットと合わせ前例がない。生活者目線で見た改革とされるが、これが全国の議会改革のデルとなっているかと言えば、現段階では例外的な扱われ方だ。

・各議会の改革努力の中で、法律上の定数、上限定数と言った制限がなくなったこともあり、議員定数を見直す気運が見られる。明治半ばにプロシア(ドイツ)の議員定数を見本として始まったのが、日本の地方議員の定数。ようやく、地域に何名の議員が必要かと言った、「そもそも論」から見直し環境が生まれている。法律上の定数制限はなくなった。

・ただ、議会任せだと「集団的防衛本能」が働き、ほんの少しの削減でお茶を濁す傾向にある。市民の開いて議員定数の議論を始める時ではないか。議会のルールを定めた議会基本条例を作ったり、年4回だった会期制を通年議会制に切り替えたり、会派やグループで研究会や研修、調査活動を活発にするなど地道な改革努力も見える。その点、従来の「動かざること山の如し」と言う地方議会に対する見方は当たらない。しかし、その議会改革が地方民主主義の再生に向けた、大きな流れになっているかと言えば、疑わしい。9・

10頁・16/10/14 10時26分・

・一方で、議員のなりてが極端に減ってきている。2,015年春の統一地方選は投票率の大幅低下と無投票当選率の増加が特徴だった。議員選挙に限ってみると、無投票当選率は町村で21・8%、道府県で21・9%、市で3・6%、政令市で1・7%とこれまでで最も高い県議選の1人区などは3割近くが無投票当選。これは首長選にも波及し、町村長選で4割強、その後さみだれ的に行われている市長選を見ても、3割が無投票である。ついに知事選までそれが現れた。2,015年は岩手県と高知県の知事選が無投票だった。

・これに選挙があっても、事実上、選挙前から当選者が分かるような無風選挙を加えると、半数近くの地方選挙が無投票に近い状態。道府県議選の投票率も史上最低の45%で、有権者の半数以上が地方選に足を運んでいない。自分の住んでいる選挙区の投票率の低さすら知らない市民も多い。今日本の地方民主主義は草の根から枯れてきている。

・果たして、無投票当選というのは「当選」なのか。ゼロ評議員、ゼロ票議会の出現は、代表制民主主義における政治的正当性を失わせる。彼(彼女)らは仮面を付けた「みなし代表」に過ぎない。選挙の洗礼なき無投票当選に政治的正当性はない。便宜的に認めた無投票当選という制度は廃止したらどうか。今後人口減少に伴い、頼子の傾向が強まるとすれば、事実上、自治体官僚の支配する地方自治へと変容する。10・11頁・

住民の住民による住民の為の政治を、自ら手放すことになってしまう。

・公共利用行きが拡大し、税負担が年々重くなる日本。その約3分の2を占めるのが自治体の活動だ。そこで議会制民主主義の空洞化が進むなら、この国はどこに行くか分からない。

・すでに行政を国に任せればよかった時代は終わっている。多くは地方の自己決定、自己責任に委ねられている。だが、地方に任せればうまく行く、その道筋はまだ見えていない。地方政治の出番なのにパワーが見えない。納税者に近いところでこそ一番問題が見えるはず。そこに政治行政を任せるのが民主主義の基本であり、地方分権の思想だが、未だにそれは教科書の世界に止まる。

地方政治に対する無関心の広まり、議員のなり手の枯渇、議席の固定、既得権益かなど、日本の地方民主主義は危機に立つ。地方政治をめぐり改革すべき課題は山ほどある。この課題について様々な角度から分析し提言する中で、解決の方途を見出したい。本書がこの国のあり方について、地域レベル、地方議員という窓を通して考える「よすが」となれば幸いである。

2,016年2月・佐々木信夫著

平成28年10月14日 金曜日

著者紹介 中央大学教授、法学博士。1948年岩手県出身。早稲田大学大学院政治学研究科修了、慶應義塾大学にて法学博士取得。東京都庁企画審議室などを経て、聖学院大学教授、94年から現職。2000年~01年カリフォルニア大学(UCLA)客員研究員。慶應義塾大学、明治大学、日本大学各講師、日本自治創造学会会長。現在、国の地方制度調査会委員、日本学術会議会員、大阪府・市特別顧問など兼任。専門は行政学、地方自治論。テレビ、ラジオ出演、新聞、雑誌でのコメント、各地での講演も多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

 

 

 

 

第1章 なぜ、地方議員が問題なのか・17頁・平成28年4月26日 火曜日

・地方議員、地方議会への疑問・地方分権が始まったのに・草の根が枯れる・こんな非常識がなぜ?・刑事事件も後を絶たない・これが政務活動費の使い方か・議員達のための支出基準・千代田区議会が画策した政活費のすり替え・無風土壌が生む・「劣化現象」・住民の監視の目がない・競争なき選挙で悪貨は良貨を駆逐する・議員という仕事に魅力とやりがいがない・投票率は右肩下がり・無投票当選の急増・ゼロ票議会・サラリーマン、女性が議員比率が低すぎる・議員定数は戦前の遺物・定数・報酬・カネ・

第2章 地方民主主義と地方議員・48頁・

・地方議会が政治の停滞を招く・地方議員の仕事・議会活動への鋭い指標・オール与党か現象・なぜ首長優位か・なり手不足・地方自治とは?・議会制デモクラシー・明治、そして戦前・戦後、そして現在・2,000年の地方分権改革・地方議会における与党と野党・議会は広義の野党機能・立ち位置の変化・住民自治と議会・

第3章 地方議員の待遇・76頁・

議員バッチは通行証・バッジのない議員像・公選職に就く意味・給与のように払われる地方議員の「報酬」・地方議員は非常勤特別職・報酬の決め方・差の大きい議員報酬・これでは非常勤に近い?・経験年数を加味しない報酬・名古屋の乱とは・報酬は地域の上位20%が妥当・報酬は議席の数で決まる・国会議員と地方議員との比較・日本の議員は世界一?!・政活費の支給額を削減するのが「改革」ではない・海外視察・・・透明性を高めよ・第三者の監視機関が必要・

 

第4章 地方議員と選挙・107頁・

・戦前と戦後の地方議員・議員の決め方・条例定数制度・常任委員会の構成数で決めるのはどうか・海外の市町村議員数との比較・無投票を根絶する改革を・地方議員のなり手を増やすには・サラリーマン議員・5時から議会・クオータ制導入・議員活動の実像・議員は忙しいのか・議員の兼業実態・都市部は土日・夜間議会へ・

第5章 地方議会、地方議員は変われるか・135頁・

・地方議会は役割総括主義へ・住民の中に入れ・与野党の意識払拭・会議の自由化で議員提案を増やす・議会基本条例は必置・すぐやれる議会改革・政策に強い議員へ・職員と連携を・地方議会に法制局を・政策官庁議会へ脱皮せよ・

 

第6章 地方議員の政策形成入門・154頁・

自ら考え・自ら決める議会へ・政策のプロセス・議員立法が自治体を元気にする・いろいろな分野に広まる議員立法・自治体が政策官庁へ・政策とは何か・行政と公務員、民間との関係・違う政治と行政の役割・政策・・4つの類型・政策形成とは・政策目標の設定・政策の手段・人口減少と経営シフト・政策手法の転換・政策を磨くこと・政策評価とは・施策評価の基準・説明責任(アカウンタビリティ)・違反者を見逃すな・議員は言いっぱなしでよいか・議員に説明責任あり・

 

第7章 「大阪都構想」と地方民主主義・192頁・

・住民投票の意義・住民投票3つのタイプ・大阪都構想と住民投票・住民投票までの政治過程・現場で見た住民投票・大阪の衰退止まらず・大阪都構想の本質は何か・食い違う双方に意見・改革挑戦の意義・実現までのステップ・東京一極集中を変える・「都構想」再挑戦、波高し・政府機関の地方移転始まる・副首都構想を検討せよ・副首都の概念づくり・省庁の減反減量政策・

終章 地方からこの国を新しくする・223頁・

・地方議員は地域から国を帰る覚悟を・地方創成は幻想か・垂直的統合がネック・新たな国の形・人口減少予測と地方議員・地方創成の柱立て・国は少子化対策、地方は地域の活性化に専念してはどうか・地方創成への見方・「大都市=豊かか」時代の終焉・ベッドタウンが危ない・地方創成、新たな視点・地方が変われば国は変わる・「地方先端時代」に地方議員がやるべきこと・

参考文献・246頁・平成28年4月26日 火曜日

 

出版社内容情報

 

「大阪都構想」には未来がある! 地方改革研究の第一人者が示す地方議員、地方議会改革の教科書。地方からこの国はまだ変えられる。

地方議会、地方議員が大きく変わり、この国を引っ張る存在になれば、日本は地方から見事に生まれ変わることができるはずだ。では、地方議員は地方議会はどうすれば変わることができるのか? 

著者は、東京都庁勤務経験などをもとに最近では「大阪都構想」で地方行政に一石を投じた橋下徹前大阪市長のブレーンとしても活躍。地方活性化、地方改革の理論的支柱として新たな国のかたちを提言し続けてきた。

政務活動費の不正使用疑惑にまみれたあの「号泣会見議員」が象徴的だが、自治体住民からあまりに乖離した地方議会、地方議員を住民の手に取り戻すことはまだできる。選挙制度、議会運営をどう改革するか? 地方議員の最大の仕事である政策立案の方法論とは? 誤解されてばかりいた「大阪都構想」の本当の利点とは? 

全地方自治体職員、全地方議員必読の新しい「教科書」をお届けする。

 

第1章 なぜ、地方議員が問題なのか

第2章 地方民主主義と地方議員

第3章 地方議員の待遇

第4章 地方議員と選挙

第5章 地方議会、地方議員は変われるか

第6章 地方議員の政策形成入門

第7章 「大阪都構想」と地方民主主義

終章 地方からこの国を新しくする

 

【著者紹介】

5:42 2016/04/26


10万本のシバ桜で・高齢化した山村が元気になった話・山口県周南市・大通理地区の取り組み・

育成したシバザクラの苗を持つ井上正幸さん・


圧巻なシバザクラ。これを見る為に11戸(うち農家6戸)しかいない鹿野地集落に毎年5万人がやってくる。「公園に咲くシバザクラより、普通の集落に咲く花のほうが雰囲気があっていい」というファンが多い(井上正幸さん提供、以下1も)ゲンダイ農業2016.8.

・シバザクラをきっかけに村が一変・


先月号のカラー口絵で紹介した山口県周南市・大道理地区のシバザクラ。春になると棚田の畦一面に、10万本の色鮮やかなシバザクラが咲き乱れる。この圧巻な景色を一目見たいと次々にお客さんがやってきて、今では毎年5万人が訪れる観光名所となっている。

大道理地区は、戸数にして200戸、人口は400人ほどの静かな山村(13の集落からなる昔の村)だ。少子高齢化が進み、高齢化率は52%を超えた。加えて、店がない、食堂がない、金融機関がない、病院がない。316頁・

317頁・中山間地域特有の不便さを抱えており、「このままでは元買い集落になってしまう」と危惧されていた。

ところがシバザクラをきっかけに、この村がいっぺん。「自分たちの地域は自分たちで守る」と、高齢者が困らない仕組みをみんなで作ったり、母ちゃんたちが弁当加工に燃えたり、空き屋を活かして外から人を呼び込んだり、ここ数年で急に活気づいてきたのだ。一連の取り組みにも関わってきた井上正幸さん(72歳)に話を聞いた。

・危険な座の草刈りをどうするのか・


「こんなにいろいろなことが起こるとは正直思っても見ませんでした(笑)。最初は畦の草刈りを何とかしたい。ただそれだけだったんです」

まずはシバザクラを植えたきっかけから。井上さんの家の大道理地区の中心部に近い鹿野地集落にあり、ここでシバザクラヲ植えたのだ。かつては1aほどの小さな田んぼが連なる棚田だったところを平成7年に基盤整備として、10a区画にした。しかし傾斜がきついところで基盤整備をすると、どうしても大きな畦になる。約3・5haの田んぼにhaの畦が出来、高さは11㍍を超すところも出来た。そんな畦の草刈りは過酷だし危なくてしょうがない。

317・


318頁・この集落の農家は井上さんを含めて六戸で、みんな六十歳を超えている。事故が起きる前に何とかしようと、ことあるごとにみんなで話し合い、畦を防草シートで覆うことにした。

ただ、シートで覆っただけでは味気がない。だったらシートの上から花を植えようか。綺麗なものなら気分もいい。イワダレソウ、マツバギク・・・、いろいろ検討した結果、一番色の多いシバザクラに決めた。

そして平成20年に裁植をスタート。高齢者集団六戸でやるので、急がないと寿命のほうが早く来る。目標は三年でhaすべてをやることにした。

しかし、作業はかなり大変だ。そこに六人それぞれが、勤めていた時代の友人知人などに声をかけ、ボランティアをお願いしてみると、おもしろがってくれる人が結構いて、地域内外から多くの人が集まってくれた。土日・祝日を中心に作業を進めたところ、目標どうり三年で1ha、10万本をすべて植えることが出来たのだ。

・補助金に頼らない・


驚くべきは、10万本の苗を一本も買わずにすべて挿し芽で増やしたことだ。「そもそもお金もなかったし、補助金には頼りたくなかった」と言う井上さん。と言うのも、定年まで市の職員をして農政の仕事に30年以上携わってきた中で、補助事業に取り組んで長続きしなかった事例を多く見てきたからだ。下火になると次の補助金を探す場合が多く、そういうところは必ずダメになる。最初は身銭を切ってでも自分たちがやるという姿勢で取り組まないと、物事はうまくいかないと井上さんは思う。

苗は園芸店で買うと一本100はするが、シバザクラは雑草のようなもので簡単に挿し芽で増やせる。地区では庭に少し植えている家が多いので、最初はその株から芽をかき集め、それを挿し芽にして、およそ半年で定植できる苗に育てた。休耕地の一角に苗場を儲け、育成苗作業も地区人に呼び掛けて手伝ってもらった。花を育てるのは楽しいようだ。多い時は50人ほどが応援に来てくれた。318頁・


319頁・こうして毎年三万~四万本の苗を育てたことで、三年で10万本を植えることが出来たのだ。

防草シートはha分で約150万円かかる。これは最初はロクとの農家で負担したが、二年目からは県の方から声がかかり、一部を助成して盛ることになった。

・維持していく為の緑化協力金・


植栽して2~3年たつと地元の新聞やテレビが大々的に取り上げたおかげで、県内から多くの人が押し寄せてきた。これにはみんな驚いたし、困ったことに農作業が出来なくなってしまった。花が咲くのは四月初めから終わりまで。しかしお客さんが沢山いるので機械の出し入れが出来ない。どうするか。またもや話し合い。「こうなったらもうしょうがない。せっかくここまで来てくれるんだから、ベストな形で花を見てもらおう。田植えは少し遅らせてもいい」という結論に至った。

しかし、違う問題も勃発。防草シートは張ってしまえば、草が生えない、管理がいらない、とはならなかったのだ。シートに穴を開けて花を植えると、植え穴から雑草がバンバンは得てくる。綺麗に維持するには、年四回程度草取りが必要だ。それから防草シートの下はなぜかモグラが増える。モグラが歩くとその場所は土が盛り上がり、花が枯れてしまう。枯れた隙間が出来ると見栄えが悪いので植え直しも必要だ。つまり、ちゃんと維持して行くには膨大な管理が必要だったのだ。319・


320頁・実際、ヨソの地区でシバザクラヲ始めたが、数年で見る影もなくなったという事例がある。おそらく植えてからの管理が出来なくなったからだろう。

自分たちだけで維持管理をしていくのは大変だ。かなり手間をかかるのに、お客さんにはタダで見てもらう。

これをどうかと言うことで再度みんなで話し合い、維持管理酢をする為の緑化協力金という形で一回200円の寄付をお願いすることにした。10万本植えた翌年からは「芝桜祭り」を開催。祭り期間中は集落の入り口にテントを張って案内所を作り、そこで協力金をもらうのだ。ただし金儲けではないので一回払えばその年は何回来てもいい。パスカードを作り、二回目以降はそれを見せればフリーで入れるようにした。

お客さんは五万人ほど来るが、リピーターが多いので、ワンシーズンで集まる協力金は400万円ほど。農家六戸で組織した百笑倶楽部でこのお金を管理して、作業に参加してくれた人や祭りの手伝いをしてくれた人に時給七百円出労賃を支払うようにした。そのほか仮設トイレを設置したり、案内の看板を立てたり、お客さんが快適に見学する為の必要な道具などもすべてこのお金から賄っている。

・地区住民みんなで夢プランを策定・


自分たちの地域が綺麗になってくると嬉しくなるものだ。さらに、こんな山奥の集落にあれだけの人がやってきて、口々に「いいところだね」と言われると、何か新しいことをしたいという気持ちが芽生えてくる。これは鹿野地区の人に限ったことではなかった。手伝いに来てくれた人を中心に、地区内の多くの人にも同じような気持ちが芽生えた。

シバザクラヲ植えた二年目に、市がたまたま将来の夢を地域ごとに作る「夢プラン」の策定を進めていて、大道理でもすぐに取り組むことにした。井上さんが実行本部長となり、地区200戸全戸が参加する「大道理をよくする会」を立ち上げて、二年かけて夢プランを作ることになった。ただし住民全員で話し合うのは無理なので、13ある集落(一集落多くても25戸ほど)から、策定委員を二人ずつ出してもらうことにした。 

・・この時に、井上さんがこだわったのは、自治会長や団体長などをやっているふだんから声の大きい人は策定委員には入れないようにしたことだ。声が大きい人だと、いい悪いは別にして、大抵その人の意見に流れてしまう。一方、日頃声には出さなくてもよく考えていて、いい意見を持っている人もいる。320・


321頁・そんな人の意見を発掘したいと思ったからだ。そう各集落にお願いすると、意外にすんなりと20人ほどのメンバーが集まった。半分は女性だ。そうしてつきに1~2回集まって意見を出し合い、素案が出来たところで自治会長などにも見て貰い、絵に描いたもちにならないようにプランを練り上げていった。そして、出来ることから実行して行ったのだ。

・・次々にプランが実現!・


プランの一番大きな柱になったのが高齢者に優しい地域にすること。まずは生活に不便を感じている人を手助けする為の「便利屋さん」をスタートさせた。

電球の交換や屋敷周りの草刈りなど、日常のちょっとした困ったことを地域でやれる人が手伝ってあげる仕組みだ。無料の場合もあるし手間賃を少しでももらう場合もある希望者は多く、今は草刈りの依頼が多いという。

車を使えない高齢者の足も深刻な問題だった。バスや電車がないので一番近い7~8㍍離れた隣町の病院やスーパーに行くのも困難。321・

高齢者の生活の足を支える「もやい便」。平成27年10月から本格運行。地域内は片道100円。病院やスーパーのある隣町までは片道200円。利用者が多い。

322頁・そこで軽自動車「もやい便」を運行させた。予約すれば格安で利用できる。これは市の事業として一緒に取り組んだ。試験運用で利用者が多かったので、本格運用となった。また高齢者同士が楽しんで交流できる「サロン」も開設。これも人気がある。

さらに、芝桜が咲いて元気になった総勢17人の地域のおばちゃんたちによる農産物加工グループ「ほたる工房」も立ち上がった。芝桜祭りのお客さんや視察に来る人に地場産野菜で弁当を作ったり、地域内の独居老人に福祉弁当を作ったり、今は注文が絶えない状況になっている。

・年々増加する空き屋の有効利用も始まった。ひとまず一軒の空き屋を使って移住希望者に一週間のお試し移住体験をしてもらう「夢有民の家」を開設し、移住希望者の相談に乗る「里の案内人」も五人設置した。その結果、現在までに30~70代のご家族が移住した。

夢プランで一番時間をかけて話し合ったのは、九校になった小学校をどのように活かすかだ。議論の重ねた結果、市の指定管理を地区で受ける形で「夢求の里交流館」という地域活動拠点を作ることになり、それも最近実現した。拠点が出来たおかげで、様々な活動がスムーズに運用出来るようになってきた。ちなみに交流館の初代館長は井上さんである。

・逆流通という発想で・


・プランを実施してからたった五年でいろいろなことが実現した。井上さんは今振り返ってみるに、策定委員に声の大きな人を入れなかったことがよかったと思う。集落の中で本当に必要とされている声を拾えたから、これだけスムーズに事が動いたのではないかと思うのだ。

井上さんは今後に向けてこんな事を考えている。今は年寄りが街に出ていくのがいよいよ難しい時代になってきた。車を運転できない人が急増いているからだ。しかしみんな畑を持って野菜を作っている。


323頁・ではどうやってその野菜を流通させるのか。直売所もない、農協への出荷も出来ないのであれば、逆転の発想で、畑に来て野菜を収穫してくれる消費者を呼び込めばいい。そんな逆流通の流れが出来ないか。交流人口を増やしながら知恵を絞っていけば、もっと年寄りが元気になれる仕組みが作れるのではないかと思うのだ。井上さんは来年の芝桜祭りで何か仕掛けてみたいと考えているところだ。

平成28年9月28日 水曜日


なぜ、私は「人は生かされ過ぎてはいけない」と思ったのか ライフ 2014.11.8 PRESIDENT Online  フリーライター 相沢光一=文介護費用の9割は誰が払っているのか

父を看取った後、私はケアマネージャーをはじめ、お世話になった介護サービス事業者の方々に電話や手紙で感謝の意を伝えました。

私自身は「父に対してもっとできることがあったのではないか」という悔いがなかったわけではありませんが、介護に関しては確かな技術や知識を持ったうえで、プロの方々に父や私の不安を取り除く心のこもったサービスをしてもらえたからです。

その後、当欄での介護体験談の原稿依頼を受けたこともあって再度それらの人たちに連絡をして話を聞きました。その中に取材を超えて介護の現状と今後に対する危機感を吐露してくれた人がいます。

体験談の原稿にもたびたび登場する介護用品レンタル会社のIさんと訪問看護師のWさんです。

今回は、その時に聞いた「介護の危機」に対する事業者の本音と思われる話を書こうと思います。

「介護保険というのはありがたい制度だな」     父の介護が始まってから、しみじみ思いました。要介護認定を受けると、介護にかかる費用負担は1割で済むからです。

たとえば、最初に必要になった介護用電動ベッド。

背の部分が上がるだけでなく、体がずり落ちるのを防ぐため足の部分も少し上がるという配慮の行き届いたベッドです。この1カ月のレンタル料金が1万2000円。     それが介護保険のおかげで、1200円で借りられました。また、訪問看護や訪問入浴といったサービスの料金は1回につき1万円前後でしたが、約1000円で済みました。この額ならさほど負担ではなく、費用面の不安を考えることなく介護に専念することができます。

ありがたいと感謝する一方で、「この制度を続けていて国は大丈夫なんだろうか」とも思いました。たとえば1万円のうち利用者の1割負担を除いた9000円。これは介護保険から事業者に支払われるわけですが、それに必要な費用(財源)は被保険者(40歳以上)が納めた介護保険料と公費(国、都道府県・市町村の税金)で賄われています。

この比率は介護保険料50%、公費50%。つまり半々です。 http://president.jp/articles/-/13824?utm_source=0917 8:14 2016/09/17


32頁・平成28年9月16日 金曜日


・役場職員の使命を再認識した・

多くの人との出会いの中で学んだことは数え切れないほどありますが、何よりも、人はひとりでは生きていけないと言うことを考えさせられました。自分ひとりで生きられるというのは大きな錯覚であって、人と人とは支え合って生きていること、必ず他人の労働があって生きているのであり、共同意識がなくなっては人間の社会は築けないと言うことです。


地域社会は尊いものであり、地方自治とは一人ひとりの生活を守り保障していくものだと言うことにも改めて気づきました。そのために、全力を挙げて町を築くこと、それが私たち役場職員の使命であります。32・


公務として働くことは、「あなたたち職員がいてくれたからよかった」と町民に言われることではないかと思います。

矢祭町議会が早い時期に合併をしないで行くという決断をした為に、矢祭町民は合併しないでいくもう一つの選択肢もあると言うことを知り、小学生を含めみんなでこれからの町づくりを考えるきっかけにもなりました。

8月1日からスタートした行財政改革も、素案づくりの段階では何度もくじけそうになりましたが、日本全国から矢祭町を訪れてこられた方々の郷土を思う熱い心が支えとなり、私たち職員に大きな力と勇気を与えてくれました。


・職員のプロジェクトチームでつくった行財政改革案・33頁・


8月1日、矢祭町役場では、大規模な機構改革と人事異動が実施され、行財政改革がスターとしました。

この行政改革は、四月の統一地方選挙で六期目の根本町政がスタートした時に始まります。


「合併しない宣言」をして一年半を過ぎた四月の町長選挙では、他薦という弊害も考慮して五期で町政に終止符を打つという町長に対して「合併しないで自立していくことを決めた船の船長が、船から降りてどうするのだ」という町民の強い要請を受けて、六期目の根本町政はスタートしました。33・


34頁・「合併してもしなくても国に金がないのだから、将来の財政は厳しい。10年後には、50人でやっていける強い体制づくりをしたい」と言うことが町政の大きな目的でした。古張助役は、若手職員八名を集めて、行財政改革プロジェクトチームを発足させました。

「役場組織の中で、何でもいいから思っていることをさらけ出して話してほしい」という助役に、山椒は遠慮がちに話し始めた職員たちも、堰を切ったように話し出しました。そこには、合併をしない宣言をしてからと言うもの、職員の間にも現状のままではだめだという危機感があったように思えます。


・次の日から、仕事の終わった後の六時から九時まで毎晩集まり、話し合いは続けられました。二回目の会議の冒頭、町長より「自立をしていく今後の町づくりに対する皆さんの考えや思いをそれぞれ論文にまとめて提出するように」と指示がありました。この提出レポートが、改革素案を作り上げる議論のたたき台となりました。その間に、先進地と言われる福島県の三春町や栃木県の西方町に調査に行くなどしながら、三ヶ月かかって行財政改革の素案はまとめられていきました。

