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2014年11月20日 (木)

64頁・平成26年11月19日 まで・第2章 職員三〇〇人のお役所意識を壊す・41頁・平成26年11月16日・日本では、財団法人経済生産性本部が主体となり、1995年12月に「日本経営品質賞」を創設。1997年に第一回の受賞企業を発表している。

引用


http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2014/11/3-65261127-4cd3.html


26頁・・34頁・まで・・・第1章 おらほの「役場」を「会社」に変える・ ・村長就任の最初の挨拶は「弊社の皆様!」


http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2014/11/1-2014118-534-b0ca.html


第2章 職員三〇〇人のお役所意識を壊す・41頁・平成26年11月16日・

まず最初の改革ツールは「情報公開」・42頁・

1994年11月、村長に就任した柳村純一には、真っ先にやらねばないけないと決意していたものがあった。情報公開である。


既に就任挨拶で「情報公開条例」を制定することを柳村は宣言していたが、当時はこの制度はそれほど知られた存在ではなく、職員も「なんでおらほの村さ必要だべ」といった感じで、ピンとくるもはいなかった。

なぜ情報公開なのか。

柳村は「二回の村長選を通じてつくづく感じたのは、住民と行政マンの意識のズレです。行政が住民に信頼されていない。これは思い切って情報公開しなければダメだと思った」とその理由を語る。

今まで隠していたものを「オープンにする」とは、職員自身が日々の行動を住民に「監視される」ということであり、仕事をおろそかにすることは許されない。情報公開は、住民本位の仕事を遂行するべく意識の改革を行うために、有効なツールになると考えたのである。


柳村の政治手法は、制度づくりなり政策を実際にやらせてみる。そして、その実現に向けた行動屋プロセスを通じて職員の意識を覚醒させるというものである。制度の中身や実現された政策そのものより、実現に至るプロセスこそが人間を変えていく上で重要と考える。

43頁・

上から頭ごなしに、「考え方を変えろ」「行動を変えろ」と言っても、簡単に変わるものではないことを柳村は知悉していた。滝沢村で彼が実施してきた政策の数々は、全てその考え方に貫かれていといってもいいだろう。

では、なぜ変える必要があるのか。その真意について、彼はあるインタビューでこう述べている。


そもそも地方の役所で働いている行政マンは、地方公務員法という法律に守られており、よほどのことをしない限りクビになることはありません。従って首長に平気で逆らうこともできれば、仕事を怠けることも簡単にできる。「誰のために仕事をしているのか」といえば「自分の場所を守るために仕事をする」という傾向が強い。

だからこそ、外へ出ていけば住民から不平不満を言われることが分かっているので、自分から住民の中に飛び込んでいくことはありえないのです。

このような状況では、住民が行政に対して不信感を抱くのは当たり前のこと。住民から信頼されなければ組織としての存在価値はないのです。

11年前の滝沢村の行政は、まさにこうした状況でした。こうした行政マンの「曲がった意識」を変えるのは非常に難しいことです。勉強会を開いたりしてもなかなか変えることはできない。

44頁・


まずは周りの環境そのものをドラスティックに変える必要があるのです「経営品質協議会発行・第12号「年4月」・周りの環境をドラスティックに変えることで、行政マンの「曲がった意識を変える・・・。まさに村長就任以来の真の狙いは、ここにあったと言えるだろう。

44・

全職員へのパソコン導入で「壁」が崩れ始めた・44頁・平成26年11月16日・

しかし、意識改革のツールとしての情報公開制度の実現は容易ではなかった。

そもそも、古い資料を含めた公開すべき情報の分類が必要となる。さらに、初めての試みであることから、手続きを含めた法整備に時間を要する。

柳村が導入を表明した半年後に担当者が調査したところ、実施するまでには三年程度の時間が必要であることが判明した。

情報公開の手続きにおいて立ちはだかったのは、個人のプライバシー保護との整合性をいかに持たせるかという難問である。どこまでが個人の情報で、どこからそうでないのか。これは経験のない職員だけで決めることは難しい。

そこで、弁護士や専門の大学教授も交えた有識者を組織して一つひとつを検討し、「行政情報公開条例」もセットで作ることにした。

45頁・「プライバーシといっても、どこまでがそれに該当するのか。例えば、公共事業の入札・落札価格は入札者のプライバシーに当たるのかどうかという問題を含めて検討する必要がありました。

