« りそなHD社長に東和浩氏 細谷氏から指名 「改革深化が使命」 (1/2ページ) 2013.2.1 05:00・りそなホールディングス(HD)は31日、東和浩副社長(55)が4月1日付で社長に昇格する人事を発表した。東氏は、傘下のりそな銀行の社長も兼務する。持ち株会社と主力銀行のトップを一本化して、意思決定の迅速化を図る。 | メイン | みまもりたい・以前、違法駐車を注意したことをきっかけに、相手から「ぶっ殺す!」とまで言われたこともありました。でも、私は一歩も引かず、とことん話し合いました。いまではその人は自治会の区長を引き受け、自治会に協力してくださっています。やはり大切なのは話し合うこと。言葉一つで、人の心を傷つけることも、温めることもできるのです。相手を受け入れ、心に響く言葉で対話を続けることは大事ですね。 また、自治会では住民の要望に百パーセント応えたいと思い、私や役員が自治会活動用の携帯電話を持って、何か困ったことがあればすぐ »

2015年9月19日 (土)

共生経済が始まる―人間復興の社会を求めて・内橋 克人 (著)・・・   「人間国家」への改革―参加保障型の福祉社会をつくる・神野 直彦 (著)

引用


引用・2015年9月19日 (土)みまもりたい・以前、違法駐車を注意したことをきっかけに、相手から「ぶっ殺す!」とまで言われたこともありました。でも、私は一歩も引かず、とことん話し合いました。いまではその人は自治会の区長を引き受け、自治会に協力してくださっています。やはり大切なのは話し合うこと。言葉一つで、人の心を傷つけることも、温めることもできるのです。相手を受け入れ、心に響く言葉で対話を続けることは大事ですね。 また、自治会では住民の要望に百パーセント応えたいと思い、私や役員が自治会活動用の携帯電話を持って、何か困ったことがあればすぐhttp://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2015/09/post-cd0d.html

10:24 2015/09/19


共生経済が始まる―人間復興の社会を求めて・内橋 克人   (著)

 Foods(食糧)・Energy(エネルギー)・Care(介護・ケア)という基本的生存権を守ることこそが、社会の最大の使命である―市場原理主義に警鐘を鳴らし続けてきた著者が、未曾有の大震災に直面した日本人が進むべき社会の指針と、再生への道筋を示す、経済コラム集大成。

内橋/克人

1932年兵庫県神戸市生まれ。新聞記者を経て、経済評論家。90年代から一貫して市場原理主義、新自由主義的改革に対して警鐘を鳴らし続けてきた。2006年に第16回宮沢賢治・イーハトーブ賞、2009年に第60回NHK放送文化賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

文庫: 302ページ出版社: 朝日新聞出版 (2011/5/6)発売日: 2011/5/6

 

目次

第1部 序にかえて(「新しいアメリカ」にどう向き合うのか

米「医療改革」に二つの歴史的意味「ホープレス社会」でいいのか

「条件反射型社会」の実相日本経団連『希望の国、日本』を問う世界経済危機―脆い「日本の防波堤」「市場原理至上主義」を超えて)

第2部 「共生経済」宣言(「市場万能主義」がもたらしたもの菜の花が世界を救う「浪費なき成長」に向けて「日本型自営業」の可能性地域からの挑戦『マネー』が国を滅ぼす「共生経済」への道)

第3部 競争至上主義を超えて(労働・格差・ワーキングプア市場原理・構造改革神戸・地方・市民)

 

FEC自給圏の形成

NHKの「百年インタビュー」という番組を偶然見て、はじめて内橋さんのお名前を知りました。おっしゃっていることが、どれも共感できるものだったので、何か著作を読んでみたいと思いこの本を選びました。

番組でも述べられていた、食糧(food),エネルギー(energy),人間ケア(care)

を自らの社会で確保する「FEC自給圏」の概念には、とても共感します。またTPPに加入することの怖さ。特に震災後は多くの人がそう思うはず。原発やTPPへの加入は、このFEC自給圏と相反するものです。経済性ばかり口にする政治家や経済団体関係者にはうんざりです。

新聞等での過去の著者の記事が多く、少し古く感じられるものをあったので☆

共生経済

 