改革素案は、全部で14項目に分かれていますが、そのすべてがチームのメンバーが今まで役場職員として働いた経験に基づいて提案したものです。そして、「自律を目指していく今後の町づくり」のためには、行財政改革が必要であり、その目的も、住民サービスを低下させず、「安心して豊かに暮らせる町、住民一人ひとりが大切にされる町を作る」ことを目指すことに起きました。34・


35頁・改革の柱は、10年後を見据えて職員は50人体制にして人件費の削減を図ることにあります。現在の職員数83名を50人にするとなると、30名の削減(約2・5億円の削減)となりますが、これは団塊の世代が10年後には定年を迎える為、10年間かけて退職者不補充と言うことで目標を達成することにしております。


また、50人体制にする為には、課を統合して組織のフット化を図らなければなりません。これまでの七課を五課一室に改め、係長・係制度を廃止しグループ制にしました。今までの係長・係制度は、その係の範囲を超えて仕事をすると言うことが無く、忙しくても他の係が応援すると言うことがありませんでした。


例えば、税務課の徴収係長は一人の係で、一人でも係長でした。徴収は、この係長の仕事であるからと言って他の職員は手伝わない風潮があり、そのため滞納額が年々累積していったという事実がありました。「係長制度が邪魔になるのではないか」というプロジェクトチームの声は、そうした職場の実態を物語ったものです。


このような弊害をなくす為、グループ制を導入し、係の枠を超えてともに職務を遂行していくシステムにしました。「担当者がいないので分かりません」と言うことのないように、グループ内の職務遂行マニュアルも作って他の仕事を分かるように研修をしていくこととしました。35頁・


38頁・

グループ制の特徴は、グループ内のグループ長は誰でも成りすし、また一度グループ長になったら以後グループ長のままと言うことはありません。誰でも仕事に精通し、統率力があれば年齢に関係なく選ばれることになります。年功序列制度の廃止により、若手職員が能力を発揮し、グループ長の登用により、仕事に対するやりがいを持つことが出来ます。38・


平成28年9月16日

・フレックスタイム制度の導入で、残業手当返上・38・


次、窓口業務にフレックスタイム制度を採用した件ですが、私たち職員は、八時三十分から五時十五分が通常の勤務時間であり、時間を過ぎれば超過勤務手当を要求してきました。それは、長い間、公務員としての慣習となっていました。(住民は)「必要があれば、この時間帯で役場に来ればいいのではないか!」と。

フレックスタイム制度の導入については、大きく議論が分かれました。

「毎朝六時に道路脇に立って遠くに仕事に行く車を待っている人がいる」「帰りはいつも八時過ぎになるそうです」

「会社に勤めている為、役場の勤務時間内では用事を済ませることが出来ない」「町民の為に役場の窓口はある」・いつの間にか、最も大事なこのことを、私たち役場職員も忘れていました。38・


39頁・

町民の利用しやすい時間の設定をすべきであると言うことになり、平日の朝は七時三十分から八時三十分まで一時間早く開始し、夕方は、五時十五分から六時四十五分まで一時間三十分延長しました。休日については、八時三十分から五時十五分まで、職員二名で対応し、住民票・戸籍の謄抄本や印鑑証明の交付、税金・手数料の納付、各種届出書の受理をすることとしました。

窓口業務のフレックスタイムに従事する職員は、朝一時間早く出勤した職員は、一時間早く帰り、夕方遅く従事する職員は、朝10時出勤としました。また、休日出勤した職員については、週休日の振り替えや代休とし、手当等の支給はしないことになりました。39・


・民間委託の考え方・39頁・


また、一部組織の見直しを行い、民間委託をすることにしました。

現在、矢祭町学校給食センターには、職員二名と給食料理員である委託職員が五名います。

嘱託職員は、正職員が定年で辞めた後を補充する為一年契約の嘱託職員として働いています。今回の機構改革の中では、嘱託職員の見直しをすべきであるという議論も踏まえ、職員の定数削減をする前提として実態調査を行いました。

学校給食センター嘱託職員は、学校の日程と同じ勤務となる為(夏休み、冬休み等の休業日には調理業務がない為)、一年を通して効率的な勤務は難しいと言う問題がありました。39・


40頁・学校給食センターを宿泊施設のユーパル矢祭に隣接して新築したのを契機として、学校給食センターの管理運営を矢祭振興公社に業務委託することとしました。これにより、学校給食センター委託職員も矢祭振興公社の職員となります。

デイサービスセンター館山荘については、社会福祉法人・矢祭福祉会に管理運営を委託することとしました。これは、矢祭福祉会もデイサービスセンター館山荘と同じくデイサービスを提供している事業所であり、同じ地域の人をそれぞれのバスで送迎するなど競合するという問題がありました。

管理運営を一本化し、経費の健全化と効率化を図りたいというものです。また、職員については、これまで六人全員が嘱託職員でしたが、矢祭福祉会に採用替えにすることとしました。職員身分の安定化が図られ、仕事に対する意欲もはしてデイサービスの質の向上が図られることになります。40・平成28年9月16日・


・全職員が参加して滞納整理・出張役場制度・役場消防隊・40・平成28年9月16日・

次に、全職員による税金などの滞納整理という課題です。これまで税務課の職員は、課税をすれば税務の仕事は終わり、税金はひとりでに入ってくるものであるという考え方が大勢を占めていました。また、徴収については徴収係長ひとりに任せっきりで、滞納額が年々累積していきました。ここでも係長・係制度の弊害を垣間見ることが出来ました。40・


41頁・これを改革していく為には、すこしでも出るものを切り詰め、自主財源である町税を確保することが至上命題となります。そのため、特別職を含めた全職員で班を結成し、恒常的に徴収にあたることとし、「滞納者ゼロ作戦」を展開することとしました。六月のスタートから現在までで、滞納額7,000万円に対して630万円を納めてもらいました。訪問する中で、「職員はもう何年も徴収にこない」とか「職員が徴収に来ないので、もう納めなくてもいいと思った」という声もありました。

しかし、広報などで、「滞納者ゼロ作戦」が周知されていくと、次の訪問時には、町民も進んで納入して頂けるように変わってきています。

また、出張役場制度(地区駐在員)は、一人ひとりの顔の見える行政を進める為に何が必要かと言うことから、制度化されました。41・


42頁・窓口フレックスタイムを導入したので、すべての町民が利用しやすくなったのではないかという声がありましたが、役場より遠く離れた山間地の住民や一人暮らしのお年寄りの方が対象から抜けておりました。やはり職員は、自分の所在地で、地域住民と接し、職員自らが地域のリーダーとなり、その地域作りの担い手になるべきであるというのが結論です。


役場職員は自分の住んでいるところを担当地区として、住民のニーズに応え、税金・水道料・保育料等の収納及び各種届け書の預かり、証明書類の代行申請、役場からの文書の配布等を行うことにしています。特に、地クニは、町議会議員や農業委員、民生委員、教育委員等各種委員がいますので、これらの方々と連携して、町の行政執行機関のミニ版として、自宅を役場と位置付けた活動をすることを目標に掲げました。

・最初の実践としては、九月十五日に行う敬老会の通知1,500通余りのハガキ、封書を、担当区域に配布することをお願いしました。職員が本人に手渡しながら「今年も敬老会に是非来て下さい」と声をかけて訪問しました。

「役場の人も、今年は一軒一軒手渡しで大変だない、ご苦労さん」と労いの言葉をかけてくれる方や「今度は俺たちも役場にあんまり無理なことは頼めないね」と苦笑する方など反応はいろいろでしたが、配布が終わって何だかうれしい気持ちになりました。職員が動けば、それに呼応して住民も動いてくれるのではないかと思いました。42・


43頁・また、敬老会の対象者は70歳以上の高齢者なのですが、特に一人暮らしの方については、「どうですか、元気ですか」と声をかけて健康状態を見ることも出来ます。

こうして、全町一斉に高齢者訪問の日となりました。郵便料金の削減はもちろんですが、職員が地域の中で活動することが顔の見える行政であり、公務の基本であると改めて実感しています。

役場職員で、消防隊も結成しました。近年、過疎化・高齢化が進み、町の消防団に入る人が少なくなってきた為、有事の際には、消防団と共に消防団OB会の協力を得て消火活動に当たることとしました。また、現役の消防団員は、昼間は、会社に勤めている為、「町民の命と暮らしを守る」ことを第一に考えている矢祭町にとって、職員が率先してこれに当たることが求められています。43・


44頁・そこで、役場消防隊の結成となりました。団員は全職員が対象で、女性職員も加入しています。

ここまで

ここまで

・行財政改革を評価・検証する委員会の創設・44頁・平成28年9月16日 金曜日

さらに、矢祭町の行財政機構改革を評価する為に、新たに自立推進委員会を創設することにしました。 

・自立自治体づくりと財政・44頁・


・財政状況(普通会計)とその特徴・

矢祭町の普通会計の規模は、平成14年度(2,002年度)の歳入決算額で43億7,600万円であり、うち町税や繰入金等の自主財源が10億4,000万円(23・8%)、地方交付税や国・県支出金等の依存財源が33億3,600万円(76・2%)となっています。44・


45頁・次に、経常的経費と臨時的経費に区分けした場合、人件費など経常的経費に充てる一般財源は25億9,500万円です。

同じ平成14年度の標準財政規模(地方交付税法により算定される地方公共団体の一般財源の標準規模)は25億2,700万円で、先の経常的経費に充てる一般財源とほぼ同額になり、標準的な行政サービスを行う為には、およそ26億円が必要になると言うことです(平成15年度の一般会計当初予算は31・7億円、うち投資的経費3・2億円を除くと28・5億円です)。

こうした財政の全体状況を、過去10年間の決算で見ると、平成5~9年度までの平均で50億5,600万円、平成10~14年までの平均で46億1,700万円で、特に、平成5~7年度までの三年間の平均は54億4,800万円にもなっています。このうち平成七年度は58億100万円と、この10年間では最大の決算額です。それは標準財政規模の2・4倍にもなっています。

こうして決算額となった理由は、主に普通建設事業費の増減にあります。平成5~9年度まで五カ年の平均額は19億7,800万円で、平成10~14年度までの五カ年平均10億900万円の二倍にもなります。特に、平成5~7年度の参加年平均は24億8,400万円で、標準財政規模以上の普通建設事業費を使っていたことになります。45・


46頁・昭和60年度~平成10年度の14年間は普通建設事業費が毎年10億円を超えており、20億円を超える年度も三年度あります。普通建設事業費の規模が大きくなった理由は、豊かな郷土の創造を目指した矢祭町総合計画に基づくインフラ整備が計画的かつ集中して実施されたことにあります。

次に、普通建設事業費の内訳を見てみましょう。昭和60年度~平成2年度までの普通建設事業費総額82億2,200万のうち、補助事業費は57億2,500万円で、単独事業費は24億9,700万円と、比率では7対3の割合となっています。46・


47頁・自主財源が乏しい町としては、国や県の補助事業を積極的に活用し、県内では最初の事業等の導入も図りながら事業を実施してきました。また、事業推進の為、県の担当部局へ町長が自ら何度も足を運んで地域指定を得た事業もあります。

平成に入ってからは、補助事業の在り方についての社会的批判も高まり、また採択基準や地域指定が厳しくなったこと、人口や地域面積等の問題で採択基準外になる事業もありました。47・


48頁・さらに、事業種目等も補助事業では対応できないものがあり、町の単独事業と比較的町の負担が少ない県営事業へシフトして、インフラ整備を進めてきました。平成28年9月16日・

ここまで

 

 

 


ないせいふきゅう「内省不疚」の心でまちをつくる―「合併しない宣言の町」の自立推進計画 単行本  – 2003/10 ・根本 良一 (著),    保母 武彦 (著)


 自立だからこそ、住民たちのくらしに合った行政改革が可能である。福島県矢祭町が職員のチームで作った行政改革理念と具体的改革案。2002年刊「合併しない宣言の町・矢祭」の続編。

 著者略歴・根本/良一1937年生まれ。1983年から矢祭町長。現在6期目   保母/武彦・1942年生まれ。島根大学副学長。自治体問題研究所理事(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

 単行本: 100ページ出版社: 自治体研究社 (2003/10)言語: 日本語・発売日: 2003/10


目次

はしがき・3頁・


1 行政改革は住民の暮らしを守るためにこそある・根本良一・9頁・


・誇りと自信の持てる町づくり・10頁・


・宣言の反響に私たちも驚く・12頁・


・無理な市町村合併は、真の行政改革にならない・14頁・


・人づくり・未来づくり・17頁・平成28年9月13日 火曜日・

我が町では、国際社会の中で堂々と生きていけるようにと言う願いを込めて、中学三年生全員を対象にした海外派遣事業と、複式学級への非常勤講師配置事業、語学教員の採用などを実施しています。

・海外派遣研修の前身は、平成3年(1,991年)に行われた海外派遣研修事業で、中学生16名・町民12名が参加しました。ところが、この事業に参加してアメリカ西海岸へ派遣された中学生の親は、多くが役場の職員だったのです。役場担当課は、くじ引きだったというのですが、住民の中からは不満が続出しました。くじは誰が引いたのか。それは校長先生だというのです。残念ながら、そこに公務員としての本質を見たような気がしました。

教育は平等でなければなりません。「貧しきことは憂えずとも、等しからざることを憂える」ですから、役場がこんなことをやっていては教育になりません。17頁・

18頁・そこで、一大決心をして中学三年生全員を海外派遣研修事業に参加させることを考え、教育委員会に指示すると共に、中学校の校長にも要請しました。

・財政的にどうするか。これも頭をよぎった問題です。当時、故郷創生事業として全国の市町村に一億円が交付され、それを我が町では基金として積み立てていました。この利息を使えば、親の負担は国内の修学旅行の経費ぐらいで財政的には十分まかなえます。

・しかし、実現までには様々な抵抗や問題がありました。まず、中学校では、修学旅行の日程は前年の四月に決まるので、変更は出来ないという問題が出されました。また、県の教育事務所や県教育委員会、文部省からも「修学旅行は二泊三日、国内に限ることが決まっていると言う指導」を受けることになってしまいました。18・

19頁・驚いた私は、県教育委員会に直談判しました。

「いつ修学旅行は国内に限る、ときまったのですか?」という質問に、「昭和20年」という答えが返ってきました。そこでも、私は公務員という人間像を見たように思いました。粘り強い押し問答の末、承諾は得たものの、今度は中学校の先生と保護者の理解を得るまでに、さらに二年がかかりました。

こうして実現した海外派遣研修事業は、今年で10周年を迎えました。五日間のオーストラリア研修ですが、参加した中学生は延べ1,098名となりました。

教育の平等という課題は、小学校でもありました。町内の小学校は五校あるのですが、このうちの二校は、複式学級です。ある日、教室をのぞいてみると、一年生と二年生が互いに背を向けていて、一年生は国語で先生が朗読、二年生は黙って算数の問題を解いていたのです。これでは、平等の教育にはなりません。

小中学校は町立の運営ですから、町独自で教員を採用して複式学級を無くしたと思いました。この時も、県教育委員会の強い抵抗に遭いましたが、それを乗り越えて毎年に明の臨時教員を採用(一年契約)し、複式学級の補完の目的で小学校へ送り出しています。

・思えば、私の発想が公務員という発想からかけ離れているのか、あるいは異質なのか、職員や関係者との間で激論になったり、実現するまで長い時間がかかったりしています。しかし、私は、他の市町村がどうなのかではなく、矢祭町に何が必要かを考えてほしいと、職員に言ってきました。19・

20頁・16/9/13 9時11分・

ここまで・

・人づくり・未来づくり・17頁・


・職員の意識改革こそ行政改革の決め手・20頁・

・職員の意識改革こそ行政改革の決め手・20頁・平成28年9月13日・


・地方分権が声高に叫ばれて、自治体行政の改革はスタートしたはずです。しかし、平成の大合併とともに、有事関連法や住民基本台帳ネットワークなど、国民・住民を管理する仕組みが作られつつあるように思えてなりません。現在は、財政構造改革という政策のなかに市町村合併も組み込まれ、人口の少ない小規模町村は、まるで国のお荷物のように論じられています。

建前は自主的合併であることから直接の強制策は取れず、従って、国は、小規模町村、特に人口一万人未満の町村に対しては地方交付税の削減策で兵糧攻めを強行しています。20・

21頁・その結果、任意協議会を設置した市町村も増え、やむなく合併の道を選択する為に法定協議会に移行する市町村も増えてきました。矢祭町以外の東白川郡の三町村(棚倉町・他鮫川村)も福島県内では第1号の合併となるはずでしたが、7月13日に行われた住民投票の結果、二町村が反対多数となり、法定協議会は解散となりました。二町村とも合併すれば周辺部となる地域です。

この住民党投票の結果からも分かるように、自分たちの地域の問題や自治体行政の問題は、自分たちで考え判断したいと言うことです。町や村の行政は、総務省が言う「人口が少なく小さな役場は行政能力がない」から合併して自治体の行政の効力を高めるという行財政の効力論では語れないと言うことです。

・町政を担当しながら疑問を持ちづけてきたことの一つに、特別職報酬の決め方という問題があります。例えば、矢祭町長の報酬を決めるにも矢祭だけで決められず、東白川郡町村長等特別職報酬審議会に諮って町村ごとに格差を付けて決定し、その後、町村議会に上程して決めると言う仕組みでがあります。図らずも、今年六月の定例議会の頃は、郡内の三町村は合併する予定でしたから、三町村には気兼ねなく、町の条例で特別職(町長、助役、収入役、教育長)の報酬を切り下げて、年収で総務課長と同額に改正しました。根拠は、町長始め特別職は、どう見ても総務課長以上には働いていないと思うことにあります。

平成の大合併論は、見方を変えれば、全国の自治体に地方分権のあり方を考える機会を与えたことにもなります。そうした意味で言えば、今年四月から職員のプロジェクトチームを中心にして取り組まれてきた「矢祭町の行財政改革」とそれを受けて八月に実施された機構改革は、矢祭に取っての「平成の大改革」と言えるものです。21・


23頁・私が一番うれしかったことは、「市町村合併をしない宣言」の後、職員自ら役場職員として公務の役割に気づき始め、少ない財源のなかで自立の為に何が必要かと言う研究が行われ、町の行財政改革素案として提案されたことです。素案づくりには三ヶ月を要しましたが、職員のなかには以前から町づくりや職員の意識改革についての考え方を暖めていた職員もいました。

この段階で、私が支持したことはただ一つで「10年後は職員50人体制でいきたい。50人体制でも行政サービスの質を落とさないと行財政改革を目指す。50年後、100年後もびくともしない町づくりを目指したい」と言うことです。職員間の激論や様々な紆余曲折を乗り越えて、素案としてまとまりました。

提案された行財政改革案は、専門のコンサルや地方自治の専門家が作ったものとは違って荒削りの行財政計画です。しかし、「50人体制でいく矢祭には、係長ポストは弊害になるから係長職は返上する」ということから始まる、血の通った提案でした。

・昨今では、町づくり条例の制定がブームになっています。それも、町づくりの一つでしょう。我が町では、条例ではありませんが、地域の独自性を活かし、地域の環境と歴史・特性を把握することから模索しようという取り組みです。役場職員が意識を変えて、役場の組織や機構、財政を住民の目線で考えるシステムに変えようという意義ある活動です。22・


23頁・今回の機構改革では、役場職員の自宅を開放して事務の取り次ぎなどを行う「出張役場」制度に始まりました。住民は役場に出向かなくても、職員の自宅で、住民票や戸籍謄本の申し込みしたり、税金や公共料金を納付するなど、簡単な事務はここで対応しようというものです。本庁舎内の職員63名全員に、出納員辞令を交付し、領収印も預けました。これも、地域に信頼される役場職員になろうという試みの一つです。

23頁・


「小さくとも輝くフォーラム」で流れが変わる・中学生も一緒に視察・役場職員の使命を再認識した・29頁・平成28年9月14日・


一番多かったのは、平成14年11月、地方制度調査会で「今後の基礎的自治体のあり方について」という西尾試案が出されてからでした。この頃の視察研修会場では「やはり合併は避けては通れないのではないか」という意見へと変化し、「このままでいくと人口1万人未満の町村は法的地位を奪われてしまう」と将来に対して不安の意見が相次ぎました。この頃の視察に訪れた議会は、ほとんどが任意合併協議会へ参加していました。


さらに、「合併をしないといっても財政的に何か秘策はあるのか」「合併しないといっても交付税に頼っているのではないか」などと、表面から矢祭町を批難して帰っていく町村も現れました。「合併しなければ財政は破綻してしまう」「合併したほうが特例債で余裕が出来るのではないか」などの意見もありました。遠く鹿児島県の離島の皆さんは、船や飛行機を乗り継いで矢祭町を訪れました。「離島を合併してどうなるというのか」という悲壮な叫びに近い言葉に、平成の合併論は効率だけでははかれない不合理さがあると感じました。

それらの声は、自分の町や村の行く末を心配してのことでした。誰も自分の町や村が無くなって好いと思うはずがありません。

その後、合併の動きが変化してきたのではないかと考えられることがありました。それは、今年の2月22日・23日に長野県栄村で開催された「小さくても輝く自治体フォーラム」の様子がマスコミを通して各方面に伝わった後のことです。29・


30頁・五月には、日本で一番面積の小さな村と言われる三重県鵜殿村議会が訪れました。七月には、鳥取県智頭町議会が訪れましたが、その後再び一人で智頭町から訪れた議員もいます。「あのとき、詳しくお話が出来なかったので、もう一度やってきました」と言うことでした。「新田」という集落で戸数17戸、子どもから大人全部で50人しかいないと言うことでしたが、しかし、その集落の取り組みには、渡した大人全部で50人しかいなと言うことでしたが、しかし、その集落の取り組みには、私たちが感動しました。


NPO法人を立ち上げて、ロッジや喫茶店、民宿を経営しているとのこと。「町の財政も厳しいのだから自分たちのことは自分たちで考えてやらなければいけません」と淡々と話すのです。毎月講師をお願いして講演会を聞き、政治・経済・文化の勉強をしているとのことでした。集落で作った「第三次総合計画書」を持参され、「村を守って生きていきたい、そして元気な子どもの笑い声が聞きたい」と結んでありました。この集落には、平成の合併は全然無関係に思えました。効率化だけで進められる平成の合併論の中で、日本の「桃源郷」を思いました。いつか必ず訪れてみたい町の一つです。

視察研修の中での発言も、確実に変わっていきました。「合併しなくてもいいのではないか」「ここに来て矢祭町が頑張っている様子を見たら、うちのほうが財政力指数も高いし、合併しなくてもやれるのではないかと思うようになった」などと、発言に大きな変化が見られるようになりました。30・


31頁・視察の申し入れの際に「合併しないで単独でやっていきたいので、矢祭町へ伺って話がしたいのです」と堂々と電話をかけてくる町村がある時は、電話を受けた私たちもうれしくなります。最近では、視察に訪れる市中村に大きな変化が現れました。合併してもしなくても財政は厳しいのだから、町づくりを先に考えるという動きです。

 


31・中学生も一緒に視察・

今年七月から八月にかけての視察研修は、中学生から大学生が多く、夏休みの自由研究や卒業論文を書く為にと矢祭町を訪れました。町長は「中学生以上だったら十分に市町村合併の問題も理解できる」として大人と一緒に考え、判断する力を持ってもらおうと歓迎し、中学生にも議員の指圧研修会場に参加してもらっています。

茨城県の私立高校二年生の女子生徒は夏休みの自由研究として市町村合併問題をテーマにして論文を書きたいとのことでした。各地からやってきた議会議員の中に入り、大人と一緒に研修会場に入りましたが、質問の時間には、「町長さん、21世紀の未来に残せる町づくりとは、どんな町づくりをしょうとしているのですか」という質問が出ました。女子高校生の瞳が輝いているように思えました。

また、東京の私立中学校の男子生徒は「僕たちの学校では、卒業論文は原稿用紙50枚を一年半かかって論文に仕上げます。合併しないと宣言した矢祭末のことがずっと気になっていました。31・


32頁・僕の友達のほとんどが、テーマに市町村合併問題を選びました」と話しました。

・町長は、「この平成の大合併論議は、合併した方がよいのか、合併しない方がよいのかをあなたたちが証明するのです。だから私たちは真剣なのです」と力説する場面もありました。町内の小学六年生から、役場にメールが届き、「今、学校では社会科の時間に合併問題を研究しています。矢祭町は合併しない宣言をしましたが、合併すると言うことはどういうことですか?教えて下さい」という質問が届きました。

私たちは、その質問に「合併すると言うことは、いくつかの町や村が一つになって大きくなることです。町内の小学校も統合し、学校が遠くなってしまうのです。中心に人は集まってもその周辺はどうなるでしょうか」と返事を書きました。32頁・


ここまで

ここまで

 

 

ここまで


・窮しくとも義を失わず・23頁・

2 「合併しない宣言」から行財政改革へ・職員プロジェクトチーム・25頁・

・視察の方々との対話で、自治体職員としての生き方も変わった・26頁・

・視察ラッシュの渦中に・最初は恐る恐るの視察も・

「小さくとも輝くフォーラム」で流れが変わる・中学生も一緒に視察・役場職員の使命を再認識した・

・職員のプロジェクトチームでつくった行財政改革案・33頁・

・係長制度をやめ、グループ制に・フレックスタイム制度の導入で、残業手当返上・民間委託の考え方・全職員が参加して滞納整理・出張役場制度・役場消防隊・行財政改革を評価・検証する委員会の創設・自立自治体づくりと財政・44頁・財政状況(普通会計)とその特徴・今後の財政見通し・「財政保障システム・地方交付税と臨時財政対策債について・町税の確保・財政運営上の当面の課題・歳入の確保・歳出の抑制・

