第6章・・国策に従わずに守り続けた広葉樹林・196頁・・では、なぜ今から20年も前に四国の小さな山村にこんな会社が生まれたのだろうか。199頁まで・
引用
反骨の市町村 国に頼るからバカを見る 単行本2015・3・19 相川 俊英 (著)
アベノミクスの「地方創生」は画に描いた餅!
このままでは国土は強靭化どころか弱体化し、多くの市町村が破綻・消滅する!
出生率の低下、東京一極集中で、2040年には市町村が半減すると言われている。
これは地方自治体の多くが、中央官庁お仕着せの政策とばらまかれる補助金、すなわち「タリキ(他力)」に頼ってきたツケに他ならない。一方で、国に頼らず独自のアイディアと取り組み(「ジリキ(自力)」)で自治体の再生・活性化を成功させた「奇跡の市や村や町」がある。
過疎化から人口増に逆転させた村、シャッター商店街をよみがえらせた町……。彼らはいかにして自分たちを守り、未来を切り開いたのか。その奇策とは!?
ローカルアベノミクスのまやかしに警鐘を鳴らす地方自治取材のスペシャリストが、地方再生の特効薬「ジリキ(自力)ノミクス」を提唱する!「自律度」「豊かさ度」「税納付率」「投票率」ほか独自集計の市町村ランキングも多数掲載。
第6章・・国策に従わずに守り続けた広葉樹林・196頁・・では、なぜ今から20年も前に四国の小さな山村にこんな会社が生まれたのだろうか。
もともと旧十和村は災害多く、「日本一の寒村」とまで呼ばれていた。住民はそれほどまでに厳しい生活環境を強いられていた。このため、戦前は村民の約3分の1が村を離れ、満蒙開拓団に加わったほどだ。
ところで、繰り返し述べているように、国は戦後、杉やヒノキといった針葉樹を植える政策を打ち出した。国策として全国の山村に大号令を発したのである。
日本の天然林の多くは広葉樹で、当時は約8割がそれであった。国からの手厚い補助金が効き、国策に飛びつく地域が相次いだ。貴重な地域資源である広葉樹林が、瞬く間に針葉樹林に変貌していった。
全国各地がいっせいに、同じ方向へ猛進していったのである。
だが、高知の小さな無名の山村に過ぎなかった旧戸和村は違った。国策に従わず、地元の広葉樹林を大切に守り続けたのである。
197頁・
当時の森林組合長の岡峰さんが、「何でもかんでも植林さえすればよいというものではない。山の複合経営を維持すべきだ」と、住民を説得して回ったことによる。
岡峰さんの考え方はこうだった。
スギ・ヒノキを植林しても、それらが商品になるには40年に以上かかる。その間、山からの収入が得られなくなり、いずれ生活できなくなる。年間通して山から収入が得られるような複合経営を維持すべきで、そのためには天然の広葉樹林を残しておくべきだというものだ。シイタケやクリ、茶などを栽培するためである。
岡峰さんの村づくりに心血を注ぎ、森林組合事務所に寝泊まりする生活を送っていた。そんな人物の懸命な説得に、住民のだれもが耳を傾けた。そして、補助金の魅力に惑わされずに広葉樹林を残す道を選択したのである。
こうして旧戸和村の約6割が広葉樹林のままとなり、地域の貴重な資源となった。地域資源を守り、活用することを提唱した岡峰さんは、人材育成にも熱心だった。若者たちと森林組合事務所で村づくりの話に没頭し、そのまま朝を迎えることも珍しくなかった。こうして小さな村に、岡峰門下生というべき人材が育っていった。
「四万十ドラマ」の畦地社長がその代表的な存在だ。
197・
・循環経済で「地元の創り直し」・198頁・4/8/2015 2:09 PM・
日本で最も早く人口減と高齢化の現象に見舞われたのが、島根県である。
平地が少なく、県域のほとんどを中山間地域が占める島根県は、人口わずか約70万人。東京の練馬区の人口より少なく、「過疎」という言葉は島根で生まれたといわれている。
そんな島根県は、地域活性化の取り組みにおいて最先端を走っている。
島根県は1998年に、中山間地域の問題を調査・研究し、打開策などを練る専門機関を創設した。
「島根県中山間地域研究センター」
http://www.pref.shimane.lg.jp/chusankan/
(以下、研究センター)で、県内の中心部ではなく、山間部の飯石郡飯南町に設置された。地域活性化に特化した全国で唯一の公的な研究機関である。
研究船体は、実効性のある地域活性化策を積極的に提言し、かつさまざまな実践活動に力を入れている。島根県のみならず中国地方の過疎地の地域づくりに協力し、成果を上げている。
そうした調査・研究と実践を基に、2013年5月に「地域づくり虎の巻」という本を出版した。地域活性化のいわば指南書である。この虎の巻を一読することをお勧めしたい。
199頁・
研究センターが提唱する地域活性化策は、従来のものとは大きく異なっている。外から何か持ってくるのでも外に打つ手出るのでもなく、「地元の創り直し」を行うべきと主張している。
では、「地元の創り直し」とは一体いかなるものなのか。
提唱者である研究センターの藤山研究統括監は、「中山間地域の本質は、資源や居住の「小規模・分散性」にあります。「規模の経済ではなく「循環の経済」に転換すべきです」と語り、「地元の創り直し」の意味と中身を解説してくれた。こんな趣旨だった。
日本は戦後一貫して、「規模の経済」を追求してきた。「大規模」な施設を「集中的」に配置し、特定の分野、産物、機能への専門家を進め、海外を含めた遠隔化した流通経路でつなぐ経済システムだ。特定の臨海部に産業や人口を集中させ、経済成長を果たしてきた。その基盤となったのが、安価な化石燃料の大量消費である。
一方、中山間地域の本質は資源や居住の「小規模・分散性」にあり、「規模の経済」を追求する社会経済システムとは相容れないため、成長路線に乗り遅れた。それだけではなく、地域の基幹産業である農林業は海外からの1次産品を大量輸入により、衰退の一途をたどることになった。
こうして中山間地域の循環・定住の構造が壊され、過疎化が急速に進んでいった。
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