プライバシー保護の観点から「個人情報保護条例」も一緒にださないとおかしいということで、両方の検討を同時に進めました。おそらく二つの条例をセットで作ったのは、当時、珍しい方ではなかったかと思います」

 

難問はそれだけではなかった。第一に、公開すべき過去の情報の管理がずさん極まりない状態にあった。

役場の書庫に足を運んだ柳村、雑然と積み上げられた資料の山を見て絶句した。

「書庫を見たらめちゃめちゃです。情報開示するといっても、その情報が一体どこに入っているかがわからない。一応、ダンボール箱に入れて年代別に分類はしているが、全部署の書類がごちゃまぜに入っているのです。

もし、過去に遡って開示請求されたら、探し出すのに30人の職員で3日も4日もかかってしまう。これは大変だということで、まずは書庫を整理して、文書管理の作業から始めなければいけませんでした」

こうして、条例の制定と文書の管理システムの整備を含めた情報公開制度の、三年後の実現に向けた取り組みがスタートした。その過程で、従来の仕事のやり方の見直しを迫られる事態が浮上した。

46頁・

例えば、日頃の起案文書などの書類は情報公開に沿ってどう作成するのか。あるいは、新規文書が情報公開の対象になるのかどうか。その対象になった場合、他の部署の類似した文書との整合性はどうするのかといった、部署間の連携なしには解決しない問題も発生する。

これまで「縦割り」でしか仕事をやってこなかった職員は、情報公開制度の導入に向けて「部門間横断型」の仕事のやり方に切り替える必要が生じ、部門間のコミュニケーションがしだいに進むようになった。同時に、横の連携によって開示請求に対するスピーディな対応が求められる以上、業務の効率化も不可欠になる。

その結果、若手の職員の提案により、パソコンによる文書管理システムを新たに構築することになった。

そうなると、一部に導入するより、広く導入したほうが効率化を促進できる。そこで、三年をかけて段階的に全職員に一人一台のパソコンを導入することを決めた。

ところが、最初は役職者を中心に導入したところ、若手の職員から「おらのとこさ来るまであと二年かかるのっかっ!」と、文句がでた。


「公務員というのは平等意識があります。若い連中にしてみれば三年も待っていられないし、三年待ったら取り残される感じがしたのでしょう。至ることころからぶつぶつと文句が出たのです」一挙にパソコンを300でい入れるとなると、現在とは違い、決して安くない時代である。

47頁・完全に予算をオーバーする。しかし、改革のスタートでもあり、ここで職員間の不和が発生するのは得策ではない。

柳村は有段を下して、「よーし、そこまで言うなら思い切って全部入れろ!」と、命じた。

パソコンだけでなく、サーバーなどの設備を含めた導入費用は1億円弱。この想定外の費用をなんとか捻出しなければならない。

そこで既存の事業を検証し、「こんなものはいらない」と白羽の矢が立ったのが、道路の舗装関連事業の予算だった。

滝沢村に一人一台のパソコンが導入されたのは1,998年初頭のことである。当時の役場はワープロがまだ主流だった。岩手県でも初めての試みであり、都市部の自治体でも一部門に一台、ないし役職者に一台というのが珍しくなかった時代である。

こうして、いち早く導入したものの、使いこなせる職員は多くはなかった。パソコンメーカーに依頼して何回か講習会を開催したが、それだけで覚えられる人もいれば、そうでない人も発生する。


実は、このパソコン導入の結果、職員の意識に「一大革命が起きた」と柳村は語る。「組織の文化が大きく変わりました。それまで課長補佐や課長といった管理職は、管理タイプが多いですから、「俺の言うことが正しく、それが全てだ。言うことを聞け」と上意下達でやって来たわけです。

48頁・

ところがパソコンが入り、皆がパソコン教室で講習を受けることになって、どうなったか。

若手の職員はマスターできても、45歳以上の年配者は講習だけでは理解できません。そうすると、今まで教える一方だった上司が、若手に「申し訳ないが教えてくれ」と頭を下げるしかないわけです。管理職にしてみれば、それまでふんぞりかえって教えを請うということはなかったから、「今まで教えていたやつから聞くことなんてできない」と悩んだ人が多くいます。