 

3 矢祭町の「自立」と「行革」に学ぶ・保母武彦・61頁・

・地方自治確立における「合併をしない矢祭町宣言」の意義と教訓・62頁・

・矢祭町の行政機構改革は何を目指すか・66頁・

・現状に対する認識・町づくり、行政改革の目標と理念・町職員の基本姿勢・財政運営改革の基本視点・

矢祭町の行政機構改革とその評価・76頁・

行政サービスのあり方の改革・行政サービスを支える行政機構の改革・

・自立する強い地域をつくるために・81頁・町づくりの主体をどうするか・「地域自治組織」役場を代行できるか・固定観念にとらわれない自治機構づくり・首長のリーダーシップ・

・資料・91頁・

7:33 2016/09/13 


内省ふきゅうの心でまちをつくる・

平成28年9月13日

熊本観光情報サイト「旅ムック」HOME|熊本グルメ|熊本の郷土料理|熊本繁華街特選店|熊本夜の店ナイトスポット|熊本偉人伝vol.13 加藤清正

 旅ムック79号 加藤清正シリーズ 熊本偉人伝 vol.13

 加藤清正かとう  熊本偉人伝 荒廃した肥後・熊本を土木事業によって再生暴れ川・白川を制して熊本城を中心とした城下町を形成 現代の田畑も潤す

400年前の灌漑システム

干拓、港・街道の整備脈々と受け継がれた清正の事業

熊本城  加藤清正 熊本偉人伝 加藤清正

加藤清正生没年:安土桃山時代 永禄5年6月24日(1562年7月25日) 豊臣秀吉の腹心として数々の武功を挙げた加藤清正。賤ヶ岳七本槍や朝鮮出兵での虎退治のように武断派のイメージが強いが、天正16年(1588)から居城となった熊本では、土木事業や商業政策でも優れた手腕を発揮した。

清正が入国した当時の熊本は、肥後国人一揆によって領地は荒廃。菊池川、白川、緑川、球磨川という四大河川が洪水を起こし、人家や田畑に甚大な被害を与えていた。そこで清正は、土木事業によって領地を再生させ、農業生産力の増大、安定によって肥後藩経済の礎を構築。民心の立て直しを果たし、死後400年経った今でも「清正公さん(セイショコさん)」と人々に親しまれている。

 

暴れ川・白川を制して熊本城を中心とした城下町を形成  清正の土木技術が優れていることは、築城の名手として知られることでもわかるだろう。熊本城をはじめ、名古屋城、江戸城、文禄・慶長の役に際して築かれた名護屋城(現唐津市)や蔚山倭城(韓国)など、数々の築城に携わったが、そのうち二つが日本三大名城に挙げられるのは、天賦の才としか言いようがない。

清正入国以前の隈本城(古城)は中世の小規模な城であったため、防御の強化には新たな築城が必要であった。そこで清正が立てた計画は、茶臼山一帯の城塞化と、白川・坪井川の流路を改修し城下町を整備拡張すること。しかし、当時の白川は大きく蛇行し、加えて坪井川と井芹川の3本の川が入り乱れて氾濫が起きやすい状況であった。そこでまず白川を直線化し、城の外堀としての防御機能を持たせた。また、白川と切り離された坪井川は、城の内堀として茶臼山の裾を流し井芹川へ合流。井芹川は下流の二本木付近で白川と合流していたが、石塘(背割堤)を築いて分離させ、新たな坪井川として河口の高橋(現在の百貫港、熊本市小島町)まで一本の川につなげた。

白川・坪井川の河川改修の結果、旧坪井川一帯に一大武家屋敷を構成することができ、改修によって水量と水深が確保された坪井川は城下町と有明海とを結ぶ物流ルートとなり、大正時代まで重要な役割を果たすこととなった。

 現代の田畑も潤す400年前の灌漑システム 鼻ぐり井手2

▲鼻ぐり井手(内部)水流の川底をさらう力は、通常の水路の約10倍ともいわれる。

鼻ぐり井手3▲鼻ぐり井手(外観)このように特色のある仕組みは全国でも例がなく、他の場所で見る事が出来ない為、現代でも土木工学の研究対象として注目されている。

 

鼻ぐり井手1カマボコ型にくり貫いた岩盤に水流がぶつかり、渦を巻きながら土砂とともに水流穴(鼻ぐり穴)から送出される。

清正の土木事業は城下町だけに留まらず、各地で治水や新田開発のための灌漑が行われた。なかでも、当時の灌漑システムが現在でも田畑を潤しているのが、菊陽町馬場楠から熊本市大江渡鹿までの総延長13㎞の灌漑用水路・馬場楠井手の「鼻ぐり」だ。馬場楠井手は、馬場楠堰とともに慶長13年(1608)に築造。阿蘇に源を発する白川は火山灰土壌のため、火山灰土砂の堆積がひどく、堰から白川の水を引く井手の管理も一苦労であった。さらに菊陽町の曲手から辛川の区間は、地上から井手底までの深さが約20mもあり、人力でヨナ(火山灰土砂)を排出するのは困難。そのために清正が考案したのが、水力を利用して土砂を次々に下流へ排出するという「鼻ぐり」という仕組みだ。

「鼻ぐり」の造りは、岩盤掘削時、2~5mの間隔で高さ4m、幅1mの仕切岩盤を残し、水の通る下辺に直径約2mの穴を交互にくり抜いたもの。上流より流れ来る水は、「鼻ぐり」を通過時に渦を巻きながら流れる事になり、この水の動きによって火山灰は舞い上がり、底に堆積することなく下流に流されていく。隔壁に開けた水流穴の形が牛の鼻輪を通す穴に似ていることから、「鼻ぐり」と呼ばれるようになった。この工法は全国的にも類がなく、清正が整備した当時は約80基あったが、現在では24基を残すのみとなっている。

ほかにも、白川の下井出堰、渡鹿堰、菊池川の石堰による付け替え、緑川の鵜の瀬堰、球磨川の遙拝堰など、四大河川の治水と灌漑にも着手した。

 

干拓、港・街道の整備。脈々と受け継がれた清正の事業

加藤清正

 加藤神社で毎年7月第4日曜日に開催される清正公を偲ぶお祭り。子供から大人まで参加し、熊本市中心部を神幸行列で賑わせる。

 

加藤清正頓写会 本妙寺にて清正公四百年御報恩頓写会大法要

清正は入国の翌年、天正17年(1589)に玉名市横島の干拓にも着手。以来、干拓は加藤氏から細川氏へと引き継がれ、江戸、明治、大正と続き、昭和42年(1967)に潮止めが行ったのを最後に、現在にいたっている。 広大な八代平野の大部分も干拓によって造られたものだが、この干拓の歴史の先鞭をつけたのも清正だ。清正は、八代の北、千丁町(現八代市)の新牟田あたりを干拓し、球磨川に設けた遙拝堰から引いた水を農業用水とした。

ほかにも、菊池川の改修とともに造られた玉名市の「高瀬船着場」(現在は跡地)、古来から活用されてきた港を再整備し、軍港・商港として発展した川尻の「御蔵前船着場」(現在は跡地)を設置。豊前、豊後、薩摩、日向の四街道を設け、海上・陸上ともに交通路の整備にも力を尽くし、この事業は細川家にも受け継がれていく。  清正が領主として肥後国を統治したのは24年。その間にも、名護屋城普請や朝鮮出陣などがあり、実際に熊本に腰を据えていたのは実質15年ほどだ。この短期間に、熊本城を建設しながら多くの暴れ川から城下町と田畑を守る治水工事を行い、荒れた土地を肥沃な田畑に改造するという土木工事を成し遂げことは、現代の土木技術から見ても驚異的なことだ。

「その土地を念入りに調べ、川下の人々の迷惑にならないようにし、川守や年寄りの意見をよく聞くこと」。これは、清正が工事担当者に注意した言葉だが、自身の知恵やアイデアだけでなく、飯田覚兵衛(いいだ かくべえ)、森本儀太夫(もりもと ぎだゆう)をはじめとした優れた部下たちの意見に耳を傾けたことも、事業がスムーズに運んだ所以だろう。また、莫大な人手をまかなうため男女問わずに動員されたが、事業の多くは農閑期に行われ、きちんと給金を払ったため、民衆は喜んで協力したという。

清正が400年後の熊本を見据えていたかどうかはわからないが、現場でも先頭に立ったという土木事業の片鱗が、熊本の随所で今なお息づいている。

参考文献/伝記 加藤清正(矢野四年生 著)

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  6:39 2014/11/28

 

 

400年前の灌漑システム 鼻ぐり井手(内部) 水流の川底をさらう力は、通常の水路の約10倍ともいわれる。 ... 阿蘇に源を発する白川は火山灰土壌のため、火山灰土砂の堆積がひどく、堰から白川の水を引く井手の管理も一苦労であった 6:14 2014/11/28

 

http://tabimook.com/kuma/kato_kiyomasa2/index.html

現代の田畑も潤す400年前の灌漑システム

                        ▲鼻ぐり井手(内部)水流の川底をさらう力は、通常の水路の約10倍ともいわれる。 ▲鼻ぐり井手(外観)このように特色のある仕組みは全国でも例がなく、他の場所で見る事が出来ない為、現代でも土木工学の研究対象として注目されている。 カマボコ型にくり貫いた岩盤に水流がぶつかり、渦を巻きながら土砂とともに水流穴(鼻ぐり穴)から送出される。清正の土木事業は城下町だけに留まらず、各地で治水や新田開発のための灌漑が行われた。なかでも、当時の灌漑システムが現在でも田畑を潤しているのが、菊陽町馬場楠から熊本市大江渡鹿までの総延長13㎞の灌漑用水路・馬場楠井手の「鼻ぐり」だ。馬場楠井手は、馬場楠堰とともに慶長13年(1608)に築造。阿蘇に源を発する白川は火山灰土壌のため、火山灰土砂の堆積がひどく、堰から白川の水を引く井手の管理も一苦労であった。さらに菊陽町の曲手から辛川の区間は、地上から井手底までの深さが約20mもあり、人力でヨナ(火山灰土砂)を排出するのは困難。そのために清正が考案したのが、水力を利用して土砂を次々に下流へ排出するという「鼻ぐり」という仕組みだ。 「鼻ぐり」の造りは、岩盤掘削時、2~5mの間隔で高さ4m、幅1mの仕切岩盤を残し、水の通る下辺に直径約2mの穴を交互にくり抜いたもの。上流より流れ来る水は、「鼻ぐり」を通過時に渦を巻きながら流れる事になり、この水の動きによって火山灰は舞い上がり、底に堆積することなく下流に流されていく。隔壁に開けた水流穴の形が牛の鼻輪を通す穴に似ていることから、「鼻ぐり」と呼ばれるようになった。この工法は全国的にも類がなく、清正が整備した当時は約80基あったが、現在では24基を残すのみとなっている。  ほかにも、白川の下井出堰、渡鹿堰、菊池川の石堰による付け替え、緑川の鵜の瀬堰、球磨川の遙拝堰など、四大河川の治水と灌漑にも着手した。

平成26年11月28日

 

 

 

http://www.city.aso.kumamoto.jp/

http://www.fujidream.co.jp/

フジドリームエアラインズは、2009年7月23日、拠点である富士山静岡空港から小松、熊本、鹿児島への定期航空路線を開設いたしました。

当社は、日本各地を小型リージョナルジェット機で結び、航空業界における新たなビジネスモデルに挑戦します。現在は7機の小型ジェット旅客機、エンブラエル170/175を用いて運航、2010年6月には信州まつもと空港から札幌、福岡線を開設。2010年10月から名古屋小牧=福岡線を開設し、熊本、いわて花巻、青森、新潟、高知、山形へと路線を拡大しています。

地域と地域を空路でダイレクトに結ぶリージョナル航空事業には、地方都市の皆様の利便性を高め、地域社会・経済の活性化に貢献するという重要な役割があります。安全で快適な空の旅を創造し、就航先および、その近隣地の皆様の暮らしと社会をより便利に、より豊かにしていく、それがわたしたちの目標です。

ぜひ、この新しいフジドリームエアラインズの翼をご利用いただき、各地へお越しくださいますよう、皆様のご利用を心よりお待ちしております。

フジドリームエアラインズ 代表取締役会長 鈴木 与平

株式会社フジドリームエアラインズ シンボルマークFDAのシンボルマークは、静岡の象徴、富士山をモチーフにしています。

「朝日が富士山に降り注いで輝いている」日本人なら誰もが安堵し、高揚感を覚えるあの光景を、静岡県の明るい未来と掛け合わせました。

カラフルなロゴは、太陽の当たり方によって、色々な姿を見せる富士山を表しています。

3本の白いラインは、飛行機の航跡を表現したものです。

 

会社名 "株式会社フジドリームエアラインズ

Fuji Dream Airlines Co.,Ltd. (FDA) "

本社 〒424-8703 静岡県静岡市清水区入船町11-1

事業内容 航空運送事業

設立 平成20年6月24日

就航日 平成21年7月23日

資本金 4億9300万円

株主 鈴与株式会社 100%

代表取締役会長 鈴木 与平

代表取締役社長 須川 恒次

6:33 2014/11/28



引用2016年8月21日 (日)千葉市長 熊谷俊人市長メッセージ(みなさんの平成28年度予算~一人一人に目を注ぐ予算~)みなさんの平成28年度予算~一人一人に目を注ぐ予算~新年度予算は財政健全化と千葉市の活性化のバランスを取りながら、市民の暮らし支援を意識した予算となっています。予算使い切りを防ぐため、創意工夫によってコスト削減を図った場合、翌年度以降に自由枠として削減分を配分するインセンティブ予算を導入・国に先駆けて事業仕分けを実施するなど、徹底した事業の見直し(93億円)

10:07 2016/08/21

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2016/08/2828-bbdd.html

9:53 2016/08/21


127頁・市長と職員とで違うところは、市長は多くの権限を持つ・平成28年7月25日 月曜日


2,010年4月24日、夕張市長に就任して一年という月日が流れました。全国最年少市中の年齢も私が一つ年を取り、30歳から31歳となりました。


今まで、一年という時間をこれほど濃密に生きたことはありませんでした。何か夢中になっている時が過ぎるのはあっという間とよく言いますが、その通り、まさにあっという間の一年でした。

振り返れば、長年勤めた都庁を退職し、東京から夕張へ。そして、人生初の選挙。その後、市長就任と結婚。盆正月が、イヤクリスマスまで一緒に来たような忙しさでした。

とにかくこの一年、身にしみて感じたのは体力がなければ続かない仕事だと言うことです。126・


127頁・体力勝負の仕事と言いましたが、ふだん市長がどのような仕事をしているのかわからないという人は多いのではないでしょうか。私自身、学生の頃は市長が具体的にどのような仕事をしているのか正確に理解していませんでした。

市長の仕事は簡単に言えば、町の将来を考えて計画を作ったり、予算を作ったり、町のルールである条例を作ったり、税金を課税・徴収したりと、様々なことを市役所の職員と一緒に行っています。

市長と市役所の職員とで違うところは、市長は市民から直接選挙により選ばれた人(公選職と言います)であるという点です。後述しますが、これは大きな違いであり、だからこそ市長は多くの権限を持っています。

仕事を進めていくなかで、今後の方向性について、いくつかの選択肢があるとします。それぞれの選択肢にはメリット・デメリットがある場合、最後は誰かが決断して、答えを出さなければなりません。市議会も市長と同じく市民を代表する機関ですが、市役所としての答えを最終的に決めるのは市長です。そのため、市長は多くのことを知り、常に的確な答えを出すため不断の努力が求められます。127・


128頁・


このような市役所での仕事の他、市長は市の代表者として、市内外の様々な行事にも参加しています。

市長として仕事をしてみて、この一年間で丸一日休んだ日は片手で数えるほどです。市長という仕事は「ここまでやれば合格」というものではありません。合格かどうかは、四年に一回の選挙で市民が判断します。当然のことですが自分で合格は出せないのです。

夕張がどうすればさらに良くなるのか。今、何ができるか、を常に考えて、前へ前へと進んでいかなければなりません。立ち止まったらいけない仕事なのです。

ドラえもんに登場する道具で「とピーロボット」というものがありました。人形の赤い鼻を押すと自分そっくりのロボットができるという優れものです。おそらくこのコピーロボットが発売されたら多くの市民は迷わず買いに走るでしょう。

課題も多い町ほど、やるべきことは星の数ほどあります。体がもう一つあったらと思うたびにコピーロボットが頭に浮かびます。128・


129頁・特に夕張市は財政破綻した影響で、自由に使えるお金は全くないと言っても過言ではありません。お金がないなかでどうやって町を元気にしていくのか。今までにない新たな発想が必要です。「前例のないこと」が求められています。しかしこの「前例のないこと」というのは簡単ですが実行するためには「前例」という高い壁を乗り越えていかなければなりません。

市長という仕事は、その壁を乗り越えていくのか否か、壁の先を予想しながら決断していかなければいけません。成功すれば町にとってプラスになりますが、失敗をすれば次の選挙で首になるかもしれません。そのような選択を毎日毎日繰り返し、挑み続けていかなければならない仕事なのです。129・



2016年7月22日 (金)やらなきゃゼロ!財政破綻した夕張を元気にする・全国最年少市長の挑戦・・鈴木直道・2,012年12月・113頁・夕張市には小学校が一校だけしかありません。東京23区に621平方㌔より広い763㎞・・118頁・全国最低の行政サービス、全国最高の住民負担・121頁・毎年26億円返済という重圧・・・皆さん私どもの手で島を活性化しませんか

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2016/07/201212-3c9e.html

5:34 2016/07/25


140頁・さらなる負担増、水道料金の値上げ・

市長就任後の六月、上下水道課から水道施設について説明を受けることになりました。140・


141頁・市内にある二つの浄水道は1,960年代に建設されたもので、老朽化が進んでおり、今のまま放置すると断水するリスクすらあるというのです。また、定期的に交換が必要となる部品についても、施設が古すぎるため部品の在庫が少なく、事故発生時には復旧が遅れてしまうリスクもあるという説明を受けました。

施設建設当時の1,960年代は、夕張市の人口の最盛期でした。約12万人の人たちが夕張に住んでいました。そのような大規模な施設を人口が10分の1以下の約1万人となった現在も使い続けているのですからとても非効率な状態です。

なぜここまで施設が老朽化するまでほうっておいてしまったのか聞くと、夕張市は財政破綻の前に多額の観光投資などは積極的に行ってきたが、水道施設のような市民生活に直結するような投資は計画的に行ってこなかったというのです。もし、人口減少と共に町のインフラも縮小していくことを計画的に実施していたのなら、今のような非効率な状態になるまで放置することは防げたかもしれません。

・・炭鉱の閉山によって人口が激減することはわかっていましたが、当時の夕張市は観光投資にお金をつぎ込み人口減少に歯止めをかけようとしました。141・


142頁・16/7/26 4時13分・

結果として、市民生活に直結するような水道施設や住宅の整備などは後回しにされました。そして、財政破綻を迎えてしまったため、役割を終えた多くの観光施設と共に計画的な整備を行ってこなかったインフラが今に引き継がれる形となってしまったのです。

「水」というのは、生きていく上で必要不可欠です。しかも問題を解決するためには多額の資金が必要となります。そしてそれを負担していくのは市民なのです。

そこで私は、浄水道の更新と水道料金の値上げに関して「住民説明会」を行うことにしました。そしてその場で水道料金の値上げに関するアンケート調査も実施することにしました。住民説明会では浄水道の現在の状況塗工心の必要性を訴え、それに伴う水道料金の値上げについて説明しました。会場に来る人たちの多くは、今でも高い水道料金を値上げするなんて考えられない」という気持ちだったと思います。

料金の値上げに関して二つの選択肢を示しました。1・2,010年から10%の値上げ。142・


平成28年7月26日 火曜日

143頁・


・2・2,016年から14%の値上げ。しかし、この選択肢を示すに当たって事務方より意見がありました。それは「この二つの選択肢を示してしまうと、値上げという問題を2,016年に先送りするとの回答が多数を占めてしまうのではない」といくのです。そのため、・2・の選択肢は初めから入れない方がいいのではないかという意見です。

私はすぐにこう答えました。

「確かに、負担増は先送りしたいと考える人たちが一定数いるかもしれません。大切なのは負担増を先送りにすると言うアンケート調査ではなく、現在の浄水道の悲惨な状況や将来に対する問題について、市民と共有できているのか否かです。その問題認識に差があるなら、それを埋めようとすることを行政側から一方的に放棄してはならない。仮にそのような回答が多数ならば、また説明会を開いてきちんと市民に説明していかなければならないことです」と。143頁・


144頁・私は担当の職員から「本当にいいのですね」と念を押されました。財政破綻以降、市民の意見を聞く機会が少なかった夕張市では当然の反応だったかもしれません。しかし、これだけの負担を将来にわたって去らないお願いしなければならないのに、こちらで選択肢を一方的に決定して丁寧な説明もなしに値上げをしてしまったら、「また市役所が勝手に・・・」と言うことになってしまいます。

市民の多くが納得した上で負担をお願いするという形を目指さなければ行政との信頼関係も構築できません。そしてそれは夕張市が残念ながらないがしろにしてきたことでもありました。

・そうした過程を経て、水道料金値上げに関する住民説明会は実施されました。各地区で説明会を行いアンケート調査も行いました。そしてその結果は市民の約八割が・1・の「2,012年から10%の値上げ」というものでした。この結果を見て、市民の苦しい状況にあっても次世代に負担を先送りすることなくしっかりと自分たちが問題と向き合っていこう」という強い意志を感じました。そしてこの結果を出したのは、日常業務に追われるなかでも分かりやすく丁寧な説明を心がけた市役所の職員の力でもありました。144・


145頁・16/7/26 8時51分・2,012年8月、社会保障と税の一体改革について国会で審議が行われ、社会保障の安定財源として、消費税が現在の5%から2,014年4月に8%、2,015年10月10%に引き上げられることになりました。このことを大小は別として、私は夕張市の水道料金の値上げの問題と共通する部分があると思っています。当初、国民の多くは消費税増税について必要性を理解し、賛成するとの意見も多くありました。

しかし、法案成立に至までの与野党の対応を見つめるなか、政治不信は高まり残念ながら消費税増税はもとより、その多くの政治決断に対しても国民の信頼を失う結果となってしまいました。

それはなぜかと考えて見ると、消費税増税による負担増で生活が苦しくなることは誰でもわかります。しかしその先に、どのような未来があるのかが明確に示されてなかったことにその原因があるのではないでしょうか。さらに言えば、そこで必要なのは丁寧な説明であり、一番身近な立場でその説明を実施する私たち市町村がその未来を語れないのでは国民の理解を得られません。

例えば必要な政策だが、反対されるだろうからあえて丁寧な説明はしないという決断をしたとします。145・


146頁・16/7/26 9時5分・しかしその政策が実施され、それが国民生活に影響を与え始めれば遅かれ早かれその決断に対して、国民の政治不信は高まり、十分な説明がなかったと言うこと納得がいかないという声が当然ですが上がってくることになります。決断すするためにあたって、なぜそれが必要なのか私たちは逃げずに説明しなければなりません。

そしてできないことはなぜできないかを丁寧に説明していく。この繰り返しこそが国民との信頼関係を回復するのです。それは硬い石に水滴が落ち、いつしか穴を開けるように気の遠くなるような時間がかかる世界かもしれませんが、未来の日本を担っていく政治の役割だと思います。もちろん今の時代100人の人間がいて全員が賛成すると言うことはあり得ないことです。しかし、少しでもそれに近づけていく努力を放棄してはならないのです。

・水道料金でも消費税でも、たとえ苦しくとも値上げをしたその先に、次世代が幸せに暮らせる未来があるのならば頑張ろうという気持ちなれるのではないでしょうか。そしてその光を示すことができるのも互いの信頼関係の上にある政治の役割だと思います。146頁・


16/7/26 9時32分

ここまで

来年度予算の概算要求に向け、各方面から予算に関する数多くの要望が寄せられている。昨日も、道内各地から多くの皆さんが予算要望のため私の事務所を訪問された。

 

今日もそうした要望の方が多い。それらに対応するため、明日まで都内滞在の予定だ。都内は雲が多く、 雨が落ちてもおかしくない雰囲気だ。北海道は、今日から明日にかけて、強い雨になるという。

 

地域によってバラツキはあるもののあまりスッキリした天候にならず農作物への影響も心配される。

1)イラク戦争2003年のイラク戦に、日本も賛同し、それに加担した。

この戦争に関する、イギリスの公式調査報告書、いわゆるチルコット・レポートが、7月6日に発表された。日本の新聞でも、取り上げたところも多かったが、参院選投票日前ということもあり、あまり大きな話題になることはなかった。

7月7日付のニューヨーク・タイムズに、イラク問題の専門家であるカーン・ロス氏が、このチルコット・レポートに関する思いを寄せている。以下その中からの抜粋だ。

レポートの結論ははっきりしている。当時のイギリス政府は、戦争の必要性を誇張した。(戦争以外の)その他の選択肢を検証し尽くす前に軍事行動に打って出た。イギリス政府は、イラク侵攻を成功させるための準備を十分に行わなかったため、 その後の統治政策にも失敗した。

 

侵攻開始直後から今日に至るまで、13年間にわたってイラク国民が耐え忍んだ混乱と暴力を鑑みれば、占領を計画した者たちの無責任ぶりは明らかだ。

==以上、引用終了==

このチルコット・レポートは、多くの資料と100人を超える関係者からの聞き取りによってイラク戦争が完全な誤りだったことを明らかにしている。そしてカーン・ロス氏は、このレポートの隠れた目的を次のように説明する。

