« この日本政治刷新の試みを破壊したのが、民主党内に潜んでいた米官業利権複合体勢力である。渡部恒三、藤井裕久、仙谷由人、菅直人、岡田克也、野田佳彦、前原誠司、安住淳、枝野幸男、玄葉光一郎の10名を悪徳10人衆と呼ぶ。増田 | メイン | 芝桜は桜に似た花を咲かせ、葉の形や地面を這って成長していくことから芝桜と名付けられたそうです。 »

2014年9月20日 (土)

ドキュメント・仙波敏郎 -告発警官1000日の記録- ハードカバー – 20071220 東 玲治 (著)

引用


小林道雄ホームページ◆2004年12月13日 更新偏屈庵通信ロゴ/表紙へ

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 左思右考##口上##なくなった「道草」##「つながってなくちゃなんない症候群」という子どもの危機##芸能化する政治##無駄な少子化対策

口上 左思右考とは、あれこれ考えること。昔は問題と思われる事象については左からも右からもさまざまな意見が出され、なるほどそういう考え方もあるかと勉強になったものだった。ところが最近は、あまりそういうことがない。そこで、古い人間としての立場から、ああでもないこうでもないと考えてみようというわけである。多分、結果は漫言放語(深く考えず、思いついたまま口まかせに言い散らすこと)になるだろうことをお断りしておく。

 

偏屈庵主なくなった「道草」

小学校に入学当初の子どもは、ほとんどが「勉強は面白い」「学校は楽しい」と思っている。子どもを“勉強好き”にさせるには、何よりもその向き合い方を持続させることなのだが、教育に熱心な母親は折にふれてこんな本音を子どもに吹き込む。

「ちゃんと勉強していい学校へ入るのよ。いい学校を出ておかないといい会社に就職できないし、ろくなお友だちもできないし、いいお嫁さんも来てくれないし、一生人にバカにされて暮らすようになるわよ」

こう言われた子どもが、「勉強は面白い」「学校は楽しい」と思えるものかどうか。そう言われた子どもは勉強に精を出すようになるかもしれないが、それは、「勉強をしないと大変なことになる」と感じる恐怖心からのもので、本来あったはずの自主的な「やる気」というものではない。

そう言えば、「子どもがそれほどまでに意識するものだろうか」といぶかる人もいるかもしれない。だが、子どもはわれわれの想像以上に親の言うことを重く受け止めているものだ。話は大変に古いが、こんな例もある。

 

巨人軍の長嶋監督がユニフォームを脱いだ時、子どもたちの多くはひどく残念がった。その時に一人だけ、したり顔をして「それでいいんだよ」と言った子がいた。当然、「なんでさ?」と詰め寄られ、その子は「長嶋は監督に向いてないよ」と言った。が、問題が問題だけに、その子は「どうしてさ」と仲間から集中砲火を浴びた。そして、ついに半ベソをかきながら、「だって、お父さんがそう言ったもん」と叫んだ。

ことほどさように、親の言葉は子どもに残る。いかに勉強させるためとはいえ、子どもの心に脅しとなるような言葉を言っていいはずはない。不安を行動の動機づけに使う、行動のエネルギーにさせるというのは最悪の方法なのである。

この「不安を持たせる」という方法は何よりも勇気をくじくのだが、なぜか育児や教育の世界では、それが大手を振ってまかり通っているようなのだ。その脅しは、端的に言えば「そうやると安全じゃない」というもので、たとえば「学校へ行かないと、人生は安全じゃなくなる」というかたちをとる。反語的には「ちゃんと学校へ行っていれば人生の安全は保障される」ということだ。

しかし、安全という目標、自分が安全であるために何かをしようという目標は、人間の勇気をくじく。言うまでもなく、人生はその人間に固有の一回限りのものであって、この世に自分と同じ人生を生きた人間は絶対にいない。つまり、辿るべき踏み跡などあろうはずはないという意味で、人生はまさしく「探検」なのである。

にもかかわらず、親や教師はあたかも踏み跡があるかのように「こう行けば安全だ」と言いたがる。はっきり言って、そんな老婆心というものの実体は、親や教師自身が安心したいだけのものにすぎないのである。

たとえば、中学における進路指導とは何かということだ。それが、教師が「安全」だけを考えて生徒を各高校に振り分け嵌め込もうとする「合否指導」にすぎないことは、子どもたちが一番よく知っている。さらに言えば、目指したい高校の名を挙げた時「おまえの実力じゃ無理だ」と教師から撥ねつけられなかった子どもは稀だろう。それが子どもの心をどれほど傷つけ、やる気をくじいたかは、これも子どもたちがはっきりと覚えているはずである。

なぜ、望むところにチャレンジさせないのか。落ちればショックも受けるだろうが、やはり力が足りなかったと諦めもつくだろう。本当に子どもの将来を考えるなら「頑張れ、頑張れ」と何本内申書を書いてもいいはずである。しかし、かつてこの問題について取材した東京大田区の中学教諭・南山義治氏はこう言ったものだった。

「最近はこの子の実力で何でもう一つ上を狙わせないのかと思うケースが実に多いんですが、それは教師が安全を考えすぎるからなんです。というより、クラス全員を狙ったとおりに通したい。目指す高校に通ったのは半分しかいなかったとなると、自分の力量が問われる。要するに、子どものことより自分の安全を優先させるからなんです」

現在の高校生・大学生のやる気のなさの背景には、各人が胸に抱え込んでいる「不本意入学」の思いが大きく影響していると言われている。そんなまやかしにすぎない指導が、いまだに「進路指導」などと称して行われているというのは何とも不思議な話である。

中学・高校時代というのは、人生の中で最も好奇心・探究心の強い時期と言える。そして、かつてはその好奇心が自分の進路を決めさせたものだった。私たちの時代で言えば、中学時代ラジオの組み立てに熱中していた者はだいたいがその分野に進んだものである。また、高校では、小説を読み耽ったり演劇に血道をあげたり山登りばかりしていた者も少なくなかった。

当人たちとしては、それぞれ小説家や役者やアルピニストを夢想していたわけだが、残念ながらその多くは「青春の思い出」にとどまる結果となっているだろう。しかし、そんなふうな“道草”は、計り知れないほど各人の人生を豊かにしているはずである。

ところが、今の中・高校生活には、そんな姿はまず見受けられない。たしかにそれは、受験競争によって奪われたとも言えるが、私にはそうとばかりは思えない。それよりも、幼い頃からの「そんなことをしていたら安全ではない」という脅しの大いなる成果のように思えるのである。

たとえば、最近では道草を食っている小学生の姿というのは、まったくと言っていいほど目にしなくなった。塾に追われて時間がないのかもしれないが、子どもという生き物はそれでも道草を食いたがるもので、どうも腑に落ちない。要するに、道草を“悪”とする安全教育がそこまで徹底してしまったということだろう。「道草ダケガ人生ダ」と思っている私としては、淋しい限りである。

いい加減な道草人生の自己弁護ではあろうが、私の場合、思いもかけぬ発見や、発想の転換の契機や、人生を教わったと感じるようなことは、道草の中でのことが多かった。あるいは、喜びや悲しみなど印象深く残っている人生の記憶も、その部分に多いような気がする。そこで私は、ひとり勝手に、誰の場合もそういうものだろうと決め込んでいる。

 

 人は誰しも、食っていくためにはまともな道を歩かなければならないが、その道ではそう変わったことは起こらない。また、あまり変わったことが起こっては困るのである。しかし、もしそれだけが人生であったとしたら、山頭火ではないが「まっすぐな道でさみしい」と思うのである。

 

 私はそんなふうに道草の効用を考えているのだが、この道草は子どもの成長にも大きな意味を持っているようなのだ。それについては後に詳しく述べたいと思うが、「よくできる」という場合、人は生得の素質や才能を考えたがる。しかし、実のところそれは、集中力や持続力に優れているということ、つまり努力に負うところ大であるようだ。

 

 先に紹介した増田登氏(現在は校長職を退き、悠々自適の生活に入っておられる)は、一つの授業をどれだけ理解し得たかということは、どれだけ授業を集中して聞けたかということと同意義であり、理解の差とは集中の密度の差にほかならないとして、『父親学』にこう書いているのである。

 

 「たとえば、道を歩いていてカマキリを見つける。あるいは、ちょっと変わった工事にぶつかる。面白くて、子どもは動けなくなる。なるほど道草には違いないが、この発見は、おとなには計り知れないほど豊かなのだ。単なる知識ではない。目新しいものに貪欲な好奇心を抱き、吸収せずにはおくものかという姿勢が涵養されていくのである。外であれば道草だろうが、教室の理科の時間なら、これは集中力であり探究心である。

  だが、母親は、別に急ぐ理由もないのに『さっさと歩きなさい、よそ見するんじゃないの』と、まるで時代劇の犯人を引っ立てる役人の如くに、子どもを引っ立てる。日常のすべてについてこんなふうにやられたのでは、新鮮な好奇心も貪欲な探究欲も、やがてしぼんでしまい、ただ秩序に順応するだけの“いい子”になってしまう」

 

 大器というのは、おおらかな家庭でこそ育つということの、これは逆の証明と言える。秩序重視の口やかましさも教育のうちと思っているのだろうが、そうした母親は何より望んでいる「できる子」への可能性の芽を、自らせっせと摘んでいるわけなのだ。同時にそれはやる気の芽を摘んでいるということだ。なぜなら、やる気の発動というのは、何よりも興味であり挑戦なのである。

 

 やる気というのは、一面では危険を引き受ける能力(risk taking ability)と言っていい。危険性もなくはないが、やって得られる利益は大きそうだと考え、危険を承知で思い切って賭けてみる、というのがその本質にあるということなのだ。それからすれば、安全であれ、リスクを引き受けるな、危険な道を歩むなというのは、やる気の対極に位置する生き方であって、それを強制されればやる気など起きるはずはない。

 

 現在われわれが享受している文明は、雷を捕まえてやろうとか、鳥のように空を飛んでみたいといった、当時としては素っ頓狂なことを考え危険を承知でチャレンジした人間がいたことから始まっている。そうしたリスク・テーキングによって、電灯が灯るようになり飛行機が飛ぶようになったわけである。

 

 みながみな、「そんなバカなことはやめた方がいい」「もっとまともな道を歩いた方がいい」という親や教師の言葉を受け入れていたら、何の発見もなかっただろうし、進歩は歩みを停めていただろう。そして、日本の現状はまさにそこにさしかかっていると言っても過言ではないようなのだ。

 

 世界的な経済構造の変革の中で、現在日本の各企業は生き残りをかけて新たな時代に対応すべき変化を模索している。ここに求められているのは、何よりも型にはまらない独創的な発想ができる人間である。

 

 ところが、それをこそ期待されている若手社員に対する企業幹部の評価はきわめて悲観的で、もっぱら聞かされるのは「日常的な瑣末なことについてはちょっと変わったことも言うが、基本的にはひどく保守的」で「発想にまったく飛躍がなく」、「まるで金太郎飴」のようにみんな同じだという嘆きなのだ。

 

 その苛立ちは分からないではない。かつては、私自身もそう思ったものだった。だが、その非難は身勝手というものだろう。母親の「人並み指向」に縛られ、異端も突出も許さない仲間社会の「均質化」に慣らされ、何かと言えば「安全」で脅されてきた人間に、型破りな発想を求めるほうが間違っているのである。いわば自業自得、回り回ってきたツケというものだ。

 

 かつての日本には「かわいい子には旅をさせろ」という言葉があった。その意味にはきわめて深いものがあるが、まずはさまざまなリスクに遭遇させることによって勇気を育てようということだったと思う。しかし、今の若者たちは親や周囲から寄ってたかって道草まで禁じられているのだ。日本人は、いつから安全な人生を幸福と思い込むようになったのか? 私は何よりもそのことを奇異に感じるのである。

 

(『「大人」になる方法』 講談社 1996年3月刊)「つながってなくちゃなんない症候群」という子どもの危機

 〈インタビュー〉 小林道雄さんに聞く (雑誌『教育』2004年8月号)

 聞き手  和田 悠  慶應義塾大学大学院・教科研常任委員

 

子どもの人間性が奪われていくような育児環境

――小林さんは、二〇〇〇年一〇月から『世界』(岩波書店)に「少年事件への視点」を連載されました。この連載は、少年事件の凶悪化と年少化を理由に少年法が改正され、刑事罰を科すことができる年齢を一六歳から一四歳に引き下げる厳罰化が決定するなかで書かれたものですね。