ちょっと前の本なのに、全く現在の問題として読める。特に、エネルギー問題と再生可能エネルギーの可能性が見えた時点で、この本の提唱するFCU自給圏(FOOD,ENERGY,CARE)の自立というテーマは実に興味深い。

 

政権がかわるとそれに追従する学者が多い中でなにが私たちに必要なのかを示してくれています。こういう学者がいることでほっとしました。

共生経済が始まる 内橋克人

 

日本経済・政治・私達の生き方に警鐘を鳴らし続けておられる内橋克人さんの思いがひしひしと伝わって来ました。なるほどなるほどと納得して読みました。政治家・経済界の人達に読んでもらい本です

本当に真面目な方!

 

NHKの朝のラジオは聞いています。それにしても、よくラジオから断られないかと心配して聞いています。長年の持論がまとめられていて、大切にしたい本です。

線引きがありました

p.159に線引きがありました。読むのには支障はありませんが、一応報告しておきます。

9:19 2015/09/19

 


「人間国家」への改革―参加保障型の福祉社会をつくる・神野 直彦   (著)

人間中心の政治・社会・経済を取り戻す

 

財政破綻、地方消滅、社会保障崩壊、果ては民主主義の危機までが叫ばれる中、いま真に必要な改革とは何か。日本型福祉国家が行き詰まった今、求められるのは参加型の政治・社会保障体系への転換である。人間の生を最上位に位置付けた「人間国家」が日本を変える――財政・社会保障の大家による提言!

グローバリゼーションによって進んだ「市場拡大」と「政府縮小」の潮流は、世界中に二つの過剰と二つの環境破壊をもたらした。過剰な豊かさと過剰な貧困、自然環境の破壊と人的環境の破壊である。一方国内では、地方消滅、社会保障崩壊、民主主義の危機が忍び寄る。政治が市場を制御し、財政を有効に機能させ、すべての人間の参加が保障される社会はどう実現されうるのか。人間を「手段」として見る「事業国家」から、人間の「生」を最上位に位置づける「人間国家」へ―。財政学の大家による提言の書。

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単行本(ソフトカバー): 232ページ出版社: NHK出版 (2015/6/23)

言語: 日本語発売日: 2015/6/23

目次


第1章 歴史の「峠」に立ちて(危機を「理解」する「人口減少社会」の教訓導き星としての制度主義「大きな社会」へ)

第2章 「人間国家」へ舵を切る(知識社会への転換「学びの社会」を創る生活保障から参加保障へ)

第3章 財政を有効に機能させる(租税国家の危機「人間国家」を支える租税制度)

第4章 民主主義を活性化させる(「遠い」政府を「身近な」政府に変える「参加型」民主主義を構想する)

終章 「人間国家」が導く「懐かしい未来」


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日本・世界の現実を直視して、人間国家の姿を考える

東日本大震災と時を同じくして脳梗塞に倒れた宇沢弘文が、亡くなる寸前に、著者の神野直彦に、あるミッションを託した。そのミッションとは、宇沢弘文・神野直彦編『日本の課題ーAgenda for the Nation』全3巻の編集作業だった。宇沢弘文は既に作成し、プロローグもつけて著者の許へ原稿を送り、著者は担当部分とエピローグを完成させる事になっていたのだった。これは「宇沢先生の思想の集大成」と著者は書いている。この思いを背負っての本書である。

本書の構成は、歴史の「峠」に立ちて・「人間国家」へ舵を切る・財政を有効に機能させる・民主主義を活性化させる・「人間国家」が導く「懐かしい未来」、この5章である。

財政と社会保障の専門家の立場の上に、著者の人間そのもの、自身の魂を言葉とし、その言葉を、これからの社会のために差し出して見せてくれている。

「峠」にいることを知る必要がある。もう、量産時代は過去のものなのだ、右肩上がりの経済成長を追う時代は大過去なのだ、ここで大転換をして「人間国家」へ爪先を向けよう。いままでの土木事業国家は終わった。人間の「生」と「命」を最上位に置く社会を目指すためには、現実を直視し、危機を理解しよう。読み進むうちに胸が熱くなる。そうだ、いま我々は「峠」にいるのだ。登ってきた道にはなにがあっただろう。これから峠を下るのだろうか。峠の先は、どんな道か。と、読み進むことになる。