「自らの過ちを理解する能力や、過ちを修正できる能力が政府にあることを示し、国民を安心させること」この指摘は、極めて大切なものだ。翻って我が日本政府どうなのか。チルコット・レポート発表を受けても、官房副長官の一人は、記者の質問に答えるかたちで、イラク戦争支持の考えは変わりない

かのような発言をしている。

これでは日本政府には、過ちを理解し修正する能力がないことになってしまう。

こんなことで良いとは思われない。来る臨時国会中に、改めて政府の見解を問わねばならない。カーン・ロス氏は、別な重要な指摘もしている。

当時のバウエル米国国務長官が、アルカイダの格下の戦闘員をフセインのテロ仲間と誤った認識を発表した。

 

そのことが、ISを誕生させる要因の一つになっていることだ。つまりイラク戦争は、そもそも存在しない危機を煽って戦争を行い、地球規模の不安定化という危機を作り出したと、カーン・ロス氏は指摘する。

安倍政権は、こうしたイギリスの報告書や識者の指摘を受けてもイラク戦争を正当化するならば、真っ当な自己評価のできない、極めて危うい政権と言わざるを得ない。

さあ今日も、確実に前進します。

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やらなきゃゼロ!財政破綻した夕張を元気にする・全国最年少市長の挑戦・・鈴木直道・2,012年12月・

2頁・平成28年7月23日・退職金ゼロ、年収は200万円ダウン・

「知事、私は都庁を辞めます。辞めて夕張市長になります」

「お前はとんでもない勘違い野郎だな!」

2,010年11月末、私は夕張市長選挙へ立候補するため、東京都を退職しました。その日の午後、西新宿の東京都庁七階の知事応接室にて、私は石原慎太郎東京都知事と向き合っていました。知事応接室は一際天井が高く、独特の緊張した空気が漂っています。それだけでも圧倒されそうな雰囲気ですが、身長180㌢を超える長身の石原知事が目の前にいるとその空気はより一層色濃くなります。

そんな今まで感じたことのない空気のなか、夕張市長選挙へ立候補することを伝えた私に石原知事は「とんでもない勘違い野郎だな」と言い放ちました。2・

3頁・その言葉を聞いた瞬間、私の頭の中には「勘違いやろう」と言われたことに対する心当たりを探すことで一杯になりました。

まず出てきた心当たりは、

「あっ、「夕張市長になります」と言ってしまった。まだ出馬表明すらしていないのに。「夕張市長選挙へ立候補したいと思います」だったのか」

次に、「今日は特に忙しく、機嫌が悪い日だったのかもしれない。話すタイミングを誤ったか」など、数秒間にも満たない時のなかで、様々なことが頭の中に駆け巡りました。しかし、今振り返り、冷静に考えてみると、当時29歳の若造が「夕張市長になります」と突然言いに来たら、多くの人は「勘違いするな」というのかもしれません。

確かに、不景気の影響で安定した公務員の人気が高まるなか、ましてや全都道府県のなかで最も給与の高い東京都の職員を自ら退職し、全国最低レベルの報酬である夕張市の市長選挙に挑むと言った私を、周囲は驚きの表情で見つめていました。3・

4頁・職場の同僚など99%の人たちからは「馬鹿なことを考えるな」「少し冷静になれ」「休みを取って落ち着いて考え直せ」など言われていました。

さらに石原知事からも「勘違い野郎」と一喝され、正直とても残念な気持ちになりました。しかし、石原知事はこう続けました。

「イヤ、何事も勘違いから生まれる。あとさきを考えずがむしゃらにやるうちに、当時は「勘違いだ」と言われていた「夢」が現実になる。だから裸一つで夕張へ行く。そういうお前は俺は殺しはしない」

当時29歳、東京都を退職した時点で私を応援してくれるという人たちは、夕張にはたったの七人。しかも皆、選挙は全くの素人です。そこで、石原知事にアドバイスを求めました。4・

5頁・「知事、一つアドバイスをいただきたいのですが」「夕張の人口は?」「約一万人です」「相か、とにかく全員と会え、今すぐ夕張に行って、夕張市民全員にお前の思いを伝えろ、以上」私は、「はい。わかりました」と石原知事に伝え、知事応接室を後にしました。

約一週間後の12月上旬最低限の荷物を旅行鞄に詰め込んで、羽田空港から新千歳空港への「片道切符」を握り島、私は夕張へと旅発ちました。

北海道夕張市の人口は約一万人。夕張メロン(「コラム」参照)で有名な町です。しかし、この夕張市は他の事態と違うところがあります。それは日本でい唯一、事実上、5・


6頁・財政が破綻し、財政再生団体(「コラム」参照)へ移行した自治体であると言うことです。最近の話題と言えば、国家単位ですがギリシャにおける財政危機が大きなニュースになりました。しかし、財政破綻とは具体的にどういいうことなのか。よくわからないという人が多いのではないでしょうか。

夕張市は2,007年から、今から約50年前の1,950年代に制定された「地方財政再建促進特別措置法(「コラム」参照)」に基づき「財政再建計画」を策定する「準用財政再建団体」へと移行しました。この計画は、町の再生や地域の再生については二の次とされ、赤字解消のみに全力を尽くすというものでした。当然、計画に対する批判の声は多くの市民から上がっていました。

一方、市民の声を菊川であるはずの夕張市は、18年間で353億円もの巨額な赤字を解消する計画の円滑な実施を、北海道及び国から強く求められていて、抜本的な計画変更はおろか軽微な計画の変更であっても、制度上は総務大臣の同意がなければできない極めて難しい状況下にありました。6・


7頁・そもそも法の趣旨は財政の再建であって、地域の再生では無いのだから当然と言えば当然なのかもしれません。

しかし、現実には地域の再生が無ければ、財政の再建も果たせません。その意味から財政の再建と地域の再生は「車の両輪」だと言うことができます。厳しい財政の再建を果たした先に夕張が疲弊して無くなってしまうのでは何の意味もありません。財政再建団他と他の事態との決定的の違いは、地域再生のための施策が実施できないことと言うことができます。

その後、当たらし法律「地方公共団体の財政の健全化に関する法律(通称・財政健全化法)」ができ、赤字比率などが一定の基準を超えると、自治体による自主的な財政の健全化が困難であるとして、「財政再生計画」を策定することが義務づけられるようになりました。7・


8頁・この「財政再生計画」に沿って運営される自治体を「財政再生団体」と呼びます。夕張市はその新しい法律が施行されたことにより、2,010年に「財政再建団体」から「財政再生団体」へと移行しました。

財政が破綻すると、お金に困るというニュアンスは広く理解されていると思います。実際にその通りで、全国最低の行政サービス、全国最高の住民負担」と揶揄されるほど、行政サービスを徹底的に圧縮せざるを得ない状態になりました。

財政破綻した直後、夕張市役所の職員の給与は、年収ベースで平均四割カットとなりました。市長に至っては七割カット。そして交際費、退職金も無いという、全国に1,719ある市町村のなかでも最低レベルの報酬となりました。

現在、市長報酬の最高額は、横浜市の市長で月額142万円。それに比べ、夕張市の市長の月額は25万9,000円。8・


9頁・手取りにすれば20万円に満たない金額となります。東京都の若手職員であった私の年収よりも200万円近く安い報酬です。

しかも人口一万人の姿勢を預かる重責と322億円もの借金を背負うのですから、そんな私の決断を「バカだ」とする意見は至極当然、まっとうなものかもしれません。しかも、選挙ですから勝つか負けるかはわかりません。選挙に落ちればただの人です。そんななかでの挑戦は一見無謀でしかないと映るでしょう。

しかし、私は今でもその決断を後悔してはいないし、とても誇りに思っています。9・平成28年7月23日


42頁・平成28年7月23日 土曜日・1,000人も集まった街頭演説・

告示日を迎え、投票日まであと一週間。人生で初めて選挙カーに乗り込み、マイクを持って市内を回ると目の前には驚きの光景が広がっていました。

雪の降るなか、アパートの窓という窓から「頑張れ、応援しているよ」と声をかけてくれる人たち。みんな一軒一軒歩いてだってきた人たちです。東京では選挙カーが回ってきても「うるさいなあ」と言って窓を閉めてしまうのが当たり前の光景になっていますが、寒いなか、いつ回ってくるともしれない選挙カーをずっと待っていてくれた人たちが大勢いました。日が暮れて暗くなってくると窓からペンライトを振って応援してくれる人もいました。

平成28年7月23日


53頁・16/7/23 7時59分・

「違うな。もうお前は都職員の代表じゃない。日本の若者の代表として頑張れ」と激励してくれました。

・全国一高齢化率の高い夕張市に全国一若い市長が誕生・


2,011年4月24日午後八時、開票が始まり、私は支援者や報道陣の待つ事務所から少し離れた自宅で、ちちと固唾をのんで小さなテレビの画面にかじりついていました。午後九時過ぎ、野球中継のテレビ画面の下のテロップで「当・鈴木直道」の文字。大急ぎで事務所へ向かうとたくさんの人たちが泣いて喜んでくれていました。

後から、この夕張市長選挙の投票率は82・6%であったと言うことを聞きました。53・


54頁・直前に行われた東京都知事選挙でも投票率は57・8%だと言うことを考えると、この82・6%と言う数字は驚異的です。

それだけ、多くの人たちが夕張市の未来を真剣に考えたと言うことです。

・一票の重みと言うことを肌で感じた出来事がありました。それは目の不自由な方が私に、一票を入れたいという言う一心で、投票用紙に「鈴木直道」と書く練習を必死でして、選挙当日、自分の字で私に一票を入れてくれたという話を聞きました。むろん、代筆を頼めば、簡単に投票することはできます。しかしその方は自分で書いた文字で夕張の未来を私に託して下さったのです。54・


55頁・こうして、たくさんの人たちの思いをウケ、私は財政破綻をした夕張市の市長となったのです。その時、私は丁度一ヶ月前に30歳を迎えたばかりであり、全国最年少の市長となりました。

「全国一高齢者率の高い夕張市に全国一若い市長が誕生した」というニュースは、全国でも話題になりました。

こうして思い返してみると、あらためて驚くことも多いのですが、夕張に来るまでの私は本当にごく普通のどこにでもいるような若者でした。

夕張は私たちのなかの「何か」を変えた土地です。現に夕張には、この知に縁もゆかりもないのにこの土地を忘れられずに舞い戻ってくる人が少なからずいます。私と夕張との出会いは、東京都から夕張市には県職員として出向してきた2,008年に遡ります。55・


56頁・平成28年7月23日 土曜日・


91頁・市民の声を聞くこと自体に市役所は消極的になり、結果としては市民の市役所に対する信頼関係はさらに低下知るという悪循環のなかにありました。

この町の流れを抜本的に変えるためには大きな力が必要でした。夕張市、北海道、そして国をも動かす力。私は、その力を集める時期について、財政健全化法に基づく新たな計画として「財政再生計画」が策定される好機を逃がしてはならないと思うようになっていました。


・あなたの声を国に届けます・


派遣され約半分が経った夏、国とのやりとりのなかでこんな話がありました。上京した際に総務省の担当者に呼ばれ、意見交換をした時のことです。その時の言葉が今でも忘れられません。91・


92頁・それは私の方から、夕張市の厳しい実状を一通り説明した後の一言でした。「夕張市も厳しいが、他にも厳しい自治体は全国に山ほどある」

呼び出して話を聞きたいと言っていた側から、この発言があったことには驚きましたが、この発言が国の姿勢を象徴しているように感じました。全国に財政状況等が厳しい自治体は多々あること、これは疑いない事実です。しかし、そのことをもって、厳しい自治体に対する国として果たすべき責任や役割を放棄する理由にならないと思いました。

夕張市民は北海道民であり国民だと言うことを果たしてわかってくれているのでしょうか。

その全国共通の課題とも言える夕張が抱える難題を解決するため、共に連携し、知恵を出し合おうという姿勢が、北海道及び国には求められるはずなのです。

夕張では市役所での仕事が終わると、土日を含め毎日のように地域の人たちと共に話し合い、共に活動してきました。当初、私の派遣期間は一年間でしたが、自ら一年間の延長を申し出ていました。その理由は、「一年では何も形にはできないが、二年目はその一年間の経験や地域との関係を基に、具体的な行動が実施できるのでは」と考えていたからです。92頁・平成28年7月23日・


106頁・夕張はその当時は札幌以上の都市とも言われ、「札幌にはないものも夕張にはある」と言われていました。いつまでも町の明かりが絶えないことから「不夜城」とも呼ばれていたそうです。人口の最盛期(1,960年代)には約12万人もおり、学校も小学校22校、中学校九校、高校六校があり(現在は小中高のすべてが各一校)、当時の写真を見るとまるで東京の渋谷や原宿のように商店街には人が溢れています。

盆踊りや夏祭りのときは数日間に渡って祭りが続き、やぐらの周りに何重もの踊りの輪ができたそうです。また、市内の一番大きな小学校では一学年11クラスもあり、一つのクラスの人数は50人ほどいたという話も聞きました。106・


107頁・毎朝、数千人もの小学生達が学校へと向かう様子は、今では想像もつきませんが「当時は本当に活気があったなあ」としみじみ話をしていた人もいました。

夕張は炭坑の町でしたから、電気、ガス、水道、病院などの施設はなんと民間の炭鉱会社が持っていました。しかも利用料は「無料」です。鞄一つで夕張に来てもお金を稼ぐことができる仕組みが整っていたのです。

炭鉱での労働は狭いトンネルのなかで石炭を掘り続け、いつ落盤事故やガスの噴出があるかわからないという、死と隣り合わせの過酷なものでした。それゆえ、厚遇でなければ労働力を確保することができないという側面もありました。事実、夕張では炭鉱で働くなかで、昨日まで一緒に働いていた仲間が次の日には遺体となって炭鉱から帰ってきたという体験をした人たちが大勢います。

命を懸けた仕事であるがゆえに、いつ死ぬかわからないという不安はいつも付きまとい、「宵越しの金は持たない」とばかりに、貰った給料をすぐに使ってしまうことも多かったそうです。107・


108頁・そんななか、1,962年の「原油の輸入自由化」をきっかけに「石炭から石油へ」を合い言葉に国のエネルギー政策は石炭から石油へと転換していくことになりました。そして石油がエネルギーの中心に取って代わると共に、石炭は安価な海外炭へと切り替わり、国内炭は需要は減り炭鉱は閉山に追い込まれていきました。

そして、炭鉱の閉山が相次ぐなか、1,981年には北炭夕張新炭鉱ガス特出事故が発生。燃え続ける炭鉱を守るため、坑内でまだ生きているかもしれないとの家族を炭鉱会社が説得し、坑内に川の水を注水。108・


109頁・最終的には93人もの死者を出した大惨事となりました。その後、炭鉱を守るための注水も虚しく、経営は行き詰まり翌年閉山することになりました。

町を支えた基幹産業である炭鉱の会社も相次いで撤退してしまい、残った住宅、水道施設や病院などを市が買い取ることになりました。こうした炭鉱の閉山に伴う後処理には1,979年から1,994年の15年間で584億円が投入され、332億円の地方債を発行せざるを得ない状態になりました。

これらのことは夕張にとって痛手となりました。その規模は夕張がこの時点で既に一度財政破綻したと言ってもおかしくないほどのものでした。109・


110頁・平成28年7月23日・


6頁・地方財政再建促進特別措置法・353億円・

8頁・財政再建団体から財政再生団体へと・

19頁・一方、母子家庭で懸命に私を育ててくれた母は、

24頁・一軒ずつの距離が遠いの・

78頁・1,068億円・

83頁・夕張ではボランティア活動が盛んです。

87頁・市役所の若い人たちが余りこうした場に参加しない。

90頁・再生市民アンケートに込められた思い。

91頁・市民の声を聞くこと自体に市役所は消極的になり、

92頁・「夕張市も厳しいが、他にも厳しい自治体は全国に山ほどある。

93頁・全世帯を対象とした住民アンケート調査の実施です。

99頁・調査報告書を手渡しました。

104頁・「財政再建団体へと・

106頁・小中高のすべてが各一校。

109頁・1,979年から1,994年の15年間で584億円が投入され、332億円の地方債を発行せざるを得ない。

112頁・353億円の借金を抱えて財政破綻、自分たちの裁量で使える財源の八倍という赤字を抱えることになりました。


113頁・夕張市には小学校が一校だけしかありません。東京23区に621平方㌔より広い763㎞・


奄美大島広さ・面積712.35 km2・東京23区・622.99㎢


113頁・夕張市には小学校が一校だけしかありません。東京23区に621平方㌔より広い763㎞・平成28年7月23日 土曜日

・人口12万人が今では1万人・

夕張市には小学校が一校しかありません。しかし、夕張市の面積は東京23区(621平方㎞)よりも広い763平方㎞です。もし東京23区内に小学校が一校しかなかったらどうなるでしょうか。通学も大変、もちろん歩いていけるような距離ではありません。


114頁・

夕張市の子どもたちは冬は毎朝マイナス10度を下回るような寒さの中で、長時間バスに乗って学校に通っています。夕張市にも元々は小学校が地区ごとにたくさんあり、みんな歩いて学校に通っていました。しかし、人口が減り、子どもたちも減ってしまったことで小学校はたった一つになってしまいました。

夕張市の人口は現在約1万人。最盛期には1,960年の人口は約12万人。この約50年間で人口は10分の1以下になりました。そして現在も人口は減り続けています。

12万人の市民を抱えていた頃は、小学校もたくさん必要だったし、水道などの公共施設も大きなものが必要でした。しかし今では、人口も減り、子どもたちも減ってしまったことで小学校はたったの一つになってしまいました。

夕張市の人口は現在約1万人。最盛期の1,960年の人口は約12万人。この約50年間で人口は10分の1以下になりました。そして現在も人口は減り続けています。

12万人の市民を抱えていた頃は、小学校もたくさん必要だったし、水道などの公共施設も大きなものが必要でした。しかし今では、人口も減り、そんな大きな施設は必要ありません。廃校となった学校、誰も住まなくなり廃墟となった住宅。放置されれば時の流れと共に古くなり、痛んでいく様子が町の至る所で見られます。114・


115頁・平成28年7月25日・


118頁・全国最低の行政サービス、全国最高の住民負担・


118頁・全国最低の行政サービス、全国最高の住民負担・平成28年7月25日 月曜日・

夕張市には「図書館」がありません。現在「図書コーナー」という形で本を寄贈して貰ったり、北海道の図書館から本を借りたりして、図書の貸出業務を行っています。

一方で、一部の都市では住民のために図書館が午後九時まで開館していたり、ネットで貸し出し予約ができたりするなど、多くのサービスを展開しています。118・

119頁・夜に仕事から帰ってきて図書館で好きな本でも借りることができる自治体もあれば、夕張市のように図書館の運営もままならない状況にある自治体もあります。

自分たちが住んでいる町以外の自治体が、どんなサービスを行っているのか。なかなか知る機会はないと思います。東京に住んでいた頃は、駅前にも図書館があり午後九時まで開館していて、いつでも新しい本や雑誌を手に取ることができました。住むところによってこんなにも違いがあるものかとあらためて驚いたものです。このように、あることが当たり前で空気のような存在とも言われるのが行政サービスです。

夕張市では財政破綻により、この行政サービスをできる限り削減して借金の返済に回すことになりました。「全国最低の行政サービス、全国最高の住民負担」というのは財政破綻をした当時、夕張の現状を表す表現としてよく報道などで使われていました。全国で最も高い税金を払っているのにもかかわらず、最低水準の行政サービスしか受けることができない。119・


120頁・そんな夕張の状況を表した言葉でした。

四年前、私が夕張で初めて暮らして驚いたのは下水道料金の高さでした。一人暮らしだったため、それほど下水道料金も気にしたことはなかったのですが、それでも送られてきた明細表を見て、「あれ?高いな」と思ったことを覚えています。

調べてみると財政破綻以降、夕張市の下水道料金は10立方㍍当たり1,470円から2,440円に値上げされていました。私が東京都目黒区に住んでいた頃の倍近い金額でした。

こうした負担増や削減は「人の命に関わるもの以外はすべて見直しの対象となる」と言われたほど厳しいものでした。確かに図書館、公衆トイレ、市民会館や敬老パスなどはなくとも市民の命に直接関わるものではないかもしれません。

しかし、高齢化が進み、図書館やサークル活動などを生きがいにして過ごしている高齢者は多いのです。また、幼い子どもを抱える母親にとっては地域でのサークル活動などで得られるものもたくさんあるでしょう。120・


121頁・ただ心臓が動いて息を吸っていると言うことが生きると言うことではありません。地域を愛する人たちが、そこで充実した生活を送れるようにならなければ、そこに住んでいることに意味などありません。

財政再建計画というものは「財政」を立て直すための計画であって、そこに住んでいる人の生活や実情が計画には入っていませんでした。まさに机上の計算で作られた計画でした。誰がそのような地域に住みたいと思うでしょうか。

18年後、借金は返すことができても、そこに夕張に住む人たちの笑顔はあるのだろうかという思いがありました。121・


121頁・毎年26億円返済という重圧・


121頁・毎年26億円返済という重圧・平成28年7月25日・

今まで述べてきたような行政サービスの削減によって、夕張市は17年間で借金をほぼ返し終わり、他の自治体と同じ運営のできる自治体になると言う財政再建計画を策定しました。しかし、地域にはそこに住んでいる人たちがいて多くの子どもたちも成長していきます。121・


122頁・夕張の歴史等長い観点から見ると、財政再建計画の期間である17年間はほんのひと時の出来事かもしれません。しかし、今、夕張でクラス人たちにとっては、一人の赤ちゃんが生まれて成人式を迎えるまでの間、そのほとんどをこの環境のなかで生活をしなければならないと言うことなのです。

17年間という期間は余りにも長すぎるし、日本の歴史から見ても過去最長の期間となっています。返済金額は毎年約26億円。しかし夕張市の標準財政規模は約50億です。家庭にたとえれば、500円の収入で食費、水道光熱費などを出して、そのうえ260万円もの借金返済をする感覚です。

そのお金は住民税や固定資産税などの税金、事業などを削減して生み出した財源と国からの交付される地方交付税などから支払われています。今後、夕張市の努力で今まで以上に大幅な削減が実施できるようなものは見あたりません。これ以上削減できないものが大半を占めます。収入が少ないからと言って事業が削れる段階にないと言うことができます。122・


123頁・16/7/25 4時47分・

住むところによって受けることのできる行政サービスに大きな差があることが年々大きな問題となっています。そのため、地方に住む人たちが少なくなっています。

全国にあるほとんどの自治体は、国からの地方交付税などを財源に自治体を運営しています。地方交付税を貰わずに運営できているいわゆる「不交付団体」と言われる自治体は東京都などのごく僅かな都市のみです。

不交付団体はそのような天で国に依存指定兄自治体だと言えます。そのため、自由な発想で様々な独自の行政サービスを展開することができるのです。一方、夕張市は東京都とは正反対で国から地方交付税がなければ自治体として成り立たない団体です。

しかも唯一の財政再生団体であり、何をするのにも総務大臣の同意が必要なのです。17年間、2,013年より毎年平均約26億円の返済というのは、夕張の実態やその計画によってそこに住む人がどのような影響を受けるのか、その先に未来はあるのかと言うことが十分に考慮されていないのです。123・

平成28年7月25日


127頁・市長と職員とで違うところは、市長は多くの権限を持つ・

135頁・満天の星が輝く、

142頁・浄水所の更新水道料金の値上げ、「住民説明会」を行う・

147頁・国・北海道および夕張市の三者協議で・

148頁・政治家は大きな方向性を示すと共に、

149頁・地域のことは地域に住む住民が責任を持って決める。

151頁・東京23区よりも広く網の目のように張り巡らされた地下鉄もない。

155頁・企画部門が独立存在していなかった。

また、夕張市役所における組織・機構にも問題がありました。どこの自治体や民間企業にも独立した企画部門があります。企業で言えば、時代のニーズに即した商品を企画・立案する。企業の業績を大きく左右する大変重要な部門です。当然のことですが「お金が無いから、新しいことを考えなくて好い」とは決してならないでしょう。むしろお金がないからこそ、その厳しい状況のなかで何ができるのか、どうすれば新しい商品を生み出すことができるのかが求められるはずです。これは市役所でも同じことなのです。

さらに夕張市役所の状態を分かりやすくたとえれば、お金が一万円ほどあれば500円のものを買うことは簡単なことかもしれません。しかし、1,000円しか無くて500円のものを買う時は少し躊躇するでしょう。155・

156頁・しかし、その大変重要な企画部門が夕張市役所には独立して存在していなかったのです。そのため、500円をどう生み出すか。500円の値段は安くならないのか。代替え案はないのかなど最も考えなければならない自治体なのです。

 

そこで私は市長就任直後の2,011年7月、「まちづくり企画室」という独立した企画部門を新設しました。そして同室をまちづくりにかかる施策を実現するための市長特命チームとして位置付けました。このまちづくり企画室が新設されたことで、財政部門と企画部門で「どうすれば新しい施策を実現することとができるのか」と議論する機会が生まれました。通常の組織であれば当たり前のことですが、財政部門には企画部門が実現したいとう施策を財政再建計画へ反映させるための課題を整理する。

企画部門は前述したとおり「ゼロ円で500円のものを」という発想で新しい施策を企画・立案する。お互いの立場でよりよいものをと議論し、ときにはぶつかり合いながら作り上げていく。このような通常の組織であれば当たり前の組織・機構が夕張市役所には整備されていなかったのです。156頁・

157頁・まちづくり企画室を新設した直後、私は同室のチームとさっそく新しい施策に取り組みました。まさに「ゼロ円で500円のものを」生み出す取り組みです。

2,011年10月、道中と道東をつなぐ道東自動車道(夕張・・占 間)開通しました。高速道路を利用する人たちが増加する反面、一般道を利用する人たちが減少し、夕張市が通過自治体になってしまうという懸念がありました。そのため、私は道路を管理しているネクスコ東日本に対して「夕張については自由に高速を乗り降りできるようにしてほしい」と提案していました。