若い連中に習ったら人目が悪い、恥ずかしいとね。悩みに悩んだ挙句、頭を下げて教えてもらって使えるようになりました。

結果的に、頭を下げた人間は、後々まで部下とうまくコミュニケーションができるようになりました。逆に、部下に頭を下げてまで習いたくないと思った人は、自分で必死に努力したり、自分の子供に聞いたりしていたようですが、そういうタイプはその後も部下とはうまくやれなかったですね。パソコンを導入したことで、それまでの上下意識が変化し、部門を隔てていた「壁」もなくなり、自由に横断できるようになりました。環境を変えることは人間の意識も変えること言うことを実感しました。

パソコンの導入という単純な行為が、頑迷な縦割り社会に漂う閉塞感を少しずつ溶かしていく起爆剤となった。

さらに、環境を変える、働き方も変えるという観点からの改革提案については、柳村は年齢によらず、また役職者であるか否かにかかわらず、面白いと思う意見を積極的に採用した。

49頁・14/11/17 9時21分・

新しいことについては、若者ほど関心を持って積極的に動くものだ。

当時の滝沢村の30歳程度と、他の自治体に比べて10歳ほど若かった。昭和40年代後半の人口増加とともに職員の採用が増えたため、平均年齢も若くなっていたからである。年輩者の陰で埋もれていた若いエネルギーが、柳村の改革により少しずつ開花していった。

49・


滝沢式「文書管理システム」が自治大臣賞を受賞・49頁・平成26年11月17日・

滝沢村の若手「社員」のエネルギーが結実した「成果」とも言えるのが、前述した「文書管理システム」である。


従来の役場の文書は、全国どこもそうであったように黒い厚紙の表紙に文書を紐で綴じた帳簿形式のもので保管していた。そして、一定の年数が経過すると帳簿を開いて、廃棄するかしないか、手作業で分別していた。

情報公開にあたってはそのやり方を廃止し、部署ごとの箱に入れて管理する「ボックス管理方式」という手法を開発した。四角い緑色の箱に二つ折のホルダーを差し込む。ホルダー内には文書が挿入されている。そして、ホルダーは種類ごとに色を変えていて、色の違いによって「○年保存」「○年後廃棄」」など区別される。

50頁・

また、ホルダーにはバーコードシールが貼付され、それを読み込めばパソコン画面に廃棄文書の一覧が表示される仕組みになっている。

ホルダー内の文書は、伝票関係であれば伝票ごとに分類される。議会関係や各部署の資料も種類ごとに分類され、それを大分類、中分類、小分類の三つに区分して整理される。最後に、情報公開に対応できるよう、文書ごとに開示対象か、非開示か分類する。非開示の場合はその理由を記載する。

例えば、まだ意思決定中であるとか、個人情報が含まれているといった理由である。


最終的に、こうした文書類を電子化して、担当課ごとに検索すれば文書に一覧表が画面上に表示され、探している文書がどこにあるのか瞬時に分かる仕組みを作り上げた。

もしも実際に情報公開制度に基づく開示請求があった場合は、その内容を確認して、個人情報保護規定に基づいて開示するか否かを判断することになる。

滝沢村の文書管理システムは、現在の水準から言えばごく当たり前ののように感じるかもしれない。しかし、10年前には画期的なシステムであった。情報公開制度がスタートした1,998年に自治大臣表彰を受け、高い評価を得たものである。

その結果、表彰された年からその翌年にかけて、全国の自治体の職員が文書管理システムの見学に相次いで訪れることになった。

51頁・


言うまでもなく、この快挙は職員たちの努力の結実であり、「ヤル気になれば日本一になれる」という意識を鼓舞することもつながった。

情報公開制度の実施によって、住民に開かれた行政を実現するとともに、これをツールとして職員の意識改革につなげるという柳村流の経営改革の狙いは、間違いなく奏効したと言える。

「そう‐こう【奏効】 [名](スル)ききめがあらわれること。「新薬が―する」

それだけではない。情報公開制度の実施に伴い、職場内部に蔓延していた「不透明なやりとり」がなくなるという効果もあった。

あらゆる行政文書の公開を前提として業務の執行を行う以上、曖昧な文書作成や操作は許されなくなる。柳村はその効果をこう指摘する。


「公開する必要がなかった時代は、極端に言えば何でも隠せたわけです。しかし、これからは公開が前提ですから、仕事の流れにしても不透明感をなくしていかなければいけない。たとえば、議員が課長のところに行って、これをやってくれ、あれをやってくれという以来もできなくなったわけです。