小林  少年法改正の議論のなかで凶悪な事件を起している少年は本当に凶悪なのだろうか、このような改正は少年たちの非行を実際に防ぐのだろうか、この改正を少年非行の現場にたずさわっている人たちはどのように見ているのだろうか、こういった問題が気になりました。現場の声がなかったものですから、そこで、東京、神奈川、埼玉の、家庭裁判所調査官、保護監察官、元少年鑑別所所長、元少年院院長、家庭裁判所で少年事件を担当した経験をもつ裁判官などそれから一五、六人に会い、改正案の是非と少年非行の実態について取材をして歩きました。

  なかでも家庭裁判所の調査官の方と話していたときに痛切に感じたことは、子どもが年齢にふさわしい発達をとげていないということでした。子ども・若者が、未熟さを未熟さとも意識できない幼さのままで生きている。もちろん短絡的に結びつけることは問題ですが、そうした子ども・若者の未熟さ、幼さによって、非行や犯罪が引きおこされている場合が多くありました。

  いまの子どもたちには人間としての基本的な部分で質的な変化が起こっている。取材を通して、子どもの危機の現在をあらためて思い知らされました。

――連載を加筆修正して、まとめられた『退化する子どもたち』(現代人文社、二〇〇一年)では、なぜ子ども・若者は未熟にしか成長できないのか、その原因を脳科学の新しい成果をも取り入れながら論じています。そのなかで、小林さんは、子どもを人間として成長させるための環境が損なわれている現実、とりわけ親・家庭での子育てにおけるさまざまな問題性を、あいまいにせず指摘されていますね。

小林  子育ての問題では、「人類としての普通の環境」が重要なのだと思います。このことは、本のなかでも強調し、講演でも話したりしていますが、子どもの正常な成長にとって必要な環境というのは、はっきり言えば、現在も、室町時代も変わらないと思うんですね。『梁塵秘抄』の言うところの「遊びをせんとや生れけむ」といった子どもの世界は、いつでも、どこでも子どもの発達にとっては、必須な条件なのではないでしょうか。

  子どもの発達というのは、脳にセッティングされているものが、外界の「刺激」によって動き始め、発達していくということです。この構造そのものは、千年や二千年で変わるものではないわけです。逆に言えば、子どもというものは、無視したり孤立させたりしますと、発達が阻害されます。ですから、人間は生まれたときから、さまざまな刺激を子どもに意識的にあたえようとする、そうした教育が子どもには必要なんですよ。

――現在の子育てのなかでは、このような教育が実践されていないことを、小林さんは問題にしているのですね。

小林  ええ、そうなんですよ。『退化する子どもたち』のなかで紹介した事例ですが、ある女の子が、非行で家庭裁判所に送られてきたんです。裁判所の調査官は、その子と接しているうちに人間としての何かが失われているのではないかという疑いをもったんです。そこで調査官は、その子の母親に会ってみたのです。その女性は、学歴だけを見ればかなりのインテリでした。そこで、どのような子育てをしてきたのかと調査官がたずねてみると、「子どもを育てる時には、静かな環境にしておく方がいいだろうと思い、子どもに話しかけることをしませんでした」とその母親は言ったというのです。

――こうした例は、特殊なケースなのでしょうか、それとも一般的なのでしょうか。

小林   あながち、特殊だともいえないと思います。というのも、育児においては、親が干渉することなく、あるがままの子どもを受けいれて自由に育てることが、その子の個性を育てる正しい育児法なのだという考え方が、現在の日本社会では広く浸透していますから。ですが、あるがままの個性というものは人間にはないんですよ。人間の脳は、生まれ落ちたときから、周りの環境や刺激によって、比喩的にいえば刈り込まれます。そして、そうした環境によって、人の個性が決まってくる側面があるわけです。周りの人間がタッチしなければ、人間は成長することができません。子どもの側から言えば 与えられた環境に適応できるように脳の機能をセレクトするかたちで、個性をつちかっていくわけです。

――情報消費型社会の現在にあっては、自由放任的な育児は、親の意図に反して、かえって子どもをストレートに消費文化の地平に立たせるわけですね。

 

子ども社会に生きた「現風景」のない子どもの誕生

小林   こうした育児の問題は、医学的にはどのように意味づけられるのか。そこで、小児神経学に詳しい医師の瀬川昌也さんにも取材をしました。瀬川さんはこう言うのですね。「赤ちゃんは生後一〇ヶ月ぐらいから親御さん以外の周囲の人からソシアル・キュウ(Social Cue)を受けるようになります」。この時期になったら、お母さんの刺激だけでは足りませんよ、ということなんです。そして、「幼児期からは、まわりに子どもや仲間や大人がたくさんいる状態の中でいろんな社会勉強をさせておかないと、準本能的な行動が出てこなくなる恐れがあります」と。

――瀬川さんの言う「準本能的な行動」とは、何をさしているのでしょうか。

小林  瀬川さんによれば、まだ社会的理性が発達していない子どもでも、対人関係をこなしていけるような準本能的な「行動パターン」が、あらかじめ脳にセットされているということなのです。ですが、このプログラムが作動するためには、先ほど述べた「ソシアル・キュウ」、つまり環境からの刺激が必要なんですね。子育てのなかで、両親から叱られたり、兄弟や幼い子ども同士でぶつかり合ったりする、こうした刺激があって、子どもは子どもなりに対人関係の機能を発揮することができるんです。だから、マンションのような閉ざされた場所で、お母さんのやさしさだけで、刺激もストレスも感じない状態でいたのでは、準本能的な行動パターンは獲得されないということなんですね。

――そうなると、親の介入が及ばないような、自律的な子ども社会に子どもが生きる経験がなければ、子どもはコミュニケーション能力を獲得できないわけですね。

小林   そうなんです。子どもが「ソシアル・キュウ」を受けられないということは、さまざまな社会関係(人間関係の対応)のなかで、自分を通していく「たくましさ」や「したたかさ」を身につけることができないということです。子どもの対人関係能力の発達にとって、重大な問題です。

  私と同い歳の精神学者である中井久夫さんも、自らの戦時中のいじめられ経験をもとにしたエッセイ「いじめの政治学」(『アリアドネからの糸』みすず書房、一九九七年)のなかで書いていますが、幼少時の子どもの社会というのは、未熟さゆえに残酷なところのある暴力的で、政治的な社会という一面を確実に持っています。子どもは、こうした社会に生きるなかで、幼いなりに自己主張、恫喝、多数派工作、妥協、手打ちというような政治性といったらいいのでしょうか、社会のなかで生きる力を身につけていくのだと私は思います。こうしたぶつかりあうような関係を生きるなかで、子どもは他者を発見し、脳科学で言う「心の理論(theory of mind)」、つまり人の気持がわかるという能力を獲得し、自己中心的な幼児性から脱皮していくのではないでしょうか。

――問題は、現在の子どもが、こうした社会経験を経ていないということなんですね。

小林   私たちの子ども時分には、大人は「子どものケンカに親は口をだすな」とよく言ったものです。ですが、現在は、自生的な子ども社会がなくなっていますね。子どもたち同士が交わる場は、幼稚園しかないわけですよ。ですが、現在の幼稚園は、保護者の眼もあって、いじめや問題行動にあまりにも敏感になり過ぎています。ちょっとしたケンカや、いざこざ、あるいは取っ組み合いなどは「悪い子」のすることだから、「よい子」になりなさいと子どもは矯正されるわけです。

  ですから、いまの若い人が自己主張ができないのは、時代という制約もあるのですが、「ソシアル・キュウ」を受けられるような環境を与えられなかったからでしょうね。人づき合いが下手なのは、性格が弱いからだと自分を責める必要はない。ただ、子ども社会に生きる経験を「現風景」にもてない子どもの誕生という問題は、人類としての発達プロセスを子どもが踏めなくなっているという意味で、文明史的な問題であることは間違いないと思います。

 

「一人で生きる力のなさ」が問題

――『退化する子どもたち』でも部分的には取りあげられていましたが、現在、小林さんは、思春期の子ども・若者の人間関係の問題性を「つながってなくちゃなんない症候群」というキーワードで、正面から議論されようとしていますが、こうした形で議論を展開される背景についてお聞かせください。

小林  まず、「つながってなくちゃなんない症候群」という言葉ですが、これは、少年法改正問題を取材していたときに、ある調査官の次のような話からとったものなんです。

  「今は中学生はもちろん小学校高学年ごろから群れていないと不安で、そこにしか生きる世界がないんです。行動規範は仲のいい友だちグループの中だけで決まっちゃって、そこから弾き出されたら生きていけない。それはとくに女の子にひどいです。三人グループでいたのがそこから外れたら教室にも居場所がなくなってしまう。そんなふうに、たがいが縛り縛られ合っていて、やれ携帯だやれメールだという“つながってなくちゃなんない症候群”がいよいよ強まっていますから、自分の時間なんか持ちようがない。逆に言えば一人で行動できないようになっていて、それがフツーの子として安心できる状態になっているのが現状なんです」

  私は、こうした子どもたちの心理的な状態を「強迫的所属要求」と名づけていますが、「つながってなくちゃなんない症候群」とはこのことです。

――子どもたちの交友関係が、そこまで強迫的なのはなぜだと小林さんはお考えですか。

小林  そうですね、「一人で生きる力のなさ」といったらいいでしょうか、一人でいることの不安が強くなっているんでしょうね。だから、とにかく人とつながっていようとする、そうせずにはいられないんだと思います。これは、別の調査官から聴いた話ですけれども、いまの子どもは、一人で昼ご飯を食べていたりしますと、あの子はかわいそうな子だとか、友だちがいない子だとか、そういうふうに見られるわけですね。見られるほうは、そういうまわりの眼が気になってしまい、誰とでもいいから仲間がいるほうがいいと思ってしまう。こうした強迫観念がつなぐ人間関係は、僕らの世代からは、およそ想像がつきませんでした。

 

つながってなくちゃなんない症候群の実際

小林  この「つながってなくちゃなんない症候群」がいかに深刻かということを思い知らされたのは、二〇〇三年四月に、青山学院女子短期大学の児童教育学科で「子どもの環境」というテーマで講演したときの、学生の真剣な反響でした。私は、襟を正されるように感じたものでした。講演では、冒頭で話したような子育てにおける親や時代という環境と、子どもたち自身がつくっている、学校での「つながってなくちゃなんない」交友関係について話しました。

  僕らの感覚からすれば、友だちというのは、自分が好きな相手のことをいうわけですよ。そして、仲がよくなるためには、ある種の運命と必然性みたいなものが必要です。ところが「つながってなくちゃなんない症候群」の場合には違うんですね。自分が相手を好きかどうかは関係ない。一回目の講演でも強調しましたが、現在の子どもは、一人でいる自分というのは、ダメなんじゃないかという強迫観念をもっている。だから、とにかく自分を相手にしてくれれば、それだけでいい、友だちということになっちゃう。

  このことは、「非行」問題を考える上でも重要な点です。たとえば、自分が加わっているグループが万引きをやった。そのときに、万引きは悪いことだとは分かっているけれども、それを「嫌だ」と言ったり、「止めようよ」と言ったりすると、仲間から弾き出されるという子ども社会の現実があります。警察に捕まるリスクよりも、仲間から外されるリスクの方が大きいと考えていれば、むしろ、万引きをしないことの方が自分の規範に反することになるんですよ。だから、学校や警察だとかがいくら「万引きは犯罪である」と言ったところで、そんなものは役に立ちはしないわけですよ。こんな話も講演でしました。

――だから、「道徳が喪失してしまった」と、管理する立場から子どもに説教しても無意味なわけですね。

小林   ええ、そうしましたら、確か五月の末ぐらいだったと思いますが、講演を聴いての学生のレポートが短大から送られてきたんです。感想のなかで多かったのは、圧倒的に「つながってなくちゃなんない症候群」についてでした。私の講演を聞いて短大生がどんなことを感じたのかを、紹介しましょう。ちょっと長いですけれども。

 

 「講演を聴きながら、はっとさせられることが何度もあった。まず、『つながってなくちゃなんない症候群』のことだ。今はそうでもないが小・中・高校までは友達がそばにいたり、電話やメールでつながっていないと、とても不安な気持ちになっていた。お昼ご飯を食べることにも、街へ出掛けるにも先生の部屋に行くにも、必ず友達と一緒でないとやらなかった。普段から女の子四、五人のグループで行動していた。自分が何か違ったことをしたら、みんなから外されるのではないかという不安がいつもあった。

