« 【1】今週の ~大前研一ニュースの視点~>農協改革・統一地方選・財政再建 ~政府は農協の株式会社化を主導すべき・・  【東京財団メールマガジン Vol.565】[1] トピックス┓「財政健全化の行方を読む | メイン | 龍郷町民との話し合いを毎月行う・良いと思う案は即実行に移す・矢祭魂は・合併しないで・自分たちで・独立できる・自立する行政改革をしているのです。 »

2015年2月22日 (日)

元気な子どもの声が聞こえる町をつくる―矢祭町=「合併しない町」の地域自立設計 単行本 – 2006・1 保母 武彦 (著), 根本 良一 (著)44頁・総合計画では7,500人の町に?!

引用


奄美大島は・長期衰滅の危機に立ち向かう・

・・大河のように止めなく・・

1・大司誠・たいし・まこと1950年、龍郷町瀬留生まれ。横浜市立大学文学部卒業後、南海日日の記者として入社・記者として本場奄美大島紬の流通問題、「南部大島開発問題」などに取り組む。練馬区役所を定年退職後、ビデオジャーナリストとして長期衰滅の危機に瀕する全国、奄美大島の地域経済の「新世紀版」づくりについての検証、考察を進めている。

奄美でも、復帰後、国の特別措置法に基づいく復興・・振興・・振興開発事業が、間断なく60年の長きにわたって行われてきているにもかかわらず、人口減少など地域経済の長期衰退の傾向が続いており、かって名瀬市が人口を吸い寄せて人口を増やし成長を続けていた頃の「南部大島問題」が、今では、奄美大島全体の問題になってしまっています。

それを深刻な形で象徴しているのが、農家の高齢化、一次産業離れなどによる耕作放棄地の増大と農地の原野化です。奄美大島全体の休耕地率は27・0%と、全体の3分の1に迫る高い水準に達しています。特に大和村(67・7%)。龍郷町(47・5%)、瀬戸内町(34・2%)の耕作放棄地の高さが際立つっています(2011年7月現在)。

生活保護率も県や全国平均に比べると非常に高い水準で推移しています。12年度の千人当たりの生活保護者の割合を示す生活保護率(千分比、パーミル)は、瀬戸内町が最も高く(75・3%、奄美市75・5%、大和村65・1%、龍郷町39・3%、宇検村27・1%となっています。同年度の鹿児島県や国の保護率は、それぞれ19・3%、16・9%となっており奄美群島の保護率の高さが際立っています。

人口の減少も、特に島嶼地域である沖縄と比較すると、その深刻さが浮き彫りになります。1950年の奄美群島の総人口は22万2779人。沖縄県が69万8827人で、奄美のおよそ3倍でした。ところが2013年現在では、奄美の総人口116,908人(同年3月)に対して、沖縄県は1,417,771人(同11月)で、奄美のおよそ12倍に増大しています。

このように、長年の国の特別措置事業にもかかわらず、まるで大河の流れのようにとめどもなく続いている奄美大島の地域経済の長期衰退傾向を生み出している内在的な原因事情は、いったいどこにあるのでしょうか。

「地方創生」が国家レベルの本格的な共同課題となり、政府主催の全国的コンペが行われ、その真価が問われている奄美大島の5町村は、「創生」に向けた「総合戦略」の策定作業に入っていますが、右の原因事情や旧来の取り組み・アプローチの限界性についての分析と総括を既にしっかりと終えているのでしょうか。主催者・公共の形成者としての市民の側はどうなのでしょう。

平成27年6月13日 土曜日

 

・・分業論の視点・総合戦略不在・・

2・60年にも及ぶ国の特別措置事業にもかかわらず、まるで大河の流れのように止めどもなく続いている奄美大島の地域経済の長期衰退傾向を生み出している原因事情は、いったいどこにあるのでしょうか。

そこでは中央政府の政策による日本経済の不均衡発展や猫の目のような貿易政策の変転、経済のグローバル化などマクロレベルの原因事情が大きく影響していることは明らかです。

しかし、創生への総合的戦略を構想し構築していくうえで重視すべきは、そうした外在的な原因事情以上に、奄美大島の地域経済社会の歴史や政治行政や民間経済主体側に存する問題性や限界性など内在的な原因事情であろうと思われます。こうした原因事情をどれだけ克服することができるかによって、外圧的な原因事情に対する抵抗力や対応能力に違いが出てくるからです。