その理由が当然、記録に残るわけですから。すべてオープンにするということで、内部や外部とのもたれ合いもなくなった。公正にやらなければ、そのプロセスを後で突かれることになりますから。議員たちの「口利き」が少なくなりましたね」

情報公開制度の実現は滝沢村の知名度を上げるだけでなく、阻止子風土を変化させることに大きく貢献した。

しかし、柳村の求める改革はそれだけではなかった。

52・14/11/17 10時16分・


民間企業も難しい「ISO取得」で一体感を初体験・52頁・

1,998年、村長再戦を果たし、二期目に入った柳村は、ISO(国際標準化機構)の認証取得を宣言した。

ISOは1,947年にロンドンで創設された、工業・農業産品やシステム等の国際的な標準規格化制定、普及させる機関であり、スイスのジュネーブに本拠を置く。約2,700の専門委員会があり、様々な分野での国際的な「交換」を容易にするための諸規格を取り決めている。


世界各國の代表的な標準化機関が加盟しているが、日本では日本工業標準調査会(JISC)が加盟している。そこでJIS規格が決められるが、その国際版と考えてもらえばいい。


滝沢村が認証取得を目指したのは、ISO9000シリーズの9001と呼ばれる「品質管理企画」とISO14001と呼ばれる「環境マネジメントシステム規格」である。

9001の特徴は、製品の品質そのものではなく「品質管理の仕組み」の規格を定めている点である。現場の管理マニュアルや作業マニュアルを整備するなど、一連の仕事の流れや手続きなどのプロセスを明確化しようというものである。認証を得るには経済産業省が所管する「財団法人日本品質システム審査登録認定協会(現・財団法人日本適性認定協会)が認定した「認証機関」の審査を受けて合格しなければならない。


53頁・


当時、海外との貿易や取引を行っている民間企業はこぞって認証取得に動いていたが、貿易と関係のない地方自治体で取得したところは一つもなかった。なぜ、ISOの認証を取得しようと考えたのか、柳村はその狙いをこう語る。

「職員の意識を改革するために民間の講師を呼んで様々な研修や勉強会を開催しました、その時はウン、ウンと頷いて熱心に聞いていても、終わるとケロッと忘れてしまう。問題意識を持つ者も何人かは出ますが、大半は研修を重ねても変わらない。

結局、勉強会だけを何回やったところで人は変わらないと思ったのです。人間の意識というのは環境が作り出しますから、それなら思い切って環境を変えるしかないと。ではそうするかという時に、若い職員からISOの提案を受けたのです。ISOは仕事の流れを手順に従って行う仕組みですが、私にとっては、とにかく物と金を大事に使って欲しいという思いがありましたから、物を大事にするという意識を育てるにはISOがいいと考えたわけです。提案者の若い職員にやってみろ、ということで、二人の職員を専属にして認証取得に向けてゼロからスタートしたのです」


ISO認証取得のプロジェクトはこうして始まった。ところが、大半の職員はISOとはどういうものか知らないばかりか、なぜ認証取得する必要があるのかについても理解していなかった。


54頁・

とりわけ、日常業務とは別に新たな仕事が増えたことで、庁内全体に怨嗟の声が上がった。


「あの村長、格好をつけるためにISOとかいうわけのわからないものを入れてどういうつもりだ!」

「なんで役場にISOが必要なのか。そこまでやる意味があるのか!」


不満の声はプロジェクトのメンバーにぶつけられるだけでなく、柳村の耳にも入ってきた。すべての部署の理解と協力がなければ認証取得はできるものではない。プロジェクトのメンバーや柳村がいくら旗を振っても「職場は踊らず」という状態がしばらく続いた。

そこで、職員全員に対してプレゼンテーションを実施することになった。午前、午後、夕方五時以降の三回に分けて勉強会を開催し、その冒頭で柳村はISO取得の意義について接々と訴え続けた。


「なぜISO9001を取得する必要があるのかと思いでしょうが、その狙いの一つは住民のクレームに対する対応能力の均質化という面があります。住民の苦情のほとんどがトップに直接来るのです。担当部署では埒があかないと考えているからです。また、現在300の職員がいますが、仮にこの中に三人悪い職員がいれば、役場組織の全体が悪いと思われるのです。