  講演の中に『仲間が万引きをしたら悪いことだとわかっていても、悪いと言うとハブになってしまうから、ハブになることは死ぬよりつらいことだからと思い万引きしてしまう』というお話があった。もし私が小・中・高校のときに、一緒に行動していた誰かが、万引きや援助交際などをしていたら、その子に『いけないことだからしてはいけない』と言ってあげることはできたか。また自分はやらないと友だちに言い切れるか。そう考えたときに、絶対に言えなかったと思う。今思うと、特に高校の頃は、『このグループから抜けたら高校生活が終わったも同然』という考えがあったから、一人で行動できなかったのかもしれない。

  今の小・中・高校生もそうなのだろうか。自分は自分という考えを持つにはどのようにしたらいいのだろう。私はこの短大に入ってやっと、一人で何でもできるようになった。たぶん自分として行動しなければ、何も得るものがないと思うようになったからだと思う。群れていないと不安と思っている人たちに、どのようにしたら自分は自分という考えを持ってもらえるのかと今回考えてみたが、効果的な方法はまったく浮かばなかった。ただ、もしも自分の知り合いでこの症候群にかかっている人がいたら、『自分は自分なんだよ』と声を掛けてあげられるかな、とは思う」

 

 もう一つ挙げましょう。

 「たくさんのテーマの中で私が一番気になったのは『つながってなくちゃなんない症候群』でした。お話では『一人でいる自分は駄目なんじゃないか』、『一人でいるのがつらい』と思っている若者が増えているとのことでした。それを聞いてハッとしました。なぜなら、私自身がそうだったときがあるからです。高校生のときは、友だち四人で『トイレ一緒に行こう』とか、『購買ついて来て』とか、いつも一緒に行動していました。私はそれに縛られているという感じはありませんでしたが、皆でいないと不安でした。

  何が不安だったかというと周りのクラスメートから『どうして一人でいるんだろう、何かあったのかな』と思われるのが不安だったのです。休み時間に一人でいることはなるべく避けたくて、いつも一緒にいました。一人でいる自分を誰かに見られるのが恐くて、誰かと一緒にいたいのです。また、『仲間が悪いことをしても止められない。そのことで仲間がいなくなってしまうのが怖いからだ』ということも話されていました。これは、 いじめの原理にも似ているような気がします」

 

一人でいる人=さびしい人という方程式の存在

小林   レポートを読んでいて興味深かったのは、一人で居る人=さびしい人という方程式がほぼ全受講者にあったということです。このような方程式があるから、何かというと人の話に合わせる。自己を主張し、表現することでみんなから嫌われたら一人になってしまうから、グループ内の多数意見に自らの意見を合わせようとするんですね。こうしたグループは、外から見れば、一致団結している仲良しグループですが、内側から見れば、ものすごい同調圧力が働いている息苦しい空間です。

  もう一つ、レポートを読んでいての発見は、あるグループから外された子どもは、他のグループに移ることができないということです。他のグループからすれば、その子をハブにしたグループともめたくないですからね。しかも、その子がハブにされた理由というのは、いかに不当なものであれ、周囲の人間からは問い質されることもないんです。ハブにされた子は、見て見ぬふりをされるわけですよ。こうなったら、よほど精神的に強くなければ、その子は学校行かなくなってしまいます。もちろん、一人ひとりのレベルでいえば、このような仲間はずしが不条理だと心の底では思っているんです。けれども、こうした問題に、個人としてコミットする勇気がないんですね。逆にハブにされた子の気持に共感すると、自分までつらくなっちゃうということで、自らの感性にふたをしちゃうわけです。

  このような社会を生き抜いてきた短大生に、「つながってなくちゃなんない症候群」の話を私はしたわけです。おそらく、彼女たちが学校生活を送るなかで押し込められてきた思いが、わあっと出てきたんだと思います。やはり、自分に対してやましいと感じていたり、本当は、間違っていたのだというと思いがあるから、ある種の感情が文章というかたちで噴出したのだと思います。

 

「友だちは自分を磨く砥石」という感覚の喪失

――小林さんは、二〇〇三年一二月号の『GALAC』(放送批評懇談会編集・発行)に寄せた文章「強迫的所属欲求を引きずる若者たちの現実を見よ」でも書かれていますが、「擬態としての」親密さや、「共依存」的な暴力的な関係性が問題なのであって、「所属欲求」が満たされるような、「愛情」に裏打ちされた濃厚なつながりは、子どもが成長する上で欠かせないというのが小林さんの見解ですね。

小林   誤解してはならないのは、「ベッタリ」グループというのは、別に現在に始まったわけではないということです。昔から、そういう子どもの行動傾向はありました。小学校の低学年では、子どもたちは男女入り乱れて楽しく遊んでいますよね。それがだいたい一〇歳から一二歳ぐらいになってくると、男は男同士、女は女同士で小さいグループをつくって、よくも飽きないなと思うぐらい同じ顔ぶれで遊ぶようになるわけです。これは、発達段階の必然みたいなものだと思います。

  私は世代で言えば、戦中派です。小学校五年のときに集団疎開にやらされて、敗戦を迎えました。だから、国民学校のときには、皇国民として練成されたわけで、ベッタリなんてやっている余裕などありませんでした。ですが、戦後になり中学校に入りますと、庭球部をつくりテニスばっかりをやっていました。いま思うと、部活の仲間とは、いわゆるベッタリの関係でしたよ。ただ、ベッタリではあるのだけれども、言いたいことは言いあう間柄でもありました。そこが、決定的に「つながってなくちゃなんない症候群」とは違います。つまり、交友関係のなかで「つながらない」ときがあったわけです。

  仲がいいというのは、何でも率直に言い合えるということですから、それだけに、仲のいい友だちとの間には、言い合いやケンカがよく起こりました。当然、そうなった直後は、おたがいに気まずくなり、口もきかないわけです。ですが、こうした状態は、遊び仲間が別にいたとしても、大変つらい状態なんです。いまと違って、一人でゲームなどをして遊び、それで満たされることなどありませんでしたから。

  そうすると、だいたい、言い過ぎたほうが「僕の方が悪かった」と謝るわけですよ。向こうもつらくてしょうがないから「いいよ、もう」ということで、そこで再び仲良くなるわけです。私の子ども時代は、こうしたケンカと仲直りを、小学校に上がる前から何度も繰りかえしてきました。そうやって、仲直りするたびに、前より仲良くなれることを体得してきたわけです。だから、言いたいことを言ってぶつかり合っても、関係性というのはよほどのことがない限り壊れない、修復されるという感覚が僕らにはあります。

――なるほど、逆に、私の場合には、意見が対立する場面に出くわすと、対立しているのは意見であるにもかかわらず、何か全人格をかけての闘争のように感じてしまう感覚があります。大学のゼミや、学会での質疑応答をみても、参加者のものの見方や考え方の交流ではなく、妙なプライドのぶつかり合いで、何か勝ち負けにこだわるような場面に遭遇することも多くあります。

小林   そうですか。ちょっとつけ加えておけば、思春期における「ベッタリ」な関係が、なぜ重要なのかと言えば、感情の処理の仕方とか、相手との距離のとり方といった人との付き合い方をそこで身につけるからなんです。こうした事柄は、浅い人間関係では修得しにくいと思いますね。ですから、思春期における「つながってなくちゃなんない症候群」の問題は、自分がどんな人間なのかを、友だちとの違いを知ることで知ることができないところにあるんです。自分をわかってもらうためには、人が言うことも受け入れて、理解しなければならない。こうした「あたりまえ」のことがわからない、できないのが、現在の子どものつきあい方なんです。もちろん、思春期の「つながってなくちゃなんない」つながり方を、はじめにお話した育児環境の歪みが規定している側面は少なくないわけですが。

  いまから二〇年ぐらい前あたりから盛んになったと思うんだけど、中学受験のために子どもを塾にやらせるケースが増えてきましたね。このことは、現代の子どもを考える上で大きな問題です。僕に言わせれば、塾通いではベッタリ関係が生まれないのです。塾にいきますと、成績はよくなるかもしれないけども、人間関係の間のとり方や距離のとり方、つまりはコミュニケーションのあや、むずかしさを体得できない。対人関係に不自然さが残る人間になってしまう。これでは、本当の親友ができるわけないですよ。

  これまで話してきた自分にとっての友だち(他者)の存在の重要性を、「友だちは自分を磨く砥石」であるという比喩で、先の短大の講演では説明したのです。すると、この言葉が「印象に残った」という感想が多くあったのです。私には、そんなことはあたりまえのことなのですが、必ずしもいまの学生にはそうではないことは驚きでした。

 

「多元的な自己を生きている」という虚偽意識

――小林さんは一九八八年に、岩波ジュニア新書から『若いやつは失礼』を書かれています。そこでは、ミーイズムで公共性を失った、失礼な若者について書かれています。「つながってなくちゃなんない症候群」ということで問題にしている子ども・若者の危機は、最近になって生まれた新しい現象ではないと考えていいのでしょうか。

小林   ええ、 「つながってなくちゃなんない症候群」は、二十年以上前から始まっており、それがいよいよひどくなったということだと思います。日本中の若者は、基本的には、こうした環境のうちに育ってきています。ですが困ったことに、こうした「つながってなくちゃなんない症候群」のような子どもの生き方を、ある社会学者は、最近になって新しく日本社会に生まれてきた若者の新しい自己のあり方として肯定的に評価したりもしているのです。統計などを用いてあたかも実証されたかのように、「多くの若者が多元的な自己を生きている」と語るわけです。

  中学・高校の六年間を、何ごとにもうなづきあい、「かわいい」を合唱しなければならない生活を送っている。そして、その後遺症としての「強迫的所属欲求」を引きずっている。だから、「場面によって出てくる自分というものは違う」と、若者は答えざるをえないのであって、それは、決して「多元的な自己を生きている」というものではないでしょう。

  子どもたちは「どんな場面でも自分らしさを貫くことが大切」だと、心のなかでは思っているんですよ。だけれども、「強迫的所属欲求」のために、すなわち「つながってなくちゃなんない症候群」のために、もはや自分の率直な意見を言えないほどの「複数の顔」をつくってしまっている。それを「多元的な自己」と言っては、現実を見誤るんじゃないかと思いますよ。

――たしかに、紹介してくださった短大生の感想文を見ると、「多元的な自己」を生きているとは思えませんね。むしろ、他者に呑み込まれないだけの内面世界をいかに確立するのか、あえて言えば近代的自我の確立という課題は、現在もなお日本社会においてリアリティがある問いかけかもしれませんね。

 

「おな中」という「つながってなくちゃなんない症候群」

――小林さんには、『少年審判』(講談社、一九九八年)という強姦事件を題材にした小説がありますね。高校生になっても、同じ出身中学校同士で固まっていたグループ=「おな中」による強姦事件という設定ですね。

小林   このときは、高校の女性教師に取材しました。中学校を卒業して高校に入っても、そこですぐに友だちができるわけではない。うまくいかない場合も当然ありますよ。だけれども、いまの子どもは「つながってなくちゃならない」症候群だから、友だちが自然にできるようになるまで待てないんですね。中学校を卒業したとしても、中学校のときのグループからは卒業しない、できない。これが「おな中」グループです。

  彼らは、お互いに高校に行っても友だちが出来なかったということで傷をなめ合うわけですよね。共に依存しあうわけです。だからそこには、対等な友だち関係ができにくい。強い者と弱い者という一種の従属関係が出来てしまう。そういう歪みはあるけれど、そこにしか友だちはいないと思っているから、この関係から誰もがなかなか離れられないわけです。そこで、生活の基盤である「地元」、これはカタカナで「ジモト」と書いた方がいいと思うけれども、そのジモトに「強迫的所属欲求」を満たすのに戻っていってしまう。だから、バイトもジモト、付き合いもジモト。そういう格好になっている。私の取材範囲でいえば、ここに実は「非行」の温床があったりもする。同じ高校同士のグループで「非行」問題が起きるというのはさほどなく、「おな中」グループの場合が多いんです。

  このことは、あんまりみなさん考えていないようだけど、やっぱり人とつきあう能力というものは、自分とは異質な他者とぶつかることでも開発されていくのだと思います。「おな中」をはじめ、「つながってなくちゃなんない症候群」の子どもは、小さい集団の仲間うちだけで行動し、その世界を相対化することもなく、自分はそれでいいのだと居直って、ずっと育ってますでしょ。自分の考えていることを一般に敷衍していって説得性を持つものかどうかとか、正当性を持つものかどうかという作業を、やったことがないんですね。それでは、社会的理性が育たない。コミュニケーション能力が猛烈に退化してしまいます。

  社会性をもつということは、他人の眼で自分を見ることですよ。いい友だちをもちますと、あいつはどう思うのかなあというように視野が広がります。相手の眼になることができる。逆に、友だちがいないということは、視点の社会化というのができないということです。