筆者は、奄美大島に内在する最も重大な原因事情は、民間の経済主体のレベルにおいても、その活動を政策的・財政的に補完する5市町村の政治行政のレベルにおいても、「地方地場資本の蓄積体制(態勢)」を自覚的の総合的戦略的に追及する体制(態勢)がいまだに採られていないところにあると考えます。

地方創生のためには、地方地域経済の「新生基盤」づくりを果たさなければなりません。「新生基盤」づくりとは、「地方地場資本の蓄積体制(態勢)」づくりのことです。

自明のことですが、「地方地場資本」が蓄積されるためには、地域経済内部で生産された経済価値が、地域内に適正に留保され分配されて、組織的・社会的分業を形成し維持・拡大していく方向で再投資されなければなりません。

そのためには、1・まず、農林水産業など「第一次産業」が食糧などの自給機能をまず十分に果たした上で、地元市場を対象とする「地域産業」や全国市場を対象とする「地場産業に可能な限りの地場産原料を供給し、2・「地域産業」自身も外部からの財貨の移入によって地域の消費生活を高めるだけではなく、その内部構成で製造関連業種の比重を高めて、地元一次産業との相互依存関係を深める。

3・そして「第一次産業」と「地場産業」の振興によって域外からの「外貨」流入を増やし地域内部の資金循環を増大させる・・・このような結びつき(「組織的・社会的地域分業態」の形成)を通休止実現していくことが必要となります。4・そのためには、それを担う民間レベルの経済的な共同主体と、その取り組みをしっかり政策的、財政的に補完する政治的行政的な共同主体が存在しなければなりません。

ところが、地域経済の立場からすればきわめて当然と思われる、このような「自律的主体的な経済的分業論の視点」に基づく総合的で戦略的な政策施策は行われてきませんでした。地域経済至上さまざまな原因事情によって右のようなパッケージの形成は厳しく禁止され阻害され、実質的に放置されてきました。

15/6/13 10時32分41秒・・

・・阻害、放置された地域分業態・・

・3・奄美大島をはじめ奄美群島は鉄を産出しませんし、外海離島という知事的条件もあって鉄文化の移入も遅れたため、これが奄美農業の生産力の発展を著しく遅らせる要因になったと言われています。

むろん、群島全体はおろか、奄美大島全体を優勢な階級が統一支配する「自前の地方国家(政府)」を樹立したことも、歴史上まだ一度もありません。

遠い昔、北部以外はほとんど山地ばかりの奄美大島では、シマ(自然集落)は多数の入り江の奥に、それぞれ分散する形で存在していました。そうした地理的条件・物理的な交通環境が影響して、島内のシマ相互間の交易は未発達で、それぞれのシマの経済活動は長い間、人々が生活していくための共通の目的の下で相互に依存し合う自給的で自己完結性の強い組織的分業(=地域社会による「組織的分業」の原型に近いレベル)にとどまっていたと考えられます。

対外的な社会的分業も十分な発達は見られませんでした。ただ、奄美のサンゴ礁が夜光貝の方向であったためにその頃の重要な螺鈿(ラデン)などの工芸品の材料として、イグサによる琉球むしろなどとともに移出され、見返りに本土や大陸から鉄を移入して島の生産力を前進させていたとされています。

ところが、薩摩藩による封建的・早熟的な植民地主義的支配がはじまると、奄美の各シマの自然的経済は、藩が取り仕切る広域的な社会的分業の中に取り込まれていきました。薩摩藩は、鹿児島内陸部ではハゼ、屋久島は屋久杉、大島が黒糖、沖永良部島や与論島は米、琉球はウコンというように島ごとに分業制を敷きました。

奄美大島は「島全体としての組織的社会的地域分業態」を内発的に形成しきれない分散状態のまま、封建権力の主導する植民地主義的な広域的社会的分業体制に組み込まれ、私的売買も金銭の流通そのものも厳しく禁圧されていったのです。

このように、奄美大島では、地方地場資本の蓄積と域内再投資を可能にする「経済循環の場」と「自律的な政治的・経済的共同主体」のパッケージの形成が、18世紀以降、歴史的に徹底して禁圧され(1713~1872年)明治前半期の薩摩藩庁(鹿児島県庁)と鹿児島豪商による「植民地的経済支配(惣買入れ制)ソウカイイレセイ」の継続と「近代改革潰し」によって阻害され(1873~1891年)、そして、明治の半ば以降は、鹿児島県制による53年間にわたる「大島郡分離独立予算制度」の施行(1,888~1,940年)により完全に放置されて、古い仕組みが存続。