と言って、この三人を辞めさせば解決するという問題でもない。組織の土壌自体を変える必要があります。

55頁・平成26年11月17日・


みかんが一つ腐っていれば他のミカンもだんだん腐っていくと同じです。やはり全体のレベルを上げていく必要があるのです。それからもう一つ、人事異動後でも、手順書を見れば最低限の仕事は誰にでもできることになります。住民から「だからお役所は・・・」と言われないためにも行政サービスの品質を改善する必要があるのです」

このように説得し、ときにはなだめすかしながら理解を求める活動を展開した。しかし、勉強会を開催しても、部署としての具体的な動きはその後も見られなかった。

そして一年がいたずらに経過し、外部の認証機関の審査を受ける半年前になってようやく重い腰が上がり始めたのである。

「動き始めたきっかけは、一回予備審査に入ってもらってからです。課長たちが「おらほの課のせいで認証取得ができなければおしょす」、つまり恥ずかしい、自分のメンツが潰れるということでした。すると、いい意味での競争が始まり、みんなでやらなければという雰囲気が生まれ、ついに火がついたのです。村役場の全体として取り組みわけですから、例えば清掃センターや給食センター、あるいは水道事業所といった出先機関にも相当の負荷がかかるわけです。本当に大変な作業でしたが、みんな突貫工事で頑張ってくれました」


そして審査当日。

審査員が現場を回り、規格通りに機能しているかをチェックする。審査は約3日間かけて行われたが、外部審査という経験が全くない職員たちは、それまでになく緊張していた。

56頁・11/18/2014 8:46 PM

審査結果は「合格」だった。

当初は、環境マネジメントシステム企画のISO14001と品質管理企画の9001の同時取得を目指していたが、2000年8月に14001を先に取得し、三ヶ月後の11月に9001を取得している。


9001の取得作業は困難を極めたものだった。


「やってみて私も驚いたんでうが、認証取得は全部署が対象ですから、部署ごとに手順書を作成しなければいけません対外部だけで800の手順書が必要であり、体内部と合わせると1600ぐらいになるというのです。要するに、役場には1600ぐらいの仕事があるわけです。体内部は置いておいて、対外的な顧客に関係する800の手順書に絞りましたが、それでもこれだけの数の手順書を作るのは大変でした」


いよいよ土壇場になって、職員たちは負荷を顧みず、認証取得に向けた作業に没頭した。その結果の「合格」通知は、役場の風土にどのような影響を与えたのだろうか。

柳村は、「みんなが本心から喜びました。初めて自分たちが外部からも認められたということで一体感もありました。達成感を味わった瞬間でもあったと思います」と語る。しかも、審査員からも高い評価を受けたという。

57頁・11/19/2014 4:11 AM・

情報公開制度とそれに伴う文書管理システムによる縦割り文化の排除、更にISO取得による仕事の標準化を通じて、職員たちの意識や職場風土は徐々に変わりつつあった。

一連の取り組みは、それまでの役場の仕事の仕組みと、従来の仕事のやり方に対する職員の意識の「創造的破壊」につながるものであったろう。

アサヒビール、日本IBMも受賞した「日本経営品質賞」


・57頁・

一連の、滝沢村の職場風土改革および既存の行政モデル転換の集大成とも言えるのが、2000年度からスタートした「行政経営品質」向上活動である。

折しも2000年4月1日から「地方分権一括法」が施行され、自治体運営はまさに「経営」が問われることになった。


予算、決算、事務作業、組織、機構、定数配分などにおいて従来の手法では対応できなくなってきたのである。特に「地方債許可制」がなくなるまでの数年間に、従来の行政システムを抜本的に改め、生産性と効率を重視したマネジメントにシフトする必要があった。


地方分権時代においては、行政経営の効率化と並行して、顧客である住民の満足度の向上も追求していかなければならない。つまり、納税者が負担する税金と享受するサービスのバランスの中で、人、物、金、情報といった資源を効率的にかつ効果的に配分して経営していかなければならない。

58頁・

そのためには住民本位の行政組織の構築、役場内部の組織文化の変革など行政経営の仕組みを住民の側に立った尺度で継続的に改善していくことで「住民満足度」を高めていく必要がある。