目的地までの間、途中での乗り降りを無料にする仕組みです。

夕張で途中下車したいがお金が余計にかかるからやめようという人たちもいます。降りなければ「ゼロ」。地域にお金は落ちません。

 159頁・無い部署がありました。それは企業誘致や慣行に関する仕事をしている「産業課」です。企業誘致は人口減少や財政難に苦しむ自治体にとって、雇用の拡大や税収増に繋がる特に力を入れて取り組むべきものです。

・夕張は   や新千歳空港まで車で一時間、そして札幌まで一時間半という地の利の良さがあります。しかし、夕張と聞くと不便なところにあるのだろうというイメージがあります。その現実都のギャップをしっかりとPRして埋めていかなければなりません。また、企業誘致のみならず交流人口を増やすためには観光にも力を入れていかなければなりません。

しかし、その仕事を独立して行う部署が存在していなかったため、残園ながら手つかずの状態が続いていました。そうした状況を打開するため、「やらなきゃゼロ!」の精神で産業課を新設することにしたのです。

 

産業科を新設したことで、今まで手つかずであった企業誘致に力を入れることができました。夕張の地の利の良さと売れ残っていた工業団地九割引という大胆な価格を全国にPRしました。159・

160頁・

 

 

161頁・市民との対話こそ源・平成28年7月22日 金曜日・

「市民の皆様の声を聞きます」「市民の声が第一です」とはよく政治家が選挙の際に口にする言葉です。政治家にとって民意に寄り添うことはとても大切なことです。しかし、皆さんは実際に自分の住んでいるまちの市長と話をしたことがありますか?「あります」と答える人は少ないのではないでしょうか。住民が何万人もいる自治体であれば、市長と頻繁にあって話をすることはなかなか難しいことです。しかし、夕張市は現在約1万人という小規模な自治体です。小さな町だからこそできることがあります。私はそんな夕張市だからこそ、市長と直接会って話をすることを制度化することが可能ではないかと考えました。

東京都から派遣職員時代にしないで活動していた時も、直接会って話をするなかで見えてきたことがたくさんありました。今の私の原点はその対話にあったとも言えると思います。そして対話を通して見えてくるもののなかには、町をよくするヒントが隠されているのです。161・

162頁・平成28年7月22日

そうしたヒントを自らの足で探さなければ、現場との距離が遠くなり市長という立場になれてしまいます。

そこで私は「市長と話そう会」という制度を作りました。公務で時間が取れないこともありますが、時間さえ合えば、基本的に24時間365日、私が市内のどこへでも行って話をすると言うものです。

5人以上の集まりであれば誰でも市役所に申し込みをすればOKです。「

平成28年7月22日

164頁・世界中から注目されて・

167頁・夕張の未来のモデルケースに・平成28年7月22日 金曜日・

現在、若い世代が政治への関心が薄いという問題が取り上げられることがあります。私が公約として実行しているもののなかに「東京都との連携」があります。2,012年の夏にこの連携の一環として「高校生夕張キャンプ」というものを実施しました。東京都内の高校生が夏休みを利用して「夕張」を体験するという事業です。7月から8月にかけて開催し、三期に分かれて計134人の高校生が夕張を訪れ、農業やスポーツを通じて市民と交流しました。

一気では、東京都の商業高校や農業高校の生徒達が、夕張メロン農家での農作業体験などを通じて、夕張を以下に全国にPRしていくのかを、自らが学校で学んだ技術を生かして考えました。167・

168頁・二期と三期では東京都のスポーツ強豪校が夕張の雄大な自然のなかで道内の強豪校と試合をするなどして交流を深めました。

事業に参加した高校生達と夕張の高校生達が交流する場面がありました。最初こそ夕張の高校生達は、都会の高校生と言うことでどんな生徒が来るのか、どんな交流になるのかと緊張気味だったようです。それは都内の高校生も同じでした。しかし、想像とは違ったようで意気投合。すぐに友達になった生徒も多くいたようです。

私は東京都から来た高校生達への挨拶で、

「皆さんは夕張へ来て、道を歩く人たちは少ないし、高齢者も多いので、驚いた人も多いかと思います。けれど、今の夕張は日本が借金を抱えて、高齢化が進むなかで、これからの日本の姿になるかもしれません」

と伝えました。そして参加した高校生には「負の遺産ツアー」とも言われる施設見学や、地域の人たちの話を聞いたりする時間も取りました。168頁・

169頁・平成28年7月22日

都内の高校生達は「高齢化」や「財政破綻」

171頁・「政治」と聞くとつい一線を引いてしまいそうになりますが、

 

176頁・未来モデルを目指して・

177頁・筋力トレーニング・

178頁・高齢化率約44%。

182頁・早期再生モデルを目指す・

183頁・語り合いこそ知恵の源・

185頁・市営住宅が4,000戸・

193頁・広い夕張市は、中学校を11年度に小学校六校をそれぞれ一校に統合、

199頁・夕張も大変だが、他の自治体も大変だ。

203頁再建努力世界も注視・

206頁・「明日」を開く三者協議・

210頁・友情の都バス、市民の足に・

平成28年7月21日


皆さん私どもの手で島を活性化しませんか

私は荒れた先祖の田雲の山林を採石業者の破壊から守り・アダン・ソテツ・シャリンバイなどで増やし・自然の状態に戻して来ました、自然の状態で、未来に残しました。

貴重な予算は税金・行政職員には、予算の優先順位などを考えて予算を組んでいません、を奄美大島の中程の田雲川には橋を架けないで、経済的な島の人々の生活向上はできない。

・役人さまでは創意工夫はできないし、予算を例年通り、使い国民の貴重な血税を、使い方を? 考えないから奄美大島のネットワークが切れているのに・対策を考えないで・和光・おがみ山ルートを強行して・太平洋側に道路を作ってこなかった、この損出は大きいのです、LCCが2便も都会から飛んでくる時代に、受け皿を考えない自公の政治・

ガソリン税自動車は月平均一軒あたり、8,000円×1,000軒では800万円も一ヶ月に払っている血税を有効に活用しましょう?

役人にはできない・未だに奄美市の土木課は計画ないと申します?!

田雲川に橋があったら・田雲線を整備したら・戸口から田雲まで人が住んでいない?!

アマシンは本来、島の経済的自立のためなのに、行政職員には責任もノウハウもありません?組織がそうなっていいます、職員に奄美大島の再開発を任せてきました。

仕事しては、林業・牧畜・農業など・滞在型リゾート民宿など?地元の聡明なる主婦の仕事が増え、雇用増で元気な離島社会が実現?山林を管理して赤水を流さなければ豊かな海に戻る戦後この仕事に投資をしてこなかった政治?私たち国民の手で計画プランを作り実行していきませんか?

鹿児島県奄美市名瀬崎原田雲534・瀧田 好治・0997-69-3195

takita@po.synapse.ne.jp平成28年7月21日



地元の皆さん考えませんか?!!

アマシンは本来、島の経済的自立のためなのに、行政職員には責任もノウハウもありません?無能な職員に奄美大島の再開発を任せてきました。役人にはできない?!

貴重な予算は税金・なのです、島の中間点の田雲川には橋を架けないで、島の人々の生活向上はできない。ガソリン税は毎月+消費税も入れて、平均一軒あたり、8,000円・も支払っているのに、奄美市の土木課は予算がないからと計画してないという。

行政職員には、予算の優先順位など、・役人は創意工夫はできない、予算を例年通りつく、国民の貴重な税金を、使い方を?職員にはできない・・改革は・税金の使い方~予算案・・行政職員・・町長で案を、議会議員は~行政職員に踊らされている。

田雲橋があったら、奄美大島の経済的の向上・奄美大島人口増可能の島100㎞を約1時間で繋ぎ、バス交通業が可能・人々の移動の自由化で活性化、できる税金の無駄を省ける公立学校の統廃合で余った学校をホテルなどに再活用する・税金を安くできる、奄美空港から瀬戸内町まで約1時間で行けたら、大島は受け皿として海山の見える・民宿・滞在型 リゾートを、賢い主婦の仕事が生まれる。

田雲橋と田雲線があったら、この間約7㎞に人が一人も住んで言いない・小さなリゾートで都会の人が海を眺めながら、山歩き、海岸歩きで、休養できる、

予算は優先順位を、田雲橋は順位が上位だ、島に住む国民が計画プランを考えて、実行していけば、島の発展は間違いない?

瀧田 好治

takita@po.synapse.ne.jp

平成28年7月20日



平成28年7月19日 火曜日・週刊現代・16年5月28日号・

全国民必読ぶちぬき15頁・・!就職するなら公務員。高い給料と退職金・年金、休み放題、充実の福利厚生、そして仕事の責任は問われません・

役人だけが幸せな国・増税で国民に負担は強いても、自分たちの既得権益は死守する・・・それが彼らの行動原理だ。「官尊民卑」という時代遅れな言葉がふさわしい公務員天国の実態。

第一部・民間はヒーヒー言っているのに・血税でラクちん人生を満喫する公務員達・第二部・検査は何かが起きてからやるんです・もちろん、仕事なんかしていません?!

第一部・民間はヒーヒー言っているのに・血税でラクちん人生を満喫する公務員達・「財政赤字だから増税」と国民を脅す一方で・

役人達はいつの間にか自分たちの給料だけ上げていました・

・バブル崩壊後も右肩上がり・

今年1月、改正給与法が成立し、国家公務員の給与が2年連続引き上げられることが決まった。「一般職の平均年間給与は6万円ほど増えて、667万円。本性の課長クラス酢で約15万円増の屋久1,196万円になります。

2年連続に引き上げは、24年ぶり、バブル期以来です」(経済ジャーナリスト磯山氏)90年代初頭のバブル崩壊後、日本経済はじりじりと後退し、失われた10年とも20年とも言われる時代が続いてきた。民間企業の多くでボーナスや給料のカットが当たり前になり、もはや給料は「上がるモノ」ではなく「下がるモノ」というムードが定着しつつある。

だが、そのような右肩下がりの経済など、どこ吹く風というように余裕綽々シャクシャク・と生きている人々がいる。公務員だ。

「民間に比べて著しく高い公務員の給与がボーナスをこのまま放置すると、日本という国は役人に食いつぶされてしまう」と危惧するのは、政治アナリストの伊藤氏だ。

43頁・「民主党政権は公務員の人件費を2割削減することを目標に掲げましたが、支持母体の連合労組の抵抗にあって、何もできませんでした。現安倍政権においては、公務員制度改革や行政改革という言葉すら聞かれなくなった。

「公務員天国」に対する批判はずっとありますが、その実態は数十年前から変わっていません」

・実際、どれくらいの官民格差が存在するのだろうか。昨年4月時点での国家公務員(行政職)の平均月収は40万円8,472円。最もこの額には各種手当てなどが含まれておらず、実際には前述のようにさらに多くの額を受け取っている。一方で民間企業の平均月収は29万3,833円8国税庁「民間給与実態統計調査」より)。官民の格差はおよそ1/4倍である。

許し難いのは、「財政赤字を穴埋めするために増税が必要」という論理を振りかざし、国民に痛みを強いる一方で、公務員は自分たちの給料だけ上げ続けてきたという事実だ。

・実際、バブル崩壊時の91年には国家公務員の平均月収は28万5,790円と、民間企業の29万3,000円より少なかった。それから四半世紀、日本経済を支えるサラリーマン達が血のにじむような努力をしながらも、給料アップとは無縁で働いてきたのに対し、公務員はあたかも高度経済成長にあるかのような「右肩上がり」を享受してきたのだ。

・元財務官僚の高橋陽一氏が、公務員の給料が決められるカラクリを解説する。「公務員の給料は、人事院が決めています。人事院は、従業員50人以上、事業所規模50人以上の企業をサンプルに平均給与を算出し、祖霊もとづいて国家公務員の給与を決めていると言っています。しかし、これは国民を欺くテクニックです。

・実際に人事院がサンプルにしているのは、後者の「事業所規模50人以上」の企業です。50人いる事業所が全国に10ある企業であれば、社員は500人以上いることになる。つまり、人事院は中小企業は初めから勘定に入れず、上位1~2%程度の大手一流企業だけを参考にして、公務員の給料を決めているのです。

・政府は全社の給与データを把握しています。本来なら、民間企業すべての給与のデータをもとに公務員の給与を決めるべきです。ところが前者の平均値を参考にすると、公務員の給与は激減してしまう。それで既得権益を守ろうとカラクリを仕掛けているのです」

・各種「手当」でウハウハ・

高給に見合う働きをしてくれるなら、公務員が一流企業並の給与をもらっていても納得がいく。だが、仕事内容が同じであっても、官民の格差は埋めがたいモノがある。総務省の資料によると、都道府県の学校給食員は民間の調理師と比較して、約1/4倍の給与をもらっている。同じくバスの運転手の官民格差は1・43倍、守衛は1・83倍、用務員は1・86倍もの格差がある。

・しかも公務員である限り、リストラにあう可能性はほとんどゼロで職の安定性が保証されている。これぞまさに「官尊民卑」以外の何ものでもない。

・公務員達は、自分たちの給料を低く見せることに必死だ。著書に「公務員の異常な世界」があるジャーナリストの若林亜紀氏が語る。

「毎年、6月・12月になると、内閣人事局から国家公務員のボーナス額が発表されますが、昨年6月は「1/975ヶ月分=62万円」と発表された。しかし、人事院の給与報告書を見ると、平均月給が約42万円なので、ボーナス額は83万円になるはず。約20万円もズレがありました。

・実は、62万円というのは管理職でない、つまりヒラの公務員のボーナス額なのです。事務系の国家公務員は全国に14万人いますが、このうち過半数が管理職以上でヒラは半分に過ぎない。発表されたボーナス額は、係長以下の若手の給与だけを反映している「まやかし」の数字なのです」

・いかにも既得権益を守るために役人が考えそうな手だ。

・加えて、公務員は各種手当ても充実している。43頁・

44頁・平成28年7月19日 火曜日・平成28年7月20日 水曜日・

「かつては、メガネを買っただけでもらえる「メガネ手当や」、親睦会に参加したらもらえる「元気回復手当」、映画を見たり野球観戦に行ったりするともらえる「観劇・観戦手当」など、信じられないような手当てを支給している自治体もありました。さすがにマスコミに報じられて批判が巻き起こり、廃止されたものも多いですが、未だに民間の基準から考えると首をか傾下宅なるような手当もありますね」(若林氏)

・例えば「独身手当金」。これはけんっこんしないひとが結婚祝いを受け取っていないことを穴埋めするための手当だと言うが、それならそもそも何のために「結婚祝い」を渡しているのか、わからない。

・他にも「精神的緊張感を伴う」窓口業務について払われる「窓口手当」。悪質なクレーマーだらけの窓口ならわからなくもないが、実際にはそれほど緊張し強いる窓口があるとは思えない。このような不適切な手当は、たとえ廃止されても次から次へと新しく増設されるのでたちが悪い。

・このように日本社会は、民間のサラリーマンからはあの手この手で血税を搾り取りながら、自分たちの既得権益には目をつむる役人達ばかりが甘い汁を吸う構造になっている。来年4月には消費税が8%から10%に増税される予定だが、それ以前にメスを入れるべき既得権益はまだあるはずだ。

・掛け金が少なくて、支給額が多い・「年金」充実で公務員の老後だけは安泰です・

・月5万円以上も多い・

「昨年10月より、サラリーマンの年金制度である厚生年金が公務員の救済年金が一体化されました。年金の官民格差は解消されたように見えますが、それ以前に加入していた期間は旧制度で計算されるので、年金における公務員優遇は未だ続いています」こう語るのは、年金問題に詳しいジャーナリストの岩瀬達哉氏だ。

「共済年金では、厚生年金には存在しない、職域年金という部分がありました。つまり、公務員は基礎年金(国民年金)+共済年金+職域年金と3階建ての手厚い年金制度を享受してきたのです」(岩瀬氏)

・実際、公務員の年金支給額は民間平均に比べて月5万円以上、年間60万以上も高い。10年度の厚生年金の平均受給額が16万5,000円(基礎年金含む)だったのに対し、国家公務員共済年金は21万7,000円、地方公務人共済年金は22万5,000円も支払われている。加えて共済年金加入者は、厚生年金加入者に比べて、納める保険料も少なくて済んだ。

・職域年金という制度は、「民間には企業年金という3階部分があり、それに相当するもの」として説明されてきた。しかし実際、企業年金があるのは一部の優良企業だけだ。

・しかも企業年金は、サラリーマン達が自分たちで稼いだカネを積み立て運用している「自前のカネ」。一方で職域年金の元手は税金から支払われている。

・45頁・血税をネコババして、自分たちの年金制度を充実させているわけだから厚かましいというほかない。

制度の一体化で、このような不平等は解消されつつあるとはいえ、過去に積み上がった官民格差が解消されるようになるには今後何十年もかかるだろう。また職域年金も、以前よりは給付水準が引き下げられたとはいえ、「年金払い退職給付」と名を変えて存続することになる。

・そもそも、厚生年金と共済年金の一体化が、単に官民格差の解消のためだけに実現されたと考えるのは間違いだ。

・実は、公務員は脇世代の採用を絞っているため、現役世代が年金受給世代を支えきれない、いびつな人口構造になっている。共済年金は現役世代1・52人が1人の年金受給者を支えなければならない(厚生年金では2・32人)。

・つまるところ官民格差解消を隠れ蓑にしながら年金を一元化して、公務員だけでは維持できない共済年金制度を民間サラリーマンにも支えてもらおうという魂胆なのだ。

・公務員が恵まれているのは年金制度だけではない。退職金の官民格差もかなりのものだ。

「民間では、退職金の額を計算するのに在籍していた全期間の給与額を平均した数値を用います。しかし、公務員の退職金を退職時の、最も給与が高い時期の数値をもとに計算される。当然のことながら、民間より手厚い額が受け取れます」(前出の岩瀬氏)

・国家公務員が定年まで勤めた場合の退職金は、平均で約2,167万円(14年度)天下りなどのために早期退職をして、退職金の上積みをした場合は平均で約2,781万円も受け取っている。

・一方で、民間はどうか。そもそも4社に1社は退職金制度自体が存在しない。従業員10人~49人の中小企業の場合、大卒で約1,282万円。従業員100人~299人の会社でも1,718万円(大卒)と、公務員とかなりの開きがある。

国家財政の危機を煽りながらも、役人帯は抜け目なく、ちゃっかりと自分たちの老後を安心設計しているのである。45頁・平成28年7月20日 水曜日・

・休日は民間の倍・

ああ幸!こんなに休んでこんなに福利厚生・サボったもの勝ち・

「公務員は初年度から年次有給休暇が20日ももらえます。消化率も民間より高く、好きな時に休みやすい環境にあることは確かです。なかには、まるまる2週間休んで海外旅行に出かける「強者」もいましたよ」

・こう語るのは、自身も役所勤めの経験があるジャーナリストの若林氏だ。ちなみに労働基準法に基づけば、民間サラリーマンが公務員と同じく20日の有給休暇の権利を得るためには、6年間も勤務する必要がある。厚生労働省の資料によると、民間の労働者が取った有給休暇の日数はねんに8・8日(14年度)。一方、国家公務員は13・1日と4日以上多く休んでいる。

・これだけ見ると、それほど大きな差はないように思えるかもしれない。しかし、実態は違う。「公務員には20日の有給休暇の他にも、男性育児休暇、夏期休暇、官公署への出頭休暇、ボランティア休暇、結婚休暇、保育や子の看護のための休暇病気休暇と、人生のありとあらゆるリスクに備えた有給休暇制度があるため、旅行や休息以外のために年次休暇を取る必要がないのです」(若林氏)。45・

46頁・平成28年7月20日


龍郷町を国民と主権者の政治を・話し合いで・役人が決めるのではなく・国民が決めていく・

目標?龍郷町を日本で初めての、人口増・一万人にする、町に変えて行くには町民、全員で考えて物事を決めて決定して、実行を?

龍郷町議員と主権者に、つながる主権者とのパイプは、メールアドレスで繋ぐ、町長以下、龍郷町の幹部は作業日誌を記録して、主権者が判断してどんどん公表していく、通信簿は国民の権利、です。

2・主権者・町民との約束・役所は、貴重な国民の税金・保険料を使う立場ですから、1円の無駄も許されない、国民の生活向上に使うには。

龍郷町と、国民の間の契約書・条例化が必要だ。

議員には主権者が通信簿をつける必要、条例化して日常の日記を公開して、町民の審判を受ける、

有識者と役人で政策を決めるのではなく・龍郷町議員が提案・条例化・議員同士が議論を初めて決めていく。

龍郷町内に・資金を回す仕組みを作る・空き家など・風力・松などをペレットで発電・生ゴミ・糞尿などをバイオマスで、ガス発電、上澄み液を肥料にして、

大美川・他を草刈りして土手を守る対策して、桜など植えて、きれいな龍郷町で観光客を呼び込み空き家などを利用して民宿、雇用対策、昔の山道で散歩コースを案内して、人々を楽しむ

全国の若者達を農地を使わせる仕組みを、作り、呼び込む、

貴重な雨水を溜め池文化を生かす、田んぼの復活水管理必要だ。

平成28年7月4日 月曜日

 

みんなで力を出して、知恵と努力で捻出した財源で、脱霞ヶ関、村長が・働かない職員を民間量販店に研修に出したら、職員も働き出した、

 

奄美大島ではなかった、雇用対策を、とりあえず、人口1万人を目標にして、龍郷町の企画管理で・

まずは、山林の管理、龍郷町は緑の多さは、人口比で世界一だと思う、黒松を燃料にして、電力発電で働く場を確保、イジュウの樹を育てて、販売、河川の管理、をして大美川・仲勝川・戸口川すべて桜並木、草木管理で美しい龍郷町を、

 

農地の100%活用・農業委員会を活用して・全国から若者を呼び込み農業経営をしてもらう、東横インを誘致・土地を提供したらノウハウを持って、経営して・龍郷町の女性を雇用してくれます・が働ける場所です・奄美大島五町村で奄美大島を新型バスで・送迎します・低額の運賃を・

 

鹿児島県大崎町が成功したゴミの完全分別で・中間処理場でこれも民間の会社で作ったほうが国の補助金より安価で・雇用が生まれる・生ゴミは完全堆肥化に・分別のゴミは問屋が引き取りに・集落の収入になります、これは家内と一緒に・視察して資料もあります・

 

龍郷町を経営、コンセプト・

 

他地区の人々と話し合いは有意義と思いますので?

突然のお願いで驚かれたと思いますが?

奄美群島は仕事を掘り起こしすれば・可能性が多いの・山も川も・海も手当をしてあげないと育たない!!?一緒にやりましょう?

奄美ターミナルビル株式会社は・鹿児島県と奄美群島市町村で作りました・資本金は税金で・株式は奄美群島市町村と一部は他の人で・これは税金ですので・国・奄美市町村の税金なので・返すべきもの・株式を売却して・公開すれば・国民はその金を予算として使えます。

日本全国で・空港の経営の民営化が始まっています。

奄美大島も・働く場を作って行くには、奄美空港を苦しくとも経営をして、今の社会は航空機で旅行、移動する時代です、現在の笠利空港は・ろくな食事と、泊まる場所もない、レンタカーを使わないと、国民は移動もできないのは、公共バスを限りなく安価に、利用促進を考える仕組みを作る。

行政がやると非能率なことが多いので、国民が経営に参加しよう!?

今奄美大島の雇用対策を・何事も自分たちでやる覚悟を・失敗から学ぼう・

奄美群島市町村は・鹿児島県職員の指導に従ってきた、行政の仕事は市町村が十分にカバーできる、奄美群島合計職員 2・004人・を奄美群島国民が養って、長野県下條村は、村長が、何事も村民全体が働き、少子化対策を克服しました?!

 

2016年1月20日 (水)「生活道路はあなたたちで造ってください」2009年10月15日・日本の未来が見える村長野県下条村、出生率「2・04」の必然、霞が関を頂点とした中央集権的な行政システムが日本の国力を奪っている。霞が関は省益確保に奔走、特殊法人は天下りの巣窟となっている。効果に乏しい政策を検証もなく続けたことで行政は肥大化、国と地方の二重行政と相まって膨大な行政コストを生み出している。・「民間企業に比べれば、役所の業務は無駄だらけ。役所のスリム化は今からでもできるし、最初にやらなければならない」と伊藤村長は言う。この10年、

http://amamioosoma.synapse-blog.jp/yosiharu/2016/01/20091015204-eaee.html

10:11 2016/06/22

引用・自治体をどう変えるか (ちくま新書) [新書]  佐々木 信夫 (著)

財政規律を失った国家の破綻、存在感が薄れる府県、平成の大合併など、わが国はいま明治維新、戦後改革に次ぐ、大改革が求められる「第三の波」に遭遇している。行政活動の三分の二を担う地方は、二〇世紀の集権下で行われてきた他者決定・他者責任の経営から早急に脱皮しなくてはならない。豊富なデータに基づく具体的な提言を行いながら、「官」と「民」の関係を問い直し、分権下の地方自治、新たな自治体経営の方向を示す。内容(「MARC」データベースより)

2015年9月13日 (日)・・・議会は政治の中心・自治体の決定者」・116頁・脇役から主役へ」120頁・

http://amamioosoma.synapse-blog.jp/yosiharu/2015/09/post-fe81.html

10:17 2016/06/22平成28年6月21日 火曜日

面談して良い対策を立てませんか?+

http://www5.synapse.ne.jp/takita/#rinkuhe

takita@po.synapse.ne.jp

大島郡龍郷町大勝3113-1

瀧田 好治

平成28年6月23日 木曜日

奄美新聞・引用

町の方針は変えない・」クルーズ船問題・徳田町長ら現地視察・龍郷町・

龍郷町芦徳集落におけるクルーズ船寄港地建設計画に関して受け入れを断念する方針を示していた徳田康光町長は27日、役場担当課長らと共に海上から現地視察を行った。

今日28日には芦徳集落住民を対象にした説明会や意見交換会を予定している。現地視察を終えた徳田町長は「昔から知っている場所だったが、改めて素晴らしいところだと感じた。自然と共存し、保護しながら龍郷町を発展しながら龍郷町を発展させる計画を考えていきたい」と語った。

・同視察には徳田町長を始め、関係担当課長ら10人が参加。徳田町長らは龍郷集落の港を午後2時に出発し、1時間かけて計画案が出されている芦徳集落の北側の海岸線を巡り、周辺環境を線上から確認した。

・計画案の中で取り上げられたアクティビティ施設予定の海岸や大型船が寄港する桟橋の設置付近では船の速度を落としてじっくり確認する場面も見られた。

・今回の視察について徳田町長は「もともと知らない場所ではなく、陸上からの視察は行ってきた。しかし、やはり海の上から見ることは大事と思い実施したと説明。徳田町長は19日の会見で受け入れ断念表明しており、クルーズ船会社(ロイヤル・カリビアン社)には地元関係者を通じて報告しているという。「(クルーズフナ会社からの)返事はまだ無い。今後、町の方針を変えるつもりはなく、この先新たな会社の話が出ても地元の意見がダ字だと思っているので、情報をオープンにしていきたい」とした。

平成28年7月28日


篠原・逢坂産記事・

勝山浩平様・お付き合いをお願いします、他地区の人々と話し合いは有意義と思いますので? 