経済・政治面での近代化の恩恵から疎外されました。敗戦後の日本国から行政分離・米国軍政施行が、さらに追い打ちをかけました。

まさに連綿と続くこのような地域経済史上の原因事業と負の遺産としての植民地的な分散状況こそが、奄美大島の地方地場資本蓄積の著しい乏しさをもたらしている淵源です。

大司誠さん・平成27年6月13日 土曜日・

・5・動かざること山のごとし・「紬業界」・・

「南部大島振興問題」と「大島紬の産地体制(態勢)確立問題」を「自律的・主体的な経済的分業論の視点」から課題モデルとして捉えると、両社には大きな質的・段階的な違いが認められます。

南部大島問題は「組織的社会的な地域分業態」そのものがいまだに十分に形成されていない分散的な状態から、農林業や水産業など既存の第1次産業を基盤にしてどのようにしてそれを形成し成長させていくかという問題です。

これに対して大島紬の産地体制(態勢)確率の問題は、明治半ば以来、島の声明産業と呼ばれるまでに成長発展してきた地場産業としての「組織的社会的な地域分業態」のハイスペック(仕様)化を、いかにして実現するか。

世代交代が進む低成長時代の新しい和装市場と韓国紬問題が象徴する地球社会時代の大競争をたくましく生き抜いていくような「自己革新性を備えた問題解決型の組織的社会的地位気分業態」へと、いかにして進化させていくかという問題であったと言えます。

例えば、1972年以降、協同組合運動の思想に基づいて、分散状態にあった小規模生産者たちの支援・組織化を進め、全農などの協力を得て不況時の買い支え(男物紬)事業まで実現した「笠利町農協』。同時期に、集散地問屋との共存を図りつつも、独自の図案・意匠の開発など、問屋への全面的依存状態からの脱却を追求した「奄美産元(株)」。

そして77年以降、名瀬をはじめ奄美群島内の小規模市場品生産者たちの販売活動(価格実現)を担う仲買人たちの組織化を進めていった「大島紬販売協組」。これらの動きを全体として捉えるならば、奄美産地が新しい経済状況に対応して「産地問屋」の創出など自らの存続と発展のために総合的な体制(態勢)を確立していこうとしていたことは明らかです。

残念ながら、これらの取り組みは挫折し、その後、この問題での抜本的な効果的な取り組みが実現しないまま、状況は深刻化していきました。なぜ、伝統の地場産業は、ハイスペック化を果たせないまま、わずかこの30年余りの間に産地消滅の瀬戸際にまで衰退してきたのでしょうか。

そこには、不況時の産地の共同利益(男物紬の買い支え事業)に反するような個々の業者抜け駆けや足引っ張り、「利益は自社に、損害・責任は共同組織へ」、経営と資本の未分離といった同業組合的「株式会社」の限界性(奄美産元)など、個々の業者や団体など経済主体レベルの原因事情がありました。

しかし、最大の原因・事情は、まるで山のごとく動かなかった本場奄美大島紬協組にありました。不況の度に公的支援に頼り続け、「適正価格の実現」や「不況対策」などスローガンは見事に掲げ続けるもののそれに実効性を持たせる制度的基盤づくりには動かず、政争に追われ、そして、ハイスペック化を担う全産地的な協調協働の態勢(広域的な経済的協働主体)づくりには最後まで動かなかったからです。

平成27年6月14日

 


引用

土着菌は、やねだんの土中に生息する細菌に米ぬかや砂糖を加え発酵させたものです。これを肥料に混ぜ、無農薬、無化学肥料で育てます。そのためには、毎日30分~1時間、スコップでの撹拌作業が必要となるため、住民総出の当番制を実施し、土着菌作りをスタートさせました。そして、この土着菌を畜産業者に、また肥料として農家にも販売しました。さらには、集落のからいも畑にも採用し、自然農業を開始するまでに事業が成長しました。

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2015/02/post-ab25.html

2015.2.26.


引用


元気な子供の声が聞こえる町をつくる・

元気な子どもの声が聞こえる町をつくる―矢祭町=「合併しない町」の地域自立設計 単行本  – 2006・1  保母 武彦 (著),    根本 良一 (著) 商品の説明

内容(「BOOK」データベースより)

全国に先駆けて「市町村合併をしない宣言」を発した福島県矢祭町―。同町は、行政機構と財政運営の改革を行ない、住民サービスの質を落とさない努力を積み重ねてきた。その成果の上に立って町はこのほど、「元気な子どもの声が聞こえる町」をテーマにした総合計画をまとめ、さらに自立の町の将来展望をゆるぎないものにしつつある。

内容(「MARC」データベースより)

 