――たしかに、普遍性への志向性がなければ、それは、社会的な「引きこもり」ですよね。実感に閉じこもってしまい、自らの感情を他者に開いていき共感にまで高める回路がないところに社会認識もなければ、社会運動を担っていこうというエートスも生まれようがありませんね。そう考えると、現代社会に子どもと生きるための「教育」にとっての一つの課題は、いかに普遍的な〈問題〉を子どもと共有するのかだということになると思いますし、「つながってなくちゃなんない」症候群の、社会病理としての根深さを感じます。

 

対立を許さない日本社会という根源的な問題

小林   ですからね、私もいまの若い人が、社会というものをどう考えているのだろうかと気になっていたのです。後に改めて話を聞いた青山学院女子短大の受講生にそのことを尋ねてみたのですが、答えはつぎのようなものでした。

  「自分を入れないで作られたVTRを見ている感じ。社会というのはすべて出来上がっていて、自分たちは違う所にいるという感じで見ている人が多いと思います。デモをやっているのを渋谷とかで見て、そのことを話したいと思っても1対1だったら話せるかも知れないけど三人だったら話せない。五人だったら絶対駄目です。表面的なこと以外の、ちょっと本質的なことを言うと何か“語りやさん”みたいな眼で見られて息苦しくなるんです。社会は変えられるものなんて全く考えていません。客観的にというか、見ているだけのような気がします」

  これは非常に正直な発言だと思うんですよ。およそ社会が存在する以上、そこには必ず対立が生まれるわけです。友だちグループも一つの社会ですよ。社会というのは、それぞれが異義を申し立てて、あらためる必要のあるところを組みなおしていかなければ、健全に保たれないものです。けれども、いまの人たちは、自分のなかで勝手にその対立が存在しないかのようにしてしまう。こうした精神態度は、何も大学生だけではないですよ。日本全体に行きわたっている。いまや三〇、四〇代にまで「つながってなくちゃなんない」意識は及んでいます。だから、この国はさまざま社会的な矛盾を抱えているのだけれども、その矛盾にむきあい、社会に対して批判的に発言したり、行動するというような動きが社会のうねりとして出てこない。

  このことは、日本社会には実は「社会」というものはなく、旧来からの「世間」があるだけだという阿部謹也さんの議論にもつながります。世間というのは、予め個人に与えられたものとして、つまり所与のものとして自分にかかって来るわけです。そして、その中で、個人はうまく「適応」していかなきゃならない。こうした発想が、日本人にはやはり根強いんです。日本社会ならぬ「日本世間」では、社会のなかに存在する対立を明らかにしようということは、愚かしいことだと思われている。対立をおそれずに、「俺はそう思わないな」と時には勇気をもって発言する場面がなければ、ディスカッションなど起きようがない。ところが、いまの日本社会ではNOというのが一番まずい。その時に意見が違っていても、人にはそれぞれの考え方があるのだから「いいんじゃないですか」と言って棲み分けようとする。

  もちろん、このようなごまかし方を続けると、自分のなかにものすごく鬱屈したものが生まれてくる。けれども、そういうやりきれない感情を、そういうものだということで個人の中で処理しちゃうのですね。このような処理方法を、学校生活をやり過ごすなかで身につけていけば、先の大学生のような発言になるのは当然です。

  対立をおそれないということは、別の言い方をすれば、孤独をおそれないということですよ。ですが、君たちの場合には、孤独に対する耐性というのがまるでない。内省を経験させられていないから、他罰的になったり、まやかしの全能感みたいなものが頭をもたげてくる。簡単にキレルるというのも、孤独をおそれずに自分の感情と向きあう経験がないことが大きいのではないかと思います。若い世代には、孤独というのは、孤立と同じ意味で考えられているのではないか。孤独は、君らの感覚からすれば、悪なんだと思う。そうしているうちは、「私はわたし」という主体性を持つことは絶対にできないと思いますよ。

――物理的に大人といわれる歳になっても、自我が社会化されなければ、「社会」の成立はないわけですね。いまや、「つながってなくちゃなんない症候群」の子どもと向き合う大人もまた、同じ症候群の後遺症を引きずっている場合が多い。このような循環を打破し、「つながってなくちゃなんない」症候群とそこに根ざす日本社会のかたちをどう組み換えていくのかというのは難問です。

小林 僕がわりに嫌われるのは、建設的な道筋を示さない癖があるからです。だけど、ノンフィクション書きとしても、できもしない建設的なことを言うのは嫌いなんです。言っちゃ悪いけど、今のあなた方の世代というのは答えまでも求めたがる。それは、ちょっと僕らの世代と違うんだね。私は問題提起をした。冷たいようだけど、それを君たちが引き取って考えてもらわなきゃ困ると言いたい。救いは君らがつくりなさいということです。

  (二〇〇四年四月一四日、新宿「ルノアール」会議室、同年五月一六日、小林道雄宅にて)

 

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芸能化する政治

 

 二〇〇〇年の一月、アメリカのジャーナリストD・ハルバースタム氏は、米メディアの現状と政治についての朝日新聞のインタビュー(一月十九日付)で、アメリカ国民の政治家に対する目を、〈芸能を見る目、芸能人を見るまなざしになった。……面白くないことは退屈。これがテレビ文化の政治への影響です。人を喜ばす芸能スタイルが政治家に求められている〉と指摘し、さらに、

 

 〈テレビは、物事をあまりにも単純化しすぎる。問題は、単純化してはいけないことを単純化すること。世の中には複雑なものもあり、それは複雑さを持ったまま扱わねばならない。でもカギはそれを国民が望むかどうか。テレビは視聴率低下を心配して、そういう報道をしないのです〉と述べていた。

 

 それから一年余の二〇〇一年四月末以降、日本もまったく同じ状態に立ちいたった。なんら具体的な政策を示すことなく「聖域なき構造改革」を叫ぶだけの派手なパフォーマンスが圧倒的な支持を集める反面で、個人情報保護法は関心すら持たれていないのである。そうなったのはメディアが「そういう報道をしない」からで、テレビの場合は事柄の複雑さゆえに分かりやすくできず、「面白くないことは退屈」と斥けたということだろう。

 

 ハルバースタム氏が指摘しているように、複雑な事柄は複雑さを持ったまま扱わねばならない。視聴者や読者に好まれようと、わかりやすく単純化することは一面的理解による過剰な情緒的反応という等質化現象を招く危険性がある。その意味でジャーナリズムは、政治家の言葉の意図的な「わかりやすさ」こそ問題にすべきなのだが、事態は逆になっている。

 

 それは、視聴率の低下や読者離れを恐れるからだろうが、実は伝え手の側にも「わかりやすさ」を求めたがる論理的思考能力の衰弱があるように思える。個人情報保護法案に対するメディアの対応の鈍さには、この法案が規制の対象から「放送機関、新聞社、通信社そのほかの報道機関」を除外していることもあるが、それ以上にジャーナリストとしての質の低下があるのではないか、私にはそう思えてならない。

 

 魚住昭氏らライター諸氏が立ち上がったのは、もとより出版を適用除外対象に入れさせようとするものではない。しかし、私自身としてはこの除外規定には腹に据えかねるものがあった。なぜならこの発想は、記者クラブ制度の“排除の論理”そのものだからである。この問題について友人の一人は「記者クラブに入っている相手なら何があっても日頃のよしみで話し合いがつくが、雑誌はそうはそうはいかないからだろう」と言った。

官の本音はそんなものだろうが、問題はそれに異を唱えることもないメディア側の姿勢にある。そうなるのは、大手メディアの記者には官とのもたれ合いを意識することすらなくなっているからだろう。

たとえば、かつて中央官庁の記者クラブに所属している記者に取材して、私が何より違和感を覚えたのは、彼らがしばしば口にする「国としては……」という言い方だった。私は中央官庁イコール国とは思っていないが、彼らは官僚の考えを国の意向として伝えることを当然のこととして疑っていない。

私はこれまで警察の問題を手がけてきたが、最後にぶつかるのは学問的にも通説になっているらしい「警察権は国に属する」なのである。しかし、間違っても警察庁イコール国ではない。

国が何かは国民を主権者とする憲法が定めるもので、九二条は「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基づいて法律でこれを定める」としている。地方公共団体も国の統治機構の一環であり、地方自治の本旨が「住民自治」であることに議論の余地はないはずである。

先進国の中で日本ほど中央集権的な国はないと言われるが、牢固たるその体制を支えてきたのは、国が何かを考えることもなく、中央省庁キャリアの意向を国の意向として伝えてきた大手メディアにほかならないのである。

 

 日本のジャーナリズムの退廃は、結果として官に取り込まれるだけの記者クラブ制度にしがみついているメディアの姿勢にこそあると言って過言ではない。糾すべきは何なのか、個人情報保護法の問題はそのことも問うていると言えるだろう。

(『個人情報保護法をぶっ潰せ』現代人文社 二〇〇一年九月)

無駄な少子化対策 日記(七月一日)にも書いたが、このところ少子化問題がかまびすしく論じられている。ただ、論じられているのはどうしたら防げるかという具体策であって、防止の必要性はほとんどの人が認めているようだ。しかし、本当にそれが必要なのか、果たしてベビーバスト(出生率低下)を防止できるかどうかは、あまり論じられていない。

実を言えば、少子化を問題とする話を初めて耳にしたとき、私は狐につままれたような気分になったものだった。というのは、出生率低下が逆の意味で論じられた時代を知っているからなのだ。おかしな譬えだが、昭和二十五(一九五十)年に死んだ新聞記者が現在に生き返ったとしたら、この出生率低下には間違いなく「結構じゃないの」と言うはずなのである。

総務省統計局によれば、現在の日本の人口はおよそ一億二千七百五十万人だが、私が生まれた昭和九(一九三四)年は六千八百三十万人、現在のほぼ半分である。国策として「産めよ殖やせよ」運動が行われた昭和十七(一九四二)年が七千二百八十万人。敗戦後の第一次ベビーブームとなった昭和二十二(一九四七)年は七千八百十万人。そして、昭和二十五(一九五十)年は八千三百二十万人という経過をたどっている。

多分、私が中学生のころだったと思うが、当時よく耳にしたのは「日本は人口が多いから貧困がなくならない、現在の八千万の人口を六千万に減らせれば生活はもっと豊かになる」という話だったのである。その記憶があったので調べてみたところ、そのころは知識人の多くかマルサス(Thomas Robert Malthus 1766~1834)の『人口の原理』を読んでおり、次いで広まった「新マルサス主義」を当然としていたということだった。つまり、

 

 「人口は幾何級数的に増大するが、食糧は算術級数的にしか増加しない。人口増加による貧困が社会悪の原因であるから、食糧に見合うように人口を抑制すべし」として性欲の抑制を主張した「マルサス主義」から、産児制限によってそれを達成しようと主張する「新マルサス主義」へと移行していたようなのだ。

 

 私はそのことを、先年他界された元朝日新聞社社長・広岡友男さんに土地問題にかかわる話として持ち出したことがあった。すると広岡さんは、「おう、そうなんだ。僕もマルサスを読んだ。人口抑制問題をやろうとだいぶ研究したからな」と答えたものだった。先に、おかしな譬えとして新聞記者を出したのは、それが頭にあったからなのである。

 

 ところが、以後五十年の間に、日本の人口は逆に六割増となった。にもかかわらず、国民の生活は当時とは比較にならぬほど豊かになった。そしていま、少子化が危機感をもって語られ、再び「産めよ殖やせよ」が言われ始めている。何とも奇妙な話である。

 

 人口減に歯止めを掛けたいとする理由は、労働人口の減少が経済成長を鈍化させ、高齢化社会の年金や医療費など社会保障費が維持できなくなるということにある。しかし、無理を重ねての絶えざる経済成長は、人間の本然の生きかたにさまざまな歪みをもたしてきた。その意味では「金銭的関連から少しずつプラグを抜いていくことを基盤にした生存の仕方が、いまや生き延びるための一つの条件」であるとするイヴァン・イリーチの言葉を考えたほうがいい。まして、有限な地球資源を考えれば少子化こそが必要なのである。

 

 それはそれとして、ここまでのベビーバスト(出生率低下)は何によるのか。また、果してその回復は可能なのか。厚生労働省は未婚化や晩婚化の理由を、女性たちが家庭を築くことの負担の大きさを悟ったからだと分析している。たしかにそれもあるだろうし、そこから導き出される「子育てに励む夫婦を支援する」社会システムの確立も必要ではあるだろう。だが、理由はそれだけだろうか。

 