突然のお願いで驚かれたと思いますが? 

私は昭和10年生まれ・父母の故郷へ平成7年・東京から定年を迎え帰郷して・故郷を開墾手入れをしながら現在に至りました。妻の親の出身が大棚ですので、墓参しに参ります。勝山さんと友人になりたいと考えております、どうかお聞き入れて下さるようにお願いします。

奄美の将来などを共に考えていきたいと思っています。

 宜しくお願いします。

大島郡龍郷町大勝3113-1

瀧田 好治

0997-69-3195

takita@po.synapse.ne.jp

平成28年6月13日 月曜日

勝山浩平氏・平成28年6月11日 土曜日・

かつやま・こうへい・5月の村議選ではトップ当選を果たし、今期4期目を迎えた。地元名音で昔から楽しんできた釣りなど海遊びは趣味の一つ。「最近量が減ってきた」というがお酒も大好き。大島高校の同級生だっためぐみ夫人と(42)との間に中学生の娘と、今春小学校に入学した息子。41歳・

平成28年6月13日・5月31日に開かれた大和村臨時議会で、指名推薦を受けて第32代議長に就任した。村議会8議員の中では最年少。

 

 パレット・テーブル・

 大和村議会だより

大和村議会は、8名の議員で構成され、常任委員会は総務建設委員会があります。

村議会議員紹介ページはこちら ◾議員は全員常任委員会に所属しています。

◾議会運営委員会の委員は、4人で構成されています。

◾議会だよりは、年に4回発行され、編集委員には議会運営委員会のメンバーがなっています。

◾議会では、村政策の決定や行財政運営等、事業の実施を適性・適法になされているか、公平・効率的で民主的に行われているかを監視しています。

◾常に住民の福祉向上を考え、村民の立場で活動しています。 

議会だより

http://www.vill.yamato.lg.jp/yamato03/yamato38.asp

0997-57-2111/

Oosakisann/6/13/2016

 

 

16:25 2016/06/11

歩行アシストロボット・

 

大和村名音280・

0997-58-3232・

携帯・090-4773-5175

 大和村議会議長・になった・勝山浩平氏・平成28年6月11日 土曜日・

かつやま・こうへい・5月の村議選ではトップ当選を果たし、今期4期目を迎えた。地元名音で昔から楽しんできた釣りなど海遊びは趣味の一つ。「最近量が減ってきた」というがお酒も大好き。大島高校の同級生だっためぐみ夫人と(42)との間に中学生の娘と、今春小学校に入学した息子。41歳・

平成28年6月13日・5月31日に開かれた大和村臨時議会で、指名推薦を受けて第32代議長に就任した。村議会8議員の中では最年少。緊張感や重責を感じながらも「ベテラン議員の指導も頂、議員がそれぞれ、選挙で訴えてきた政策を村政に具現化できるようにしていきたい」。議会の舵取り役に意欲を示した。

「小さくとも光り輝く村へ」を将来の理想像に、村は今年度から総合戦略に上げた各施策を順次スタートさせた。村政の一翼を担う議会の立場から人口減少対策を喫緊の課題に挙げる。

「県内でも屈指では」と村の子育て支援策に自信をのぞかせる一方で、「働く場が少ないことは(人口減少の)大きな要因につながる。

企業や創業を考えている若い人も増えてきている。その際の支援や、住宅環境整備などの充実も」。

また、14年度から事業着手された、主要道名瀬・瀬戸内線、国直・名瀬根瀬部感トンネルの開通に期待を込め「大きなチャンス。交流人口の拡大増加が見込める。村の魅力をさらに見出し、発信していき、Uターン・Iターン者を呼び込めたら」と話した。

ミカンコミバエ発生・進入に伴う緊急防除区域が早ければ7月9日にも解除される方針が先日示される方針が先日示されたが、村が主産地である奄美の代表的果実「奄美プラム(スモモ)」は収穫期を迎え、集出荷作業が本格的にはじまっている。「まほろば館で販売しているスモモソフトクリームに加え、今年はタンカン味を加え、今年はタンカン味を開発する予定。タンカンを初め福本盆地でつくられる大根、芋などの野菜も人気が高い。関係団体と協力しながら、付加価値を高めて販売できる方法なども研究していきたい」。農業振興への思いも強い。

有志議員らと共に議会改革の志し、14年に「村議会基本条例」、翌年には村議会議員政治論理条例」が制定され、議会力の向上だけでなく、日曜議会や夜間議会を設けるなど住民により近い村政・村議会を目指してきた。

「新人議員2人も、条例に盛り込まれる勉強会に参加してもらいながら、議会活動を早く学んでもらえたら。今後も議員達が自ら出向いて議会報告会や、村民と語る会などを設けて、その声を行政に提案したり、政策に反映させたい」。引き続き、議会の活性化にも情熱を傾けていく。平真樹記者・

平成28年6月13日 月曜日  


大和村議選立候補者  

当 勝山 浩平(41)無所属現  182

当 前田 清和(47)無所属新  168

当 奥田 忠廣(71)無所属現  164

当 蔵  正(52)無所属現   140

当 宮田  到(67)無所属現  136

当 重信 安男(49)無所属新  101

当 民  文忠(61)無所属現  99

当 池田 幸一(80)無所属現  92

  勝 三千也(56)無所属新  79

   江﨑 貞信(69)共産新   51

  開票率100%、21時確定

 15:02 2016/06/11

 

エームサービス・山村俊夫社長・社員食堂・売り上げ¥1599億円・現場力・病院・学校・ホスピタリーカンパニー・プレゼンテーション・

食育・健康日本食文化・コミュニケーション・フードサービス広島球団・バーベキューエリア・CCダンス・多彩なメニュー

政府・家庭をホテルに・民泊・進め・大田区・特区・

体験漁業を・

 

 

新聞記事・平成27年10月28日・伊藤氏に出馬要請へ・次期知事選で県町村会・

鹿児島県町村会(会長・東大崎町長)は2016年夏の実施が見込まれている鹿児島県知事選挙に対して26日、現職の伊藤祐一郎氏(67)に四期目への出馬要請を決めた。後日、正式に要請する方針。伊藤氏はこれまで自身の進退について態度を明らかにしておらず、今後の動向が注目される。

喜界町で同日開かれた定期総会の席上、米満湧水町長が、緊急動議として伊藤氏への出馬要請を提案。

出席首長の満場一致で決議した。伊藤氏周辺も含め、公の場で鹿児島県知事選へ向けた動きが出たのは初めて。

鹿児島県伊藤知事は04年の知事選に初出馬し当選。現在三期目。16年7月27日に任期満了を迎える。県町村会は、鹿児島県伊藤知事が要請に応じた段階で推薦を表明する。平成27年10月28日 水曜日

鹿児島県町村会

鹿児島県町村会 

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鹿児島県町村会 鹿児島県の町村情報 観光、行政、イベント等どをお届けします。

 町村会とは

町村会事務局内関係団体名簿

町村一覧(町村長名簿)

町村会による情報システム共同化で事業コストを削減[1]鹿児島県町村会 www.j-lis.go.jp/lasdec-archive/its/bestpractice/.../e1.html


地方公共団体の財政状況は厳しさを増し、情報セキュリティ対策のための予算を確保 することが厳しい状況となっている。こうしたなか、鹿児島県町村会では、機器の購入や 業務の委託を他団体と共同で行うことにより、同じ機器や業務を一括で発注しコスト削減  ... 

全国町村会役員名簿

www.zck.or.jp/aboutus/yakuinmeibo.html

副会長政務調査委員(行政委員会), 村 上 英 人, 宮城県町村会長, 蔵王町長. 副会長 政務調査委員(経済農林委員会), 古 口 達 ... 委員会), 黒 木 定 藏, 宮崎県町村会長, 西米良村長. 政務調査委員(経済農林委員会), 東 靖 弘, 鹿児島県町村会長, 大崎町長  ...

鹿児島県市町村情報センター

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鹿児島県市町村情報センターでは自治体の情報化推進に対し、既存業務システム における電算維持管理費の抑制と高度情報化に伴い年々増大する情報化経費の適正 化を目的に事業推進を行っています。 本センターでは、「資源(人材・情報・知識)の共有 」・「 ...

http://tva-kagoshima.jp/

http://www.tva-kagoshima.gr.jp/link/link.html

8:33 2015/10/28

7/4/2016 8:38:41 AM



週プレ通!メルマガ《CLUB 週プレ!》 Vol.492==6/15/2016

池田和隆の政界・斬鉄剣!!!タブー全開!権力と既得権益のブ厚い岩盤をブッタ斬る!!038・国会の最終日、なぜ議員会館は官僚達で埋め尽くされるのか?

・腹の底で馬鹿にしにしながら全与党議員に「お礼参り」・

池田・「ついに通常国会が閉会しました。政界用語で「常会」と呼ばれる通常国会は1月から始まって150日間ほど開催されます。

今週は、毎年この時期に永田町で繰り広げられる、ある風物詩的な光景を紹介しましょう。その裏に、ある重大な真実が隠されているからです」

・風物詩的な光景?・

池田・「閉会した当日の衆議院と参議院の議員会館内は、縦横無尽に歩き回る大量の霞ヶ関官僚達で埋め尽くされています。彼ら国会議員に「お礼」をするため、与党議員全員に対して挨拶回りをしているのです」

・何対するお礼なの?・

池田・「各省が作成した法案を通常国会で成立させてくれたことに対するお礼です。例えば、こんな感じです。「あ!△△先生!!□□省でございます。○○法では大変お世話になりました。誠に有り難うございました」と。この一見なんでもないように見える光景に、非常に重大な意味が隠されている。役人達は徹底して低姿勢ですが、実は腹の底の奥で国会議員をバカにして、高笑いしているのです」

・どういうこと!?・

池田・「これを理解するには、まず永田町と霞ヶ関に与えられた権限と役割を再認識する必要がある。

この国のルール、つまり法律を作る「立法」という強力な権限を持っているのは国会です。ビジネスでもスポーツでもどんな世界でも、ルールを作る側が一番強いに決まっている。

だから、この国で最も強い権力を持っているのは国会なのです。その構成員である国会議員を選挙で選べるから、民主主義が成り立つわけです」

・一方、霞ヶ関の役割は?・

池田・「国会がルールに基づき、内閣と国会が決めた政策を「執行」するのが霞ヶ関の役割です。

でも、現実を見てください。ほとんどすべての法案が、霞ヶ関の役人達が作成しています。その法案を内閣に上げ、閣議決定されたものが国会審議を経て採決される。本来、この国で最強の権力を持っているはずの国会議員は、何もせずに採決を行うだけのマシーンに成り下がっているのです」

・とはいえ、最終的な決定権は国会にあるんでしょ?・

池田・理屈ではそうですが、現実はそうなっていない。例えば、今回の国会で成立した法律は70本以上もあります。先ほど通常国会の会期は150日間だと言いましたが、土日祝日を除けば約100日に過ぎない。70本以上の法案を100日でちゃんと審議できますか?

結局、与党議員にとって上司に当たる内閣が決定した法案には、与党議員が全員賛成するだけ。逆に、野党議員は何もかんがえずに、自動的に反対するだけなんです」

・つまり、霞ヶ関の各省庁が作った法案が内閣に渡った時点で、実質的には成立が決まってしまっていると言うことか。・ 

池田・「その通り。行政機関の霞ヶ関が事実上、立法権までも手にしている。自分たちでルールを作れて、その執行もできるのでは、まさにやりたい放題。

しかもここが一番重要で深刻なのですが、役人を選挙で選ぶことができない。つまりこの国は、民主的なプロセスを得ていない連中によって支配された独裁国家なのです」

・ここでようやく、通常国会の閉会日に繰り広げられる風物詩に潜む「闇」が見えてくる。

池田・「役人達は、とにかく低姿勢で国会議員に挨拶回りをする。与党の幹部議員に対しては局長級が出向く。霞ヶ関官庁の局長ともなれば、その社会的な「格」は大企業の社長以上。自尊心の高い国会議員達はいい気持ちになり、満足しちゃう。

法案も考えずに、ラクをして偉くなった気分になれるのだから。ちなみに影響力を持たない若手議員に対しては、課長や室長級が出向きます。彼らは表向き、目上である国会議員に低姿勢を貫きますが、南進では上から目線で値踏みしながらコントロールしている。そして日本国民を完全に支配しているのです」

平成28年6月18日 土曜日

平成28年6月15日 水曜日


大臣秘書経験者が明かす、政治家の接待&買収はこんなにスゴかった!

週プレNEWS 11月4日(火)6時0分配信・ 政治家たちのセコすぎるゴマかし行為が続々と発覚している。ついには大臣までもがワインやうちわを有権者に配ったことで辞任に追い込まれる始末だ。

そこで本誌は、ほかにもさまざまな違反行為が横行しているだろうと確信。調査を進めてみると、予想を超えるほどハードな接待&買収工作の実態が明らかになった。

最初に話をしてくれたのは、第1次安倍内閣時に農林水産大臣だった松岡利勝(としかつ)氏(故人)の政策秘書を務めていた池田和隆(かずたか)氏(47歳)。

「秘書はもう辞めていますし、松岡さんは故人ですが、お世話になった代議士を悪く言うような証言はできません。しかし、私が秘書をやっていた20年弱の間に目撃したことを“個人名抜き”でお話しすることならできます」

 

大臣クラスの政治家ともなれば、東京と地元にそれぞれ多数の秘書を抱えている。池田氏が務めた政策秘書とは、秘書のなかでもナンバーワンのポジション。現職の大物政治家たちがひっくり返るような事実もたくさん知っている人物なのだ。 

彼が証言してくれた政界接待の実態は、ワインやうちわなど吹き飛んでしまうほどスケールの大きいものだった。

「国会議員が安定して選挙に勝ち続けるためには、選挙の際に票をまとめてくれたり、熱心なボランティアの選挙運動員を大量に集めてくれたり、具体的な行動で支援してくれる人たちをどれだけ多く抱えているかが非常に重要なのです。

そういった支援者たちが次の選挙でも協力してくれるよう、彼らのご機嫌を取るのは当然の流れです。だって仕事や家事を休んでまで無給で選挙運動を手伝ってくれた人たちに対して、当選したらほったらかしでは恩知らず扱いをされてしまう。そんな評判が立ってしまえば次回の当選など望めません。

問題はご機嫌取りの内容です。資金力のある政治家ともなれば、後援会の幹部とその家族をまとめて海外旅行に連れていったりする例もあります。飛行機をまるごと一機チャーターして、東京や大阪の国際空港まで行かずとも地元の空港から海外に直接飛ばしちゃいます。買収行為にならないように参加者からは格安の会費を徴収するのですが、お得感満点の内容で喜ばせるのです」

そんな大規模な接待、一体おいくら万円かかるのか?

 

「政治家は地元の空港に影響力を行使できるので着陸料を安くしてもらえるし、航空会社も旅行代理店も国土交通省から免許を受けている事業だから国会議員に気を使ってくれて安くしてもらえる。連れていく人数と行き先にもよりますが、だいたい300万から400万円くらいで済む感じでしょうか」(池田氏)旅行以外ではどのような接待があるのだろう?

「都会の選挙区だとゴルフのプレー代って高いですよね? 高級なゴルフ場は3万円以上するし、高額な会員権を持つ人が同行しないとプレーもできない。そこで口利きのできるゴルフ場に頼んでプレー代を1万円とかにしてもらい、支援者たちからは会費を払ってもらってコンペを開催する。会費を取れば買収行為にはなりませんからね。

さらに政治家が口利きできる企業に頼んで、協賛してもらう形で高額な賞品を無償提供してもらうんです。例えば20万円くらいする大型テレビとか、そういうクラスの賞品を数社から出してもらい、コンペやビンゴ大会などを盛り上げるのです。

夏であれば屋形船を借り切って東京湾をクルーズさせたり、政治家によってやり方や規模はいろいろですね」(池田氏)

これは池田氏が現役だった第1次安倍内閣時代以前の中選挙区制時代から小選挙区制導入初期に行なわれていた例で、公職選挙法や政治資金規正法が厳しくなるにつれ、少しずつ派手な接待から地味な接待にシフトしているようだが、依然として接待行為は盛んに行なわれているようだ。

■この続きは発売中の週刊プレイボーイ46号にてご覧いただけます。

(取材/菅沼慶)

■週刊プレイボーイ46号(11月4日発売)「政界おもしろ接待&買収大全」より(本誌ではさらに秘書たちが実名で告白!)

15:59 2016/03/20

平成28年6月18日 土曜日


評判は散々なのに大出世の菅官房長官が官邸を牛耳れる理由

週プレNews  2015年5月11日 06時00分  (2015年6月7日 21時02分 更新) 

菅義偉官房長官の様子がどうもおかしい。地味で堅実なキャラで感情を表に出さないタイプの政治家だったのに、一部では官房長官という要職に長く就くことで権力者としての意識が強くなり、傲慢になったのではないかという声まで聞かれるほどだ。

現在の評判について、菅氏と仕事で接する機会の多い霞が関官僚たちに話を聞いてみると、その評価は総じて低い。「どうしてそんな人が官房長官にまで上り詰めることができたのか」という疑問が湧くほどだ。

そこで、菅氏が出世できた理由の一端を知る人物に話を聞いてみた。証言してくれたのは、第1次安倍内閣で農林水産大臣だった松岡利勝氏の大臣秘書官を務めていた池田和隆氏だ。

「松岡さんが事務所費問題や献金問題などで野党やマスコミからバッシングを受けていたとき、ウチの事務所に真っ先に駆けつけて声をかけてくれたのが菅さんでした。松岡さんと菅さんは派閥も違うし、それまでなんの交流もありませんでした。当時の官房長官だった塩崎さんなどは最後までひと声もかけてくれなかったのに(笑)」

菅氏は松岡氏に、どのような声をかけたのか?

「1回目の訪問時はとにかく『大丈夫だから』と勇気づけてくれていましたね。

そのときの松岡さんは言葉にこそ出しませんでしたが、内閣のほかの閣僚たちがどう思っているのかが気になっているようでした。政権維持のためにはさっさと辞任しろと思っているんじゃないかと、内心では不安だったのです。…

驚くべきことに菅さんは、そんな松岡さんの心中を察してくれたのです。最初の訪問の翌日だったと思いますが、再び事務所に来て、『○○さんも××さんも(当時の閣僚たちの名前)こう言ってたよ。だから大丈夫。頑張ろう!』と言ってくれたのです。

菅さんは付き合いのない人にも機敏な心配りができていたのだから、ほかでも同じような行動をとっていたに違いありません。一度でもそんな心遣いを受けた人なら、何かあったら菅さんに協力しようと思うのが人情というものでしょう」(池田氏)

菅氏は意見が食い違う議員たちを水面下で調整してまとめるのが得意とされる。だから、いろいろな政権で重用されるのだ。それを可能にさせているのは、多くの人の心をつかむ行動を積み重ねた結果なのかもしれない。

前出の自民党幹部関係者も菅氏の“成長”を証言する。

「昔の菅さんは確かに勝負勘がなかったけど、苦い経験を積み重ねた結果、今となっては政局を見る目が養われたと思います。

その証拠に、前回の解散・総選挙のタイミングは最高だったでしょう。解散時期の情報管理とリークの加減も素晴らしかった。この前の沖縄県知事選では自民党が推す候補者が負けるといち早く見越し、仲井眞知事(当時)に普天間基地の辺野古野移設を選挙前に承認させたのも見事だった」

勝負勘を身につけ、政権も安定している。しかし、最近の菅氏は記者会見でケンカ腰の受け答えをしてしまうなど、やたらと不機嫌なのが目立つ。…

週プレNews  2015年5月11日 06時00分  (2015年6月7日 21時02分 更新) 

それはなぜか?「ひとつの原因は、例えば自衛隊を『わが軍』と言ってしまったり、安倍さんの言動が粗くなっていること。今秋の自民党総裁選も無風決着が確定的で、超長期政権が現実的になってきた。緊張感が薄れ、安倍さんに油断が生まれています。以前のように菅さんの忠告もあまり聞かなくなっています」(自民党議員A氏)

沖縄の基地問題もストレスになっているようだ。

「沖縄の普天間基地移設問題について、菅さん個人は、沖縄県民を気遣いながら事を進めるべきだという考えのはず。しかし官房長官はあくまで首相の部下だから、安倍さんの意向に沿って、政府見解として公式発言をする責任がある。

(基地の移設を)『粛々と進める』という発言も、おそらく不本意だったはず。でもその発言が翁長沖縄県知事から『上から目線』と抗議された。さらに大きなストレスがたまっているに違いありません」(自民党議員A氏)

官房長官とはいえ、首相という上司に仕える“中間管理職”。世のサラリーマンと似たようなジレンマやストレスで不機嫌になり、時にケンカ腰にも映っているようだ。(取材・文/菅沼 慶)

http://www.excite.co.jp/News/politics_g/20150511/Shueishapn_20150511_47575.html?_p=3

http://www.bing.com/search?q=%e6%b1%a0%e7%94%b0%e5%92%8c%e9%9a%86+%e6%9d%be%e5%b2%a1&FORM=QSRE3

16:01 2016/03/20

引用

池田和隆の斬鉄剣!!!第1次安倍政権崩壊の震源地だった男・タブー全開・権力と既得権益のブ厚い岩盤をブッタ切る!!元農林水産大臣秘書官。1967年生まれ・熊本県出身。「農林族議員のドン」と呼ばれた故松岡利勝元農林水産大臣の秘書を16年務め、国家権力や利権、国の意思決定の実態を内側から目撃し続けた知られざる重要人物。第1次安倍政権の崩壊も、実はこの男が震源地だったのだ!