全国に先駆けて「市町村合併をしない宣言」を発した福島県矢祭町。矢祭町の行財政改革の現状と将来について、町長がその課題と展望を語る。「矢祭町自治基本条例」「矢祭町第三次総合計画」も収録。

商品の説明をすべて表示する 単行本: 83ページ

出版社: 自治体研究社 (2006/01)発売日: 2006/01

 

はしがき・1頁・平成27年2月19日 木曜日・

矢祭町は、平成13(2001)年10月に「市町村合併をしない矢祭町宣言」をして、自立の町づくりを歩み始めたところです。その考え方については前著「内省不朽」の心で町をつくる・・「合併をしない宣言の町」の自立推進計画」(自治体研究社、2003年10月)にまとめました。それは明治の大合併が小学校の義務教育化、昭和の大合併では中学校の適正規模化という大義から合併が進められたのを引き換え、今次平成の大合併は、700兆円という借金の尻拭いのために市町村を駆り立てたもので、国民に納得のいく説明がなされたとは言えません。

ちょうどこれを書いている12月の半ばにも、政府は平成18(2006)年度の予算案で、地方交付税を前年度比で5・9%、9900億円を削減すると発表しました。「三位一体の改革」全体では、地方への補助金を4~5兆円、赤字地方債を含めた地方交付税は5兆円をカットすることに対して、税源移譲は3兆円という全体像がこれで明らかになってきました。国の財政危機の地方へのしわ寄せです。

政府・総務省は、小規模町村、特に人口1万人未満の町村は国のお荷物のような言い方をし、こうした町村に対し兵糧攻めともいえる地方交付税の削減策で合併に追い立ててきました。私たちのような小規模自治体は、地方交付税のある程度の削減を覚悟し、財政運営の効率的な運用を図るための行財政改革をしてきました。

2頁・それはあくまで、合併にたよらない自立の町づくりを進めたいがためです。

またそれは、弱者がいくら集まっても(いわゆる弱者連合では)充実した施策を展開することはできないと考えるからです。

今全国の市町村は、時代に合わせた自治の内実を充実させることを求められていることは確かなのです。それが証拠には、「合併しない宣言」以降、これまでの間に矢祭町を視察にお越しになった団体が600を超え、総勢で6000人になろうとし、さらに現在も来庁申し込みの電話が鳴らない日がありません。

これほど全国から注目される矢祭町は、私たちが自ら決定した独立独歩の町への選択が誤りでなかったことを証明しなければなりません。行財政改革は、10年後に50人体制で町役場を運営していくための方策を、コンサルタントではなく職員自ら立案したものですが、さらにそれを現実の計画の中に描き、矢祭町の将来像とともにその道筋を明らかにしたのが、「第三次総合計画」と「矢祭町自治基本条例」です。前著と合わせて、矢祭町がどこへどうやって向かおうとしているのかご理解を頂ければ幸いです。

平成17(2005)年・・

根本良一氏・


 目次

1 対談・保母武彦/根本良一 「合併しない宣言」から「総合計画」へ、そして矢祭町のこれから・5頁・

(「合併しない宣言」の意味

「宣言」で職員が変わった・・9頁・

保母・役場のその後の機構改革は、町長の発案というよりも、役場職員の中から発案されたと聞きました。もう理解していいでしょうか?

根本・100%そうですね。

保母・矢祭町では、課長になる前の年齢層の人たちが機構改革を提案したと聞いて、これはうちの大学でも使えると思いましたね。それまでの大学の機構改革は局長・課長という人たちが考えてきたんですが、矢祭から学びまして、一番仕事の最前線でやっている係長クラスの中から人を選んで検討してもらったら、これは、自分たちが後15年は確実に大学にいる。その時に責任を持てる機構改革を提案しなければいけないと真剣になりまして、頑張っていい提案をしてくれました。将来に責任を持っている人たちが動き出したのは大きかったですね。

根本・とりあえずここのところからスタートしないと腰が据わらないのです。しかしこの衆は、できるだけ働かないようにしようと思っていた(笑)。それがなぜ変わることができたのか。それは高らかに「合併しない宣言」をしたからです。この人たちが「宣言」の後、よそから続々とやってくる人たち、ここまでやってくる人たちは矢祭町を超えている人たちなんですよ。