この目的を実現するためのツールとして柳村が選択したのが、「日本経営品質賞」だった。


日本経営品質賞は、顧客や市場を原点として、徹底した顧客重視、品質重視を基本とする経営を目的とした米国の「マルコム・ボルドリッジ賞(MB賞)」をモデルにしている。1988年、レーガン政権下での米国で、国家的競争力の向上を目的に、当時の商務長官の名を冠して設けられたこの賞は、米国企業の経営革新に新風を吹き込んだ。

具体的には、顧客が満足するクオリティの改善を全社レベルで創造的活継続的に行うことができるか、その実施の度合いを評価する。改善領域を発見できる優れた経営システムを持つ企業に対して、米国大統領が毎年、製造業部門、サービス業部門、中小企業部門の三部門から合わせて最多六社に賞を与えている。


日本では、財団法人経済生産性本部が主体となり、1995年12月に「日本経営品質賞」を創設。1997年に第一回の受賞企業を発表している。


柳村がこの日本経営品質賞の存在を知ったのは、ISOの審査で役場を訪れた審査員の口からだった。


59頁・11/19/2014 4:57 AM

「経営品質というマネジメントシステムがあるよ、と教えてもらったのです。これからの行政経営においてはISOだけでは限界があると思っていましたし。それで、まずは手始めに現状をアセスメント(評価)してもらうことからスタートしました」

2000年12月に、役場の企画課、生活環境課および福祉課・基幹型介護支援センターについてサンプル的に外部のアセスメントを実施した。ところが、その結果は惨憺たるものだった。

「経営品質のアセッサーが来て筆記とインタビューを行うのですが、答えられないし、書けない。たとえば、「あなたがたは、どういう人をお客さんだと思っていますか?」という質問をすると、大体の職員は住民と答える。「住民だけですか?」と再度聞くと「よそに住んでいても固定資産があり、固定資産税を納めている人」とまでは答えられるが、さらに、「それだけですか?」と突っ込まれる。

環境担当なら「クレームにどう対応していますか」「課長自身でゴミの状況を見ていますか?」「問題を組織として共有するしくみはありますか?その際、どういう議論をして、どのようにトップに伝わり、それをどのように改善に向ける仕組みがありますか?」と、とことん聞かれるわけですが、まったく答えられませんでした。結局、自分の仕事を全否定されることになるわけです」

経営品質のアセスメントは、組織の問題点について、医師がレントゲンを見るゆに細かく分析していく。その過程でどの血管が詰まっているのか、あるいは骨が折れているのかといった、組織の弱点を明らかにしていくというスタイルを取る。

60頁・14/11/19 5時16分59秒・

そして、それらを通じて構成員自ら組織の弱点に気づくように導いていく。

アセスメントを受けた担当部署の職員は、流石にプライドを傷つけられた。しかも、経営品質の審査は、書類審査や現地審査も含めてトータルで1,000時間もかかり、ISOの認証の比ではない。

課長をはじめとする職員たちの間に「バカくさい!こんなのやっていられない!!」という反発の声が沸き起こった。

日本経営品質賞は、言うまでもなく民間企業を対象に始まった仕組みである。しかも、受賞企業は1,997年のNECをはじめ、日本総合研究所、アサヒビール、リコー、富士ゼロックス、日本IBMといった日本を代表する超優良企業ばかりである。

そういう中に民間ではない、しかも職員300人足らずの村役場なんで挑まなければいけないのかという思いもあったろう。

もしも、反発の声が職員の大勢を占めるようなら「中止する可能性もあった」と柳村も認めている。

しかし、二週間ほどして、アセスメントを受けた部署の一つから続けたいという声が出たのである。

61頁・

「みんなで酒でも飲みながらどうしょうかと話し合ったみたいです。その結果、「もう一回やってみるべ」という決論に落ち着いたようです」

部内でどんな議論が展開されたかは定かではないが、仮に二年前のISOの認証取得活動以前でありば、そうはならなかったかもしれない。

職員たちはこの二年間を通じて、現在の組織と仕事の変革の必要性を感じていたのだろう。一つの部署が立ち上がったことで、行政経営品質向上に向けた機運が次第に全庁的に盛り上がっていった。そして、庁内に「日本経営品質賞」のために10人のワーキンググループを設置。役所全体についてセルフアセスメントを実施することで、本格的な活動が開始された。