3/18/2016 4:34 PM

27・新国立の成果大問題に見るこの国の根深い無責任体質・

・国家を大危機に陥れても出世しちゃう官僚たち・・

・不手際が止まらない新国立競技場の問題、今度は、聖火台の場所が決まっていないという、意味不明な事態に陥っている。

・池田・「競技場の建設と運営の主体であるJSC(日本のスポーツ振興センター)は、聖火台はオリンピックに関する部分で、それはオリンピック組織委員会の管轄だと責任をなすりつけた。オリンピック組織委員会会長の森喜郎元首相は悪いのは文部科学大臣だと言う。遠藤利明五輪担当相に至っては、ザハ案のときに議論した気がしたけれど忘れていたと、およそ大臣とは思えないような弁解をしています」

・低レベルなやりとりだ・・・。

・池田・「これ、日本が大昔から抱える構造的な欠陥なんです。重要なことをすべて役人が決め、国家的な大失態が発生したラ政治家に責任を取らせる。だから本当の責任の所在が分からず、結局うやむやになるんです。このままでは、永久に根本的な解決はできません」

・過去の具体例を挙げると?・

・池田・「事例は無数にあります。日本の役人支配と無責任体質が昔から変わらないことが分かるよう、古い例と新しい例を挙げてみましょう。

 

・日露戦争の開戦前、陸軍省の砲兵課長は、一日当たり約360発の砲弾が必要だとする報告を上げ、次官も大臣もそれを了承しました。しかし実際に開戦してみると、「奉天の戦い」では一日に約8万発もの砲弾が使用されたのです。当初の目論見とは、実に200倍以上のズレがあったのです。

 

・慌てた陸軍省は、開戦後に日本中の工場をフル稼働させ、輸入もして、何とか乗り切った。しかしこの歩兵課長、日本を存続の危機に陥れるミスを犯したのに、責任を取るどころか、その後に大出世をしたのです。

・最近の例では?・

・池田・「消費税でしょうか。大蔵省(現財務省)は当初、法人税や所得税などの直接税の税率を緩和するため、間接税である消費税を導入しょうと説明していた。しかし、その後の不景気で税制が減り、法人税も所得税もほぼ下がらなかった。

・私かも財務省は自らの過失をうやむやにするため、消費税を社会保障費に充てる税だと方針転換をする。現在、社会報償費は年間で30兆円以上です。赤字国債発行額を除けば、日本の税収はだいたい40兆円。法外な社会保障費を減らす努力をしなければ、とても消費税だけでは追いつくものじゃない」

・消費税の失敗についても、だれも責任を取らないの?・

・池田・「その通り。景気は予測できなくても、人口構成比から見れば少子高齢化の加速は100%確実でした。しかし、財務省は消費税を導入しておきながら社会保障費の増大は放置し、財政赤字を大幅に膨張させた。

それなのに財務官僚たちは全員出世して、最高の天下り先へと散っていった。当然、厚労省の官僚も同罪です。

むしろ、デフらスパイラルで日本経済がマイナス成長を続けていた時も、霞が関は概算要求額を増やし続け、毎年のように「史上最高額」と勝ち取っているのです!」

・東京オリンピックの関連組織にも、責任を取らずに出世した代表格的な元官僚がいる。

・池田・「武藤敏郎オリンピック組織委員会事務総長です。彼は消費税導入に深くかかわり、大蔵省と財務省で事務次官まで上り詰めた。退官後は日本銀行の副総裁につき、現在に至ります。

 武藤氏は、五輪エンブレムのパクリ問題について、「専門家が関与し、責任を分担して結果を出す。組織として誰かが責任を取るという議論は分かるが、どこの誰に責任があるのかと言う議論はすべきではない」と会見で述べている。

 分かりにくい言い回しですが、発言のママです。責任の所在を明確にせず、誰が悪いのかをうやむやにして、失敗しても誰も責任を取らずに済む仕組みを守るための「ザ・官僚」的な発言なのです。決してだまされてはいけません。

平成28年3月18日 金曜日

平成28年6月18日 土曜日

平成28年3月20日

泰阜村では、必要な介護サービスは充分に受けて、自宅で暮らし続けてほしいとの願いから、限度額を超えたサービスは全額村が負担することにしています。

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2016/03/post-acc1.html

6:15 2016/03/18

6/18/2016 8:33:34 AM

8:26 2016/06/18

  鹿児島県大島支庁長・均衡ある発展に全力・奄美の有利性生かして・南さつま市出身。熊本大学卒。1,980年県庁入り。障害福祉課長や保健福祉課長、農地調整監、食の安全推進課長などを務めた。前回の奄美勤務では釣りざんまい。支庁の釣りクラブにも所属していた。「今回の赴任で、島の緑の美しさ、自然の豊かさを再認識した。存分に楽しみたい」。58歳。平成28年4月15日 金曜日役人が・越権行為・奄美群島市町村長が行うことを一役人が申している・群島市町村長は責任をとり総辞職せよ?!役に立たない鹿児島県会議員・予算の無駄を見逃

7:47 2016/06/18 

大臣秘書経験者が明かす、政治家の接待&買収はこんなにスゴかった!

http://www5.synapse.ne.jp/takita/ikeda%20jimintou%20kitanai.html

8:20 2016/06/18


引用・

拡張予定の奄美空港視察・IT事業者と意見交換も・鹿児島県議会企画建設委員・

鹿児島県議会の軒建設委員会(藤崎剛委員長、委員10人)は16日、行政視察のため奄美大島入りをした。2,016年度から大幅な拡張工事を行う奄美空港のターミナルベルなどを視察。委員らは、格安航空会社(LCC)乗り入れに伴う利用者増などで手狭な施設の現状を認識し、混雑緩和に向けた工事の必要性について理解を深めた。

同空港ターミナルビルの拡張工事は18年度までの3年間。1階の到着ロビーと2階の出発ロビーを広げ、延べ床面積を現在の4,443㎡から約7,500㎡とする。

設備面では、1階の手荷物受取所にあるベルトコンベヤーと搭乗時に使用するボーディングブリッジを1基ずつ増設し、利用者の搭乗、到着時の混雑緩和を図る。

委員らは、拡張や設備の充実化が予定されている出発ロビーや手荷物受取所などを視察し、多客期の混雑の深刻さを理解。藤崎委員長は「厳しい財政状態の中だが、奄美の将来の発展に繋がる施設改修であり、重要」と述べた。

一行は、奄美市の情報通信技術(IT)関連事業者とも意見交換し、地域のIT産業の現状なども認識した。

視察は18日までの3日間。名瀬市区選出の永井章鹿児島県議会議員と向井俊夫鹿児島県議会議員も一部、同行する。17日は奄美市住用町の総合流域防災(河川)事業現場や、瀬戸内町の加計呂麻島物産館などの視察を予定している。

平成28年5月19日 木曜日


Img_2683 国民の税金で・民間のターミナル会社・鹿児島県知事・奄美市長他・がターミナル会社の取締役を務めている・国民の税金を使う場所が違う?!鹿児島県議会は無用の長物だ?!

IMG_2683.JPGをダウンロード


地元紙の

6・13・奄美空港ビル拡張を知事に要望・群島航路対策協など3団体・自然遺産登録後の観光客増も見越し・JAC4路線を補助・与論~奄美、新たに・県離島航空路線協・「鹿児島総局」奄美の12市町村長や国、県、航空会社の関係者らで構成する県奄美地域離島航空路線協議会(会長・古川県企画部長)

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2015/06/jac-ca04.html

2015.6.22.


2015年11月21日 (土)追加・奄美12市町村の首長や議会議長などで構成する各種協議会は1日、和朝山様・奄美群島のために、朝山様は奄美市長のみに専念すべきです・二つの会社の取締役を辞めて、他にたくさんの人に、仕事を譲るべきです、役得で・給与をもらい・奄美振興事業インチキを?!岡田 章宏 (編集), 自治体問題研究所 (編集) 現在、日本に浸透しつつある新たな行政管理手法、NPMの現状と特質を分析し、自治体に現れた問題点を横浜市と堺市を素材に紹介。イギリス、スウェーデン、ドイツといったヨーロッパの国々の動向と変化を検証する。

これが奄美群島の現実です。


私はゼロ歳から19歳までの人々が余りにも可愛そうでなりません・将来負担


http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2015/11/post-3e84.html

8:56 2016/03/22 


2016年3月11日 (金)

奄美振興の悲劇・地元民の思考は入れられない・官僚の考えが決定?!田雲川・古代より橋はかからない・奄美市名瀬崎原田雲・奄美振興事業・鹿児島県離島振興課が戦後橋と道路のネットーワークを怠ってきた、日本国税を2兆円以上無駄に使われてきた、この地点は奄美大島の真ん中これが切れているために・奄美群島の経済効果は、計り知れない・民主主義国家では・国民主権者に決定権があります。

http://amamioosoma.synapse-blog.jp/yosiharu/2016/03/post-9f8f.html

 9:01 2016/03/22


一人一票実現国民会議 TOPへ戻る あなたの一票は ほんとうは何票でしょう?・・生ごみ・池田町・未来を変えた島の学校――隠岐島前発・日本はなぜ、アメリカに金を盗まれるのか?~狙われる日本人の金融資産・

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2015/06/top-134e.html


田中 克(京都大学名誉教授) ・「森里海(もりさとうみ)で自然再生を」

1943年滋賀県大津市生まれ 京都大学農学部水産学科に入学、大学院に進み、長崎県にある西海区水産研究所で、タイやヒラメなどの研究一筋の生活を過ごされました。

この研究で水際、海岸線がタイやヒラメの稚魚を育むゆりかごであることを突きとめると同時に、海岸線が埋め立てなどで消失している現実に直面しました。

 人と自然、自然と自然をのつながりを破壊したのは、半世紀余り続く高度経済成長ではなかったか、自然とのつながりを取り戻し、自然とともに歩む持続社会を築こうと田中さんは2003年京都大学に森里海連環学という学問を立ち上げました。

 現在は柳川市のNPOとともに有明海の再生を目指し、東北では森は海の恋人運動で、地域や住民と連携して森里海連環学の実践に取り組んでいます。

現場主義で現場からいろんなことを考えたり、と言う事で東北から柳川までを行ったり来たりしています。

 震災前から日本の海がドンドン環境が悪化して来て、生き物がいなくなる兆候が現れてきて、一番象徴的なのが有明海と言う事で、この海を何とかしないと日本の沿岸は良くならないという背景があり、調査をしようと、ボランティアチームを結成して、有明海にかかわっていた人達が気仙沼でも動き出しました。 昨年はシーカヤックで宮城県下を15日間海を回りました。

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2015/07/post-989e.html

2015,7,26、


引用


日曜・夜間議会開催へ・大和村議会・議会基本条例制定、4列目・大和村議会は、19日、「大和村議会基本条例」を制定した。議会報告会、日曜議会、夜間議会の開催や当局側と議員間の議論の質を高める目的で、行政側の反問権導入などを盛り込んだ。奄美群島内での議会基本条例制定は、奄美市、知名町、与論町に次いで4自治体目。条例は同日から施行した。

同日開かれた12月定例議会最終本会議で、議会基本条例制定案が議員提案された。提案理由で勝山議員は「独自の議会運営のルールを順守し、実践することにより、村民に信頼され、存在感のある豊かな議会を築きたい』などと述べた。議長を除く議員7人のうち5人が賛成、2人が辞退し、賛成多数で可決した。

同条例は「議会および議員の活動原則」「自由討議の拡大」「議員の身分及び待遇、政治論理」など全9章で構成する。条例制定をめぐっては、議員5人で構成する村議会基本条例特別委員会(池田幸一委員長)を今年6月の定例議会で設置。

開かれた議会の実現に向けて村民の意見を条例に反映し、議会改革を推進しようと、8月以降、全集落を対象に10ヵ所で「議会と語る会」を開いた。

同委員会では議員の論理に関する政治論理条例の制定も目指しており、19日の定例議会で村政治論理条例調査特別委員会が設置された。議会基本条例第8章の第20条に定めた「議員の政治論理」の項目をより具体化し、条例制定案として来年3月以降の定例議会で提案する方針。

2014年12月20日・

平成27年6月21日 日曜日



引用


家庭ゴミを発電燃料に 爆発事故12年目の再挑戦  (1/2ページ)2015/5/26 6:30

家庭のゴミがエネルギー資源になる――。かつて多くの自治体を振り向かせた夢の燃料プランがあった。ゴミ固形燃料(RDF)。家庭ゴミをペレット状にして、燃料として再利用しようとするものだ。しかし2003年、先頭を切って導入していた三重県で爆発死亡事故が発生すると、増設の機運は一気に萎んだ。そんな「かつての夢」の実現に、今春から動き出した北海道の自治体がある。人口減少が加速する地域で新たな選択肢として名前が挙がったRDF。再びブームは訪れるだろうか。

北海道倶知安町の工場で、ゴミ固形燃料(RDF)の製造は今年3月から始まった。1日17トンの一般ゴミを処理できる

北海道倶知安町の工場で、ゴミ固形燃料(RDF)の製造は今年3月から始まった。1日17トンの一般ゴミを処理できる 

■家庭ゴミの処理コスト、焼却に比べて6割に

屋外に積まれた直径5センチほどの円柱状のペレットの山。まだ作りたてなのか、湯気を立てている。外目にはふわふわとしているように見えるが、プラスチックのゴミを足し熱を加えており、触ってみると固い。

羊蹄山麓の町、北海道倶知安町で今年3月から稼働しているRDFの製造設備。地元の廃棄物処理会社、ニセコ運輸(倶知安町)が建設し、周辺の7町村と一般廃棄物の処理契約を結んでいる。1日17トンの家庭ゴミを処理する能力があり、RDFを同6~7トンほど製造している。

環境省が昨年度調査した資料によると、RDFの製造設備は全国に52カ所ある。しかし、その多くは03年までに竣工されたもの。05年以降に竣工した施設は倶知安を除けば、わずか3カ所にとどまっている。

再生可能エネルギーに焦点が当たる中で、すっかり忘れ去られていたRDF。なぜ、今、焦点を当てたのか。倶知安町の担当者はコスト面を最大のポイントにあげた。町の試算では15年間の維持管理費や補修費を加えても、焼却処理に比べて6割のコストで済むとはじいている。

人口減が加速する地方の中小の都市では、十分な処理ができる大型施設を新たに建設する資金的な余裕は乏しい。今回、ニセコ運輸の投資額は建物や付随施設を加えても3億円弱。自治体側は1キログラムあたり38円の処理費用を支払うものの、大型の焼却炉を自前で新設するよりも割安に済むという。

RDFが注目を集め始めたのは1990年代半ばのこと。当時はゴミ焼却場から発生する有害物質のダイオキシンが大きな問題になっていた。焼却炉内が低温になると発生するとされたダイオキシン対策として、多くの自治体が焼却炉の改修を迫られた。その過程で注目されたのがゴミをそのまま燃やすのではなく、エネルギー資源に加工、活用するRDFだった。政府の補助対象にもなり、90年代後半から全国で次々にRDFの製造プラントが立ち上がった。


■爆発事故、生ゴミ発酵の異常発熱が原因・ニセコ運輸の工場で製造が始まったゴミ固形燃料・ニセコ運輸の工場で製造が始まったゴミ固形燃料

ただ、導入当初から、不特定多数が排出するゴミの質が不安視されていた。03年の事故も多くの生ゴミが含まれていたことが原因だった。RDFをためておくサイロの中で、水分を含んだRDFの発酵が進み、異常発熱を起こし、爆発事故を起こすに至ってしまった。

ほかの導入地点でもRDF燃料の質は常に問題になった。生ゴミだけではない。スナック菓子やケチャップなど塩分を含むものが大量に含まれたゴミでRDFを作ると、塩素が発生し、燃やした炉を傷める要因になる。

99年に稼働した静岡県の「御殿場・小山RDFセンター」はこの塩素問題に苦しんだ。当初、RDFを引き取り、燃料として利用すると手を挙げていた地元企業が塩分の含有を嫌って次々と撤退。作ったRDFが大量に余る事態に陥った。買い手を探し、多額の輸送コストを支払って山口県や秋田県まで運んだほどだった。ゴミ処理を共同化している御殿場市と小山町は焼却処理に回帰。RDF施設は完成から16年となる今年3月、閉鎖に追い込まれた。

危険で燃料としての価値も低い――。そんな評価が定着しつつあったRDF。新たに導入する倶知安町では分別の徹底で乗り切れるとみている。ゴミ処理を共同で実施する7町村では05年から生ゴミの分別収集を開始している。燃えるゴミとの分別はすでに定着しており、安全性のリスクは少ないとみた。

それでも、不特定多数の人が排出する一般ゴミだ。不適物が入ってくるのは止められないだろう。施設側では万全を期すために人の手を使う。生ゴミや塩分が多く含まれているゴミをベルトコンベヤーで運ぶとき、7~8人が目視ではじくようにしているという。

 ■環境省、中小都市での利用価値を再評価

倶知安町がRDFを選択した背景には、焼却炉の新規立地が難しいことも影響している。この地域では、かつては7町村が別々に可燃ゴミを処理していたが、ダイオキシン対策を広域で進めるため、12年前から一括処理に移行した。ただ、処理施設の周辺住民は広域からのゴミの流入が恒常化することを危惧し、15年3月末をもって、炉の利用を終了するとの協定書を締結していた。新たな場所に炉を作ろうとしても、住民の反発は強く、適地はなかなか見つけられない。

環境省もここに来て、中小都市でのRDFの利用の価値を見直している。ゴミ焼却発電の発電効率が平均12%なのに対して、RDFを発電燃料に使えば熱回収効率は28%、熱利用すれば80%にもなる。「RDFは中小規模の自治体ではゴミの処理を効率よくできる場合もある」(廃棄物対策課)

ダイオキシン対策として全国のゴミ焼却施設の見直しが進められてから10年以上が過ぎた。各地の自治体では次のゴミ処理のあり方について検討が進む。特に焼却施設の立地は多くの地方が頭を悩ませている。燃料の受け入れ先の選定や、質の維持などの課題をクリアできれば、家庭ゴミにエネルギー源として、もう一度、光が当たるかもしれない。

(札幌支社 宇野沢晋一郎)

11:08 2015/06/20


世界初の全線「架線レス」 台湾に次世代路面電車  建設ITジャーナリスト 家入龍太 (1/3ページ)2015/6/19 6:30

ケンプラッツ

http://www.nikkei.com/article/DGXMZO87637550T00C15A6000000/?df=3

日本経済新聞社・

http://www.nikkei.com/

低床で乗り降りしやすいLRT(次世代路面電車)の導入を検討する自治体が日本でも増えているが、台湾・高雄市で建設中のLRTは、全線にわたって架線がないのが特徴だ。軌道敷の80%には緑化が施され、駅舎も緑に覆われたデザインを採用するなど、景観や環境に配慮した設計になっている。従来の路面電車とは異なるLRTについて合意形成を行うため、高雄市政府は3Dやバーチャルリアリティー(VR)を活用した動画を作り、ネット上で公開している。

 高雄で建設中のLRT路線図。緑色の区間が第1期工事(資料:高雄市政府)

高雄で建設中のLRT路線図。緑色の区間が第1期工事(資料:高雄市政府)

台湾第2の都市・高雄で市内をぐるりと囲むように走る、全長22.1kmのLRTの建設工事が行われている。そのうち、海側を走る8.7kmの第1期工事区間は現在、急ピッチで工事を行っており、2015年末に開業する予定だ。

■秘密は蓄電装置にあり

このLRTには大きな特徴がある。電力で走る電車にもかかわらず、全線にわたって駅間には架線がないことだ。

その秘密は、車両に搭載された「キャパシター」という蓄電装置にある。実は、各駅には車両の停車スペースの上にごく短い架線が取り付けてあり、停車するたびにパンタグラフを上げて架線に接触させる。

そして停車中の20~25秒という短時間でキャパシターに充電し、次の駅まで走行する電力を車両に蓄えるという仕組みだ。充電が終わったら、またパンタグラフを下げて走行を続ける。

 [左]完成した駅で試験中の車両。軌道上には架線が見当たらない [右]各駅にはごく短い架線が設置してあり、停車中にパンタグラフを上げて車両のキャパシターに充電する(写真:いずれも家入龍太)

[左]完成した駅で試験中の車両。軌道上には架線が見当たらない

[右]各駅にはごく短い架線が設置してあり、停車中にパンタグラフを上げて車両のキャパシターに充電する(写真:いずれも家入龍太)

また、走行中にブレーキをかけるとモーターが発電し、その電力(回生電力)をキャパシターに充電できるので省エネにも貢献する。

このLRTシステムは、スペインのCAF製のものだ。高雄市政府捷運工程局のチーフエンジニア、シ・メイメイ氏は、「一部区間で架線レスにしたLRTの例は他国でもあるが、全線にわたって架線をなくしたのは高雄市が世界で初めて」と胸を張る。

架線レスLRTの仕組み。1.キャパシターに満充電して駅を出発する、2.駅間を走行するときは、車両に搭載したキャパシターの電力を使う、3.ブレーキをかけるとモーターが発電し、その電力をキャパシターに回収して再利用できる、4.駅に到着するとパンタグラフを上げてキャパシターを再充電する(資料:高雄市政府捷運工程局)

架線レスLRTの仕組み。1.キャパシターに満充電して駅を出発する、2.駅間を走行するときは、車両に搭載したキャパシターの電力を使う、3.ブレーキをかけるとモーターが発電し、その電力をキャパシターに回収して再利用できる、4.駅に到着するとパンタグラフを上げてキャパシターを再充電する(資料:高雄市政府捷運工程局)

LRT、架線レス、キャパシター、路面電車、台湾、日本鋼管

次世代路面電車 全国走るか 自治体が構想 (2015/6/15 14:00) [有料会員限定]

地方交通会社へ財投出資 車両刷新しやすく (2015/2/3 0:17) [有料会員限定]

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銀座―臨海部1本で 東京高速バスレーン構想 (2014/12/19 7:00)

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完成した駅で試験中の車両。軌道上には架線が見当たらない

世界初の全線「架線レス」 台湾に次世代路面電車

低床で乗り降りしやすいLRT(次世代路面電車)の導入を検討する自治体が日本でも増えているが、台湾・高雄市で建設中のLRTは、全線にわたって架線がないのが特徴だ。軌道敷の80%には緑化が施され、駅舎も…続き (6/19)

視線で画面や機器を操れる「FOVE」

様々な企業から仮想現実(バーチャルリアリティー=VR)用のゴーグル(ヘッドマウントディスプレー=HMD)が登場しているが、日本発の有望な装置がお目見えした。秋葉原に開発拠点を置くベンチャー企業が開発…続き (6/19)

http://www.nikkei.com/article/DGXMZO87637550T00C15A6000000/

高雄市が導入を進めるLRTの注目ポイントは、架線レスのほかにもう一つある。それは、信号制御に導入した「路面電車優先システム」だ。

高雄市政府捷運工程局の建物(左)とチーフエンジニアのシ・メイメイ氏(右)(写真:家入龍太)路面電車優先システムのイメージ図(資料:高雄市政府捷運工程局)

路面電車優先システムのイメージ図(資料:高雄市政府捷運工程局)

道路と平面交差することの多いLRTは、道路の信号によって停車を余儀なくされるため、定時運行が難しい面もある。そこで高雄市では、路面電車が近づくと、路面電車を優先的に走行させるように信号を制御し、定時運行と利便性の向上を図るシステムを導入したのだ。

■軌道敷の80%を緑化

高雄のLRTは、架線がないことですっきりしたデザインとなるのに加えて、80%の軌道敷を緑化して、さらに景観面や環境面を引き立てる。レールには安全性の高い溝付きレールを採用している。

最新技術を取り入れたLRTだけに、駅舎などのデザインも洗練されている。台湾の先住民族であるアミ族の民族衣装に使われる色彩も取り入れた。

[左]工事中の軌道。80%は緑化される [右]安全性の高い溝付きレールを採用(写真:いずれも家入龍太)

[左]工事中の軌道。80%は緑化される[右]安全性の高い溝付きレールを採用(写真:いずれも家入龍太)

例えば、高雄国際空港につながる地下鉄との乗換駅「前鎮之星(C3)」は、アミ族の民族衣装に使われる赤、黒、オレンジのカラーでデザインされている。

[左]高雄国際空港につながる地下鉄との乗換駅「前鎮之星(C3)」。アミ族の民族衣装に使われる赤、黒、オレンジのカラーでデザインされている [右]前鎮之星駅をまたぐ歩道橋とエレベーター。スタイリッシュなデザインだ(写真:いずれも家入龍太)

[左]高雄国際空港につながる地下鉄との乗換駅「前鎮之星(C3)」。アミ族の

高雄市政府によると、LRTの設計や施工には特に、BIM(ビルディング・インフォメーション・モデリング)やCIM(コンストラクション・インフォメーション・モデリング)は使っていないと言う。

ただし、市政府はCGアニメーションを活用した動画を作成し、YouTubeに公開している。台湾では、一部の建設会社や大学がBIMやCIMの活用に力を入れていることもあり、こうしたCGアニメーションはごく当たり前のものになっている感があった。架線のないLRTや緑化した軌道敷など、これまでの路面電車とは違った乗り物に対する市民の理解や合意形成の促進に、IT(情報技術)が一役買っている形だ。

[左]緑化された軌道敷や屋根上緑化された駅舎のイメージ(資料:高雄市政府捷運工程局) [右]旧市街地にある愛河橋の完成イメージ(資料:高雄市政府捷運工程局)

[左]緑化された軌道敷や屋根上緑化された駅舎のイメージ(資料:高雄市政府捷運工程局)

[右]旧市街地にある愛河橋の完成イメージ(資料:高雄市政府捷運工程局)

家入龍太(いえいり・りょうた)

1985年、京都大学大学院を修了し日本鋼管(現・JFE)入社。1989年、日経BP社に入社。日経コンストラクション副編集長やケンプラッツ初代編集長などを務め、2006年、ケンプラッツ上にブログサイト「イエイリ建設ITラボ」を開設。2010年、フリーランスの建設ITジャーナリストに。IT活用による建設産業の成長戦略を追求している。家入龍太の公式ブログ「建設ITワールド」は、http://www.ieiri-lab.jp/

11:17 2015/06/20


まだGHQの洗脳に縛られている日本人 単行本(ソフトカバー)  – 2015/5/26

ケント・ギルバート (著) 内容紹介

 「WGIPをご存知ですか? あなたの歴史観は根本から間違っているかもしれません」と本書の帯で謳うのは、40年近く日本に住む米国人弁護士のケント・ギルバート氏だ。

戦後占領期にGHQ(連合国軍総司令部)は、日本に施した「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)」というマインド・コントロールによって日本人を徹底的に洗脳し、「愛国心」と「誇り」を奪った。それから約70年、日本人はその洗脳にいまだ縛られており、それに乗じて近年では中韓の反日工作が凄まじいが、それらがとんでもない捏造であり、悪質なプロパガンダにすぎないことを確信した著者は読者に、こう強く訴える。〈一方的な「嘘」や「プロパガンダ」に負けないでください。そして、今こそ日本人としての「愛国心」と「誇り」を取り戻してください。そのために必要な「知識」を学び、それを堂々と主張できる「勇気」を持ってください。〉

全日本人、必読!   内容(「BOOK」データベースより)

 WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)をご存知ですか?あなたの歴史観は根本から間違っているかもしれません。 単行本(ソフトカバー): 220ページ

出版社: PHP研究所 (2015/5/26)発売日: 2015/5/26

目次

第1章 WGIPで失われた日本人の愛国心(強すぎた日本軍を心の底から恐れた連合軍軍事力の重要性を語らない日本の政治家と教師とマスコミ ほか)

第2章 韓国よ、あなた方こそ歴史に学んで恥を知れ(安倍首相による憲法成立過程の歴史的事実の指摘GHQが定めた三〇項目の報道規制 ほか)

第3章 中国よ、「アジア諸国にとっての脅威」はあなた方だ(アメリカ国内にはびこる中国ロビー中華人民共和国(PRC)は日本と戦争をしていない ほか)

第4章 わが祖国アメリカよ、いつまで「反日プロパガンダ」を続けるのか(ルーズベルトとスターリンが夢見た「世界二分割統治計画」戦前から日本本土爆撃と占領計画を立案 ほか)

第5章 わが愛する日本よ、そろそろ「洗脳」から解放されよう(「宮刑」に処せられた日本GHQの政策が効きすぎた日本 ほか)

日本への愛と日本人へのメッセージ, 2015/5/26

: まだGHQの洗脳に縛られている日本人 (単行本(ソフトカバー))