その話の一つ一つを集めて行って、だんだん変わっていったんです、前非を悔いてね(笑)。

10頁・

保母・職員の意識が大きく変わったのは、「自立宣言」したことの大きさ、それに対して責任を負わなければならないという自覚が高まってきたということですかね。

根元・そのことの大きさに今更ながらびっくりしたけれど、こうメディアに騒がれると、後戻りはできなくなった。

黒塗りの車に乗るつらさ

根本・ですから、機構改革をしようと決断したのは私ではないというのは厳然たる事実なんです。私は肝心な時、物事を決める役割だと思っていますから。

・・・将来、職員が減ってきたら、今の課長・係長の中にはどうしても外さざるを得ない人が出てきますね。そんなことは困るでしょう。課長や係長になった時、みんなお祝いをしてきたんです。それを今更戻せないと・・・。

私は降格ということはできないので、課長が定年になるのに任せて化を少なくするという次善の策を考えますが、それでも大事なことでどうしてもやらなくてはならないというから、「どうすればいいの?」と聞いたら、課長・係長の位星を外せばいいという結論を彼ら自ら導き出しました。それで、係長制を廃止して、嘱託職員は全部辞めてもらい県から褒められていた電話交換手も思い切って各課対応に切り替えました。

11頁・15/2/20 9時58分52秒・

残りはトイレ掃除とお茶くみです。町長に当選した時、真っ先に言われたのが「町長、湯呑みを持ってきて下さい」ということでした。係りの用務員の女性がお茶を入れて、職員のために40も50も湯呑を運んでいるのを見るのは嫌だった。そんなに職員はえらいのかと思いました。お茶を入れてもらって飲むのはつらいなと思って、私は自分でお茶を入れるからと、当時から急須と湯呑をもってきて町長室に置いてあるんです。

もう一つ、黒塗りの車に乗るのもつらいことでした。運転手を運転手として採用し、運転手当をしきゅうするというのも理解できなかった。


13頁・・・役場が変わったと印象づけた出張役場と自衛消防隊・・・

根本・私は、庭はきやトイレ掃除はよそに頼まなければならないと思っていましたから、トイレ掃除と庭はきを職員がやるという発想は浮かばなかった。職員自ら、「トイレ掃除は自分たちでやりましょう」と言われて感服しました。

保母・この間に、30人ほどの嘱託職員の皆さんが持っていた仕事は、なくする課職員自らするかに変わっていったんですね。

根本・建設かとか農林課が典型でした、そこで新しい仕事が発生するとそのたびごとに必ず人を雇うんですね。それが課長の最大の名誉なんです。「町長のところに行って人を増やしてもらった」と。仕事が膨らんだ時だけ増やせばいいんだけれど、一度雇用された嘱託職員は、役割が終わっても仲間意識をもって辞めることはないのです。「また頼むよ」と言われてだんだん増えて行ってしまった。

14頁・それが34名という結果ですよ。本来いなくともできるのに増やしてしまった。その結果、正職員のやる仕事がなくなった。

30頁・・・しくみの必置規制、どう改革する・・・

根本・今度は私から先生にお聞きするんですが、第28次地方制度調査会が非常に良い答申をしました。と思うのは、教育委員会必置論ではない選択制だとしたところです。これは別の人たちからすればとんでもない考え方のようにも言われますが、私どもが長年言い続けてきたことです。もう一つ農業委員会不要論ですが、農業がここまで来て、さらに農業委員会がふんばってみる必要はないと思うのです。

ただ、いくらかの国策としての補助は必要でしょう。それは自由に使わせる。一方、農業法人が農地を自由に取得できる法律は作ってはいけないと思うのです。やっぱり、現行の賃貸以上のことはさせてはいけない。土地を個人のものにするという思想そのものが、明治以来出来てしまったことの弊害です。

もう一つ、地方自治体の管理体制の一つにボールを投げています。首長たるものは、「政策決定する能力ある者」という表現が使われていますし、助役は必置制かどうかも問われていますが、これも必ずしも必要ではないと思うのです。では、助役の仕事はどうするか。これは政策監にして、政策に精通した者を置きなさいとなっている。

もう一つは収入役はどうするかですが、収入役に全財政責任を持たせるというのが現在の制度です。今の制度で行くと一日たりとも出納閉鎖はできないことになっているのです。それはしかしもういいでしょう。条例を変えて、制度がなくても出納閉鎖しなければいいんだ。こういうことを今言っているんですね。今度の三点セットを見てみると、彼らも反省して、一万人以下の自治体を整理するといったことは言わなくなった。その代り国は県に任せてしまった。

31頁・保母・農業委員会や教育委員会は、その地域で教育や農業をどうするかということですから、その地域の中で統治力を高めればいいという考えでしょう。長い目で見れば、そのほうが成果が上がると思います。そうした場合、うちの市長、町長は農業を軽視するから国のほうでタガをはめてくれないと困るという意見もありますね。しかしそこは地域の統治能力の問題で、結果としていろいろな自治体が出てこざるを得ないと思います。