 一般論的な産まない理由はさまざまあるだろうが、実際に産むか産まないかを決めるのは夫婦の意思である。経済状態や環境がどうであれ、子どもを望む夫婦は産むであろうし、どれほど条件が整っていても、子どもを望まない夫婦は産まない。はっきり言って、産む産まないは、当人たちの考え方、とりわけ女性の側の意思の問題なのである。そして、それ以前の問題である非婚化は、日記にも触れたように生き方そのものがおかしくなっていることにある。

 

 二〇五〇年には人口が一億人にまで減少すると騒がれているが、現在の人口を維持して豊かに暮らしていくための経済プランはどこにも示されていない。防止策として無駄な支出をするよりは、人口一億人の経済モデルを作り、今からそのための準備を進めるほうが、はるかに現実的である。しかし、森喜朗前首相の顔を見ていれば、それを言うのも無駄な気がする。(二〇〇三年七月記)

http://www2.odn.ne.jp/henkutsu/sashi.html

6:35 2014/09/26

小林道雄ホームページ◆2004年7月4日 更新 小林道雄の経歴(プロフィール)「手元にある中で、いちばん偏屈っぽくない写真がこれである。いちばん偏屈なのは奥さんがダメ出し」(ウェッブデザイナー記)

小林道雄の近影/撮影:中島好登

撮影/中島好登(新宿・欅山にて)

ノンフィクション作家。1934年(昭和9年)東京生まれ。 雑誌記者から廣済堂「時代」編集長、出版部長をへてフリー。 警察、司法、冤罪、少年問題などを主に手がける。著書に、「日本警察崩壊」(講談社)、「退化する子どもたち」(現代人文社)、「日本警察腐敗の構造」(筑摩書房)、「冤罪のつくり方」(講談社)、「日本警察の現在」(岩波書店)、「若いやつは失礼」(岩波書店)など。

※主な著書の詳細は、小林道雄の著作ページをご覧ください。

 小林道雄の経歴 |権利は小林道雄が有しています。

6:39 2014/09/26

 

 

日本警察崩壊 単行本 – 2003/5/1

http://www2.odn.ne.jp/henkutsu/

 

小林 道雄   (著) 相次ぐ不祥事、低下した検挙率、解決できない重大事件、失敗した暴対法、警らよりも昇任試験、キャリア化したノンキャリ幹部……

信頼を失った警察に未来はない!!

 

ベストセラー『日本警察 腐蝕の構造』以来警察のあり方を見続けている著者が、崩壊しつつある組織の現状に警鐘を鳴らす!

 

 今の警察には、「警察は、個人の生命、身体及び財産の保護に任じ」(警察法第2条)と規定されている責務を第1義的なものとする意識が、組織にも個々の警察官にも大きく薄れてきている。……いったい、どうしてそうなったのか。……気づいたことは、薄れたというとらえ方は違うのではないかということだった。そうではなく、もともとその責務を2義的なものにしたがる体質があり、時の経過とともにそれが露になりタテマエ化が進んだ、そう見るほうが正しいのではないかということなのである。(「はじめに」より抜粋)内容(「BOOK」データベースより)

 

相次ぐ不祥事、低下した検挙率、解決できない重大事件、失敗した暴対法、警らよりも昇任試験、キャリア化したノンキャリ幹部…信頼を失った警察に未来はない!ベストセラー『日本警察腐蝕の構造』以来警察のあり方を見続けている著者が、崩壊しつつある組織の現状に警鐘を鳴らす。

 

 

内容(「MARC」データベースより)

 

警察は、もはや機能不全に陥っているのか!? 相次ぐ不祥事、低下止まらぬ検挙率、失敗した暴対法。本来の生活安全の任務より監視に重きを置く流れは、ますます国民と乖離する。警察のあり方に警鐘を鳴らす!単行本: 246ページ

出版社: 講談社 (2003/05)発売日: 2003/05

目次

1 初動捜査―神戸・大学院生暴行殺害事件(捜査しない警察・警察組織の問題点に原因が ほか)

2 暴力団対策法―失敗したヤクザ対策(ヤクザをわからなくさせる「暴力団」暴力団にされたヤクザ ほか)

3 復活された監視―保母になった計察(思想善導の保傅詐術的「焼け太り」戦略 ほか)

4 検挙率低下―露呈したまやかし(特別身上指導職員「検挙率神話」の崩壊 ほか)

5 自治警察の回復―キャリア制度が阻む自治(否定された官僚支配公安委員を選ぶ警察 ほか)

5:25 2014/09/26

日本警察 腐蝕の構造 ハードカバー – 1986/3/1

小林 道雄   (著内容(「BOOK」データベースより)

一握りのエリート幹部(キャリア)の特権意識と癒着・腐敗が危機の元凶!! 警察内部の憂える志士の協力によって初めて明らかにされる驚くべき真実。 ハードカバー: 241ページ

出版社: 講談社 (1986/03)発売日: 1986/03

目次

第1章 不祥事を招く条件

第2章 犯罪を生む環境

第3章 ヤクザと警察―癒着の構造

第4章 まかり通る上部の不正

第5章 資格なき資格者たち

第6章 抑圧されているノンキャリア

第7章 なぜ関西に不祥事が多いのか

5:29 2014/09/26

崎原・名瀬間を走っているバスがありますが・現在は崎原小学校前で終点ですが。

これを田雲漁港まで延長していただけないでしょうか?田雲にも人が住んでいますし・3キロほど歩いて名瀬行きのバスに乗らないとなりません一日も早く延長をお願いします・利用者や・高齢者は・バスを利用したいと考えています。

 

公共のバスは交通弱者を助ける乗り物ですのでよろしくお願いします。

 

 

 

奄美市名瀬崎原田雲534

滝田 好治

0997-54-3339

平成26年9月21日

 

「仙波敏郎さんを支える会」の東玲治さん亡くなる 愛媛(産経新聞)

http://www.asyura2.com/08/senkyo55/msg/284.html

投稿者 クマのプーさん 日時 2008 年 10 月 25 日 10:46:56: twUjz/PjYItws

http://sankei.jp.msn.com/region/shikoku/ehime/081025/ehm0810250231001-n1.htm

2008.10.25 02:31

 

愛媛県警の捜査費不正支出問題を内部告発した県警巡査部長の仙波敏郎さん(59)を、先頭に立って支援してきた「仙波敏郎さんを支える会」の世話人で、元ジャーナリストの東玲治さん(59)が23日、同県東温市田窪の自宅で亡くなっているのを訪れた知人が見つけた。死因は狭心症による発作とみられる。

東さんは昭和23年11月、松山市生まれ。松山商科大学(現・松山大学)を卒業後、46年、産経新聞社に入社。松山支局など17年間、取材記者として過ごした。

「気骨のある記者」として知られ、退社後に編集・発行していた「政経ジャーナル」で、県内のJAで次々に発覚した光センサー選果機の不正入札事件をスクープ。著書に「記者物語」「続記者物語」「-告発警官1000日の記録-ドキュメント仙波敏郎」(いずれも創風社出版)などがある。

仙波さんは「親身になって世話をしていただいた。残念だ」と言葉を詰まらせた。葬儀告別式は25日午後1時から松山市築山町5ー16の小倉聖苑築山ホール。喪主は兄の隼也(しゅんや)さん。

 

 

■関連投稿

警察の真実-捜査費横領システムの闇(下)【自称「裏金問題を内部告発した現職警官仙波の運転手」の東玲治】(JANJAN)

http://www.asyura2.com/07/senkyo43/msg/805.html

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http://www.asyura2.com/07/senkyo43/msg/805.html

投稿者 天木ファン 日時 2007 年 11 月 01 日 11:48:52:

http://www.news.janjan.jp/living/0710/0710304804/1.php

 

前回記事:警察の真実 -捜査費横領システムの闇-(上)

東さんの話 「仙波の運転手」の東玲治です。私は、友人にすすめられてホームページをつくって、安上がりの「仙波敏郎さんを支える会」の情報発信をしていますが、それだけではこの仙波のリアリティーというものが伝わりません。それで、こういう集まりを多く持とうと考えました。

5人以上の人が聴いてくれるなら、どこにでも講演に行きます。関西なら車で日帰りです。もちろん、飛行機で行きたいんですよ、でも、先方さんに負担をかけるのは心苦しいので、私が車を運転します。車の中で、仙波とはいろいろ話しますよ。

私は、取材記者として愛媛県警を30年間見てきました。ある意味、仙波よりよく知っているようなところがあります。民間人の私は、何を言ってもかまわないのですが、仙波は現職の警官ですから、言ってはいけないことがあります。公務員の守秘義務というのがあります。私が、その辺のところをチェックしています。

新聞を見ると、官公庁の不正、政治家の不正がいつもニュースになっています。それで、際限がないので不正の追及はほどほどにして、国会では政策論争をやれ、という意見があります。しかし、不正の追及と政策論争は両立させなければなりません。

仙波の告発したのは、警察の不正です。警察という組織を考えるとき、組織がかかわらないと、不正をできるわけがないんです。これまで、個人の責任として、「トカゲのしっぽきり」ばかりしてきましたが、個人の力では、警察の不正はできないんです。

今、日本国では、官僚の心が腐ってきています。警察官僚もそうです。仙波のように、正しいことと正しくないことの区別をはっきりつけることのできる人が、少なくなってきています。仙波が嫌いだという人も多いですよ。しかし、彼の言っていることは正しいのです。正しいか正しくないか、このことが問題なのです。

このまま格差社会が進行していくと、遠からず、日本にもスラムが誕生することになると思います。スラムは、犯罪の温床になります。そのとき、今の日本の警察力では、対応できません。警察の捜査能力は年々低下してきています。幹部が裏金作りで、私服を肥やすことばかり考えているからです。皆さん、警察幹部の家が豪邸過ぎると思いませんか。公務員の給料だけで、あんな大きな家が建つんでしょうか。

私は、国家公安委員長に舛添さんを起用して欲しいですね。警察の捜査費横領は、中央の警察庁が指令しているんですよ。その責任者を具体的に罰して欲しいですね。

上意下達ばかりで、下意上達のない警察組織で、35年間、ニセ領収書作りを拒み続けてきたのは、仙波1人です。警察というところは、金太郎飴で、どこを切っても同じ顔が出てくるんです。しかし、この仙波だけは、金太郎じゃないんです。

警察の裏金作りの内部告発というのは、実は仙波が初めてではありません。松橋忠光(故人)、原田宏二、斉藤邦雄、仙波敏郎と続きます。最初の松橋さんという人は、キャリアで、『わが罪はつねにわが前にあり』(社会思想社)と題する本で、警察の裏金システムを告発しました。しかし、相手にされませんでした。仙波は、4人目で、先の3人は、退職後の告発ですから、現職警官では仙波が唯一なのです。

平成16(2004)年2月、北海道警ナンバー3にまで上り詰めていた原田さんが告発に踏み切りました。そして、原田さんの部下であった斉藤さんが、証拠書類を携えて、それに続きました。斉藤さんは、53歳で早期に警察を退いた人ですが、「裏金作りをしている自分が若い警官に訓示をたれるのが、辛かった」と言っていました。彼はあまりに辛かったので、53歳で警察を辞めてしまったわけです。

裁判には、どうしてもお金がかかります。弁護士費用はかからないんですが、印紙とか証人を呼ぶとか、いろいろ金が出て行きます。それでカンパをお願いしています。

感想

アメリカの警官には殉職者が多いが、日本の警官には自殺者が多いそうである。日本の警官は、犯罪と戦う前に自ら死を選んでいるのである。特に、若い警官の自殺が後を絶たないと言う。最近、警察学校を出た人に聞くと、「自分が自分でなくなってしまったような気がします」とのことであった。

自分を失わせるのが、警察学校の役割なのだろうか。仙波さんのような自分の判断力を持つ人を排除するのが警察学校の役割なのだろうか。日本の警察がストレス社会なのだろうということがその出発点から窺えるのである。

1つの大きなストレスは、ノルマ至上主義である。交通違反の摘発件数、少年補導件数、泥棒の検挙件数、暴力団事件の検挙数などありとあらゆるところに「努力目標」が設定されている。冤罪事件は、このノルマ至上主義と無関係ではあるまい。これまで、警官のノルマのために犯人にされた人は、多いのではないか。

もう1つの大きなストレスは、今回のテーマになった捜査費横領システムの存在である。上意下達のピラミッド構造なので、警察幹部が私腹を肥やすのにこの裏金が使われている。一方、捜査現場では、警官は身銭を切って犯人を追いかけているのである。この組織的犯罪システムが、警官の精神を深く蝕んでいるであろう。捜査費横領システムは、形を整えて、黒を白といおうとしているのである。それは、形さえ整えれば、白を黒とでもいえると考える精神を生まないだろうか。