この経営品質向上に向けた全庁的な取り組みは、やがて滝沢村の行財政改革のスピードを加速する起爆剤となっていくのである。

そして五年後の2006年、滝沢村は、地方自治体としては初めて「日本経営品質賞」を受賞するのである。

61・

役場全体の観点に立つ「一職場一改善運動」61頁・14/11/19 5時44分・

この間に行われた職員の意識改革の成果を問う試行的な取り組みが、2003年と2004年に実施した「一職場一改善運動」である。業務の効率化を目指した改善案を職場ごとに最低一つ提案し、実行に移すというものである。その結果、特に大きな成果が示された課には優秀賞を授与することにした。

民間企業では2000年以降、広く取り入れられている手法であるが、滝沢村でも目に見える成果を上げることができるかどうかが問われた。

全三四課から提案された改善案は、一つの課で二つ提案したところもあり、計三七に上がった。たとえばユニークなものとして、営業課が提案した水道メーターの検診見誤り率の低減策がある。

各家庭の水道メーターの検針員には、村から異食された六〇歳を超える検針員もいて、度々入力ミスが発生していた。水道メーターは外に出ているが、メーターの数字は細かい。視力の衰えた年輩者がやれば、数字を見誤りやすい。

そこで生まれたアイデアは、検針員に数字をもう一度声を出して読み上げてから入力させるというものだった。JRの車掌が停車駅で声をだして指差し確認する方法からヒントを得たものだ。

実際に試したところ、検診の誤差件数は従来より四二%も減ったという。住民のクレーム対応策として効果があったということになる。下水道工事の改善提案も大きな効果を生んだ。

63頁・

滝沢村では下水道工事は年間に7~8本、秋以降に行われるが、受注した業者がそれぞれの場所で工事を行い、村の担当者が定期的に現場に出向いて、工事が適正に行われているか、安全対策は十分かなどをチェックしていた。

放っておいても完璧な工事をしてもらえるなら、いちいち職員が出向く必要もないのだが、業者には大きな会社もあれば小さな会社もあり、技術レベルにも差があるため監視する必要があったのだ。

そこで生まれた改善策とは、受注した業者が集まり、安全対策を講じた適正な工事をしているかを管理する「工事安全協議会」を組織させて、その協議会が各現場をチェックして回るというものだった。これも、予想以上の効果を挙げたと柳村は語る。

「お互い同士でチェックするので、技術レベルに差がある場合、そこはこうしたほうがいいんじゃないか、あるいは、こういう場合はどうしたらいいかと互いに教え合うことで、安全対策はもちろん工事のトータルの技術レベルも上がるという効果があったのです。

また、終了後の安全対策にしても、防護柵やネットを張らなくてはいけないのですが、なかには適当にやっている業者もいました。それが、きちんと行われるようになったのです」

下水道工事の効率化の提案は、監視に費やされる職員の時間を削減する以上の効果を上げたということで、二〇〇四年度の最優秀賞を受賞している。

64頁・14/11/19 8時16分・

二〇〇四年度にもう一つ最優秀賞を受賞した改善策がある。会計課が提案した公共料金一括処理である。

村には本庁の他にさまざまな出先機関があり、支払い伝票の処理はそれぞれの部署で担当していた。

その中でも光熱費や水道料金などの公共料金にかかる伝票枚数は年間約1,800枚と大きな割合を占めていた。その業務を会計課が「全部引き受けます」と申し出たのである。

会計課が引き受けることで、現場の作業量がかなり軽減されることになる。

この改善提案の画期的なところは、会計課自身のためではなく、役場全体の観点に立って効率化をを追求した点にある。最優秀賞に値すると柳村が認めた点もそこにあった。

「公務員というのは、今より仕事を増やしたくないという気持ちが基本にあります。これは絶対的といっていいほどです。だから、仕事を増やすというと、必ず人とお金をよこせというのが普通です。にもかかわらず、会計課は現場の効率化のために、それまでよりも仕事が増えることを承知で提案したのです。その着眼点がよかったのです」

かつての滝沢村は、組織間の壁が厚く、悪しきセクショナリズムが蔓延していた。隣のセクションが忙しくしていても、まるで別世界のできごとのような意識しか持てなかった職員が、役場全体を自分のこととして意識するようになった。

この会計課の提案こそは、いかに職員自身が成熟してきたかを示す象徴的事例だろう。

64頁・平成26年11月19日 水曜日・

 第3章 フル稼働できるフラット型組織をつくる


コメント

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