だから護送船団でやらなければならないかということです。

根本・補助金も交付税も、過不足なしの一律で決めてきた、これが均衡ある発展という点ではいいんだけれど、地方にとっては、しかしそうはいかない財政事情なんでしょうね。問題はそこにある。

そこで、「ここまでは国の役割だけれど、あとはそっちでやりなさい」と変わりつつあるんですね。今言われた地方自治体の管理体制、教育委員会の選択制は当然あってしかるべきだと私は思います。

保母・ただその動機が、金がないから地方を放り出すということなのか、もう少し高尚な自治の発展に立って地域の統治能力を信頼して言うのかというのは違うと思います。

根本・あの衆らは地方を信頼していませんよ。人間が違うと思っている。

保母・先ほどの農業委員会の枠をはずす問題ですが、これは自治体でやるというのは将来的にはいいと思うのですが、食料の自給率の問題は国の責任だと思うんですよ。地方分権のとき、食料自給に関することをすべて地方に降ろすと提案されたことがありましたが、私は、多くのことを分権化するにしても、食糧自給の問題は国が権限を持っていないとだめだと書いたことがあります。

農業全体を、国が枠をはめてくれないと困るというのでなしに・・・。

32頁・15/2/20 14時33分59秒・

33頁・2/22/2015 3:00:14 AM・


・・・林業保護を国の、町の重要施策に・・・

もう一つは林業の問題です。かつて河野一郎農林大臣がロシアとの国交回復を前提に山林資源の輸入を決めたことで、我々はあまりにも痛手を受けました。あれが国内の林業の転換期だったので巣が、この地域にとって林業は農業と並んで非常に大事な産業なのです。

私は先ごろ、盤城造林の方の話を聞いてきました。「50年の木が100年になれば値打ちが出るというけれど、そのときはみんな100年の木になるんだよ。人間も30代なら30代の生命力があるけれど、人工林の杉も30代にふさわしく活発に酸素を放出する。

だから日本の国で、杉が全部100年になってしまったら、それだけ酸素の放出量も衰えるはずだ」と言うのです。矢祭町の面積のうち、森林は七割も占めていますから、林業をどうするかは非常に大きなテーマなんです。

保母・昭和30年代の頃、島根県のある町で、コメの販売額と木炭のそれとがだいたい同じだったと思います。それが、木炭と山の収入がなくなったため、収入が半分になり、その頃から過疎化が猛烈に進み始めたのです。状況としては森林の問題のほうが農業より先に進みましたよね。

これは、地方だけの問題でやって合計数が合えばいいというものではないのです。このことは国がしっかりとやらないといけないというのが私の考えです。

根本・林業というのは、私は国際問題そのものだと思っています。永久凍土がどんどん溶けていると言いますが、それでもロシアでは、切るより成長している量のほうが多いのです。温暖化しているために、かえって成長が早くなっている。

34頁・・平成27年2月22日・



枯渇するのはシベリアの針葉樹ではなくて、南方の南洋材なんですね。林業の問題は避けて通れなくなっているのです。そこで、林道網の整備ですが、1㌶当たり人工林の全国平均が5㍍だとすれば、矢祭町は15㍍と三倍です。

しかしそんなことで解決できる問題ではないのです。今間伐林に補助金をいくら出すといった政策が講じられていますが、大幅にそれを拡大する時期に来ていると私は見ています。

問題は、これが国民平等の策ではなく、行ってみれば山林は個人の財産づくりだということです。林道だって一般道と違って、公共的なものではないのですね。しかし町の面積のうち山林の占める割合や林家の数を考えると、この政策はぜひ必要だと私は思います。これは当然町の重点施策にあげなくではいけない。県の方針である1㌶1万円といったわずかな補助でなくて、樹齢に関係なく大幅に増額しないと持たなくなっているのが実状です。相当な予算が必要です。

保母・もたないというのは、手入れがほとんど行き届いてないということですか?

根本・入っていないですね。

保母・それで山が荒れて、災害の原因にもなっている?