仙波さんは、この上意下達の組織で、24歳で巡査部長になって以来、ニセ領収書作りを拒否してきたのである。強い意志力をもって、下意上達を実践してきたのである。彼は、そのために警官としての出世や昇給とは無縁になってしまった。仙波家の払った犠牲は大きいのである。これは、たぶん、裁判に値する人権問題であろう。

東さんは、「仙波のリアリティー」という言葉を使うが、警官としての信念を曲げることなく生きてきた仙波さんの存在感はちょっと異質である。逆に、彼が克服してきた困難の大きさを想像してしまう。2年前の告発記者会見の後、仙波さんは愛媛県警の取調べを受けたが、取調官は、かって彼が教育した後輩警官だった。その彼が言った。「仙波部長をとても調べられないから、お前やれ、と上のほうから言われたんです」。 裏金で私服を肥やしている県警幹部たちは、仙波さんとの人格の差をちゃんとわきまえているのである。仙波さんには、1分の隙もないのである。それは、仙波さんを身近に見ればわかる。意志力がみなぎり、全身これ正義なのである。正義を取り調べることなどできないのである。

実は、長男の消防署長刺殺事件については、仙波さんは会場では話さなかった。しかし、それでは後に続く話が理解できない。それで、迷った末に加筆した。『警察VS.警察官』(講談社・原田宏二著)にも東さんのホームページ『ドキュメント仙波敏郎』にもこの事実は書かれているのである。

これは、少し私の想像も加わるのだが、長男は、「仙波の息子」なるが故に、消防署内で辛い思いをしていたようである。警察署と消防署は火災現場などで協力しなければならないので、近しいのである。あるとき、年休を取ったということで、長男は上司から暴行を受けた。全治1週間の怪我である。

そこで、仙波さんが乗り込んでいった。その結果、消防署が仙波さんに謝罪、長男は中央消防署に短期異動になっている。そうした流れの中で刺殺事件は起こり、司法処理されていったのである。「計画殺人ではない」という長男の主張は何一つ聞いてもらえず、警察の取り調べも裁判も「仙波の息子」なるが故に、公正なものではなかったようである。懲役12年であった。長男は今刑務所の中である。

講演会後、主催者の用意した10人ほどの夕食会の席に私もいた。東さんの右隣、仙波さんの右はすむかいに腰を下ろした。仙波さんの向かいには女性が2人座っていたが、彼は女性たちとの他愛のない会話を楽しんでいた。いかめしいだけの人ではないのである(高知の元気な女のことをハチキンというが、それが男4人分という意味だと聞いて、仙波さんが高知県人の発想にひどく感心、そのことで盛り上がったのである)。

彼は、「街を歩いていて、右翼や暴力団に整列されて、『仙波さんがんばってください』といわれるんです。やめてくれ。おまえらに言われとうないわ。おまえらといっしょにするな。と言ってるんです」という話をした。私が、「それは、おもしろいですね。いいじゃないですか。かわいいじゃないですか」と軽口をたたくと、仙波さんは下を向いた。たぶん、私に対する怒りをかみころしていたのだと思う。

母子家庭だった仙波さんは、母親に、「男が1度決めたことは、最後までやりぬけ」と言われて育った。事実、彼は、そのように人生を歩んできたのである。彼は、正義の人だが、度胸の人でもある。彼には迷いというものがないかのようである。母親の教えを肉体化しているからであろうか。警察という巨大組織を相手に、彼の状況判断はいつも的確であるように思える。やはり、25万分の1の警官なのかもしれない。

この上なくハードボイルドな取材の最後に、私は、仙波さんに握手を求めた。確かに、それは武道8段の握力であった。そして、確かな体温を感じ取ることもできた。

追記


これは、警察の将来、日本の未来にかかわる大問題のはずだが、ジャーナリズムはおよそこの問題に冷淡である。想うに、警察は彼らのネタ元だからである。機嫌を損じるのが怖いのである。しかし、そんなことでジャーナリズムといえるのか。

もう1点、ジャーナリズム内部にも裏金が存在しているからであろうと、私は想像している。最初は威勢のよかった北海道新聞も高知新聞も今は元気がない。警察側からのカウンターパンチが効いているのであろう。

執筆に当たり、『警察VS.警察官』(講談社・原田宏二著)と東さんのホームページ『ドキュメント仙波敏郎』を参考にさせていただいた。

(成川順)◇ ◇ ◇

6:17 2014/09/21


 

投稿者 天木ファン 日時 2007 年 11 月 01 日

閑話休題ー仙波さんを支援する会に参加して【天木直人ブログ】1/23

http://www.asyura2.com/07/senkyo29/msg/1283.html

閑話休題ー仙波さんを支援する会に参加して【天木直人ブログ】1/23

http://www.asyura2.com/07/senkyo29/msg/1283.html

投稿者 天木ファン 日時 2007 年 1 月 23 日 09:29:53: 2nLReFHhGZ7P   


2007年01月23日

閑話休題ー仙波さんを支援する会に参加して

     

 1月19日私は四国松山を訪れ「仙波敏郎巡査部長を支援する会」の集まりに参加した。現職の警察官でありながら裏金づくりの実態を記者会見で告発したのは丁度二年前だった。その二周年記念集会に参加したのだ。

組織を離れて孤立無援だった私にとって新聞で読んだ仙波氏の勇気ある行動は何よりもの励みになった。一度会って話がしたかった。それがやっと実現したのだ。

仙波さんは告発した一週間後に閑職に配置転換され職場軟禁の状態だった。その不当人事の撤回を求めて仙波さんは闘って来た。それを弁護士たちと支援者が支えた。06年6月ついに県人事委員会は「人事権の濫用」を認定し「異動は妥当性を欠く不利益処分」と断じた。名誉は挽回された。しかし元の職場に復帰したところで「裏切り者」には変わりはない。仙波さんにとってはつらい毎日に違いなかった。

しかし仙波氏の表情は意外に明るかった。それは「自分はいささかも後ろめたいところはない」という強さがあるからだろう。事実、裏金作りのための偽造領収書の署名を最後まで拒んできたただ一人の警察官であった。だからこそその告発に迫力があったのだ。

そうは言っても現職の警察官でありながら告発をした事に対する警察組織の圧力は大変なものであったに違いない。その中で毎日を過ごした仙波さんの辛さは想像を絶する。「支援の会」を司会していた代表者の一人が、はじめて姿を見せたという仙波さんの年老いた母親の姿を前の席に見つけ、思わず涙ぐんで言葉が途切れるという一幕があった。その光景こそ過去2年間の仙波さんの苦労を象徴的に表していると感じた。そういえば私も心配をかけた母親がいた。今は亡き自分の母親の面影を仙波さんのお母さんに重ねていた。

それにしても仙波さんは幸せだと思った。仙波さんを支えてくれる支援者がこれだけいるのだ。不当人事を撤回させた多くの弁護士がいるのだ。だからこそ2年間をがんばることが出来たのだろう。孤立無援の私には羨ましく思えた。

帰り際に私は仙波さんに私の思いを伝えた。あなたがこれからなすべきことは定年までのあと2年間を歯を食いしばって勤めあげることだ。間違ってもこれ以上あなたは裏金の追及をやってはいけない。これ以上警察を追い込んで警察の反発を招くようなことをしてはならない。後は県民の仕事だ。司法の仕事だ。メデイアの仕事だ。そしてこのまま無事に定年まで勤めあげることが出来ればその時こそあなたの正しさが揺るぎのないものとなるのだ。その時はゆっくり酒でも飲みましょう・・・と。

もしあの時・・・と私は帰りの飛行機の中で考えた。もしあの時、多くの警察官が仙波さんの勇気に動かされ裏金の事実を語りだしたとしたら・・・百人、二百人単位の警察官が告発の正しさを語り始めたらおそらく検察も司法も動かざるを得なかっただろう。警察組織全体が犯罪を認めざるを得なかっただろう。山が動いただろう。

イラク戦争にしてもそうだ。もしあの時外務省の多くの職員が立ち上がり米国の不当を批判していたならば、その米国を支持した小泉首相の判断が間違いだと声を上げていれば、日本外交は正しさを取り戻せたに違いない。日本はここまで米国のイラク戦争に巻き込まれずにすんだに違いない。小泉首相の責任もまた間違いなく問われていたのだ。

現実は決してそうはならなかった。警察組織は微動だにしていない。小泉首相は任期を全うしイラクの状況の悪化などどこ吹く風と言わんばかりに私的生活を楽しんでいるという。

それでも私は晴れやかな気分で岐路についた。これだけ多くの善意の人たちに囲まれてしばし孤立無援の自分を忘れることが出来た。いや私は決して孤立無援ではない。あの米国の不正義な中東政策の犠牲になったアラブの民の怒りと悲しみを背にして今日まで生き続ける事ができたのだ。不正義は必ず正される時が来る。私はブッシュ大統領の行く末を見届けていく。日本外交のこれからを監視していく。

http://www.amakiblog.com/archives/2007/01/23/#000222

6:21 2014/09/21

 

投稿者 天木ファン 日時 2007 年 1 月 23 日

仙波巡査部長、おめでとう(天木直人のブログ 9/12)

http://www.asyura2.com/07/senkyo41/msg/961.html

仙波巡査部長、おめでとう(天木直人のブログ 9/12)

http://www.asyura2.com/07/senkyo41/msg/961.html

投稿者 天木ファン 日時 2007 年 9 月 12 日 11:01:15: 2nLReFHhGZ7P6



2007年09月12日

 仙波巡査部長、おめでとう

 今日のブログのテーマはこれしかない。この事だけを書く。愛媛県松山地裁は9月11日、愛媛県警巡査部長の仙波敏郎さん(58)の訴えを認めた。その訴えを全面的に認める判決を下した。画期的な出来事だ。

今から二年半前、県警の裏金を内部告発した仙波巡査部長に対し、愛媛県警は組織をあげて仙波部長を排除、疎外した。その措置に対し、仙波さんは県警を相手取って損害賠償訴訟を求めて来た。その判決が下されたのだ。

高橋正裁判長は、「配置換は造反への報復で、社会通念上、著しく妥当性を欠き違法」と全面的に原告の主張を認め、満額の損害賠償支払いを命じた。あわせて、程度を超えた口止め工作と、それに従わなかった為の懲罰人事について、当時の県警本部長の関与があった事を認定した。国家権力の組織的犯罪を認めた画期的判決である。この事はいくら強調してもしすぎることはない。この判決をきっかけに世の中が少しずつ変わって行く事を期待したい。

仙波さんの告発を知ったのは、私が外務省を去って一年半ほどたっていた時だった。その時の私は、権力に抗って声をあげることの厳しさを身をもって感じ、孤立無援の心細さの只中にあった。だから同様の境遇にある人たちのニュースに敏感であった。

雪印食品の不正を告発して排斥された冷凍会社社長、トラック運送業界の不正を告発して30年もの間閑職に放置され続けた会社員、政治的介入で番組を歪められた事を告発したNHK職員、耐震偽装を告発したために逮捕された社長など、いずれも一時的には脚光を浴び、注目はされても、その後は長く、厳しい人生を歩む事になる。

一時的な正義感のために告発に走る事は「割りに合わない」ことなのだ。だから皆口をつぐむのだ。見て見ぬ振りをするのだ。その常識に抗う愚かな者、変わり者、組織を乱す者のみが告発者となるのだ。   

しかし誰かが不正を告発しなければならない。そうでなければ不正は大きな顔をしてまかり通る。結果的に皆が被害を蒙る。告発者こそ正義の実現者、先導者なのだ。

数ある告発の中でも、仙波さんの告発はとりわけ凄いものだ。なにしろ国家権力の中枢である警察の組織犯罪を、たった一人で正面から告発したのだ。官僚だった私は、それが如何に大それた事であるかよくわかる。国家権力の圧力の大きさを知っている。

判決が言い渡された瞬間、仙波巡査部長の頬に一筋の涙が流れたという(9月12日毎日新聞)。それを読んだ時、思わず私も涙ぐんだ。彼の心境が、まるで自分の事のように、痛いほどわかるのだ。

経験した事のある人はわかるに違いない。人間だれでも自分と向かい合ってギリギリの生き方をしてきた時、その結果がどうであれ、それが終わった瞬間にすべてから解放される。その時自然に涙がこみ上げてくる。どんなに強そうに見えている人であっても、その強さを持ち続けるために人知れず無理をしているのだ。自分に誠実であるほど負担も大きく、重い。その重圧から解放された時、涙があふれ出る。その涙こそ真実の涙である。