最終章の「懐かしい未来」という言葉は、スウェーデンの映画監督ヘレナ・ノーバーク=ホッジの表現によれば、かつて存在した緑と人間の絆が復活した「懐かしい未来」だという。懐かしいという響きには、温かさと故郷の香り、著者の人間性が漂う。

ここに、機械や制度にこき使われる部品としての人間から、温かい血の流れるひとびとのための社会作りが見えると感じた。

人々が従来の見方をする目を洗い流し、新鮮な視力と感覚で生きる生き方へと進路変更するための示唆に富んでいる本。

感情において賛同、論理において不満


人間を手段として見る「事業国家」から、人間の「生」を最上位として位置づける「人間国家」へ、という著者の主張には共感する。読み進みながら、感情において賛同することはできたけれど、その論理については多くの不満を残した。宇沢弘文氏の残した「社会主義の弊害と資本主義の幻想」というローマ法王に対する回勅への提案が、真に何を意味しているのか、本書を通じてすんなりと理解できなかった。資本主義とは本書でいう市場社会のことなのか、それは本書の取り上げるこれまでの経済システムのことなのか、資本主義という言葉の定義そのものがあいまいだと感じた(この種の本ではほとんどそう感じてしまう)。工業社会の次の脱工業社会は「知識社会」という主張も、あまりに安直に思えて賛同しかねた。知識社会の定義も定まっていないのが本当のところで、知識社会とは、知識を金に換える社会に過ぎないという考え方がほとんどであることに著者は気づいていないのだろうか。たとえば「知識社会になると、情報手段の飛躍的発展によって、時間節約が可能となる」というのは、あまりに楽観的過ぎるのでは。著者自身が知識労働者であるが、本を読むなど知識吸収に多くの時間を必要としているというのが現実ではないだろうか。「労働時間とは人間が生存していくために必要な基礎的ニーズを充足する活動に費やされる時間である」ということになると、その基礎的ニーズを充足する活動に費やされる時間は、収入に返還されるプロセスを経る必要があり、それは市場によって決定される価格に支配されているのだから、基礎的ニーズを充足する収入がどう決定されるのか、そこに視点を移さないとならないと思える。高度な知識には高い価格がつくということになるのだろうが、実はそうではなく、多くの金を所有するものが高い価格を支払うことが可能なのが現実で、市場では知識はそのように流通している。老人介護も高価格を支払うことによって人間的に扱われているのが現実といえる。むしろ、知識社会(あるいはサービス社会)という幻想こそが問題であるように思える。「あとがき」にある、出版社は「経済学で民主主義を語って欲しい」とした要求に本書は、不十分な回答だったように感じる。特に、p183でスウェーデンの『あなた自身の社会』の引用から「大勢が一緒にやれば、よい考えが生まれるものですし」はよいとしても「交渉力も増加して敬意を呼び起こし、成功への可能性を高めます」という記述には民主主義を多数派支配と勘違いしているのではと感じて残念だった。経済システムの中に、民主主義を組み込む作業こそ重要なのであり、統治の概念(ガバナンスと言われている)の一新こそがいま期待されているといえる。ドラッカーの名前が出てきたが、経営学がたんなる経済組織のお先棒担ぎでしかないことが問題なのである。知識社会の主張の最大の欠点は、これまでの一次産業から二次産業へ、二次産業から三次産業へという従来のパラダイムから抜け出していないという点にあるように思えた。民主主義国家が成立するためには、一人一人の自立がなければならず、そのような人々によって統治される社会、自治があらゆる場面で機能する社会こそが、「人間国家」なのではないか。その点で、民主主義とは政治システムの考えだけではなく、人間社会のあらゆる領域に存在するものでなければならない。そして民主主義とは多数派支配ではなく、自立した人間が社会を構成する人々の意見に耳を貸し、社会を共に創りあげるという意思を持った社会であるのではないか。「人間国家」という人間の存在を意義あるものという考えには賛同するが、論理においてその道筋を描けているということはできない、というのが感想である。

9:21 2015/09/19 

 


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