根本・災害の原因だらけですよ。そして山林経営が放棄されてきているのです。山林は空気や水を作り出すという問題ではなくて、かんじんなのは金になるということです。山は金のなる木に戻さないと。木材を隅にしよう。何かに加工しようという程度ではもたなくなっていて、山をつくることに金を架けなければならない時代だということなんです。

35頁・もちろん、補助を出す理由付けとしては空気や水を作り出すという理屈が使われていますが、もっとあからさまに、山がこれだけ荒れて来ていますから矢祭町はこうしますということに理解をもらってやるべきだと思います。

保母・「朝日新聞」(2005年10月2日付)の一面で、福井県の記者が全国を調べて、森林公社、林業公社が赤字になって後者を廃止するところが増えているという記事を書いていました。その記事で私がコメントして、国が需給予測を見間違えた結果であって国がきちんと対応すべきだと述べたのです。国土保全がおろそかになっている。

根本・福島県もそうです。国の対応は早急に求められています。

…住民に何を期待する?住民協働に関連して・・・

根本「住民協働」という言葉が今はやりのようになっていますが、私たちの役割は役場の仕事をどうするかなのでして、住民に何かをお願いするとなると住民の皆さんが住みにくくなるだろうと思うのです。

私ども職員が努力することによって、住民の方々はそれを認めてくださって、それでは自分たちもこういうことをやってみようという気になってくれるというのが正しい流れだと思うのです。

矢祭町の理想像は、あまり役場がうるさいことを言わない、法律をたくさんつくってしばられたくないので、町日毎日町民の皆さんにお祭りを楽しんでもらうのがいいだろうと思うのです(笑)。

36頁・

矢祭という町名に「祭」という字がついていますが、「祭」のついた自治体名は全国にほかにありません。年中、町内でお祭りをやっている町が実現できたら、素晴らしいと思うんです。結婚式があったら会員制で集まってもらう、子供が生まれたらみんな手作りのお重を持ってきて集まる、子供が入学したらまた集まる。年じゅうそうやっていられる町は素晴らしいと思うのです。


保母・全国的に村の祭りが減っていますね。自然への感謝や人の輪よりも経済効率ばかりを優先したために地域社会の連帯感が薄れたからでしょうか。地域の連帯感が薄れると祭もなくなり、祭りがなくなると連帯感がさらに弱くなってしまう。子供たちの心にも、郷土愛がなくなってしまう。そういう流れに逆らって、矢祭町では名前の通り郷土愛あふれる「お祭り町」になると・・。


根本・そうです。

保母・役場、職員が変わってきたのを見ていた住民が、自分たちも何かできることはないかと動き始めていますね。そのような住民の自発性が一番大切ですね。街づくりというのは、役場のためにするのではありませんから、そして子や孫たちの世代のために何をすべきかを住民が自分で考え始めた町づくりは本物になるでしょう。

37頁・そのような町民が育つきっかけを役場が作ることが必要ですね。


根本・職員は素晴らしい。「よその10倍も仕事をしています」と堂々と言えますから…。それで私は、視察に来られた皆さんには、「や祭りの湯によろうと思っても今世紀は無理だと思いますよ」としゃべっているんです(笑)。それは町民性が純粋で、職員も純粋だということとでもあるんですが、こんな役場はなかなかないですよ。

保母・矢祭の五年後、十年後が楽しみですね。どうもありがとうございました。

2/22/2015 5:45:21 AM


2 『総合計画』は「合併しない町」の将来見通し(根本良一)・39頁・

・・・「合併しない町」の将来図を持たなければ・・・

四季の変化にとんだ列島から、地方交付税制度を取り上げるようなことになれば、私は、地方の存立そのものを否定することになると思います。量の多い少ないはあっても、この原則をやめるわけにはいかないでしょう。

ただ、国家全体に金がない、借金でまみれているという現状で、破たんしているといってもいいような状況の時に、もっともっと地方に金を回してくれなれなければ生きていけないという考え方はできません。今後はできる限りの自助努力をして、交付税や補助金が減ってもやっていけるような財政運営を心掛けることが求められていると思います。

そういう自治体が数多く増えていくことが、日本の国にとっては国力を上げることにつながると思います。聖徳太子ではありませんが、日本の国力はもはや「日の没する国」に近くなっているかもしれません。それももう少し戻すことは、自治体の側にとっても使命だろうと考えます。

ただ、「財政力が傾いたから地方は合併しなさい』と言われても、法律で命令されない限りは矢祭町は合併しません。将来の国の財政状況に対応して行政の見直しを方策化して置くことが求められています。また国は、そうした宿題を地方に課すべきだと思います。ただ「国が倒産しそうだから合併しろ。こっちの水は甘いぞ」と言っても、それは見通しを持たない地方同士による集合体でしかなく、いくら規模を大きくしてもプラスには転じないはずです。40頁・