仙波さん、おめでとう。支えてくれた人たちに感謝し、共に喜びをかみしめて欲しい。有頂天になることなく、今こそ言動を自重して欲しい。定年までの残りの二年を無事に過ごして欲しい。そして全国に存在する不遇の内部告発者の無念に思いを馳せて、彼らの英雄となり、彼らの心の支えとなってもらいたい。無事定年になってすべてから解放された時、杯を重ねて人生を語り合おう。

http://www.amakiblog.com/archives/2007/09/12/

6:24 2014/09/21

投稿者 天木ファン 日時 2007 年 9 月 12 日  

6:14 2014/09/21




「正義の人」 シナリオ版「仙波敏郎物語」●仙波さんを支える会

□愛媛県警本部通信指令室外の廊下   正岡が仙波と話している。

仙波「参りましたが。さっき友だちと廊下ですれ違ったときにね、もうわしに話しかけんといてくれやって言われたんですよ」

正岡「なぜですか?」

仙波「僕と話したことは、全部上に報告しないといけんらしいんです」

正岡「なんだそりゃ」

仙波「本部全員にそういう指示が徹底しとるらしいんですわ。だから、そうか、めいわくかけて悪るかったのう。もう話しかけんけんの、と断ったら、ほんとにうれしそうな顔しとるんですよ。僕を裏切って上に報告書を書くんが、よっぽどつらかったんでしようねえ」

正岡「そんな締め付けをやってるんですか。とんでもないな。……そういえば、仙波さん、昨日女性の家に行きませんでしたか?」

仙波「えっ、行きましたけど、何か?」

正岡「まずいなあ。うわさが広がってますよ。

仙波「うわさって? 女性って、いとこの家に行ったんですけど」

岡「えっ、そうなんですか。仙波に女ができたって話で、広報がうれしそうに記者クラブで吹聴して行きましたよ」

仙波(怒って)「また僕を尾行して、変なことを言い触らしとるようやな」

 正岡「情報戦になってきましたね。まあいいでしょう。

うちの局では、今晩のニュースで、仙波さんの不当異動について特集して流しますから。ドカンときますよ、これは」

仙波さんを支える会 講演会会場  支える会が主催する資金集めのための講演会には、数百人の市民が押しかけている。仙波と東と古茂田が、入り口で参加者を出迎えている。

 東「えー、仙波さんを支える会にご入会希望の方は、こちらの申込書にご記入ください」古茂田「(正岡に向かって)昨日の愛媛テレビの報道が効いているみたいね。ありがとう」参加者「仙波さん、あんた男やで。応援しとるで」

参加者「報復人事に負けんと、頑張ってくださいね」演壇に東、仙波、弁護団が着席する。

東「それではわたしのほうから、全国の警察で裏金がつくられとるという実態について、みなさんにお伝えしておきたいと思います。ご質問がありましたら、適宜お願いします」

仙波「東会長にいろいろ細かく調べていただきました」   東、資料を見ながら話し始める。東「まず、裏金づくりの手法についてですが、捜査費と捜査報償費はほぼ全額が裏金に回っています。だいたい年に200億円でしょうね次に旅費が非常に大きいですね。京都府警では、03年度に本部と警察署に支給された7400万円の旅費のうち、6割の4300万円が裏金に回されたことがわかっています。交通費や宿泊費の実費分は本人に支給しますが、日当や旅行雑費を裏金にしていたようです。

旅費については、捜査員個人の銀行口座に振り込まれるわけなんですが、各部署の幹部や会計担当者が、振り込まれる個人口座の通帳とキャッシュカードを本人から提出させて、本人の知らんうちに口座から出し入れして、裏金にしてしまうという方式が全国で広く行われていました。ですから、実際に捜査で出張したにもかかわらず、旅費がもらえなかったという笑えない話もあったようです。

北海道での裏金問題が大きくなるにつれて、通帳は本人に返還されるようになりました。愛媛県警でも同様です。

警視庁の機動隊では一人あたり月5万円支給される日当を全額ピンハネして、まるまま裏金にして、月に一億円の裏金がつくられていたという証言があり、この詳細は本になって出版すらされています」

参加者「太い話じゃのう」東「ええ、これはもう太いですよ。トータルで年間400億円の横領ですからね。3億円犯人もびっくりの大泥棒ですよ。

http://www.nin-r.com/intr/semba/righteousone/38.html

17:25 2014/09/20

ドキュメント・仙波敏郎 -告発警官1000日の記録- ハードカバー – 20071220 東 玲治   (著) 内容説明

http://www.nin-r.com/intr/semba/kokubai/47.html

愛媛県の現職警官が警察の組織的な裏金作りを告発、それによる不当な配転を違法として争った国賠訴訟一審判決で、劇的な勝利を手にするまでの道のり。警察という強大な組織と対峙した一巡査部長の1000日の記録


全国で唯一の現職警官による警察の組織的裏金づくりの告発。それによる不当な配置転換を違法として争った国賠訴訟一審判決は、劇的な勝利となった。本書は警察という強大な組織と対峙した一巡査部長の1000日の記録である。 ハードカバー: 348ページ出版社: 創風社出版 (2007/12/20)言語: 日本語

発売日2007/12/20ハードカバー: 348ページ出版社: 創風社出版 (2007/12/20)

言語: 日本語発売日: 2007/12/20

目次

勝訴の日/告 発/決 意/告発前夜/見せしめ/監視/無関心

デタラメ/阿部問題/マスコミの責任/決算特別委員会/最初の尋問

本人尋問/高知・特別監査/幕引き決議/警乗手当て/情報流出

隠 蔽/人事委員会裁決/雑踏の中で/眠りこける知事/不作為の重奏

不正の共有/証言/証言2/明白な事実

発刊にあたって

経過//国賠訴訟 判決要旨

マスメディアは伝えない、国が雇ってる愚連隊のお話, 2008/8/28

ドキュメント・仙波敏郎 -告発警官1000日の記録- (ハードカバー)

昔は「嘘つきはドロボーのはじまり」と言ったものだが、「ドロボー」は「警察」だと多くの人が知るようになって久しい。

警官個人でなく、組織として犯罪集団であるのだから、自浄作用なんか望むべくもなく、情報公開によって市民が正すしかないのだが、「捜査の秘密」と、都合の悪い部分を開示しないのだからタチが悪い。

それを、逮捕の危機もものともせず、現職ながら内部告発を行った、国民栄誉賞ばりの仙波氏の戦いの記録。

宮城の浅野知事が現職時、捜査報償費の開示を迫っても県警は出さず、知事は報償費の予算をつけなかったのだが、愛媛では、知事・議会・監査・人事委と県全てが、それを隠そうとし、裁判所が内部告発に基づく報復人事と認定した、拳銃の取り上げや、仙波氏用に新設した通信司令室内の一人職場への配置転換なども認めず、敗訴後も控訴に及んでいる。

この裏金作りは全国的であるが、マスコミは警察に気兼ねして、大々的にも全国的にも報道しない。  TVでは、『警察24時』ではなく、『国・自治体ぐるみの裏金列島』でも放映すべきであろう。

組織相手に一人で戦うことは、言葉では言い表せない痛みや苦しみがあろう。 それが具体的に沢山書かれているわけではないが、読者も怒りと共に勇気ももらえる本である。

34年間も「正義の人」であり続けた氏であるからこそ、県警も同じく現職で調査活動費なる裏金を記者会見しようとして瑣末な事件(セカンドハウスの不動産取得税を減免させた、罰金程度の罪)で逮捕された大阪高検の三井環氏のように足許を救えなかったのだろう。本文だけでなく、巻末の判決諭旨でもそれが読み取れる。高裁でひっくり返さないよう、(数少ない)まともな判事がつけばいいのだが・・・警察関係では、取締りを逃れる系の本をよく見かけるが、本屋さんにはこちらを是非平積みでドドンと置いて欲しいものだ。

『仙波さんを支える会』HP連載の書籍化であるが、重複する内容が散見されたので、そちらを修正してくれてたら更に良かった。

  東さんに会いたかった, 2009/7/12

レビュー対象商品: ドキュメント・仙波敏郎 -告発警官1000日の記録- (ハー東さんの文章はうまい。読んでいて面白い。だがこの本はフィクションではない。あえていうなれば、仙波敏郎さんと東玲治さんの生き様が記録されている。彼ら二人の命を懸けた警察組織との戦いの物語。命をかけた真剣な戦いの記録。真剣に生きる人たちの記録に興味のある方は、読んでみてください。

  恐ろしい内容です, 2011/4/10

レビュー対象商品: ドキュメント・仙波敏郎 -告発警官1000日の記録- (ハー特に、愛媛県の県警は酷いようだ。知事や県議会は県警の不正を暴こうという気概が全く無し。裏金作りで頑張った者が昇進する。そのため、警察の実力が低下している。ヤクザさんと警察職員を総入れ替えした方がマシかもと言いたくなる。全国の警察全体に対して不信感を抱くようになった。

16:30 2014/09/20

東玲治 仙波さんを支える会世話人に聞く「高裁判決の行方」

愛媛県警刑事部長を「文書偽造」で刑事告発すべし

仙波さんを支える会世話人 東玲治 氏  

運営者 そんなのおかしいじゃないですか。これは日本じゅうの警察でやっている、200億円にものぼる裏金づくり=組織的横領の話なのに。

東   仙波裁判で、何が足りなかったかと考えると、実は一番足りなかったことは決定的な事実を突きつけるということだったと思います。

運営者 裏金づくりの証拠ということですね。

東   そうです。仙波君は、不正のアウトラインはきちんと正しくキャッチしています。どのくらいの広がりがあって、どのくらいの嵩があるものかということはね。だけど彼は警察の不正の実態は絶対に知らない立場なんです。

運営者 裏金をつくってもいなければ、もらってもいないわけですからね。

東   それを知っていたら、仙波君は、仙波君じゃないわけだから。だけど裁判では、不正の実態をえぐり出す証拠が不足しているんです。それは仙波君が暴き出すべきことではなくて、新たな告発者か新聞記者、もしくはマスコミの仕事のはずです。

新たな告発者が出ないのは、仙波君の行動にもかかわらず、自分を奮い立たせて立ち上がろうとする警察官がいないということです。それは警察官全員が汚染されているからです。相変わらず警察には、トカゲのしっぽ切り体質が残っているから。それを彼らは感覚的に知ってるんです。ことが簡単でない理由は、そこにあるんです。

運営者 でも何でですかね。仙波さんが人生をかけてやってきたことを見て、何とも思わなかったら、人間終わってるでしょう。

東   僕は取材記者として一応三十何年仕事をしてきました。その経験で言えるのは、決定的な事実を突き付けなければ、警察庁は裏金をやめるという、自分の態度を改めるような通達は出さないということですよ。

仙波君は、先駆者としての役割を果たしました。だけど証拠がない。その証拠に近づいているのは、仙波さんを支える会と弁護団の起こしている住民訴訟の方ですよ。WINNY訴訟は、まさに愛媛県警の刑事警察の最高責任者が、文書偽造の刑事責任を問われるかもしれない事件なんです。

 

WINNY訴訟 これは重要です。仙波君の告発の中に欠けている証拠を突つけるのは、皮肉なことに仙波君の同期生である二宮刑事部長なんです。県警はおおっぴらに領収書の偽造をやっているわけですが、裁判で「仮名で警察官が作成する支払い精算報告書は虚偽公文書作成行使という罪になりませんか? 虚偽公文書作成行使の成立要件に欠けるものが何かありますか?」と聞かれて、答えることができませんでしたからね。

文書偽造は「目的のいかんを問わず」ということが当然の前提としてあるのに、彼が言ったのは「協力者を保護するためであるから許されると理解している」と目的の正当性しか主張していない。彼は虚偽の領収証を愛媛県警が作り続けてきたということを認めたんです。自分の刑事責任を自白したのと同じですよ。

http://www.nin-r.com/intr/semba/kokubai/42.html

仙波敏郎愛媛県警巡査部長に聞く「警察裏金告発の行方」

東玲治 仙波さんを支える会世話人に聞く「高裁判決の行方」

仙波裁判は警察の不正にどこまで切り込めるか


仙波さんを支える会世話人 東玲治 氏  

東   現刑事部長が刑事告発されるというのは非常に大きなことです。

運営者 愛媛県警のNO.3であり、ノンキャリのトップですからね。

東   うまくすれば、警察庁は自ら是正せざるをえなくなるでしょうね。

運営者 つまりもう仮名で領収証を偽造するのは許されなくなるということですね。

東   仙波君は自分の職業生命を賭けてまでこの問題と闘ってきましたが、悲しいことに彼には不正の実態はわかりません。

しかしWINNY訴訟では、刑事部長が不正を行っていたという実態が明らかになっています。それは不正のすべてではないけれど、まさに不正の実態を象徴することなのです。だから検察庁に刑事告発をしないと。

仙波  どうなるかな。

東   1年間棚に上げられたうえで、起訴猶予になるでしょうね。だって検察庁も裏金に汚染されきってますから。そんなところが警察の不正を追求できるはずがないでしょう。だから「虚偽公文書作成」までは行ったとしても、「横領」「詐欺」までは行かないでしょうね。

そうこうしているうちに刑事部長は定年退職になるでしょう。その後警察庁が、自らの責任としてこの問題に向き合うかというと、果たして疑問ですね。ほとんど可能性はなくなるでしょう。

運営者 仙波さんの告発をきっかけに、いろんな人がかかわっていろんな方向から警察の不正を追求してきたわけですが、高裁で仙波さんたちが勝つということは、ある程度警察の不正を認めさせることになるのではないでしょうか。

東   警察の不正ではなくて、「愛媛県知事の不明を問う」ということに止まるのではないでしょうか。

運営者 愛媛県が被告の訴訟ですからね。

東   警察庁の責任を問うということにはならないです。

客観的に見ると、仙波君がやったことは歴史的な事実として記録にとどめられるけれど、それはある状況になったときに振り返られることであって、今すぐに脚光を浴びる状況にあるかというと、それはそうではないかもしれない。

運営者 悲観的にすぎるような気がしますが。

東   警察がもっとどうしようもない事態に立ち至ったときに、先達である松橋忠光さんや、原田宏二さんや、最新の事例である仙波君のやったことは正しかったのだということを思い知ることになるでしょう。

仙波敏郎愛媛県警巡査部長に聞く「警察裏金告発の行方」

東玲治 仙波さんを支える会世話人に聞く「高裁判決の行方」

警察にはもう打つ手はない・仙波さんを支える会世話人

 東玲治 氏  運営者 仙波さん、そんなことでいいんでしょうか?