「とにかく日本人の皆さんには、自分と自らの国に誇りをもって生活して欲しい。気づいていないかもしれませんが、日本人に生まれた皆さんは、間違いなく幸せです。私の祖国、アメリカが行わせた戦後教育と偏向報道などによって、長いあいだ自信を喪失していたかもしれませんが、自虐的な発想はそろそろやめにして、堂々と胸を張っていただきたい。健全な愛国心と高い道徳心とを両立させた、誰からも尊敬される日本人を目指してください」。

米カリフォルニア州弁護士でありタレントとしても有名なケント・ギルバート氏が、歴史問題に揺れる日本と日本人に対してのメッセージを綴った本。全編にわたって、日本への愛と日本人への敬意及び激励で貫かれていることが特徴である。

韓国と中華人民共和国(本書では中国ではなくPRCと呼ばれている)の歴史認識のおかしさについての指摘や反論は近年いろいろな本に書かれていることと共通しているところが多いが、GHQの占領政策として実在が確認されたWGIPとその影響や安倍首相のアメリカ連邦議会での演説の成功といった比較的最近の情報も加えられている。フランクリン・ルーズベルトとトルーマンの違いをスターリンとの関係の違いで際立たせているところは、賛否はともかくわかりやすい。また、多くの日本人が気づいていない点として、日本の大手新聞社だけでなく”The Japan Times”をはじめとする日本で売られている英字新聞の歴史認識にも問題があり、これら日本国内で英語で書かれた記事が世界に拡散する情報源のひとつとなっている可能性を指摘している点は考えさせられた。

 祖国アメリカでの話や、日本に来てからのことも時々振り返っている。19歳のときに宣教師として初めて日本に派遣されるときには「とにかく、何から何までアメリカと反対と思え」と言われて、実際その通りだったようだが、かえって「祖国アメリカをより深く理解するきっかけにもなった」という。そして、「日本の何が好きかというと、まずはその秩序と曖昧さのまじりあった感じです」と、ユーモアを交えながら例を挙げたりしている。

 時々ニュースになる日本の戦後70年の談話についても、「改めての謝罪など、まったく不要です」とし、世界平和を推進して人類全体の発展に寄与する未来志向のものにすべきだと持論を述べている。憲法改正についても、アメリカは20回以上も憲法を変えている、としている。

読みながら、この人は日本が本当に好きなんだな、と思った。同時に、こんなに礼儀正しくまじめな日本に対して、事実とはいえないことを大きく騒いで世界的にプロパガンダを仕掛ける近隣諸国やそれにネタを提供する国内の一部の人々に対しての憤り及びそれらに対して論理的な反撃やそのための勉強が十分ではないことにいささか歯がゆさを覚えていることも伝わってきた。

  知日派, 2015/5/27: まだGHQの洗脳に縛られている日本人 (単行本(ソフトカバー))

ケント・ギルバート氏の単独著作を初めて読んでみた。2章の韓国について論じた項は所謂嫌韓本を何冊か読んでいると内容の重複が見られるので正直なところ余り目新しさは無い。3章の中国ー本書では英語名であるPRC(People's Republic of China)と呼んでいるーについては余り関連書籍を読んだことが無かったので中々興味深かった。分量的には2,3章と余り違いないが4章のアメリカではGHQ占領下におけるWGIPの影響などについて論じておりここは流石多くの視座が含まれていると感じられ、寧ろ日本とアメリカの関係についてのみ論じたものを一冊の書として読んでみたいと思った。終章では日本に向けたエールを送ってくれているが非常に理性的な筆致も相まって清涼感のある読書体験を味わえる。日本人として学ぶべき部分も多いだろう。

  いい意味で期待外れ, 2015/6/2: まだGHQの洗脳に縛られている日本人 (単行本(ソフトカバー))

しょせんアメリカ人の日本人観や歴史観などオリバーストーンの「なぜ私の出会った日本人は善良な人たちなのに日本軍は中国で残虐行為をおこなったのだろう?」というような浅はかなものと思っていたが、いい意味で期待はずれでした。新しい知見を得ることができました。英語で出版してください。

  日本をよく知るアメリカ人が明かす「偽りの通説」と「歪められた精神」。, 2015/6/4

: まだGHQの洗脳に縛られている日本人 (単行本(ソフトカバー))

GHQによる洗脳から今なお解けずにいる日本人に向けて、マス・メディアの報道からは決して知り得ない、終戦までの日朝・日支関係や日米開戦に至るまでの経緯などを説く好著。日本人に迎合したりアメリカを擁護したりすることなく、公正な立場でありのままの事実を述べる著者の態度には好感が持てるし、弁護士活動やタレント活動の合間を縫ってこれだけの知識と考えを身に付けた著者の努力と思考力には敬意を表する。太平洋戦争を「大東亜戦争」と呼び、中国を「PRC」と呼び、満州を「満洲」と表記するなど、言葉へのこだわりも相当強く、俄仕立ての似非評論家とは明らかな一線を画している。

 本書を読み、慰安婦強制連行を今なお世界各地で主張する韓国人の狂態の原動力は、日本人への強烈な劣等感に他ならず、彼らは、自分たちに劣等感を懐かせる日本という存在を貶めることで何とか精神の均衡を手に入れようと努めなければならないまでに深く心を病んでいるのだ、ということが今さらながらに痛感された。嘘を叫べば叫ぶほど、自らが精神病者であることを世間に晒すことになる、ということに彼らが気が付くことは、永遠にないのであろう。

支那事変における日本軍と共産党軍の関係の喩えは面白いと思ったし、戦後、共産党軍が国民党軍に勝てた経緯もよく理解できた。毛沢東の大躍進政策は、殆どお笑いの世界である。これほど間抜けな指導者への批判を片言隻句も口に出来ないとは、何という憐れな国であろうか。

わたくしは、空襲と原爆投下という反則技のホロコーストで日本との戦争に勝ったに過ぎない上に(わたくしに言わせれば、反則で勝ったことは勝ったことにならない)、戦後、土足で日本に上がり込み、言論を弾圧し、社会制度を破壊し、東京裁判という茶番劇を恥ずかしげもなく敢行し、占領憲法を押し付けたアメリカという国は、日本人にはおよそ想像も付かないまでに野蛮かつ傲慢かつ狡猾な国である、と思っている。「アメリカは正義の国で、アメリカは日本に民主主義をもたらしてくれた。」と信じ込んでいる日本人は今なお大勢いるのであるから、黒いものを白と思い込ませる彼らの情報操作能力には恐れ入る。ただ、「もし日本の降伏があと半年早いか、ルーズヴェルトがあと半年長く生きていたら、日本の戦後がもっと悲惨なことになったのは確実です。」という本書の言葉を読み、やはり日本という国は、どんなことがあっても亡びないようになっているのだ、ということを思ったし、本書の読後感とは別に、最近は、『アメリカが占領期間中にやろうとしていたのは日本という国を地上から抹殺することに他ならず、もしこれが他の国であったら、彼らの思惑通りになっていたであろうが、そうならずに済んだのは、日本人の際立った精神性の高さ故なのだ。』ということを考えるようになっている。

心優しきディープ・スロートの紛れも無き正統続編、「不死鳥の国・ニッポン second(もしくはnext)」! ('▽`)アリガト!, 2015/5/30 : まだGHQの洗脳に縛られている日本人 (単行本(ソフトカバー))

本書のタイトルと帯の謳い文句を見て、「これって知ってる話ばかりじゃ・・・」と思った

人は多分、自分だけでは無いハズ。その予感は半分当たりで半分外れでした。まずは本書の魅力を、☆の数の内訳とともに大別すると以下のようになります。☆☆  たしかに半分ほどは知っている話。ですが、生粋の米国人であるギルバートさんが語るだけに、得られる知見は非常に大きかったです。加えて、一般的な米国人の考えとギルバートさん自身の考えを分けて紹介しています。

☆☆☆  一つ一つの事例がムチャクチャ面白い。この人にしか経験できない事例もあって、爆笑必至。 (*≧∀≦*)以下に各章の中から、爆笑事例に限って感想を少しづつ。購入の参考になれば(各章タイトルの☆の数は爆笑度。多ければ楽しく、少なければマジメな章)。 まえがき  ☆1

我が国を褒める外国人は数あれど、地方をここまで激賞する人が、ステファン・シャウエッカーさん以外にいるとは思いませんでした。さすが「アメリカ合衆国の建国以来、最も多くの日本人と接した経験のある米国人」と自負するだけあります。そうそう、第二章で彼の国と引き較べて我が富山県を褒めて下さり、ありがとうございます。 ('▽`)アリガト!

  第一章  WGIPで失われた失われた日本人の愛国心  ☆2

第一章は短い章で、第二章以降にぶった斬っていくことになるモノたちを紹介しています。多分、最初は顔見せ程度で終わらせようとしていたんでしょうが、始まって4ページの途中で、既に筆はトップギアに。 (゚∀゚ ) ぶった斬りだした瞬間に「Оops!」と慌てて気付いて、怒涛の終了です。

  第二章  韓国よ、あなた方こそ歴史に学んで恥を知れ  ☆5

ギルバートさんは別に面白いことを言っているわけではないのですが、一つ一つの事例がブッ飛び過ぎて爆笑必至の章です。内容が、大概の人が知っていることなど20ページも読めば忘れてしまうほど。

「米国テキサス州と当時の朝鮮半島を比較して考察した人」というのはリトル巨人くんのことでしょうか?

NТТ労働組合大阪支部の悪行は初耳で、もっと深くぶった斬って欲しかったですね。個人的に本書で最も面白かったのは、日本共産党の女性議員のちょっとイイ話。彼女の人権・平等意識が嘘八百だということがよくわかります。それにしても、駐韓米国大使を襲ったヒゲもじゃテロリストを紹介するあたりに、本書の新しさがわかります。

  第三章  中国よ、「アジア諸国にとっての脅威」はあなた方だ  ☆4

そもそも本書では、序盤から「PRC」なる謎の単語が出てきますが、その意味が本章で明らかになります。因みに「PRC」を初めて見たときに、自分は「P&G」と勘違いしてしまいました。許せ、「P&G」。 (^O^)本章は、前章と同じく知っている話題がしばらく続きますが、一つ一つの事例がブッ飛び過ぎて(以下略)。

ギルバートさんが蛇蝎のように嫌っている職業があることは、テキサス親父との対談本でも紹介されていますが、本章では、それをより詳しく解説。「福建省名誉市民」なる称号とともに、どれもダンジョン最深部で手に入るレア・アイテムのSPを開放しなければ就けないモノばかりです。灰になってもお断りですが。 ( ^∀^)

 第四章  わが祖国アメリカよ、いつまで「反日プロパガンダ」を続けるのか  ☆4

本章は母国の話ということもあって、ギルバートさんの筆の冴えにも磨きがかかります。話題の中心は、ルーズベルトとスターリン。二人が狂人であることに論は俟ちませんが、テヘラン会談での「ねェ~ヨシフぅ、何人殺すぅ~?」発言には、同席したチャーチルに本気で同情してしまったほどです。こいつら二人ともウッドロー・ウィルソンと並んで、ニャルラトホテプの化身か、ヨグ=ソトース(by夢幻の軍艦大和)に違いありません。後半のプロパガンダの話は、話題の新しさもあって大変面白かったです。とくにマイケル・ムーアをはじめとする米国の映画人の胡散臭さは必見。 ヽ〔゚Д゚〕丿スゴイ

 第五章  わが愛する日本よ、そろそろ「洗脳」から解放されよう  ☆5本章はもう一つの母国の話とあって、ギルバートさんの筆の冴えにも(以下略)。そして、斬って斬って

斬りまくっての「千手波動斬舞」状態。ほとんどゴッドサイダー・阿太羅です。 (・∀・)イイネ!!まずはJR北海道の労働組合に、「ちゃんと線路を敷け」と挨拶がわりの撫で斬り。我らが北岡伸一「the☆侵略」教授がイラク戦争時におっしゃった「大量破壊兵器はある」発言は必見。

教授の人となりが実によくわかるステキなエピソードでした。 (//∇//)

さらにギルバートさんが不倶戴天の怨敵と認める組織の話は、先述の対談本でも紹介されていますが、斬れ味はこちらの方が上。最後には、返す刀で元祖リアル・ショッカー日教組に、必殺の稲妻重力落としを振り下ろします。どれも必見ですが、本筋とは関係ない部分に最も興味を引く文言があったので紹介。

1  道路料金の変動制導入の発案者がギルバートさんだったこと (゚∀゚ )

2  日の丸の旗が世界で最も売れているのは韓国 ('▽`)アリガト!

 

   おわりに  日本は世界の大国だ  ☆1

「あとがき」に来て、ようやくギルバートさんもスピードを緩めてくれまして、多くの日本人が持つ「国連信仰」の危うさと間違いを強く指摘して本書を静かに締めようとしていたようですが、「ノルウェーあたりから『かんしゃく持ちで手に負えない』と指摘され」たバカをやっぱりぶった斬り。 (^▽^)最後の最期まで怒りは収まらなかったようです♪

・・・以上です。読後の感想としては、「あぁ、これは『不死鳥の国・ニッポン』の続編なんだなぁ」でした。「不死鳥の~」の時より1年半を経て、ギルバートさんの進化した部分、深くなった部分が実によくわかりました。表向き参戦して間もないように見えるギルバートさんが、実は昔から人知れずバチバチと戦っていたことが本書を読むだけでも本当に楽しくわかってしまいます。

さらに一連の著作を読めば、心優しきディープ・スロートの言葉の一つ一つが、昨日今日のものでないことに気付くでしょう。併せて読むと、尚良し!全てが絶対オススメ!

このレビューが参考になれば幸いです。 (^ω^)

日本推し, 2015/5/28: まだGHQの洗脳に縛られている日本人 (単行本(ソフトカバー))

他の著書と重複箇所も多少はあるが、見事な論理展開だと驚かされた。単独著書だが、密度は対談と同じくらいある。頭もいいし胆力の有る知日家。読んでて励みにもなった。良著。

  ケント・ギルバートさんに感謝します: まだGHQの洗脳に縛られている日本人 (単行本(ソフトカバー))

 

WGIPの真相をアメリカ人が精査し事実を分かりやすく書いている本。第三者が発信する情報は信憑性、信頼性もより強化します。日本人は戦後失われてきた大和魂を今一度取り戻さなければなりません。日いずる国日本、日本人よもっと自信を持ち誇り高く生きよ!

 おすすめですよ。正しい歴史観, 2015/6/5 : まだGHQの洗脳に縛られている日本人 (単行本(ソフトカバー))

大変読みやすく、私が今まで信用筋から見聞きした情報と合致しており膝を叩くような思いがしました。また著者の純粋な日本愛を感じられました。

9:06 2015/06/20

 


奄美大島は・長期衰滅の危機に立ち向かう・・・大河のように止めなく・・

1・大司誠・たいし・まこと1950年、龍郷町瀬留生まれ。横浜市立大学文学部卒業後、南海日日の記者として入社・記者として本場奄美大島紬の流通問題、「南部大島開発問題」などに取り組む。練馬区役所を定年退職後、ビデオジャーナリストとして長期衰滅の危機に瀕する全国、奄美大島の地域経済の「新世紀版」づくりについての検証、考察を進めている。

奄美でも、復帰後、国の特別措置法に基づいく復興・・振興・・振興開発事業が、間断なく60年の長きにわたって行われてきているにもかかわらず、人口減少など地域経済の長期衰退の傾向が続いており、かって名瀬市が人口を吸い寄せて人口を増やし成長を続けていた頃の「南部大島問題」が、今では、奄美大島全体の問題になってしまっています。

それを深刻な形で象徴しているのが、農家の高齢化、一次産業離れなどによる耕作放棄地の増大と農地の原野化です。奄美大島全体の休耕地率は27・0%と、全体の3分の1に迫る高い水準に達しています。特に大和村(67・7%)。龍郷町(47・5%)、瀬戸内町(34・2%)の耕作放棄地の高さが際立つっています(2011年7月現在)。

生活保護率も県や全国平均に比べると非常に高い水準で推移しています。12年度の千人当たりの生活保護者の割合を示す生活保護率(千分比、パーミル)は、瀬戸内町が最も高く(75・3%、奄美市75・5%、大和村65・1%、龍郷町39・3%、宇検村27・1%となっています。同年度の鹿児島県や国の保護率は、それぞれ19・3%、16・9%となっており奄美群島の保護率の高さが際立っています。

人口の減少も、特に島嶼地域である沖縄と比較すると、その深刻さが浮き彫りになります。1950年の奄美群島の総人口は22万2779人。沖縄県が69万8827人で、奄美のおよそ3倍でした。ところが2013年現在では、奄美の総人口116,908人(同年3月)に対して、沖縄県は1,417,771人(同11月)で、奄美のおよそ12倍に増大しています。

このように、長年の国の特別措置事業にもかかわらず、まるで大河の流れのようにとめどもなく続いている奄美大島の地域経済の長期衰退傾向を生み出している内在的な原因事情は、いったいどこにあるのでしょうか。

「地方創生」が国家レベルの本格的な共同課題となり、政府主催の全国的コンペが行われ、その真価が問われている奄美大島の5町村は、「創生」に向けた「総合戦略」の策定作業に入っていますが、右の原因事情や旧来の取り組み・アプローチの限界性についての分析と総括を既にしっかりと終えているのでしょうか。主催者・公共の形成者としての市民の側はどうなのでしょう。

平成27年6月13日 土曜日

 

・・分業論の視点・総合戦略不在・・

2・60年にも及ぶ国の特別措置事業にもかかわらず、まるで大河の流れのように止めどもなく続いている奄美大島の地域経済の長期衰退傾向を生み出している原因事情は、いったいどこにあるのでしょうか。

そこでは中央政府の政策による日本経済の不均衡発展や猫の目のような貿易政策の変転、経済のグローバル化などマクロレベルの原因事情が大きく影響していることは明らかです。

しかし、創生への総合的戦略を構想し構築していくうえで重視すべきは、そうした外在的な原因事情以上に、奄美大島の地域経済社会の歴史や政治行政や民間経済主体側に存する問題性や限界性など内在的な原因事情であろうと思われます。こうした原因事情をどれだけ克服することができるかによって、外圧的な原因事情に対する抵抗力や対応能力に違いが出てくるからです。

筆者は、奄美大島に内在する最も重大な原因事情は、民間の経済主体のレベルにおいても、その活動を政策的・財政的に補完する5市町村の政治行政のレベルにおいても、「地方地場資本の蓄積体制(態勢)」を自覚的の総合的戦略的に追及する体制(態勢)がいまだに採られていないところにあると考えます。

地方創生のためには、地方地域経済の「新生基盤」づくりを果たさなければなりません。「新生基盤」づくりとは、「地方地場資本の蓄積体制(態勢)」づくりのことです。

自明のことですが、「地方地場資本」が蓄積されるためには、地域経済内部で生産された経済価値が、地域内に適正に留保され分配されて、組織的・社会的分業を形成し維持・拡大していく方向で再投資されなければなりません。

そのためには、1・まず、農林水産業など「第一次産業」が食糧などの自給機能をまず十分に果たした上で、地元市場を対象とする「地域産業」や全国市場を対象とする「地場産業に可能な限りの地場産原料を供給し、2・「地域産業」自身も外部からの財貨の移入によって地域の消費生活を高めるだけではなく、その内部構成で製造関連業種の比重を高めて、地元一次産業との相互依存関係を深める。

3・そして「第一次産業」と「地場産業」の振興によって域外からの「外貨」流入を増やし地域内部の資金循環を増大させる・・・このような結びつき(「組織的・社会的地域分業態」の形成)を通休止実現していくことが必要となります。4・そのためには、それを担う民間レベルの経済的な共同主体と、その取り組みをしっかり政策的、財政的に補完する政治的行政的な共同主体が存在しなければなりません。

ところが、地域経済の立場からすればきわめて当然と思われる、このような「自律的主体的な経済的分業論の視点」に基づく総合的で戦略的な政策施策は行われてきませんでした。地域経済至上さまざまな原因事情によって右のようなパッケージの形成は厳しく禁止され阻害され、実質的に放置されてきました。

15/6/13 10時32分41秒・・

・・阻害、放置された地域分業態・・

・3・奄美大島をはじめ奄美群島は鉄を産出しませんし、外海離島という知事的条件もあって鉄文化の移入も遅れたため、これが奄美農業の生産力の発展を著しく遅らせる要因になったと言われています。

むろん、群島全体はおろか、奄美大島全体を優勢な階級が統一支配する「自前の地方国家(政府)」を樹立したことも、歴史上まだ一度もありません。

遠い昔、北部以外はほとんど山地ばかりの奄美大島では、シマ(自然集落)は多数の入り江の奥に、それぞれ分散する形で存在していました。そうした地理的条件・物理的な交通環境が影響して、島内のシマ相互間の交易は未発達で、それぞれのシマの経済活動は長い間、人々が生活していくための共通の目的の下で相互に依存し合う自給的で自己完結性の強い組織的分業(=地域社会による「組織的分業」の原型に近いレベル)にとどまっていたと考えられます。

対外的な社会的分業も十分な発達は見られませんでした。ただ、奄美のサンゴ礁が夜光貝の方向であったためにその頃の重要な螺鈿(ラデン)などの工芸品の材料として、イグサによる琉球むしろなどとともに移出され、見返りに本土や大陸から鉄を移入して島の生産力を前進させていたとされています。

ところが、薩摩藩による封建的・早熟的な植民地主義的支配がはじまると、奄美の各シマの自然的経済は、藩が取り仕切る広域的な社会的分業の中に取り込まれていきました。薩摩藩は、鹿児島内陸部ではハゼ、屋久島は屋久杉、大島が黒糖、沖永良部島や与論島は米、琉球はウコンというように島ごとに分業制を敷きました。

奄美大島は「島全体としての組織的社会的地域分業態」を内発的に形成しきれない分散状態のまま、封建権力の主導する植民地主義的な広域的社会的分業体制に組み込まれ、私的売買も金銭の流通そのものも厳しく禁圧されていったのです。

このように、奄美大島では、地方地場資本の蓄積と域内再投資を可能にする「経済循環の場」と「自律的な政治的・経済的共同主体」のパッケージの形成が、18世紀以降、歴史的に徹底して禁圧され(1713~1872年)明治前半期の薩摩藩庁(鹿児島県庁)と鹿児島豪商による「植民地的経済支配(惣買入れ制)ソウカイイレセイ」の継続と「近代改革潰し」によって阻害され(1873~1891年)、そして、明治の半ば以降は、鹿児島県制による53年間にわたる「大島郡分離独立予算制度」の施行(1,888~1,940年)により完全に放置されて、古い仕組みが存続。

経済・政治面での近代化の恩恵から疎外されました。敗戦後の日本国から行政分離・米国軍政施行が、さらに追い打ちをかけました。

まさに連綿と続くこのような地域経済史上の原因事業と負の遺産としての植民地的な分散状況こそが、奄美大島の地方地場資本蓄積の著しい乏しさをもたらしている淵源です。

大司誠さん・平成27年6月13日 土曜日・ 


・5・動かざること山のごとし・「紬業界」・・

「南部大島振興問題」と「大島紬の産地体制(態勢)確立問題」を「自律的・主体的な経済的分業論の視点」から課題モデルとして捉えると、両社には大きな質的・段階的な違いが認められます。

南部大島問題は「組織的社会的な地域分業態」そのものがいまだに十分に形成されていない分散的な状態から、農林業や水産業など既存の第1次産業を基盤にしてどのようにしてそれを形成し成長させていくかという問題です。

これに対して大島紬の産地体制(態勢)確率の問題は、明治半ば以来、島の声明産業と呼ばれるまでに成長発展してきた地場産業としての「組織的社会的な地域分業態」のハイスペック(仕様)化を、いかにして実現するか。

世代交代が進む低成長時代の新しい和装市場と韓国紬問題が象徴する地球社会時代の大競争をたくましく生き抜いていくような「自己革新性を備えた問題解決型の組織的社会的地位気分業態」へと、いかにして進化させていくかという問題であったと言えます。

例えば、1972年以降、協同組合運動の思想に基づいて、分散状態にあった小規模生産者たちの支援・組織化を進め、全農などの協力を得て不況時の買い支え(男物紬)事業まで実現した「笠利町農協』。同時期に、集散地問屋との共存を図りつつも、独自の図案・意匠の開発など、問屋への全面的依存状態からの脱却を追求した「奄美産元(株)」。

そして77年以降、名瀬をはじめ奄美群島内の小規模市場品生産者たちの販売活動(価格実現)を担う仲買人たちの組織化を進めていった「大島紬販売協組」。これらの動きを全体として捉えるならば、奄美産地が新しい経済状況に対応して「産地問屋」の創出など自らの存続と発展のために総合的な体制(態勢)を確立していこうとしていたことは明らかです。

残念ながら、これらの取り組みは挫折し、その後、この問題での抜本的な効果的な取り組みが実現しないまま、状況は深刻化していきました。なぜ、伝統の地場産業は、ハイスペック化を果たせないまま、わずかこの30年余りの間に産地消滅の瀬戸際にまで衰退してきたのでしょうか。

そこには、不況時の産地の共同利益(男物紬の買い支え事業)に反するような個々の業者抜け駆けや足引っ張り、「利益は自社に、損害・責任は共同組織へ」、経営と資本の未分離といった同業組合的「株式会社」の限界性(奄美産元)など、個々の業者や団体など経済主体レベルの原因事情がありました。

しかし、最大の原因・事情は、まるで山のごとく動かなかった本場奄美大島紬協組にありました。不況の度に公的支援に頼り続け、「適正価格の実現」や「不況対策」などスローガンは見事に掲げ続けるもののそれに実効性を持たせる制度的基盤づくりには動かず、政争に追われ、そして、ハイスペック化を担う全産地的な協調協働の態勢(広域的な経済的協働主体)づくりには最後まで動かなかったからです。

平成27年6月14日

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