・・・『総合計画』を五年とした意味・・・

41頁・

こうしたことから、「自立宣言」をした矢祭町が、将来こうなるという図面を描くべき時だと思います。また、国の側も、自立をするためにどのような役場をつくるんだという将来像を提出させてもいいと思います。私たちはその答案を書きました。それが、今度策定した「総合計画」です。

自立を貫いていくためには、町の憲法と位置づけるようなものがなくてはならないと思います。

同時に、総合計画が過去、二回にわたった10年計画が平静17(2005)年度をもって終了としますが、これらの計画が基本計画、実施計画を合わせて、着実に町の発展に寄与してきたことは確かです。その上に立って、新たな平成18(2006)年度からスタートする第三次の計画を策定する時期にかかっていました。それは、時代のスピードが速く、10年では長いため五年の計画でどうかと考えました。

その中身の一つは、もちろん、矢祭町が合併しないことによって何をめざすのか、さらにそれを実現するための実施計画の中身はどうするかということです。自治基本条例という町の「不磨の大典」をつくり、それにもとづいたまちづくりを定めたのが「総合計画」です。

まず財政ですが、平成13(2001)年に「合併しない宣言」を出した直前の財政力指数が0・18であったものが、平成17(2005)年度末には0・375くらいまでに上る見通しです。私は、全国の自治体が0・5を超すことができたら、国の財政はそれほど神経質にならなくてもいいと思います。

42頁・国は地方を信頼しなさすぎるというのが実感です。いきなり「地方はだめだ」というのではなく、地方に答申を書かせて、それを添削するくらいの構えがあってもいいのではないでしょうか。

・・・赤ちゃんの誕生を応援していくことの積極性・・・

合併しないということは、矢祭町に人が住んでいくということです。合併することによって、人が住みにくくなるということは言うまでもないのですが、合併しないがためにさらに人口が減って人が住めなくなったとすれば、「合併しない宣言」の意味がどこにあったのかということになってしまいます。自立するための一番の課題は、人口を増やすことです。

そこで、自然減の中でも人口は維持したいし、さらに増加に転じたいと願うところですが、実際は自然減が年に100名、それに対して増加が40名、差し引き60名の人口減が生じています。

矢祭町の出生率は1・94、それを様々な施策を講じることによって、三くらいに高めたいのですが、当面、プラスマイナス0にすることが最大級の事業だと考えています。それを実現させた先に、それから反転して増加に転じることを目指したいのですが、そのため17年度は三人目の赤ちゃん誕生に100万円を祝い金として出しています。

さらに本年度の12月定例議会で議決していただき、四人目に150万円、五人目に200万円を出しますが、これは18(2006)年1月1日からの即実施を目指しています。

43頁・対談でも言いましたが、子供は産みっぱなしというわけにはいきません。どうやって育てるか考えなければなりません。たとえば、子育てにかかる各種料金をいっそう低額なものにすることです。また、保育所の利用料を半額にしたらどうかとか、幼稚園は現在4000円、5000円ですが、これももう少し安くならないか、小学校・中学校の給食費一食240円、290円にしても引き下げを考えています。毎年一億円ぐらいの政策経費は生み出していきたいと考えています。

さらに、学校の登下校時の危険性が高まっているわけですが、そういう事態は絶対に矢祭町では作ってはならない。そこで、成年・壮年の年代が中心になって、子供たちが安心して住めるようなマンパワーを発揮してもらおうと考えています。学校やPTAだけに任せておくべきではない。沿道や周辺の人たちが常に意識を持ってもらおうということです。43頁・

・・・子育ての経費が安い、そして働き口がある…

そして、企業誘致はもっと進めないといけません。人口を増やすということは、働く場を確保してよそからの若い夫婦が喜んで移ってこれるようにしたいと思います。子育てにかかる料金も安い、三人目を産んだらお金をもらえる、分譲住宅団地もある、その上で勤めるところもあるという条件ですね。せっかく大事に育てた子供たちが、18歳で大学に行ったまま帰ってこないのでは寂しいと思うのです。

44頁・勿論、なんといっても人口減少の時代でもありますし至難の業かと思われます。しかし、総合計画では、7500人という目標を定めました(現在の人口は6,900人)。このことは、町民にも夢を持ってもらって、矢祭町は将来、人口7,500人を達成して、その時は立派に自立してのびのび生き生き暮らせる町に名実ともになるということを語っておきたいのです。

44頁・2/22/2015 9:13:34 AM・


3:53 2015/02/22



コメント

コメントを投稿

最近の写真

  • Img_0761
  • Img_0760
  • Img_0759
  • Img_0758
  • Img_0757
  • Img_0756