仙波  僕自身は、天下国家を論じるつもりはなくて、僕は愛媛県警ですから、県警だけは膿を出し切ってちゃんと治療をして、まともな組織になってほしいということだけなんです。僕がやったことはちっぽけなことなんです。

東   彼は謙虚に言ってるよね。

僕は客観的に考えて、高裁判決で「仙波さんが勝ったらしい」というみんなの記憶の底にはとどまるだろうけれど、そうやって歴史の事実になっていくということです。これは貴重なことではあります。

警察はこのままではやがて立ちゆかなくなるでしょう。世間から囂々たる非難を浴びるような事態が来るはずです。

運営者 本当はもう既に禍根はあるんですけどね。

東   マスコミがそれを伝えていないから。

天木直人さんが言っていましたが、「マスコミが正しく伝えさえすれば、常に世論は健全であると信じたい」。そのはずなんですよ。正しく伝わっていないんだと思います。

運営者 この前外国人記者クラブで仙波さんと東さんに講演してもらったときに、アメリカ人が、警察の不正の大きさに驚いていましたが、それは別として、「ニューヨーク市警でこんな不正があったとして、メディアがそれを知ったとしたら、ニューヨーク・タイムズがその事実を書かないなんて考えられない。日本のマスコミは一体どうなってるんだ」と驚いていましたよ。

そうすると、警察が行き詰まって自爆するタイミングがあるのだと思いますが、仙波さんにはその行き詰まりは見えてらっしゃいますか。

仙波  少しずつは是正してるんですよ、小さなところで。裏金の金額自体も減っています。

少なくとも若い警官は、「領収書の偽造はまずい」という意識は持ってるんです。このままではいけないという意識はありますから、10年、20年かければよくなっていくとは思うんです。そういう期待はあるのですが、即効性はないですね。

運営者 この問題について日本で一番闘っているお二人がそう言うんだったらそうなんでしょうね。

それからもう一つは、仙波さんが09年の3月に無事に退職すること自体が、仙波さんの正しさを証明するということになると僕は思ってるんですけれど。

東京にお越しいただいて、週刊誌には載るわ、インターネットで放映するわ、いろんなことをやってもお咎めなしなのは不思議なんですけれど。

東   彼は日本中どこに行っても、「警察官は全員犯罪者です、僕以外は」と言って来たんです。これが処罰の対象にならない。警察の内部調査はすでに終わっています。警察にはもう打つ手はないんです。

仙波敏郎愛媛県警巡査部長に聞く「警察裏金告発の行方」

東玲治 仙波さんを支える会世話人に聞く「高裁判決の行方」

警察の上層部全員を逮捕せよ・仙波さんを支える会世話人

東玲治 氏  

東   しかし、民主主義、地方自治、納税者の受けるべきサービスという点からいえば、愛媛県が国家賠償訴訟に負けたということは、仙波君が言ってることが正当であったということでしょう。ではもう一度県の監査や会計検査を行うかどうか。監査に金がかかったとしても、彼らが湯水のように使っている裏金と比べれば安いものです。しかしそれをやるかといえば、やらないでしょう。

「これで仙波さんも報われたでしょう。万々歳ですね」という話になっておしまいですよ。

運営者 一件落着ですか・・・。

東   本当はここがスタートラインにならなければいけないんですけどね。

仙波  そうだね。

運営者 「仙波さんが百万円もらいました」という話ではダメなわけです。

東   賠償金は懸賞金にしてもいいよね。

運営者 あっ、「この百万円で警察の裏金の動かぬ証拠募集します」ということですね。

とにかく証拠が欲しいですね。そういう意味ではちょっと古いものになりますが、寺澤さんが「FLASH」に載せた北海道警の鉄道警察隊の裏金帳簿はよかったと思います。

東   警察の上層部全員が逮捕されて、警察が一次的に機能マヒに陥っても構わないから、全員逮捕してしまえということですよ。警察の管理職の責任は全員問われるべきです。これをやると警察は完全に機能がマヒするでしょうが。

 

運営者 別に構わないんじゃないですか、やるべきですよ。

東   心配しなくても、管理職にふさわしい人はいくらでも出てきますよ。必要な人は出てくるんです。長い目で見れば、社会に対するデメリットなんて小さなものですよ。

われわれは3年半の間主張してきて、あちこちで言い続けて、警察の巨額の裏金の実在はもう既成事実になっています。しかしそれは世間に正しく伝わっていないし、正しく受けとめられていない。仙波君のヒューマン・ストーリーとして報道してくれる記者さんはいますが、それはこの問題の深刻さを直接伝える方法ではないんです。

運営者 今一番伝えられなければならないことは何ですか。

東   決定的な事実を書くことが重要です。

警察官としての自分の生き方はまちがいではなかった

仙波さんを支える会世話人・ 東玲治 氏  

運営者 そのためには、新しい警察内部告発者や、裏金作りの証拠の入手が必要ですね。そのきっかけはあるでしょうか。

みんな全員知ってるしやってるわけですから、27万人の警察官の中でひとりでも「私は裏金づくりを見ました」「わたしはやっていました」と証言する人が出てくれば、それで決着がつく話なのですが。全員が口をつぐんで、不正を隠蔽しようとしている。なんと情けない姿でしょうか。人間として恥ずかしいですよね。

東   裁判は、警察官の意識を切り替えることにはならないようです。

運営者 そうそう、裁判を見ていて思ったのですが、刑事部長が尋問されている間、県警からは10人を超える警部以上の指定代理人が話を聞いているわけですが、刑事部長といえば自分たちのボスじゃないですか。それがあれだけのらくらと、長時間ウソをつき通しているのを見ていて、よくもまあ平気だなと感心しましたよ。

まさに正義心がなくなっていますね。普通は「ふざけるな!」と声をあげると思いますが。

東   とんでもない。彼らは全員刑事部長の部下ですから、「刑事部長ご苦労さまでした。仙波というバカ者が大変ご迷惑をおかけして申し訳ございません」くらいの気持ちですよ。帰ったら、どこかで酒を飲んで慰労会をやってるでしょうね。

裏金は中毒になってるから、彼らはやめられないですよ。やめたら自分たちの過去を全否定することになっちゃうし。しかも刑事告発されたらつらいよ。せっかく裏金で建てた立派な家に住みづらくなるし、まして元警察官が塀の中に入ったら袋叩きですからね。

とにかく僕は、仙波君の行動や、高裁判決に触発されて取材力のあるジャーナリストが決定的な証拠を探してみんなの前に突きつけてくれることを期待します。もうひとつはWINNY訴訟で刑事部長が刑事責任を問われること。ただし現職としては難しいでしょうね、もう時間がない。

運営者 仙波さんの方はどうですか

仙波  不正に手を染めなかった僕の生き方を裁判所が認めてくれれば、それは僕の生き方を裁判所が認めてくれたんだという自己満足はあります。警察官としての自分の生き方はまちがいではなかったということですから。

「困った人を助けるのが警察官の仕事」という信念で今までやってきましたが、昇任もできず、自分がやりたい捜査もできず、息子の事件もあったし、いろいろありました。だけどその男の生き方を、退職間際に裁判所が認めてくれたんです。

二宮刑事部長のように裁判所で尋問をされることに比べれば、僕の生き方はよかったなと思いますよ。

運営者 彼はノンキャリとして位人臣をきわめたわけですが。

東   彼も自己満足はしてるよ。地位も名誉もカネも、みんなが望むものをすべて手に入れているわけだから。

ただ裁判で尋問されたことは彼にとっては傷になるかもしれないけど。ただ訴追されなければ、現世利益は十分得ているわけだから、心の傷は忘れられるかも。

警察の浄化=機能回復は、もはや社会的な要請

仙波さんを支える会世話人 東玲治 氏  

運営者 こういうことですよね。片や不正のお先棒を「みんなで渡れば怖くない」とばかりに担いで位階人臣を極め、望むものをすべて手に入れた刑事部長。片や正義を貫き通した結果35年間巡査部長のままで家族は散り散りバラバラになってしまった仙波さんがいる。

自分が生きるのなら、どちらがよいか、どちらのほうが悔いのない人生かという問題じゃないですか。

仙波  他の人は刑事部長になりたいんですよ。

運営者 僕はそうは思わない。

東   松山に生まれた変な奴が3人(仙波、東だけでなく、運営者岡本も出身は松山)全部ここに集まっているわけだ(笑)。

運営者 たぶん松山には、もっとそんな変な奴がいるはずですよ。

仙波  裁判の傍聴にも毎回、そういう人が来てくれてますよ。

東   今みたいな、好きなモノがすぐ手に入る物質的な時代の人たちに、そんなことを言ってもどうかなあ。

運営者 人間、そんなにあっさり正義心を捨てちゃいますかね。

東   だって歴史的に見たって、一度として正義心が勝った時代なんかなかったんじゃないですか。

運営者 いや、この前わたし鹿児島の知覧に行って来たんですよ。ここの陸軍の基地から、1068名が特攻して二度と帰ってこなかったんですね。

知覧特攻平和会館という展示施設で、彼らの遺書や遺品を展示してるのを見たんですけど、かなり大勢の人たちが見学に来ていてまじめに見ていましたよ。あの頃の人間はいかに洗脳されていたとはいえ、国に殉じて死んでいった訳じゃないですか。「必中」とか「不惜身命」とか武張っている遺書の部分は単なる強がりに見えるんですけど、家族に当てて心情を書いている部分は裸の自分の心、まさに赤心の吐露でしてね。そこには「愛する者のために自分を捨てる」という無私の気持ちが書かれていて感動を誘います。警察官には、少なくともそういう気持ちのカケラがないと、無理なんじゃないでしょうか。

そう考えると、洗脳というのも一定の効果はあるのかも・・・。警察がこんな状態じゃあ、社会が持たないですからね。

東   であるなら、警察をもっと追いつめる状況を作らないとね。

運営者 刑事部長がこれだけ晒し者にされて、十分警察は追いつめられてるじゃないですか。

東   いーえ、ぜんぜん。警察は911以来、首都警備でテロ対策のためにふんだんに予算を使えるようになって、警備公安は焼け太り状態ですよ。予算さえ増えれば口実は何でもいいんだから。この状況は変わってないです。

社保庁くらい必要のない組織でも焼け太っているわけで、ましてや警視庁なんか必要性があるんだから。

運営者 困ったもんですねえ。警察の浄化=機能回復は、もはや社会的な要請といっても過言ではないのですが。仙波さんが警察学校の教員として全国にゲストで招かれるくらいの世の中にならないとまずいと思いますよ。

まあしかし、闘いはまだまだこの先も続きますね。

東   ぼくはもう、しんどいけどね(笑)。(この項終わり)

http://www.nin-r.com/intr/semba/kokubai/47.html

16:40 2014/09/20


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